オーバー・ザ・レギオス
幕間04 レイフォン・アルセイフ
黄金の牡山羊。
それを目の前にして身体が自然と錬金鋼を復元させる。
「何なんですか……これ?」
フェリの念威、僕の鋼糸よりもはやくこの不思議な存在と相対していたリグザリオさんに問う。
まともな解答が得られるとも思えないが、リグザリオさんは何かを知っているんのではないかというほど悠然とし、落ち着いて牡山羊と対峙している。
奇妙な感覚が身体にまとわり付く。
どう考えても家畜じゃない。かといって汚染獣でもない。それでもこの牡山羊と対峙していると汚染獣を前にしたような緊張感が溢れだしてきて止まらない。これまでの僕の経験がこいつは危険だと告げている。
剣を構えつつ、慎重に距離を詰めるが、牡山羊は悠然とその場にあって僕を見下ろしたまま動かない。
どう対応するべきか?
牡山羊には戦う意思がないように思える。それをリグザリオさんも感じているのか、リグザリオさんは無警戒な姿勢で剣帯の錬金鋼にも手を置いていない。
僕が来る前に何かと話しているような素振りを見せていたリグザリオさんだったが僕が到着してからは無言のまま牡山羊と向き合っている。
そこでふと気付く。
黄金の牡山羊がその視線をリグザリオさんから僕の方へと移していた。
周囲の闇ともその身体の黄金とも一線を画した輝く青い瞳がじっと僕を見ている。殺意がこもっているわけではなく、好奇心に輝いているわけでもない。
ただ静かな水面のように澄んだ青の瞳が僕を映し出している。その瞳は獣のものとは思えない。まるで獣の姿をした人間に見られているような矛盾が強烈な違和感となって襲いかかる。知らず剣を握る手に力が加わるのを感じる。
気持ち悪い、感じるのは僕だけだろうか?
ちょっと前までその視線にさらされていたはずのリグザリオさんは至極落ち着いて状況を観察している。
リグザリオさんの戦いを見た結果、彼の戦闘力は天剣授受者に匹敵していると僕は判断した。
多彩な剄技とあらゆる形状の錬金鋼を変幻自在に操る技量、どんな状況に遭っても最善を導き出す戦術眼。さらに天剣授受者の中でも上位にあると自認していた僕と同等かそれ以上の厖大な剄量を誇り、その厖大な剄を余すことなく統御している。
自分に才能がないとは思わない。そんなことを思うほど僕は自分を理解していなわけじゃない。それでも思う。リグザリオさんの強さは異常だ。
この前の老生体との戦いでも繊細なコントロールを要求される衝剄を利用した錬金鋼の保護を終始行っていたし、化錬剄を用いた多彩な攻撃も天剣の化錬剄使いであるトロイアットに迫るものがあった。僕は、剄技の仕組みを相手の剄の流れから理解することで大抵の剄技を真似できるけど、化錬剄の剄制御を模倣するのは難しい。他の剄技を用いて似たようなことはできても同じ威力は期待できないだろう。
グレンダン以外でこれほどの使い手が育っているということに驚愕もした。けれど、それは別に不思議なことではないことを思い出す。あのリンテンスももともとは別の都市からグレンダンへやってきた武芸者。現在の天剣授受者も半分くらいは外からやってきた人たちだった。自分のことを棚にあげ、あんな剄の怪物たちが頻繁に生まれてよいのかと悩んでしまうこともあった。
どれほどそうしていただろう。
間合いを詰めていたはずの僕と牡山羊の最初と変わらない距離を保っていた。
「……お前は違うな」
夜そのものを震わせたかのような低い声が耳に届いた。
周囲に牡山羊以外の存在は確認できない。リグザリオさんも他のところに注意を払っている様子はない。
「この領域の者か。ならば伝えよ」
「……喋っているのはお前か?」
僕の耳には確かに声が届いているけど、牡山羊の口は閉じられたままだ。それでも言葉は続いた。
「我が身はすでにして朽ち果て、もはやその用を為さず。魂である我は狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さしめんがための主を求める。炎を望む者よ来たれ。炎を望む者を差し向けよ。我が魂を所有するに値する者よ出でよ。さすれば我、イグナシスの塵を払う剣となりて、主が敵の悉くを灰に変えん」
やはりこの牡山羊が喋っているのか? いったいこいつは何なのだろう。
言い知れない恐怖が体を貫く。周囲に他の気配はない。この獣はまやかしでも錯覚でもない。
確かな存在感とそれを肯定させない異質さ。
こいつは危険だ。そう感じる。
身体に漲る活剄を爆発させ、黄金の牡山羊を斬る。そう動こうとしたところでようやく気付く。
僕の身体が最初に着地した位置からまったく動いていないことを。
自分は確かに距離を詰めようと足を動かしたはず、しかし、地面にその痕跡は皆無。
僕が呑まれている?
汚染獣を前にする時とは異質の恐怖が身体を硬直させ……。
「……り、リグザリオさん?」
「いきなり斬りかかろうとすんな」
あまりにも動かないと思っていたら僕の身体の各支点のすべてにリグザリオさんから化錬剄の糸が伸びていた。
それらが僕の動かそうとしている部位に極小の打撃を伝え、僕の動き出しを制していたのだ。理屈だけならわかる。同じような技ならグレンダンの流派にもあった。けれどここまで自然な形で身体の自由を奪われたことに唖然とするしかない。いかに眼前の牡山羊の存在感に呑まれていたとはいえ、まったく気付けないなんて。まるでリンテンスの鋼糸に囚われたみたいだ。
「んで、お前もお前だ。あんまり苛めてやるな。こいつはお前の力を求めないし、相性も悪い。別を探せ」
まるで子供の同士の喧嘩を仲裁するかのような自然さで言う。
こんな埒外の存在を前にどうしてここまで平然としていられるんだろう。
さらに驚くことにそんなリグザリオさんの言葉に黄金の牡山羊も素直に反応を返した。
「……で、あろうな。我は往く、忘我の果てに炎を求める声の許へ。“灯火”は、おまえに託そう……我が遠き朋友よ」
「ああ、有り難く遣わせてもらう。……悲しみに溺れて“破壊の炎”に染まるなよ。お前は“守護者の剣”になれ……兄弟」
朋友、兄弟。
黄金の牡山羊とリグザリオさんの間には何らかの絆があるのだろうか。
この不可思議な存在と深いかかわりがあったとしてもそれほど変なことに思わない。
リグザリオという人は、そんな不思議の世界の住人に見えてしまう。
『……フォン! リグザリオ!』
耳元でフェリの声がする。念威端子がようやく追い付いたようだ。
気がつくと黄金の牡山羊の姿はなく、リグザリオさんもここではないどこか遠くを見つめるようにエアフィルターの向こうの空に視線を向けている。
結局、黄金の牡山羊を追跡することはできず、リグザリオさんもアレのことについては説明しなかった。聞けば応えてくれたかもしれないけど、そうすることはよくないのではないかと思ったので聞かなかった。
翌日もまた調査は続けられた。
フェリと第五小隊の念威操者が都市中を走査したが、昨夜の牡山羊を見つけることはできなかった。代わりにこの都市の住民と思われる“喰い残し”が埋葬された場所を発見した。ゴルネオの指示で第五小隊がその“墓場”の確認を行っている間、僕たちは他所を調べることになった。僕とフェリ、リグザリオの目撃情報を信じてくれた隊長が、あの牡山羊はこの都市の電子精霊だったのではないか? と推測し、それを確かめるべく都市の地下、電子精霊の住まう機関部へと侵入した。
その後、僕がグレンダンを追放された事件の結果のひとつがそこで形となって現れることになり、自分なりにその過去の出来事に応じることになったり、その影響で僕もゴルネオもシャンテも危険な目に遭って、隊長がその危険に飛び込んで来たりで、黄金の牡山羊のことを深く考える余裕もないままに調査は終了してしまった。牡山羊の正体を知っているであろうリグザリオさんは、機関部の調査に行った際に僕らと別れてから僕とシャンテのいざこざの影響で起きた爆発の後、フェリの念威から逸れてしまい、その安否が気遣われたが、僕たちが全員合流地点に戻ってみるとボロボロの姿で寝こけていた。
機関部の爆発に巻き込まれたのだろうか、その身体のあちこちが焼け焦げていたがそのどれも軽傷であり、本人の優れた活剄によりツェルニが到着する夕方には完治させていた。
僕は僕で立て込んでいたせいで、リグザリオさんが何をしていたのかを確認しなかったけれど、彼はあの牡山羊と何かを託されようとしていた。あの夜にそれを受け取った様子がなかった。もしかしたら僕たちの知らないところでこの都市がこうなった原因を究明していたのかもしれない。
移動都市が廃都市に近づいたのはセルニウム鉱山に立ち寄るためであり、武芸大会が近いことを告げていた。
そこで僕やフェリ、リグザリオさんは頑張らないといけない。今は、そちらを優先して考えよう。例えすぐに掘り返される問題だったとしても……。