──結果として連合軍は呂布軍を『ほぼ』壊滅させた。
しかし肝心の呂布だが、残念ながら百近くの敗残兵と共に脱出を許してしまったらしい。それでもあの呂布を相手にしての戦果なのだから、十分すぎると言ってもいいだろう。そもそもこれだけの殲滅戦自体、戦争として非常識なものである。
今のところ一番被害が大きいのは、呂布軍と真っ向からぶつかっていた袁術軍、次に元々の兵力が低かった劉備軍。派手に蹴散らされてはいたものの、元々の兵力的に袁紹軍はそこまでの被害ではなかったらしい。聞いた話によると、顔良文醜両将軍の代わりに全軍の指揮を取った将の名は張儁乂だそうな。
時期的に袁紹軍にいてもおかしくはない人物なのだが、それまで大して目立っていなかったのは単純に袁紹軍らしくない人柄が原因と聞く。盟主を見れば明らかだが、袁紹軍は賀斉以上に華美を好む風がある。その反面、この張儁乂……張郃はかなり地味な風格なので、袁紹軍では相当に浮いていたそうだ。まあ地味とは言っても、魯家の皆のように十分『美少女』の範疇ではあったが。
呂布との戦いで怪我をした両将軍の代わりに、堅実かつ効果的な戦術で呂布を迎え討った張郃は、その功から顔良文醜に次ぐ将軍の席をもらったとか。相変わらず公孫賛に死亡フラグが建ちまくっているが、こればかりは魯粛にもどうしようもないので仕方ない。
せめてもの手向けというか、幽州方面で有能そうな人物をそれなりに紹介しておくことにした。この世界の公孫賛はそこまで名士コンプレックスはないようだから、誼を結んだ魯粛からの紹介であれば受け入れてくれるだろう。
幽州方面で定番と言えば、劉備に引き抜かれている可能性もあるが『田豫』辺りが有力候補だろうか? 少し距離は離れるが、時期的に曹操に降る前の『徐晃』辺りの勇将を引き抜くのもありかもしれない。趙雲が早々に抜けてしまっている以上、とにかく人材を数多く揃えておかなければ、公孫賛は正史よりも早期に滅亡してしまう。……まあ所詮、それも問題の先送りでしかないのだが。
それは魯粛自身の自己満足とも言い換えられることでもあった。
一方残りの曹操軍は張遼軍と機動力戦をしていたらしいが……大将の張遼を早期に一騎打ちで捕獲した為か、用兵に勝る曹操軍が圧勝したそうだ。噂に名高い張遼の神速戦法も、本人が指揮していないのでは大した効果は望めない。張遼の欠けてしまった生半可な用兵術では、あの曹操に匹敵することは適わなかったのだろう。
呂布軍とは少し違い、こちらの張遼軍は張遼ただ一人を残して全滅したらしい。特筆すべきは、非常識なことに誰一人として降伏勧告を受け入れることはなかったという。その所為か、曹操軍にしては珍しいほどの被害が出てしまったそうだ。
まあそれでも、被害を最少に抑えることが出来る辺りが曹操の凄いところだろう。
ちなみに当然のことながら、公孫賛と馬超の軍はほぼ無傷である。
現在は洛陽前で各々の軍が再編成中で、賓客扱いの魯粛達も暇を持て余していた。
「……ご主人様ー、暇ですねー?」
「それは仕方ないな。向こうの軍事力はほぼ排除したとはいえ、ここからの対応を間違えると色々と危険な要素が残っているし……」
退屈そうな太史慈の言葉に、魯粛は寝転がりながら答える。
危険な要素──言わずもがな、それは洛陽にいる皇帝と民衆のことだ。その二つの要素を、董卓側がどう捉えているかで状況は様々と変わる。もし董卓が皇帝を良く思っていなかった場合、かなり危険な策が待ち構えている可能性が高い。
例えば洛陽中の食料が全て処分されていたとする……当然、民衆は連合軍に食料の提供を望むだろう。仮にも民衆を悪政から解放と謳ってきた連合軍が、それを断るなど考えられない。ただでさえここまでの遠征で消耗している食料備蓄で、洛陽全ての民衆を賄うなど出来る筈もないだろう。大した時間もかからずに連合軍と民衆とで争いが生じ、大暴動にまで発展しかねないわけだ。
そうなれば史実のような虐殺が、董卓ではなく連合軍の下で行われることとなる。
ただ手持ちの軍事力を失った董卓軍が、今更怨恨でそこまでするとは少し考えにくい。その策の場合、皇帝も混乱に乗じて殺すくらいの気概が必要であるし……。
「──となると皇帝も民衆も生かした上で、連合軍に楔を打つわけだが……」
「しかし主殿、それだけの策を董卓側に考えられるものでしょうか?」
賀斉が首を傾げながら訊ねてくる。
ここまでの戦略的にお粗末なところが多々あったわけだが、だからといって過小評価をするのはあまりよろしくない。どこまで正史の三国志を酷似しているか判明していない状況で、賈文和という人物を野放しするほど魯粛は楽観的ではなかった。
個人的には諸葛亮や周瑜よりも、軍師の中では賈詡という人物が一番敵に回したくないタイプである。もちろん味方に欲しいわけでもない、扱いかねそうで怖いし。
「……要は連合軍をここで解散させる流れにするだけだからな。董卓自身の安全が確約されている現状なら、いくらでもやりようはあるだろう」
魯粛でさえ簡単に思いつける程度なのだから、賈文和クラスの軍師がいれば何の問題はない。
まずは民衆を上手く宥めて、連合軍に協力的な態度を取らせる……その辺は政庁の資金を惜しみなく使いまくれば可能だ。既に董卓から洛陽の治政は手が離れているのだから、今更金の出し惜しみをすることもないだろう。そして連合軍の嘘の檄文を知っていながら好意的な態度をとる洛陽の民衆に、連合軍は当惑ながらもその歓迎を受けざるをえない。迂闊に口を塞ごうものなら、諸侯が黙っていないだろうし、当然兵士達がそれに完全に従うとも限らないからだ。
そして、これらはそのまま皇帝の扱いにも同様に左右する。
袁紹が皇帝の立場をいくら望もうと、今回に限らず『連合軍』という名目で立ち上がった以上、他の諸侯がそれを認めるわけがない。いくつかの派閥に別れることもなく、間違いなく袁紹以外の国が全て敵に回る。そのような事態はいかに袁紹が暗愚だとしても、まず確実に部下が止めるだろう。
では、どうなるのか?
董卓は洛陽には既にいないだろうし、それが洛陽での戦闘前に逃げ出していたのなら、一日以上経とうとしている現状では追いつくことは難しい。戦闘後すぐに騎兵で追いかければ可能性もあっただろうが、洛陽を緩やかに包囲しつつ再編成もしている状況ではもう無理だろう。連合軍としては遺憾ながらも、当初の目的の片方を諦める形での解散になるわけだ。
つまりは洛陽の民衆の解放のみ、である。
「ま、無事に蔡邕殿に面会出来るなら何でもいいけど」
「たしかにあの方の史書には興味はあるが……その為にこんな危険に身を置く御主人には、徐州に帰ったら是非とも元歎姉達に説教されてもらわねば、な」
飄々とした態度の魯粛の姿を見て、施然は深々と溜め息を吐くのだった。
三国志外史に降り立った狂児 第十話「帰路」
袁紹軍の天幕の中で不穏な声が響く。
「……もう一度、言って下さるかしら?」
金色の髪を靡かせた美少女、袁紹は己の前にいる人物を睨みつける。その表情にはあからさまな不満な色が漂っており、左右に待機する二人の女将軍……顔良と文醜も、同じような視線を向けていた。
ちなみに両将軍に次ぐ立場となった張郃は、軍の再編成の為に席を外している。
連合軍の盟主を前にしながら、全く緊張感を持っていないその人物……張勲は顔に笑みを浮かべたまま、同じ言葉を繰り返す。
「え~っと、洛陽を開放したらさっさと連合軍を解散しましょう~って♪」
「一体どうしたら、そのような発想になるんですの!?」
笑顔のまま言葉を放つ張勲に、袁紹は苛立ったように声を張り上げ机を叩く。
軍の再編成の打ち合わせにきたと言った張勲から、いきなりこのようなことを言われて理解がついていく者はいないだろう。天幕の中にいる張勲以外の人物は、頭の上に疑問符をつけて当惑していた。
そんな袁紹達の困惑など、まるで気にしていないように張勲は話を続ける。
「ですから~このまま連合軍を維持するのは無駄だと言っているんです~」
「あ、あの七乃ちゃん? もう少し段階をおいて説明してくれると助かるんですけど……?」
他の者よりも早く立ち直った顔良は、今一度張勲に聞き直す。
「う~ん、そうですね~。ではまず、今董卓さんが洛陽にはいないことは想像できますか?」
「はあ? 何言ってるんだ、七乃。あの董卓が洛陽にいないんだったら、他のどこにいるって言うんだよ?」
「……じゃあ逆に聞きますけど、手持ちの軍事力もない無防備な董卓さんが、自分を殺そうとしている連中をただ無為に待っているとでも思いますか?」
文醜の質問に質問で返す張勲。
その突然の切り返しに、お世辞にもあまり頭の回転の速くない文醜は途端に言葉に詰まってしまう。
そんな僚友の窮地を救うべく、顔良は必死に頭を回転させる。
「……たしかに。余程の自殺願望でもない限り、董卓さんが私達を待っている保障なんてありませんけど……現在、洛陽は完全に包囲されています。今更脱出するなんて不可能……」
「ふふふ……発想の逆転ですよ、斗詩ちゃん。たしかに包囲されている洛陽から逃げ出すことは無理でも、包囲されていない洛陽からなら簡単に逃げ出すことは可能でしょう?」
「ま、待ちなさい! 私達が董卓軍と戦っていたのは張勲さんも見ていたでしょう!?」
「ええ、もちろん。ですが、董卓自身が戦場に出ていたという報告は一切ありませんよ? それとも誰か見た人がいたとでも?」
「……っ!?」
そこまで説明され、三人はおおよその事態を理解した。
「で、でも、呂布軍は総大将の董卓さんが既に逃げているのにも関わらず、あそこまで抗戦したっていうんですか?」
「それも逆ですね~。董卓さんが完全に逃げ切るだけの時間を稼ぐ為に、そこまでの徹底抗戦をしたのだと私は認識しています」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
張勲の推察に、思わず言葉を失ってしまう。
皇帝でもない一個人の為に二十万近い兵が命を投げ出すなど、狂気の沙汰以外の何物でもない。漢王朝への不満が爆発した民衆の武装蜂起である黄巾の乱の方が、まだ理由としての説得力があるというものだ。張角という神輿に心酔はしても、所詮は農民の集まり……間違っても無駄な犠牲になるなど、考えにも及ばないはずである。
しかし現実は無情にも、そのような狂気の沙汰を見せつけてしまっていた。
天幕の中に沈黙が続く。
「正直、私としても董卓さんは放置したくないのですが……とりあえず今回は社会的に抹殺ということで良し、としましょう」
「? どういうことですの?」
「簡単に言うなら、董卓さんの死体を偽装します。そして各地の民に、『都で悪逆の限りを振るった董卓は、連合軍の前に敗れ去りその骸を晒した』と風評するんですよ~」
仮にも董卓が再起を図ろうと思わないほどに、その悪評を世間に撒き散らす。
そしてさっさと過去のことにしてしまうのだ。
やり方としては汚い部類だが、他の諸侯達も一度連合軍に参加している以上、今更正義を説こうとも正当性に欠けるという仕組みである。仮に董卓を少しでも擁護しようものならば、自らも道連れに名声を地に落とすことになるわけだ。
流石の袁紹も、張勲のあまりに黒すぎる陰謀に眉を顰めている。
しかし、既に賽は投げられているのだ。『連合軍』を結成し、董卓を追い落とすと決めた袁家としては。
「さて、董卓さんに関しては理解してもらえましたか~? では次に連合軍を解散させる趣旨ですが……」
気付けば三人は、始終張勲の調子に呑み込まれていた。
「もはや何の権威もなく『使えない』天子さまなんて追い出したいところですが、今回それをやってしまうのは少し芳しくありません」
「えー、先送りにする意味なんてあんのか?」
「ええ、困ったことに。一応董卓さんを追い落とす名目で築いた連合軍ですが、ここでつい天子さままで追い落としてしまうと、多方面に余計な反感を買ってしまいますから」
董卓一人を追い落とすならともかく皇帝まで退けるとなると、あまりに狙いがあからさま過ぎる為、連合軍の諸侯の中にいらぬ反旗を翻す切欠を与えてかねない。董卓のついでにと蹴落とすとなると、流石に連合軍を立ち上げる段階まで遡って疑わしく見えてしまう。実は董卓に関しては単なる建前でしかなく、本当は自身が皇帝になりたいが為の陰謀だったのではと勘ぐられる可能性が高い。
仮に強引に押し通したとしても、その後の治政に多大な影響が残るのでは困るだろう。
「……ゆえに、今回は洛陽の解放だけで留めます」
「そうした場合、何かお得になることでもあるんですの?」
無駄な出征で終わりたくない袁紹は、当然のようにその先を促す。
「董卓さんはもう洛陽には戻れません。皇帝が存命していながら、ある意味空白国になるわけですが……董卓さん達の抜けた今の洛陽に、まともな政治の出来る人間はいないと見ていいでしょう」
張勲は一呼吸置いて、言葉を紡ぎ出した。
「このままでは洛陽は荒廃していくばかり……さあ、もし皇帝が自分だったとしたらどうしますか? 現状を省みるに、当然皇帝にはまともな政治能力など皆無と想定して、です」
「え~っと、それは誰か治政の出来る人物を代わりに招聘するのでは?」
「まあ、そうでしょうね。では今回の連合軍の中で、人柄や治めている地域的に最もそれに適う人物とは?」
答えを焦らすかのように微笑む張勲に、袁紹は静かに冷や汗を流す。
まるでそれは、自分達がそう答えるのが必然かのような流れ。
「そ、それは、おそらく洛陽に近い兗州を治めている……」
「そう、その曹孟徳です。麗羽さまと因縁が何かとおありの彼女しかありえません」
汜水関に虎牢関も解放している今、曹操が洛陽に一番近い。
黄巾の乱においても、上手く鎮圧したことから西園八校尉に任じられている。進退窮まった皇帝が、そんな優秀な人物を放っておく道理もないだろう。
洛陽が荒廃する前に、間違いなく彼女を招聘する。
「その時が好機です、麗羽さま。一度ならばともかく二度も専横を許すような漢王朝に、もはや誰も存続の目を見ることはないでしょう」
曹操が洛陽に入ったという事実のみが必要なのだ。
例えどれだけ曹操が仁政を敷いたとしても、今回のように風評を味方につけてしまえば話は早い。大衆というものは、いつだって大きいものの方へと流されやすい性質である。だからこそ今回の『反董卓連合』も結成出来たわけだ。ついでにこの場合、本来なら許されざる皇帝からの禅譲も、世間からこれだけ見放された漢王朝であれば穏便に済ますことも出来るだろう。
袁紹が北から攻めるのであれば、共謀して袁術が南から攻めるという策もとれる。
何にせよ、確実に天下は袁家のものとなるのは間違いない。
袁紹が曹操を目の敵にしていることを利用したこの策に、頭脳派でない三人は簡単に丸め込まれてしまっていた。
「……わ、わかりましたわ。では今回はそのようになさってもらえるかしら?」
「は~い♪ では私はお嬢さまにその旨、極秘裏にお伝えしておきますね~。ついでに他の諸侯にも、連合軍を解散する流れに関して伝達を出しておきましょう」
未だ当惑から抜け出せない袁紹達を置いて、張勲は一人天幕を後にする。
しばらく自軍の方へと歩いていた張勲は、周囲に誰もいないことを確認してから笑顔の中にあからさまな嘲笑を浮かべた。
「やれやれ……このような芝居に騙されるとは、袁家も相当に落ちぶれたものですねぇ。彼女の懐刀と呼ばれる田元皓も、こうして現場にいなければ何の役にも立たない」
人畜無害に思えた張勲の、他人には見せたことのないその笑顔を見たのならば、誰もがそこに間違えようのない『狂気』を見ることが出来ただろう。
張勲が語った先ほどの策は、実はただの即興で作り上げただけ。
あくまでも状況証拠や推察のみで、確証など取れてもいないのにそれらしく説明してみせたのだ。所詮上辺だけの策……もちろん袁紹に含むところがあるわけでもなく、曹操に媚を売るわけでも何でもない。
彼女の行動概念は単純にしてただ一つ。
「……ふふふ、お嬢さまが『飽きたから早く帰りたいのじゃ~☆』と言ったことが理由だなんて、多分誰も信じないでしょうね~♪」
大陸の皇帝や連合軍盟主、乱世の奸雄だろうと、張勲の心を微塵も動かすことはない。彼女にとって『そんなもの』は、全くもって無価値でしかないのだから。
「さ~て、どうやってお嬢さまを宥めようかな~?」
張勲は自らの主の我侭に、ただ盲目に付き従うのみ……『狂気』の笑顔を浮かべながら。
「……そうか、もう出立するのか」
「ええ、体調的にもそろそろ限界が近そうなので……」
洛陽の門外にて、魯粛一行の見送りに公孫賛は一人で来ていた。
あれから魯粛の大体の読み通り、董卓は既に洛陽から脱出しており、焦土戦ではなく民衆はとりあえず連合軍を歓声で迎え入れた。腹の下にはどれだけの不満を秘めていようとも、自分達を生贄にしなかった董卓への義理といったところだろう。
泥沼の消耗戦という流れにならなくて、本当に良かったと魯粛は思っている。
皇帝も一応董卓の専横を許したという事実から連合軍に対して強く出れず、可能な限りの恩賞を無条件で与えることとなった。
その中でも目立ったのは、やはり同じ劉姓を持つ劉玄徳の存在だろう。
戦前は平原の牧でしかなかった彼女だが、今回の功により徐州州牧の立場を得た。もちろんこれは魯粛の根回しもあって、あくまで高齢の陶謙と交代という形にはなったが。徐州州牧の任を降りた陶謙は療養も兼ねて中央に赴き、そこで後世の為の人材育成を担うことになったそうだ。本音を言うなら引退させてあげたいところだが、未だ皇帝は健在しているのだ。漢王朝に仕えている身としては、そう簡単に隠居生活を望むことは出来ない。
せめてもの餞別というか、蔡邕殿には出来るだけ補佐してあげてくれと頼んではおいた。
一応ながら、これで当初の一番の目的は遂行出来たので良しとしておく。
「蔡邕殿から数多くの史書も借り出せましたし、非常に満足しております」
「私らは洛陽の街の解放や、これからの連合軍解散の事後処理で手一杯だからな。そんなことで風評流布に協力してくれた魯粛の功に報いることが出来たのならば幸いだ」
洛陽を解放してから魯粛は各地の商家の伝手を使い、各地に連合軍大勝利の報を流した。これは元々、連合軍の盟主である袁紹と約束していたことでもある。
それらの地道な根回しのおかげで、蔡邕とも無事に連絡を取ることが出来たのだ。やはり日頃の努力の賜物だろう……魯粛自身は何もしていないが。ある程度の指示はするものの、詳細などは全て魯家の者達でしている。
まあ、細かいことは気にしない。
最初は貴重な史書の貸し出しを渋っていた蔡邕だったが、粘り強く交渉した結果……ある条件と引き換えに許可をもらう。
その条件とは、呂奉先の所在を追って調べるということ。
なぜそこで呂布が出てくるのか正直理解できなかったのだが、どうやら彼の娘である蔡文姫が相当彼女に惹かれているらしい。連合軍に敗れた呂布を心配して、思わず家を飛び出していかんばかりの状況だそうな。そんなところへ各地方の商家と繋がりの深い魯家の当主が現れたものだから、渡りに船と思ったのだろう。
その情報収集能力を生かして早急に足取りを掴み、場合によっては保護までしてほしいとのこと。
当然ながら、魯粛はこれを是と受ける……実に願ったり叶ったりの状況だからだ。
それと同時に、蔡邕には警告を出しておく。今のところ魯粛はあくまで商人という立場だが、連合軍がまだ洛陽を押さえている状況下で、呂布を擁護するような言動はあまりにも危険である。もちろん董卓に関しても同様で、一時的にとはいえ蔡邕は董卓に組していたのだから尚更だ。
正史における王允のような人物が現れるとも限らない。
ある意味で歴史を変えてしまっている気もするが、今更そんなことを言っても詮無きことか。
「魯粛には、その、色々と世話になった……」
「いえいえ、こちらこそ公孫賛殿には世話になりましたよ」
彼女の人柄から、本当に感謝している念が伝わってくる。
公孫賛という人物のこれからを考えると、何か申し訳ない気分にさせられる。幾人か在野の仕官を薦めはしたものの、大局的に公孫賛という勢力の滅亡は避けられないだろう。一商人の身、しかも肉体と精神の隔離でガタガタの魯粛には、歴史の必然たる国の興亡に介入するなどあまりにも難しいことだった。
気落ちした心情に気付かれないように、魯粛は公孫賛を労う。
「事後処理が済めば各軍は本拠地に戻るでしょうが、そこからは色々とお気をつけください」
「……そう、だな。袁紹の奴は結構欲深いから、いずれ私の領土も狙ってくるだろうし。国に戻ったら、臣下と相談して防衛を考えることにしよう」
「そこで提案なのですが、袁紹の南に位置する曹操と同盟を結ぶというのはいかがでしょう? 袁紹の国力の脅威を考えれば、先方も易々と首を振ったりはしないかと」
これから曹操は中央を押さえて力をつけてくる。
その力に依存するのは論外だが、あくまで共闘という形でなら曹操の興味を惹くかもしれない。名士を多く利用した曹操ではあるが、名士コンプレックスのないこの公孫賛となら上手く誼を結べそうな気もする。
相変わらず彼女の軍師のようなことを言ってしまっているが、これも所謂彼女の人望の成せる業か。
何よりこの世界において非常に面白いのが、そんな感想を抱いたのが人徳に定評のある劉備ではなく、公孫賛というところだろう。ある意味で魯粛的には、本能に近い何かが劉備という存在を避けてしまっているのかもしれない。
(とはいえ、徐州州牧になっちゃったからなぁ。……陳将軍にでも言って、なるべく接触しないようにはしておこう)
正史や演義の劉備も大概だが、この世界における劉備もまた色々な意味で厄介な人物らしい。あくまで昔馴染みだという公孫賛からの情報がメインだが。
「……曹操、か。たしかに袁紹とは意に合わない関係のようだから、そんな彼女との同盟は悪くない考えだな」
「失礼しました、一商人ながら差し出がましい口を……」
「いや、気にするな。今まで知らなかったこと、気付かなかったこと……魯粛の助言の数多く、たしかに覚えておこう」
何やら感慨深く頷いている公孫賛を見て、魯粛は少し後悔した。
ものすごく過大評価をされている……いや、明らかに自業自得ではあるのだが、こうも純粋な彼女を見ていると『良心』が痛むというか……。
本格的な体調不良と重なり、意識がだんだん途切れがちになってきたので、見送りに来れなかった馬超達にもよろしくと伝え、魯粛は馬車の中へと乗り込んだ。当然のことながら、盟主である袁紹には一番に帰路につくことを報告している。商人としては破格の活躍に満足いただけたようで、それなりの報酬と共に帰ることを許可された。
正直口封じに消される可能性があったことを、その後すぐに気付き魯粛は更に精神を疲弊させることになる。
行きは余裕があったので馬にも一人で乗ったが、色々と磨り減った現状ではそれもままならない。魯粛が馬に乗っていようがいまいが、さしたる問題でもないので大人しく荷物のように馬車で揺られることにした。
目を閉じて気分を落ち着けていくと、今日まで考えないようにしていた幾つかの事柄が脳裏に映る。
──例えば、洛陽での騒ぎの中で孫家が見つけたとされる『玉璽』の行方。
──例えば、あまりにも正史や演義と違いすぎる董仲穎の存在。
──例えば、連合軍を解散させるまでの流れが袁紹にしては手際良かったこと。
──例えば、三国志における有名武将のほとんどが女性であること(自分を含む)。
──例えば、曹操の下にいるという怪しげな『天の御遣い』という存在。
しかし魯粛の今の状態では、どれだけ考えてもまともな答えを一つも出せそうにない。幸いなことに反董卓連合という一つの大事件が終わったのだから、次の大事件までいくらかの猶予が設けられる。
住み慣れた『我が家』に帰り、ゆっくり静養しながら考えるべきだろう。
……沈んでいく意識の中で、魯粛はそう思ったのだった。