--これは、獣に育てられた一人の少女のおはなし。
アリアの最初の記憶は、銀色の艶やかな毛並みから始まる。
アリアは自分の生みの親の顔を知らない。
己が本当に人という種族なのか、成人した今になっても疑っている。幼い頃は自身が人という生き物である事を知らなくて、何故母や兄たちの様に毛が生えてないのだろうと不思議に思ってたくらいだ。
アリアにとって自分の親は育ててくれた銀色の狼だけだったし、それ以外の親なんていらないとすら思っている。
母が何故人の子である自分を養っていたのかはわからない。普通であればその場で餌にされていてもおかしくはなかったはずだ。
――だけど、私は母に拾われて良かったと思っている。それだけは何があってもかわらない。
母はアリアに生きるための術を教えてくれたし、森の仲間たちだって人である自分に優しくしてくれた。幸せ、だった。
幼い頃の記憶にある母の姿は何時だって荘厳だったし、森の獣たちが母にひれ伏す姿は胸が震えた。
母は彼女にさまざまな知識を叩きこんだ。獲物の取り方、他の獣との接し方、森の主の娘としての振る舞い方、天気の読み方やら何まで全部。
アリアは幸せだった。母に『我が娘』と呼ばれ慈しまれるあの日々は、まぎれもなく尊いものだったから。
――それなのに、それなのに人間たちがそれを台無しにした。
その悪夢の瞬間をアリアは今でも夢に見る。
『人』と呼ばれ獣たちから忌み嫌われた動物が、森を襲撃したあの日。
母はよく分からない嫌な力を使われ、腹を切り裂かれた。幼い私は母の亡骸に縋り付き、そんな私を邪魔だと思ったのか、『人』達は強かに私の事を蹴り飛ばした。
私はそいつらのことが憎くて憎くてたまらなくて何度も襲い掛かったけど、奴らは笑いながら私を簡単にあしらった。
そうしているうちに彼らは母の亡骸を大きな動く四つ足の物体に詰め込み、ボロボロの私を置き去りにして森の外へ消えて行った。
だんだんと体が冷たくなっていき、母の所へ向かうのだと思っていたまさにその瞬間。――私は『先生』と出逢った。
それから私は『アリア』となり、先生は先生の使っている言語や『常識』という物を教えてもらった。
そしてその教育の過程で、私は憎い『人』と同じ種族である事に気づいてしまった。
その時の絶望は、言葉に表すことが出来ない。
母を殺した『人』と一緒。優しくしてくれる先生も『人』。私も、『人』?
……『人』って、何?
どうして『人』はママを殺したの。先生は『人』なのになんで私を助けるの。
違う違う私は『人』なんかじゃない、私は誇り高き森の主の娘なんだ。あんな非道な『人』と同じわけなんかが無い!!
暴れて、暴れて、暴れて。疲れ果てた時に先生が言った言葉は、今でも覚えている。
「残念だけど、貴方も私もそしてあなたの母を殺した奴らも同じ『人間』よ。貴女が人を憎むのは仕方ない事だけど、事実だけは変えられない。
でもね、アリア。人にもいろんな人間が居るの。いい人もいれば悪い人もいるわ。全ての人を憎むのではなく、信じられると思った人間だけは信じてあげて。――アリア、私の事も嫌いかしら?」
「――せんせい、きらい、ない。せんせい、やさしい」
「……そう、ありがとう。じゃあ、私の言葉は信じてくれるわね?」
「――ん、」
「この家の中に居る『人間』は少なくとも貴女の味方よ。だからこれから先、人が増えたとしても決して拒絶はしないであげて。――きっと仲良くなれると思うから」
その約束があったから、私はシンクやエリスが来た時にパニックにならなかった。先生は、嘘なんて言わないから。
ああでも、――ごめんなさい、ママ。
わたしママが居ないのに、幸せなんです。ごめんなさい。シンクもエリスも先生も『人』だけど、とても憎むことが出来そうにありません。
ごめんなさい。みんな大好きなんです。ごめんなさい、ママ。
ママが好き。先生が好き。シンクが好き。エリスが好き。
――でも、私は『人』を好きになってもいいのだろうか?それはママに対する裏切りではないのか?
それは時折酷いジレンマになって私を苦しめた。皆の事が好きなのに、それが辛い。
そんなある夜、夢を見た。
幼い頃より大きくなった私は、記憶の中にある母の背に乗って森を駆けている。
暖かくてふわふわした気持ちになりながら、ギュッとその背にしがみつく。振り落とされないように、――もう決して離れないようにと。
『我が娘よ、辛くはないか』
突然母が私に問いかける。
……辛くはない。あの家は私にとって、優しすぎるくらいに優しい。
「ごめんなさい、ママ」
ごめんなさい。貴女を殺した『人』と一緒に居て、私は幸せなのです。……ごめんなさい。
『何を謝る事がある』
「わたし、『人』と一緒に居て、幸せ。ごめんなさい、ママ。わたし、みんなの事、大好きなの。ごめんなさい、ごめんなさい、――憎めなくて、ごめんなさい」
『我が娘。お前は一つ勘違いをしている。――いつ私が『人』を憎めと言った?』
「でも、だって、――ママは『人』に殺された!!」
『それはお前と共にある『人』と同じ者ではないだろう? もういいんだ、我が娘よ。無理に『人』を憎まずともいいんだ。今のままでは、人の世は生きにくいだろう? ――なぁ我が娘、『人』が憎いか?』
「……にくい、ママを殺した『人』が憎い。お友達を狩る『人』が憎い。大嫌い。
――――でも、シンクとエリスと先生は憎くないの。ずっと一緒に居たい。…………嫌だよぅ。わたし、ママの事わすれたくないのに、みんなの事、大好きなの」
『『人』を愛したとしても、それは私への裏切りにはならない。娘の幸せを願わぬ親がどこに居るというのだ』
「ママ、いいの? わたし、みんなの事、大好きなままでいい?」
『お前がそれを望むならば、私は構わない。――アリア、か。良い名を貰ったな』
そう言って、母は微笑んだ。その顔には憎しみなど何もなく、ただ私に対する情愛だけが見て取れた。
思わず、しがみついて嗚咽を上げる。どうしようもなく、胸がいっぱいになって、上手く言葉が出ない。
「――っ!! ママ、ごめんね。ごめんね、――――――ありがとう」
ごめんなさい、ママ。――ゆるしてくれてありがとう。
◆ ◆ ◆
「一週間で精孔が開くなんて……。凄いわ、アリア」
「……先生。アリア、強くなれる?」
「ええ、きっと。これからの特訓しだいだけど貴方には才能があるわ」
シンクもエリスも優しい。でも私の方がおねえちゃんなんだから、二人を守れるくらい強くならなくちゃ。
――――もう二度と、奪われないように。
がんばる。がんばるよ。だから、ありがとう、ママ。
番外2 誰かの日記
200×年10月×日
今日は高校時代からの後輩の葬式だった。
居眠り運転のトラックに突っ込まれるとか笑える。マジあいつ幸運Eだよな(笑)
それにしても結構人数多かったなぁ、人付き合いなんてほとんどない癖に何故か他人を引き付けるんだよな、アイツ。嫌われ者の僕とは大違いだ。
アイツの友人連中は何時もの余裕面を崩しててかなり笑えた。エリートざまぁ。精々泣きわめいて顔面崩壊してろッつーの。ばぁか。
そう思って気分よく参列していると、その友人連中の一人に胸倉をつかまれ大声で喚かれた。たっく、やめてくれよ。服が皺になるだろ?
「涙の一つくらいみせたらどうだ」「少しくらい悲しんだ様子をみせろ」「なんでお前なんかが、アイツと親しいんだ」
要約するとそんな事を言っていたような気がする。嫉妬乙。
やだなぁ、僕がお前らよりもアイツと親しくしてたからって、嫉妬は見苦しいぜ? そう言ったら殴られた。解せぬ。
あー、でもまぁアイツがいないって事は、僕これから大学でボッチってことじゃん。それはちょっとキツイなぁ。ノートとか貸してくれる奴もいないし。
高校の部活でほぼ幽霊部員をしてた僕に話しかけるのはアイツくらいだったし、大学浪人した後も一緒に勉強したり、まともに付き合いがあったのはアイツだけだ。
クリスマスも、お正月も、誕生日も、急な呼び出しでさえも、僕が強請ればアイツは何時も側に居てくれた。アイツの友人たちは、イベント事には無関心だったというのもあるだろうけど。
――でも本当に、お人よしな奴だったな。
一緒の大学に受かって、同じ学部に通って、同じサークルに入って、夏休みも一緒に遊んだりして、――これからもずっとそんな風に過ごす予定だったから、ほんと、勝手に死ぬとか超迷惑。
あーあ、アイツが居ないってことはこれから講座で居眠りも出来ないってことじゃん。ノートとってくれるやつがいない。
あの綺麗でも汚くもない字ももう見れないし、僕が机に突っ伏している時に見せる仕方ないなぁって感じの笑顔も、授業後に控えめに僕を起こす声も、これから、もう、二度と、
……嫌だなぁ。
なんで僕がこんな気持ちにならなきゃいけないんだろう。
辛いのも苦しいのも大嫌いだ。へらへら笑って怠惰に無様に人生を消費したいっていうのに。
そう思って生きてきたのに、なのに何で、――――こんなにも胸が痛いのだろうか。
わかってる。わかってる。原因は全部わかってる。でも、それを認めたら僕は僕でいられない。
さっきから彼女の顔が脳裏から消えやしない。くそ、鬱陶しいにも程がある。
あいつは本当に勝手だよなぁ。なんで今さらになって僕を置いて行くんだろうか。本当に酷い、酷過ぎるよ。なんで一緒に連れて行ってくれなかったんだ。
昔、一人は辛い、とあいつは言っていた。僕はそれを聞いてただ笑うだけだったけど、今はその気持ちがよく分かるよ。
あの頃、同じように部内で浮いていた僕ら。寂しがり屋の君が、僕に話しかけるまでそう時間はかからなかった。
あいつが他人に誤解を受けやすいのは、見ていて分かった。一歩退いて世界を見ていた僕だから、君の本質を理解できた。だからこそ、僕があいつの一番近くに居られた。
少しばかり特殊な目を持っただけの、寂しがり屋で引っ込み思案な、――優しい女の子。僕みたいな人間失格と一緒にいてくれる、お人よし。
僕が漫画の主人公だったら、死神に魂を売り渡してでもあいつを甦らせるのに。っていうのは少し気障かな?
少年ジャンプじゃないんだからそんなご都合主義が起こる訳もないか。世知辛いねぇ。
――なら、僕が取るべき手段はたった一つだ。
――×××××を、×××××××××××××××しなくちゃ。
じゃ、伊織ちゃん。
また明日、ね。
――このページの後には、何の文章も書かれていない。