森がある。 深く黒い森が。 草原がある。 森を抜ければ、起伏に富んだ瑞々しい草原が。 その色鮮やかな草原に1つ、灰色がある。 それは丘の上に建てられた、石造りの建物だ。 丘自体をも含んで作られた巨大な構造物であり、トールデェ王国の誇る3大教育機関の1つ、ゲルハルド記念大学だ。 王都トールデンの郊外に建てられた大型建築物らしく、非常時に防衛拠点として使える様に石造りの堅牢な設計が成されていた。 尤も、幸いな事に建設されて70年からの月日を数えるが、いまだ非常用としての利用が無かったが。 そんな厳めしいゲルハルド記念大学の主要校舎の前庭に、1人の少女が朝の柔らかな日差しの下で立っている。 年の頃は12か3か。 顔立ちは整ってはいるが、まだ幼さが抜け切れていない。 幼さをもっても消せぬ、澄んだ意思があった。 顔立ちを彩る髪は艶やかな深い金色で、腰まで伸ばされて三つ編みになっている。 誰もが確実に美少女と言うだろう。 だがそれ以上に、少女の外見的特長としては、姿勢が良いという事が挙げられる。 堂々と胸を張り、背筋をピンと伸ばして立っているのだ。 中肉中背というよりもやや小柄なその体を包んでいるのは動きやすくデザインされたゲルハルド記念大学の制服、訓練服も兼ねる第2種制服だ。 準礼服的にも使える第1種制服とは、白い綿シャツこそ共通であるがズボンはゆったりとしたラインの薄茶色の綿ズボンと、実用本位の服装となっている。 唯一洒落っ気を感じさせるのは、首元に巻かれた赤いスカーフだろう。 但し、此方もお洒落目的では無い。 当然ながらも制服の一部であり、赤は戦闘学科である事を、ソリッドな柄は入学したてである事を示している。 体のラインが隠れる制服であったが、しかし隠し切れない猫科の如きしなやかさを溢れさせていた。 そんな少女だった。 名はジゼット・ブラローと言う。 ジゼットは、ただ立っているのではない。 軽く見上げていた。 木で作られた掲示板に張り出された紙を、まるで恋文でも見るかの如き目で。 無論、それは恋文などでは無い。 布告書。 板張りの素っ気無い掲示板に貼り付けられたソレには、事務的な内容が箇条書きに布告の書かれたものだった。 発したのは、ゲルハルド記念大学学生教導局。 宛てるのは、ゲルハルド記念大学に属する全ての学生。 内容は1つ。 王家主催の武闘大会、その校内選抜に関する、細々としたルールなどであった。 やって良い事、悪い事。 それらが書かれた布告書を、一語一句確認し、頷く。「漸く………」 ポツリと漏らした言葉の深さは、ジゼットがこの布告を一日千秋の思いで待っていた事を感じさせた。 武闘大会。 それはトールデェ王国で行われる、最大規模の武の祭典であり、栄達を望む若手が挑む関門、登竜門であった。 毎年行われるのではなく、通常、2年から3年程度おきにランダムで開かれている大会だった。 今度の大会は、更に間があいて4年ぶりの開催であった。 傭兵の一家に生まれ育ったジゼットは、親に連れられ戦地を転戦する事で続いた根無し草の様な生活が子供の頃から嫌だった。 出来れば王都に、家を構える事を夢見たのだ。 だから、軍や国家への就職への近道であるゲルハルド記念大学へ入学したのだ。 傭兵一家ゆえにブラロー家は貧しく、又、貴重な、文字通りの 戦力(・・) が失われる事を家族は揃って反対し、一切の学費を払わぬ事を宣言していたが、問題は無かった。 ゲルハルド記念大学は、この時代では珍しい奨学制度、学費に乏しい優秀学生に対する援助を行っていたのだから。 家と絶縁してまで入ったゲルハルド記念大学。 それ故にジゼットは必死だった。 奨学制度を受け続けるにはある程度の実績を積んでいる必要がある。 その実績に、武闘大会への出場はピッタリなのだ。 大学内の選抜に生き残り、3つしかない大学出場権を得る事がれれば、それだけで1年間で必要な実績を楽に積める事になる。 更にその上で、大会予選を勝ち抜けば、或いは本選で1勝すれば、それ毎に賞与が学校から出る事となっているのだ。 苦学生と言ってよいジゼットの気合が入らぬ筈が無かった。 尤も、ジゼットは年間で必要な実績自体は既に挙げている。 校内でのトーナメントでは常に上位であり、学績も優秀であるのだ。 この為、戦闘学科教官長より、来年度での特別待遇学生への推薦も行うとの内示すら受けていた。 その意味では今更、武闘大会に出る必要性は低かった。 が、ジゼットには金のみならず、もう1つの大事な理由があった。 否。 それどころかもう1つの方が、理由としての比重が重かった。「居ないと思ったら、此処だったのかい」 唐突に掛けられた声に、ジゼットは慌てて振り返った。 誰なのか等、確認するまでもない。 声で判るのだ。 寄宿舎に於ける相部屋の相手だと。「先輩!」 振り返ったジゼットが見たのは、誤る事無きレニー・マイヤールだった。 余裕のある仕草で立っている。 切れのよい表情に、短く揃えられた髪。 やや釣り気味の目は鋭利さを持つが、魔法のメガネが柔らかく隠している。 短髪痩身と、まるで男のような体だがれっきとした女性であり、その意味で男装の麗人といった按配だ。 ジゼットと同じ装いをして、違いは胸元のスカーフだけ。 同じく赤色の戦闘学科だが、違いが1つ。緑色で縁取られているのだ。 これは、装着者が魔法戦闘技術習得を示している。 又、白いラインが2本、交差し、3年生である事を示していた。 そんなレニーは、家柄も良い。 王国でも有数の名家、五大伯が1家であるアーレルスマイヤー伯爵家に連なるマイヤール子爵家の長女なのだから。 尤も、そんなお嬢様の風を感じさせない砕けた雰囲気を漂わせているのがレニーだ。 だからこそ、その育ち故に貴族というものに隔意を持っていたジゼットも慕っているのだった。「おはよう、ジゼ。ベットに居なかったからビックリしたよ」「すいません。早く見たかったものですから。あっ、後、おはよう御座います!!」「はははっ、ジゼは可愛いな」 そう言ってレニーはジゼットの額に唇を寄せた。「余りにも可愛いので、キスをしてしまった」 額に残った柔らかな感触を逃さぬように、そんな訳では無いが、思わず額に手を当てるジゼット。 そんな姿に、益々笑み崩れながら見ているレニー。 レニーにとって、ジゼットは可愛い妹分であった。 否。 正に妹だった。 家に残している弟妹にもう1人増えた、そんな風に思っていた。「しかし、武闘大会か。ジゼはもう今年は出る必要は無いと思っていたんだけどね」「………えっと、褒賞金とかも欲しいですし………………」 そう言って言葉を濁すジゼット。 金は、理由ではない。 貧乏貴族でも受けれる奨学制度の為、それなりの額が給付されており、慎ましい生活を送っているジゼットにとって別に困窮する様な事は無かった。 金でもなく実績でも無い理由。 だがそれは、人に言える事ではなかった。 特に、レニーに対しては。「なんだいジゼ、欲しいものでもあるのかい?」「はい。先輩みたいな服を作ってみたいなって、思いまして」 それは嘘であるが、同時に事実だった。 レニーの私服は、センスの良いデザインで纏められていた。 しかも、普通の服とはどこかしら違いがあった。 上品だが華美でなく、動きやすそうに纏められたデザインは、レニーをこの上なく魅力的に見せている。 そうジゼットは思っていた。 金にあかせて高級な素材を使っているから ―― そう陰口を叩いていたジゼットのクラスメイトも居たが、同じ部屋で寝起きするからこそ、ジゼットは知っていた。 レニーの私服が、素材は普通のものである事を。「僕の、かい?」「はい」 尤も、特別な素材を使って無くとも、服を仕立てるのにはお金が掛かる。 トールデェ王国は国家財政が裕福であり、経済が潤っているお陰で普通の国よりは服を用意する事は難しくない。 ないのだが、それでも安くはないので、普通は古着を手に入れて、仕立て直して着ているのだ。 その仕立て代が欲しいので、武闘大会に出場したいと言う。 それは女の子らしい願望である。 以前からジゼットはレニーの服を羨ましいものだと見ていたし、その事をレニーも知っていた。 だからこそレニーは、ジゼットの言葉を疑わなかった。「全く。ジゼが服に目覚めるなんてね」「私だって年頃ですから」「そうか。なら、もう少しスカーフは綺麗に垂らさないといけないね」 後輩からの羨望を擽ったそうに、そして嬉しそうに笑いながらレニーはジゼットのスカーフを整えていた。「しかし今回も、例によって校内選抜は校内全域でのリボン戦か。この規模だと初めてだけど、派手になりそうだね」 見上げて笑うレニー。 リボン戦とは、ゲルハルド記念大学で良く行わせれている戦闘スタイルである。 参加者にリボンを与え、これを争奪するのだ。 単純極まりないルール。 しかも戦う場所は校内全域、何処でも良いのだ。 それこそ、トイレや教員区画すらでも。 無論、1日中という訳ではない。 朝食後の就学時間以外で、夕食の鐘がなるまでだ。 その間は、トイレですらも安息の場所にはなり得ないのだ。 恐ろしいまでの生き残り戦(バトルロイヤル)。 しかも使える武器は、実用品が使用されるという実戦スタイル。 意図的な殺害は、即、失格とはなってはいるが、ものの弾みというのはまま在るのだ。 一応は蘇生魔法の使える応急班が準備されており、危険な場合だと審判班が割り込む様にされているが、それでも死者が出ない訳ではない。 実際、前回の武闘大会校内選抜でも1人、死者が出ていたのだ。 単純な戦闘能力だけではなく戦術、戦略レベルでの視点が要求されるのゲルハルドの校内選抜は実戦よりも過酷だ ―― そう揶揄される事もあるのだ。 だが大学首脳陣は、その過酷さこそが人を育てると認識しており、変えられる兆候は皆無だった。「先輩は参加されないのですか?」 尋ねる、というよりも確認する様に言うジゼット。 その様子を気付くことなく、レニーは笑って答える。 但し、その笑い方はやや乾いている。「僕も流石に分は弁えているよ」「そんな………」 口ごもったジゼット。 少し、泣きそうだ。 自嘲する風すら漂うレニーの言葉だが、その実力は決して低くない。 オーソドックスな剣と盾を基本に、魔法や魔道具を用いて戦うという戦闘スタイルであり、学年内でも上位に位置してはいた。 しかし本当の上位陣、約200名でも10人と満たない連中と比べると、どうしても劣るというのが現実であった。 そしてこの校内選抜は、その総数50名程度の腕自慢がたった3つの席を巡って争うのだ。 レニーの、自分はお呼びではないという認識は間違ってはいなかった。 対するジゼットは、第1学年で本当の上位ランカーに数えられる力を持っていた。 幼い頃から戦場で生活をし、戦ってきたのだ。 実戦で鍛えられたその力は、1年のみならず3年の上位ランカーにすらも伍して、否、優越するだけのレベルに達していた。「そんな顔をするもんじゃないよ、ジゼ。人が出てきた。乙女が涙を見せるのは、武器にする時だけだ」 朗らかに笑うレニー。 その言うとおり、前庭に段々と人の集まってくる。 今日辺りに布告されるだろうと判っていたので、誰もが早く確認しようとしていたのだ。 武闘大会の校内選抜で、少しでも優位に立とうと情報収集を図っているのだ。 レニーは授業が始まるまで時間があるので、とジゼットを前庭に付随している池へと誘った。 有事に際して馬などの水場としても利用される予定の池は、この時間、静かなのだ。「すいません……」「可愛いジゼ、そんな顔をしないでくれ。それに僕にはヴィッグが居るしね」「ヒースクリフ先輩ですか」 その名に少しだけ、表情を硬くするジゼット。 だがレニーは気付かずに、機嫌よく言葉を連ねる。「そうさ。彼に背中を預け、預けられるというのも楽しいけれど、ゆっくりとその戦う様を見ていたい。そう思うのさ」 見たいのだ、と続ける。 僕の同盟者がどう戦うのか、と。 ヒースクリフ先輩、即ちビクター・ヒースクリフはレニーが同盟者と公言して憚らない相手であった。 だからなのだ(・・・・・・)。 ビクタ-に戦いを挑む。 それが、金と並んで、ジゼットが校内選抜に挑む理由だった。 傭兵上がりで荒れていた自分を助けてくれた、真っ当な学生へと導いてくれたレニー。 最初は嫌っていて、だけど気付いたら大好きになっていたレニー。 口には出せないけど、お姉ちゃんって呼びたくなるレニー。 そのレニーが拘る男の性根を、武によって尋ねん ―― そう決意していたのだ。 直接確認した訳ではないが、噂では内々には将来の約束までしていると言う。 何と言ってもビクターは幾度もレニーへの挑戦者、婚約希望者を叩きのめしているのだ。 只の同盟者相手にそこまでするだろうか。 判らない。 だけど、レニーの実家は子爵家だが並の伯爵家に匹敵する大金持ちという噂だ。 なら、金を狙った逆玉狙いの不逞な輩かもしれない。 だから尋ねるのだ、武によって。 剣は、剣筋は嘘をつかない。 だからジゼットは、校内選抜に参加するのだ。「っ!」 顔を叩いて気合を入れるジゼット。 相手は最年少で前衛資格者章を得た、<鬼沈め>の字名すら持つ男。 現在、学生達が決めている非公式校内ランキングの上位、“鉄槌”のフランツや“金剣”エヴェントリーらと並ぶ校内最強の一角なのだ。 いや、フランツやエヴェントリーが持つのは、校内でしか通じない字名であるから、校内に於いて格が違う。 そう評価しても間違いでは無いだろう。 そこだけ聞けば将来有望株と云うだけだが、同時に、悪い噂も聞くのだ。 非道外道を問わない戦い方をする誇り無き人間だとか、影で女性を何人も泣かせているとか、本当は強くないハッタリだけの人間だとか、だ。 その全てが真実だとジゼットも思っている訳では無かった。 レニーが選んだ相手なのだ。 レニーの男を見る目がそこまで曇っているなんて、思えなかった。 思いたくなかった。 だからこそ、ジゼットは挑むのだ。噂ではなく真実のビクターを見極める為の。「どうした、ジゼ?」「何でもありませんっ!」 ジゼットは強く宣言していた。異世界ですが血塗れて冒険デス (σ゚∀゚)σエークセレント30万pv記念作 Ⅰジゼット・ブラロー ―― 大学生活時、同世代から見た<鬼沈め>観察記 そして、校内選抜の当日。 朝、まだひっそりとした眠りに校内が沈んでいる時間。 だがジゼットは既に動き出していた。 学生の武具を一括して管理する武具庫へ来ていたのだ。 朝食後が選抜開始ではあるが、その時点までに準備をしていなければ、何をする前にリボンを奪われてしまう可能性があるからだ。 だから、早めに準備を行っていた。 髪を縛り上げ、戦闘中に捕まれない様に後頭部でまとめておく。 ジゼットとしては、レニーの様に肩口で切り揃えたいとも思っているのだが、同時に腰の辺りまで伸びているので切るのが勿体無い。 そう思って、ずるずると切れて居なかったのだった。 髪をまとめ終えたジゼットは、自身に与えられている武具庫内のロッカーから革鎧を取り出し、着込んでいく。 全身を包む古びたソレは、学校で授業用にと貸し出されているものだった。 学生の間で代々引き継がれている革鎧は、その歴史を物語るように継ぎ接ぎが目立つ。 しかも、フリーサイズとして作られている為、やや細身のジゼットが着込むには少しばかり大きすぎていた。 それをジゼットは厚手の鎧下を着込む事で、何とか使える様にしているのだ。 故に、お世辞にも似合っているとは言い難かった。 鏡を覗き込む。 少しだけ表情が曇った。 可愛さなど欠片も無い自分の姿に、少しだけさびしくなったのだ。 鎧に可愛さを求める時点で変と言えば変であるが、そこはジゼットも年頃の女の子であり、お洒落をしたいと思う面もあったのだ。 とはいえ苦学生が、似合う鎧など買える筈も無い。 比較的廉価な革の鎧であっても、新規に購入しようとすればgr金貨が3枚から必要になるのだ。 或いは4枚出せばお釣りが来る、そんな値段なのだ。 そんなお金など工面出来る筈もなかった。 という訳で、傷だらけの継ぎ接ぎだらけの鎧を着たジゼットは、最後に右の胸に白いリボンを貼り付けた。 校内選抜参加章だ。 戦闘準備や良し。 そう頷いた。「おやよう、ジゼット・ブラロー。早いのだね」 背中から掛けられた声に驚くが、同時に、驚きを現さぬようにして返事をするジゼット。「準備を怠って倒れるのは趣味じゃないですから」 但し、その表情は不快げに歪んでいた。 声に聞き覚えがあったのだ。 より正確には、聞きたくない声、とも言えるだろう。「1年にしては賢しい事だ」 振り返ったジゼット。 それまで誰も居なかった武具庫だが、いつの間にか人で満ちていた。 自分が集中し過ぎていた事を恥じる。「おはよう御座います、エヴィトリー先輩」 エヴィトリー、そう呼びかけられた男は、何と言うべきだろうか。 キンキラキンであった。 金色の胸甲をつけ、のみならず籠手や脚甲までが金色だ。 しかも、腰に佩いている剣も、鍔や柄は金色である。 目の痛くなりそうな格好の男、それが“金剣”のエヴィトリー・D・リニトフだった。 笑顔を見せているが目が笑っていない。 そんなエヴィトリーが、ジゼットは大嫌いだった。 レニーに求愛し、拒否されているのに何度も求愛を繰り返すしつこさも。 何かあれば金で頬を叩くような下品さも。 人を見る時に見せる値踏みするような目つきも。 どれもこれも気に入らない、鼻持ちならない奴だった。 言ってしまえば爵位持ちしか人間として見ていない、そんな奴なのだ。 そんなエヴィトリーがジゼットの顔と名を覚えている理由は、レニーだった。 エヴィトリーは幼い頃に夜会でレニーに出会って、一目ぼれ。 それ以降、あの手この手で求愛したが突っ撥ねられてしまった。 が、愛ゆえに気が付けばここまで追ってきた ―― 一般的に、貴族の子弟が通っている王立大学院では無く、ゲルハルド記念大学に入学したのだとエヴィトリーは公言していたのだ。 そして学校内では、暇さえあればレニーに近づこうとしていた為、ジゼットの顔も覚えたのだった。 尤も、覚えたといっても学友に対するソレではなく、使用人に対するのと変わらぬレベルで、であったが。 兎も角、そんなエヴィトリーの話だが、ジゼットがレニーに聞いた話だと、事情は少し異なっていた。 公衆面前で手ひどく振ったので、引っ込みがつかなくなったのだろう、と。 後は政治だ。 エヴィトリーの家、リニトフ家は王国でもトップに位置する三頂の1家、ダニーノフ伯爵家に連なるの子爵家なのだ。 それが同じ子爵家とはいえ、三頂よりも格の落ちる(・・・・・)五大のアーレルスマイヤー伯爵家に連なるマイヤール子爵家に面子を潰されたとあっては、退けないのだという。 その事を説明する時のレニーは、酷く酷薄な笑みを浮かべていた。『僕はねジゼ、僕の人生を他人に好き勝手させる積もりは無いのさ』 そう断言していた。 そして、それは父も了解済みだと言う。 祖父の代から自力で領地を豊かにしてきたマイヤール子爵家は、王家以外は何処であろうとも膝を屈する積もりは無い、と。『お爺様を馬鹿にした伯本家も、それ以外にも、だ。幸い、良い虫除け(・・・・・)を得たので話は簡単なのが有難い』 その瞳には強さがあった。 折れぬ意思があった。 その迸りのままに、レニーは自分への求愛者に常に言っていた。『僕を嫁としたくば、彼に勝て』 彼、虫除け。 それがビクターだった。 ビクターはレニーを欲した男(バカ)どもを尽くねじ伏せていた。 叩きのめしていた。 そして当然、その中にエヴィトリーも居た。 エヴィトリーも又、叩きのめされて求愛を否定されていた。 にも関わらず、その後もレニーに言い寄っているエヴィトリーを、レニーは勿論、ジゼットも嫌っていた。 恥知らず、と。 残念なのは、傭兵上がりの苦学生ではそれを表に出す事が出来ないと云う事だろう。「挨拶がもう少し遅ければ叱り飛ばしていた所だが、礼儀は失していないようだな。結構」「ありがとう御座います」 欠片も下げたくない頭だが、顔が顰めってしまうのをごまかす為に、会釈するジゼット。 内心で、思いっきり舌を出しておく。「よい、励め」 そう言うと、エヴィトリーは取り巻きの連中を連れて、出て行った。「ふぅーっ」 派手な格好が見えなくなると、ジゼットは盛大にため息を漏らしていた。 好き嫌いで言えば、即答で嫌いな相手だが、同時に礼を失してレニーに迷惑は掛けたくない。 そう思っていたのだ。「ついでにアレも、機会があったらぶちのめしてやる」 気合を入れなおす意味で、両の頬を叩くジゼット。 傍らに置いていた武器を掴んで立ち上がった。 気合を入れたジゼットだったが、実際問題として即、決戦乱戦死戦の類は発生しなかった。 校内選抜に参加する皆が皆、勝ち抜きを狙うが為に様子見に徹したからである。 隙を窺いあい、そして隙を見せぬようにしていたのだ。 校内選抜を潜り抜け、武闘大会に出るという事は将来の立身出世に影響があるのだ。 であればこそ、誰もが真剣であり必死なのだった。 無論、その事を理解しないジゼットでは無かったが、何と云うか、肩透かしを受けた気分があった。 こんな状況でビクターに戦いを挑むのはどうだろうか。 悪目立ちしないだろうか、と。 授業中、体を動かし辛い革鎧を着込んだまま授業を受けつつジゼットは、そんな事を考えていた。 だが、そんな風に考えていたのも昼までだった。 気の休まらない昼食とか、トイレすらもままならない状況に厭きたのだ。 周囲を警戒しつつ食べる食事にも、襲撃に脅えながら入るトイレにも。「やりましょう」 武器を握って決意した。 ジゼットの大目標はビクターを測る事なのだ。 であれば、もう他の連中がどう出るかとか、どうでも良いじゃないか、と。 決意してからのジゼットの動きは早かった。 一日の授業が終わるや否や、武器を持って駆け出した。 行き先は無論、ビクターの居る戦闘学科3年の教室である。 行く途中に居た生徒達は脅えたように避けるが、ジゼットは委細構わずに駆け抜けると、勢い良く扉を開けて、武器を振りかざして叫ぶ。「ヒースクリフ先輩、決闘を申し込みますっ!!」 握った武器、斧槍たるバルデッシュの切っ先は、ピクリとも動かずに、ビクターを捉えていた。 第2種制服のままで、胸にリボンを付けていたビクターは、肩を竦めて挑戦を受け入れた。「気合が入ってるね、どうも ―― 場所は?」「此処ででも」「いい決意だ」 ビクターが立ち上がる。 腰の両側には、トレードマークのショートソードを2本、吊るしている。 だが、鎧と呼べるものは上半身はおろか下半身にも付けていない。 かろうじて防具と言えそうなのは、革のグローブと金属のガードが付いたブーツだけだろう。「その格好で宜しいのですか」「ああ。何時でも」 そう言葉で、全てを察したクラスメート達は、慌てて教室の脇へと逃げ出した。 この教室には校内選抜への参加希望者が居なかった事から、誰もが見物人と化した。 見物人の中にはレニーも居た。 驚いたような楽しんでいるような、そんな表情を浮かべながら、壁際へと動いた。 教師だけは生徒を走らせ、審判と救護の手配をしていたが、目は2人を追っていた。 多くの人間に見守られながら、澱みない動作で抜剣するビクター。 左のショートソードを前に構え、右のショートソードを背負うような、独特の構えをした。「ではっ!」 ジゼットの発した言葉、その時から教室は戦場となった。 圧倒的な暴力性を見せるジゼットのバルデッシュ。 対するは変幻自在に動くビクターの双のショートソード。 狭くは無いが、広いとは言い難い教室に、鉄の嵐が生まれていた。 狭い空間であれば、通常は得物の小さな側が優位になるのが通例であるが、この場では、それが実現していなかった。 鋭く振り回されるバルデッシュの殺傷圏が大きく、だが教室の狭いが故く接近ルートが限定されている事が、この状況を生み出していたのだ。 ビクターは、ジゼットの内懐に潜り込め切れずにいた。「イヤァァァッ!!」 横なぎに振りぬかれたバルデッシュ。 しゃがみこんで避けるビクター。 僅かに距離を詰めようとするが、即座に石突の側が回ってくる。 否、下手に距離を取ろうとすれば突いてくる。 ジゼットは、変幻自在にバルデッシュを操っていた。 見事な技である。 小柄な身で、大降りのバルデッシュを見事に扱っていた。 対するビクター。 此方も、見事であった。 回避は無論であるが、大威力を秘めたバルデッシュの斬撃を、ショートソードにダメージを与えない様に見事にいなしていた。 或いは、バルデッシュの切っ先へと一撃を食らわす事で、ぶっ飛ばしてすらもいる。 更にその上で、可能であればジゼットとの距離を詰めていく。 この教室でなければ、障害物の多い場所でさえなければ ―― 見るものにそう思わせる動きがあった。 戦場がジゼットとビクターを互角に戦わせているのだ。 逆に言えば、この場を戦場としたジゼットの戦術的判断力の高さ、その表れであった。 だがそれでも尚、地力の差は頑として存在した。 少しづつだがビクターとジゼットの距離は詰り、そして長大なバルデッシュを振り回す事でジゼットには無視し得ない疲労が蓄積されつつあった。 大振りされたバルデッシュを弾き、そのまま距離を詰めるビクターだが、同時に引いてみせるジゼット。 否。 退いたのはフェイクだった。 二歩目のバックステップでの軸足に、力を込めて一気にビクターとの距離を詰める。「!」 そしてショルダーからの一撃(チャージ)。 如何に小回りの効くショートソードとはいえ、当然ながらも近すぎては振るえない。 見事に、鉄板の仕込まれた左肩甲の一撃を喰らうビクター。 吹き飛ばされ、ない。 重心を持って行かれながらも、体格差故に踏みとどまる事に成功する。 浮いた重心を戻すように腰と脚を屈ませ、そのまま膝蹴りを放つ。 狙ったのはジゼットの左腕。 追撃にと下から振りぬこうとしていたバルデッシュを持っていた腕、その機を潰すのだ。「いっ」 金属製のスパイクが仕込まれていたビクターの装甲ブーツの一撃は、ジゼットの鎧、その薄い所を貫いたらしく、鮮血が飛ぶ。 だが、ジゼットは悲鳴を上げない。 僅かに顔を歪ませると、距離を取る事を選択する。 仕切りなおし。 2人は共に大きく息を吸いながら、互いの隙を窺う。「やるね」 素直に賞賛したビクター。 だが、それを貰ったジゼットの表情には苦笑いがあった。 困りました、と言う。「どうした?」「私、勝ちたいみたいです」 ジゼットにとってビクターに戦いを挑んだ理由は、その性質を見る事が目的だった。 その意味で、目的は達成していた。 柔軟にして強く、そして貪欲に真摯に勝利を望むその剣は見事だった。 そして何より、ビクターは最初っから全力で、真っ向から戦いを挑んでくれた。 これが良かった。 如何にこの場が戦士を訓練する場、男女平等が謳われているとはいえ、女性という事で手加減し、軟派をしてくる手合いは多いのだ。 ジゼットがやや小柄という事もあって、数合と手合わせするまで、舐めてくるのだ。 だがビクターは違った。 ジゼットを少女としてではなく、1人の戦士として相対していたのだ。 だから、後は負けても良かった。 当初の予定であれば。 だが、今は違う。 今は負けたくない(・・・・・・)。 相手が真剣であり、真摯であるからこそ、全力でぶつかり勝利したい。 それはジゼットの内に潜む戦士の魂、その意地であった、誇りであった。 勝ちたいのだ。「良い表情だ、ジゼット」 対するビクターも笑う。 笑っている。 誇り高い敵と相対する、戦う喜びを見せていた。 そこで会話は途切れ、共に相手の隙を狙う様に動く。 否、隙ではない。 狙うのは機、だ。 相手の攻撃手段、防御手段を踏破して相手を沈めるチャンスをだ。 高まっていく緊張、そして興奮。 だがそれが最高潮に達する前に、それはかき消された。 乱入者達によって。 開け放てれいた教室の扉、そこから武装した学生達が流れ込んできた。 それぞれ、白いリボンを何処其処に付けている。 校内選抜への参加者だ。 その数、実に18名。 数に圧される様に、下がり、壁を背にするビクターとジゼッタ。 乱入者達は、それを半円状に囲んでいる。 それぞれ既に武器を抜いて持っているのだ、その目的は間違っても見物などではないだろう。 ビクターは、この展開に楽しそうに目元を歪めていた。 但し、好意的にではない。 この校内選抜がルール無用の乱戦とはいえ、気持ちよく戦っていたのに水を差されたのだ。 気分を害さぬ筈が無かった。 だがそれ以上に機嫌が悪いのがジゼットだ。 ビクターと同様に、楽しんでいた決闘に水を差された事は気に入らないが、それ以上に乱入者達の顔を見て、1つの事に気付いたのだ。 その正体に。 乱入者達は只の校内選抜参加者ではなく、あの気に入らないエヴィトリーの取り巻きだと云う事に。「“金券” の手下ですか」 小さく毒を吐くジゼット。 金色の剣を持つが故の“金剣” の2つ名。 だが同時にエヴィトリーは、その金で物事を測り解決する姿から、悪意を込めて “金券” とも呼ばれていた。 その毒を拾ったか、乱入してきたエヴィトリーの取り巻きは表情を険しくした。「下賎な傭兵上がりがっ」 吐き捨てる様な言葉。 睨み合う表情が、より険しくなる。 正に一触即発。「決闘に乱入する恥知らずは、傭兵以下ですね」「この校内選抜に、決闘の様な決まりは無い」「無ければ何をしても良い、ですが。犬畜生にも劣りますね」「貴様っ!!」 言葉を介してのきり合い。 だがその間にも、誰もが力を体中に込めて、突撃する瞬間を待っていた。「数を頼る恥知らず。相手をしてあげますので掛かってきなさい」 堂々と宣言するジゼット。 小柄な身ではあるが、その威は見事であった。 その雰囲気に呑まれる乱入者。 ビクターは、その笑みに本物の楽しさを加えた。 気合の入った人間は大好きさ、と。 だからこそ武器を持って来ておいて、気の抜けた様な事をする人間は好きでなかった。「黙って聞いていれば、言葉を ―― 」「おいおい、お前らは何をしに来た?」 ゆっくりとしたその言葉が、ジゼットも乱入者も問わず、視線を集める。 嗤うビクター。「おしゃべりに来たのか? 違うだろ。戦いに来たんだろ? なら、剣で語れ」 双のショートソードを構えるビクター。 数に劣れども、威では負けない2人に、圧される乱入者達。 だがその時間は短かった。 乱入者の真ん中に居た少女が、自らの武器 ―― ブロードソードを振り上げ、やけくそ染みた声で宣言したのだ。「ええい、かかれっ!!」 乱戦が始まった。 但しソレは、それまで行われていた戦闘とは比べ物にならない一方的な鏖殺であった。 振りぬかれたバルデッシュの切っ先が一撃で3人を吹き飛ばし、ショートソードが煌けば2人が崩れ落ちていた。 ただの一瞬で、3割近い人間が一気に戦闘不能となった。 圧倒的なまでの技量の差だ。 だがそれでも尚、乱入者達は足を止めずに突っ込んで行く。 距離を詰めて数で圧す為に。 勝利を信じるが故に。 或いは、彼らが自らの後ろに居るエヴィトリーを恐れるが故に。「おぉぉおぉっ!!」 怒声と共に振り下ろされたバトルアックス、狙いはビクターだ。 バトルアックスは、その重量と鋭い刃によって、上手く一撃を当てさせすればどんな相手でも倒せる武器だ。 そう、当てられれば、だ。「気迫だけで、俺は倒せんよ?」 軽口と共に放たれたビクターの一撃は、バトルアックスの柄を痛打し、軌道を逸らす。 重い刃先が、教室の床に裂傷を付けた。 だが、それだけ。 重たいバトルアックスを持ち上げるより先に、その持ち主へ返礼の一撃を喰らわせる。 それは蹴りだ。 躊躇無く放たれた中段の一撃、装甲ブーツの爪先は、狙い過たず膝を打ち抜き、これを砕いた。「ぎひぃっ!?」 痛みに転げまわるバトルアックスの持ち主。 追撃は行わない。 まだまだ相手は10人を越えているのだ。 そんな無駄な行為をする暇など無かった。 常に周囲を見て、ジゼットの背を護る。 バルデッシュという大振りを要する武器を持つジゼットは、まだまだ懐に飛び込まれた時の対処能力が低い。 まだ若いとも言える。 だからこそ、カヴァーするのだ。 それは、先の決闘もどきでそれを知ったが故の行動だった。 ビクターに、先ほどまで戦った相手なのに、そんな意識は無い。 ジゼットを気に入ったのだ。 それまでは幾度か言葉を交えただけの相手だったが、剣を交えて判った。 素直な良い子だと。 しかも可愛い子である。 であれば、助ける事に迷いなど無かった。「脆いな、脆いじゃないか」 腰が引けた連中をあしらいつつ、ビクターは嗤う。 嗤ってみせた。 だが、嗤っていられたのもそこまでだった。 教室の入り口からゆらりと入ってきたエヴィトリーの姿を見るまで。 エヴィトリーが自らの剣を抜いている事を、その剣が炎を纏っているのを見るまでは。 レニーへの求愛を掛けて行われた決闘で、一度、その威力を見ていたビクターは、反射的に叫んでいた。「目を閉じろっ!!」 逃げろとは言わない。 言っても無理、無駄だと判っていたから。 自分も、ジゼットも、周りの人間も。 だから、せめて目が護れるように(・・・・・・・・)と叫ぶと、双のショートソードを捨てて傍らのジゼット抱いて地に伏せた。「えっ!?」 ジゼットが状況を把握する前に、教室の真ん中に火球が生まれた。 轟音と閃光。 それはエヴィトリーの持つ金の剣、太陽を模したソラーレの力だった。 ソラーレは持ち主の魔力を変換し、炎と衝撃波とを伴った強烈な1撃を生み出せるのだ。 煙によって視野の閉ざされた教室の中に、エヴィトリーの笑い声が響き渡る。「はははははっ! 見たか、成り上がりの男爵家の人間如きが、栄えあるダニーノフ伯爵家の一門に逆らうからだ」 息絶え絶えに言い切ると、膝をついたエヴィトリー。 ソラーレが必要とする魔力を保有していなかった為、生命力をも魔力に転換していたのだ。 正に、渾身の一撃であった。 顔は真っ青になり、脂汗が浮かんでいる。 だがその表情は苦悶というよりも歓喜であった。「さぁレニー、君への障害だったビクター・ヒースクリフは倒れた。よって君は――」 調子よく舌を動かすエヴィトリー。 だがそれをレニーが叩き潰す。「君は馬鹿か?」「は?」「僕の同盟者がその程度で倒れるものか。エヴィトリー、君は甘いね」「馬鹿な、このソラーレの一撃を受けて立てるものなどっ!!」「だというけど、どうだい、ヴィッグ?」「立つだけなら、余裕かな」 レニーの声にこたえる様に、煙の向こう側からビクターが歩き出てくる。 その足取りは落ち着いた、しっかりとしたものだった。 だが、無傷という訳では無かった。 怪我人の回収に動いている救護隊が、怪我人を発見し易いようにと生み出した魔法の風が、煙を吹き飛ばす。 爆心地で立っているのは、ビクターだけだった。 ビクターに庇われたジゼットも腰が抜けたのか座り込んでおり、他の連中に至っては床で呻いていた。 死屍累々。 その惨状の中で、ビクターは立っていた。 右手でショートソードを持ち、自分の足で、しっかりと。「酷いものだね」「ああ。酷い目にあったよ」 レニーに軽く返すが、ビクターの状態は控えめに言っても酷いものだった。 服は何処其処が黒く炭化し、その上、体中に赤黒く火傷が出来ていた。 ジゼットを護ろうとした結果、ソラーレの一撃を全身で浴びてしまっていたのだ。 仕方が無いだろう。「人混みにあんなものを躊躇無くぶち込みやがって。非道だな、エヴィトリー・リニトフ」 ゆっくりと歩きながら、エヴィトリーへと迫るビクター。 その右手にはまだ、ショートソードが握られている。 酷い状態のビクター。 だがその目は生きていた。 意思があった戦意があった。 挫けぬ意志があった。 怒りがあった。「なっ、わっ、ばっ、ばっばっ化け物めっ!!!!」「よく言われるよ。特に弱い奴(・・・)から、な」 唾棄するが如く言い捨てるビクター。 ビクターは怒っていた。 かなり怒っていた。 戦闘で魔法を使うのは良い。 魔法もまた手段なのだ、使って悪い訳が無い。 しかも、相手が油断している所へぶっ放すのは、戦術的にも正解だ。 その点でだけなら、エヴィトリーを褒めてやっても良い。 だが怒っていた。 許せない事が1つ、あったのだ。 それは仲間、というか部下を囮に使ったこと。 否。 囮は良いとしても、その囮を巻き込む形で攻撃したこと。 コレは許せない。 人として、許せない。 更に、ビクターを怒らせる理由があった。 その囮にいた女の子は、皆が皆して中々に可愛かったのだ。 可愛いは正義。 それが例え敵であっても、何時かは良い関係になって夜明けの黒茶を一緒に飲むかもしれないのだ。 可能性は無限大。 であれば、その可能性を摘むなど許し難い。 ある意味で爛れた発想のビクターだが、その怒りは本物だった。 その眼に気圧された様に、下がるエヴィトリー。 ビクターが1歩進むごとに2歩下がる。 だが何処までもは下がれない。 エヴィトリーの背が、教室の壁にあたった。 もう、下がれない。「ひっ!?」 脅えるエヴィトリー。 手に持ったソラーレを突き出すが、切っ先が震えている。 その鋭い切っ先も、もはや武器に見えない。 ビクターはゆっくりと嗤った。 それは実に加虐的な笑みだった。 必死になって窮地を脱する方策を考えるエヴィトリー。 だが手は無い。 肉体的には勝てない。 一度負けているし、ソラーレを撃った反動で体に力が入らないのだ。 故に、そのソラーレをもう一度放つ事も出来ない。 逃げれない。 出口まで行く前に、切り伏せられるだろう。 絶体絶命。 エヴィトリーに出来る事は、ただ、近づいてくるビクターを見ているだけだった。 が、それ故に1つの事に気付き、慌ててビクターの胸を見た。 確認した。 するとどうだろう、エヴィトリーの予想通り無かった(・・・・)。 その瞬間、エヴィトリーの感情が爆発した。 喉を詰まらせる程の笑いの発作が出た。「はははあははっ、俺の勝ちだビクター! この成り上がりの子めっ!!」 その声は、実にヒステリックだった。 狂的だった。 ビクターを見ながら見ていない。 そんな声だった。「お前は私の一撃でリボンを失った。もうコレで選抜戦に参加する資格は失ったのだ! これで、この場で振るえば私戦だ、貴様は放校処分だ。放校処分にしてやる!!」 叫びは、悲鳴にも似ていた。 自分の正しさを、優位さを示そうとしているが、どうにも成功していない。 ビクターは歩みを止めて、哀れみの色さえ浮かべて言った。「悪い、レニー。説明をしてやってくれ」 実に見事なまる投げだった。 戦闘、特に白兵戦では滅法強いビクターだったが、頭脳労働他の面倒毎は尽くレニーに委託していた。 本人はシレっと役割分担と嘯くが。「相変わらずだねヴィック、僕の同盟者」 頼られるのが嬉しいのだろう、レニーは笑顔を浮かべて続けた。 魔法攻撃によるリボン消失などによる資格喪失は、ノックダウン等が発生していない場合には認められないのだ、と。「何故だ!? そんな馬鹿な!!」「馬鹿なと言われても、その困るぞ。常識的に考えてみたまえ。魔法攻撃によって偶発的にリボンを奪って勝ったような人間が選抜されて、それで果たしてゲルハルド記念大学の代表足りえるか、とね」「しっ、審判!?」 縋るように審判を見たエヴィトリーだったが、その答えは無常であった。 戦闘続行。「さて、覚悟を決めろ」「ひぃぃぃぃっ!?」 必死になってソラーレを振るうエヴィトリー。 だが、そんな程度の一撃に当たる程にビクターは優しくない。「Kieeeeeeetu!!」 最初の一撃はソラーレへ。 叩き落す為の一撃。 だが、運はエヴィトリーを見放した。 或いは、ソラーレが持ち主を見放していたのか。 ショートソードが叩きつけられた瞬間、澄んだ音共にソラーレは真っ二つに折れていた。「ひぃ!?」 もはや気絶しそうな表情を見せるエヴィトリー。 その倒れそうな胸元を掴むビクター。 左手で支え、倒れぬようにする。 倒れる逃げるのを封じる。 否。 それ所か、吊り上げて笑う。 それは獣の笑みだった。「安心しろ、命は取らない。が、女性を傷つけば罰だ。血反吐を吐いて悶絶しろ」 狙ったのは下腹部。 穿つのはショートソードを捨て造った右の拳。「止めてくれぇっ、おっおれ!?」 命乞いは聞こえないとばかりにフルスイング。 ビクターの拳が、エヴィトリーの下腹部を護っていた鎧を貫いて突き刺さった。 吐瀉、血反吐とを撒き散らし、自ら作った汚物溜まりへと倒れこむエヴィトリー。「それが、人の痛みだ」 呼吸も、悲鳴すらも上げられずに悶絶する姿に、一切の同情も含ませずに言い捨てるビクター。 そして肩を回して軽く柔軟体操をすると、振り返って笑った。「さて、無粋な連中は倒れたから、続き、やらないか?」 対象はジゼットだ。 いっそ朗らかと言ってよいビクターの笑顔に、ジゼットは笑いの発作を抑え切れなかった。 笑い続けているジゼットに、ビクターはどうしたものかと頭をかいた。 そしてふと、思い出した。 考えるのは俺の役割じゃないし、担当が直ぐ傍に居る事も。「なぁレニー、この場合だとどうすれば良いんだ?」「くっくっくっ、君は女性に必ず負けるんだね」「そうだな、勝率は悪い。自覚はあるさ」 肩を竦めたビクターに、レニーは柔らかく笑っていた。「私の負けです、ヒースクリフ先輩」 それが、笑いの治まったジゼットの最初の言葉だった。「良いのか?」「はい。ですけど、お願いが1つあります」「何だ?」「私がもっと強く成れたら、又、手合わせして貰っても良いですか?」「それなら幾らでも、ね」 ビクターの言葉に莞爾と笑ったジゼットは、深々と頭を下げ、そして自分のリボンを外したのだった。 ジゼットが自分でリボンを外してから3日後の昼下がり。 校内選抜が終了した後、ジゼットはレニーと共に大学構内に設けられている喫茶スペースで黒茶を楽しんでいた。「まさか君が最初にヴィックに戦いを挑むなんてね」「すいません、先輩」「何を謝る必要がある」「いえ、何も先輩に相談せずにいた事が………」「可愛いジゼ。君が自分で決めていた事に僕が反対する筈が無いじゃないか」「すい…違いますね。では、有難う御座いますっ!」「そうだ、それで良い」 後輩の努力を否定するような趣味はないと笑うレニー。 その笑顔に、ジゼットはくすぐったさを覚えて、頬を赤らめた。「全く、可愛いな」 更にそう言われれば、肩を寄せて小さくなってしまう。 頬が真っ赤で、実に可愛いらしい。 そんなジゼットを、我が事の様に誇るレニー。「可愛いだろ?」 問いかけたのは、ジゼットの後ろ。 喫茶店の給仕ではなく、待ち合わせの相手だった。「ああ。あの時も可愛かったけど、今はもっと可愛いな」 ビクターだった。 朗らかに笑いながら、2人のテーブルに座った。 傍の給仕に、自分の分の黒茶を注文するのも忘れない。「ヒースクリフ先輩!」「久しぶり」「あぇ、あっ、その――」 予定外の邂逅に、慌ててしまったジゼット。 自分を落ち着ける為に、両の掌で頬を叩いた。 背筋を伸ばして言う。 正面から戦ってくれた事を、自分を子ども扱いしなかった事を。 それらの感謝の気持ちを込めて。「有難う御座いました」「どういたしまして」 真正面からの賛辞に、ビクターは照れくさそうに笑った。 ビクターの分の黒茶が届いてから、レニーはおもむろに口を開いた。 アッチはどうなった、と。「エヴィトリーか」 今日、ビクターは校内選抜に関わる事情聴取に呼ばれていたのだった。 主題はエヴィトリーとの交戦時の事だ。「大丈夫だったんですか?」 恐る恐ると尋ねてくるジゼットに、ビクターは笑う。 問題は無かったよ、と。「リボンに関しては話したとおりで、問題は無し。ソラーレの破損に関しては、持ち込んだ奴が悪い、とね」 武器は何を持ち込んでも良い。 だが、破損損壊の結果は持ち込んだ人間の自己責任 ―― そう、事前に説明されていたのだ。 如何にエヴィトリーが、ソラーレがリニトフ子爵家の家宝だからと力説しても、無意味というものだった。「そんなに大事なのであれば、宝物庫に入れて飾っておけばよいのだよ。愚かしい」 切り捨てるレニー。 自分の取り巻きを囮とした件もあって、かなり怒っていた。 今後はもう、喋りたくないと言う程に。「そう言えばお咎めは無いんですか?」 問いかけたジゼット。 無論、エヴィトリーに関してだ。 奇跡的に死者が出なかったとはいえ、やった事は看過するには余りにも問題が大きい。 そう思えたのだ。 だが、現実は非情だった。「無しだよ。校内選抜における規則を明確に破った訳じゃないからね」 但し、と続ける。 ルールを侵さなかったが、人の仁義を破ったので、取り巻きと言われた連中は殆どが逃げだしている、と。「当たり前だね。使い潰されると判ってリニトフ家に、ダニーノフ家の威光に擦り寄ろうとする人間は居ないって事だな」「その通り。その内に自主退校でもするんじゃないのかな?」「小物に相応しい結末だな」「さて、ジゼ。次は君だ」 話が振られた事に驚くジゼット。 慌ててビクターを見れば、頷いていた。 意味が判らずに混乱する。「私、ですか?」「そうさ、ヴィッグも来た事だし行くとしようか」「そうだな。敢闘賞だ」 それは、服を作りに行くという事。 お金はビクターとレニーが一緒に出すという。 慌てるジゼット。 オーダーメイドの服の値段を知っているが故に、大いに慌てる。「えっ、でも!?」「安心しろ、僕のお小遣いは一寸とした物だし、ヴィッグは金持ちだ」「金持ちという意味ではマイヤール家には勝てないさ」「ふん。実家は実家。私は私だ。自分で稼いだヴィッグの方が立派だよ」「お褒めに預かり、光栄です」 明るく笑う2人の姿に、ジゼットは肩の力を抜いた。「それなら、よろしくお願いします。レニー先輩、ヒースクリフ先輩」「どういたしまして、だ」「そうだジゼット、1つだけ頼みがあるんだが………」 朗らかに笑うレニーに対して、ビクターは少しだけ顔を曇らせた。 その表情に慌てるジゼット。「え、はい! わっ、私に出来る事でしたら何でも!!」「ああ。君にしか出来ない事だ。僕の事をビクターって読んでくれないか。何時までもレニーと差があると、寂しいんでね」 茶目っ気タップリにウィンクしたビクター。 その意味を意図を理解したジゼットは、頬を赤らめビクターの名を呼んだ。「はい、ビクター先輩!」 頬を赤らめたジゼットは、実に可愛かった。 だからレニーは、少しからかう。「気をつけるんだよジゼ、僕の同盟者は誠実だし腕も立つが、少し垂らしだからね」「おいレニー、その言い方は酷いじゃないか」「どうかな? ヴィッグ、君は――」「おいおい――」 楽しく言い争う2人を、嬉しそうに見るジゼット。 笑いを含んだ声は、澄んだ空に吸い込まれていった。 校内選抜の結果が張り出されている。 それを見上げながら姦しく騒いでいる学生達。 その中にあって、異彩を放っている男が1人。 学生と呼ぶには余りにも完成した体 ―― 服の上からでも判る、巌のような肉体をした男だった。 口を開くことなく、真剣に掲示板を見ている。 睨んでいる。 フランツ・ケルナー、戦闘学科2年の生徒だ。「ビクター・ヒースクリフか。見せて貰おう、かの<傭兵姫>マーリンの愛人たる力を」 ビクターと並んで、合格者の中にフランツの名が含まれていた。 風が吹く。 それは、後に史上まれに見る激戦と謳われた第15回武闘大会が開催される1月前の事であった。