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No.8212の一覧
[0] 異世界鍛冶屋物語(現実→異世界 日常系)[yun](2013/03/12 00:07)
[1] 鬼に鉄剣[yun](2010/11/30 01:00)
[2] 願わくば七難八苦を与えたまえ[yun](2009/04/24 01:16)
[3] 貴き種族の話[yun](2009/04/25 21:59)
[4] 汝は人狼なりや[yun](2009/05/31 17:06)
[5] 蓼食う虫も食わないもの[yun](2010/09/01 19:06)
[6] エルフと死霊[yun](2009/06/21 23:04)
[7] 鍛冶屋の日常[yun](2010/09/02 01:26)
[8] 柔らかな記憶[yun](2009/09/29 01:50)
[9] 夜に生きる[yun](2009/10/21 22:12)
[10] 剣神の憂鬱[yun](2010/04/05 01:39)
[11] 光の射す方へ[yun](2010/09/02 02:00)
[12] 鍛冶師と竜騎士(前篇)[yun](2010/09/07 01:35)
[13] 鍛冶師と竜騎士(後篇)[yun](2010/10/12 03:23)
[14] 得るものと棄てるもの[yun](2010/11/29 02:05)
[15] 復讐するは我にあり[yun](2011/02/01 01:39)
[16] 正しい力の使い方について[yun](2012/12/16 12:33)
[17] 神に祈りを、ヒトに希望を[yun](2013/03/10 08:44)
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[8212] 鍛冶屋の日常
Name: yun◆04d05236 ID:fe1e07cd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/09/02 01:26









 ファリオダズマには科学が発展していない。

 それは純然たる事実であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 だがしかし、それを補って余りあるほどの技術である魔術が発展している。その為に、必ずしもユキヒトが元いた世界にあった科学的な道具の代用品がないという訳でもない。

 例えば、ファリオダズマには冷蔵庫がある。

 冷やす事で生鮮物を長持ちさせようという発想は、決して奇抜なものではない。問題はそれを実現できるかどうかだ。

 熱するのは簡単だ。火でも燃やせばよい。しかし冷やすとなると、これはなかなか難しい。ユキヒトの世界、ユキヒトのいた日本だとて、冷蔵庫が一般の家庭にまで行きわたったのは、歴史と言う観点で見ればほんのごく最近の事に過ぎない。

 しかしファリオダズマでは、冷蔵庫は決して珍しい器具ではない。ごく当たり前の道具として一般家庭に行きわたっている。

 と言うのも、ファリオダズマの冷蔵庫は、魔術を使ったものだからだ。

 内部に冷気の魔法陣を施した箱。それがファリオダズマの冷蔵庫である。

「……うーん……」

 ユキヒトは、自宅の冷蔵庫を眺めながら、唸り声を上げた。

 中身が乏しい。

 金がない訳ではない。確かに豊富にあるとも言えはしないが、食べ物に困るほどではない。しかしながら、人里離れた山の中に暮らすユキヒト達にとって買い物とは一大事であり、そうそう気軽に行くようなものではない。

 とはいえもはや流石に限界だ。これから下手に天気が崩れて山を降りられなくなろうものなら目も当てられない。買い物への出かけ時だった。

「ノルン、明日は街へ買い物だ」

「……分かりました」

 不承不承、ノルンは頷く。

 普通の子供と違い、ノルンは買い物が嫌いである。というよりは、街中が嫌いなのだ。

 目が見えない彼女にとって、周りに何があるか分からない環境と言うのは非常にストレスがかかる。万に一つ、保護者とはぐれようものなら、自力で家に帰る事すらままならない。かと言って、一人で留守番をしていられるほど、買い物とは気軽に短時間で終えられるものでもない。結局、ノルンは苦手な街中に定期的に出かけざるを得ないのだ。

「果物もいっぱい買ってやるから」

「約束ですよ」

 なだめるように言うと、少しつんとした声でノルンは答える。しばらく前に果物を使い果たしてしまった事で好物のジュースにこのところありつけていないノルンは、いやいやのふりをしながら、抑えきれずに頬を緩めていた。

「……何がおかしいんですか、ユキヒトさん!」

 それを微笑ましいと思いくすくすと笑ったユキヒトは、自分の半分ほどの年の少女に思い切り叱りつけられたのだった。









 早朝にユキヒトはノルンを連れて出発する。木々の葉は青々と良く繁り、夏の太陽の恵みを受けて生き生きとしているようにも見える。太陽の昇りきらない今であればこそ涼しいが、昼にもなれば相当に暑くなりそうな、良く晴れた日だった。

 普段は家の中で杖など付かずに歩くノルンだが、外出に当たっては木の杖を利用する。家の中で躓かずに歩けるのは、ノルンがその家に慣れ親しんでいる事と、目の見えないノルンの為、家の中は極力躓くようなものの無いよう、よく整理されており、家の構造自体も工夫されているからだ。

 一歩家の外に出れば、そこは山の中である。当然、道も良く整備されているとは言い難い。それどころか、下手をすれば足を踏み外して滑り落ちかねない。ノルンにとっては危険極まりない場所だ。

 ノルンに同情する者は多い。しかし、ノルンは別に同情など求めない。彼女は、目が見えないのは不便だろうと言う人間に、大体はこう返す。

『空を飛べないヒトは鳥にとっては不便な生き物かも知れませんが、でも空を飛べないと言って愚痴を言うヒトに会った事はありません』

 その台詞を初めて聞いた時、ユキヒトは締め付けられるような苦しみを味わったものだった。

 ノルンの言っている事が間違いだと思う訳ではない。しかし、それを言うならば、同じヒトである相手は持っているのに自分は持っていないと愚痴を言うヒトの、なんと多いことか。ノルンが普通のヒトと自分を、それこそ鳥とヒトの様に区別して認識しているのだとすれば、それは悲しい事だった。

 ノルンは右手で杖を操りながら、左手をユキヒトとつないで歩く。山道を歩くノルンの速度は、非常に遅い。整備されていない山で足を踏み外せば怪我は免れないし、運が悪ければ大きな怪我、さらに悪ければ生死に関わりかねない。正直に言えば、ユキヒトが背負って歩いた方が速いが、それはしない事にしている。

 ノルンにも自尊心はある。独立心は、むしろ強い方ですらあるだろう。

 出来ない事は多い。出来ない事を出来ると強がって無理をするほどに聞き分けがない訳ではないが、出来る事を出来ないと甘えるような事を良しとしない負けん気の強さも持っている。ファリオダズマに来てから大半の時を共に生活してきた少女の事だ、ユキヒトはその程度は理解していた。

 山の麓には小さな農村がある。特筆する事など何もないような、ただただ平凡な田舎の農村だ。野菜や卵ならばこの農村でも手に入るが、魚や肉、調味料や日用品を揃えようと思えば、流石にそれは難しい。

「おう、ユキヒトさんかい、久しぶりだな。今日は買い物かい?」

「ええ、今日は街まで」

 声をかけてくる村人に、ユキヒトは笑顔で返事をする。ユキヒトの生きていた現代日本とは違い、娯楽が少ない分コミュニティー内の人間関係は濃密だ。嫌われればそれほど恐ろしい事はないが、逆に好かれればこれほど頼もしいものもない。

 盲目の少女を引き取って二人で暮らしているという状況が、ともすれば誤解を呼ぶことはユキヒトも重々承知していた。だからこそ、この村の人々には、ある程度事情を説明してある。

 ノルン自身がかなりしっかりとした態度でそれを肯定した事もあって、村の人々には基本的に好意をもって受け入れられている。血の繋がりなどは一切ない事もその時に説明しているが、今では仲の良い兄妹の様に見られている。

「またガキどもにおとぎ話を聞かせてやってくれよ。ユキヒトさんのは聞いた事がないからってガキどもが喜ぶんだ」

「そうですね、また今度」

 ユキヒトのおとぎ話は、元の世界のものだ。不思議なもので、類似した内容のものもファリオダズマに多く存在しているが、やはり細かい点が違っている事も多い。子どもたちには、目新しい事も多いユキヒトのおとぎ話はなかなかに好評なのだ。

「何か買ってくるものはありますか?」

「今日のところは別にないな。ありがとよ」

 街への買い物は一日がかりの大事だ。村から誰かが行くことになれば、ついでの買い物を頼まれる事も珍しくはない。

 村人と別れ、乗合馬車の停留所へ向かう。

 田舎ではあるものの、朝と夕の一日二回、街へと向かう馬車はある。そうでなければ、生産した農産物を売る事ですら困難だ。

「……やれやれ、やっぱり暑くなってきたな」

「……はい、そうですね」

 まだ完全に日が昇ったとはいえないが、それでも朝日と呼ぶには躊躇するほどに高く昇った太陽は、容赦なく地面を熱する。木々や農作物が盛んに吐き出す水分で辺りは蒸し暑く、ただ歩いているだけでも汗をかく。

 ノルンは暑さに弱い。元々体力に乏しい彼女の事だ、立っているだけで体力を奪われるような暑さに強いはずもない。

「もうちょっとで停留所だ、がんばろうな」

「はい……」

 停留所には、申し訳程度ではあるがベンチと屋根があり、影になっている。じりじりと太陽に焦がされながら歩くよりは、幾分ましだ。

「……ふぅ……」

 ようやくたどり着いた停留所で、ノルンは大きく息をつくと、すとんとベンチに座る。

 停留所には他に人もいない。今日は街へ買い物に行くのはユキヒト達だけらしい。ユキヒトもノルンの隣に腰をおろして一息ついた。

「水はいるか?」

「欲しいです」

「少し待っててな」

 停留所の近くには井戸がある。ユキヒトは水をくみ上げると水筒に詰めて、それをノルンへ持っていった。

「ほら。冷たいぞ。あんまり急いで飲んじゃダメだからな」

「はい」

 素直に頷くと、ノルンはゆっくりと水を口に含む。

 ノルンは、自分の体が脆弱であることを知っている。

 無理のない事だ。元々、決して丈夫に生まれた訳ではないうえに、目が見えないせいでまともな運動も出来ない。消化器もあまり強くないのか食は細いし、すぐに体調を崩す。

 だからこそ人一倍自分の体に気を使うし、人の言う事を素直に聞いて無理をしない。

 忍耐と従順とは、彼女の個性であると同時に、生きるための手段でもある。無論、彼女自身がそんな事を計算している訳ではないだろうが。

 しばらくすると、乗合馬車がやってくる。街へ向かう馬車、と言っても、この村と街を真っ直ぐに繋いでいる訳ではない。同じような村をいくつか回り、街へと向かうのだ。そのせいで街と村との距離の割には時間がかかってしまうものの、それはやむを得ない。

「失礼します」

 断りを入れて、馬車へと乗り込む。中には五人ほどの男女が既に乗っていた。

 ノルンの杖と、手を引くユキヒトを見て、何人かがじろじろと無遠慮な視線をノルンに向ける。

 内心でユキヒトはため息をつく。彼らは、目の見えない彼女ならばその視線に気づかないと思っているのだろう。だがそんな事はない。ノルンは実のところ、非常に視線に敏感だ。一体どうやってそれを察知しているのか、ユキヒトにすらいまだ分からないが、彼女は自分に向けられる目を実に正確に把握する。

 現に今も、つないだ手に一瞬だけ力が入った。

 それはささやかな傷なのだろう。少し時間がたてばそんな事があった事も忘れてしまうような、些細な些細な出来事だろう。しかし心についた傷はなかなか治らない。そうやって彼女の心がどれくらいの傷を負ってきたのか。それを想像する時、ユキヒトの心は穏やかではいられない。

 小さな葛藤を乗せたまま、馬車はことことと動き出した。

 









「いらっしゃーいっ!」

 ユキヒトがその店に足を踏み入れた瞬間、大声が彼を出迎えた。

「えらい久しぶりやん。どないしてたん? うん、ノルンちゃんは今日もかわいくてええなあ。あっはっは」

 質問をして置きながら答えさせる気など毛頭なさそうな勢いでまくしたてると、何がおかしいのか一人で大笑いをするのは、ドワーフのハリエッタ。ユキヒトにとっては馴染みの人物の一人だった。

 くりくりとよく動く大きな目と、健康的によく焼けた小麦色の肌。ずんぐりとした体形は子供のようなそれであるものの、顔立ちは立派に成人した女性だ。そのギャップにユキヒトははじめ戸惑ったものだったが、それも昔の話。今ではすっかりとなれたものだ。

 ドワーフ。ヒューマン、エルフに次ぐファリオダズマ第三位の人口を誇る種族だ。

 寿命はエルフとほぼ同等であり、ヒューマンのおよそ三倍。背丈は成人してもヒューマンの半分ほどしかないが、体は頑健、また手先も器用であり、職人としてファリオダズマの中でも重要な位置を占める種族の一つである。

「こら、ハリエッタ。お客さんに向かってお前はなんちゅう口をきいとるんや」

 奥から現れたのは、背丈はハリエッタとほぼおなじであるが、初老に差し掛かった男だ。豊かなひげを蓄え、年の割にはがっしりとした体つきをしている。典型的と言ってよい姿のドワーフであった。

「ええやん、ユキヒトとはギブアンドテイクやろ? おとんもそんな堅い事言いっこなしやで」

「商売人として線は引かなあかんっちゅう話や。そんなんやったらお前の独立も当分先やな」

「ええもん、別にまだそんな焦って独立するつもりもないし」

「親のすねかじって生活しとるんを恥ずかしいと思わんのか!」

「立ってるもんは親でも使え言うやん」

「ええい、口の減らん」

 ぽんぽんと言葉を投げ合っているが、特段険悪な雰囲気と言う訳ではない。口が減らないのはお互いさまで、大陸南西部出身者の常であった。

 ハリエッタとリクド。ユキヒトが懇意にしている、鉄鋼業を営むドワーフの親子である。

 古の時代より鉱物と共に生きてきたのがドワーフ種族だ。鍛冶師も多いが、鉄鋼業から彫金、果ては鉱山業まで、金属のある所にドワーフの姿はあると言っても過言ではない。

「客だと思ってくれてるなら注文を聞いてくれないかな」

 くすりと笑ってユキヒトは言った。

 どうやら本日は二人とも好調なようだ。放っておくといつまでもじゃれ合っているだろうと判断して、ユキヒトは声をかけた。

「おお、すんませんな。で、今日は何が入用でっか」

「カミツの鋼と、銀と……アタマンタイトも少し」

「毎度おおきに」

「……カミツの鋼を仕入れられるのはこの辺りじゃリクドさんくらいだよ。本当に助かる」

「わしかてあんさんに教えてもらわなんだら、カミツの鋼なんちゅうもんを難儀してまで仕入れよとは思いまへんでしたけどな」

 カミツとユキヒトのいた日本との共通点の多さから、もしやと思い調べてみれば、カミツではたたら吹きによる製鋼がおこなわれていた。幸か不幸かそれにより生産される良質な鋼は大陸であまり知られておらず、生産量の割にそこまで高価なものではない。入手には少し手がかかるものの、ユキヒトの剣が他の刀剣工房よりすぐれた品質となる一つの要因になっていた。

「しかしまあ……あれは見事な鋼ですなあ……。仕入れはできても、うちじゃ作れまへんわ」

「製鋼法まで詳しくは知らないから、俺にも分からないけどね」

「売ってはくれるんでっけど、製鋼法は門外不出や言うて教えてくれんのですわ……。まあ職人が赤の他人にほいほい技術教えとったらおまんまの食い上げでっけどな」

「ごもっとも」

 いいあって、にやりと笑い合う。

 リクドは鉄鋼の仕事に誇りを持っている。様々な金属を組み合わせ、要求した通りの合金を生み出すその手腕は見事なものだ。ユキヒトも、魔法金属を他の金属と混ぜて使う時には、彼に意見を聴くことが多い。

 そんな彼に、よそで作られた鋼を仕入れて貰う事には流石に遠慮もあったが、カミツの鋼の質の高さを知ったリクドは、むしろ研究を行う為に手に入れるつてを作りたいと積極的に動いてくれた。おかげで今は、ユキヒトも比較的楽にカミツの鋼を手に入れられる。

「はぁ、相変わらずの金属バカっぷりやわ」

 その職人同士の会話に、心底うんざりとした、という声が横から割って入った。

「大体鉄鋼って暑くて汗臭いし何もええことあらへん。この際おとんの代で廃業にして……」

「アホ言うな!」 

 ハリエッタの愚痴を最後まで言わせず、リクドが一喝する。

「お前、うちの一家は十代前から続く鉄鋼の一族やぞ! わしで廃業なんかしたらご先祖様に申し訳がたたへんやろが!」

「ご先祖様言うたかてもう死んでるやないの……。何を遠慮せなあかんのかうちには分からへんわ」

「……お前、本気で言うとるんか……?」

 リクドが声を低くする。普段のじゃれあいとは明らかに違う空気に、ユキヒトは一瞬ひるんだ。

「ハリエッタさん」

 一瞬の沈黙を、可憐な声が打ち破った。

「……だめですよ。人が大切にしているものを茶化すような冗談は」

「……ん、ちょっと言い過ぎやったわ。ごめん」

 やんわりと、しかしきっぱりと言い切ったノルンに、随分と年上のハリエッタが素直に頷き、自分の父親に頭を下げる。

「……分かっとればええんや」

 少し決まりが悪そうにリクドは言うと、ふいとよそを向いてしまう。

「リクドさんも、本気じゃないって分かってるんですからそんなに怒らないでください」

「……かなわんなあ」

 リクドも、ノルンの決して強い訳ではない口調に苦笑して、すまんかったな、とハリエッタに謝る。

 ノルンは奇抜な事を言わない。それでもたまにただの一言で争いを納めてしまう事がある。

 それは、音だけの世界に生きる彼女ならではの、敏感な聴力と間の取り方からくるものだ。

 声から感情や心理を見抜くのはお手の物。ノルンに対して口先だけの嘘は通用しない。そして、沈黙すらも彼女からすればコミュニケーションの一つである。

 やれやれ、とユキヒトはため息をつくと、ノルンの頭にポンと手を置いた。

「後で、屋台でジュースを買ってあげよう」

「本当ですか? ありがとうございます」

 ノルンはそう言って、にこりと笑うのだった。












 それからユキヒト達は結局リクドやハリエッタと昼食を共にし、昼過ぎに日用品と食料の購入の為に市場へと向かった。

 市場と言っても、ちゃんとした店舗が立ち並んでいる訳ではなく、大半が屋台であったり、適当に設置した台の上に商品を並べたてた程度のものだ。

 それと言うのも、この市場で物を売っているのは、本職の商人と言うよりは、近隣の村の農家の人間が大半であり、商品は自分たちで作った作物がほとんどだからだ。

 決して商売が上手ではない者も多いが、人情味と活気には溢れている。便利だが無機質なやり取りになれたユキヒトにとっては、煩わしくもあり、また楽しい事でもあった。

 ノルンが、握っている右手をきゅっと握る。ヒトが多い状況では、ノルンは無意識に全身がこわばる。ユキヒトは意識して手を握り返した。それに気づいたのか、ぴくりとノルンの手が震え、それから少し力が抜ける。

「さて……じゃあまずはジュースの屋台に行こうか」

「……いいえ、後にしましょう」

「ん? どうして?」

「……もっと喉が乾いてた方がおいしいです」

 こういうところはやはり子供だ。おかしいと思う気持ちと、ほっとするような気持ちが同時にこみあげてきて、ユキヒトは少し笑った。

「また笑いました!」

「違う違う、馬鹿にしてるんじゃないんだよ」

 むくれるノルンの機嫌を取りながら、ユキヒトは歩みを進めた。ノルンがこうして素直に感情を表に出す事は、実のところあまり多くない、と言うよりは相手を選ぶ。せいぜいユキヒトと、シオリと、あとはなんだかんだと言ってファルくらいのものだ。ファルの場合は、それが親しみからなのかどうなのかは微妙なところではあるが。

 冷蔵庫はあるとはいえ、そうそう長い間生鮮食品を保存できる訳でもない。どうしても買い込むのは保存に向いた食品が中心になってしまう。それでは流石に味気ないので、数日以内に使う事を前提に新鮮さが売りの食材も少しは仕入れる。

「……醤油がないのは辛いんだよなあ……」

 この国には、魚を生で食べる風習がない。刺身が好物のユキヒトとしては辛いところだ。醤油にしても、カミツにならば似たような調味料があるかも知れないが、流石にそれを手に入れようという情熱までは湧いてこない。

 ファリオダズマに来て何が辛いと言えば、料理の味だ。ユキヒトは決して美食家ではなかったが、やはり料理の基礎ががらりと変わってしまうのはなかなかに辛いものがある。ノルンに料理ができる筈もなく、慣れない食材と調味料を使って慣れない料理をユキヒトが作るものだから、時々奇妙な味のものを作り上げてしまう事がある。魔術学院時代にある程度料理を学んでいなければ、今頃食事が作れずに困ったことになっていただろうとユキヒトは思う。

 とはいえ、ファリオダズマの食材も、元の世界と極端に違う訳ではない。同じようなものが多く、ただたまに見た事もないような食材が出てくるだけだ。それにも慣れ、最近ではようやく失敗作もそうは作らないようになってきていた。

 食が細いノルンの為にもおいしい料理をという気持ちはあるものの、そうそう簡単に料理の腕など上達するはずもなかった。

「……さて、そろそろジュース用の果物を選ぼうと思うけど、何が良いんだ?」

 食材や調味料、少し前に割ってしまった皿などを一通り購入した後、ユキヒトはノルンにそれを尋ねる。

「……桃がいいです」

 しばらく、腕を組んで唸りながら考えた後で、ノルンは顔をあげてそう言う。いかにも苦渋の決断と言う表情に、ユキヒトは笑いながら告げた。

「一つに絞らなくていいんだぞ?」

「桃とスイカとビワとブドウと……!」

「流石に欲張り過ぎだ」

 止まりそうにないノルンの勢いに、ポンと頭に手を置く。うー、と、ノルンは唸るような声を上げた。

「そうだな、三種類までだ」

「じゃあ、桃と……ううん……」

 桃はどうやら最優先らしい。買って貰う果物に真剣に悩む姿は年相応のもので、ユキヒトにはそれが少し嬉しかった。

 ファリオダズマでは、「大人」になるまでの期間が短い。義務教育もなく、農家などでは幼いころから手伝いをする事もあるし、ヒューマンであれば十五、六ともなれば職人としての修業を始めたり、どこかに奉公に出るのが当たり前だ。そう言った事情から、ファリオダズマではユキヒトのいた日本よりも幼いころから、ヒトは大人びた言動を取り始める。

 それを不憫に思ってはならないとユキヒトは思っている。この世界にはこの世界の正義や倫理がある。そうやってこの世界は回っているし、ユキヒトにはそれを覆すだけの力もアイディアもない。ならば来訪者として大人しくこの世界の理に従うだけだ。

 それでもユキヒト自身の常識が変化する訳でもなく、こういった形でユキヒトにとって年齢相応と思える振る舞いを見た時、心が落ち着くのは止めようのない事だった。

 まだしばらくは結論が出そうもないノルンを見ながら、ユキヒトは穏やかに微笑んだ。












 結局ノルンが選んだのは、桃とビワ、そしてオレンジだった。

 散々に迷った挙句、店先で匂いまで確かめてから決めた。店主も流石に驚いていたが、なかなかに理解のある人物で、余計な事は言わなかった。それがユキヒトとノルンにとっては、何よりもありがたい事だった。

「さて、夢中でノルンが果物を選んでいるものだから、帰りの馬車を逃してしまった」

「……ごめんなさい」

「冗談だよ。元々一泊してもいいかくらいの気持ちでのんびりしてたんだから」

 からかって言った言葉でしゅんとしてしまったノルンに、ユキヒトは髪をくしゃっと混ぜる様にして頭を撫でる。

「急ぎの仕事も今はないしな。たまには街もいいもんだ」

「……街は、騒々しくて、好きじゃありません」

「うん。でも、騒々しいってことは、ヒトが生きてるってことだろ。しんとしてるのは心地が良いけど、それは誰もいないって言う事でもあるからな」

「……」

 ユキヒトの言葉に、ノルンは少しうつむく。

「さて、久しぶりにバゼルさんのところで泊まろうか」

「……はい!」

 少し元気を取り戻したノルンの手を取って、ユキヒトは慣れた道を歩く。

 ユキヒトの住む村と街をつなぐのは、朝夕に一本ずつの馬車だけだ。それを逃してしまえば、街に留まらざるを得ない。

 宿泊施設には気を使わなければならない。ノルンのような人間に対して、ファリオダズマは十分に配慮の行き届いた世界とはとても言えないのだ。

 バゼルは、この街で宿屋を営む鳥人種の男だ。街で一泊する事になった時は、ユキヒトとノルンは常に彼の宿で世話になっていた。

 石畳の道をゆっくり歩く。整備された道は歩きやすい反面、転んだ時が危なくもある。田舎の泥道であれば、服が汚れる事はあっても大怪我にはつながらない。ただ、整備されていない分転びやすくもある。いずれにせよ、ノルンにとって道を歩くという行為は、常人にとってのそれとは大きく異なる事だった。

 やがて二人は、一軒の宿屋の前に立つ。看板には一対の大きな翼が描かれている。『白翼亭』。それが、その宿の名前だった。

 ユキヒトがノックをしようと手を挙げた瞬間、内側から突然にドアが開かれた。

「ようこそ」

 中から現れたのは、看板に描かれたとおり、白い大きな翼を背中に負ったヒトだった。

 金色の髪は緩やかにウェーブがかかっている。整えればそれなりに洒落た髪形にもなるのかも知れないが、適当に伸ばされたそれはまさに鳥の巣であった。

 どことはなくゆるんだ雰囲気の男だ。その癖それが不潔であるというような印象でもないのは、顔立ち自体がやや幼げな整い方をしているからであろう。

 獣人の中でも、鳥人種の個体数は少ない部類に入る。それというのも、鳥人種は実のところ、その大きな翼の割に空を飛ぶことができない。鳥人種は生まれながらに背中に巨大な邪魔物を二つも背負っているのだ。平和な時代ならばともかく、獣人とヒューマンの大戦争時代、それで生き抜いていくのは非常に困難だったらしく、その時代が終わった後、明らかに鳥人種は他の獣人と比べて人口が少なかったという。

 かつて鳥人種は、もっと体が小さく、魔術を使用してではあるが、飛ぶことが可能だったとも言う。

 その能力が失われたのはなぜだったのか、混血が原因とも、大気中の魔力がかつてと比べて減ったのだとも言うが、確かな原因は分かっていない。

「……この店はノックされると崩壊する呪いでもかけられてるんですか? 毎回毎回、何でノックする寸前にドアが開くんですか」

「失礼だなー。私が誇るこの安寧の城がそんなぼろ屋に見える? 単に私は私の宝を守るために周囲に完璧な結界魔術を施しているだけだよ。常連客の到来なんて十分も前から察知してる」

「公共の道に私的な結界を張らないでください」

 おっとりとそんな事を言うバゼルは、実のところかなりの魔術の使い手だった。ユキヒトと同じく魔術関連機関から引く手数多だが、全てを断って街で宿屋を営む変わり者だ。

「とーちゃん、おきゃくさん―? あ、ユキヒトさんとノルンちゃんだー!」

「お、ロック。どうした、まだ風呂に入ってないのか? かーちゃんに怒られるぞー」

 とことこと家の中から出てきたのは、バゼルをそのまま小さくしたような、くりくりとした目の少年だった。がおー、と、何の真似なのか両手をあげて脅すバゼルに、ころころと笑いながら足に纏わりつく様に、ユキヒトは少し微笑んだ。

「で、どうしたんだ風呂は」

「えっとね、今かーちゃんがマオねーちゃんとリュク兄ちゃんとバネットとファーと入ってる」

「あー、そっか。流石にそりゃ入れないなあ。じゃあ後でとーちゃんと入ろうな」

「うん、入る!」

「よしよし、偉いな」

 ごしごしとやや手荒に頭を撫でる父親に、ロックは気持ちよさそうに目を細めた。

「……どうでもいいですけれど、相変わらず鳥人種の人口問題に一家族で挑戦しているような家ですね」

 ロックは実にバゼルの5番目の子供で、現在のところバゼルには7人の子供がいる。あっはっは、と、バゼルは能天気に笑った。

「えっとねー、冬にはまたおとうとかいもうとがふえるの!」

「そうか、またお兄ちゃんになるんだな、ロック」

「うん!」

 嬉しそうに言うロックは、大家族に育っただけあって人懐こく、騒がしいくらいに明るいのを好む子供だった。

「しかしまあ……少しは自重したらどうなんですか、バゼルさん」

 ロックにしてもまだ5歳、その下に既に三人目となると、絶え間なくと言って過言ではない。しかもこの男は、子供が増えてくると自分の宿を改装して家族のスペースを広げてしまう。商売が成り立つのが不思議な宿であった。初回の改装は三人目が生まれた後、二回目は五人目、つまりロックが生まれた時だったと聞いているユキヒトは、そろそろ三回目の時期だろうと読んでいた。

「いやあ、奥さんが一人っ子で寂しがり屋さんなんだよねえ」

「どう考えてもそれは理由になってないでしょう」

「ふふふ、独り身だからってひがまない事だね」

 とても七人の子供がいる父親の表情とは思えない、恋人自慢をする学生の様な笑い方と表情で言うバゼルに対して、ユキヒトはため息をついた。

「ひがみじゃないですよ。ついでに独り身……はまあ独り身ですけれど、相手がいない訳じゃありません」

「ああ、ベルミステンにいるとか言う」

「ええ、まあ」

「さて……戯れはこれくらいにして。ようこそお客様、『白翼亭』へ。親鳥の翼の中に眠る雛鳥のような安らいだひと時をお過ごしいただけたならば何より重畳」

「お世話になります」

 バゼルの宿『白翼亭』。亭主とその家族は親しみやすく賑やかだが、その反面客室は落ち着いた装いの上、亭主の魔法により防音にも優れ、穏やかに行き届いたサービスを提供する宿だった。

 人嫌いという訳ではないが、見知らぬ他人と接する事に苦手意識を持っているノルンにとっても、室内に入れば外の気配を感じないですむその部屋は、ユキヒトと共に住まう今の家と同じようにくつろげる、数少ない場所だった。

「ノルンちゃん、今日は一緒にご飯食べる?」

 父親の足にしがみつきながら、にこにこと笑ってロックは言った。一瞬、ノルンが言葉に詰まる。その躊躇に気づいて、ユキヒトはすぐに言葉をはさんだ。

「ああ、今日はいろんなところ歩いて疲れたからな、一杯ご飯用意しておいてくれよ」

「とーちゃん、一杯ご飯用意しておいてね!」

「お客さんの希望じゃ断れないなー。まあ、期待しててよ」

「そう言う訳で、今日はみんなで食事だ。良いよな、ノルン?」

「……」

 少しだけ複雑な顔をして、しかし結局は微笑み、ノルンは頷いた。











 鉄を打つ。

 一意に、専心に、一心に、不乱に鉄を打つ。

 迷いがあれば、乱れがあればそれは必ず手に現れる。手に乱れがあれば駄作しか生み出されない。

 駄作を人に渡してはいけない。この時代、ヒトは剣に己の命を託している。まして、自分が生み出すのは量産品ではなく、全てが受注生産。己を見込んで依頼をくれた相手に対して、命を懸けて貰うに相応しい出来でなければ決してそれを渡してはならない。

 生きている限り、ヒトは迷わずにはいられない。心を乱さずにはいられない。だが、剣を打つ時、その迷いは忘れなければならない。ただ、風の無い湖面の様な心で、ひたすらに剣を打たなければならない。

 それを教えてくれた人に、もう会う事は出来ない。しかしその教えは、ユキヒトの中に確実に生きて、残っていた。

 かぁん、かぁん、と、澄んだ音が響く。その度に少しずつ、ユキヒトの世界が狭くなっていく。様々な過去も、未来も、全てが削られて行って、ただ剣を打つ現在、この小さな工房だけがユキヒトの世界の全てになって行く。

 ……マダ……マダ……モウスコシ……モウスコシ……。

 囁くような声が、ユキヒトに聞こえる。

 ……温度は……?

 ダイジョウブ……ダイジョウブ……。

 ……もう少し、か……。

 囁く声に返事を返し、ユキヒトは再び鎚を振るう。

 ユキヒトが期せずして身につけた力、それは声なき声を聴く力だった。

 ファリオダズマには、魔術というユキヒトの元いた世界とは異なる理がある。しかしそれと同時に、ユキヒトのいた世界の科学の理もまた存在する。そしてそれは相互に密接に関係している。

 ファリオダズマには、魔力に対して深い理解を示す人物はいる。その反面、科学に対する知識は非常に疎かだ。

 双方の知識を身につけ、その相互関係に気づいたユキヒトは、全ての物質には魔的な性質と科学的な性質の双方が備わっている事を知った。そして、全ての物質は、外的な要因に対して物理的な反応だけではなく魔的な反応も返している。注意深く「耳を澄ませ」ば、本来言葉を発する事などないはずの物質からも、その魔的な反応を読み取ることができる。

 物質に対する魔的、科学的な理解がある程度以上に深い場合、そして極端なまでに集中している状況下であれば、という但し書きはつくが、ユキヒトはいわば、物質と会話ができるのだった。

 鍛冶師としての経歴が短いユキヒトが高品質の剣を生み出せるのは、その能力によるところも大きかった。ある程度素質はあったらしく、その能力を自覚する前も筋はいいと誉められてはいたものの、鍛冶に関するありとあらゆる複雑な要因を全て読み切れる様になるには、三年間は短すぎる。

 極端なまでの集中力を必要とする関係から、ここぞと言うタイミングで使用しなければとても体力が続かないため、量産に向くような力ではない。だからこそ、ユキヒトは作る剣を受注生産の一品物に限っていた。

 もっとも、量産品を作らないと言うのは師に当たる人物もそうだった。責任も持てないような数打ち物に誰かが命を託しているなどぞっとする、とは彼の言葉だ。

 とはいえ流石にそれだけではなかなか食っていくのは難しい。そのため、包丁などの日用の刃物も生産し、それを売って金を稼いでいるのも師から譲り受けた生活手段だ。

 ユキヒトが今打っているのは、自分用の剣だった。

 ユキヒトは決して荒事が得意と言う訳ではないが、人里離れた場所に住む以上、ある程度自衛の必要は生じてくる。元の世界では剣道を習っていたのが幸いし、少しは剣が使えた。

 とはいえそれで食っていく気もなかったユキヒトの事、あくまで自分の身を守るため、という程度の実力でしかない。平和な日本に生まれ育ったユキヒトの事、それ以上の力をつけるつもりもなかった。

「……さて、今日はこのくらいにして、ちょっと手の込んだ料理でもするかな……」

 一息をつけて、ユキヒトはゆっくりと立ち上がった。
















『いつか、断ち切らず受け入れるだけの強さを 行人』









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