番外7 電話後のシャルナーク
エリスとの通話を強制終了させ、リビングに居るアリアの所へ向かう。
シンクは今日出かけていて居ないそうなので、この家に居るのはアリアと俺とマリアさんだけだ。
……別にアリアの事をどうこうしようとかは思っていないぞ、ただのモチベーションの問題だ。
リビングではアリアとマリアさんが、俺がお土産として買ってきたケーキを食べながら談笑していた。
「電話、終わったですか?」
戻ってきた俺を見た彼女は椅子から降りて俺の方へ話しかけてきた、頬に付いたクリームが可愛らしい。
付いてるよ、とクリームを手で拭いながら彼女の隣りにさりげなく座る。
普段はエリスとシンクが邪魔をしてくるからこんな些細なスキンシップすら出来やしない、そもそも過保護過ぎるんだよあいつ等は。
「あ、そういえばエリスの事だけど順調に試験を進めてるみたい。まぁ特に心配するような事はないと思うけどね」
「それはそうでしょう。彼女は私の自慢の弟子なんだから当然の事です。双子も、まぁ平気でしょう」
優雅な仕草で紅茶を飲みながら、マリアさんが言った。
彼女は齢80を越える老婆でありながら、彼女のオーラはまるで現役の如き厳かさを保っている。
流石はハンターとしての現役時代に『深淵の魔女』という通り名で活躍していただけはあるな。
その彼女が『自慢の弟子』と謳う『エリス=バラッド』、アリアとシンクと共にこの孤児院で育った少女。
彼女との出会いは、2年前まで遡る事になる。
◇ ◇ ◇
エリスと初めて会ったとき、俺は確かな恐れを感じた。
俺は今まで色々な奴と仕事で敵対してきたけれど、彼女のような人間に出会ったことは一度も無かった。
―――あまりにも闇に沈んだ瞳をしていた。
団長の目もそれに近いものがあるけど、彼のそれとは質が違う。
そして彼女の表情からは警戒心も殺意も怒りも悲しみも喜びも、いや、ありとあらゆる『感情』を読み取ることが出来なかった。
その瞳は確かに俺を映している筈なのに、俺の事なんか見ていやしなかった。
見ていたとしてもアイツは俺の事など路傍の石程度の存在としか思っていなかったことだろう。
……その瞳が『俺』を映すようになったのは何時の事だったろうか、確か4度目の訪問の時だったと思う。
アリアに会う為ならば多少の恐怖は妥協する。だって彼女は俺の天使だし。
そんな想いから俺はあの日、手土産に買った色々な種類の花束を持ってアリアが住む家へと向かった。
インターホンを鳴らし彼女が出てくるのを待っていたのだが、残念な事に扉を開けたのはシンクだった。
「げ、アンタまた来たの? いい加減にしてくれない?」
「別にお前に会いに来てるわけじゃないんだからいいだろ。……アリィいる?」
毎回会うたびに嫌味を言われるのにはもう慣れた、コイツはアリアにもそんな感じだから特に気にしなくてもいいと思う。
「今はちょっと出かけてる。……後一時間くらいで帰ってくるから中で待ってれば?
―――勘違いするなよ、僕はお前がアリアに付きまとう事を許したわけじゃないんだからな」
「(ツンデレだ、紛う事なきツンデレだ)」
なんだかんだいってシンクはお人好しである。
やっぱり『アリアの友人』という立場が幸いしているのだろう、俺としても追い返されない事には感謝しなくもない。
その言葉を聞いて、俺は間取りを覚えてしまったこの家のリビングに向ったのだが、背後の彼の不穏な言葉を漏らすのを聞いてしまった。
「そういえばエリスがリビングに居たけど……、まぁいいや」
◇ ◇ ◇
「……こんにちは」
「あ、あはは、お邪魔してます」
エリスはそう一言俺に声をかけると、いつもの無表情で本に向き直った。
……ホント、不気味な奴。
ソファーに花束を置いて彼女から離れた場所に腰掛ける、ていうか出来る限り近くに行きたくない。
うっかりこの場で殺し合いなんかが始まってしまったら俺がアリアに嫌われてしまう、それだけは避けたいところだ。
だが、もしもの時に備えて操作用の針は手元に隠し持つ事にしよう、油断は大敵だ。
「……それ、アリアに?」
暫くの間本を捲る音だけが部屋に聞こえていたが、そういきなり彼女に話しかけられて、少なからず俺は驚いた。
今までエリスから話を振られた事など一度も無かったからだ。
俺が彼女の方を向くと、彼女はじっと花束の方を見ていた。
「あ、うん。アリアに似合うかなって思ってさ」
「……そうですか」
そう言って彼女は微笑ましい物でも見たかのように微笑んだ。
―――こいつ、ちゃんと笑えるんだ。
今まで感情の読み取れない人形みたいな表情をしていたのに、アリアの話題になっただけでここまで表情が変化するなんて思っても見なかった。
驚きのあまり口を開けないでいると、彼女が不意に真剣な顔をして俺に質問をしてきた。
「貴方は、絶対に裏切らないと誓えますか?」
「……何をかな?」
「貴方の『天使』を、ですよ」
「何かと思えばそんな事? 俺がアリィを裏切るなんて世界が滅んだとしてもある訳が無いよ」
「本当に?」
再度確認をしてくる彼女の視線はあまりにも真っ直ぐで、俺は軽口を叩く余裕すらなくなっていた。
「誓うよ、彼女だけは裏切らない」
「……それならいいんです。私、お茶を入れてきますね、もう直ぐアリアも帰ってくると思うので。……ああそれと、」
椅子から立ち上がったエリスはそこで言葉を止め、俺の事を見据えた。
「ソレ、無駄ですから。次からは止めた方がいいですよ」
針を隠し持っていた方の手を見ながら彼女はそう言った。
……ばれてたのか、まさか気づくとは思ってもみなかった。
少し、彼女の事を甘く見すぎていたのかもしれない。
「……考えておくよ」
「そうした方が賢明ですね」
そう言い残すとエリスは隣りの台所へ歩いていった。
第一印象よりも少しは話やすい人物かと思ったのだが、それでもまだ侮れない。
―――だが俺がアリアを裏切らない限り、きっと彼女が敵になる事は無い。
エリスという人間はひどくアリアに甘いのだ、言動や表情からもそれは読み取る事が出来る。
ただ俺がアリアを傷つけたならば、彼女は容赦なく俺と敵対する事だろう。
なんて恐ろしい義妹だろうか、煩い小舅もいることだし、この恋は障害物が多すぎる。
「ホント、前途多難だよなぁ」
そう言って苦笑いしながら頭を抱える。
―――それでも、諦めるつもりは無いけどね。
玄関からリビングに向ってくる小さな足音に、俺は笑顔を向けた。
◇ ◇ ◇
裏側
またシャルナークがアリアを訪ねてこの家にやってきたようだ。なんだか気が重くなる……。
一応彼がリビングに来たときに挨拶はしたのだが、なぜか引きつった笑みで挨拶を返される。……何故だ。
それからは会話などなく、本のページを捲る音だけが部屋に響いた。
毎回会うたびに私との間で起こる微妙な沈黙を何とかしたいと思い、彼の持ってきた花束について質問する事にした。
「あ、うん。アリィに似合うかなって思ってさ」
「……そうですか」
確かにアリアには綺麗な花が良く似合う、だがしかし彼女は香りがキツイ花は苦手なのだ。
あははは、受け取り拒否されてしまうがいいさ!
ニヤニヤするのを抑えきれずそのままの表情で花束を見つめる。不審に思われたとしても別に構わなかった。
なんだか和やかな雰囲気がその場にながれたので、私はその場のノリで気になっていた事をシャルナークに聞くことにした。
彼がこの家に来る目的がもしアリアでないとするならば、何なのだろうか?
もしそうならば先生のコレクションなどが上げられるが、その所為でアリアが利用されるならば、チキンな私だって黙っていない。
《家族》を失うくらいなら死んだ方がましだ。
「貴方は、絶対に裏切らないと誓えますか?」
「……何をかな?」
「貴方の『天使』を、ですよ」
彼が以前アリアの事を『天使』と言っていたとシンクに聞かされた。
もしもこれが演技ならば、彼の態度に若干のブレが生じる事だろう。
いくら好きとはいえ、相手を『天使』と公言するだなんて、普通の神経で出来る筈がないと思う。
「何かと思えばそんな事? 俺がアリィを裏切るなんて世界が滅んだとしてもある訳が無いよ」
さも当然といった表情で彼はそんな事を言ってのける、見る限りでは嘘を吐いているようには見えない。
「本当に?」
そう言って私は彼の瞳を見つめる、そんな私に対して彼も負けじと真剣な顔をして口を開いた。
「誓うよ、彼女だけは裏切らない」
それは今まで彼と会ってきた中で、始めて信じるに値すると思える真摯な言葉だった。
―――友達からなら、認めてやらなくもないかな。
何となく安心した私は、お茶でも持ってこようかと思い席から立った。
「……それならいいんです。私、お茶を入れてきますね、もう直ぐアリアも帰ってくると思うので。……ああそれと、」
彼の隣りにある花束に向けてひと言、
「ソレ、無駄ですから。次からは止めた方がいいですよ」
一応忠告だけはしておく。
これが教訓になってくれるといいんだけどね、綺麗な花なんだから捨てる事になるのはもったいないし。
「……考えておくよ」
「そうした方が賢明ですね」
そこまで言うと私は台所に向って歩き出した。
◇ ◇ ◇
その後
「……アリア、香りがキツイ花は苦手です」
「え゛っ!」
◇ ◇ ◇
「シャル、どうしたですか?」
「ん?ああゴメン、ちょっとぼーっとしてた」
昔の事を思い出していたら、うっかり思い出に浸ってしまった。
アリアが隣りに居るっていうのにこんなことじゃあ駄目だな。
「みんな、強いから心配ないですよ?」
俺は別に彼等の心配をしていたわけでは無かったのだが、そう言って微笑むアリアは本当に可愛らしかった。
こうやって時折する『姉』の顔は、彼女らしいとはいえないが、悪くはないなぁと思う。
「それもそうだね。……そういえば彼女、賞金首のエド・ゲインを捕まえたんだって?
凄いじゃん、あの男って結構強いって有名だったのに」
エリスが先月捕らえた猟奇殺人犯のエドガー・ゲインは念能力者だ、それも戦闘に特化しているタイプの。
一度マチが奴と接触したと聞いていたが、彼女曰く「最低最悪の狂人」だそうだ。
マチは奴に傷一つ付けることが出来なかったらしい。いくら彼女が戦闘要員ではないとはいえ決して弱くはない。その事実がエドの実力を物語っている。
エリスが以前にも捕まえてきた犯罪者達はどいつも凶悪な念能力者だ、中には俺では勝てないであろう実力者もいた。
「エリス、強いから。そんな悪者には負けるわけないもん」
「うん、アリィが言うならそうなんだろうね」
アリエッタが言う通りエリスは強いと思う、たまにアリアとの時間を邪魔されたときについ針を投げてしまうのだが(あくまでわざとではない)、いつも自然な仕草でかわされる。
背中に眼でも付いてるのかもな、アイツは。
―――エリスの実力はどうも判りにくい。
見えるオーラは洗練されていて立ち振る舞いも優雅だ、その事からそれなりの実力者であることが伺える。
ただ、ふとした瞬間にオーラが揺らぐのだけは未だに謎ではあるが。
「言ったでしょう? あの子は自慢の弟子なのよ。そう、この『魔女』のね」
そう言うとマリアさんは悪戯っ子のような表情でウィンクした、そんな子供っぽい仕草が様になっているのが彼女の魅力の一つなのかもしれない。
「……マリアさんには敵わないなぁ」
「あら、まだまだ若い子に負けるつもりは無いわよ?」
ホント、この師にしてあの弟子有りだ。つくづくそう思った。