トールデェ王国 宮廷爵ヒースクリフ男爵家のメイド長、ノウラの朝は早い。 常からの習慣によって、夜明けを示す鶏の鳴き声よりも先に目を覚ます。 昼間にはキビキビとした動きのノウラも、流石にこの時間だけは挙動がゆっくりとしている。 表情も只々、柔らかい。 目元を擦って伸びをして、それから名残惜しげに暖かなベットから身を引き剥がす。 まだ夜も明けきれない時間だが、魔道ランタンがあるお陰で問題は無い。「灯火よ」 その一言で魔道ランタンに灯りが点り、室内に暖かな色の光源が生まれた。 ノウラは髪をかき上げて、ドレッサーの前に座る。 先ずは髪の手入れ、ブラッシングだ。 肩口で切り揃えられたウェーブの掛かった髪は、魔道ランタンの柔らかな光と相まって、見るものに艶やかさと柔らかさとを感じさせる。 ブラシを入れる度に、顔に意思が戻ってくる。 目に強さが戻ってくる。 そして最後に、軽く頬を叩くと服の着替えに移る。 薄い寝巻きから所謂、メイド服(ワーク・スーツ)へと。 ノウラの戦闘服へと。 室内作業向けにデザインされた、黒を基調とした華美さの無い実用本位の服である。 通常、メイド長は家のメイド集団の顔でもある事から、もう少しは華美なものを着るのが通例だが、ヒースクリフ家のメイドはノウラただ1人 ―― 実質雑役(オールワークス)メイドなので、実用的な服装をせざる得ないのだ。 一般的に男爵家のメイド長ともなれば、それなりに遇される社会的立場であるにも関わらず、だ。 4~5人からのメイドを従えるのが普通なのに、だ。 尤も、ノウラ自身がその事を苦に思った事は無かったが。 身だしなみを確認し、最後に王府認定武装メイドの証である赤いリボンが2本付いたヘアターバンを付ける。 鉢巻きよりも幅広で、額から前頭部までを覆うヘアターバンは、可愛らしさもあるが、実用本位だ。 メイドらしいフリル付きの可愛らしい帽子をあるのだが、ノウラはソレは他所行き用にしている。 雑役業務に加えて戦闘運動までするとなると、どうしてもずれ易い帽子よりもしっかりと頭に巻くヘアターバンの方が都合が良いというのが理由だ。 だから、フリルの付いた可愛らしい他所行き用のメイド服と一緒に、クローゼットに吊っているのだった。 とはいえお洒落に気を使ってない訳ではない。 そこはノウラも年頃の女の子、質実剛健にして質素な装いであっても可愛らしく魅せる努力は怠らない。 鏡を見て、各部を確認する。 入念なチェックは、今朝、最初の仕事に関係があった。 大事な仕事。 そう、久方ぶりに家で寝ていたビクターを起こすという。 武闘大会を前にして、ビクターは家に帰ってきていたのだ。 ビクター・ヒースクリフ。 ヒースクリフ家の長男にして嫡男、だがノウラにとっては大事なのはそんな事ではない。 救ってくれた人。 大事な人。 幼い頃の出来事が、決意が、想いがノウラの内で脈々と息づいているのだった。 最初はノック。 続いて、確認の声掛け。「おはよう…御座います……」 但し注意事項は、必要最小限度のものとして、間違ってもビクターが起きないように(・・・・・・・)する。 そう、ノウラは部屋の外からビクターを起こす積もりは無かった。 静かに部屋に入る。 ベットで寝ているビクター、その無防備な顔を見るのがノウラの密かな楽しみだった。 野外であれば、近づく人の気配で即座に起きるビクターが、この家の中でだけは無防備に寝ている。 自分を無条件で受け入れてくれている。 そう、思えるからだった。 ビクターの寝顔は、ただ穏やかだった。 その事に嬉しさと安堵とを覚えて、それからそっと手を頬に添え、ゆっくりと声を掛ける。「起きて下さい」 それだけでビクターの瞼は開く。「ん………朝、か」「はい、お早う御座います、ビクター」「おはよう、ノウラ。何時も有難う」「はい」 ビクターの感謝の言葉に、ノウラは花が綻ぶ様に微笑んだ。異世界ですが血塗れて冒険デス (σ゚∀゚)σエークセレント30万pv記念作 Ⅱノウラ ―― メイド長ノウラの一日 ~ビクターかんさつにっき~ 朝食前のひと時。 その時間を無為には使わず、ビクターは中庭でショートソードを振るっていた。 ある時はひたすらに定型をなぞり、ある時は変幻自在に無形に動かす。 定型は地力を付け、無形とは創意工夫であり柔軟性だ。 地力の無い人間は戦場で生き残れず、創意の無い戦士では相手の裏をかけずに勝てない。 それが、戦士としてのビクターを産み、そして育てたアデラとマーリンという2人の傑出した戦士の教えだった。 それを愚直なまでにビクターは守っているのだった。 と、両手に持ったショーとソードを中庭に設けられている武器棚に直し、続いてブロードソードを取る。 そして体を動かしていく。 武器棚には他にもハルバードやバトルアックス、メイスなどの武器が揃っていた。 1つの武器に特化するのではなく、得意な武器が1つあっても他の武器も十分以上に使いこなせねば、戦場では生き残れない。 そう仕込まれていたのだった。 日の昇る前から、昇り切るまで、時間をタップリと使って体を動かしているビクター。 普通であれば倒れそうな練習量でも、疲弊する端からタリスマンが治癒し続ける。 否。 このタリスマンがあるからこその、練習量でもあった。 何処まで体を苛めても、回復し得る魔道具あればこそ、常人とは比較にならない練習が出来ているのだ。 そんな朝の鍛錬を、ノウラはじっと見ていた。 朝の仕事は終わっているので、控えていられるのだ。 タオルと水がめを用意して。 如何にタリスマンとて、疲労は回復できても失った水分までは補充出来ないのだから。「有難う」 ビクターはノウラから差し出された木製のコップを有難げに受け取ると、一気に飲み干す。 溢れた水が口元から喉、胸元まで濡らすが、それが心地よいとばかりに相好を崩し笑っている。「生きてるって、感じるね」 というか、二杯目に至っては頭から被っている。 火照った肌に、冷水が心地良いのだろう。 だが、ソレだけでは宜しくない。 と、ノウラはタオルをビクターの体に被せた。「濡れたままだと風邪をひきますよ」 大き目のタオルは、ビクターの上半身を丸ごと隠した。「大会は明日からです。気を付けないと駄目ですよ?」「コレくらいで体調を崩す程にヤワな積もりは無いんだけどね」「万全を期すのに、程度は無いですよ」「………それは確かに」 ワシっとタオルを掴んで髪を拭い、それから顔を出して笑う。 ノウラには勝てないな、と。 それにノウラは胸を張って答える。「当たり前です」 続けて言う。 武装メイドとは家事は無論、家人を護り、又、戦場へと主人が万全で赴ける様にするのが仕事なのです、と。「ビクターは戦場以外では少し緩いですけど、安心して下さい。私がしっかり支えます」「緩いって、酷くない?」 傷付くなぁと笑いながら言うビクターに、予想外の方向から返事が来た。「事実ですもの」 一刀両断の断言である。 したのはヴィヴィリー、いつの間にか2人の後ろに来ていた。「酷いぞヴィヴィー、泣きそうだ ―― おはよう」「お早う御座います、お兄様、ノウラ」「お早う御座います」 学校の制服に着替えていたヴィヴィリーがここに来た理由は、朝ごはんへのお誘いだった。「もうそんな時間か、腹も減る訳だ」「お兄様は没頭し過ぎです。ノウラも程々で止めて下さい」「そういうなよ、朝は気持ちが良いんでつい、ね」「判ります。判りますけど………ご飯を食べる時間が無く成ってしまいます」 武闘大会前で帰宅しているビクターは、学校に行く必要は無い。 なのに時間が無いと云う理由は1つだけ。 そう、学校に行かなければならない自分が、一緒に食べられないのだ。 珍しくビクターが家に居るのに、一緒に食卓を囲めないなんて嫌だ、と。 その事に気付いたノウラが、申し訳なさげに頭を下げるが、ビクターは気付かない。 只、食事のタイミングだの美味しい時間だのを考えて呼びに来たのだと判断していた。「判った判った。相変わらずヴィヴィーはしっかり者だね」「だって、私ですもの。お兄様に欠けた部分は補って差し上げますわ」 髪をかき上げて魅せるヴィヴィリー、金糸の如き髪が朝の光を浴びて煌く。 と、そこでビクターはヴィヴィリーの髪が編み上げられていない事に気付いた。「今日は編み上げないんだ?」「今日はバレットで上げて見ようと思ったんで、まだ上げてなんです…………似合いません?」「まさか。可愛いよ」「あっ、有難う御座います」 プイっと顔を背けるヴィヴィリー。 真っ赤になった顔をみられまいとの行動だった。 そもそも髪形に関して言えば、以前にビクターが漏らした一言が原因だったのだ。 複雑なのよりも、ストレートに下ろした方がヴィヴィーには似合っている、という。 その事を覚えていたノウラは、微笑ましげに笑っていた。 ヴィヴィリーの可愛らしい ―― そう評する他無い、ビクターへの気持ちを。「どういたしまして。じゃぁヴィヴィーが折角迎えに来てくれたんだ。急がないとね」 楽しげな朝食の後、職場に出たヒースクリフ家当主夫妻と、学校に出かけたヴィヴィリー。 そしてビクターはランニングに出かけた。 そして、人気の減った家の中でノウラはせっせと仕事に取り掛かる。 家の内外の掃除と片付け、そして洗濯。 洗濯はまだ簡単である。 ビクター考案の魔道具、半自動洗濯機のお陰で余程に素材の柔らかなもの意外は簡単だからだ。 問題は掃除だ。 何と言っても家が大きい。 1戸建てでないとはいえ、3階建てで13の部屋に風呂場、荷物置き場に洗濯場、馬舎付きの中庭まであるのだ。 常時使っていない3部屋を封印してあるとはいえ、都合10部屋+αがあるのだ。 1人で掃除をするには広かった。 だが同時に、子供の頃から手順を覚えていたノウラは、昼食を挟んでの4時間程で全てを片付けていた。 そして、合間合間に行っていた洗濯、その絞った洗濯物を屋上に干す。 家の前の道やご近所さんからは見えない様にデザインされたその場は、同時に、格好の休憩場所でもあった。 折りたたみ式の机と椅子とを取り出して、昼の休憩時間。 風に翩翻とたなびく洗濯物を見ながら、休憩に黒茶を啜るノウラ。 一寸した贅沢に、ジャムを垂らす。 労働の合間の潤い。 ある意味で、自然を感じられる優雅な時間であった。「丁度良かったみたいだね」 マルティナがやって来る。 手に持ったバスケットから、何やら香ばしい匂いが漂っている。「マルティナさん、黒茶、飲みます?」「ありがとよ。あぁ、私は何も加えないでな」「はい」 オーダーはブラック。 ノウラは手早くティーポットから新しい1杯をカップへと注いだ。 白いカップが見えない位に濃い黒茶は、舌の焼けそうな熱さと共にマルティナや家の奥方様であるアデラの趣味、影響だった。 目覚ましの1杯も兼ねた、所謂傭兵式(モーニング・スタイル)だ。 その匂いを嗅ぎながら、マルティナはバスケットから深皿を取り出した。 乗っているのは薄茶色のクッキーだった。 見事な固太りで “熊のような” 等と言われるマルティナだが、その手先は器用極まりなく、クッキーも可愛らしい外見をしていた。「バターと砂糖をたっぷり入れたクッキーだよ、今さっき焼いたんだ。食べないかい?」「頂きます!」 暢気な昼下がりのティータイム。 美味しい黒茶と茶請けのクッキーの匂いに誘われて、屋上に来た人が1人。「あら、美味しそうね」 アデラだ。 気が付けば2人の後ろに立っていた。 余所行きの気合の入った、女王陛下直属の<十三人騎士団>の制服を着込んでいる。 白を基調に、ふんだんに金のモールが付けられている。「お帰りなさいませ!」「あら、早かったわね」 慌てて立ち上がろうとしたノウラを手で制して、そのままクッキーに手を伸ばす。 マルティナは泰然自若の按配で笑っている。「明日が息子の大一番よ? 仕事なんて手早く片付けて帰ってきたに決まってるじゃない」「良い商売ですな、<十三人騎士団>は」「良いわよ。なんたって頭下げる相手が女王陛下しか居ないんだもの ―― 美味しいわね、このクッキー」「私の自信作ですよ!」「自信持つだけはあるわね。あ、ノウラ。私にも黒茶を」「はい、お待ち下さい」「お腹が空いたわ」「珍しいですな、昼を抜いたので?」「手早く仕事を片付けようとした、乗っちゃってね。で、気が付けば………って感じ? 終わったら終わったで、帰りたかったからその足で、でね」「おーおー」「はい、アデラ様」「有難う」 差し出されたカップをアデラは一気にカップを飲み干す。 そしてもう一杯、とお代わりを要求する。「王府の黒茶は薄くて上品なのよね。味っけが無いって感じだわ」 良い茶葉を使っているのだろうが、舌が受け入れないと笑うアデラ。 傭兵家業では目覚ましも兼て、濃いのを飲み慣れていたのだ。 今更に味覚が変わる筈なんて無い、と。「給仕も泣いてそうですな」「あら、私だけじゃないわよ? マーリンは当然だし、他の面々も殆どそう。文句を言わないのは “むっつり” のグレン位ね」 グレンだけは、味覚が何か違うと言うアデラ。 そのグレンが一応は騎士団団長なので、淹れ方を変えられないとも愚痴っている。「それはそれは」「いいのよ、それより息子は何処行ったの?」「走り込みに行くと先程…」「全く、何処で知恵を付けてるんだか」「指導のし甲斐が無いですな」「全くよね」 自己研磨しない弟子も宜しく無いが、し過ぎても師匠としては面白くない。 そんな風にのたまう2人に、ノウラは苦笑を浮かべていた。「ソードは全般的に問題無し、斧や槍も同じ。問題は ――」「乗馬ですかね」「よね。何であんなに苦手なのか、さっぱり判らないわ」 馬に乗れない訳じゃない。 極端に下手糞な訳でも無い。 でも何故か、上手くいかない。 それがビクターの乗馬だった。「馬との相性が悪いのかしら」「幸いなのは、武闘大会では馬上戦が無いですからな」「よね。あの子、悪運は強いから結構良い所に行けるわ、きっと」「優勝するとは仰られないので?」「私だって、そこまで親馬鹿じゃないわよ? 勝って欲しいとは思うけど」「大丈夫ですよ、大抵の相手に負けるとは思えませんよ」「だと良いんだけど」 嘆息するアデラ。 だがその表情は満更でもない風である。「しかし、あの子が居ないんじゃ暇よね。そうね、ノウラ。貴女を見ましょうか」「え、良いのですか!?」「構わないわ。貴女も私の大事な弟子だもの。偶には、ね」 平日は2人とも仕事があったりと忙しいので、ノウラがアデラに稽古を付けて貰えるのは週末だけだった。 それを今日もしようと言う。 有難い話だが、良いのか? とマルティナを見たら、豪快に笑った。「おいおいノウラ、もう貴方がメイド長だよ。私にお伺い立てなくても、決断は自由だ」「あっ………」 習慣から、ついつい許可を求めたノウラは、つぃっと赤面した。 ヒースクリフ家のトップに立つのはノウラなのだ。 2人しかいなくて、しかもノウラにとってマルティナはメイドとしての師匠格なので、殆ど形式的なものであったが、それでもトップはノウラなのだ。「はい。では、宜しくお願いします」 深々と頭を下げたノウラ。 そんな仕草を微笑ましく2人は見ていた。 さてさて。 残った仕事を切り上げて修行をするといっても、どうしても切り上げられないものだって、ある。 例えば買出し、主に食料品などだ。 特に肉だのがビクターが予定外な形で帰ってきて消費量が増えていたのだ。 買出しに行かない訳にはいかなかった。 仕事用のメイド服のまま、出掛けたノウラ。 とは言っても、商人街までは行かない。 王都トールデンは10キロ四方からの広さを持つ大要塞都市であるので、日常生活の必需品程度であれば商人街でも扱う様にしなければ、不便極まりないからだ。 更に言えば、非常時の食糧倉庫も兼ねているので各エリア毎に店舗が無いと不便とい事もあった。 家を出て裏路地を通って商店街、目当ての精肉店に行く。 購入するのは牛肉、そして鶏肉。 豚肉はまだあった。 布に包んでバスケットに入れる。 多い分は配達も願えるが、今日は定期分 + α程度なので、自分で持ち帰る。「おっ、ノウラちゃんか。魚は買わないか、魚! 買ってくれれば売り切れなんだよ」 隣の鮮魚店の親父さんが、ノウラに声を掛けてくる。 見れば、棚には丸々としたナマズが並んでいた。「ナマズですか。なら大丈夫かな?」 ナマズのフライはビクターの好物なのだ。 煮ると先ず食わない魚料理だが、焼くか揚げるかすれば何時も喜んで食べる。 その偏食っぷりを怒ると、少し傷付いた表情をしたりする、何処か子供っぽいビクター。 少しだけ微笑んだノウラ。「じゃぁ頂いていきますかね」 裁量権はあるのだ。 後はマルティナにお願いすれば良い。 それに、ナマズは栄養があるという話なので、武闘大会を控えたビクターにはピッタリな食材だろう。「まいどあり~」「でも、お願いされたんですから当然、値引きして下さるんですよね?」「あっ、参ったね。いいや、じゃぁ2割引きって所で手を打とう」「有難う御座います!」「その笑顔には、勝てないなぁ」 にっこりと笑ったノウラにあてられて、照れ笑いする魚屋の店長。 その後ろで、奥さんがセキをしていた。「おぉっと、ごめんよカァチャン」「この人は女の子にデレデレし過ぎよ」 パシンっとばかりに店長の背を叩く奥さん。 それから豪快に笑って残ったナマズを、ノウラの差し出した買い物布で包んでいく。「坊ちゃん、明日が大会だろ? 精を付けてやらんとね」「はいっ!」 買い物を済ませての帰り道。 少しだけルートを変えるノウラ。 同じく裏道だけど、もう少し寂れた場所を選ぶ。 速いから ―― 否、違う。 厄介事が他人に迷惑を掛けない(・・・・・・・・・・)からだ。 裏路地の真ん中、建物に閉ざされて暗いその場でノウラは立ち止まる。「何の御用でしょうか?」 商店街から後をつけて来た気配に尋ねる。 落ち着いたままに、或いは堂々として。 その声に応じるように、10人からの人間が出てくる。「よく気付いたなぁ嬢ちゃん」 身なりの悪さから、真っ当な目的の人間には見えない。 そもそも、表情が下卑ているのだ。 ロクでもない目的であろうと理解出来た。 だがそんな事よりも、ノウラは男達の品定めをする。 体格を、携帯する武器の様子を、その動きからどれだけ使えるのかを読みながら、じっと近づいてくるのを待つ。「もう一度お尋ねします。なんの御用でしょうか」「気が強いな、嬢ちゃん。男が女に用事なんて1つしかねぇだろ?」 卑猥に腰を動かす男や、指をいやらしく動かしてみせる男。 裏路地とは言え、高級住宅街でもある堀の内には似つかわしくない下品さだった。「お断りします。私は仕事中ですので」「そりゃぁ通らねぇなぁ」「そうそう」「………………私がヒースクリフ家のメイドと知っての狼藉ですか?」「おいおい、怖いじゃないか! 家の名前を出したよ」「ああ怖い怖い。だけど一番怖がってるのは嬢ちゃんだな。大丈夫だよ。命だけは助けるから。殺すなって言われている(・・・・・・)からな。尤も、それ以外は諦めて貰うぜ」「イキ過ぎて戻りたくないって言うかも知れねぇがなぁ」 馬鹿笑い。 その意図が何処にあるか、その舐める様な視線を誤解するほどにノウラは鈍く無い。 ゆっくりスカートに隠れた膝を曲げ、あらゆる状況に対応出来る様にする。 武装メイドの嗜み、武器もキチンと持ってきている。 主武装である双頭剣こそ持ってきていないが、スカートの下には刃渡り30cmのフォールディングナイフを携帯して来ている。 防具にも抜かりは無い。 武装メイドの資格を得るときに王府から与えられた魔力で具現化する防具、アンダーアーマーを装着しているのだから。 非稼動状態だとブレスレットだが、魔力を通す事で装着者の肌の上に防御力強化と身体能力向上の魔法の力場が展開するという一品だ。 一般的な魔法の掛けられた防具と比較すれば、値段が張る割りに防御力は数段落ちるので普及はしていないが、携帯性と隠密性では比較にならないのだ。 そんなモノが与えられるのは、武装メイドが王府認定である ―― その本質に於いて国家の重要人物を護る為に存在しているからである。 だが、まだその発動キーワードは唱えない。「安心しろ、そうなったらキチンと飼ってやるから。嬢ちゃん可愛いからな」 男達が馬鹿笑いをする。 それを覚めた目で見続けるノウラ。 精神的意味での戦闘準備は整える。 逃げるという選択肢もあったが、それは拒否した。 相手は男爵家であるヒースクリフの名を聞いても退かない相手だったのだ。 であれば逆に、家が狙われたと見て良いだろう。 今日今回は偶々に自分が狙われたが、万が一にヴィヴィリーが襲われたらと思えば、ノウラに逃げると言う選択肢は選べなかった。 魔法の使い手であり、高い戦闘力を持つのは知っているが、肉体的には頑健ではないのだ。 距離を詰められて、或いは奇襲されてはどうなるか判らない。 ヴィヴィリーが捕まって、酷い目に合うなんて、考えたくも無かった。 だから今、禍根の根は断つ。 全員を叩きのめして、狙われた理由まで吐き出させる。 そう決意していた。 冷静に距離を取りながら、最後通牒を行う。「私の名はノウラ。アデラ・ヒースクリフの弟子であり王府認定武装メイドの位を預かります。それを恐れぬのであれば、お相手致します」「はっ、武装メイド? ご大層な名前で退くと思うなっ!!」 無用心に手を伸ばしてきた相手を、逆に引っ張って姿勢を崩すと。膝蹴りを顔へと叩きつける。 更に一撃。 柔らかな下腹部へと容赦無き一撃を叩き込む。「っぉ!?」 泡を吹いて悶絶した男。 その頭を踏み付けならがら、ノウラは宣言する。 忠告はしましたよ? と。「――目覚めよ! そは鋼の肌 」 キーワードを唱えてアンダーアーマーを起動させると、買い物籠を置いて駆け出した。 前へ。 暴漢どもを制する為に。「やっ!」 掛け声と共にふり抜かれた拳は、男の顎を穿った。「おべっ!?」 更に髪を掴んで振り回す。 3人程巻き込んでのスイング。 アンダーアーマーの与える膂力が、大の大人よりも強い力をノウラに与えているのだ。 2回転3回転と回した所で手を離して、壁に叩き付けた。 元より武装メイド、主の護身護衛を任とするのだ。 であればこそ、ノウラにも武器の無い戦い方はしっかりと叩き込まれていた。「っ!?」 うめき声すらも上げられずにダウンした男。 残るは8人、いや5人。 ジャイアントスイングで巻き込んだ3人が倒れている。 見事な奇襲攻撃だ。 だが、ノウラがイニシアティブを握れたのはそこまでだった。 男達とて荒事で生きてきた人間なのだ。 いつまでもやられっ放しになる程に脆くは無かった。「このアマぁっ!!!」 反射的に飛び掛ってきた男、その拳がノウラの顔を打つ。 が、勢いはあっても力の無い拳はノウラには届かない。 アンダーアーマーの灰色の力場は、頬までも覆っていたのだ。 逆に、腰の乗ったパンチをこめかみに受ける羽目になっていた。 白目を剥いて悶絶した男。 ノウラは一切の容赦なく、暴漢たちの急所を狙っていた。 残る4人はと見れば、男達の中のリーダー格と思しき人間が、手で制していた。「やるじゃないか、嬢ちゃん」 6人から沈められたというのに、その表情には余裕があった。「どうやら本物か、武装メイドってのは」「なら、退かれますか?」 逃がす気はない。 そう視線で語りながらも尋ねるノウラ。 それに、リーダー格の男は楽しそうに答える。「はっ! 嬲るのも楽しいが、嬢ちゃんみたいに強いのを調教するのはもっと楽しいのさ」 股座がいきり立つ。とまで言い放つ男。 実際、その表情は愉悦に歪んでいた。 そして剣を抜く。 と、次の瞬間、魔法を唱えてた。 剣は囮だったのだ。「偉大なるレオスラオの名に於いて ――発動せよ火の力! 奔る火 」 予備動作無しに放たれた火球は、ノウラを直撃する。「あっ!」 弾ける火の粉、その火球の勢いで姿勢を崩したノウラ。 そこへ連続して火球が叩き込まれていく。「ひひひひひっ、押し殺した可愛い悲鳴を上げてくれるじゃないか! 嬢ちゃん、もっとだ。もっともっと悲鳴を上げてくれ!!」 流石に2撃目以降は、顔を庇って回避しようとするが、上手くいかない。 戦闘訓練を受けているノウラだが、攻撃魔法を、それも人間の使う白魔法を実戦で受けるなんて始めてな為、逃げ切れないのだ。「くぅっ!」 距離を取ろうとするが、取りきれない。 バックステップをしようとするが、転んでしまった。 火に包まれて目が開けられないのだ。 足元の物体、先程に倒した相手に引っ掛かったのだ。「つぅ!」「ひゃははははははっ、服はボロボロだが魔法のアンダーか? が邪魔だな。肌が見えねぇなぁ」 嘲笑、だがソレこそがチャンスでもあった。 魔法が止んだ瞬間に、体のバネを使って一気に立ち上がるノウラ。 ボロボロになったメイド服、その破れた部分を隠すことなく立つ。 アンダーアーマーは肌の上に力場を作る為、体のラインはハッキリと出る。 その意味で、素肌を晒しているのも同じだが、それを無視する。 羞恥心はあるが、意地がそれを凌駕するのだ。「艶姿だなぁ嬢ちゃん、小振りだが良い胸してるぜ。もみしだく時が楽しみだ。力一杯に握ってなぁ、芯があって痛い痛いって悲鳴を上げるんだ。ああ、はやく聞きたいなぁ悲鳴を」「下種がっ!」「おうおう、良い目だ。だがその目、どこまで持つかな ―― テメェらボサっとしてねぇで掛かりやがれ!!」「へいっ!」 手に剣を持って駆け寄ってくる男達。 ノウラの抵抗力は無くなった。そう思っていた。 思い込んでいた。 否。 断じて否である。 ノウラの戦意は、牙はまだ折れていなかった。 ダメージはある。 体中に無視できない痛みがある。 流れ出た血が頬を垂れる感触は、気持ちが悪い。 だが、それがどうしたと歯を食いしばる。 意思が痛みをダメージをも支配し、ノウラを立たせる。 ノウラの牙は折れていない。 サイドスリットから手を入れ、スカートの中に吊っていたフォールディングナイフを取り出す。 ナイフと言うには余りにも刃渡りの大きなソレは、ビクターからのプレゼントだった。 武装メイドに成った記念に、と渡されたものだった。 収納されていたブレードを展開してロックする。 その綺麗な刃にそっと、キスする。 ビクターに護って下さい、と祈る様な感傷ではなく、それは決意表明だ。 即ち不転退の。「ははははっ、自害でもする気か嬢ちゃん! させねーよ」 戯言を聞き流し、迫る4人の位置を把握する。 ダメージで体力が喰われている今、最小の動作で無力化する必要があるのだ。「てっ!」 先ずは1人。 一番先頭だった男へと踏み込み、するりとナイフを振るう。 狙い過たずその腕を、正確には右腕の肘間接を切る。「ひぃぃぃっ!」 噴出す血と痛みに悲鳴を上げる男へと更なる追撃、肩からのタックルだ。 踏み込んで、下から上へと胸を打ち、男を後ろへと飛ばす。 狙ったのは後続している3人だ。「げひぃっ!?」 如何に暴徒ゴロツキの類でも仲間意識はある。 突然に飛ばされてきた男に、慌て、避ける。 そう、体勢が、勢いが崩れたのだ。 その機を逃すノウラではない。 1人目にはキック。上から下へと膝の関節を潰す一撃を放つ。 底に鉄板の仕込まれたブーツの一撃は、狙い通りの効果を発揮する。「いひぃっ!!」 肉が裂け、骨が飛び出て悶絶している。 だがその効果に満足している暇は無かった。 更なる戦果を狙おうと動く。 動こうとするが、遅かった。 直感で身を捻ったノウラ。 だが遅かった。 ふり抜かれた剣、ロングソードの切っ先がノウラの右腕切り裂いていた。 アンダーアーマーは防御力を付与するといっても、鉄の強度は無いのだ。 鋭いロングソードの切っ先に抗し切れなかった。「っ!」 鋭い痛みに、反射的にナイフを落としてしまうノウラ。 だが、足は止めない。 バックステップ。 体勢が崩れるのを承知で距離を取る。 取れない。「逃がすかっ!!」 好機と見た男どもが追撃を掛けてくる。 更に下がろうとした瞬間、ノウラは転んでしまった。 蓄積した疲労、ダメージが足を殺したのだ。「っ!」 無様な転倒、捲くれたスカート。 勝利を確信した男ども。 だが、ノウラは諦めない。 まだ諦めない。 倒れた上半身の勢いに、脚をバネにして跳ねさせる事で蹴りを放つ。 仕込まれた鉄板の重さもあって、蹴りは男の顔面を砕いた。 だが、同時に、抵抗はそこまでだった。 無理に無茶を重ねて動いたノウラに、残る最後の1人の攻撃を避けるだけの余力は無かった。 男は地に倒れた相手への攻撃に、姿勢を崩しそうなロングソードではなく、蹴りを放つ事を選ぶ。「らぁぁぁぁっ!!」 腹を蹴られたノウラは、まるでボールの様に空を飛び、壁へと叩きつけられた。 嘔吐。「うぶっ」 息も出来ない。 横隔膜へと及んだダメージが、筋肉をパニック状態へと落としいれたのだ。 綺麗な顔を血と胃液とで汚したノウラ。 その姿に、トドメを刺した男は加虐的な笑みを浮かべる。 頭を、髪を掴んで持ち上げようとする。「へっ、梃子摺らせが………って!?」 男は自分の手を見た。 革のグローブに包まれた手を。 伸ばしたはずの、地面に転がっている手を。 そして、男が気付いた事がきっかけであるかの様に血が噴出する。「ひぃっぃ!?」 悶絶する男。 リーダー格の男は見ていた。 男の手を切断したものが、投げ込まれたナイフである事を。 投げ込まれた方向を見れば、男が走りよって来ている。「誰だぁ、テメェは! 人の愉しみを邪魔してんじゃねぇっ!!」「誰だはテメェだボケェ! 人の身内に何してやがるっ!!」 掛けた罵声には、倍を超える声量の怒声が返された。 駆け寄ってきたのはビクターだった。 表情は、正に憤怒であった。 言葉から、相手がビクターである事を察したリーダー格の男は、舌打ちをする。 手下は全滅し、自分の裏技 ―― 攻撃魔法は、先程に調子に乗って使いすぎて打ち止めなのだ。 その状態で、自分が<鬼沈め>なる字名持ちに勝てると思うほどに暢気(バカ)では無かった。「分が悪いか、なら此処は退かせてもらおう」「はぁ? 逃がすと思ってるのかっ!!」「退けるさっ! 偉大なるレオスラオの名に於いて ――発動せよ瞳を閉ざす力! 吹き渡る煙 」 生み出され、濛々と吹き上がる煙。 裏路地が不可視の煙一気に閉ざされる。「あばよ、<鬼沈め>」 小ばかにする様に放った一言が、男の運命を決めた。 言わずに逃げていれば良かったのだ。 これだけ視界が閉ざされれば、追えないのは当然だから。 何らかの迎撃手段の可能性を恐れて、飛び込めないだろう。 普通であれば。 だがビクターは、今の(・・)ビクターは普通ではない。 普通では無かった。 要らない一言を放った男は、その間も突進していたビクターに捕らわれていた。「っ!」 煙を割って出た腕が、男の喉を掴んだ。 万力の如き力で、喉元を絞められ、動く処か悲鳴すらも上げられない男。 そしてビクターが煙の中から顔を出す。「ノウラを傷付けた奴を、この俺が逃がすと思うか?」 それは正に鬼の顔であった。 ノウラは、体が揺れているのに気付いた。 柔らかく、そして優しく。 はて、自分はどうしたのであろうか? そんな素朴な疑問が浮かぶ。 何をしていたのか。 今、何が起きているのかも判らない。 只、この身を包んでいる温かさがひたすらに心地よかった。 何時までもこうしていたかった。 だがフト、気付いた。 思い出した。 自分が戦っていたことに。 嫌らしく笑った10人の男達の事を思い出した。「っ!?」 カッと目を開いた。 四肢に力を込めて体を戦闘態勢へともっていこうとする。「おっと」 周囲を確認しようとしたその時、ノウラは気付いた。 自分が抱き上げられている事に。 ビクターにお姫様のように抱かれている事に。「びっ、ビクター!?」 顔が近かった。 胸元に抱き上げられているのだ、当然だろう。 その事で、別の意味でパニックに陥りそうになるノウラ。 恥ずかしいというか、もう暴れたいというか。 そんな気分が胸のウチで暴れる。 身を縮めたノウラ。 その体を優しく、だが力強くビクターが抱きしめる。「大丈夫、大丈夫だノウラ。俺だ。俺が居る。安心してろ」「はい………………」 抱き上げられたまま周りを見るノウラ。 もう場所は裏路地等では無かった。 体を見れば、破れたメイド服の上にビクターの上着を被ってるのが判る。 胸元には、何時もビクターが着けているタリスマンがあった。 軽くは無い傷を負ったノウラを癒す為、ビクターはノウラの首に掛けたのだった。「あいつ等は治安騎士団に預けた。大丈夫だ」「私………」「頑張ったな、ノウラ」 全肯定してくれる、そんな優しい言葉に涙を流しそうになるノウラ。 否、もう頬を伝う暖かな線を感じた。「はい……はいっ…」 嬉しくて、恥ずかしくてビクターの胸に顔を押し付けるノウラ。 服越しに聞こえるビクターの鼓動が、とても優しく聞こえた。「もう直ぐ家まで着く。それまでゆっくりしているんだ」「有難う御座います」「どう致しまして」 笑ってしまう。 笑えてしまう。 コレだけで幸せだと、ノウラは思った。 ヒースクリフ家に着けば一悶着どころではない話 ―― 相手を良く見ずに戦いを挑んだことをアデラに怒られたり、ヴィヴィリーからはお姫様だったこされて帰ってきた事で膨れっ面されたり、ビクターの上着を取ったら、メイド服どころか下着までボロボロでおっぱいがポロリして、それをマジマジと見てしまったビクターに、思わずビンタを張ったりとかとかとか。 色々な事があった。 そんなこんなを乗り越えた深夜。 毎日着けている日記の最後に、ノウラは書き込んだ。 今日は良い日だった、と。 伸びをして、ベットに潜り込む。「お休みなさい、ビクター」 甘やかに名を呼び、そっと魔道ランタンを消す。 明日は武闘大会。 ビクターの活躍を想像しながら、ノウラは瞼を閉じた。