オーバー・ザ・レギオス
第十三話 ひとつの終わり
まさか、このレベルの意志で現れるのか。
これまで俺が何十回都市の滅びに嘆き続けたのが何だったのかと逆に俺の方がディンを妬んでしまう。
廃貴族が主を決める基準って何なんだ?
今までの都市の電子精霊たちは、廃貴族にならなかったのか、それとも電子精霊たちのお眼鏡に適わなかったのか。
いや、そもそも俺はいつから電子精霊や廃貴族という単語を当たり前のように認識してるってことはどこかでそれなりに深い接点があったってことだ。なら俺にも廃貴族が付いている可能性も、というか“姫様”が廃貴ぞ
「っづぁ」
廃貴族ではないらしいな。いきなり強烈なショック映像をぶつけてきやがった。
いまは俺のことより、ディンに取り憑いた黄金の牡山羊だ。
「……なんのつもりだ?」
問いながらディンの状態を確認する。
剄の流れから封栞はまだ破られていない。周囲に吹き荒れる剄は廃貴族が齎しているものだ。さきほどまでのディンの底力を遥かに上回る剄を放出している。
「ディンはおまえの主に相応しくない。このままだとおまえまで“破壊の炎”に染まり尽くすことになるぞ」
「『…………』」
「だんまり、か」
隣の都市であった時よりも姿が薄れているように感じる。
存在感はその異質さからあまり衰えて感じないが、俺の声に応えるだけの余力がないのだろうか。
メルニスクが廃貴族になった後に廃都市に残っていた僅かな“灯火”でも普通の武芸者にとっては有り余るほどのエネルギーがあった。メルニスクの本体が憑依しているのならもっと強大な力を出せても不思議ではない。眼の前のディンにはそれほどの脅威は感じない。
沈黙を保つメルニスクに代わり、ディンが動き出す。
地面に落としていたワイヤーが一斉に脈打ち、襲いかかってきた。
「――が、それでもレイフォンと同じだ」
それまで指と手首の動きだけで操っていたワイヤーに剄を宿らせ、剄の流れのままにワイヤーを自在に繰る。レイフォンの鋼糸の技と同質のものだ。
明らかにいままでのディンの技量を超えた技だ。ディン本人の技術でないということはこれはメルニスクの仕業か。
「まさか、憑依者と敵対してるからって俺まで敵と認識したってのか? いくらなんでも薄情じゃないか?」
ワイヤーを回避しながら不満を口にするがやはりメルニスクもディンも反応する様子がない。
と、俺に襲いかかってくるワイヤーの中から数本が別方向へと奔った。
「……なんだこれは!?」
ナルキ・ゲルニだった。
呆然とした声に鎧閃の密度を上げてナルキの方へと駆ける。鎧閃を纏った状態で旋剄を用いれば、それだけで強力な突進攻撃になるな。別々に発動させると剄の効率が悪いからそのうち一つの剄技として扱えるようにしてみよう。
「つっ!」
ワイヤーが僅かにナルキの肩口を掠める。
二線目のワイヤーを追い越しながら払い除け、ナルキの前に辿り着くと抱えてディンから距離をとる。
「な、なんなんだ……」
突然のことに狼狽するナルキを下ろし、ディンに向き直る。
「……あれはなんだ?」
メルニスクを目にしてナルキがさらに困惑する。
「幽霊みたいなもんだよ」
「ゆうれい!?」
俺の適当な返しにも動揺の声を上げるナルキ。
「冗談はさておき、どうやって引っ剥がすか」
「おい、一体あれはなんだ? リグザリオは知ってるのか?」
「……ん~悪い、説明は後にしてくれ」
このままディンと共にメルニスクが堕ちるのを黙って見ているわけにもいかない。
「まったく、手間をかけさせるんじゃねえよ」
右手で襲いかかってくるワイヤーを捕らえ、左手に剄を収束させる。
外力系衝剄の化錬変化、緋蜂。
左手に収束させた化錬剄を用いた剄弾をサイドスローの要領でディンに投げつける。
剄弾は投擲と同時に散弾のように拡散し、うねるワイヤーを引き千切りながらディンの身体に殺到する。
「っっっっっっっ!!!」
呻きはなかった。口から空気が漏れる音だけを残し、全包囲から襲いかかる小さな焔の剄弾がディンの全身を激しく打つ。
「殺す気ですか、リグザリオさん!」
「レイとん!」
ディンを襲った緋蜂のいくつかを衝剄で吹き飛ばしながらレイフォンがディンと俺の間に立った。
もともと加減して撃っていたのだが、他の人にそれが分かるほど見やすい技じゃないから仕方がない。
「討つなら廃貴族の方でしょう」
言いながらレイフォンも青石錬金鋼の剣を抜き、今にも斬りかからんとした気迫を見せる。
「だから、理解ができないからっていきなり斬ろうとするな。それに廃貴族に物理的干渉はできない。やるならディンの方だ」
メルニスクがディンの極限の意志に感応した以上、ディンに戦いを諦めさせる以外に引き剥がす方法はない。
言葉を持たない俺にはディンをズタズタにし、どんなに力を得ようとディンでは勝利を手にすることができないと残酷なまでに付きつけることしかできない。
「それは困るさ~」
間延びした声と共に周囲の砂煙の中から鎖が伸びてボロボロになったディンを素早く雁字搦めにする。
「ハイアっ!」
「廃貴族はおれっちたちがもらう。そういう約束さ~」
声と同時にハイアが砂煙から飛び出し、俺たちとディンの間に降り立つ。
「廃貴族を連れて行くのは構わない。けどな、ディンを宿主のままにしてはおけない!」
「「リグザリオ(さん)!」」
ディンよりメルニスクのことを案じる様な物言いにレイフォンとナルキから非難の叫びが飛ぶが無視する。
数人の見慣れない男たちが鎖を掴んでディンを取り囲んでいる。サリンバン教導傭兵団の連中だ。
もっと良い宿主だったらいくら百戦錬磨のサリンバン教導傭兵団の武芸者たちでも廃貴族憑きを抑えることはできなかったろうに。
「やっぱ、アンタは知ってたさ。廃貴族だけを捕まえるのは、おれっちたちでも無理さ~。それは元天剣授受者のレイフォン君も、我らが女王陛下も同じさ~」
「なんだと?」
ハイアも余計な説明をしなくていいものをぺらぺらと。
「廃貴族が学園都市に来てくれたのは幸いだったさ~。志が高くても実力が伴わない半端者ばかり。廃貴族の最高の恩恵を持て余して使い切れないのが関の山。本当ならおれっちたちなんて近づけもしないだろうに、この様さ~」
「グレンダンに連れて行ってどうする気だ?」
「グレンダンに戻れないレイフォン君には関係のないことさ~」
得意気にレイフォンを挑発するハイアにレイフォンも手にした剣を強く握りなおす。
そんなレイフォンの態度に気を良くしたのか、ハイアは楽しそうに言葉を続ける。
「まぁ、ヒントくらいはいいかもさ~。グレンダンがどうしてあんな危なっかしい場所に居続けるか? それの答えと同じところにあるさ~」
グレンダンが危険な場所に居る。
聞いた話では、汚染獣と頻繁に遭遇する都市らしいが、たまたまそういう縄張りをグレンダンがもっているだけじゃないのか? それとも理由があって汚染獣が数多く巣食う場所に留まっているのか?
「じゃ、もらっていくさ」
余計な疑問を増やしたハイアは、一方的に会話を切り上げて去ろうとする。
「って、待たんかい!」
「うおあ!? いきなりなにするさ」
復元鍵語を省いて復元させたのは、試合前に正式に受け取ったばかりの簡易型複合錬金鋼の双剣。その片割れに剄を流し、俺とディンの対角線上に立っていたハイアを払い除ける形で刃部の蛇腹を伸ばし、ディンを捕らえていた鎖を引き裂く。
「アンタは協力するって確約したはずさ~」
いきなりの裏切りにあったような顔で睨みつけてくるハイア。
「ああ。廃貴族をグレンダンに連れて行く、ということは納得している。しかし、その運び方が問題なんだ」
「リグザリオの言う通りだ。ディン・ディーは連れて行かせないぞ」
やってきて叫んだのはニーナだった。
「はっ、たかが一生徒の言葉なんて聞けないさ」
「貴様ら……ディンをグレンダンに連れて行って、どうする気だ」
「さあね。おれっちも詳しくは知らされてはないけど、少なくともグレンダンが欲しがってるのは廃貴族だけ。向こうに廃貴族を引き剥がす術があるんならこんな未熟者は、すぐにお払い箱。簡単に返して貰えるはずさ~」
ニーナのレイフォンと同じ質問にハイアはうすら笑いを浮かべながら答える。
少なくとも宿主を決めた廃貴族を物理的な干渉で引き剥がすことは不可能だ。すぐに返されたとしても五体満足でいる保障もない。
「ディンは確かに間違ったことをした。だが、それでも同じ学び舎の仲間であることには違いない。貴様らに彼の運命を任せるなど、わたしが許さん」
鎖で雁字搦めにして捕らえられようとしているディンが輸送中やグレンダンでまともな扱いをされるとは誰にも思えないだろう。
ニーナが鉄鞭を構え、ハイアに向けて言い放つ。
「もう一度言う。ディン・ディーは渡さない」
「……未熟者は口だけが達者だから困るさ~」
ニーナたちとそれほど年齢も違わないはずのハイアが、まるで俺のようなことを言う。
「どうしても連れて行くって言ったらどうするさ? 現在、ツェルニに居る四十三名。サリンバン教導傭兵団を敵に回すって?」
対汚染獣、対人戦闘のプロである傭兵団と敵対することになったとき、ツェルニの武芸者に勝機はない。まして、ハイアたちは廃貴族をディンごと連れ帰るだけでいい。こちらを攪乱して自前の放浪バスでさっさと立ち去れば済む話だ。負けない自信がハイアの表情にも表れている。
しかし、ハイアは忘れている。サリンバン教導傭兵団を相手に渡り合える、単独で制圧し得る武芸者がいまのツェルニには存在することを。
「お前も調子に乗るな」
濃密な剄を漲らせながら剣を構えたレイフォンが呟く。
「何か言ったかい? 元天剣授受者」
揶揄も含まれた言葉にレイフォンはわずかに反応するが耐えた。
レイフォンの場合、ニーナが方針を明確にしたことで傭兵団を敵に回すことを決めたのだろう。
「サリンバン教導傭兵団四十三名。技の錆を落とすにはちょうどいい数と質だ。グレンダンで培ったとかいう、生温い戦い方を見せてもらおうか」
レイフォンのらしくない挑発に周囲の傭兵団の武芸者たちは声に出さないもののわずかなざわめきの雰囲気が空気に波を作った。
無音の敵意が濃密にレイフォンに集中していく。
「安い挑発さ~。ま、お前を倒してグレンダンに帰れば、余った天剣を授けてもらえることになるかもしれないさ~」
ハイアが剣帯から鋼鉄錬金鋼を抜き、刀の形へと復元させる。
剣を下げたままレイフォンは一歩前に出た。
「レイフォンもハイアも、馬鹿なことは止めろ。今は廃貴族をどうにかするのが先だろう」
張りつめた空気を作っていたレイフォンとハイアを抑えようと叫ぶ。
ハイアを払い除け、ディンを捕らえていた鎖を断ち切った俺も傭兵団の連中に障害となる存在であることが伝わっているはずだ。
「そんなことは分かってます」
「邪魔するとアンタでも容赦しないさ~」
二人とも互いが気に入らない者同士らしい。
いやな剣幕で互いの得物を構える二人は、俺の制止に耳を傾ける気はないようだ。
よくない状況になってきた。
今後のことを考えるとサリンバン教導傭兵団との関係が悪化することだけは避けたい。
良好とはいかなくとも取引が可能な程度の信頼関係、もしくは利用関係を保たなくてはいけない。
睨みあうレイフォンとハイアを言葉で止めるのは難しい。力尽くで止めるのは簡単だ。レイフォンの挑発に同調するわけではないが、俺とレイフォンの二人ならサリンバン教導傭兵団の総戦力を総合的に上回って有り余る。傭兵団で特筆すべき戦力はハイアだけ。他の武芸者も通常の都市からみれば相当な実力者だが、個としての戦闘力より、集団による総合戦力に重きを置いている。彼らの要であるハイアを圧倒的な戦力で叩き潰せば、傭兵団全体の士気を挫くことができるだろう。
『リグザリオ』
二人の睨み合いから一歩引いて強引にでも二人を止めるか、傭兵団と敵対してでもディンを守るべきか、迷っているとニーナが念威端子越しに声をかけてきた。
『アレがどういうものか知っているのか』
ニーナの問いには性急さが見て取れる。
ハイアのことはレイフォンに任せ、ディンをどうにかすることを考えているのか。
俺は、ニーナに廃貴族の特性とディンの状態について説明できるだけのことを語った。
『つまり……廃貴族を引き剥がすには、都市の守護に執着している彼の使命感をもう一度、完全に折ってしまう必要があるということだね』
フェリの端子を通して話を聞いていたカリアンが最も簡単な解決策を提示する。
しかし、ディンの使命感を折るにはその心を深く理解していなければならない。ディンがこうなるまでの心情は理解できるが、俺の言葉に効果があるとも思えない。やるならばディンと深い絆を持つ者だ。
『方法は、こっちに任せてくれねぇかな?』
ダルシェナを連れたシャーニッドが会話に割り込んだ。
『方法があるのか?』
『やってみなくちゃわかんねぇ』
ニーナの問いに、シャーニッドが肩を竦めてみせる。その身体には無数の傷があり、隣に立つダルシェナの戦闘衣は砂埃で汚れているが、怪我らしい怪我はない。二人の戦いは順当にダルシェナが勝利したらしい。狙撃手たるシャーニッドが前衛タイプのダルシェナを真正面から迎え撃つという形を取った時点でそれは当然の結果だ。
「やるなら早めにした方が良いぞ」
傭兵団を牽制するようにディンの前に立ち、ディンの使命感を諦めさせるために歩み寄ってくるシャーニッドとダルシェナに忠告する。
あまり長い間、廃貴族を身体に宿しているとどんな影響があるか分からない。まして、ディンは受け皿として優れていない。長時間、廃貴族の力を顕現させればそれだけ肉体の方にも精神の方にも大きな負担がかかる。
「わぁあってるよ」
シャーニッドだけが適当に応え、ダルシェナは無言でディンの前に立った。その横顔を見るのはあまり気分の良いものじゃない。
こいつらがやるのならディンのことは任せても大丈夫だろう。
『二時方向、きます』
フェリの声が届くと同時にダルシェナたち目掛けて衝剄の矢が奔った。
野戦グラウンドに乱入してきた傭兵団もそれを合図に動き出す。
『リグザリオ!』
「任せろ!」
ダルシェナを狙った衝剄の矢をニーナが防御系の剄技で防いだのを確認し、襲いかかってくる傭兵団の迎撃を始める。
傭兵団を相手に善戦ができると考えるほどニーナも猪武者ではない。ダルシェナの背後を守るように黒鋼錬金鋼の二挺拳銃から軽金錬金鋼の狙撃銃に持ち替えたシャーニッドが立ち、状況に動揺しつつも打棒と取り縄を構えるナルキ、二人の前に立って傭兵団を警戒するニーナ。傭兵団相手にやり合うにはニーナ達の実力は全く足りていない。しかし、それは集団として戦った場合だ。ようは多対一の状況で戦わせればいい。こんな状況だ、ニーナも我慢してくれるだろう。
俺の役割は傭兵団を抑えること。一人、二人を逃しても今のニーナたちなら対応できる。それだけの実力がつくように日頃の訓練でも徐々に負荷を増して相手をするようにしてきた。ニーナ達は才能もあるんだ。小隊訓練のない非番日にも以前小隊体験見学に来ていたレオ・プロセシオを始め、小隊に所属していない武芸者の訓練指導を頼まれて結構な数の生徒を見たが、小隊員なら一般武芸科生徒より実力があるのは当然だが、成長率だけを見た場合、ニーナ達は小隊員の中でもかなり才能がある。武芸大会に向けて負荷を増すようにニーナに相談してみようかな。
俺に向かってニ、三人ずつ武芸者が四方から襲いかかってくる。俺を抑えている間に残った者たちにディンを確保させるつもりだろう。それはあまりにもニーナ達の実力を甘く見すぎだ。
衝剄活剄混合変化、竜閻。
簡易型複合錬金鋼の双剣。その片割れの刀身が鏃状にばらけ、極細のワイヤーが複数の鏃刃を繋げ、柄に奔らせた衝剄を刃先まで伝える。一閃すると同時に刃が蛇のようにうねり、一番近くに居た武芸者を捉えて遥か後方へ弾き飛ばす。刀身に奔らせる衝剄を調整し、切断力を低下させる代わりに与える衝撃力を増大させている。
しかし、傭兵団は初撃に怯むこともなく、伸びきった蛇腹の間合いの内側に飛び込んできた。
活剄衝剄混合変化、鎧閃・弾鋼。
鎧閃の攻撃を逸らす衝剄を変化させ、衝撃を反射するようにした応用技。間合いに飛び込んできた傭兵団に砲弾級の蹴りを撃ち込み、振り下ろしていた錬金鋼を完全な力業で破壊して身体も吹き飛ばした。
その後は、仲間をやられ、俺をどうにかしないとディンを捕獲できないと感じた傭兵団が集中的に襲われたが、レイフォンがハイアを降し、ダルシェナの言葉により廃貴族がディンから抜けるのを確認するとサリンバン教導傭兵団はすぐに撤退していった。
幸い、廃貴族の追跡は通常の念威操者には不可能だ。
サリンバン教導傭兵団の目的が廃貴族である以上、まだ俺には交渉できる手札が残されている。ディンのことに関しては、ニーナたちの手前、はっきりと行動できなかったが、今度は正式に取引を持ちかけることにしよう。ハイアもサリンバン教導傭兵団をあずかる身だ、ちゃんとした報酬さえ用意すればまだ取引に応じるはずだ。
武芸大会は近い。
このまま俺ももっと人間同士の戦いを分析しないといけない。
武芸科全体の連携訓練もそろそろ始まるだろうし、やることは多いが遣り甲斐はある、かもな。
「お前の働きにも期待してるからな、■■■」
野戦グラウンドの砂煙が消え去り、試合終了のサイレンが鳴り響くツェルニの空に呟いた。