僕が口に出した瞬間、すずかの顔がさぁっと青褪める。反射的に彼女は後退り、泥に浸った木の葉を踏んだ。ぐぢゃ、と不快な音が鳴った。
「なんで、それ…を………っ?」
ひゅう、と整っていない息がこちらまで聞こえて来る。すずかの額を流れる汗は、山歩きしたからというだけじゃないんだろう。
夜の一族。月村家がイメージ的に吸血鬼に相当するそれだとは『魔法少女リリカルなのは』の中では明言されていない。大元の原作である『とらいあんぐるハート3(すずかは存在していない事になっている作品)』で忍さんがそうであるとなっているだけで、パラレルの世界観である此所ですずかが人外の存在であるとは限らない。
故にまず確認。何故かと問われればなんとなくとしか答えられない。
―――『なんとなく』ですずかを傷付ける?
「どうして、知ってるの……!?」
「知っているから、としか、答えられない。」
―――待て、『なんとなく』で何を言おうとしている?
僕は………。
「そうだね。全部僕は知っていた。理由なんか何でもいい、どうせこれだと断言出来るものなんかない。」
「……っ?」
「うん。――――すずかが『そう』かも知れないって事も。ジュエルシードがこの世界に降って来るかも知れない事も、その結果なのはが魔法に関わるだろうって事も何もかもッ!」
力無く座り込んだままの僕にすずかは更に後退る。ずっと抱えていた秘密を平然と知っていたと言って、傷付けている。
―――そんな事までして、何を望んでいる?
「幼児の時から、世界は『知っているもの』で溢れていた。その再認を追うに連れいつの間にか自分の身の回りの日常の記憶が『経験』じゃなく『知識』になり始めた。………僕自身を含めた全てのものが、物語としか思う事が出来なくなった。」
顔を、少しだけ上げた。目が合ったすずかの体がびくっと震えた。
「―――なのに、とっくの昔に手遅れになってるのに、初めて『知らないもの』が出てきたんだ。僕はなのはが魔法の力を使いこなしてジュエルシードから街を守るのを『知って』いた!この事件が結局めでたしめでたしで解決すると『知って』いた!けれどなのはは死んだ、主人公補正なんて鼻で笑い飛ばして餌以下のモノとして簡単に逝った!!残ったのは、現実<リアル>の感情を理解出来ずに徒に被害を増やしてこんな所でヘタれてる劣化した『キャスト:高町なのは』。『知る価値すら無かった』筈のスペックだけの彼女のデッドコピーさ。」
次から次へと口を突いて出る言葉。それがここまで来て、やっと自分で言いたい事を理解出来た。その無様さに、嘲えた。
「ねえ、教えてよすずか……。そんな『僕』は、一体『何』?」
僕は、答えが欲しいだけなんだと。
それが分かったら、その答えが与えられる事なんて期待していなかった。出来る訳なかった。だってそう、自分自身で解らない問題を、設問文すら知らない相手にどう答えろと。
だったら慰めて欲しいのか。ますます有り得ない、自嘲家気取ってさっきから吐いている言葉のどれだけがすずかを傷付けているか。
なのに。
木漏れ日と呼ぶには弱い枝々に弾かれた光が、足元に淡い影を落とす。それが膨れ上がったと思った瞬間。
「あなたは、『竹内希』じゃないの?」
「え………っ?」
包み込んだのはバリアジャケット越しでも確かに判る温もり。
―――汚れるよ。
―――いいから。今更だし。
「希くんが何言ってるのかは全然分からない。だけど、自分のことをデッドコピーとか劣化したなのはちゃんだとか言っちゃだめだよ!私は希くんが優しい人だって知ってるんだから!!」
………全然的外れな事を言われた、その瞬間はそんな風に考えた。況してや僕が優しいとか、僕がフェイトにした事を知らないんだとも考えた。
だから、続く言葉に咄嗟に答えられなかった。
「だって、なのはちゃんが死んだの、一番引き摺ってるの希くんじゃないっ!」
「―――――っ!!」
「そういう事なんじゃないの?なのはちゃんが死んだ次の日、涙が出るくらい怒ったのも、これ以上誰も死なせたくないって戦う事を決めたのも!!」
そう、なのか?
疑問がぐるぐる回って、心の底に納得として定着する。
共感とか、同情とか。何時もの『言い訳』は役目を為さなかった。
―――結果として、なのはの死に怒り、泣いた『自分』がいたのは事実。
―――そして、状況がそうだとしか思えなかったとしても、すずかの言う様に無自覚になのはの死に重圧を感じていたのだとしても。
『キャスト:高町なのは』を背負うと決めたのは僕自身なんだから。
こんな当たり前過ぎる事に今更気付いた自分にまた自嘲しそうになる。それを止める様に、僕を抱き締める力が強まる。
「ごめん、ね。」
「え……?」
「こんな風に落ち込むまで、希くんが、無理…してるって気が付かなくてごめんね……っ。」
顔は見えない。だけど、その涙声から優しいすずかが泣いているんだって判った。
「そして、ありがとう。」
―――守ってくれて、ありがとう。
「、っく…………!」
その言葉を聞いた瞬間。僕の視界も涙で曇った。すずかに釣られてじゃない。
ただ、命を懸けて戦って、守った人に礼を言われた、そんな当たり前の事がどうしようもなく嬉しかったんだ………。
――――。
「すずか、希くん見つかった?」
「行ったよ。多分もう大丈夫。」
「………そう。」
「ねえ、お姉ちゃん。全部終わったら、パーティー開こう?主役は希くん。お疲れ様っていっぱいもてなすの。」
「いいわね、それ。でも珍しいじゃない、すずかがそういう事言い出すのは。」
「だって、希くん私が夜の一族だって事知ってたんだよ。落ち込んでたから追及は先送りしたけど、そのぶん其処でとびっきりの『契約』結んでもらうんだから!」
「……あははっ。さっすが私の妹!」
―――そう。だから、絶対無事で帰ってきてね、希くん……。
――――。
海鳴市に吹く潮風の薫りに煙ったいアスファルトの空気が混ざる。震災の爪痕冷めやらぬどころか災害の明けた次の日で、まだ立ち直りどころか被害を実感すら出来てない街に追い討ちを掛ける様に、現れた巨大樹。
昨日の次元震でジュエルシードが発動しやすくなっているのか、見渡すと頭に魔と付けても文句は出ない様な犬と鳥も見える。
ヒトを丸々喰らいそうな体躯の二体はそれぞれ自由気儘に動き回っては目に付いたもの全てを壊し回っているけど、何よりも巨大樹の根が延々と伸びて這いずり回り、地面そのものを呑み込んでいっているのが一番酷い。ビルもあっさりと追い越し、無限に生長する姿は何処ぞの光の宇宙人の敵役にこそ相応しい。
勿論ここに究極の超人はいない。居るのはヒーローにはなれそうにもない自分本位の魔導師一人。
それでも、十分過ぎるよね石屑共―――?
『Devine baster.』
桜色の閃光が、樹の核を根刮ぎ撃ち砕いた。
「………人はそれぞれ自分の役割を背負って生きている。全ての出来事はその繋がりの中で始まり、そして終わるんだ。」
封印した巨大樹のジュエルシードを叩き込む様にレイジングハートに格納する僕の姿を認め咆哮する魔犬と魔鳥。
「それは何処だって変わらない当たり前。人が人として社会を、世界を形作っている限り。」
―――例えそれがアニメの世界だったとしても。
破壊を撒き散らしていた樹を一撃で消滅させた相手を脅威と見たのか、二匹纏めて掛かって来る。
「だから、いつだって世界は『こうなるべくしてなった事』ばっかりなんだよ。」
―――なのはの死もその一つ。今度こそ認めよう、なのはは死んだんだって、心の底から。
ディバインスフィア、一斉起動。
「それに立ち向かうのも逃げるのも個人の自由。」
一直線に滑空、突撃してくる魔鳥に向けて消し炭一つ残さない魔力弾の洗礼を浴びせ掛ける。視界を埋め尽くす弾幕に、断末魔すら掻き消された。
「自分勝手な悲しみに関係ない誰かを巻き込むのだって、それこそ構わないんだ。」
魔鳥の撃破を確認した僕の後ろで膨れ上がる気配。空中に居る僕の所まで、論外の跳躍力を以て跳んだか。
「――――それが自分の選んだ役割<キャスト>なら!!」
だけど、原型が犬である以上そのカテゴリを外れる動きは出来ない。鋼の様な牙の届くその下方へと潜り込むと、レイジングハートを腹に押し当ててディバインスフィアを零距離で起爆する。裂けて露出したジュエルシードを抉り出す。
「だから僕は、竹内希として『キャスト:高町なのは』を貫こう。」
『Juel Seed serial No.III,VII,XIX receipt.』
三つのジュエルシードの封印完了を知らせたレイジングハートを背後に向ける。闇夜の衣を纏った金色の死神が、宙に佇んでいた。
「―――君が、『キャスト:フェイト·テスタロッサ』である様に。」
「…………互いのを賭けるとかせこい事はもう言わない。殺してでも君の持っているジュエルシード、全部奪い取るッ!」
「上等、魔法少女リリカルなのは<甘ったる過ぎて反吐が出る程優しい時間>はもうお終いだ。さあケリを付けよう、フェイト·テスタロッサァァ――ッ!!」
―――互いに譲れないものがある。互いに証明しなければならないことがある。
想いを乗せた桜と金の魔力光が、ぶつかり弾けて解れ合った―――。