自律型移動都市―――。
俺が生きることになった小さな世界。
いくつもの都市へと辿り着き、いくつもの都市を看取ってきた。
閉じた時間の中、長い旅を続けて今に至る。
主観で数十年の時を生きているはずの俺の肉体は老いを忘れたかのように若々しさを保っている。
いくつもの都市と共に滅びているはずの肉体は、限界を越えて『深化』を続けてきた。
そして、今回もまた滅びの可能性を運ぶ俺は、ひとつの都市に辿り着いた。
学園都市ツェルニ。
機能特化型都市の1つに、教育機関として特化した機能を持つこの都市は、住人の大半が学生で大人がいない。
初めてその存在を知った時は、そんなんで大丈夫なのか?と本気で思った。
それでも学園都市連盟に加入している学園都市の情報は、それなりにあり、少なくとも数十の学園都市の存在が確認されているし、他の自律型移動都市同様に都市同士の間で行われるセルニウム鉱山の争奪戦争もある。
これまで一度も学園都市に辿り着いたことなどなかったので、実際に訪れるのは今回が初めてなこともあり、俺はそれなりに楽しみにしていた。
何と言っても若者が集まる場所というのが良い。
今までは、現状を把握することや汚染獣の襲来に備えるための鍛錬などで交友関係というものは、仕事先や道場だけだった。
当然、肉体的に同年代の友人というものは皆無と言えた。滅ぶことが分かっていながら、他人と親しくなると後が辛いというのもあった。
それでも俺は、ひとりで生きていくことのできない人種だと自覚しているし、仕事や鍛練を抜きにして親しい間柄というものを持つことに期待を抱いている。
どれほどの力を持とうと俺は、孤独が嫌いだし、絶望の中にも希望を忘れられない性格だ。
だから、今だけを生きることはしたくない。
未来という名の明日を生きるために今を生きる。
オーバー・ザ・レギオス
第一話 学園都市ツェルニ
「何故に!?」
学園都市の中心地、ツェルニの都市旗を掲げる円形の尖塔の地上部。その事務受付で書類を受け取った俺は辺り憚ることなく叫んだ。
何枚もの書類とそれらが入っていた袋を受付に叩きつける。
受付嬢をしている女生徒が怯える姿にちょっとドキドキしてみたりしないでもないが、書類に書かれている内容はどうしても納得いかないものだった。
「な、何故と言われても、編入試験の結果ですから……」
恐る恐る言う女生徒には何の非もない。
もちろん、試験結果を出した機械も、ツェルニへの編入試験を受け持った役員の生徒たちのせいでもない。
すべては勉学を怠っていた俺自身のせいなのだ。
「あ、貴方の奨学金ランクは、D。学年は、1年です」
怯えながらもきっぱりと言う女生徒。
そんな彼女の言葉を受けて突っ伏するしかない俺を誰か笑ってくれ。
この世界に来る前の俺の年齢は、18。
その年齢は、学園都市の学年にすれば三年。
この世界に来てからの経験の蓄積を言えば、数十歳になる。
精神は、肉体の影響を受けると聞くが、俺の感覚では、自分は二十代、三十路くらいに思っている。
それなのに、一年生。周囲は数え年16のぴっちぴちの一年生。俺は、百歳手前のかぴかぴ一年生。
この状況をどう思うよ?
これが武芸馬鹿として生きてきた報いだというのか?
「というわけで、そこんところ如何にかしてもらえると嬉しんだけど?」
「そうだね。まずは、何が、どういうわけなのか説明してもらえるかな?」
事務受付から出た俺が、その足で飛び込んだ場所――学園都市ツェルニの中心部にして、都市の総責任者でもある生徒会長の部屋。
自分の待遇を不服とした俺は、あろうことか生徒会室に直談判をしに来てしまっていた。
なんというか、あれだな……俺はバカだ。馬鹿ではなくバカなのだ。
「なるほど。立ち寄った都市が汚染獣に襲われており、当初入学するはずだった学園都市ではなく、このツェルニに辿り着いたと?」
事務受付から送られてきた俺の編入申請(嘘情報満載)と試験結果に視線を走らせていた生徒会長が柔和な頬笑みを向けてきた。
「ああ。だから、今さら他の学園都市に行くのも面倒し、ここに置いてもらおうと思って編入試験を受けさせてもらったわけさ」
自分で言うのもアレだが、もっとマシな理由を考えつけよと。
いくら学園都市に来るのが初めてだからと言っても、何十年もの人生経験があって……待てよ。
よく考えてみれば、これまでの人生経験ってそれほど豊富じゃないのでは?
仕事も単調なアルバイトばかりだったし、遊びも武芸やこの世界の常識を学ぶ必要があったのでほとんどしてなかった。
そして、さらに重大なことに気づいてしまったが、それを考えると本気で絶望を受け入れてしまいそうなので、脳ないから強制排除した。
「顔色が悪いようだが、大丈夫かな?」
「気にしないでくれ」
生徒会長の言葉だけの労わりも、今の俺には傷を抉られているようにしか感じない。
隣に美人秘書を侍らせる美男子などに俺の心配をする資格などないのだ!
「それよりも……どうなんだ? 聞いた話じゃ、戦争で負けが込んでるそうじゃないか。便宜を図ってくれれば、あんたが安心して卒業できるようにしてやるぞ?」
「ふむ。君は、自分の腕に相当な自信があるようだね」
「当然だ」
伊達に主観で何十年もの時間を過ごしてきたわけではない。
こちらに来てからの俺の人生は、戦いの日々だと言っても過言ではない。
引っ切り無しに大怪獣相手に剣や槍なんかを振り回してきたんだ。
武芸者としての経験値だけには、自信を持てる。
それだけ命を賭けて……まあ、それほど重い命じゃなかったかもしれないが、とにかく俺は強くなった。
今さら学生レベルの武芸者が何百、何千いても負ける気がしない。
都市の保管係に預けている黒い錬金鋼もある。共に滅びを抜けてきた奴らが付いている。姿はなくとも世界を見通す我儘な嬢ちゃんもいる。
今の俺が戦うべき相手は、学生ではなく、汚染獣だ。それは間違いない。
俺がここで戦うのは、俺自身の因果が招き寄せるであろう汚染獣から都市を生かすこと。
それは負けを許されないということ。
俺が失敗すれば、また歴史が修正される。そして、俺の足跡と共に世界が変異する。
だから、俺は明日のために今を戦う。
「それでは、改めて武芸科の特待生としての受けてみてはどうだい? 君の学力では三年にすることは難しいが、奨学金なら試験結果によっては、Aランクに上げられる。それでいいかな?」
「う~ん。そこら辺が落とし所か……ま、学費免除だけでも十分か。ついでに支給金とかも貰えるとやる気が増すんだけど?」
かなり図々しい要求だが、汚染獣に備えて出来るだけ鍛練の時間を取れるようにしたい。
これまでみたいにアルバイトばかりでは、身体が鈍ってしまう。
俺の要求を聞き、僅かに眉根を動かした生徒会長は、再び裏のありそうな微笑を浮かべた。
「それは、君次第だよ」
俺は確信した。
この生徒会長は、素晴らしく素敵な試験内容を設定してくるだろうと。
周囲を包む若者たちの熱気を伴った歓声。
多くの観客が見守る中、武芸者同士が戦っている。
数は5対4。
学園都市ツェルニに存在する優秀な武芸者によって構成された17ある小隊同士の対抗試合。
学園都市同士の戦争――武芸大会にむけての練習のようなもの。
戦闘は、五人構成の第16小隊が優勢で進んでいた。
攻守に分かれての戦闘にも関わらず、第16小隊は真正面から対戦相手である第17小隊のアタッカーを迎え撃った。
衝剄による牽制と旋剄による高速攻撃のコンビネーションが、第16小隊の必勝法らしい。
しかし、これは武芸大会――都市戦を想定して行われている試合だというのなら愚かとしか言いようがない。
都市戦において、最小限の労力で最大限の結果を手にするためには、陣地作成は基本中の基本。
トラップもなしに自分たちだけの力で敵を排除しようなどというのは、小数を相手にする場合だけ、しかも必勝を確信した時だけだ。
何百人もの敵味方が立つ戦場において、防御側が地の利を利用しないというのは駄目だ。
幾度もの『リトライ』の中で俺が最も苦手としている戦闘がまさにその状況だった。
汚染獣との戦闘で最も恐ろしいことは、汚染獣の都市内への侵入を許してしまうこと。
一人の強者が居ても、汚染獣がそこにばかり集まるとは限らない。
汚染獣の侵入を許してしまった時は、都市機能に支障が出るような攻撃ができなくなる。
そうなったら肉弾戦で一体一体始末していくしかなくなる。
衝剄や化錬剄を使いこなせていなかった時期は、そのせいで何度も敗北した。
都市内戦闘の経験も増えていき、ようやくそれにも慣れた今でも都市内戦闘は気を使う。
「ま、お前が見せたいのは、あの一年坊だろ?」
「わかるのかい?」
対抗戦をを生徒会室のモニターを通して眺めていた生徒会長カリアン・ロスが俺の言葉にわずかな驚きを表している。
モニターだけを見ていたら気付かなかっただろうが、俺には世界を見通す姫様が付いている。
姫様がどんな思いを持って俺に協力しているかは、分からない。
ツェルニに来てから何かを探すような、何かを恐れるような気配を感じさせるが、俺からは何をすることもできない。
それに俺を見続けていた彼女が何を思おうと、何をしようと構わない。
俺を孤独にせず、孤独から救いだしてくれる彼女が今も力を貸してくれている。
何か要求があれば、何らかの干渉をしてくるだろう。今はそれで十分だ。
ま、その『姫様』がどんな姫様なのかは、見当もついてないんだけどな。
「あの一年……レイフォン・アルセイフか? あれくらいの使い手は、他の都市でも見たことないな。一学生としては異常だろう、あれは」
「そうでなくては困るんだよ。――どうだろう? 彼にやる気を出させることができれば、君の学費も支給金も考えてあげられるだがね」
そういうわけか。
カリアンは、個としての強者がどの程度の戦力になるかを十分理解しているらしい。
学生同士の武芸大会ならともかく、何百何千の汚染獣を相手にするときは、俺も背中を気にして戦う羽目になるのは御免蒙る。
しかし、アレだな。
「わざわざちょっかい出す必要はないだろ、アレは」
「それは、どういうことだい?」
「簡単なことだろ?」
適当な物言いに威圧的な微笑を向けてくるカリアン。しかし、精神的な威圧で屈するほど俺は敏感ではない。
俺が答えるより先にその結果が出ていた。
レイフォンの所属する第十七小隊の隊長――ニーナ・アントークが第十六小隊の攻撃を受け、膝をついた時だった。
攻撃側は、司令官が倒れれば負け。
それを見たレイフォンは、それまでのやる気のなさを何処かへ捨て去り、ニーナの方へ疾走する。
『なっ、しつこいんだよ』
うちの『姫様』が集めてくる情報から第16小隊員の叫びを聞く。
駆けだしたレイフォンを追いかけるような形で高速攻撃を背後から仕掛けるが、レイフォンは、それを視認することなく横にそれるだけでかわした。
第十六小隊の旋剄による高速攻撃は確かに速いが、動きが直線的になりすぎている。
武芸者同士の戦いでは、もっと考えて動かないと速度を武器にする利点がなくなる。
そして、レイフォンを追い越し彼に背後を向けてしまった相手は、背中に強烈な一撃を受けて昏倒する。
その間にもレイフォンは、止まらない。それまで怠けていたせいもあり、ニーナ・アントークとの距離がそれなりに開いている。
学生武芸者ならば旋剄を用いても間に合わない距離だ。
それでもレイフォンほどの実力者ならば、十分に間に合うはずだが、レイフォンは剣を振り上げ、剄を通した剣身を振り抜いた勢いに沿って衝剄を放った。
外力系衝剄の変化、針剄。
衝剄の塊を針のように研ぎ澄まされて撃ち出された一撃が、ニーナ・アントークを襲っていた第十六小隊のアタッカーを吹き飛ばす。
突然眼の前で仲間を吹き飛ばされ、虚をつかれた形となった第十六小隊の隊員もレイフォンの峻烈な一撃に襲われた。
そして、鳴り響く激しいサイレンの音。
『フラッグ破壊! 勝者、第十七小隊!』
司会のアナウンスが興奮気味に叫び、野戦グラウンドは若者たちの歓声に包まれた。
『やったぜ! 見たか、俺様の腕前! 約束通り二射だ!!』
第十七小隊の狙撃手と思われる男の興奮した声が、やけによく響いた。
歓声に包まれるグラウンドの中心で、第十七小隊の勝利を引き寄せたレイフォン・アルセイフは呆れるほど無防備に地面へと倒れこんだ。
「な? あの手のタイプは優柔不断だと相場は決まってる」
「なるほど。君は、なかなかの観察眼をもっているようだね」
「褒めても何も出ないぞ。俺は貰う側なんだからな」
俺の軽口にも相変わらずの微笑みを浮かべるカリアン。
モニターの向こうで倒れているレイフォン少年に同情してやってもいい気分になってきた。
試合後、しばらく必要な手続きとやらの書類にペンを走らせていると荒々しくドアが叩かれた。
「入りたまえ」
さきほどから変わらぬ柔和な声と頬笑みがドアの方へと向けられる。
どうやら扉の向こうに居る人物がここに来ることはカリアンにとって予定通りだったようだ。
蹴り破ったかと思うほど乱暴に開かれたドアから現れたのは、先ほどまで野戦グラウンドで戦っていたニーナ・アントークだった。
整った顔に汗と土砂を混じらせ、短いながらも風によくなびく繊細な金髪も汚れている。
生徒会長に会いに来るならシャワーくらい浴びてきてもいいような気がしないでもない。まあ、俺は気にしないけどな。
部屋に入って、カリアンの隣で俺を値踏みするように見ていたおっ――武芸長のヴァンゼ・ハルゼイがいるのを確認し、一呼吸分の落ち着きを取り戻したニーナは入口で立ち止まり、礼をやり直した。
「武芸科三年。ニーナ・アントーク。入ります」
「どうぞ」
苦笑をやめないままにカリアンは言い、わざとらしい賛辞を述べる。
「初戦の勝利、おめでとう」
なんとも白々しい台詞にニーナは柳眉を逆立てる。
俺もその気持ちを共有できる立場にあれば、もっと楽にこの場に居られただろう。
「……どういうことですか、あれは?」
「ん? なにがだね?」
カリアンの調子に合せることを拒むようにニーナが問うも、カリアンは惚けたふりをする。
「レイフォン・アルセイフです。 彼がただ者ではないということも会長はご存知でしたね?」
そんなカリアンの態度にもニーナはしっかり耐えて問いを続ける。
実年齢がニーナくらいの頃の俺ならカリアンの態度に臍を曲げていただろう。
「どうしてそう思う?」
「よく考えれば、おかしな話です。入学式の一件は、確かに見事なものでした。しかし、それから一度も彼の実力を確かめないままに、貴方は彼を武芸科に転科させ、わたしに小隊員として推薦した。あの時の段階では、あの件は偶然上手くいっただけと考える者も少なくなかったでしょう。しかし、その後なんの干渉もないというのは、会長の性格からしてあり得ません」
「しかし、君はレイフォン君を受け入れた。君もあの一件には感服したのではないのかね?」
「わたしは彼を試しました」
なるほどのう。
人員不足だった第十七小隊にカリアン直々に推薦された新米隊員の実力が自分の予想をはるかに上回っていた。
一学生としての実力を完全に超越したレイフォン・アルセイフとは何者なのか?
それは俺も気にならないこともない。
あれだけの強さがあれば、どこの都市でも手放すようなことはしないはずだ。
自分から出てきたというのならわからんでもないが、そうすると今度はヤル気の無さがよく分からなくなる。
「そうだな」
と、カリアンの隣でヴァンゼが頷いた。
彼の視線がチラリと、第四試合が始まろうとしているモニターに移り、それからカリアンに戻る。
「さっきからのお前の言い草は、レイフォン・アルセイフが何者であるか知っている様子だった。あいつのことを事前に知っていたのではないか?」
ヴァンゼもレイフォンの素性については知らないらしい。
やれやれと首を振るカリアン。
「他所の都市の情報など、そうそう手に入るものではないよ」
それは事実だ。しかし、カリアンが言うと疑いたくなるのは何故だろうな。
「彼を知ったのは、偶然だ」
降参を示してカリアンは両手をあげた。
いちいち芝居がかった言動はやめた方がいいと思うぞ、若人よ。
「君たちは、この学校にどうやって来た?」
「放浪バスに決まっている」
鼻を鳴らして即答するヴァンゼ君にカリアンは首を振る。
というか、もっと言葉の先を読もうよ武芸長。
「それは当たり前だよ。私が言いたいのは、その経路さ」
「経路?」
「そうだ。放浪バスのすべては交通都市ヨルテムへと帰り、ヨルテムから出発する。移動する都市の行方を知っているのはヨルテムの意識だけだからだ。しかし、ヨルテムから真っ直ぐここに辿り着けるわけではない。よほど近づいていない限り、いくつかの都市を経由することになる」
ニーナとヴァンゼが頷く。
ちなみに俺は頷くことなく、書類の必要事項に記入を続ける。
何しろ、交通都市ヨルテムに言ったことなんて一度もないし、都市へやってくる時も基本は一直線だったから、彼らの認識を共有することはできない。
「私はツェルニに来るのに三カ月かかった。その途中、立ち寄ったのが彼の故郷であるグレンダンだ。そこで私は運良く、天剣授受者を決定する大きな試合を見ることができた」
「天剣……とは?」
ニーナがカリアンに訊ね、ヴァンゼにも視線を向ける。
しかし、ヴァンゼは答えることなくカリアンに視線を向けたまま。やっぱり彼も何も知らないようだ。
というか、グレンダンって、あのグレンダンのことか?
「槍殻都市グレンダン。かのサリンバン教導傭兵団を輩出した武芸の盛んな都市ということくらいは知っているね?」
カリアンの確認にまた揃って頷くニーナとヴァンゼ。そして、ひとり頷けない俺だ。
槍殻都市……俺の知っているグレンダンとは違うのか?
「その武芸の盛んなグレンダンの中で最も優れた武芸者十二人に授けられる称号……だけではなく、なにか特別なものもあるようだが、それは余所者の私にはわからないことだった」
話の流れから察するにレイフォンが天剣授受者選定の大会に出ていたということか。
しかも、六年のカリアンがツェルニに来る頃ということは、レイフォンの年齢は十歳前後ということになる。
その事実にニーナとヴァンゼも気付き、わずかに動揺する。
「いるところには居るもんだな。真正の天才ってやつは」
これ以上聞き耳を立てていても、場の空気に同調できないと思い、ちょうど書き終えた書類をカリアンの執務机に放る。
「私もそう思ったよ。私よりも小さな子供が、大の大人を軽々と薙ぎ倒す姿なんて、この目で見なければ信じることができなかったよ」
同感……と頷いてやりたかったが、別に想像できないほどではない。
俺にとってはこの世界そのものが夢幻のようなモノなのだ。そして、汚染獣なんて大怪獣も蔓延っている。今さら子供の超人が現れても驚くほどではない。
「入学志願者の書類に、奨学金試験の論文にその名前があるのを、私が見過ごすようなことはなかった。それほどに彼のことは私の記憶に鮮明に焼き付いている。そして、今のこのツェルニに彼が来る。救世主が現れたと思ったよ。同時に、なぜ彼がグレンダンを離れるのか理解できなかった。しかも、入学願書には一般教養科とあった。武芸者として完成しているといっても良い彼が武芸科を選択しないことは分からないでもない。しかし、まったく疑問に思わないはずがなく、私はできうる限りの手を使って調べた。調査の結果が届いたのは彼が来る前日だった」
何やら熱弁するカリアンと心此処にあらずな様子のニーナを尻目にふかふかなソファーから腰を離して立ち上がってヴァンゼ君の武芸科関係の書類を手渡す。
「それで? 俺の試験はいつにする?」
「ああ、そうだったな。対抗試合も各隊が一戦目を終わるまでは、いろいろと忙しいからな。二、三日待て」
「りょ~かい。んで? 俺の持ち込んだ錬金鋼はいつ返してもらえるわけ?」
今回の目覚めの際に所持していた黒い錬金鋼。
ツェルニに辿り着く前に不思議バスの中である程度の感触は確かめたが、実際に振り回したことはまだない。
感触に馴れたいし、設定や調整も早めに行っておきたい。
「試験の日程が決まり次第、こちらから連絡する。それまでには、保管係の方に話は通して置くからそれまで待て」
「そ~かい。んじゃ、俺はこれで失礼しますわな。会長さんも学費と小遣いの件、忘れんでくれよ?」
「それは試験の結果次第だよ」
頬笑みと共に眼鏡のレンズを光らせるという驚きの特技を披露してくれたカリアンの視線に見送られ部屋を後にする。
扉を閉じた向こうでは、まだニーナがカリアンの話を聞いているようだったが、俺の話ではないようだったので盗み聞きするのはやめた。
生徒会室でカリアンからレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフの過去の一端を知らされたニーナ。
そのニーナを机越しに見据えるカリアンは、その銀色の瞳をさらに深い光を燈す。
「さて、レイフォン君をこのまま第十七小隊で使うも、どうするも君次第だ。もちろん、私としてはここで君たちに終わってほしくないと思っている」
カリアンの言葉に返事をするだけの気持ちの整理が済んでいないニーナは、押し黙ったままカリアンの視線を受け止める。
そんなニーナの迷いに常の微笑みを向けたまま、レイフォンの時と同じく数枚の書類をニーナに差し出した。
「これは……さっきの?」
「そう。――少しばかり遅めの新入生だよ」
「……彼が何か?」
カリアンが何を言おうとしているのかはニーナにも予想はついた。
今の自分にそんなことを言うはずがないが、カリアンならばあり得る。
そして、この状況で話を持ち出した以上、彼もまたわけありであることは確か。
しかし、ニーナにはそれ以上に耳に残るモノがあった。