オーバー・ザ・レギオス
第八話 朽ちぬ炎となりて
無意味な思考を巡らせた目的のない散歩を終え、寮に戻った俺を迎えたのはニーナからの招集だった。
活剄を用いれば、数日の徹夜くらい苦もなく乗り越えられる。その後に起こる反動も、現在では頻繁に急成長が起こる俺の剄脈は平然と耐えきる。
だから早朝から呼び出されて気分が優れないのは、馴れない頭を使ったからだろう。
都市下部の外部ゲートへとやってくるとすでに俺とシャーニッド以外は揃っていた。
「昼まで寝てるつもりだったのによ」
俺のすぐあとにやってきたシャーニッドは寝癖を残したまま欠伸を噛み殺さずにぶつぶつと文句を言う。
「おまえ……今日は休日じゃないんだぞ? 何をしていたんだ?」
「イケてる男の夜の生活を想像するもんじゃないぜ」
ニーナの注意にも軽い調子で応えているあたりはさすがにシャーニッドも武芸者、これからの活動に支障もなさそうだ。
怒るのも疲れるとでも言いたそうだが、口にはせずに都市外用の汚染物質遮断スーツの着心地を確かめている。
「ふむ、確かに軽いな」
普段の戦闘衣の下に着れる上に、着た後もすぐに慣れるだろう程度の違和感しかない。
前回着た時よりもさらに着心地が良くなっている。学園都市の技術者と言ってもこの辺はしっかりしているな。
そんなわけで準備万端、整って出発した。
向う先は、昨夜確認した移動都市。俺は視覚的に確認したわけではないためその状態は分からなかったが、学園側の探査結果によると都市としての機能をほとんどなくして停止しているとのことだった。それを発見したのがフェリだったというのは、後になってから知った。
その移動都市が、どのような理由で朽ちたかを調査するために先行偵察の任務を受けたのが、うちの第十七小隊と間の悪いことに対戦したばかりの第五小隊だった。カリアンが言うには汚染物質遮断スーツの数の問題と両隊の優秀さから選抜されたのであって他意はないとのことだった。まあ、そうなんだろうがどうにも慣れない。俺が気になっているシャンテは、ボコった俺よりもレイフォンの方を睨みつけているし、レイフォンはレイフォンで複雑な心境にあるのを無理に隠そうとしているように思う。
少なくとも楽しいピクニックになることだけはないだろう。
ランドローラーを走らせること半日。
目的の移動都市まではなんの問題もなく到着した。
「こいつはよくもまぁ……」
シャーニッドの驚きの声が通信機に届く。
探査機が撮影した写真で確認していたが、実際に目にするとやはり違う。すぐ真上に折れた都市の脚の断面があり、そこは有機プレートの自己修復によって苔と蔓に覆われている。その蔓の群れはいまにも崩れ落ちてきそうなほどの重厚さがある。エアフィルターから抜け出した部分がすでに枯れているため、滝みたいだなどと冗談をいうこともできない。実際にいつ崩れてもおかしくない状態だ。
「汚染獣に襲われて、ここまでやって来たって言ってたか?」
「推測だろ。ま、あながち間違いってわけでもないだろうけどな」
シャーニッドの言葉を適当に濁す。
イメージの中を埋め尽くす白い異形の巨人。崩壊する白炎。
昨夜のイメージをそこまで再生させたところで思考を止める。
今はそれを思考する時間ではない。
「外縁部西側の探査終わりました。停留所は完全に破壊されています。係留索は使えません」
『こちら第五小隊。東側の探査終了。こちら側には停留所はなし。外部ゲートはロックされたままです』
フェリと十七小隊とは逆周りで進んでいた第五小隊の念威操者からそれぞれ報告が入る。
どちらも楽ができないのは同じらしい。
「こちら第十七小隊。ワイヤーで都市に上がった後、調査を開始する」
『了解した。こちらも東側から調査していく。合流地点はおって知らせる』
「了解した」
隊長同士の通信を終え、作戦行動を確認してから調査開始。
レイフォンとフェリの組み合わせが先行して都市内部の安全確認を行う。
そんなことをしなくても“うちの姫様”がほぼ全域の状態を教えてくれるのだが、その情報を他のメンバーと共有できない以上、実際に乗り込んで調べるしかない。
姫様の能力を疑うことなんて何もないがただ座して待つのと自ら動くのとでは、結果が違ってくるものだ。ここは不満そうなフェリ共々、我慢してくれよ。
フェリの念威探査によって発見されたシェルターにやってきた第十七小隊はその惨状に唖然とした。
シェルターの天井には大穴が開き、天井から落ちた瓦礫が放射状に広がっている。その瓦礫の縁を赤黒く固まった血痕が染めていた。
もしここの天井に大穴が開いていなければ、充満した死臭に耐えられなかったかもしれない。
「こいつはひでぇ」
シャーニッドが口と鼻を押さえて率直な感想を述べる。
いくら外部と繋がる大穴があってもシェルターの中に澱んだ腐臭は完全になくなっているわけではない。
フェリは中の状況を把握した上でシェルターに入ることを拒んだ。一緒に入ったニーナもシャーニッドと同じように鼻と口を押さえている。
こいつらの反応は正しい。この臭いに慣れてはいけない。俺みたいに普通に血痕の多い箇所の瓦礫を掘り返したり、奥の食糧庫を物色するようになったらおしまいだ。
「生存者はいるか?」
『いません』
一縷の望みをかけたニーナの問いは、念威端子からの冷たいフェリの声に切り捨てられた。
ニーナは、あちこち物色し終えた俺にも問いを含んだ視線を向ける。
「……リグザリオ」
「幸か不幸か、死体はひとっつもないな。古びた血痕だけで肉片すら残っちゃいない」
俺の答えにニーナは苛立たしげな表情をさらに複雑にした。
「まるで誰かが片付けてしまったみたいですね」
他の皆も思っている疑問を再度レイフォンが口にする。
汚染獣がこの都市の住民をすべて喰い尽くしたとしても、死体どころか肉片すら見つからないというのはおかしい。
エアフィルターが生きている以上、都市のエネルギーはまだ完全に尽きているわけではない。ならばどこかにこの危機を免れた生存者がいる可能性もあるが、フェリの念威は人間の生命反応を捉える気配もない。
「こないだツェルニに来た奴って線はないのか?」
「それはないな。幼生体の群れに襲われたのなら建物が横薙ぎに破壊されているはずだろ?」
シャーニッドの呟きに簡単な答えを返す。
“敵”は“空”から来て“空”から去った。大群であることに変わりはないが、事実は若干異なる。それを伝えられないのはとても窮屈だった。
シェルター内部を隅々まで捜索したが結局、死体はどこにもなかった。
当然だ。この都市の住人達はすでに手厚く“葬られている”のだから。
日暮れを前にして第五小隊から合流地点の指定があり、何の収穫もないまま俺たちは合流地点に向かった。
第五小隊が見つけた合流地点は、武芸者たちの待機所として使われていた建物らしい。それなりの物資が残っており、食料もわずかだが食せるものも残っていた。
「電気はまだ生きていたんだな」
ニーナが感心した様子で入り口前の廊下から駐留所内を見回した。
「機関は、微弱ですがまだ動いています。セルニウム節約のために電力の供給を自律的にきっていたのではないかと」
ニーナの言葉に答えながらフェリは静かに髪を揺らす空調の風を身体に浴びせていた。
空調が生きていなかったら都市中を浸蝕している腐敗臭が漂う寝所で眠りに就くことになっていただろう。
その後、ニーナは部屋割りのためにゴルネオのところに赴き、レイフォンとシャーニッドはもう一度周囲の安全を確認しに行くと出て行った。
部屋に残された俺は、手持無沙汰にしているフェリに声をかけようかとも思ったが、特に話すような要件もなく、世間話をするほどフェリと良好な関係を築いているわけではない。訓練や試合以外で会話がほとんどないのだ。どうにも俺はこういうタイプが苦手なんだろう。どちらからというと自分から喋ってくれるニーナの方が好ましい。あれは年相応に若々しい情熱と苦悩を抱いて……
「って、俺は年寄りか?」
自分の思考にひとりでツッコム馬鹿が一人。
そんな俺を胡散臭げな(俺の主観)視線で観察するフェリ嬢。
「…………」
「(沈黙が気まずい……)」
こんなことならレイフォン達についていけばよかった。
そう思っていると入口から現在の興味の対象である少女が入ってきた。
「あ……」
「……あ」
入ってきた第五小隊副隊長シャンテがフェリと俺を見て嫌そうな顔をし、それを見てフェリもまた冷たい視線を作った。レイフォン達と同じように周囲の確認に出ていたのだろう。やはり、今回の選抜小隊は相性が悪いだろうと思う。現段階で第十七小隊と仲良くできるのは第十四小隊くらいだろう。あそこの隊長のシン・カーハインは俺でもいい男だと思える出来た人だし、そんなシンの部下も気さくな人たちばかりだった。第十四小隊も実力面では、偵察という今回の任務ならばまったく問題なかったはずなんだけどな。
そんな思考に耽っているといつの間にかフェリとシャンテが険悪なムードになっており、視線と視線が火花を散らしてぶつかっている。
「(何故に?)」
場の空気の流れに乗り遅れた俺は、どうすることもできずに外面だけは平静を保ちつつ、内心では右往左往しながら二人の少女の顔色を窺う。
「お前らは……」
最初に流れを音声化させたのはシャンテだった。
「お前らは、あいつがどんな奴か知ってんのか?」
その言葉にフェリが身体を強張らせる。“あいつ”とはおそらくレイフォンのことだろう。出立前もレイフォンを睨みつけていたしな。
おそらく、レイフォンと同じく槍殻都市グレンダンの出身者であるゴルネオ・ルッケンスとの間にある何某かの因縁を自分のことのように考えているのだろう。
「なんのことでしょうか?」
「……本気で言ってんのか? それとも、知らん振りか? あの一年がどんな奴か知ってんのかって、あたしは聞いてんだ」
この待機所と同じ建物には第五、第十七小隊の他のメンバーもいるため、ほかの誰かに聞こえないように試合時と違って静かな調子で喋るシャンテの声には、隠されざる怒りが宿っている。そんなシャンテの問いにフェリは無言を通す。俺はというとレイフォンが槍殻都市グレンダンの天剣授受者という特別な存在だったことは耳にしているが、ゴルネオと因縁が生まれるようなことは知らず、シャンテの問いにどう答えて良いかわからない。
そんな俺たちの反応をあまりよろしくない感じで捉えたらしい。
「ふん、知ってて使ってるんだ。だとすると会長も知ってるってことだな」
「なんのことかわかりませんが?」
シャンテのどぎつい睨みもどこ吹く風とフェリは素っ気なく返す。
「あんな卑怯者を使うなんて……そこまで見境なくやらないといけないくらいあたしらは信用がないって言うのか?」
見えない殺気が刃となってフェリに突きつけられる。
「(……あれ、俺は?)」
俺の記憶に眠る炎の女には程遠いが、それと似た燃え盛る炎のイメージがシャンテを包み、対象的にフェリは凍てつく氷を思わせる無表情でシャンテの眼光を真っ向から受ける。何やら女同士の戦いが始まってしまいそうな予感が……と思っていると当たってしまうわけで、明らかにシャンテの敵意に対する形で発露した敵意を乗せた言葉がフェリの口から零れる。
「……二年前の自分たちの無様を棚に上げて、他人をどうこう言うのはやめた方がいいですよ」
「なっ!」
「ぬっ!?」
そっちに話を持っていくはさすがにあれだぞ。
大敗だったという二年前の武芸大会。あれの話題は上級生の武芸者たちにとっては鬼門だ。それをシャンテのような直情型のタイプに振ったらどうなるかわからないフェリじゃないだろうに!
俺の懸念通り、剣帯に手を伸ばそうとするシャンテ。それを変わらず涼しげな、というより冷た過ぎる表情で見つめ続けるフェリはなおも続ける。
「あなたたちが弱くなければ、あの人は一般教養科の生徒としてツェルニを卒業することができたのです。それができない今があるのは、貴女方の未熟が招いたことでしょう? その弊害を受けている私たちに武芸大会で勝てなかったあなた方がそんなことを言える立場ですか? 守護者足り得ない武芸者なんて、今のツェルニにとって不要です。顔を洗って出直してきなさい」
「なっ、こっ……て、てめぇ……」
「(うわ~い、泥沼だあ<泣>)」
フェリの言いたいことも分からないでもない。最近はそうでもなかったが、フェリとレイフォンは武芸以外の自分を見つけるためにツェルニを訪れたのだ。それを両者ともに入学早々からカリアンの計略によって武芸科へと転科させられた。そのことに僅かながら慣れる兆しが見え始めているこの時期に、フェリにとっては理不尽でしかないシャンテの言葉を受け、黙っていられないのだろう。それにフェリはレイフォンに自分と同じことに悩む存在として、特別な思いを抱いている節もあるからなおのことシャンテの怒りを黙って受け流すことができなかった。
シャンテが怒りで震えながら剣帯の錬金鋼に手を掛ける。
「(はやく止めに来いよ!)」
関係のない修羅場に取り残された感のある俺は、泣き出したい気分を我慢しながら剣帯に手をかける。
フェリとシャンテの口論がどこまで響いていたかわからないが、すでに数名の関係者が周囲に集まっている。その中の誰も仲裁に入ってくれないのなら俺が間に入るしかない。対抗試合での期待感は冷汗が全身を濡らす今では湧いて来ないので、フェリを守るためにシャンテを打ち負かすことはできない。せいぜい暴れるままに任せてそのすべてを受け切るしかない。
人間関係の拗れに慣れていない上にレイフォンの過去などほとんど知らないため場の収拾する方法も浮かばない。いよいよもって俺の思考もメダパニってきたところで大遅刻の救い人が現れた。
「そこまでにしろ」
「ゴルっ!? でもっ!」
「ここで諍いを起こすな」
「むぅぅぅぅぅぅっ!!」
俺にとっての救い人であるゴルネオの言葉にシャンテは沸騰しきった怒りをぶつけることができずに真っ赤になって錬金鋼から手を離し、ゴルネオの分厚い腹筋を殴りつけて去って行った。
「すまんな、うちの隊員が迷惑を掛けた」
「いや、フェリにも非がありましたよ。今のは」
試合の勝敗に関する柵は残していないようでシャンテに代わり素直に謝罪の言葉を口にするゴルネオには好感が持てる。
俺は俺でゴルネオの謝罪に応えながら不安にさせたフェリに恨めしげな視線を送るが、逆に冷徹な視線にはじき返されてしまった。
「しかし、シャンテの言ったことは隠さざる俺の疑問だ。あいつは代弁したに過ぎない」
「みたいですね。あの子は「あなたは、グレンダンの出身でしたか」」
「そうだ」
ついでとばかりにシャンテのことについて問おうとした俺の言葉を上から塗り潰すフェリと当たり前のようにフェリの問いの応えるゴルネオ。……好感度が下がったぞ、ゴルネオ。
「……そうですか。なら、さきほどの言葉はわたしの偽らざる気持ちです。あの人はもとより、決して兄と同じ意見というわけではありません」
「承知している。俺もあいつにかんしてのことはあくまでも個人的な思いだということを承知しておいてほしい」
それはゴルネオもまたシャンテほど表面に出ないが根が深いことを示している。
言い終えたゴルネオがシャンテの後に続き、その後ろ姿が見えなくなったところでフェリが小さく何かを呟いたが、改めて確認する勇気は俺にはない。
†††
部屋の割り当てと打ち合わせを終えたニーナから明日の予定を確認してから第十七小隊だけで食事をとった。
第五小隊は、それなりに離れた部屋を待機場所に選んだということで、やはり隊同士の相性はよろしくないようだ。今後のためにもその辺は改善するべきことなんだろうけど俺にはどうすれば良いかわからんのでとりあえず放置の方向でお願いしたい。
夕食後は解散となり、明日に備えてゆっくり休むことになったが、俺はこっそりと部屋を抜け出していた。
崩れ去った街並みや汚染獣の爪跡と思われている無数の破壊痕を捉えるたびに“あの映像”が頭を過る。
様々な都市で暮らしたどうでもよい日常の風景や人々は憶えている。恩を受けた人や優しく接してくれた人のことは憶えている。しかし、憶えていなくてはならない特別な記憶は時を重ねずとも瞬く間に風化していく。それは長い時を繰り返す中では幸運なことでもあったが、今回のように断片的な記憶が不意に蘇ってくるとどうしようもなく不安になる。特に今回はいつもと違った流れがある。そのことが足りない脳を刺激し、俺には似合わない思考の螺旋に取り込もうとする。
「お前も……そのひとつか?」
夜気を引き裂いて疾走する俺の前に現れた放射状に伸びた雄々しい角を生やした黄金の牡山羊。
“記憶”が蘇ってくるときのような奇妙な感覚がまとわりつく。
直接見えるのはこれが初めてなはずだが、やはりここでも既視感が襲う。
その存在の異様さに似合わぬ静かな湖のように澄んだ青い瞳が俺を見つめる。
「こうして見えるのは二度目か。いやさ、一度目であったか」
「俺の方が知りたい」
ようやく沈黙を破った黄金の牡山羊の言葉だったが、俺は反射的に素っ気ない声で返してしまった。
何故だか、こいつと相対していると渦巻いていた心の蟠りが梳けていくような心地よさがある。
「“リグザリオ”の洗礼を受けし、朋友よ。我が灯火は、時をまたずに尽きよう」
俺を朋友と呼ぶ黄金の牡山羊が口にする『リグザリオ』という名。“こちら側”に来てから名乗るようになった偽名だが、なぜこの名を名乗ってきたのか思い出せない。そう名乗るのが普通だと、妥当だと感じたからだとしかわからない。
「我、狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さなければならぬ。ゆえに、我が“灯火”を受け入れてはくれぬか」
黄金の牡山羊から語られる理解しがたい言葉の羅列。
しかし、それは“俺の思考”が理解しないだけだで“俺の存在”はすべてを理解しているようだった。
「分かった。お前の“想い”は――「リグザリオさん!」」
黄金の牡山羊との会話に入り込んでいた俺は、この場に届いていた鋼糸の存在に気付くのが遅れてしまったようだ。
声の主が俺と牡山羊に割って入るように着地する寸前に交わした約束だけは、きっと夜が明けても記憶しておける。
それは忘却する類の“記憶”でないから。“リグザリオ”という存在に刻まれる“記録”として、俺に約束を果たさせる。
そんな気がした。