季節は夏、冷房なしでは過ごしにくい季節である。
白く柔らかな腹部に、赤く染まった凶器がめり込む。
その凶器を持つ加害者の目には何の感情も浮かんではおらず、命の火の消えた被害者の目は死んだ魚の目。
加害者の手の凶器が、がっちりと被害者の腹に食い込んでいることを確認した時、俺は動く。
フィッシュ。
俺の尻尾の先に結び付けられた糸が引っ張り上げられ、その反対側の端にくくりつけられた小魚を、その両腕のハサミで餌の小魚をはさんだ瞬間のザリガニを釣り上げる。
「よく、針もなしで釣れるものですね」
「すごい! すごーい!」
感心する紫の髪の少女と嬉しそうに笑い声を上げる緑の髪の少女。
言うまでもない気がするが、アリティアの王女エリスとマムクートプリンセスのチキである。
で、俺の飼い主のミネルバはどうしているかというと、捨てる寸前の壊れかけた木桶に釣ったザリガニを入れている俺を少し離れた所で不機嫌そうに見ていたりする。
ちなみに、いつもは一緒のパオラは夏風邪で寝込んでてお休みしてて、マリアとエストは看病すると言って城に残ってる。
俺は行かないのかって?
嫌がらせと思われるよ。パオラにもエストにも嫌われてるし。
「そんなことの何が面白いんだ」
黙り込んでいたミネルバが口を開いたと思ったら罵声でした。
何がと言われてもねえ。
顔を見合わせる俺とエリスである。
「今日のミネルバ様は、いつもにも増して随分と不機嫌みたいですね」
うん、実は先日ようやく女の子の日が来てね……。
「違う!!」
言葉と同時に飛んで来る拳大の石が俺の頭にヒット。
川原は小石が多いのに、わざわざ大きいのを探して投げてくるとか強肩な娘です。
どっちにしろ砕けるのは石の方だけど、だからといって人に石を投げるのは感心しないね。
「人じゃないだろう。お前は」
むう。事実とはいえ傷つくお言葉だ。嘘だけど。
化物扱いされるのが日常茶飯事な俺に、その程度で傷つく繊細な心は残ってません。人間は良くも悪くも慣れる生き物だしね。
それはともかく、最近のミネルバはこんな感じで不機嫌なことが多い。
特に、ミシェイルが城にいないとすぐに怒る。
戦場に出た兄への心配と、そこについていけない自分への苛立ちが マケドニアが他国と戦争をしている現状でザリガニ釣りなんかをして遊んでいる俺への怒りに繋がっていることは理解できるんだけどね。
きっと、心の中ではコイツさえいなければ自分も戦争に参加できたのにとか思っているに違いありません。
別に俺の飼い主でなくても、戦争に参加できないと思うんだけどね。年齢的に考えて。
そういう正論を言って納得できない年齢の子は難しいわ。
ミネルバとあまり歳も変わらないのに、最強の竜騎士として前線に立って戦ってるレナの存在がある限り、こっちの言い分にも説得力がないしね。
実は、ミシェイルはレナが戦場に立つことも歓迎してなかったりするが、カーマインの存在なしにマケドニアがこの戦争に勝つのは難しい。
強力な火竜騎士団があろうがマムクートのたちの部隊があろうが、それだけで勝てるほど戦争は甘くはないし、勝っても多くの犠牲者が生まれてしまう。
アカネイアのような大国ならともかく、マケドニアのような貧しい国家で、それは滅亡への道程に他ならないわけで試合に勝って勝負に負けるという事態になりかねない。
しかし、カーマインがいればそれを容易く覆せる。
実は、万能に近い能力を持っている俺にも軍隊を相手取って戦うのは簡単なことではない。
なにしろ、どんな能力を持っていてもこの身は一般的な火竜のものと変わらないのだ。
それでも、人間や大抵のモンスターなんかに比べれば無駄に頑丈な肉体ではあるが、人の手では倒せぬ無敵の存在とは言えない。
空を飛んでいれば安全地帯にいるようなものだと言っても、戦争をやっている間ずっと飛んでいるわけにはいかないし、地に降りているときに奇襲を受ければそれまでだしね。
対してカーマインはと言えば、その巨体とその体重を支える筋肉の強靭さはまさに怪獣と呼ぶほかなく、ミサイルを持ち出しても倒せるのかどうか怪しい大怪獣を前にして剣と魔法の世界の住人など軍隊をもってしても脅威にはなりえない。
そんな無敵の存在を外すわけにはいかず、当然カーマインに言う事を聞かせられる唯一の人間であるレナを外すわけにもいかないのであった。
まあ、持ってる能力が逆でも俺が戦場に出ることはないんだけどね。
怖いし面倒臭い。
行かなきゃ国が滅ぶかもしれないとか知ったことじゃない。
高貴なる者の義務だっけか、王族であるミネルバが当たり前の常識として持つそれは、一般的日本人である俺には縁がない代物だ。
顔見知りの人間だけが無事なら他はどうでもいい、他人に無関心な現代人だからね。
それはともかく。
「ミネルバだって、昔はよく一緒にやってたじゃないか。ザリガニ釣り」
「そんな性別の区別をする必要もなかった子供の頃の話をされても知るか!」
今だって子供だろうにね。
この世界では何歳くらいから成人扱いされるのか知らないけど。
「というか、そのエビはザリガニという名前なんですか?」
エリスが物珍しそうな顔で訪ねてきた。
そう、アメリカザリガニ。マッカチンとも言うらしいね。
ところで、この世界にはアメリカが存在しないわけだが、アメリカザリガニという名称で本当にあってるんだろうか?
違ってても、恥をかくのは間違って覚えたミネルバやエリスであって俺じゃないからどうでもいいんだけどね。
その後で、嘘を教えたなと怒ったミネルバに仕返しをされるだろうけど。
しかし、お姫様とかはザリガニを見たことないのかな。
川遊びをしたり田んぼの脇のあぜ道を走り回ったりするお姫様とかも、あんまり想像できないけど。
いや、ミネルバもマリアもお姫様だけど、よく庶民的な遊びをよくやってたか。
「アメリカザリガニ……、ですか。随分と小さなエビですね」
小さいエビとな? まさかエリスの言うエビとは伊勢海老かロブスターのことか!?
俺なんか日本人だった頃にすら食ったことがない高級食材を食ったことがあるというのか!?
伊勢って地名じゃないのか!?
……今更だな。
それにエビと思わせておいても何の問題もない。
「それで、このザリガニ釣りには、どんな意味があるんですか?」
どんなもなにも釣りってのはそれ自体が目的なんだよ。キャッチアンドリリース。
「逃がすんですか?」
いんや食べる。
「…………」
何故に距離をとる?
「だって、これを食べるとか言われると……」
そう言って顔を向けた先には、金具が外れて今にも分解しそうな木桶いっぱいに入ったザリガニ。
こう、木桶に隙間なく入ってるのがワシャワシャ動いてるのを見ると確かに、ちょっと気持ち悪いけどザリガニをエビと言った子供のセリフかね。
「でも、私が食べたことのあるエビは、ちゃんと調理されてましたし」
なにかい。俺が生でザリガニを食べるとでも?
「違うんですか?」
ああ、ちがうね。全っ然っ違うね! 何のために、王宮から出かけるときに壊れかけの木桶と使わなくなった鍋を借りてきたと思ってる?
「釣ったザリガニを入れるためでは?」
それは、木桶だけで事足りる。俺が鍋を持ってきた理由はこうだ。
見えざる手で集めたその辺の石で台座を作り、その上に水を張った鍋を乗せて、下に入れた枯れ木や枯れ葉に火をつける。
水が沸騰したら、ザリガニを入れて茹で上がるまで待って食す。
これが俺のおやつである。この世界に来てからの、ではなく人間だった頃の。
と言っても、子供の頃の話だけどね。
一日置いて泥を吐かせろ? 知るか!
そんなわけで、鍋が煮えるまでにちょっと時間があるので、もうちょっと釣るために先っぽを死んだ小魚に結びつけた糸を川に沈める。
竿? ザリガニ釣りには、いりませんよそんなもの。
「餌の小魚もボロボロになりましたね」
さもありなん。
ザリガニ釣りは、ザリガニのハサミが餌を挟んだところを狙って釣る遊戯なので、挟み方が弱いと釣れないし、強いとすぐに餌がボロボロになるのだ。
しかし、改めて見るともう一度でもザリガニのハサミにかかればバラバラになりそうなくらいボロボロだな。餌を交換したほうがいいかもしれん。
「可哀想だからやめませんか? 鍋が煮えたら、もうザリガニ釣りは終わりなんでしょう」
まあね。
釣ったザリガニ全部を一度に鍋に入れるわけにもいかないし、入れて煮て食べて入れて煮て食べてを繰り返すためには釣りなんかやってる暇はない。
だから、餌用の小魚を捕まえるのは見えざる手を使うから五秒もあれば充分だけど、ザリガニの方は一匹釣る間に鍋が煮えるだろうね。
「だったら、やめましょうよ。というか、その見えざる手はザリガニを捕まえるほうには使えないんですか」
使えるけど、釣りには浪漫というものがですね。
「小魚を捕まえるほうには浪漫がないんですか」
ないね。というわけで、適当に泳いでる小魚を……。
「や・め・ま・しょ・う・ね!」
はい。
何この娘、笑顔が怖い。
「そんなことを話してる間に鍋が沸騰してるぞ」
おお、確かに。ありがとうミネルバ。
お礼を言ったら、そっぽを向かれた。
思春期の子供は本当に難しい。とりあえず、ザリガニを鍋に入れるか。
「そんな風に問題を先送りにしてるから、ますます関係修復が困難になっていくのでは?」
アーアーキコエナーイ。
時間が解決してくれるのを待とうよ。嫌なことや面倒なことからは、目を背けて生きるのがニートの習性です。
さて……、
って、チキさん。何をやっておられるので?
「え?」
と顔だけ振り返ったチキは、しゃがみこみ両手に持った二匹のザリガニを接触させることで、お互いをハサミで攻撃させていた。
食べ物で遊ぶのはやめなさい。いや俺も幼少時には、よくそういう遊びをやったけどね。主にカマキリで。
ちなみにカマキリは背中に手が届くので、うっかり捕まえると指を鎌に引っ掛けられて痛い目を見たり、そこで捕まえる手を緩めても向こうは鎌を外さず挙句に指の肉を齧ってきて血を見ることになるのでチビッ子は気をつけろ。
「いいんじゃないですか。いっぱい釣ったんですから、二匹くらい」
いや、お行儀の問題がですね。
「川で釣ったエビを、その場で鍋に入れて食べようという時点で、そういう問題ではないのでは?」
まあね。
しょうがないから、チキのことはほっといてザリガニを何匹か鍋に入れよう。
生きたまま熱湯に入れるとか、考えようによっては残酷極まりないね。
そして煮ること十数分。
いい感じに茹で上がったザリガニを見えざる手で持ち上げて尻尾を引っこ抜く。
そして、尻尾にくっついてきた内臓は捨てることにして殻を剥いて白い身を取り出す。
はい。チキ、あーん。
「んぅ?」
何のことかわかっていない様子だがチキは言われるままに口を開いたので、そこにホコホコの白い身を放り込む。
で、お味は?
「おいしい」
モグモグゴックンとザリガニの尻尾を飲み込んだチキは、顔をほころばせて答えてきた。
そりゃあ、よかった。
エリスも食べる?
「えっと、じゃあ一ついただきます」
了解。
見えざる手で茹で上がったザリガニを二匹持ち上げ、さっきと同じように引っこ抜いた尻尾の殻を剥いて、エリスと雛鳥のように口を開けて待っているチキの前に運ぶ。
「えっと……」
食べないのかい? チキなんか、水族館のショーに出演しているイルカが水面から跳び出すような勢いでパクついたのに。
「いえ、何もない空中に浮いているのを、そのまま食べるというのはちょっと」
確かに、糸でつってあるわけでもなく空中浮遊している物を食べるのは勇気がいるよね。
だからと言って、手づかみで食べるのも抵抗があると。
そういえば中世ヨーロッパでは食事は手づかみが普通だと聞いたことがあるけど、この世界では貴族はもちろん平民だってスプーンとフォークを使って食べてるんだよね。木製の。
パンなんかを食べる時はさすがに手づかみだけど。
まあ、そこは妥協して俺の見えざる手の世話になってもらおう。
「はい」
首肯したエリスは口を開き、そこに見えざる手で持ち上げられた白い身を入れる。
ベロンゴックン。
などと、はしたない音を立てるはずもなく。
咀嚼音など聞かせてなるものかと言わんばかりに静かに口を動かし、コクリと静かに嚥下した後に、「あら?」という顔をする。
「エビとは少し味が違うんですね」
そうかい? 俺的にはエビと区別がつかない味なんだけどね。
これは味付けをしてないから、味が薄いだろうし違ってて当然なのかもしれません。
塩茹でにでもすればよかったのかもしれないけど、川で捕まえたザリガニをその場で食べるなんて理由で持たせてくれるほど塩は安価ではなかったりするのです。
今度、海にでも行った時に海水から精製できるか試してみようかな。
まあ、いいや。とりあえず、もっと食べるかい?
「食べるーっ」
嬉しそうに答えてくるチキの返答を聞き、次のザリガニを持ち上げ殻を剥きながら鍋に追加のザリガニを入れる俺。
「私は、もう充分です」
何? 自分は、いつでも本物のエビが食べられるから、こんな貧乏人のおやつは食べたくないって?
「言ってませんし、思ってもいません!」
なんだ、つまらん。
「レッド様?」
おおぅっ、笑顔が怖い。この娘ってガトーの所に修行になんか行かずに剣の修行でもしてれば、ファルシオンを装備して自分でメディウスくらい倒していたんじゃなかろうか。
「私のことより、レッド様は食べないんですか」
食べるよ。ただ、俺の場合はサイズの都合上一匹ずつ食べても味わえないからね。皆が食べ終わったら残りを全部一口で食べるつもりなんだ。
鍋いっぱいのザリガニでも、なんとか味がわかる程度の量でしかないんだけどね。
あーあ、どこかに俺が食べるに丁度いい大きさのザリガニのいる巨大生物の島とかないかな。
さすがに、南海の大決闘くらいに大きいエビが出てきたら俺の方が食われそうだけど。
それはともかく。
ミネルバもこっちに来て食べないかい?
「いらん!」
しかし、後で食べたいとか言っても遅いよ。俺が全部、残さずに食べるから。
「言わん!」
むう。意固地になってるな。
冒頭の辺りの説明通りの理由で怒ってるのは理解できるんだけど、それはそれこれはこれとは思わないのかね。
俺なんか、子供の頃に超合金ゴライオンを買ってくれって、親に駄々こねてハンガー・ストライキを起こしていた時だって、おやつは食べてたぞ。茹でたザリガニとか焼いたフナとか。ブラックバスは火が通らなくて食べられなかったけど。
「なんとなくオチが見えた気がしますが、それで買って貰えたんですか」
いんや。外で色々と食べてるのを気づかれてたんで、意味がなかった。
「でしょうね」
何故か納得顔になるエリス。
なんだろう、エリスの俺を見る目が生暖かくなった気がする。
やめてよね。日本なら義務教育が適用されそうな年齢の女の子にそんな目で見られるのに快感を覚える趣味は俺にはないぞ。
「それにしても、レッド様は時々意味のわからない言葉を口にしますよね」
そうかな?
「そうですよ」
「いつものことだって、ミネルバやミシェイルがいってたよ」
チキが口を挟んできたので、そっちを見ると次のザリガニをよこせと言わんばかりに口を開けて待っている幼女の姿があった。
俺がエリスと話すばかりで次が来ないので、口を挟んできたというわけか。
まあ、見えざる手の使える俺には手間でもないし、また鍋の中で煮えたザリガニを取り出し殻を剥いた尻尾を口に放り込むと、チキは嬉しそうに目を細める。
なんか、動物を餌付けしてるみたいだな。まあ、チキ竜人族たるはマムクートなんだから似たようなものか。俺自身は火竜そのものだという事は棚に上げた話だが。
とりあえず、煮えているのは殻を剥いておいて、鍋には次のザリガニを投入して行くことでチキがどんどん食べられるようにしておく。
「尻尾以外の部分は食べないんですか」
泥を吐かせてないし臭いもあるから内臓は捨てるしかないんだよね。ハサミはカニに似た味がするから後で俺がまとめて食べるけど。
「なんだか、もったいないですね」
きちんと調理したわけでもないし、仕方がない。
でも考えてみれば、王宮に帰れば城の料理人が調理してくれるんだよな。
しかし、今更ザリガニを城で調理してもらうのもなー。
んん? そういえば、ちゃんと調理しないと食べられなくて捕まえずにいた生き物も川には生息しているんだよな。
そうだ!
「何か、思いついたみたいですね」
応ともさ。
◆
「帰ってきたのか」
帰ってきましたよ。
てか、なんでミシェイルが城に? 戦争してるんじゃないの?
「王たる者が戦場にばかりいられるわけがないだろう。こっちには政務もある」
ミネルバに任せれば?
「ある程度は任せているが、あの歳の子供に全部は任せられん」
自分だって、十代の小僧のクセにね。
あと、それならガーネフに任せるわけにはいかないのか。
「そっちには、俺がいない間の軍を任せてある」
隙がないな。しかし、前線とこの城までは随分と距離があるのに、よく帰ってこれるもんだね。
「飛竜騎士のフットワークを舐めるなよ」
ミシェイルの飛竜も大変だな。空を移動できるからって、気軽に移動できるような短い距離でもないだろうに。
「火竜のクセに、それ以上の距離を飛んで移動する奴に言われてもな」
ごもっとも。
「で?」
で?
「それは、なんだ」
言いながら指差した方向には、空中にふよふよと浮かぶ自然石を削りだして作った小さなプールほどの大きさの巨大な水槽。俺が見えざる手で作りました。
「器用なものだな。今度、彫刻でも作ってみるか?」
うん、それ無理。
見えざる手を使えば、見本さえあればどんな彫刻の複製だって作れるけど、俺自身に芸術的センスがないからね。
例えるなら人の手になる彫刻は絵画で、俺が見えざる手で作るのは写真のようなものだ。
便利ではあるんだけど。
「それで、あの水槽には何が入っているんだ」
そう訪ねてくるのは、石で出来ているのだからガラスのように中を見通せないためだろう。
「その通りだ。で、何が入っている」
フナとかカエルとかタニシとか沢蟹とかカワエビとかドジョウとか手長エビとか、食用になる川の生き物を捕まえてきた。
ああ、心配しなくても乱獲はしてないから。
「そんな心配はしてないが、そんなものを捕まえてきてどうしようと?」
いや、だから調理してもらおうと。
「料理には仕込みというものが必要ということを知っているか? 煮たり焼いたりすればいいだけの食材ならともかく、そうでない食材をそんな大量にいきなり持ってこられても困るだけだろうが」
むー。それならいっぺんに調理しなくても、少しずつ仕込みをして食べるのはどうかな」
「貴様という奴は……。前にナマズを大量に捕まえてきた時のことを忘れたのか?」
あったね、そんなこと。童心に帰って大量に捕獲したっけ。
それが、どうかしたかい?
「そのナマズに餌をやらずに放置して、共食いさせてただろうが」
ああ、あれには驚いた。
ナマズは肉食とは聞いてたけど、何の疑問もなく共食いを始める生き物とは思わなかったな。
なんか、一日ごとに数が減ってるなとは思ったけど、気がついたら丸々と太ったのが一匹だけ残ってるときた。
「そして、最後に残ったナマズは餓死してたな」
まあ、ナマズの餌なんて何を与えればいいか知らないしね。
この世界には、ペットショップがあるわけでもないから魚の餌を買ってくるわけにもいかないし。
「その事を踏まえて聞こう。捕獲してきた川の生き物の餌は用意してあるのか?」
……捕まえてきた食材は新鮮なうちに調理してしまうべきだと思うんだ。
「自分でやるんならな。あと、あの水槽は城のどこに置くつもりなんだ。建物の中には入らないし、屋外に置いてあったら城内に放し飼いされている竜に食われるんじゃないか?」
言われて見ると正論過ぎて答えが返せない……。
「わかったら、さっさと逃がしてこい」
えー?
俺が捕まえてきた食材で食卓を彩れば、ミネルバの機嫌も直るかもしれないのに。
「心配しなくても、そんなことでミネルバの機嫌はなおらん。むしろ、カエルは夜中に鳴いて安眠を妨害するから、置いとくとかえって機嫌が悪くなるぞ」
そういえばそうだね。
夏休みに親戚のお爺ちゃんの家にお泊りに来た都会っ子がカエルの鳴き声が気になって眠れないとかいう話も聞くし。
ちなみに、田舎の島民なんかはカエルの声は気にならない代わりに、街に住んでる親戚の家にお泊りした時なんかに電車の音が気になって眠れなくなったりすることがあるらしい。
どっちにしろ、ただでさえ寝苦しい夏の夜に安眠を妨害されて機嫌がよくなる理由はないし、逃がしてくるか。
「というか、レッドはカエルの鳴き声は平気なのか」
田舎者ですから。
夏の寝苦しさも熱さに強い火竜の体には無縁だしね。
そうでなかったとしても、周囲の大気の温度や湿度を快適なものに変えることもできるナマモノな俺です。
「そんなことができるのか」
できるよん。冬とかは、いつもやってたと思うけど。
「それもそうだな。だったら、城の周囲の温度を安眠できるような温度にしてやった方が、ミネルバの機嫌はとれるんじゃないか」
えー? 俺にとっては、今が適温なんだけど。
「自分の周囲だけ外して、今の温度にしてればいいだろう」
その発想はなかった。
大した奴だ……まさかこれほどとは。やはり天才……。
それじゃあ、まず捕まえてきたのを逃がして来ますかね。
バサリと背中の翼を羽ばたかせ、見えざる手で持ち上げた水槽ごと高く飛び上がる。
どうでもいいけど、火竜の翼ってもっと大きくないと自分の体を持ち上げて飛ぶのは無理なサイズだよね。
実際に飛べてるんだから、考えるだけ無意味だけど。
歩けばともかく、飛べばすぐに到着する川原に着陸して水槽をひっくり返しながらふと思う。
そういえば、風邪を引いた病人は頭にカエルを乗せて冷やしてあげればいいと聞いたことがあるな。
寝込んでいるパオラのために、全部は逃がさないでカエルを一匹残しておこう。
どれがいいかな、っと。
よし、大人の顔くらいの大きさのウシガエルが一匹いるな。
◆
その日、マケドニアの王宮内にて、絹を引き裂くような少女の悲鳴が響き渡ったという。
はいはい、俺のせいですよ。