オーバー・ザ・レギオス
第十二話 叶わぬ誓い
第十小隊への対処が決定したところで解散となったが、俺とレイフォンだけは会議室に残された。
現在、会議室に残っているのは俺たちの他にカリアンとフェリ、ハイアにミュンファという面子。
「……で、これはどういう状態なんですか?」
残った面々を見回すレイフォンはハイアの隣に立っている見慣れぬ少女に目をとめた。
「あ、あの……はじめまして、ミュンファ・ルファと言います」
ミュンファはそれだけ言うとハイアの側に逃げるように移動する。
表情のないレイフォンは、その素性を知るミュンファにとって恐ろしく感じているのかもしれない。
そんなミュンファの態度を無視してカリアンに向き直るレイフォン。
「会長、ハイアは違法酒の密輸に加担していた疑いがあります」
「それはなかったことにするんだろう? ヴォルフシュテインさ~。てか、あっさりと呼び捨てかい?」
カリアンの横で机に凭れかかるハイアのニヤニヤ顔がレイフォンの精神を逆なでしている。
「僕はもう、天剣授受者じゃない」
苛立ちを隠す様子もなくハイアを睨みつけるレイフォン。今にも斬りかかりそうな表情だ。
「知ってるさ~。あんたはただの一般人、しかも学生さ~。なら、少しは年上に対する礼儀ってのを身につけたらどうさ~レイフォン君?」
どんだけ仲が悪いんだこいつら。
ハイアの挑発もそうだが、レイフォンも余裕がなさすぎる。
青石錬金鋼を抜き放ったレイフォンに、ハイアも鋼鉄錬金鋼抜き放って迎え撃っていた。
「……今度は手加減しない」
「上等さ~。刀も使えない腑抜けなサイハーデンの技がおれっちに通用するか、試し「こんのアホンダラども!」っ痛っっ!?」
剣と刀をぶつけ合ったまま睨み合う二人の脳天に唐竹割を喰らわせる。
「な、何するんですか!?」「いきなりなにするさ~」
眼尻に涙を溜めながら文句を言う二人を威嚇するように睨み返す。
「お前らクラスの武芸者の喧嘩がどれだけ周囲に迷惑をかけるかわからんわけじゃないだろ? 次に馬鹿なこと始めるようなら二人まとめてエアフィルターの向こうに放り出すぞ。わかったか、悪ガキども!」
俺の怒鳴り声に会議室が一瞬静まにかえる。
戦声のような威嚇術も使っていないが、皆一様に驚いた表情を浮かべている。
まあ俺も似合わない大声を出して腹が痛くなった。皆も意外に思ったのだろう。自分でも恥ずかしいよ。しかもおっさん臭い言い方だったしな。
「まあ、なんだ。さっさと話を進めようぜ」
気恥ずかしさを隠すように視線をそらして丸投げする。
場の空気から最初に脱却したカリアンが疲れた様にため息をついて話を始めた。
「ハイア君たちサリンバン教導傭兵団は、とあるものを回収することが目的らしい。その回収対象を目撃したのが、レイフォン君とリグザリオ君の二人だけだったという証言があったそうだ。それで彼らは、君たちに正式な協力要請を申し出たのだよ」
「……その回収対象というのは?」
「見たろう? 隣にあるぶっ壊れた都市で、常識じゃあ考えられないような奇妙な生き物をさ~?」
ハイアの言葉にレイフォンがはっとした様子で眼を見開く。
隣の廃都市で遭遇した奇妙な生き物と言われれば、黄金の牡山羊以外に思い当たらないのも当然だろう。
「あれは、ここにあったら危険なものさ~。だから、うちらが回収するのさ~。その代わりにおれっちたちは向こう一年間、汚染獣からツェルニを守る。そういう契約さ~」
黄金の牡山羊に対応するには、レイフォンは相性が悪過ぎる。現れたら俺が働くしかないんだろうな。
まあそれでサリンバン教導傭兵団が都市の防衛についてくれるというのはとても助かる。向こう一年間の契約ということは、“俺”が引き連れている“汚染獣襲撃”という最悪の状況に対してこれ以上ない援軍となる。
ハイアたちの目的である廃貴族メルニスクをグレンダンに連れ帰るのが目的だと言った。しかし、グレンダンが廃貴族を何の目的で欲しているかは知らないという。廃貴族の存在が危険というのが俺には分からないのだが、それが関係しているのかもしれない。
どちらにしろメルニスクが自分から動きだすまで手出しはできない。ハイアたちもそれを知っているのか、メルニスクが現れたサリンバン教導傭兵団と協力して抑えるというのが俺とレイフォンの役割となった。
†
そして、第十小隊との試合の日がやってきた。
鉱山からのセルニウムの補給も終わり、今は撤収作業が進められている。二、三日後にはそれも終了し、ツェルニの移動も再会するだろうというのが生徒会からの発表だ。
野戦グラウンドに集まる観客たちの熱気が控室にまで届いてくる。今回対戦する第十七小隊と第十小隊は、小隊の中でもトップの人気を誇るものだから観客たちの興奮もそれなりに上昇しているようだ。
「というか、大丈夫か?」
「あまり、大丈夫じゃないな」
ニーナが捜査の件をディンにばらしたことに怒って出て行ったはずのナルキが試合直前に第十七小隊として試合に出させてくれと言ってきた。捜査の打ち切りもカリアンから伝えられていたため、もうディンたちを逮捕することはできない。ナルキもそれが分かっているからこそ、せめて事件の顛末だけは見届けたいらしい。
しかし、どうにも力無さ気だ。
「もしかして、緊張してるのか?」
「ああ。こういうのは大丈夫だと思ってたんだが……」
重いため息を吐いて額に手を当てて項垂れるナルキの表情は暗い。
自分から見届けると言って戻ってきたナルキだが、状況的にいろいろ納得できない部分もあるのだろう。まあ、衆人環視のただ中に放り込まれて戦うことに対するプレッシャーもあるだろう。
「リグザリオ……大丈夫、なんだろうな?」
折角試合に出るのならナルキに簡単な化錬剄をひとつでも覚えさせておきたかったと思っているとニーナが厳しい表情で言ってきた。その向こうではシャーニッドもレイフォンも同じ思いで俺を見ている。レイフォンは若干、後ろめたさもあるような影のある顔つきだ。
「そう怖い顔するなよ。俺は失敗しないし、必要以上の怪我も与えない」
「……分かった。必ず成功させると信じているぞ」
それだけ確認したニーナはグラウンドへと進む。いつもとは違う戦闘衣を纏ったシャーニッドもそのあとに続き、ナルキ、レイフォン、フェリもそれに続く。
信じると言っても安心はできていないニーナの表情が少し寂しく思うのは女々しいことかな。
俺も皆の後に続き、歩きだすとフェリが並んで来た。
「貴方は、ハイアたちがあれを捕まえてどうするのか知っているのですか?」
「いや、俺も聞いてない」
俺の即答にフェリは機嫌を損ねた様にきつい視線を向けてくる。
「なにも聞かされていないのに彼らを信用するのですか?」
「ま、ハイアの前の団長に世話になったことがあってな。ハイアとミュンファのことはちびの頃から知ってたし、多少甘くなってるのは認めるさ」
ハイアの方は覚えてなかったけどな。
感慨深げに言うとフェリが胡散臭げに見上げてきた。
「……まるで彼らより随分年上のような言い方ですね」
年寄り臭いとはっきり言わないあたりはフェリも真剣に疑問を抱いているらしい。
「ま、今は試合に集中しようぜ」
「……そうですね」
まだ何か質問したりない、納得できない様子のフェリだったがTPOを考えてこの場での追及は諦めてくれた。
どれだけ筋書き通りに進んでくれるか分からないが、自分の役割だけは完璧に果たす。そう宣言したし、できるとも確信している。あとは余計な邪魔が入らないことを祈るだけだ。
†
司会の女生徒の声が野戦グラウンドの熱気をさらに高める。
観客たちが息を呑み、開始のサイレンの音に再び歓声が上がる。
俺はこれからその歓声を裏切るような行為をしなければならない。
「本当にダルシェナは任せていいんだな、シャニ」
『ああ。リザだって女を一方的に叩きのめすって柄じゃないだろ?』
それはお前の方だろ、とは言わないでおく。
昨日の作戦会議でシャーニッドはダルシェナを足止めする役を買って出た。ダルシェナは第十小隊の中で唯一違法酒に手を染めていない選手なので潰す必要がない。長年共に戦ってきたディンや他のメンバーが違法酒を使っていることをダルシェナが知らないはずもない。それだけでも無罪放免にするわけにはいかないだろうが、事件として摘発することができなくなった以上、ダルシェナを壊すことに意味はない。第十小隊の隊長であるディンを潰せば今回の仕事は終わりだ。
しかし、絶妙なコンビネーションを主体とした戦闘方法を取っている第十小隊の中でディンだけを潰すとなるとそれなりの労力がいる。俺一人でもやれないことはないが、そうなるとディン達があまりに惨めだ。他の奴らの心情的にも一番責任を負うべき立場にいるディンに痛い思いをしてもらうしかない。
戦闘が始まり、レイフォンが突撃。守備側である第十七小隊のフラッグ目掛けて進んでくる第十小隊を切り裂くように横切り、先行してたダルシェナと他の隊員を引き剥がす。そして、会場にあらかじめ仕込んでいた土袋を炸裂させ、グラウンドの大部分を観客たちの目から覆い隠す煙幕を発生させる。
『第十小隊の分断に成功しました。皆、予定通りの配置で作戦を実行中です』
「了解」
フェリからの通信に応え、煙幕の中で念威操者の支援も途絶えて周囲の状況を把握できず、武器とするワイヤーを用いて冷静に周囲の警戒に移っているディンへと駆ける。
敵の念威操者はナルキが、他の隊員はレイフォンとニーナが、ダルシェナをシャーニッドが抑えている。
「貴様ら……これは生徒会長の差し金か?」
砂煙が舞う戦場で相対したディンが出会い頭に敵意をぶつけてくる。
これだけのお膳立てを見れば、ディン自身が違法酒に手を染めている以上、俺たちの意図に嫌でも気付けるだろう。
こちらの思惑通りにさせまいとワイヤーを飛ばしてくるが、レイフォンが扱う鋼糸ほどの数も技も剄もない。違法酒に頼ろうと覆せない差がある。現実離れしたドーピングを何十回も繰り返している俺に言えた義理ではないが、過ぎたる力は身を滅ぼすことになる。
ディンの身体に流れる剄は剄技を用いるたびに体外に垂れ流されている。剄脈を自分の意思で操れていない証拠だ。
例え、違法な力であろうと一度手を出した以上、ディン達は違法酒による剄脈加速の効果を制御できるように努力すべきだった。一度や二度のしようではないはずだ。それでもこの体たらくということは、違法酒による剄脈加速が自分の力でないことをはっきり自覚しているということ。借り物の力を使っていると自ら認め、なおかつそれを何の努力もせずに薬物の効果のみに頼っている。
ディンにダルシェナやシャーニッドのような才能はないのかもしれない。才能がないなりに努力もしてきたのかもしれない。しかし、違法酒に手を出した瞬間、ディンはその努力の一部を放棄したばかりか、最大の目的を見失ってしまった。
ディンの中では、目的を手段が凌駕してしまっている。“ツェルニを守る”という最大目標が、“自分の力で守る”という経過に塗り潰されている。自分ひとりに、小隊一つにできることなんて限られている。そんなことも忘れて、自分が、自分が、と頑なになるのは単なるエゴだ。それは武芸者ならば誰しも多かれ少なかれ持っている気持だ。ディンの場合は、そこに違法性が発生し、同じ都市の仲間たちに多大な損害を与える可能性が出てきてしまっていることだ。
「誰の差し金だろうと別にいいだろ? アンタには関係のないことだ」
剣帯に提げた錬金鋼を抜かず、内力系活剄のみに集中する。
「……ぬ、おおおおおおっ!」
こちらの剄の密度が上がるのを感じたのだろう。ディンが雄たけびをあげてワイヤーを放つ。
俺は迫るワイヤーを回避することもせず、真正面から受け止める。
活剄衝剄混合変化、鎧閃。
直撃したはずのワイヤーが閃光を伴ってあらぬ方向へと弾き飛ばされる。
「なっ……ぐ、くそぉおおお!!」
渾身の攻撃を真正面から防がれたディンは驚愕で一瞬、動きを止めたがすぐにワイヤーを引き戻し、再び俺を襲わせる。
何十、何百と撃ち込まれたところでディンの底力で鎧閃を破ることはできない。
「アンタにとって違法酒は最後の手段だったんだろうが、それを他の誰かに気付かれたところで失敗してるんだ。心意気は買うが、アンタの足掻きはここで終わりだ」
複雑な軌道を描きつつ襲いかかるディンのワイヤーを右手ですべてを掴み取る。
「……っ、貴様に俺の苦悩が理解できるものか!」
「理解できるさ。お前の感じていた無力感は、なんの変哲もない思春期の迷いのひとつだ。ま、それを現実のものにしようと足掻いたことには感心するよ」
外力系衝剄の化錬変化、紫電。
ワイヤーを奔る雷がディンの身体を直撃する。
「ぐぅおああああああああああっ!!」
迅雷ほどの威力はないが、人間の身体を麻痺させるには十分な効果を持った紫電を浴びて絶叫するディン。
身を横たえることもできず、膝から崩れるディンの前に立つ。
「恨みたければいくらでも恨め、俺が壊すのは第十小隊隊長ディン・ディーだ。ただの武芸者のディン・ディーまで壊すつもりはない」
「ふ、ざけ……ぐっっっづ!」
外力系衝剄の変化、封栞。
極限まで凝縮させた衝剄を掌に込め、それをディンの腰部、剄脈がある位置に打ち込んだ。
「くぁ……ぁ……」
ディンが呻きながら両手を地に付け、頭を垂れる。
封栞は、武芸者の犯罪者を拘束するために編み出された捕縛術であるため、本来は手足に打ち込んで行動を制限するに留まるのだが、窮めれば剄脈に直接打ち込むことで全身に剄を流す機能を停止させることも可能になる。これを完璧に極めるには剄脈の構造を精確に把握する必要があり、難易度も常識的ではない。俺も姫様のサポートなしには自信をもって使える技ではない。
「ぬぅ、ぅぅぅぅぅ」
「無駄だ。剄脈そのものの機能を抑制しているんだ。回復のための活剄も数か月は使えないぞ」
肉体的なダメージはもとより、供給されるべき剄をも失ってなお立ち上がろうとするディンに忠告する。
この状態で剄を練ろうとしても大穴のあいたバケツに水をためようとしているようなものだ。ディンの底力では剄脈加速薬の効果があろうと供給分が消失分を補うには全く足りない。
「お前にはわからんだろう」
ディンが動けない身体を動かそうと、顔を真っ赤にして言った。
「己の未熟を知りながら、それでもなおやらねばならぬと突き動かされるこの気持は、おまえにはわからん」
「だから、分かるっての」
「っ……それだけの力を持つ貴様にこの気持は理解できん!!」
即答した俺にディンが怒り任せに怒鳴りつける。
「確かに失う苦しみを味わったこともないアンタと同じ気持ちにはなれないな。ま、アンタが味わっている気持はとうの昔に通り過ぎたよ」
「…………」
俺の言葉にディンは無言で睨みつけるだけ。
周囲の砂煙もその濃度も徐々に薄れてきている。他のところでも戦いはひと段落しているようだ。
「これで第十小隊は解散だ。こういう結末になったのは同情するが、アンタはまだ若い。違法酒の毒気が抜け切ってから来年出直すんだな」
その来年が本当に迎えられるかどうか保障はできないがな。
「おれを結末をお前が決めるのか? シャーニッドか? 隊長のニーナか? それとも生徒会長か? おれの結末を他人に決めさせはしない。おれの意思はそこまで弱くない……」
静かに怒りを滾らせるディンの周囲で気流が激しく動き始める。
剄脈を閉じられたディンが起こしているわけではない。
それにこの気配はディンのものじゃない。もっと大きな、圧倒的な存在感だ。
「おいおい、それは間違ってるぞ」
「貴様に言われる筋合いはない!」
俺の呟きに見当違いな拒絶を叩きつけるディン。
「おれは、都市を守るためにこうしているんだ。武芸者として当然のこの使命感を理解できない貴様らに……」
ディンが四肢に剄を通そうともがきながら呟き続ける。
「このおれを止めさせてたまるかっ!」
ディンが吠える。
「お前の守りたいという意志と行動が、ツェルニを危機に晒すことになっていたってことに何故気付いとけ、この馬鹿!」
自分を主体とした救済でなければ認めない、その心がすでに歪んでいる。
どれほど足掻いても湧きあがらない剄をなお求めて雄たけびを上げるディン。その背後に周囲に満ちた存在感が凝縮していく。
「お前も……そんな馬鹿を選ぶなよ、この阿呆!」
剄を失ったディンの代わりにその身体に厖大な剄を注ぎ込む廃貴族、黄金の牡山羊がその姿を現した。