目が覚めてから、2週間が経過した。
毎日やる事もなく暇すぎて、いい加減背中が痛くなってくる。
事故後の身体検査もつつがなく終わって、今日で晴れて退院となった。病院の医師や看護士は私の退院を自分の事のように喜んでくれたが、明らかに演技である。彼らの笑顔の奥に怯えや嫌悪が透けて見えた。
……別に変な行動なんてしてないのになぁ、大人しくしてるのに嫌われるってどういうことなの。
まぁ慣れているから別にかまわないけれども。別に、悲しくなんかないし。本当に。ほんとだよ?
死んだ目を隠そうともせず、病院の廊下を歩く。皆が怯えた様に道を開けてくれて、複雑な気分になる。
因みにいまの服装は叔父が用意してくれたワンピースだ。味気ない入院服ではない。
黒のフリルのワンピースに赤いリボン、どうやら新品らしく袋に包んであった。似合っているかどうかは別として、多少大きめなのはご愛嬌といったところだろう。
……まさか叔父さんが買ったのだろうか。そこは触れてはいけない事なのかもしれない。
そんなとりとめの無い事を考えていると、いつの間にか目的地の玄関前に着いていた。
叔父さんが、私の姿を見やる。
彼はイライラした様子で吸っている煙草の火を踏み消し、こちらへ向かってきた。
……隣に灰皿がおいてあるんだからそっちを使えばいいのに。せめて病院の前くらいはマナーを守るべきだと思う。
「遅い、さっさと車に乗れ」
叔父は高圧的な口調でそんなことを言い放った。
いや、まだ約束の時間まであと10分もあるんですけど……。
ちょっとだけイラっときたので嫌味の一つでも返してやろうかと思ったが、ここは私が大人になってあげることにした。
というよりも嫌味を言う三歳児って怖すぎやしないか? 少なくとも私は怖い。
だが態々助手席に座りたいとは思わなかったので、真っ直ぐ後部座席に移動した。むこうとしても無愛想な子供が隣にいてほしくは無いだろう。
座った椅子からは、微かに上質な革の匂いがした。でもちょっと車酔いをしそうで、私は好きじゃない。
私が車に乗り込み、座り込んだのを確認すると叔父は車を発進させた。
車には詳しくないが、あまり揺れを感じさせず、モーター音が小さいこの車はそれなりに良い物なんだと思う。男の人って何故か車には拘るんだよなぁ。私にはよく分からないけど。
「これから直ぐに孤児院に向かう。荷物はもう既にあちらに送っておいたから何も心配は要らない。なに、半日もあれば着く。それまで寝ていろ」
「……分かりました」
……あれ、もしかしたらなんだかいい人なのかもしれない。
見た目は何処のマフィアですかって感じの黒スーツとグラサンなのに、案外まともな人なんだろうか?
いやいや騙されるな、こいつは弟夫婦の忘れ形見を孤児院送りにするような奴だ。一般的に考えていい人のわけがない。
……でも、もしかしたらこの世界の孤児院はもの凄く待遇がいいのかもしれない。そうならこの人たちの行動にも納得できるんだけどなぁ。
ふと、窓の向こうの景色が気になった。
少し前に抗争なんてものがあったにしては人通りが多い。
非日常も長く続くと日常になってしまうのだろうか? 人の適応力はやっぱり凄いな。
そういうところは、私が伊織だった頃の世界と変わらない。
事件なんて過ぎ去ってしまえば、所詮は他人事だ。たとえそこで何人もの犠牲が出ていたとしても。
いくらH×Hの世界とはいえ、ここは紛れも無く現実だ。
――私はそれが、どうしようもなく恐ろしい。
少しだけ陰鬱な気分になりながら、私は目を閉じた。
―――眠ろう。
私は緩やかな睡魔に身を任せ、夢の世界に逃げ出した。
◇ ◇ ◇
病院の玄関付近で、この場所にいるにはあまり似つかわしくない雰囲気を持った男性が、苛立たしげに煙草の煙を吐き出していた。地面には何本か吸殻が転がっている。
男は病院の奥を見やると、大きく舌打ちをした。
――男は内心イライラしていた。
何故かというと妹が姪の処遇を勝手に決めてしまい、しかも孤児院まで予約しやがったからだ。
いや、それだけならまだ許せる。自分だってアイツを引き取るつもりなんざ、さらさらなかったし、餓鬼なんかに関わりたくもないからだ。
だが入る予定の孤児院がここから半日は掛かる場所にあるっていうのは一体どういうことだ?
タクシーにでも乗せて終わらせられたら良かったものを、最後の手続きは身元引受人が現地でやらなくてはならないらしい。面倒にも程がある。
仕事が忙しいとあれほど言っているのに妹は断固として姪と関わるのを嫌がった。これだからヒステリー持ちの女は嫌なんだ。虫唾が走る。
あれ以上金切り声を聞くのはうんざりだと思いながら、しぶしぶではあったが送迎を承諾した。
荷物は適当に弟の家から見繕って孤児院に送り、姪の服は会社の同僚に頼んで買ってきてもらった。
病院の玄関に姪の姿を見つけ、今まで吸っていたタバコを踏み潰した。
姪を急かすように車に乗せ、さっさと病院の前を後にする。
―――それにしても、愛想の悪い餓鬼だな
自分も人の事は言えた義理じゃねえが、こいつは輪にかけて酷い。
医者の話によると事故のせいでショックを受けているだけらしいが、よくよく思い出してみると事故の前からコイツはこんな感じだった。
弟からも娘の感情の起伏が少ないとよく相談をされていたしな。どうでもよかったから聞き流していたが。
さっきだって気まぐれで優しい言葉をかけてやったのに、ニコリともしない。……胸糞悪い。
気分を害した俺は、苛立ちに任せて思いきりアクセルを踏み込んだ。嫌なものは無視するに限る。
後ろですうすう眠っている子供の存在が、酷く疎ましかった。
途中休憩も含めつつ、半日かけて目的地に到着した。
……こいつ、人の苦労も知らないでのん気に眠りやがって
自分で眠れと言っておいてなんなのだが、流石にこちらが眠気を堪えながら運転している時に遠慮なく眠られると殺意が沸いてくる。
しかし眠っているエリスには、普段の薄気味悪さがなく、歳相応の子供に見えた。
やはりあの目がいけない。あの瞳を見つめると苛立ちや嫌悪感が湧き上がってくる。上手くは言えないが。
そんな姿に毒気を抜かれた俺はため息を吐きつつも、エリスを起こして孤児院と呼ぶにはすこし小さい建物の中に入っていった。
◆ ◆ ◆
ふわふわとした微睡の中、いきなりお前が勇者だとか言われ王さまにひのきの棒と100ゴールドを渡され、酒場で仲間を集め城下の外に出た途端スライムに瞬殺されたというところで、叔父に叩き起こされた。まさにカオス。
それなんてドラクエ? と思うのと同時に、夢の中くらい私ってば最強!! な状況になってもいいんじゃないかと、不満に思う。
スライムに瞬殺って、おま、村人Aより弱いんじゃないの?
夢の中ですら不遇な扱いを受けるのか私は。泣きたい。
精神的にグロッキーな状態になりつつも、必死に寝ぼけた頭を叩き起こす。
こちらを振り返ろうともせず、おそらく孤児院であろう建物に進んでいく叔父を小走りで追いかける。少しはコンパスの差を考えてほしいものだ。
あぁ、現実とは無情である。