てんてこ舞いたぁこの事を言うのだろう。
ガツンガツン、フライパンを振りながらアタシはそう思った。
実は、横着したのをちょっと後悔している。
というのも、外行きの服にエプロンで料理を始めちまったわけで。
チャーハン作るだけなのに、服になにか飛ばさないか気が気でなかった。
一張羅なんて着るもんじゃないよな、と後悔しているわけ。
「親父ぃ、作ったから食っとけ」
「おう」
盛り付けたチャーハンをテーブルに置くと。
ガンと大き目の音が立った。
新聞から親父が顔を上げた。
「ひでえ焦りようじゃねぇか」
「時間ねぇんだよ、あせって悪いか」
「なんだ、映画かなんかでも見に行くってか?」
アタシがあせってるってのに、親父はうだうだ言ってくる。
うざったい。つっても、無視するのもアレだ。
エプロンを乱雑に脱いで、アタシは短く言い返した。
「昨日、言ったじゃねぇか」
「ああ。駅ビルにおせち見に行くっつってたな」
アタシはポーチの中身を確認した。
携帯も財布も入ってるし。あれもある。問題ない。
しっかし、スカートというやつは不便だ。手荷物が邪魔くさくてたまらない。
肩に掛け背を向けるアタシに、親父は言った。
「にしちゃ、えらくめかしこんでるじゃ――――」
「行ってくんな」
後ろ手に、手を振って。
アタシは早足で外へと出て行った。
ドアの外に出てから、アタシはちょっと足を止めた。
やれやれとため息が漏れる。
まったく、なんだってこんな苦労をしなきゃいけないんだ。
帰ったら親父に聞かれるだろうし。面倒な。
それもこれも梨恵のせいだ。そういうことにしよう。
ちょっと早まっていた鼓動も納まったので。
アタシは履きなれないブーツの踵を鳴らして、マンションの廊下を歩いていった。
話の発端は、昨日の喫茶店での話。
白幡先輩の誘いで、喫茶店でケーキの食べ放題に行ってきたのだ。
一緒に行った梨恵は、天笠先輩と話しこんでいた。
先輩と梨恵は仲がいい。クリスマスの日も買い物の約束をしてたって話だし。
ちょっとアタシには不思議だけど。
なにが不思議って、恋敵なら、鍔迫り合いの一つや二つ、あって構わないと思うのだ。
まあそれはおいといて。
二人をよそに、アタシは他の諸先輩方と年末年始の話をしていた。
アタシが家でおせちを食べないって言ったら、依藤先輩が頷いてくれた。
「私のうちもね、作ってくれないんだよー」
「そうなんすか?」
「なんかめんどいとか言ってさ。
じゃあ、駅ビルで買ってくるって言ったら、それなら自分で作れって。
店屋物は駄目だとか、ひどくない? 意味わかんないしさ」
「その一言で諦める辺り、ゆーこの料理スキルが察せられるね」
白幡先輩の一言に、依藤先輩は崩れ落ちた。
どうも先輩、料理話はクリティカルらしい。一撃必中。
おいおいと泣きマネをする先輩を、白幡先輩、えらく冷たい目で見下ろしている。
しかも、すぐ飽きたように視線をはずして、話を戻した。
「ぼくの家は普通に作るけどね。
意外に作らない家は多いのかな? 圭はどう?」
「うちの保護者は凝り性だからな。この手のものには困らん」
仁志先輩との会話を止め、圭先輩が返した。
次いで、仁志先輩も話に加わる。
「うちはおせち、食ったことねぇな」
「そりゃまた珍しい。どうして?」
「あれだよ。中華漬けなんだよ」
白幡先輩の問いに、仁志先輩は嫌そうに返した。
そういや、先輩は言っていた。
お母さんが中華に凝っているだとかで、家で和食洋食が食えないのだそうだ。
昼に佐藤先輩の持ってきた和食を嬉しそうに食べていた図が、印象に残っている。
「年末も妹含めて三人で餃子作るんだよ。向こうの年越しそばみてぇなもんだって」
「餃子っすか。深夜に胃がもたれそうですけどね」
「水餃子だかんな、そうでもない」
ふとうめき声が聞こえた。
顔をテーブルに埋めていた、依藤先輩の声だった。
「私、いつ突っ込んでもらえるのかな……」
「なんだ、持病のしゃくなら、救急車呼ぼうか?」
再び落とされた冷たい目に押されて、先輩はまた呻いた。
「うう、なんか亨くんが冷たい」
そんな具合にガヤガヤ過ごして、その話は流れたけど。
後で仁志先輩が送ってくれたときに(実は家が近いのだ)、言ってきたのである。
「お二人さん、明日暇ある?」
「アタシは暇っすけど、どうしました?」
アタシが返すと、仁志先輩はニヤッと笑って言った。
「駅ビルまで、おせち見に行こうかって思ってんだけどね。そのお誘い」
「お、おせち、ですか……?」
唐突な話に、梨恵が微妙な顔をするのは当然。
話を聞いてなかったのだから仕方ない。
アタシはフォロー役に回った。
「梨恵、アタシらの方じゃ、おせちを食わないって話が出てたんだよ」
「あ、それで、ですか」
「そういや、上遠野はあいつと話してたんだっけか。いきなりでスマン」
メンゴメンゴと謝る仁志先輩に、やっぱり梨恵は微妙な顔をした。
どうも、先輩のギャグセンスは古い。微妙だ。
一々、突っ込まないけど、そのうちまとめて突っ込みたい。
微妙な顔のまま、梨恵は返事をして。言って返した。
「すいません、先輩、私は明日はお母さんと買い物に行くんです。折角のお誘いに、申し訳ないのですが」
「おお。丁寧にどーも。いきなり誘ってこっちこそスマンね」
軽く返した先輩は、アタシの方に顔を向けた。
梨恵もこちらを見ている。
アタシは考えてみた。
別に明日は予定もないし、おせちを買うのに問題もない。
食費の具合を考えても大丈夫だ。
アタシは即、決めて頷いた。
「アタシは大丈夫ですよ。ついでに買っちまうんで、こっちこそお願いします」
「おっ、買うんだ。んじゃオレも買おうかね」
そう話した辺りで別れ道に着いて、先輩とは別れた。
「時間とかはまたメールするわ」
「お願いしますよ」
軽くそう話して終わった話題だったけど。
その後、なんだかみょーに嬉しそうに梨恵が言ってきた。
「珍しいね、菫」
「なんか珍しいことあったっけ?」
アタシがきき返すと。
梨恵は含み笑いをした。地味に不気味で引いた。
「梨恵、なんか気味悪いって、その笑い」
「だって、菫って浮いた話の一つもなかったから」
「浮いた話ぃ?」
そんな言葉がどっから出たのかと、アタシは声を大きくした。
対する梨恵は、きょとんと目を丸めていた。
「え? だって、そうでしょ?」
「なにがそうなんだか」
「だってだって、デートに行くんでしょ?」
一息おいて。
アタシは間抜けな声を上げた。
「はあ?」
/
僕も知ってる菫の聞いた話
/
そんなわけで。
昨日は帰る間、延々と、デートの誘いだ、いや違うって話をしてしまった。
先輩の誘い方を聞いてりゃ、そんな勘違いもないだろうに。
そうは思う。いや思ってたんだけど。
梨恵の意見に惑わされたか、妙に緊張してしまう。
オシャレなんてするわきゃないといいつつ、帰ってから着る服に悩んで。
目を覚ましたのも、窓の外からちゅんちゅん鳴き声が聞こえる明け方の頃。
その挙句、待ち合わせてるここ、駅前の広場にも三十分近く前に来ている。
まだ一時半過ぎなのだ。
どんだけ気ぃ入れてんだと。アタシも突っ込みたい。
ため息混じりに、アタシは広場中央のツリーを見上げた。
ツリーを囲むように、四角にベンチが配置されているから、座ってりゃどうしたって見えるのだ。
クリスマスの電飾が外れたツリーは、なんだか寒々しい。心まで冷え冷えしてくる。
浮かれるなと突っ込まれている気がして、アタシは憮然とした。
いや、アタシだって、別に浮かれたいわけじゃない。別にな。
でもまあ、デートだなんて滅多にない機会なんだよ、マジで。
……ちっとぐらい浮かれて悪いか。この野郎。
アタシがそう、ツリーとにらめっこに励んでいると。
背後から声が掛かった。聞き覚えのある声だ。
「あ、菫ちゃんじゃない」
振り返ると。
そこには昨日会った先輩方二人が。
立ち上がって、アタシは挨拶した。
「どもっす。白幡先輩、依藤先輩、デートですか?」
「いや。ぼくは単なる付き添い。バーゲン行きたいってね、ゆーこがうるさかったから」
「むう。付き添いって。なんか嫌そうな言い方。ひどくない?」
「じゃあお目付け役で」
「えーと? なんだっけ、それ?」
首をひねる悠子先輩に、アタシは説明した。
「監視役みたいなもんすよ、先輩」
「か、かかか監視役? 私、亨君に監視されてる? ストーカー的な感じで、きゃーお巡りさん?」
「大丈夫だよ、ゆーこ。ぼくよりよっぽど君の方が不審者だから」
「……ううう。なんか昨日から亨君が冷たい」
そんな部室で見かけるいつものやり取りに。
さらにいつもの声が重なった。
「あら、キミたち、なにやってんの?」
「あ、彼君彼君、聞いてよー。亨君がひどくてねー」
「ストーカー扱いしたゆーこの方がよっぽどひどい」
「なんか分からんが、いつも通りなんだな」
そう頷いて、先輩はこちらに向き直った。
「菫も早ぇな。遅くなってスマン」
「あ、いや、アタシもちっと、早く来ちまいましたんで」
「え、なになに? 二人でデートなの? そうなの? そうなの?」
「つか、むしろ、ゆーこさんたちの方がデートじゃないの?」
「ぼくは単なる御目付け役だよ」
わいわいし始めた場を眺めながら。アタシはちょっとたそがれた。
……梨恵。
デート始まる前から、終わったっぽいんだけど。
なんか緊張して、すげぇ損した気分だった。
それでも、歩くのは二人ずつなわけで。
駅ビルに入っていく間は、また微妙に緊張させられた。
……隣同士でも、先輩、ぜんぜん意識した感じなかったけど。
なんだか不公平な気がしたので、聞いてみた。
「先輩」
「どした?」
「今更なんすけど、どうしてアタシと梨恵、誘ったんですか?」
不公平感はおいといても、これはちょっと気になってた。
先輩、軽く誘ってたけど、これで買い物に誘われるのは初めてなのだ。
まあ、だからこそ、初デートの誘いでおせちはないだろ、って話だけど。
そもそも二人いっぺんに誘うとか、どんだけ無礼なんだ。
だから梨恵の発想はおかしい。結果論でものを言っちゃあいけない。
アタシの頭ん中が、微妙に脱線混線してるころになって。
先輩はおもむろに口を開いた。いつもどおり軽い感じで。
「あれだよ、あれ。あれあれ」
「なんすか、その適当なのは……」
「いやなあ、まあ、あれだよ。あれなんだよ」
「ループやめましょうよ」
頭をかいた先輩は、困ったように口をへの字にした。
腕組みをしてるけど、歩きながらなので地味におかしい。
「うーん。ここアフレコでよろしく」
「……アフレコ?」
「アテレコ? あ、違ったオフレコだ」
「……佐藤先輩みたいな天然っすね」
アタシは苦笑してから、気づいた。
しまった、えらく失礼な物言いだった。
「あ、スイマセン、失礼なこといっちゃいましたね」
「あ、いや、ちょうどいいわ。真由が関係あんだけど」
腕組みを解いて、先輩は説明を始めた。
「いや、大したことじゃないんよ。
真由に、上遠野のこと、気にしといてくれって言われててよ」
「……佐藤先輩が?」
「具体的にどうこうってわけじゃねぇけど、ま、そんなつもりで誘ってみたわけですよ」
アタシはひそかに、ため息をついた。
佐藤先輩は本当に、梨恵を気にかけてくれてる。
ありがたい。でも、借りが増えてばかりだ。
梨恵ともども、お返しをしなくちゃあ人倫にもとるってぇもんである。
クリスマスでプレゼントでもできればよかったんだけど。
佐藤先輩は四国にいた。親戚の家に行っているのだそうだ。
また次の機会を待とう。
……ん?
ふと疑問を覚えて、アタシは先輩にたずねた。
「……先輩」
「おう、どした」
「もしかして、梨恵のこと、聞いてます?」
言葉を選んで、アタシは聞いた。
佐藤先輩が梨恵の件、言いふらしてるとは思えない。
が、先輩の先ほどの言い口は、なにか知っている類のものだった。
もしかしたら、先輩方、部活の方々には話してあるのかもしれないと思ったのだ。
対する先輩は、やはり気安く問い返してきた。
「あれだろ?」
「まじめな話なんで、二度ネタはちょっと」
アタシはそう釘を差したけど。
混ぜ返そうという気配は感じなかった。表情も生真面目なものだ。
どこか言葉を選んだ風に、先輩は続けた。
「いや。そうだな。神隠しに遭ったって話だろ」
「……言い得て妙、っすね」
一瞬、絶句したけど。
先輩が選んだ言葉に、アタシは成程と頷いた。
そう、そうなのだ。
梨恵はそのとおり、神隠しに遭ったのだ。
先輩の表現は、あの得体の知れない事態を、適切に言い表していた。
そんな非日常的な言葉を口にしながら。
気にした風もなく、先輩は飄々としたままだった。
「誘拐、にしちゃ、ちょっと変な話だけどな。
そいつがなんだったのかとか、ま、オレは詮索せんよ。
そもそも、上遠野もよく覚えてないって話なんだろ?」
「そうっすね。アタシも詳しい話は聞いてませんし」
「ただ、外で誰かに会ってる方がいいってな。そう上遠野から聞いたんだってよ。真由が。
そんならオレも人肌脱いでやろうか、って思ったわけだ」
少しばかり顔をしかめて、先輩は歩みを速めた。
「まあ、こういうの、オレのキャラじゃないから。だからオフレコで」
「……そうっすか」
その言葉に、アタシは小さく吐息を洩らした。
ああ、この人も。
佐藤先輩と同じ人種なのだと、アタシは思ったのだ。
人情に厚い。
元は関係のない、今だってそれほど縁の深くない梨恵を気遣ってくれるくらいに。
直感的に、だけれど。
この人たちとは、長く付き合っていきたいとまで、思った。
ただ、ちょっとその湧き出た嬉しさが、ありがたくも、気恥ずかしくも感じられて。
アタシはごまかすように、憎まれ口を叩いた。
「それって、梨恵が可愛い後輩だから、っすか?」
「可愛い後輩? いや、違うとは言わないけどさ、なにそれ」
「勉強を教えるなら、可愛い子が相手の方がいいとか言ってたんですよね。佐藤先輩から聞きましたよ」
先輩は否定するでもなく、小さくうめいた。
「……真由。なんつーこと話してるんだ」
先輩の、その弱りきった口ぶりがおかしくて。
アタシはくすりと小さく笑った。