少女は見た。
その少年が火を操る姿を。
――なんて綺麗なんだろう。
その時の少女には、それしか頭になかった。
容赦も躊躇も無く、少年は自分を殺そうとした男を燃やした少年。
こちらのことなど一切興味が無いとばかりに、少年は男を炎の弾丸で吹き飛ばす。
吹き飛ぶ先は、先程自分たちが上ってきた石畳。
ゴロゴロと男の身体が階下に消えていく。
「まったく。人の安眠、妨害しやがって……」
そうぶつくさと文句を言いながら少年は社へ帰っていく。
「あ、あの……!」
その背中に当時七つの麻里(まり)は声をかける。
だが、自分が何を言いたいのかが判らなくなってしまう。
そんな自分に、少年は一度だけ立ち止まり、素っ気無く言葉を投げかけてくれた。
「……折角拾った命だ。大事に使え」
それだけ言うと、少年は今度こそ振り返ることなく社へ戻っていった。
それから少しして、自分を助けに来た者たちがやって来た。誰もが麻里の無事に安堵の溜息をこぼす。
抱えられて社を後にする時に、この社に住んでいる少年のことを聞いても、誰もそれを話してくれず、ただ「近寄ってはいけない」とばかり繰り返すのみだった。
後日、麻里は少年の『正体』を知る。
船津東哉(ふなつとうや)。
自分の従兄妹。
自分と同じ、<船津>の直系の少年。
しかし、水の神・大水那津見神(おほみなつみのかみ)を信奉する<船津>一族の直系でありながら、かつて<船津>に敗れた<天津>一族が信奉していた炎の神・阿須迦鳥多訶神(アスカトリタカノカミ)の化身。
それ故に、大人たちは確証も無いのに、東哉が<船津>を滅ぼす厄病神だと子供たちに教えた。
実際、東哉の父は<船津>を裏切って、当時敵対していた組織の女と駆け落ちした。一族の秘宝やら情報やらを売買して得た金を片手に。
誰もが東哉を<船津>の人間だと思わなかった。ただ<船津>に生まれただけの悪霊だとさえ嘯く者もいた。
だが、麻里だけはその言葉を信じなかった。どんなに表面では従っていても年に数度逢う東哉を見つめ続けた。
友人である莉柘でさえ、敵意に満ちた視線で東哉を睨んでいたのに、だ。
だからこそ、麻里は東哉に近付けなかった。自分の周囲には人が集まる。その者たちは、東哉に罵詈雑言を投げ掛ける者がほとんどだったからだ。
そんな日々が十年続いた。
そして、事件が起きる。
神域である草那藝山(くさなぎやま)の鳴動。
それは古い文献によると災厄の前兆とされている。
麻里は思う。
『この機』を逃せば、自分の『夢』は泡沫と消える。
ならば、覚悟を決めよう。
愛する人に殺意と憎悪で睨まれてでも成し遂げる覚悟を。
他ならぬ、『彼』のために。
さあ、<船津>全てを相手取った『戦い』を始めよう。
*
『禊(みそぎ)』というものがある。
身を殺いで、自身の穢れを消し去る儀式。
彼の身体を炎が『焼いて』いく。
本来ならば水を被る行為を指すのだが、東哉は火の神。水ではなく炎の方が性に合っていた。
船津東哉は今現在、数百回、いや、数千回目の『それ』を行っている。
自分の胸に埋められた紅い宝玉。それを破壊するために、炎を全身に纏い、血を『焼いて』いく。自分の中に流れる<船津>の血そのものを。
何年も自分を<船津>に縛り付けている宝玉である。それの在り様など把握済みだ。
これは、自分の<船津>としての血を使って中毒症状を引き起こさせる。
ならば、自分の中に在る『<船津>の血』全てが無くなればどうだろうか?
そんな些細な疑問から、東哉は禊を始めた。
すると、自身に流れる『<船津>の血』が少なくなる度に、自分を縛っていた『力』が弱体化するのが感じられた。
それ以来、東哉は積極的に勉強し始めた。
遠くない未来、自分は自由になれるのだ。ならば今の内からこの社会のことを学んでいた方がいいだろう。そう考えての行動だった。
様々な本を世話役である叔母に頼んで持ってきて貰い、それを読み漁る。
時折ここに無断で来る従兄弟の誠慈には、娯楽として漫画や小説を頼んでもいる。
全ては、自分の素晴らしい未来への投資。
故に東哉は気にしない。
<船津>の思惑など。
無断でここに来る誠慈の策略など。
路傍の石以下にしか思っていない。
だが、手を出すようならば容赦はしない。それだけだ。
禊が終わり、炎が収まる。
ゆっくりと掌に小さな炎を生み出す。
徐々に熱量が増大していく。炎は上限無く温度を上げ続ける。
そして、炎が鉄へと変わり、巨大な炎を模した両刃の剣に変化する。
それを皮切りに、様々な紅い武器が東哉を周囲に生み出されては消えていく。
確信する。
――これで、俺は自由だ。
胸に在る紅玉に手を伸ばす。
ミシリと嫌な音と痛みが走るが気にせず、引き抜く。
血が吹き出るが、自分は死んでいない。その傷も徐々に塞がっていく。
掌には、血塗れの紅い玉。
「……これで、俺は……」
笑う。
心から東哉は笑う。
いつまでもいつまでも、東哉は笑い続けていた。
(作者)
つい懐かしくなって書いてしまった。
多分、続かないでしょう。