そもそも、モンスターとは何か。
怪物。化物。異形の物。神に祝福されぬ生物。悪魔の産物……。
様々な言われ方をするものの、いずれも何一つ明確な基準を示してはいない。
とはいえ、ファリオダズマにはモンスターという存在に対する定義が存在する。
曰く、魔術的要素を備える生物であり、同種族間以外での意思の疎通を行う事が出来ず、主に他種族に対して害を為す存在であること。
例えば狼は他の種族と意思の疎通を行う事が出来ず、時として害を為す存在でもあるが、魔術的要素を備えていないためにモンスターではなく獣である。逆に子鬼と呼ばれる事もあるゴブリンは、ごく初歩的な魔術を扱うなど魔術的要素を備え、ゴブリン同士以外での意思の疎通を行うところを少なくとも確認されておらず、他種族に対して非常に攻撃的であることからモンスターである。
とはいえこの様な定義は、大国の法律に定めるものであり、必ずしも絶対的に浸透しているものとは言い難い。辺境では竜をモンスター扱いする土地もあるし、極端になれば自分の所属する種族以外のすべてをモンスターとして扱うような場所すらある。
その様な中で、ヒューマンとエルフは比較的モンスターとしては扱われない種族である。
なぜか。それは、ヒューマンはファリオダズマで最も数の多い知的生物であり、エルフはそのヒューマンと非常に似通った容姿を持つためである。
多数派は数を頼りに少数派を迫害する。それはいつの世も変わらない事だ。
そして、見分けがつかないほどに似通っていれば親愛の情もわくが、中途半端に似通ったものはむしろ憎悪を招くというのもまた、一つの真理である。
獣人種は自らそれを望んだことはただの一度もないが、常にそれを実証してきた。
獣人にも大きく分けて二種類ある。普段はヒューマンと変わらない容姿をしているが、獣あるいは半獣半人の形態をとる事が出来る種族と、普段から半獣半人の姿をしている種族だ。特に強く迫害されたのは、前者である。隣でごく平凡に暮らしていた青年が、ある夜恐ろしげな獣の姿をしていた。それは確かにヒューマンの感覚では、そして知識がなければ、強い恐怖を呼び覚ます現象であろうが、かつてヒューマンの街では、その様な事が発覚すれば獣人はほぼ例外なく処刑されるという時代があった。
長い長い抗争の歴史は続いたが、少しずつ対話も試みられるようになった。お互いがお互いに嫌悪感を持っていたのは紛れもない事実であったが、それにしてもお互いに与えあう被害がひどすぎた。これ以上の抗争はお互いの種の存続にかかわるというところまで行って、ようやくヒューマンと獣人は一応の和解を得た。
しかしエルフは獣人を『野卑で品性下劣な蛮族』と忌み嫌い、最後の最後まで獣人を自分達と同等の知的生命と認めようとしなかった。結果、大都市ではヒューマンと獣人がごく普通に隣人として暮らしている現在においても、エルフと獣人は基本的に仲が悪い。
「……しかしそれは不合理と言うものだと思う。違うかな、ユキヒト」
しかしどんな種族にも変わり者はいる。精悍な狼の顔に知的な銀縁の眼鏡をちょこんと乗せたワーウルフの青年は、滔々と続いた歴史の解説からついに自説の披露へと段階を移そうとしていた。
「我々は共通の言語を使う事が可能であり、交配すら可能なのだ。これはもはや同一の種と言っても過言ではない。少々の見た目の差異などそれこそ個性で片付けられるものだ。そも、エルフは我々を野蛮と言うが、それは常に迫害され、武器を手に取らなければ生き抜くのも難しく、文化的な成熟など望むべくもなかった時代の話に過ぎない。現在アカデミーに学ぶ獣人の数は、相対的に見てエルフやヒューマンに必ずしも劣るものではない。種として獣人が知性的に劣っているなどと言う事は断じてないのだ。もしもエルフが偏見にとらわれ、そう言った事実を鑑みることなく我らをモンスター扱いするというのならば、それこそ品性下劣と言うものだ」
「……アルディメロ。俺としては別に獣人を差別してるつもりはないんだから、講義はエルフの差別主義者の前でやってくれ……」
延々と語り続けるアルディメロに、ユキヒトは深いため息をついた。
その態度に、絶好調で自説をぶっていたアルディメロが、若干傷ついたようにうなだれる。
「……過ぎた知性もまた、迫害の因と言う事か」
「……」
こいつ本当は全く傷ついていないんじゃないだろうかと、いささか疑いの目で見てしまうユキヒトだった。
「……私はアルディメロさんのお話、好きですよ」
「おお、ノルン。汚れなき魂を持つ者。君の様に理性的なものは、君のような歳には非常に珍しい。ご褒美に私の毛でもふもふして良いぞ」
「本当ですか? ありがとうございます」
例によって椅子に座るノルンの前に、アルディメロは姫君にかしずく騎士のように首を垂れる。ノルンは、その頭のふさふさした毛を撫でて、その感触に微笑んだ。
ノルンが言う事には、アルディメロの毛は柔らかく、撫でていてとても気持ちが良いのだそうだ。断固として犬よりは猫派のユキヒトにとっては、別に羨ましくない。アルディメロ本人に言えば、私は犬ではなく狼だと言って憤慨するのは間違いないため、あえて口に出そうとは思わなかったが。
「武器を取りに来てるのか講義をしに来てるのか分からなくなる奴だな、お前は」
「無論、両方だ。理性によりこの世の蒙を啓くのは知識人の義務であるが、同時に鉄拳を以ってしか正せぬ非道もある。言葉の力は偉大であるが、言葉しか力を持たぬのでは難しい局面があるのもまた事実」
「……だからってこの剣は知識人の使うものとしていささかどうだろうと思うんだが」
到底腰に差す事など不可能な、背中に背負う為の大剣。湾曲したそれはシミターと呼ばれる片手剣に近い形状だが、ヒューマンの身では到底片手で扱う事は望めまい。片刃の刀身はぎらりと鈍く光り、抜いただけで山賊も逃げ出しそうな凶悪な剣であった。
「分かっていないな、ユキヒト。剣など暴力的な形であればある程良い」
「乱暴な奴め」
「馬鹿を言うな。これだけ凶悪な武器を持っている相手を暴力で屈服させようなど、馬鹿のやる事だ。故に、この剣を持っているというただそれだけで、無駄な戦闘がいくらか回避できるのだぞ」
「……前にヒューマンの使う片手剣は軽過ぎて木の一本も切り倒せはしないって嘆いていなかったか」
「無益な戦いの回避のためには、少々の威圧は必要であろう。言葉で言って分からぬ馬鹿を理性的に説得するには、聞く耳を持たせねばならぬ」
「理性的に説得、ねえ……」
ユキヒトは以前、彼と共に道を歩いていて山賊に襲われたことがある。その経験からすれば、ユキヒトとしてはため息をつかざるを得ない。
「『噛み砕くぞ、この屑が』」
「……」
吐き捨てるように言ったユキヒトの言葉に、ついとアルディメロは目をそらした。
「これが理性的な説得の言葉かね」
「いささか言葉が荒かった事は事実であろう。しかし私の意思はあくまで争いを避ける事にあった。あの状況においては圧倒的な力の差を自覚させることこそ争いの回避のための最善の手段であった」
「……まあ、そう言う事にしておくか」
「そう言う事にしておくも何もそれが事実だ」
やれやれとユキヒトは肩をすくめる。その態度がアルディメロには少々気に食わなかった様子だったが、食ってかかるような事はしなかった。
獣人種とヒューマンやエルフが長い長い年月を和解出来ずに過ごした原因は、三つあると言われている。
一つに、ヒューマンの恐怖心。一つに、エルフの差別心。そして最後に、獣人の短気。
いかに知性の鎧を纏おうと、その性質までもが容易に変化するものではなかった。
「……でも、実際にはアルディメロさんは乱暴な事をしなかったんでしょう?」
「うん? まあ……山賊は全力で逃げ出したからな。乱暴な事をする暇もなかった」
「じゃあ、アルディメロさんは優しい人です」
穏やかに笑いながらノルンは断言する。
「……おお、ノルン! 心優しき者よ! 我が感謝はもはや言葉などという不完全な伝達手段をもってしては表わす事が出来ん!」
跪いて手を取らんばかりのアルディメロを、苦笑いしながらユキヒトは見ていた。
実際のところ獣人種の短気と言うのは、敵対する者に対してのみ発揮されるものである。
獣は無為に争わない。食いもしない獲物をとる事もない。群れるのは、そうしなければ生きていけないからだ。それならば、群れの仲間を大切にしない筈もない。一方で自らを害そうとするものは全力を持って排除する。
野生の本能を人間やエルフよりも強く残す獣人だ。そういった性質も強く持っている。だからこそユキヒトも安心してからかえると言うものだ。本当にただ短気ならば、殴りつけただけでそこそこに太い木をなぎ倒すような男と安心して会話など出来ない。
「それで、アカデミーの方はどうなんだ」
「悪いな。どうにもならん」
ユキヒトの言葉に対してアルディメロは、即座に冷たい声で切って捨てた。
「全くこの世は不思議に満ちている。しかし解き明かせない不思議はない。それには何よりも諦めぬ信念と情熱が必要だと言うのに……。魔法に頼り過ぎればヒトは堕落する」
アカデミーとはこの世界の学術機関である。最重要技術である魔法研究も、非常に盛んにおこなわれている。そう言った意味で、ユキヒトが学んだ魔術学院との交流も深いのだが、魔術学院が魔術の行使などの実践を重んじるのに対して、アカデミーはその理論を解き明かそうとする機関だ。そこには似て非なる性質があった。
「何故と問いかける事をやめてはならぬ。確かに究極の根源においては、その様に定まっているのだと結論せざるを得ない事もあるかも知れぬ。しかし我らは未だそこに至ってなどおらぬ。皆が何故この程度の段階で、問いかけをやめてしまうのか。私には分からん」
「……」
ユキヒトは曖昧な笑顔を顔に張り付けたまま、それを聞いていた。
ユキヒトの生きていた世界、魔法の無い世界でも、彼のような者たちが世界を進めて行ったのだろうかと思う。
そして同時にひどく申し訳ないような、自分が不正をしているような気持ちにもなる。
自分はおそらく彼の様々な問いにヒントを与えられる。彼にとって喉から手が出るほどに欲する知識を、大量に持っている。
しかしそれを開示してはならないのだ。たとえ彼が見当違いの方向へ走っている時であろうと、それをそうと教えてはならない。
そして彼ならば、いつか自分が誤っていたことに気付き再び別の方向へ走り始められる。ユキヒトはそう信じている。
「おお、そうだノルン。ユキヒトから果実酒を馳走になる約束をしているのだが、取ってきてはもらえんか?」
「……はい、分かりました」
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫です」
アルディメロの言葉に従って、ノルンはゆっくりと立ち上がると、家の奥へと向かって行った。
パタンと扉が閉められるのを確認して、ユキヒトは口を開いた。
「……察するぞ。あの子は鋭い」
「良いのだ。ノルンには聞かせたくない話をしたいと言う事をあの子自身が理解してくれるならば、それが一番良い」
「俺としては、ノルンには聞かせたくない話はしたくないな」
「私のわがままだ。付き合ってくれ」
「……仕方ないな」
やれやれと、ユキヒトは胸の前で腕を組んだ。
「……いつまで、こんな山奥に閉じこもっているつもりなんだ」
「分からない。ノルンがもう少し丈夫になって、町でも暮らせるようになるまでかな」
「……あの子は賢い。が、賢すぎて少々臆病な子でもある」
「……」
「事情は知らぬでもないが、結局のところそれはノルンの為にもならぬのではないか」
「……」
彼がこういった事を言い出すのが、予測できなかった訳ではない。かと言って答えを用意していたのかと言うと、そんな事もない。
お互いに言葉はない。沈黙だけがその場を支配していた。
「時間が必要なんだ。時間が解決してくれるはずだし、時間以外によっては解決されない問題なんだ」
「それは違うぞ、ユキヒト。問題を解決するのはいつでも意志の力だ。例え今は問題に向き合うだけの心になっておらずとも、いつか時が来れば向き合わねばなるまいよ。そうして乗り越えて初めて、問題は解決されるのだ」
「耳が痛いな」
彼の言う事はいつでも正しい。だからこそ、彼の言う事を聞きたくない事もある。ユキヒトは苦く笑った。
「……それでも、今はまだ難しい。ノルンも……俺も」
「……仕方がないな」
ふぅーっと、細く長くアルディメロは息を吐いた。
「責めている訳ではないのだ、ユキヒト。ヒトは己の事を己で決する権利を持つ。ユキヒトが真にそれを望むと言うのであれば、この山奥の時間の止まったようなこの家でただ静かに暮らしていくのもまた良い事であろう。ノルンもまた、それに反対するような事はあるまい」
「分かってる。ただ、まだ……今は……」
「……すまないな。金剛石が泥の中に埋もれていると知れば、掘り出したくなるのがヒトの性と言うものだ。たとえその金剛石が泥の中で、再び輝く時を自ら待っていると知っていたとしてもだ」
「ありがとう、と言っておくよ」
なんだかんだで彼は、ユキヒトを高く評価してくれている。照れ隠しに笑いながら、ユキヒトは返事をした。
「……ごめんなさい、ドアを開けてください」
それからしばらく沈黙の後、ドアの向こうからノルンの声がした。
なぜわざわざドアを開けさせようとするのかと少しだけ訝しく思いながら、ユキヒトは言われたとおりにドアを開けてやった。
そこには、お盆にアルディメロ所望の果実酒だけでなく、いくらかのつまみになるものと、生のフルーツや絞り器、そして少しのお菓子といったものを満載にして運んでいるノルンが立っていた。
「二人だけで楽しむなんて不公平です。私にもジュースを絞ってください」
にっこりと笑って、ノルンはそれをカウンターに置いた。
「おお、ノルン。すまなかった。そんなに重いものを少女に持たせて大人二人が座っているなど、実に無神経。許してくれ」
「いいんです。私だって、おうちの中のお手伝いくらいできるんです」
早速世話を焼こうとするアルディメロをやんわりと押しとどめて、ノルンは定位置である自分の椅子に座った。
二人の為に果実酒をつぐと言う事はない。それは何も二人が昼間から酒を飲もうとしているのを批判するためではなく、こぼしてしまう可能性が高いからだ。
初対面の人間が思うほどに何もできない訳ではないノルンだが、ごく普通の人間が当たり前にする事全てを簡単にできる訳でもない。
「……オレンジでいいか?」
「はい!」
好物のジュースを前にして弾んだ声を上げる少女に、大人二人はこっそりと目配せをしあい、苦く笑った。
アルディメロはその後しばらく果実酒を堪能した後、日が傾かないうちに刀剣工房「コギト・エルゴ・スム」を出た。
山奥とはいえ、何日も歩かなければ人里にも出られないような真の僻地ではない。山道を小一時間も行けばふもとの村にたどりつける程度のものだ。そこから馬車を使えば、比較的大きな街へ行って買い物をし、その日のうちに帰ってくることも不可能ではない。
酒に強いアルディメロの事、少々の果実酒程度で山道を踏み外すような事もない。ユキヒト作の凶暴な剣を背に、揚々と帰って行った。
「……」
アルディメロを見送った後ノルンはユキヒトの背中に顔をうずめる様に後ろからぎゅっと抱きついた。
ごめんなさいと小さく呟く彼女に、何も謝る事はないんだと返して、ユキヒトは彼女の頭を撫でた。
『常に賢き人狼へ 貴方と共にこの剣が力の正しき使い道を示さん事を 行人』