オーバー・ザ・レギオス
第十一話 罪を背負う意志
昨晩捕縛した偽装学生の中にいたサリンバン教導傭兵団の団員は3名。その3名は拘留されてから一時間後に脱走が確認され、都市警察は大慌てだった。
もとより潜伏していた偽装学生は、10名ほどだったことが確認されていた。囚われた仲間を救出しにくる可能性は十分に考えられたが、拘置所の中が空っぽになるのを見つけるまで脱走されたのに気付けなかったというのは警察組織としての怠慢を指摘される可能性も出てくる。もっとも、学生レベルで対応できるような相手ではないので、本来の目的である違法酒に関わる偽装学生の脱走は許していないため、上層部に話を通せば内々のうちに処理することもできる。
「違法酒の密輸経路、偽装学生としてツェルニに滞在している仲介役と密売に協力している学生。これだけの情報じゃ足りなかったか?」
ハイアたちが俺の部屋を訪れ、廃貴族の捜査協力を求められた俺は、朝一で都市警に出向き、顔見知りで話も通しやすいフォーメッドにミュンファたちの脱走の件、違法酒とそれに関連する者たちの情報を説明した。
「分かった。上の方には俺から報告しておく。どのみち俺たちの手に負えない奴らだ。これで手打ちにする以外しかないだろうな」
昨夜の捕物劇から眠っていないのか、疲れた様子のフォーメッドが苦々しげに眉間を摘まむ。
勇名を馳せたサリンバン教導傭兵団の名が出てきては、学園都市の警察組織が対処できる範疇を軽く越えている。
「ま、どのみちこの件は俺たちの手を離れることになるんだろうがな」
昨夜からの疲れが倍増したかのように深いため息を零すフォーメッド。
俺がハイアたちから得た情報の中に記された学生たちの名。
違法酒のバイヤーたちは荷の搬入時のチェックを免れるために本当の学生の住所を使って違法酒をツェルニに流していた。その学生たちから再び、偽装学生として潜り込んでいた者たちに違法酒が渡され、ツェルニに流通することになる。
そんな仲介役となっていた学生が6人。
彼らは、第十小隊の武芸者たちだった。
都市警の詰め所から出ると待たせていたはずの人物が欠けていた。
「三代目は放浪癖でもあるのか?」
「そんな癖はありません。ハイ……団長は、リグザリオさんの他にも協力してもらえそうな方のところへ行っています」
俺の呆れた感想に少し硬い声で答えるミュンファの様子にまた呆れる。
「俺以外に協力できそうな奴がこのツェルニにいるとは思えないけどな」
「相手は、グレンダンでも有数の名門であるルッケンスの方ですから廃貴族についてもある程度知ってると聞いてます」
「ルッケンス? ゴルネオのことか」
以外に悪くない人選だった。
隣の廃都市に先行偵察へ赴いた小隊メンバーならツェルニの中でも十二分に協力者の候補に挙げられるだろう。
そのことを知らないはずのハイアたちの運は悪くないらしい。少なくとも俺がミュンファを見つけたことも幸運だった。
どんなにサリンバン教導傭兵団が優れた戦闘集団だったとしても廃貴族――電子精霊を拘束し続けることはできないのだから。
「それにしても、だ。その敬語はやめてくれないか? 呼び方も昔のままでいいんだぞ」
「昔と今は違うんです。リグザリオさんみたい都合よく変われることも、変わらないままでいることも普通の人には難しいんです」
俯き加減に言うミュンファに返せる言葉もなく、頭を掻きながら歩を進める。
ミュンファが言う俺の矛盾した在り方。姿形だけのことじゃない。護るべきモノを守れなかったという過去や約束を守れなかったという裏切り。それらを踏まえた心の変化がミュンファの目には俺が都合のよい形で過去を忘れていると映っているのかもしれない。ミュンファには悪いと思うが、俺が守れなかったモノはそれだけではない。俺は他人より少しだけ多くの過去があり、失敗があり、後悔がある。それらすべてを丸ごと抱えて悲愴に浸っても失った過去は戻らない。
確かに後悔はあるが、そこで止まっていることはできない。延々と流れ続ける世界で同じような後悔は繰り返される。
俺にできることは、その時その時の後悔を最後であるようにと“現在”を生きること。いつか、世界の法則を覆せると信じているから。
その日は結局、ハイアと合流することもできず、気まずそうに俯き続けるミュンファに遠慮し、廃貴族に関する協力は後日に詳細を話し合うことをハイアに伝えるように頼んだ。
ツェルニがセルニウム鉱山での補給を行っている間は授業もないので就労もしていない俺は、他にやることもなく小隊訓練に合流することにした。その前にハーレイが言っていた複合錬金鋼の簡易版とやらが仕上がったとの連絡を受け、先に錬金科にあるハーレイたちの研究室へと足を運んだ。
「あ、ようやく来たね」
常の如く汚れたツナギ姿で迎えるハーレイに応えるとその奥でムスッとしてそっぽを向いていた車椅子の少年がこちらに視線を向けてきた。
線の細いほどほどな美形だ。日光を嫌っているような青白い肌と車椅子であることが相まって病弱な印象を受けるが、その目は強い意志を宿している。
「始めまして、だな。アンタが複合錬金鋼の開発者のキリクか?」
「そうだ。……お前の分はそこだ」
初対面だというのに素っ気ない態度をする人物だ。ハーレイたちからある程度の人柄は聞いていたが、どうやらその通りの人物らしい。
キリクの反応に肩をすくめる俺に苦笑しつつハーレイが二つの錬金鋼を差し出した。
受け取ったそれらは、ずしりとした重量を手のうちに伝えた。それだけ密度が高いということだろう。
「カートリッジ式を排除してある分、以前の複合錬金鋼より断然頑丈になってるんだ。その代わり、一度配合を決めてしまうともう他の組み合わせができないんだよね。リザやレイフォンみたいにいろんな剄を使えるタイプには用途に合わせて組み合わせを変えられた方が良い気もするんだけどね」
「そこら辺は気にしないさ。何も錬金鋼の仕様を全部俺のやり方に合わせる必要はないんだ。用途に応じて使う錬金鋼を変えればいいだけだ」
そんなことを話しながら復元鍵語の声紋と剄紋の入力を済ませる。以前の複合錬金鋼と違って今回の剄紋は一つだけ。
「じゃあ、ちょっと復元してみて」
ハーレイに促され、新しい複合錬金鋼に剄を流す。
手の中で錬金鋼が熱を帯びて形状変化を起こす。
瞬きの間に復元された錬金鋼の重みが両腕に伝わる。
「双剣、か。しかもこいつは……蛇腹か?」
「さすが、リザ。大当たり」
肉厚の刀身が双方ともに重心がやや中心に偏りができている。これは刀身内部に“支え”が入っている場合に特有の感覚だ。
久々に持つ形状の感覚に試し振りをしたいところだが、ハーレイ達の研究室を斬壊させるわけにもいかないので我慢する。
「鎖で繋がった短剣と楯、性質も形状も異なる二挺銃などの扱いやそれらを用いた剄技の数々。おまけに変幻自在の化錬剄使いだ。お前は一撃必倒よりも、手数を多くしたやり方が良い」
キリクの決めつけるような言葉に反論の余地がないことに感服した。
確かに俺が得意とし、身体が慣れているのは左右からの連続した波状攻撃でもある。剄量が一定値を超えた段階で込められる力の差がでるはずの片手と両手の握りにそれほど意味がなくなっている。活剄による腕力向上に限界はあっても、衝剄による攻撃力の向上は自身の剄力次第。ならば両手に武器を持った方が良いのは当然だ。
「もともとお前は鎖を自在に操っている。大方、蛇腹も使ったことがあるんだろ。お前みたいな器用な奴はどんどん得物を持ち替えて新たな技を磨くべきだ。その方が俺たちも様々なデータが取れる」
「僕もキリクに同感。リザやレイフォンがいろんな形状を扱えるおかげで創作意欲が漲りっぱなしだよ」
片や静かに、片や楽しそうに貪欲な向上心が感じられる若き作り手たちを頼もしく思う反面、変な方向に暴走しないか心配になる二人だ。
新しい複合錬金鋼は、正式に登録を済ませた後に渡すとのことで名残惜しいがハーレイに返し、練武館へ向かうことにした。するとキリクがぶっきら棒に呼び止めてきた。
「こいつを返しておく」
そう言ってキリクが差し出したのは、一本の黒い錬金鋼だった。
このツェルニに持ち込んだ唯一の私物と言って良い物だ。
一見して黒鋼錬金鋼のように見えるが解析してみるとその材質を特定することはおろか、登録されている形状の設定や声紋、剄紋の変更もできない完全に一個人専用の錬金鋼であることしか判明しなかったそうだ。
「いったい何処で手に入れたのか気になるところではあるが、そいつは俺たちの手には負えない代物だ。使いどころを見誤るなよ」
血色の悪いキリクが意味深なことを言うと妖しさが倍増するのは気のせいだろうか。
手の中にある黒い錬金鋼。
形状は、片刃の黒剣。オリジナルは腕の長さ程度だったが、改めて復元させた黒剣は無骨な大太刀へと姿を変えた。
一体誰がこれを俺に与えたのかは分からない。それもいずれ分かると気が来るのだろうか。
「ま、当分はこいつを使うつもりはないさ。あんたらの錬金鋼を使った方が何倍も楽しいしな」
「……ふん。当然だ」
「あはは。ホント、嬉しいこと言ってくれるね。僕らもリザの実力に見合う錬金鋼を作れるように頑張るよ」
それぞれの反応に笑って応えると研究室を後にした。
これはどういう状況だろう。
ハーレイたちの研究室から練武館にやってくると第十七小隊に割り当てられた部屋にひとりの見慣れぬ少女が汗みずくになって座り込んでいた。
「え~っと確か、ナルキ・ゲルニだったか? 都市警の」
「ああ。前々から隊員を増強したいとは言ってあっただろう。その候補が今日から合流してくれた」
へとへとになっているナルキに代わり、ニーナが説明してくれた。
あとで聞いた話によると俺がフォーメッドに渡した情報が原因で潜入調査を命じられたナルキは、頑なに拒否していた小隊入りを承諾しなくてはならなくなったらしい。
まことにご愁傷様、としか声をかけられなかった。原因はともかく、要因は俺にあるため、小隊に居る間は重点的に訓練を見ることにした。
試合前の訓練は基礎練習を重点的に行うため、ボールを鏤めた足場で型の練習や組み手が主な内容になる。
「なるほど、活剄に関しては十分に育ってるな。あとは衝剄を実践レベルまで持っていければ小隊員の中でも上位に入れるな」
「そう、かな?」
ウォーミングアップも兼ねてへばっていたナルキと簡単な組み手をやらせてもらっての評価。
それを疲れ切ったナルキが乱れた剄息のまま気が抜けたように首を垂らす。
ニーナが目を付けるだけの実力はある。ニーナやレイフォンのように幼少時から英才教育をうけていたわけでもないのにこれだけの活剄ができるのであれば、次の試合には間に合わなくとも武芸大会には間に合うだろう。そうなると鍛える方向性もある程度考えておかないといけない。俺みたいに教えるのが下手だと最初に完成図を思い描いとかないと器用貧乏に育ててしまう。俺の場合は、いろんな都市で生活して様々な流派の剄技を学んできたから結果として器用貧乏になり、そこに厖大な剄量が加わることで現在の万能型になっているだけで、それをナルキに適用させることができるわけがない。
「打棒と取り縄、か。……悪くないかも、な」
「どうかしたか?」
ひとりで納得する俺を訝しげに見上げるナルキ。
「おまたせ~」
不安げなナルキに応えを焦らせていると機嫌の良いハーレイの声が訓練室いっぱいに広がった。
「どうしたんだ?」
「どうしたもなにも、新人さんがいるんだから僕の出番がたくさんあるじゃないか」
何だか今日はずっとテンションが高い。
ナルキがさらに不安になるほどにうきうきしているハーレイの手には武器管理課の書類が握られている。
「ナルキさんの錬金鋼も用意しないとね。試合で都市警マークの入った武器は使えないしね」
「あ、でも……」
「いいからいいから、お望みのならなんでも作るから」
目をキラキラさせながら、ハーレイはナルキの手を掴んで研究室へと引き摺っていく。
疲れ切っていると言っても武芸者で、自分より長身のナルキを引きずることができるとは、ハーレイもなかなかのやるな。
「ナルキの武器を作るなら使い慣れている打棒系と取り縄を用意してやってくれ。取り縄の方は、俺の鎖を参考に主部は黒鋼錬金鋼製にして粉末状にした紅玉錬金鋼を配合してくれ。細かい設定はナルキの剄を測ってからやってくれ」
「へえ、もしかして化錬剄を教えるつもりなんだ。確か捕縛術、だっけ? リザの鎖とはちょっと違うけど面白い組み合わせになりそうだよね」
「え、あの。ちょっと、あたしの意見は……」
俺の要求にハーレイが楽しそうに笑い、決定事項を聞かされるだけのナルキは困惑したまま連れ去られるのだった。
†
翌日、練武館に行くと興奮気味のナルキとすれ違った。どうも機嫌が頗る悪い様子だった。
「そりゃあ、ナルキの言い分が全面的に正しいな。筋を通すのにもやりようってもんがあるだろう」
「言われなくても分かっている。しかし、私にはああする必要があったのだ」
ナルキが第十七小隊に入隊する代わりに第十小隊が絡んでいると思われる違法酒事件の調査に協力することになったニーナとレイフォンだったが、以前は第十小隊だったシャーニッドを離隊していたとはいえ、第十七小隊に誘ったニーナは第十小隊、引いては長年シャーニッドと組んでいたディンに引け目を感じていても仕方がない。だが、それはニーナ個人の感傷に過ぎない。物事には優先順位というものがある。ゆえに義理があろうと筋があろうとやっていいことと悪いことがある。良くも悪くもニーナは真面目すぎる。融通が利かないとも言えるけどな。それは指摘しなくてもニーナは分かってると言っている。これ以上、俺がネチネチ追求したところで何も好転しない。
違法酒の件に関して聞かされていたのは、ニーナとレイフォンだけであり、俺が都市警にディン達の情報を伝えたことは、ニーナたちも知らなかったらしい。まあ、俺も情報を漏らさないようフォーメッドに言い含められていたが、同じ小隊のメンバーに調査を頼むのなら俺を通してからでも良かったんだけどな。下手に現場慣れしている分、情報源と調査員を組み合わせるのは好ましくないと思ったのだろう。どのみち政治判断に至るだろうことをフォーメッド自身覚悟していたようだし、こちらの落ち度でもあるのだから汚れ役はこっちで引き受けるべきだな。
「カリアンのところに行くぞ」
武芸大会が近いこの時期に武芸科から、しかも、小隊員の中から不祥事を出すということは、あまりによくない。
近年の武芸大会の結果が散々だっため武芸科に対する上級生からの目は冷たい。ツェルニの中だけでも問題は大きいが、違法酒を使っていることが武芸大会で発覚した場合は、身内の問題では済まされない。学園都市連盟からどんなペナルティが課せられるかわからないが、武芸大会で勝利するくらいではツェルニを存続させることができなくなる可能性もある。ツェルニの最高責任者であるカリアンに最終判断を任せるのは妥当だ。
「それっきゃないだろうな。決着をつけるならあいつらがぶっ壊れる前にやっちまわねえとな」
心情的に大丈夫かとも思ったが、シャーニッド自身に迷いはないようだ。
「本当にいいんだな」
ニーナもカリアンに対応を求めることに異論はないらしい。
どのような結果になろうとそれはディン達が自ら招いた事だ。
それに責任を感じるのは、個々人の自由だ。
少なくとも俺はディン達が捕まることも、退学になっても構わない。だが、それはディンたちの結末だ。シャーニッドやニーナ、ツェルニまで巻き込んで良いはずがないんだ。
†
第十七小隊としての方針が固まったところで生徒会へと赴いた。
案内の女生徒が通したのはいつもの生徒会長室ではなく、使われていない会議室だった。その理由もだいたい予想がついた。というよりも感じた。
「やぁ、待たせてすまない。それで、話というのは?」
それほど間を置かずにやってきたカリアンの言葉にツッコミを入れようかとも思ったが空気を呼んでやめておいた。
隊を代表してニーナが事情を話すのをカリアンは黙って聞いていた。
「それで、わたしにどうして欲しいのかな?」
話を聞き終えたカリアンは、常の作り笑いの奥で何を考えているのか判別できないままにこちら側の考えを聞いてくる。
それには、最年長で第十小隊や違法酒の件を把握しているシャーニッドが答える。
「この時期に問題を起こしたくないのは会長も同じはずだ。できれば内密の処理を願いたい」
「内密に、ね。警察長からまだ話は来ていないが、まぁ、事実関係はあちらに確かめればいいことだろう。……事実だとして、確かにこの時期にそういう問題はいただけない。かといって厳重注意程度では済まない話でもある」
ツェルニ内の問題としては上級生からの突き上げや現武芸長の罷免。対外的には、武芸大会での違法酒使用の発覚。学連に知られれば来季からの援助金が打ち切られることになったり、学園都市の主要収入源たる研究データ等の販売網を失うことにもなる。それらが現実のものとなるのはカリアンにとってもよろしくない。その表情も作り笑いを消して厳しいものへと変わっている。
「わかった。警察長にはわたしから話を通して、捜査を打ち切らせる。もちろん、それだけですますわけにもいかないからね。君たちにも働いてもらうことになるよ」
「……何をしろと?」
カリアンの含みのある言葉にニーナが怪訝そうに先を促す。
「もうじき、対抗試合だろう? 君たちと第十小隊との。そこで君たちに勝ってもらう」
「試合で全力を尽くすのは当たり前です」
「君はそうだね。しかし、ただ彼らを打ち負かせば良いというわけじゃない」
そう言ってカリアンは視線をニーナからレイフォンへ、そして、俺へと移した。
「……殺せ、とでも言うんですか?」
レイフォンがそう言った瞬間、ニーナの表情が強張った。レイフォンがグレンダンを去るきっかけとなった事件のことを思い出したのだろう。レイフォンもそれを思って、殺せと言われているように感じたのだろう。グレンダンであったことを耳にしたのは第十七小隊の中で俺が一番最後だった。もともとレイフォンの過去にそれほど興味をもっていたわけでもなかったし、聞きもしなかった上、場も合わなかった。基本、積極的に相手の深いところを知ろうと思わない性質なのが災いしてのことだった。
しかし、殺すという発想が浮かぶ辺り殺伐としたレイフォンの思考は危うい部分の名残だな。
「いやいや、そんなことをしたら今度は君の方が問題になる。試合中の死亡事故に前例が無いわけではないが、隊員全員を事故死に見せかけて殺せたとしても、君にも相当な処分を言い渡さなくてはならなくなる。さらに君に対する風当たりも強くなり、引いては武芸者全体の立場もどうなるか……君にはよく分かっているだろう」
そうなったら武芸大会やツェルニの存続よりもさらに深刻な問題にまで発展する。
そんなことは誰も望んでいないし、考え得る最悪の結末だ。
「わたしもできれば穏便にことは済ませたい。要は、彼らが小隊を維持できないほどの怪我を負ってくれればいい。全員でなくとも第十小隊の戦力の要である人物が今年いっぱい、少なくとも半年は本調子になれないだけの怪我を負えば、第十小隊は小隊としての維持もできなくなる。そうすれば会長権限で小隊の解散を命じることも可能だ」
「それはつまり、ディンとダルシェナを壊せってことか?」
暈して言うカリアンの意図をはっきり言葉にしたのはシャーニッドだった。
この世界の医療技術をもってすれば、ただの骨折程度では一週間もすれば完治させることも可能だ。その程度で小隊を解散にすることはできない。なら。治癒に時間がかかる神経系の破壊を行うしかないが、それは僅かなミスが生命に関わることになる。
しかも、武芸者の神経は剄脈から剄を全身に流す剄路と密接な位置関係にあり、剄脈から流れる剄によって自然と神経も守られる形になっているため、簡単なことでは神経系の問題は起きない。逆を言えば、その神経に一定以上のダメージを与えるということは、相手を殺してしまうことにもなりかねない。
「頭とかを撃って半身不随にするか? それだってあからさまだ」
シャーニッドが怒りに任せて吐き捨てる。
頭や首への打撃は一般人にとっては致命的だが、一般人の何倍も頑丈な武芸者にとっても変わらない。下手をすれば即死、そうでなくとも脳や脊髄に深刻なダメージを与えれば重度の後遺症が残ることになる。そうなればツェルニの医療技術では治癒不可能だ。
「だが、それをやってもらわなければ困る」
そうでないのなら冤罪でも押しつけて都市外退去に追い込むしかないが、都市外退去になるほどの罪ならば違法酒とそれほど変わらない不祥事であるということになる。それでは本末転倒も良いところだ。さらに言えば、ディンが生徒会の決定に大人しく従う保証もない。シャーニッドに言わせれば、政権交代に動き出す可能性もあるとのことだった。
「まあ、いま問題なのはレイフォン君とリグザリオ君、君たちにそれができるかどうか……という問題だ。神経系に半年は治療しなければならないほどのダメージを与えることができるかい?」
「……お前たち、できないのならできないと言え」
カリアンが質問し、ニーナがそう言えと願っているかのように俺たちを見る。
最終的な判断をカリアンに任せることを決めていたはずだが、実際にカリアンの冷静な判断を目の前にして迷っている。そうなって欲しくないと、特にレイフォンの事情を最初に聞かされ、そのことを深く考えさせられたニーナが心配そうにレイフォンの様子を見守っている。やはり可愛い部下に酷なことはさせたくないだろう。
「ま、俺がやるしかないだろうな」
「リグザリオ!」
レイフォンの方を気にしていたニーナの視線がこちらを向き、強く睨みつけている。
ニーナほどではないが、シャーニッドとレイフォンも厳しい視線を向けてくる。
「それはヴォルフシュテインもできることさ~」
俺の集中していた視線がドアの向こうから聞こえた声へと移った。それと同時に立ちあがったレイフォンが錬金鋼に手をかけた。
「立ち聞きとは趣味がよくない」
沸騰寸前のレイフォンを抑え、カリアンがそう呟く。
「それは悪かったさ~。だけど、同門のあまりの不甲斐無さに黙ってられるわけがない。おれっちも、そこの人に話があったしさ~」
ドアが開き、声の人物が会議室に入ってくる。
「ハイア……に、フェリ……先輩?」
ハイアの登場に気を荒げようとしたレイフォンは、ハイアに続いて現れた少女ミュンファと並んで出てきて気まずそうにしているフェリの姿を認め、困惑する。
「貴様……何者だ?」
どう見てもツェルニの学生には見えないハイアたちにニーナが警戒の色を強める。
「おれっちはハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団の団長……って言えば分かってくれると思うけど、どうさ~?」
ニーナもサリンバンの名と意味は知っているらしく、戸惑った様子で再びレイフォンを見る。
そんな人間模様のただ中にあるのは心底苦手なんだがな。
「というか何で出てくるかな~。俺がやるってんだからいいだろ?」
「それはできない相談さ。サイハーデンを受け継ぐ武芸者が二人も揃って、アンタに劣ってるなんて認めるわけにはいかないさ~。それじゃあ先代やサイハーデンを学んだ同門たちを侮辱することになるさ」
そう言ってハイアは挑発的な視線を俺とレイフォンに向ける。
「徹し剄って知ってるかい? 衝剄のけっこう難易度の高い技だけど、どの武門にだって名前を変えて伝わっているようなポピュラーな技さ~」
突然現れたハイアに驚きと警戒が治められないニーナが頷く。
「それは……知っているが、あれは内臓全般へダメージを与える技だ。あれでは……」
どの部位にであれ、治癒が可能な程度のダメージを軽く凌駕して致命傷になってしまう。まして、レイフォン級の剄量の持ち主が一般的に普及している徹し剄を用いれば防げる武芸者など全世界でも数える程度しかいないだろう。俺も使っている逆鱗や滲焔も一定範囲を侵食する徹し剄の技だ。どちらも汚染獣用に編み出された剄技で、流派はどちらも別々の都市で、完璧にモノにするまでに数年を要した絶技だ。俺が保有している剄技のほとんどは、最近になって完成したものばかりだが、徐々に剄技の威力を高めてきた分、強弱の調整は誰にも負けない自信がある。
「おれっちとヴォルフシュテイン……まあ、元さ~、はサイハーデンの技を覚えている。その中には剄路に針状にまで凝縮した衝剄を撃ち込む技、原理は武芸者専門の医師が使う鍼と同じさ。ようはあれを医術ではなく武術として使ったのが、封心突――まさか、使えないなんて言わないよなぁ、ヴォルフシュテイン?」
「この馬鹿……」
ハイアのあまりに不用意な挑発に頭が痛くなる。
レイフォンもこれでは、だんまりを決め込むわけにもいかないだろう。俺みたいな半端者と違い、幼い頃から一つの流派――サイハーデンとかいう技を師のもとで学んできたというのなら、その流派の技を使えないなんて言えば、レイフォンの師がその身に与る技を次代へ伝える責務を怠ったということになり、それは一つの流派を背負う者に対しての侮辱でもある。
「だけど……、剣なんか使ってるあんたに、封心突がうまく使えるか心配さ~。サイハーデンの技は刀の技だ。剣なんか使ってるあんたが十分に使える技じゃない。せいぜい、この間の疾剄みたいな足技がせいぜいさ~」
「それなら、刀を握ってもらえば解決……なのかな?」
ハイアの言葉に続いてカリアンが問う。
カリアンの問いにレイフォンは無言でハイアを睨みつけるだけだ。傍目にも怒りを抑えているのがわかるほどに静かな苛立ちを滾らせている。
ハイアもハイアだが、レイフォンも頑なに過ぎる。ことの優先順位をまったく考えることができていない。そこまで拒絶するのならはっきりと声に出して言えば良い。レイフォンが自分ではっきりと拒絶すれば誰も無理強いできない。そして、ツェルニのためを思うのであれば、技を駆使することを拒む必要はない。レイフォンの今の状態は、一種の自虐なのではないかとも思う。レイフォンの奴、生粋のM男だな。
「まあ、落ち着けM……レイフォン」
「リグザリオさん……」
張りつめた空気に耐えるのが辛い。
「ハイアもはしゃぎ過ぎだ。あんまりお痛が過ぎるようならお尻ペンペンだからな」
「ペンペンって……相変わらず掴みどころのない男さ~」
俺もハイアだけには言われたくない。
やばい視線をバチバチ交差させるレイフォンとハイアの間に立ち、とりあえず場の空気を止める。
周囲の雰囲気が若干、緩んだところを見計らってカリアンに申し出る。
「ディンは俺が壊す。結果が同じなら誰がやろうが構わないだろ?」
「リグザリオ!」「リザ、お前……!」
まるで仲間の裏切りを目の当たりにしたような顔でニーナとシャーニッドが険しい目を向けてくる。
「結局、誰かがやらなければいけないことだ。そして、それができるのは俺とレイフォンだけ。嫌々なレイフォンに任せるには注文内容は厳しめだ。それならディンに何の思い入れのなく、神経系にダメージを与える徹し剄を習得していて、それを完璧にこなせるコンディションにある俺がやるのが良いに決まってる。俺は行動を他人に任せることも意思を委ねることもしたくない。やると決めたからには、ディンを壊す。それも殺さず、武芸者としての未来を閉ざさないようにディンの意志を止める」
あまりにも傲慢なセリフだが、俺の正直な考えであり、意志だ。
カリアンをはじめ、第十七小隊のメンバーやハイアたちも俺の言葉がはったりや過信でないことは理解できるはずだ。
ディンを壊した結果、ニーナやシャーニッド、ディンと親しい者たちから恨まれようと関係ない。どんなに嫌われることになっても中途半端な気持ちの狭間に立たされる方がよっぽど苦しい。
「結果は出す。迷いも躊躇いもない。……俺がやる、それでいいな」
まるで決定事項のように言う。
こういう場でははっきり自分の考えを通さなくては、あとから「俺ならこうした方が良かった」などと言う様な間抜けはしたくない。
すっかり静まった空気の中、沈黙を破ってカリアンが俺の主張に頷く。
「わかった。あとの処理やもしもの時の責任はわたしが持とう。やってくれるね……リグザリオ君」
カリアンの言葉には他の連中に口を挟ませない圧力が込められていた。
「最初からそう言ってる。安心しろ、あんたを失脚させるようなことはしないさ」
仲間たちからの無言の視線を一身に受けながら十字架を一つ背負うことを宣言した。
もう後には引けない。引くことも考えていない。
俺はただこの都市を生かし、そこに暮らす人たちの生活を守ることを望む。それが俺にできる贖罪の先払いなんだ。