オーバー・ザ・レギオス
第九話 それぞれの過去
廃都市で黄金の牡山羊から“灯火”を託された。
それと時を同じくして都市機関部付近の爆発。間一髪のところで脱出には成功したが、その直後から都市は急速に力を失い、俺たちがツェルニに戻って半日と経たずにエアフィルターも消失し、廃都市の命運は尽きた。もとより、“最後の灯火”を俺がすべて受け取っていたため、終わりの時が一日から半日に変わっただけでしかなかった。
あの後、他の連中にもそれとなく“電子精霊”と思しき、黄金の牡山羊について追及しててきたが適当にはぐらかした。
あいつは“主”を求めている。だから何もしなくてもまた会うことになるだろう。願わくばあいつを“守護者の剣”として受け入れることのできる“強い奴”を見つけてもらいたい。破滅へと直走り、あいつを“破壊の炎”としてしまうような“強い奴”を選ぶようなことはしてほしくない。そんなことになればあいつの質が悪くなる。できることならば俺が“全部”を受け入れてやれれば良いのだが、それもできない。不可能なわけじゃないけど、俺が本当の意味で“受け入れるべきモノ”は別にあるらしい。そんなものは別に欲しいとも思わないけどな。
そもそも俺の中には“姫様”がいる。彼女が誰かとの同居を認めるとは思えない。
とある訓練後の夕食。
「次こそは……」
練武館から程近いレストランのテーブルでメニューを睨みながら、ニーナが悔しげに呟いた。
以前から続けている大量の硬球を使った訓練法。
活剄と衝剄の基本能力、反射神経と肉体操作の練度を高める基礎能力を総合的に鍛えることができると同時に第十七小隊の隊員が揃うと危険なゲームとなる。
武芸者や念威操者の能力で硬球を撃ち合っている状況を訓練風景と呼べるかどうか、少なくともあれを見たハーレイやヨルテム三人娘は地獄絵図だと評した。あながち間違いじゃない。長期戦になると俺もムキになってくるため、ニーナ公認の“賭け”が始まるときは辞退させてもらっている。
ゲームの結果は、レイフォン、フェリ、シャーニッド、そしてニーナの順。今のところニーナの負けが続いているため、彼女の懐事情は厳しそうだ。
「たまには奢るぞ?」
「いらん」
武芸者としての能力から奨学金免除を受け、就労もせずカリアンから“特別報酬”を受け取っている俺が持っているお金を当てにするのは嫌いらしい。
働かざる者食うべからず。
いちおう能力給だから何もしていないわけじゃないんだけどな。汚染獣戦や小隊対抗戦の成績なんかで査定も入っている。カリアンの独断である以上、学園都市の公費から捻出するわけにもいかないだろうから、カリアン個人の私費で賄っている。それを悪いとは感じない。カリアンが俺に与えている金額は、“リグザリオ”という武芸者に付けた評価額だ。受け取った分の働きはするし、貰えるモノはしっかり貰う。はじめからそういう契約だ。
「敗者に情けは禁物だ」
シャーニッドが痛ましげな表情で言う。勝負自体はニーナを僅かに勝っただけなのにそれを十二分に楽しんでいるようだ。勝者の余裕というよりはそういう態度をとることで悔しげな表情をするニーナを面白く眺めるための言動だろう。そこに悪意がなく、子供のような無邪気な悪戯みたいなものなので注意はしない。
「そういえば、この間のあれ、簡易版の方ね。一応完成したから明日にでもきてくれないかな? 最終調整するから」
「あ、はい」
「ん~俺は前ので十分だったんだけどな」
第十七小隊の錬金鋼のメンテナンスを担当するハーレイは“賭け”に参加することができないため俺の奢りで食べている。
学年は違うが書類上の年齢は同じなのでそこら辺はニーナと違ってハーレイは遠慮しない。
「あ~なんだっけ? この間の馬鹿でかい剣と銃か?」
それほど興味があるわけでもないだろうが、話題の一つとしてシャーニッドが確認する。
「複合錬金鋼ね。重さ手ごろの簡易版ができたから」
「なるほど。こいつらは、こうやってどんどん凶悪になっていくわけだな」
「いや、凶悪って……」
「凶悪だろ? 普通考えねえぞ、汚染獣に一人、二人で喧嘩売ろうなんて」
「そうかもしれないですけど……」
シャーニッドの感想に困り顔のレイフォン。
そう思われても仕方がないだろう。というか、俺の方は放っておいてもどんどん凶悪になっていく。
これに際限があるのかわからないが、汚染獣と相対するたびに爆発的な成長を遂げる俺の剄脈は、尋常じゃないところまで成長している。
また今回から汚染獣関連以外の場合でも剄脈の成長が起こっている。
一度目は、剄脈疲労で倒れたニーナを病院に運んだ後、記憶が飛んでバカをした時。
二度目は、黄金の牡山羊から“灯火”を受け取った時。
都市の“灯火”を受け取ったのだから力が増大するのは当然だが、それとはまた別枠で成長したように思う。
自分自身の事だがつくづく面倒な身体だ。この“リグザリオ”という器には、どんな役割が、運命が付きまとっているんだろうな。
「そういえばよ、あの硬球の訓練てレイフォンが考えたわけ?」
「いや、あれは……園長が」
俺にとっては平穏と言ってもいい日々が続いている。今はそれで良いんだと思う。本当の意味での役割が訪れるその日まで日常を楽しむ。それが俺にできる最善であり、最大限の幸福なのだ。
しかし、俺以外のみんなもそれぞれの人生を歩んで来ているし、これからも歩んでいく。この時はたまたまシャーニッドの過去と現在だったり、レイフォンの回り回った現在だっただけだろう。
†
特に用事がなければ俺の夜はそれなりに早い。眠れない夜もあるが、それも稀だ。寝付きもいいし、夢見もいい方なので睡眠は三大欲求の一つとして十二分にその用をなしている。だから睡眠に入る直前と目覚めの際のまどろむような倦怠感も心地よく思えるのだが、眠りにはいる直前を邪魔されるのはとてもストレスが溜まる。これでドアをノックしたのが女じゃなかったら、俺が相手の顔面をノックしてやったところだ。
都市警察強行警備課所属、ランドルト・エアロゾル。俺を誤認逮捕した変な名前の女武芸者。それなりに綺麗な黒髪を後頭部で縛って炸裂させたパイナップルヘアとどんなことも見逃さないという意気込みを感じさせる鋭い鷹目。
「り、リグザリオ……君。これは都市警からの正式な要請です。ご、ご協りょ、りょくを願います」
えらく不器用なお願いだな。俺の失態を広めた元凶を差し向けるなんてフォーメッドさんも面倒なことをしてくれる。
ランドルトに案内されたのは、ツェルニの郊外。廃業して、まだ次の経営者の決まっていない空き店舗を、重装甲を身に纏った都市警察の生徒たちが包囲している。
「おお、リグザリオも来てくれたか。夜分にすまんな」
仏頂面をしたランドルトに連れられてきた俺を出迎えたフォーメッドさんが険しい表情で詫びた。その手には殺傷力の低い鎮圧弾が込められた火薬式の銃があり、都市警察の武芸者たちも緊張した面持ちで待機している。その中に見知った奴が居た。というかレイフォンだった。
「バイトが休みなのに残念だったな、レイフォン」
「そんなことないです。臨時出動員に登録している以上、協力するのは当然ですよ」
こういう時は普通にいい子ちゃんなレイフォンの応えを聞き流し、状況の説明を受けた。
包囲している空き店舗に偽装学生が潜伏しているとかいないとか。そいつらが違法酒の密売に関わっているらしい。
『ディジー』という剄脈加速薬。ニ十年程前に遺伝子合成されたある果実を発酵させて酒にすると、剄脈に異常脈動を引き起こす作用があることが発見された。武芸者や念威操者がそれを飲むことによって剄や念威の発生量を一時的に増大させる効果がある。
もっとも、“違法”と名がつけられているとおり、それ相応の害がある。剄脈に異常脈動を引き起こすほどの強力な効果のあるこの薬は、剄脈に悪性腫瘍を発生させる要因となり、その率は八割を優に越える。剄脈加速薬を飲み続けた奴らの末路がどうなるか、俺もよく知っている。遅いか早いかの違いであって剄脈加速薬を使用した者たちを待っているのは破滅だけだ。そんなものに手を染めるほどに追い詰められている武芸者がいないわけではない。
「時期が時期だからな。うちみたいな負けが込んでる都市なら高い金を出しても欲しがる奴はいるさ。案外、うちの会長殿の所に、セールスマンが行っていたりしてな」
笑えない冗談だ。本人もその自覚があるらしく鼻を鳴らすフォーメッド。
雑談をやめて偽装学生が潜んでいる店舗に意識を戻す。
「確認しただけでは偽装学生は十人。武芸者はいない……はずなんだがな」
フォーメッドも確証をもっているいないのだろう。後半部分はこちらに確認を求めるような色合いになっていた。
その言葉にいち早く応えたのはレイフォンだった。
「いますよ」
自然と剣帯に手を伸ばしていたレイフォンが断言する。
「だな。こっちを挑発している。これじゃどっちが攻めかわからないな」
店舗内に潜んでいながら剄は全く潜ませていない。奔放に放たれた剄の色が店全体を覆っている。閉まったシャッターの向こうに強烈な存在感を隠しもせずに待ち構えている。都市警察所属の武芸者たちの中には、剄を直接見ることができる人はいないようだが、これだけの剄ならば雰囲気くらいは感じ取れているはずだ。
「手練だな」
「はい。それもかなりの」
俺とレイフォンの判断にフォーメッドが表情をさらに険しくした。
外から訪れる武芸者の犯罪者は、それほど多くないがこのツェルニにも何度か現れている。そいつらの質は、学生よりは強いが、それだけだ。荒事に対する経験の違いくらいで学生だけでも対応できる奴らがほとんどだった。
しかし、今回のやつらはまったく違う。剄の質からして荒々しい無法者のものではなく、厳しく統制された武芸者のものだ。囲まれているのを承知の上でかかって来いと言っている。そこに学園都市の未熟な武芸者に向ける類の侮りはなく、まるで俺やレイフォンのような特別な存在が居ることを分かっているみたいだ。
「課長、包囲完了しました」
都市警察の伝令役である少女がフォーメッドにそう伝える。確かレイフォンの友人の、ナルキ・ゲルニだったか?
ナルキの伝令を確認したフォーメッドが部下たちに指示を出そうとしたとき、場が動いた。
「……来る」
「え?」
レイフォンの呟きにナルキが唖然とし、その背後――偽装学生が潜む店舗から爆発が起きた。
「ぬあっ!」
夜気を掻き乱す衝撃にフォーメッドがたじろぐ。
店のシャッターが爆発の衝撃で吹き飛び、こちらに飛んでくる。武芸者ではないフォーメッドを庇うようにナルキが素早く移動し、俺も錬金鋼を復元させつつ歩を進める。
「調子に乗るなよ」
何がそんなに気に入らないのか、苛立つように剣帯から青石錬金鋼を抜き出し、復元したレイフォンは、剣となった錬金鋼を振り上げ、目前に迫ったシャッターを叩き斬った。その陰に、陽気な戦意が隠れていた。
「ひゃはははははっ! いい目をしてるさ~」
宙を駆ける襲撃者の斬撃を受け止め、弾き返すレイフォン。相手は返された衝撃を利用して空中で回転しながら距離を取りつつ笑っていた。
赤い髪が夜を燃やすように宙で踊り、バンダナで鼻から下を覆って西部劇に出てくるならず者のように顔を隠している。
ぱっと見た感じは俺たちとそう年の変わらない少年のようだ。
宙で回転していた少年は、街灯を蹴ると一気にレイフォンたちの頭上を抜けていく。
「逃がすかっ!」
「くそっ、突入! 突入!!」
レイフォンがその後を追ってい、フォーメッドが慌てて指示を飛ばす。
少年を追いかけ、レイフォンが建物の屋根まで駆けあがっていくのを俺は見送り、飛び出した少年の後に続くように次々と店舗から飛び出す者たちを狙うことにした。
ほとんどの者たちは瞬時に飛び出して行ったので俺に背後を曝している状態にある。
「レストレーション、β」
複合錬金鋼を復元させる。左手に重みが生じて三連銃身の拳銃が現れる。
外力系衝剄の変化、先駆。
衝剄が銃口を覆って射出される剄弾を加速させる。ただし、どれほど加速させても連射に特化された三連銃身では牽制にしかならない。ゆえに銃身を一閃することで纏わせている衝剄を斬撃として飛ばし、ダメージを与える。
外力系衝剄の変化、後塵。
「ぐっ!」「うあっ!?」「きゃあ!!」
先駆による衝剄の弾幕に動きを鈍らせた三人が、後塵の直撃を受けて宙から落ちる。
「ん?」
「お手柄だ、リグザリオ。よし、今のうちに確保だ」
落ちた武芸者の中に妙な懐かしさのある声が混じった気がして追撃の手を緩めた俺を置いて、フォーメッドの指示により都市警の武芸者たちが偽装学生たちに跳びかかる。
「いや、逸り過ぎだっての」
先駆と後塵の連続攻撃は、中・近距離で用いる銃衝術のひとつだ。本来ならば先駆と後塵を組み合わせ、相手を抑え込み、銃身を用いた打撃と衝突の瞬間に引き金を引くことで与える衝撃を爆発的に増大させる鎚弾で止めを刺すことになる。つまり、今はまだ相手を弱らせるための牽制技をワンセットしただけでしかない。
「なん、だと?」
予想通りすぐに復帰した偽装学生たちが都市警の武芸者たちを各々の衝剄で吹き飛ばした。
「リグザリオ!」
「りょ~かい」
フォーメッドの焦った声に旋剄で駆けだす。
「くっ、引くぞ!」
「ああ。こいつは“ハイア”じゃないと無理だ」
偽装学生たちは瞬時の判断で俺への反撃を放棄して逃げの一手を決め込む。
三人のうち二人が剄弾を放ち、地面を破壊。周囲に粉塵を舞い上げる。そこへ、
「ごめんなさい!」
さきほどの懐かしさが感じられる声の主が炎剄を纏った衝剄の矢を放ちやがった。
「やべ、皆逃げ「君はそいつらを追って!」――っ任せたぞ」
次に何が起こるのかを理解し、吹き飛ばされて動けない都市警の連中を動かそうと振り返るとすでに復帰していたランドルトが仲間を抱えていた。
あまりいい性格じゃなさそうだったが、状況判断は早いな。
「それじゃ、こっちも任された分を片付けるか」
言いながら粉塵の中に突っ込む。
視界を覆われても周囲の状況は完璧に把握できる。遠ざかる奴らと粉塵に炎剄を纏った衝剄の矢が着火する。瞬間、強烈な衝撃が辺りを包む。
活剄衝剄混合変化、鎧閃。
俺が初めて独自に身につけた防御に特化した活剄による身体強化と衝剄によって衝撃を逸らす剄技。いまでは単純な防御でなく、相手の攻撃を真っ向から引き裂いて突撃する防御技がそのまま攻撃技として繋げられるようになった。
爆発の中を閃光と化して突っ切ると驚愕の表情で固まる少女が居た。金髪で線は細い。かけたそばかすの残る鼻に眼鏡が乗っている。
その面立ちにはどこか憶えがあるように感じた。
そんな俺の思考を理解するはずもない少女が、爆発の中から飛び出してきたとき以上の驚きを示した。
「うそ……リグ、兄さん?」
瞬きもせずに俺を見つめる少女の声音が、遠い記憶の中にあるひとりの子供と重なった。