――連合軍と対峙する虎牢関。
汜水関から退却してきた華雄の報告より遥かに多いその兵力に、軍師である陳宮と対策を練ろうとした時のことである。
「――はぁ!? 華雄が出撃した!?」
華雄が汜水関の二の舞と言わんばかりに、再度暴走して出陣してしまったという。
正直に言ってしまえば、それを助ける義理も義務も霞にはない。しかし長期的に篭城して敵を防がないといけない以上、兵の士気の維持の為にも友軍を見捨てることも出来なかった。そんな華雄を連れ戻そうと、恋と一緒にやむなく虎牢関を出陣する霞。
先行する華雄を見た霞は、そこに妙な違和感を覚えた。
華雄の突撃を受けた連合軍の前衛が、あっさりとその陣形を崩していったのだ。じわりじわりと後退しつつ、中央を突破されたような形で左右真っ二つに。霞も最初はそれを連合の連携の脆さが出たのかと思っていたのだが、こうも綺麗に分断されるという布陣はあまりに不自然すぎた。
「あの馬鹿の中央突破を受け、敵は二つに分断されている…………それなのにこの不快感は何や?」
表面的には勝っている筈なのに、むしろそれが余計に霞の不安を煽る。
同じような違和感を持っているのか、隣を走る恋の表情も険しい。しかし具体的にそれが何なのかまでは、二人共にまだわからない。
(……恋の勘は鋭いからなぁ。とにかく華雄を止めんことにはどうにもならん、か……)
速度を上げ先行する華雄に追いつこうとした時、その不安は現実のものとなった。
華雄と合流しようと霞達の軍が連合の陣に食い込んだ時、分断されていた敵が急速に前進を始めたのだ。左右に分かれた兵が、突撃した霞達の両側から虎牢関の間を遮断していく。更には敵本陣の両翼がそれを追従し、霞達を完全に包囲しようとする。
「――ちっ! ようやってくれるわ!」
それを馬上で見過ごしながら霞は毒づく。先行する華雄だけでなく、後に出た自分達までを包囲しようとは思いもしなかった。虎牢関に置いてきた陳宮がいれば、最初の敵の動きで策を読めたかもしれない。
しかし、こうも包囲されていく様をただ見過ごすのは甚だ不本意である。……生憎とそれを防ぐ手段が霞達にはなかったが。
今から逆進する敵を討とうにも、突撃中の騎兵の機動力による勢いでは地形的に左右の崖にぶつかってしまうのだ。逆に歩兵では、全速で移動する敵に追いつくにはあまりに遅すぎる。かといって全軍の前進を今更止めてしまっては、騎兵が主力である董卓軍の攻撃力をただ無意味に激減させるだけでしかない。それこそこちらを消耗させたい敵の思う壺だろう。
ならばいっそのこと、この勢いのままに敵の大本営に突撃する手もある。
(しかし突撃するにしても、これだけの布石を打ってきた相手や。おそらくその大本営も、ガッチガチに固めてるんやろうな……)
猪突猛進したとはいえ華雄の突撃をここまで耐えているところを見ると、おそらく袁紹本陣の兵を相当増やしているのだろう。それだけの布陣であれば、騎兵の勢いを以てしても突破は容易いことではない。
最終的には全体の足を止められ、打たれ弱い騎兵ではそのまま包囲殲滅の憂き目をみるだけである。
「……やれやれ。どこか連合なんぞ名ばかりの烏合の衆、とでも侮っていたのかもしれんなぁ……」
霞は飛龍偃月刀を振るいながら溜め息をつく。
だからといって簡単に敗北を認めることは出来ない……一軍を率いる将としても、洛陽で待つ無実の罪を着せられた少女の為にも。
ならば董卓軍の将軍張文遠として、打てる手は出来るだけ打っておくに限る。
「しゃーないな、まずは華雄と合流してから考えるか……」
とにかく先行する華雄と合流して、兵をまとめることが先決だ。
敵も賢いだろうから、完全に包囲を布いてこちらを死兵と化すことはないだろう。適当に逃げ道を作り、そこへ誘い込みつつ消耗を謀ってくる筈。虎牢関に逃げるにしても、ここから反転して敵に背中を晒す危険はあるが、少なくとも敵本陣に突撃して玉砕するよりは被害は少ない。虎牢関にさえ近づけば、陳宮と呼応して当たることも出来るだろう。
後方の包囲を破ろうと部隊を編成しようとした霞の側に、真剣な顔の恋が寄ってくる。
「……霞」
「お~丁度ええわ、恋。ウチが今華雄の奴を引っ張ってくるから、後方を突破する用意をして……」
しかし、恋は首を横に振った。
「……恋? どないしたん?」
「…………総大将、討ってくる」
方天画戟を掲げ、視線を敵正面へと向けている恋。
その姿を見た霞の全身が粟立った。
正面に展開する数万の兵を見ても、最強の『武』である彼女はまるで動じていない。
しかも敵の総大将との相打ちではなく、討って『くる』……つまりは戻ってくると言っているのだ。流石の霞もあれだけの大軍に突っ込み、総大将を討ったその上で戻ってくるなど考えられない。間諜の情報では、連合には相当の豪傑が揃っているとも聞いている。
『天下無双』と謳われた呂奉先でなければ、何の冗談だと笑っていただろう。
「――やれるか?」
「……恋、強い。大丈夫」
「そっか。でも時間はあまりかけられんから……せやな、総大将の所までの一往復だけやで?」
恋がいくら強いとはいえ、無尽蔵の体力があるわけではない。
包囲網を突破して虎牢関に引き返すことも考えると、兵の数はそれなりに必要だ。敵本陣に向かう恋が総大将を討つまでの間、この包囲された状況で軍を維持しなくてはいけない。そんな繊細な指揮をあの華雄には任せられないし、自分はここで踏ん張る必要がある。
味方の援護はなく、恋の完全なる単騎駆けということだ。
「ええな、恋。総大将を討てても討てなくとも、その一往復で引き返すこと。……あと出来れば敵の牙門旗も奪ってきーや」
総大将の側には、軍の象徴たる牙門旗がある筈だ。
その牙門旗を首尾よく奪えれば連合全体の士気を下げることが出来るし、包囲を突破する際に敵の動揺も誘える。
「……わかった」
あっさりと頷く恋を見る霞の心境は複雑だ。
自分で言うのもなんだが、それらの要求は無茶な振りにも程がある。無謀な出陣をした華雄を救う為、敵の策に引っ掛かって包囲された自分達の兵を救う為、恋一人にこれだけ負担をかけるなんてありえない。
どれだけ自分達に甲斐性がないかを自覚させられる。
――しかし、今はそれに頼るしかないのだ。
「――全軍方円陣! 敵の攻勢に耐えつつ、『天下無双』の勇姿をその目に刻めぇ!」
馬上にて飛龍偃月刀を掲げ、霞は兵を鼓舞する。
騎兵主体の董卓軍では、方円陣を組んだとしても歩兵よりは防御力に欠けるだろう。しかし周りを包囲されて騎兵の機動力を削がれている以上、軍の統制出来なければただ殲滅されるだけである。この場合、少しでも陣形を整えた方がマシなのだ。
そして霞の鼓舞の声が上がると同時に、恋が単騎で敵本陣に突撃していく。
彼女の目に迷いはない。ならば霞に出来ることは自分の持つ最大限の用兵の限りを尽くして、あの優しい恋が望むように一人でも多く兵を救うだけだ。突出していた華雄もようやく包囲されたことを理解したのか、兵の密集化を計っている。
(遅いっちゅーねん、あの馬鹿華雄! 恋にこれだけ負担かけさせてからに……生きて戻れたら一発どついたる!)
心の中で華雄に毒づきながら、霞は最強の『武』の行方を見守る。
単騎で自軍を飛び出した恋が、堅固な敵本陣に接敵した瞬間――冗談のように先陣の敵兵が爆ぜた。その光景に、思わず敵味方全ての時が止まる。
「…………討つ」
今ここに、天下無双の飛将軍――呂奉先という最強の矢が放たれた。
三国志外史に降り立った狂児 第五話「天下無双」
――それはあまりに『ありえない』地獄絵図。
その光景は人の常識の範疇を遥かに超えていた。
当初の作戦通りに敵を包囲し、騎兵の機動力も封じたのだ。あとはただ只管敵兵を殲滅するだけだ、と兵の誰もが勝ち戦を信じていた。敵陣から単騎で突出してきたそれを見て、自棄になった愚か者だと兵達は嘲笑う。
「――は?」
だが次の瞬間、その兵達は身体を両断されて宙を舞っていた。
接敵した鉄の鎧を纏った兵達を、まるで布の様に容易く切り裂いて進んでいく。単騎で駆ける『方天画戟』を持ったその者の正体を、ようやく連合軍の兵は理解する。……董卓軍では誰もが知っている天下無双の飛将軍。
その進行方向に立っていた一人の兵が、その恐怖の象徴である名前を叫んだ。
「りょ、呂布だぁーっ!?」
恋のその一振りで、あまりにも圧倒的に兵の命が刈り取られていく。
自分の身に迫る戟を防ごうと、持っている武器を盾にしてもそれごと両断されてしまう。そんな光景を目の当たりにした連合の兵は、当然のように恐慌状態へと陥る。そしてその混乱に乗じて、恋は更に敵本陣の奥深くへと突き進む。
『袁』の牙門旗をようやく目視に捉えた時、既に数百近くの兵が恋というただ一人に蹂躙されていた。
「…………見つけた」
その近くに豪華な金の鎧を纏った偉そうな人物が立っている。
おそらく彼女がこの連合の総大将である袁本初。
馬首をそちらに向けると、その行く手を遮るように三人が現れる。総大将と似た金色の鎧をつけた大剣を持つ少女と大槌を持つ少女、そして白銀の槍を持つ少女の三人。それまで薙ぎ払ってきた一般兵とは違う『武』の気配に、恋は少し気を引き締めた。
「お前が呂布……」
「……時間がない」
一人が前に出て名を尋ねようとしたが、そんなことに付き合う義理はない。
何処かの誰かと違って、恋には武人の誇りなどというものに拘る気はないからだ。これは所詮戦争、故に容赦なく先制攻撃を仕掛ける。
「――ちょ、おまっ!?」
何とかそれを大剣をしっかりと『両手』で持って防ぐ少女だが、しかしその恋の一撃は『片手』での攻撃。そこで姿勢を崩した少女に、もう片方の手でその鎧に覆われていない腹部を強打する一撃は防ぎようがなかった。
「……まず、一人」
胃液を吐きながら馬上から叩き落される少女。
地面で悶絶する少女には既に目もくれず、恋はただ前進を続ける。――牙門旗まで、あと二百。
「文ちゃん!?」
最初に倒した少女を心配して飛び出した少女を、次の標的として恋は戟で斬りつけた。
かなり動揺はしていたが、同じく武人である彼女は大槌でそれを受け止める。扱う武器の大きさからか、さっきの少女よりは多少膂力が強く、その一撃だけでは彼女の姿勢は崩れなかった。
しかし、一撃の重さだけが恋の……『天下無双』の強さではない。
「…………遅い」
正面からの斬撃だけでは崩れないとみるや、瞬時に左右からの揺さぶりをかける。
その目にも留まらぬ斬り返しに、徐々に防御一辺倒な少女は押されていく。完全に守勢にまわったと判断すると、恋は隙を見て少女の乗る馬の首を一撃で落とす。少女はその武器の大きさが仇となり、馬の首を落とす一撃に反応しきれない。
「――きゃあっ!?」
首を失い、動きが不安定な馬から少女は飛び降りようとする。
だがその瞬間を逃さずに繰り出された突きの一撃……武器の大きさを盾に何とか少女はそれを防ぐが、その勢いを完全に殺すことは出来ずに後方へと吹き飛ばされた。勢いよく地面に叩きつけられた為、少女は上手く受身を取ることが出来ない。
当たり所が悪かったのか、少女は動かなくなる。……おそらく気絶でもしたのだろう。
「……二人」
恋と総大将までの間にいる護衛は残り一人。――あと百。
「ば、馬鹿か、あの二人は! 三人で『同時』に当たれって言われてたのに……」
最後の一人が何やら吼えているが、そういう彼女も『同時攻撃』をしていないのだが……まあ、恋には関係ないことだ。
正面から突撃する恋を迎撃しようと、最後の少女が槍を繰り出してくる。その攻撃速度は、恋にも勝るとも劣らない速さがあった。だがしかし、恋と比べてしまうとその少女の攻撃には圧倒的に足りないものがある。
「…………速い、けど軽い」
「何、だとっ!?」
自分の攻撃を軽んじられ、激昂する少女は更に苛烈に攻めてくる。
しかし微塵とも慌てることなく、恋はその攻撃を受け流す。そして少女の突きの一つに合わせて、恋も戟による突きを繰り出した。そう、限りなく精確に『点』と『点』を合わせるように。
「――え?」
武器の先端が衝突した瞬間、槍を持ったまま少女は後ろに吹き飛んだ。……その両肩から嫌な音を響かせながら。
そのまま地面に叩きつけられた少女は、自分に何が起きたのかが理解出来ていない。
(……何が、起きた……んだ?)
少女は両肩を襲うあまりの痛みに思考が乱されていた。
それはただ二人の純粋な力比べで競り負けたその負荷が、槍を持っていた腕の先の肩に逆流しただけである。もし、その本能を以て身体を後ろに流していなければ、槍を持った腕ごと引き千切られていたかもしれない。それほどまでに恋の膂力との差があったこと、それに少女の膂力も高かったことが仇となったのだ。
衝突のその瞬間に武器を放せば負荷はかからなかったが、その場合はあの呂布の前に無防備を晒してしまう。それならば肩への負荷を覚悟して、その攻撃範囲から逃れる方がまだマシだっただろう。
ただ、今回のそれは少女が意識してとった行動ではなかったが。――袁紹の頸まで、あと三十。
「……これで、三人」
三国志における豪傑……文醜、顔良、馬超の三人を相手にこの結果。
直に見ていた袁紹には、さぞ悪夢のような光景だろう。軍同士の戦いではこちらが向こうを包囲して圧倒しているのに、今ここで連合盟主である自分の命運が尽きようとしているのだから。
「……お前で、最後」
「――ひぃ!?」
凄まじい殺気を放つ恋に睨まれた袁紹は、蛇に睨まれた蛙の如くに硬直する。
そして恋と対峙してのその隙は、あまりにも致命的すぎた。
そこまでの距離をあっという間に詰め、連合の命運共々をこの一撃で打ち砕こうと方天画戟が振り下ろされる。袁紹本人は身を守る為の剣すら抜いていない状態。その光景を見た誰もが、次の瞬間には血塗れの袁紹の姿を想像したことだろう。
「…………!」
しかしその一撃は、三本の剣によって防がれていた。
馬上からの呂布の一撃を、徒歩の二人の少女が懸命に防いでいる。
「……危ない所だったわね~?」
「やれやれ、飛将軍を相手に一人ずつ挑むとはなんて無謀な……」
一つは褐色の美女が持つ『南海覇王』という剣。
それを扱う美女の口調は軽いものの、持っている武器にかかっている負荷から額に汗を浮かべている。少しでも力を緩めれば、すぐさま一刀両断されてしまうかのようなその圧迫感を押さえているのだから、それも当然だろうか。
残りの二つの剣は、珍しい給仕服を着た少女……太史慈が両手に持っているもの。
二本の剣を交差させ、そこにもう一人の剣を合わせての三本の剣が、連合盟主の命運を刈り取ろうとしていた呂布の凶刃を防いでいた。ただその太史慈の表情も見る限り、相当にギリギリであったことがわかるだろう。
ちなみにその守るべき連合盟主は、その一撃を防ぐ際に太史慈に腹部を蹴られ、少なくとも今は呂布の攻撃範囲を逃れている。まあ、その衝撃で気絶していたが。
「…………残念」
必勝の機を逃したと悟った呂布は、早々に武器を収めて馬首を翻す。
「あら? 盟主の頸を討っていかないのかしら?」
呂布の尋常ならざる膂力から解放されたばかりだというのに、褐色の美女はあちらを挑発している。
しかし、二人掛かりで受けたというのに武器を持った腕が痺れている太史慈としては、ここで今すぐの再戦は遠慮したい。おそらく隣の彼女の腕も相応に痺れている筈なのに、わざわざ挑発をかますその不敵さには呆れてしまう。
「……時間切れ。それに、もう一つは遂行したから」
そう言った呂布を見た太史慈の顔に、初めて驚愕の表情が浮かぶ。
正確には呂布の武器を持っている手とは反対の手……そこに握られている物を見ての驚愕である。
「――っ! それは『袁』の牙門旗!?」
いつのまに、と言葉を発する前に呂布は後退していく。
盟主を討ち損ねたと判断すると同時に、すぐ側にあった牙門旗を奪っていく……その引き際の良さには感嘆するしかない。
無防備に背中を晒している呂布を見て、隣の彼女は太史慈に声をかける。
「……あなたはどうする? アレ、追撃した方がいいと思うんだけど……」
「やめた方がいいですよ? 多分追撃しようとした瞬間に馬首を返されて、今度こそ確実に盟主の頸を討たれそうな気がします。……というか、もう一回『アレ』と打ち合うなんて私は御免被りたいですね」
一対一でアレに勝つことは出来ない。
それは呂布が後退していく道に倒れている三人の将軍の姿を見ればわかる。
先程の一撃も、二人掛かりで完全に防御にまわったからこそ防げたのだ。ご主人様の忠告にあったように、攻撃を受けようとした二人が少しでも反撃しようとしていたら、そのまま盟主ごと太史慈達も両断されていただろう。
全く、噂以上にふざけた存在だと言ってやりたい。
「――ところで、あなたの名は?」
「人に名を尋ねる時はまず自分から、では?……まあいいです、名は太史慈、字を子義と言います」
予想外の呂布の突撃に着替える暇もなく急行してきた為に、太史慈は給仕服のままだった。
そのスカートの裾を両手で摘み、軽く頭を下げる。大陸の礼節とは違うらしいのだが、魯家ではこのような作法が教えられていた。最初こそ中々慣れなかったものだが、今では普通にこなせるようになっている。
「それは失礼したわね。私の名は孫策、字を伯符……」
「――ああ、袁術のところで客将をやっている方でしたか……一介の民間人が大変失礼を致しました」
「へ? 民間人って、その……本当に?」
「私は公孫賛様の所に賓客として招かれている方の一使用人にすぎません」
給仕服を着て真面目に返す太史慈。
それを見る孫策の顔は、驚きや呆れに満ちていた。
「一使用人って……私と一緒とはいえ、あの呂布の一撃を受けられる者が? 何の冗談よ、それ……」
まあ普通に考えればありえないことだろう。
だがそんな普通という常識に囚われないのが、太史慈が仕える魯家の方針である。
「あまり気にしないで下さい。それよりも呂布のことですが……」
「ええ……第一段階は失敗だったけど、第二段階の役者は揃ったみたいね」
後退していく呂布の前に、数人の将が立ち塞がっていた。
身の丈八丈にもなる蛇矛を振りかざす張翼徳、青龍偃月刀を掲げる美髪公こと関雲長、白銀の槍を構える常山の趙子龍、大刀を肩に担ぐ夏候元譲に弓を構える夏候妙才。『蜀』と『曹魏』の誇る勇将が、一同にして揃うその様は圧巻である。
流石の『天下無双』でも、これだけの豪傑を五対一で相手にするのは無理だろう。
しかし太史慈の予想は、こちらの想像を上回る形で覆されることとなる。
――呂布、最強の『武』。
後退しようとした呂布の前に対峙するのは、歴史に名高い勇将五人。
「呂布ーっ! 勝負なのだぁーっ!」
声を上げた張飛を切欠に、その『武』の激突が始まる。
――動中静あり。
すれ違い様に、先行した張飛の一撃を方天画戟で弾く。
その小さな身体では、呂布に返された力の勢いは殺しきれずに後方へと流れた。自分の攻撃を簡単に弾かれたことに驚愕しているのか、着地に成功した張飛は呆然としている。
「鈴々!?」
義妹の強さを知っているからこそ、その一撃を弾かれた姿を見て動揺する関羽。
――いっさいの気勢を外に漏らさず。
されど、武人としての本能から関羽の動きは止まらない。張飛の後を追うように攻撃をかけるその線は、迷うことなく人体の急所を追っている。もちろん並の武将では受け止められないような重さと速さを兼ねた一撃。
しかし、あまりに綺麗に急所を狙った所為か、その軌道は呂布に読まれていた。
――動作は最小にして神速!
「…………無駄」
当然のようにその攻撃も受け流すと、そこに関羽とは反対側から趙雲が神速の突きを繰り出してくる。
本当なら関羽と同時に仕掛けた攻撃だったのだが、張飛が弾かれた姿を見た関羽の踏み込みが少し早まってしまったのだ。あの呂布を相手に間隔を空けてはならないと判断した趙雲は、せめて間断ない一撃を加えようとする。
関羽の攻撃を受け流した方と反対の手には奪われた牙門旗しかない……つまり武器や盾を持っていないということ。いかに神速の技を持つ呂布でも、この間断ない一撃に利き腕の武器で斬り返すことは不可能。
だが呂布は上半身を捻ることで、その必殺の槍の穂先を避ける。
そして趙雲が持っている槍の柄を狙い、その膂力を以て牙門旗を叩きつけた。あの呂布を相手にしているのだから、ただの牙門旗といえど武器と認識しなかったのは失策である。横からの強烈な一撃に、流石の趙雲も体勢を崩してしまう。
「な、なんとぉーっ!?」
呂布の所業に驚く趙雲だったが、そのまま体勢を立て直さずに馬から転げ落ちる。
「…………惜しい」
その騎手のいなくなった馬上を、呂布の利き腕による斬り返しが空振っていた。もし趙雲が体勢を崩した状態で馬に乗っていたら、今の一撃は防ぎようがなかっただろう。……自分の直感に素直に従って回避して、助かったと喜ぶべきか。
土埃に塗れた趙雲は、後ろを振り向きながら苦笑を浮かべるしかない。
――技は緊密にして、とぎれることなくあくまで合理!
既に三人の猛将を御した呂布は、眼前に迫る夏侯淵の矢すら容易く弾く。
ただ夏侯淵の攻撃は一矢で終わることはなく、間断なく呂布を射止めようと襲っている。槍の一撃よりは軽いが、呂布とてその身体を全て鉄で覆っているわけではない。仕方なくその矢の対処に専念していると、正面から一人が飛び掛ってきた。
「姉者、今だっ!」
「――その頸もらった! 呂奉先!」
しかし、そんな夏侯惇の乾坤一擲の一撃も、呂布の武器を弾くことすら敵わない。
――呂布が退路を開くことに徹すれば。
方天画戟と牙門旗を交差させ、夏侯惇の大刀を後ろへと受け流す。
――『天下無双』と謳われたその『武』を遮ることは、万人の刺客であろうと敵うまい!
受け流した反動で地面を武器で抉りながらも、呂布は敵本陣を後にする。
自軍に後退した呂布は兵に『袁』の牙門旗を焼かせ、その混乱を突いて包囲されていた張遼らと見事虎牢関への退却を遂げた。もちろん呂布が敵本陣へ一往復している間の、包囲を布かれた軍の被害は甚大である。しかしその呂布の活躍がなければ、包囲を抜ける際にそれ以上の犠牲が出ていたことは確かだろう。
全体的に見れば連合軍の圧倒的勝利なのだが、局地的に見れば完全敗北とも言える。
たった一人の存在を、群雄諸侯が誇る豪傑をあれだけ集結しておいて討ち取れなかったのだから。挙句には、その本陣にて牙門旗すら奪われる始末……そう意味では面目丸つぶれとも言える。
今回の戦いにおいて……呂布が相対した一騎当千の猛者の数は十、屠った兵士の数はおよそ千。
――これぞまさしく『万夫不当』。
――公孫賛軍後方陣営。
天幕に戻ってきた太史慈の報告を聞いた魯粛は溜め息をつく。
「……大魚を逃した、か。あれ程一対一で当たるなと言っておいたのにな……」
この時代における最大の武力チート。
というかいくら一対一だからといっても、あれだけの歴史的に有名な猛将を踏破するとか……正直ありえん(笑)。
もはや人の『武』の範疇を超え、あれは野性の『龍』と言っても過言ではないだろう。人の身で如何こうしようなど、そもそもが間違いだったのかもしれない。
それが誇張や冗談ではないのだから困ったものである。