オーバー・ザ・レギオス
第七話 夢幻、記憶、過去
熱狂的な歓声が野戦グラウンドに響き渡っている。
武芸科の授業や小隊の訓練などでおなじみの場所も普段と変わった空気が満ちているだけで別世界のようだ。
『レイフォンが敵隊長と接敵しました。そちらにもひとり向かっています』
「了~解」
遅すぎるフェリの報告に苛立ちを感じることもなしに頷く。
そも先日の汚染獣戦で十二分に活躍させられたのだから当分は力を抜いても文句はでないだろう。
もとより俺の場合は、念威操者の補助がほとんど必要ないのだからフェリに注文を付けること自体ない。
頑張りたくないときに無理に頑張れと言っても効率は上がらない。いずれ本人も気付くだろうが、フェリは生粋の念威操者だ。一般人が手足を動かすのと同じような感覚で念威を扱える。使わなければ衰える可能性もないわけではないのだろうが、フェリは無意識のうちに念威に頼っている節がある。“念威操者”であることを強要されることを嫌っているだけであり、“念威”を扱う事をきらっているわけではないのが現状だ。そこら辺の区別もいずれ何とかするだろう。
“念威操者”じゃない俺には適当なアドバイスも助言も難しいからな。
『おおっと! ツェルニ最強アタッカーの呼び声も高いレイフォンに、第五小隊隊長ゴルネオ、どう対抗するのか!?』
司会の女の子の声が響き渡る。
木々を隔てた位置で地面が爆散する衝撃と爆音が生じた。そちらに視線をずらしたところで木々の合間から小さな影が飛び出してきた。
「ぉおりゃあ!!」
「うおあ!?」
その小さな身体から予測に倍する衝撃を繰り出され、わずかに楯が傾く。
『さらにその隣では、誰も文句なし! 十七小隊のガーディアンことリグザリオに、第五小隊副隊長、本能のシャンテが襲いかかる!!』
“本能の”って、そんな声高らかに言うなよ。
これって渾名というより馬鹿にしてるようにしか聞こえないぞ。
そう思ってる間に次の攻撃が来る。
槍型の紅玉錬金鋼の赤い残光を伴って、小さな身体が迫る。
「炎剄将弾閃~んっ!」
甲高い声が技名を叫ぶ。剄技の名を叫びながら戦う武芸者はまずいない。そんなテレフォンアタックを好き好んでやるのは格好つけたがりの馬鹿しかいない。そう思っていたら天然で叫ぶ馬鹿もいるようだ。
槍の穂先から炎の塊と化した剄弾が飛び出す。
眼前に迫る熱気に楯から紅刃を抜き出して構える。
衝剄活剄混合変化、竜焔。
汚染獣に放った突撃槍の時とは違い、紅刃に連なる鎖が脈打ち俺の周囲を渦巻きながら包み込む。
迫っていた炎剄が渦巻く鎖にぶつかって霧散する。
「うっそ……」
渾身の一撃、ということもないだろうがそれなりに力を込めたはずの一撃を軽々と防がれたことに関する驚愕と渦巻く鎖の変化に呆けている。
相手にできた僅かな隙を見逃す手はない。
「次はこっちから行くぞ」
いいながら紅刃を投擲する。
先日の老性体をそのまま縮小したような炎の龍が少女に襲いかかる。
刃引きがされていると言っても小柄な体のシャンテがこれを食らえば一撃で戦闘不能になるだろう。
しかし、そんな俺の予想はなかなか訪れない。
「くっそー、こんなの卑怯だぞぉ!」
悪態を吐きながらも手にした槍で襲いかかる竜焔を弾き、波打つ鎖の乱打を見事な体捌きで避け続ける。
このシャンテという少女は幼い外見に反してその戦闘力はかなりのものだ。
その身に纏う雰囲気は完全な野性児だが、放たれる剄の質は底知れないものがある。単純な剄量であればツェルニの武芸者の中では、レイフォンや俺のような例外を除けば最上位に位置するだろう。それに変換率はあまり効率が良いとは言えないが、先ほどの炎剄もかなりの威力があった。全霊で撃ち込まれていれば手持ちの紅玉錬金鋼では防げなかったかもしれない。
「シャンテ・ライテ……まさか、――なのか?」
「あ? 何か言っ……ぎゃん!?」
竜焔を捌きながら俺の呟きに反応しかけたところで少女の足元を大きく薙ぎ払う。さらに追い打ちとばかりに脈打つ焔の鎖で打ち据える。
他から見れば弱い者いじめに見えなくもないだろうが、不思議と少女を痛めつけたという罪悪感はない。むしろ、「まだまだやれるはずだ」と少女が立ちあがり、反撃に転じてくるのを期待する気持があった。
しかし……
「きゅう~」
目を回して気絶する少女の姿に不謹慎ながらも落胆するような気持が湧いたが、それと同時に野戦グラウンドに鳴り響いたフラッグ破壊のサイレンに気持ちが醒めていくのを感じた。
俺はサディストでもなければ、戦闘狂でもない。戦いを楽しむことはできるようになったが、愉しむために戦いをするほど欲求不満でもない。
それなのにこの少女に対して些か過剰な攻撃をしてしまったように思う。
善くない兆候だ。自分の意識しないところで力を誇ろうとするなんて。改めて気を引き締めていかないといけないようだ。
小隊対抗戦の後、俺の心が言葉にできない妙な感覚にざわついていた。
いつもなら喜んで参加する祝勝会も辞退させてもらっている。今日はニーナの友人たちも多く来ていたようだから同年代の女の子と仲良くなれる機会だったのにな。こんなことを思っても俺の脚は、祝勝会の会場に向かおうとはしない。延々と人気のない外縁部、エアフィルターに沿うように無意味な散歩を続けている。
「シャンテ・ライテ……身覚えも聞き覚えもないんだけどな」
無意味な散歩中に考えているのは、昼間に対戦した第五小隊のシャンテ・ライテのこと。別に一目惚れしたとか、そういった類なものでないことだけは確かなはずだ。例え、そうであってもここまで考え込むのはおかしな感じだ。俺が知っている炎を纏う女は、シャンテとは似ても似つかない。そばに立つ男もゴルネオではなく、もっと獰猛な牙をもつ獣のような青年だった。名前は確か……
「ディック……ディクセリオ・マスケイン」
すべてを奪われ、そのすべてを奪い返そうとする復讐者であるとか。
それを教えてくれたのも誰だったか?
確か女だったのは覚えている。まだ最初期の頃の話だ。戦っても戦っても幸福な結末が訪れないことに疲れて、馴れない酒をかっ食らって辺り憚らずくだを撒き散らしていた俺に話しかけ、つまらない俺の元の世界での話を熱心に聞いていた酔狂な女。何を話したかもほとんど憶えていない。ところどころの単語が記憶の底に散らばっている程度だ。
本当にいけないな。永遠にも思える時間を生き、死んでもやり直せるなんて素晴らしいことではあるが、どうにも記憶が曖昧になってくる部分もある。もともとの脳みその容量もあるのだろうが、俺が忘れやすいたちなのだろう。
「はぁあ。年は取りたくないもん……んん?」
しみじみ思っているとエアフィルターの向こうから奇妙な視線を感じた。いや、それを視線と呼ぶには些か異常に語弊があるだろう。遥か彼方に聳える山々の影が俺の視線を惹き寄せる。何の変哲もない都市がどれほど移動しようと変わり映えもしない荒野の景色。その一角に何かがある。
「あそこに、何がある?」
疑問を口に出すのとほぼ同時に思考の中に映像より鮮明な感覚が遥か遠方の物体を認識させる。どうやら今日の姫様は機嫌が良いようだ。こんなに素早い情報提供は珍しい。そんな感慨に耽ってもいいのかもしれないが、それ以上に齎された情報は俺の心を大きく揺さぶった。
「……メルニスク」
自然とその名が口に出た。
それが何を意味するのかまったく思い出せない。
しかし、脳裏をノイズだらけの劣悪な画質で映像が駆け廻る。まるで走馬灯のような、既視感のような映像。燃え立つ炎のように聳える白亜の建造物。ひときわ高くエアフィルターを突きぬけて聳える塔のようなもの。あの奇妙な女、その女と同じ顔をした別の女。常軌を逸した鋼糸使いの男。絶大な念威を誇る念威操者。記憶に残る雰囲気と若干異なった様子のディック。そして、奇天烈な外観の白い巨人たち。
その一つ一つには覚えがあるものの、それらといつ遭遇したのかを覚えていない。関わった状況を思い出せない。ただ漠然と知っているという違和感の塊が俺の足りない脳みそを圧迫する。
「なら考えなければ良い」
そうだ。俺の身に起きている現象は、自分の意思ではどうしようもない事ばかりだ。剄脈の急激な発達も、死を越えることも、勝手に進む放浪バスに揺られることも、ツェルニに到達したことも、どこにも俺の意思は関与していない。いや、もしかしたら多少なりとも関係があるのかもしれないが、少なくとも自覚できるところにそれはない。ならば気にしたところで問題は解決しない。
「眼前にある不可思議。そこに跳び込もうとする気持ち……確かに悪くない」
俺のバカみたいな現実世界の話を熱心に聞き、俺を何処かに導こうとした奇妙な女。名前は思い出せないが、この女が何か特別な意味があるはずだ。そして、そこに繋がるためのか細い糸の末端がすぐそこにある様に感じる。
既視感を感じさせる少女、シャンテ・ライテ。
彼方に存在する都市、メルニスク。
俺の置かれている状況の不思議な謎に迫るかもしれないキーワード。
「どこまで俺は歩いていけると思う?」
俺の呟き応える“声”はない。
ただ掠れる記憶の一部が嘲笑っているように感じた。