俺の名前はトンパ、ハンター受験歴35回の大ベテランだ。
合格できる機会なんてはっきりいって何回もあったが、俺はハンターライセンスよりも自分の生きがいを優先させた。まぁ、趣味に生きる人生ってやつだな。
地位や名誉を切り捨ててまで優先させた俺の生きがい。――その名も《新人つぶし》。
ハンター試験の本試験出場という狭き門をくぐり抜け、夢と希望に溢れた新人達が己の無力さに絶望し、崩れ去っていく様は最高だ。
性格が悪い? ははっ、褒め言葉だよ。
奴らのような才能ある新人達が、俺みたいなオッサンにいいように嵌められる様を想像すると笑いが込み上げてくる。
―――今年の新人達にも精々楽しませてもらうとするか。
だがここの所、妙な新人が多い気がする。
前々回は桃色の髪をしたゴスロリの女、コイツは俺が話しかけた途端に隣にいた狼を俺にけしかけやがった。
その時に負った怪我の所為で、あの時の試験は二次までしか進めなかった。しかも報復しようにも、そいつはその試験の時にライセンスを取得してしまったので、俺にはもう手も足も出せない。復讐も出来ず、泣き寝入りするしかなかった。
前回はその時に溜まったフラストレーションを解消しようかと思ったんだが、去年の新人も癖のあるヤツが多かった。
中でも見るからにヤバかったのはヒソカだ。試験官を半殺しにするなんて狂ってるとしか言いようがない。それに上手く言えないがアイツはそれを除いても、近づきたくないナニカがあった。
しかもうすうす予想していた通り、コイツは今回も試験に参加している。
……そりゃそうだよな。普通落ちたら次の試験にも参加するよなぁ。……極力関わらねぇようにするか。
そう言えば去年はもう一人変な奴が居たな、確か名前はシンクとかいったか?
ヒソカの奴に相当絡まれてたみたいだが、それで五体満足でいたんだから相当な実力者だと言える。
俺も話しかけてはみたんだが、全て無視された。ちっ、最近の若い奴は礼儀ってものがなってねぇよな。
とある伝手から聞いた話しによると、最終試験で部外者に妨害されてたみたいだが、なんの問題もなく合格したらしい。……けっ、つまらねぇな。
まぁそんなこんなで今年こそはと、はりきって下剤入りジュースを用意したわけなんだが未だに一人しか引っ掛からない、99番のみだ。
その99番ですら平気な顔をしていやがる。――くくっ、どうせやせ我慢だろ。すぐにトイレに駆け込むに決まっているさ。
受験生が200人を超えた頃、またエレベーターが地下に降りてきた。
―――騙されやすい新人がいるといいんだがな。
そう思い他の受験生と同様にエレベーターの扉を見ていたんだが…、俺は直ぐにその事を後悔した。
開いた扉の先に居たのは喪服みたいな服を着たそっくりな男女の双子と、黒いコートの女。
その異様な出で立ちから、ひと目で新人だとわかり声を掛ける算段を考えたが、黒コートの女がぐるりと辺りを見渡したとき――奴と目が合った。
―――まるで出会いがしらに、こめかみにショットガンを突き付けられたような気分になった。
俺は反射的に目を逸らしたが、暫くの間寒気が止まらなかった。
周りの連中の様子をそれとなく伺うと、どいつもこいつも青い顔をしていやがった。きっと俺も似たような顔をしている事だろう。
―――新人つぶしは俺の生きがいだ。だが関わってはいけない連中も確かに存在する。
俺は長年の勘からそういった危険人物を見分ける事が出来る。ヒソカがいい例だ。
だがあの女とヒソカでは、種別が全然違う。ヒソカはまだわかりやすく狂人の枠に入れられるが、あの女はそうじゃない。
まるで這いよる混沌の様な、薄暗い存在。あんな人間がこの世に居ていいのかと俺は心底恐ろしくなった。
そんな得体のしれない女とのんきに手を繋いでいる双子のガキにだって関わりたくない。あんな女と一緒に居るくらいだ、そうとう頭の螺子が抜けているに違いない。
勿論、下剤ジュースは渡しに行かなかった。自分の命より大切なものはねぇからな。
暫くして落ち着いた俺は気を取り直して次の新人が降りてくるのを待つが、なかなかいい獲物が見つからない。
301番の男なんかは見るからに危ない。顔中針だらけにするなんてどういう神経をしてるんだ?
そいつと一緒に降りてきた302番は、スーツを着た優男風の男だったが下に着くなりさっきの220番の女の方に向かって歩き出した。
殺されるんじゃないかと思い見ていたのだが、女の反応から見るにどうやら知り合いらしい。……今回の試験もどうやら荒れそうだな。
地下道に居る受験者の数が400人を超えた頃、新たに4人の新人が降りてきた。
―――まずはこいつ等を嵌めてやるか。
俺はそんな事を考えながら、新たにエレベーターから降りてきた4人の受験生――見覚えが無いので恐らく新人だろう――に近づいた。
思えばこの時の俺は事が思うように進まない事にあせっていたのかもしれない、その4人の新人に話しけているときに迫った危機に気づく事が出来なかったのだから―――。
12歳くらいの少年と20代程の男、そして10代後半の女顔の男?と同じくらいの歳の眼鏡を掛けた女だ。
どうやら女は彼等と知り合いというわけでは無いらしく、エレベーターが着いた途端他のところへ行ってしまった。
どちらに声を掛けるべきか少し迷ったが、この3人組みの方が騙されやすそうに見えたので、俺は彼等に近づいた。
今にして思えば、それが俺にとっての最後の分岐点だったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
俺はそれとなく親切なベテランを装い、彼等に話し掛けた。
掴みは良好、相手は俺の話を聞く体勢に入っている。後は話の持って行き方次第で下剤入りジュースを飲ませるのも夢じゃないだろう。
そう心の中でほくそえみながら、話を続ける。
「―――あぁ、44番ヒソカはヤバイ。
あいつは去年試験官のほかに20以上の受験生を再起不能にしている、……極力近寄らねぇほうがいいぜ。
……それと、ヒソカよりも要注意なのは220番の女だ。そう、あの黒いコートの女だ。
アイツは完全に裏社会の人間だな、下手に関わると殺されるぞ。命が惜しければ近づかない方がいい。あれならまだ野生の獣の方がずっと可愛いもんさ。
それとあの女のそばに居る双子のガキにも注意した方がいい。今は居ないみたいだがゴスロリの目立つ奴らだから直ぐに分かる。
あんな危ない奴と一緒にいるくらいだ、一筋縄ではいかないだろうな。念のため気をつけたほうがいいぜ。
―――おっと、そうだ。
お近づきの印に飲み物なんてどうだ?
お互いの健闘を祈ってカンパイだ」
その後、ガキが口にジュースを運んだ所まではよかったのだが、「古くなっている」と異物が入っている事を見破られてしまった。
……あの下剤は無味無臭の筈なのにな。どんな舌をもっているんだか。
上っ面だけの謝罪もそこそこに俺はその場を去った、疑われているのに此処に長居する理由は無い。
……何で今期の新人は異常な奴らばかりなんだ? もっと蹴落としがいのある奴はいねぇのかよ。
例年ならばこの時点で一人か二人は俺の友好的な態度に騙され、試験前からリタイアする様を嘲笑っている頃だと言うのに、いまだ収穫ゼロとはなんたる様だ。
――――どうやら今年の新人は侮れねえ奴ばかりだな。
やれやれと溜息を吐きながら、残る新人、406番の女を探す事にした俺は辺りを見渡した。
その時、
「兄様、あのおじ様なんてどうかしら?」
「ああいいね、姉様。――斬りがいがありそうで、さ」
背後から聞き覚えのない子供のような声が聞こえてきた。俺が聞いた事の無い声、つまりは新人の筈だ。
だが今回の試験の新人に子供はさっきのガキと99番と例の双子くらいしか居ない、つまり俺の後ろにいる奴らは……。
「ねぇねぇおじ様。今お暇かしら?」
「そうだよおじさん、一緒にお話ししよう?」
歌うように軽やかに、俺の背後に幼い声が響く。その声色は穏やかであったが、――薄ら寒い物しか感じない。
……違う。俺じゃない。俺に話しかけているだなんてそんな事あるわけがないっ!!
ガタガタと体が震えだす。220番を見た時とは違う、これは――死への恐怖だ。
そんな俺の焦燥を無視するかのように、奴らはじわじわと距離を詰めてくる。
「聞こえてるんでしょう? 無視はいけないと思うわぁ」
クスクスという笑い声を背に俺は走り出した。
――――なんだ、何なんだあいつらは!?
「あれ?鬼ごっこでもするつもりなのかな、どう思う?」
「そうね。―――少し遊んでもらいましょうか」
「わぁ、それは素晴しいね、姉様。僕らが鬼みたいだから、捕まえたらどうしようか?」
少年は少女を下から覗きこむかのように問いかける。その後ろ手に握られている凶器に、周りの受験生は傍観を決め込んだ。
それもそうだろう。トンパを命がけで助けようなんて人間は、ここにはいない。
「でも、あまり血の匂いをさせて帰るとエル姉様が怒るから、程ほどにしなきゃいけないわね」
少女がにこやかに死の宣告を告げる。
――――他の受験生を押しのけて走り続ける。 だが、背後の気配は何時までたっても消える気がしない。
何故だろうか、俺はいつだって自分の安全を第一に考えて行動してきた筈だ。
こんな予想外の命の危機に陥るなんて考えても見なかった。ただそこに居たからとでも言うような下らない理由で何故俺が殺されなければならないのか。
だが、いくら走っても背後の笑い声が消える事は無い。
焦りが俺を支配する。
極度の緊張でもつれた足につまずき、俺は無様にもその場に転がった。
クスクスと俺を追いかけていた時と変わらぬ笑みを浮かべながら、双子が凶器を持って俺に近づいてくる。
「あ、あぁ、止め、ゆ、許してくれ!!」
襲い掛かる恐怖につぶされた俺は立ち上がり逃げる事ができず、後ろに這いずることくらいしかできない。
だが、それすらもたかが数歩の距離で直ぐに縮められてしまう。
「お や す み な さ い」
そう言って振り下ろされたのは、鈍色にきらめく小振りの斧だった。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ痛い痛い痛い死にたくない痛い嫌だ嫌だ嫌だどうして嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌恐ろしいだ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だなんで俺がこんな目に嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない嫌だ嫌だ嫌だどうして嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い怖い怖いどうして嫌だ嫌だ嫌だ痛い痛い痛い体から大量の血が、嫌だ嫌だ嫌だ痛い痛い痛い怖いだんだん寒くなって恐ろしい嫌だ嫌だ嫌だ痛い痛い痛いああああぁあぁぁぁぁっぁああぁぁあぁぁぁあぁ あ ぁ
壮絶な痛みとともに、俺の意識は遠のいていった。
薄れゆく意識の中で、もう二度と目覚める事は無いな、と何となく思った。
動かなくなったナニカを背に、少年と少女は仲良く歩き出した。
クスクスと笑いながら歩く彼等はさながら天使のようであり、先ほどの惨劇を目撃していなければ、きっと微笑ましいものに見えたことだろう。
だが彼らは天使の皮を被った悪魔なのだ。
――さわらぬ神に祟りなし。
多くの受験生はそう心に刻み込んだ。