――ふと横を見ると、兎が座っていた。
いきなり何を言っているのか分からないかもしれないが、私にもさっぱり意味が分からない。
ショッキングピンクの体躯に、バランスの悪い大きな被り物の頭。だが、それは大型遊園地に居る様な可愛らしいものではなく、場末のデパートの屋上に居そうなチープな着ぐるみだった。
なんというかア○ゾンで売ってそうな、パジャマみたいな着ぐるみなのだ。頭ばかりが大きくてとてもバランスが悪い。
手には幾つものカラフルな水風船くらいの大きさの風船を持っている。なんでそんな小さいんだろう……。
……しかもそいつは何故だかわからないが、ずっと私を見つめている。というよりも何時から此処にいたのだろうか? 全然気が付かなかった。怖っ。
それにこんな奇怪な格好をした人物が居るのに、誰もこちらを気にしている様子が無い。ミルキも同様だ。
――まるで、この空間だけが現実から切り離されてしまったかのように。
「……あの、」
何か用? と、私がそう言いかけた瞬間、兎はスッと手に持っていた風船を私に差し出した。
赤い色をした、何の変哲もないただの小さな風船だ。凝で見てみたが、特に変わった様子は見受けられない。
私は訝しげな眼で、風船と兎を交互に見る。……一体どうしろと言うのか。
「受け取ればいいの?」
私の言葉に兎は大きなその頭をコクリと下げた。その際に、服と首の間から肌色の地肌が見えた。あ、一応中身は人なんだ。
……でもどうしようかなぁ。別に受け取っても構わないけど、兎の意図が分からない。
そもそも普通に考えてこの空間は異常だ。何にせよ早く状況を打破しなくてはならない事だけは確かだ。
兎はじぃっと私を見る。……よく見ると顔のデザインもなんか可愛くないなぁ。適度に崩れてて怖い。
それから暫し膠着状態が続いたが、兎も手を前に突き出したまま一向に引き下がらない。
――しょうがないか。
かなり躊躇ったが恐る恐る風船に手を伸ばす。
その鮮やかな赤色をした風船は、思いのほか私の手によく馴染んだ。――まるで、此処が定位置とでも言いたげに。
私が風船を受け取ったのを確認すると、兎はこちらに手を伸ばし、その風船の紐を私の手首に巻きつけた。
兎は一度満足そうに頷いたかと思うと、興味を失ったかのようにゆったりとしたスピードで立ち上がり、私に背を向けて歩き出した。そして兎は人ごみに紛れ、消えるように去って行ってしまった。
「……なんだ、あれ」
「え?どうかしたの?――――あれ、エリス。その風船どうしたの。さっきは持ってなかったよね?」
「いや、兎が」
「兎? ――――そんなの何処にもいないじゃないか」
私の上でふわふわ浮いている風船を不思議そうに見つめながらミルキはそう言った。
やっぱり念だったのかな。こうして手元に風船がある以上白昼夢なんてオチは無いだろうし。
先程の兎とのやり取りをミルキに話すと、少し険しい顔をして風船を睨んだ。
「それ、捨てたら? 危ないよ」
「いや、――――大丈夫だと思う」
自分でも危機感が足りないとは思うが、何となくこれは問題ないと直感が告げている。少なくとも悪意は感じないし、何より――何故か懐かしい気持ちにさせられる。
遠い日の憧憬の様な、耐えようのない郷愁の様な、なんとも言えない感覚。手離しがたい魅力がこれにはあった。
「――きっと、大丈夫」
そう言い聞かせるように、呟く。
ミルキはいまいち納得していない様だったが、そこはまぁ素直に謝っておく。全部私の我儘なわけだし。
心配してもらえるというのは、とてもありがたい事なのだ。感謝しなくちゃいけない。
それからミルキと雑談しつつ過ごしていたのだが、不意に劈くような男の悲鳴が聞こえた。嫌な予感しかしない。
予想はしたくないけど多分双子が原因だと思う。……此処に来るまでにかなり鬱憤が溜まってたみたいだからなぁ。堪え性がないあの子達には酷だったのかもしれない。
仕方のない事なのかもしれないけど、いずれはそれも改善していかなきゃいけない。そもそも拾ってきたのはシンクなのに実際は一番私が世話係になってないか?
家に帰ったら一度本格的に話し合いをした方がいいかもしれない。主に私の精神衛生のために。
右手で胃の辺りを抑えていると、人ごみの中から満面の笑みを浮かべた双子が私に向かって走ってきた。
彼らはスピードを落とさず、そのまま私の胴に抱き着いてきる。――仄かに鉄の匂いがした。
念のため受身の体勢はとったが、お腹にきた強い衝撃で一瞬息が詰まる。しかも的確に体の中心を狙って肘や頭を当ててくるのは恐らく、いや確実にわざとだろう。
「あー! 風船いいなー。私も欲しい」
「エリス姉さまだけずるいー」
………………こいつらは、本当にもう、仕方がない奴らだ。
私は無言で手前に居たグレーテルの頬を片手で引っ張った。
あうあうと何か言っているようだが私には生憎聞こえない。あはは、子供のほっぺはよく伸びるなー。
そんな状態を三分ほど無表情で続けてみたのだが、ヘンゼルの方が半泣きで止めてきたので、渋々であるが手を放してやった。
……別に怒っている訳ではない。ただのスキンシップだ。
「……楽しかった?」
何をしてきたのかは、あえて問わない。そんなのわかりきっている事だから。
「んー、つまんなかった。声も良くないし、脂が多かったから斬りにくかったし」
「別に他の人でも良かったのだけれど、皆誰も彼も筋肉質で似たようなものだったわ。それにあのおじ様、エル姉様の事嫌な目で見ていたから」
ねー、と二人で顔を合わせて言う。仕草がいちいちあざとい。
……でもこれは怒るに怒りづらい。
それにしても、『ツマラナイ』か。いい傾向なのか、悪い傾向なのか。少なくともその『おじ様』にはご愁傷様としか言えない。
本当に、馬鹿な子達だ。
この世界には狂気なんかより、もっとたくさん綺麗で美しくて優しいもので溢れてる。
今はまだ無理だろうけど、いつか気が付いてくれるといい。それまでは根気よく付き合うさ。――だって、家族だからね。
両の手で双子の頭を撫でてみる。見た目通りさらさらして気持ちがいい。
「つまらないなら、他の事をしてみたら? ――楽しい事って、他にもたくさんあると思うけど」
私のその言葉に、双子は少しキョトンといった顔をして、首をかしげた。
「たとえば?」
……それは考えて無かったなぁ。よくよく考えてみると私って基本無趣味だし、ヒッキーだし、コミュ障だし三重苦だ。どう考えてもリア充には程遠い。
「……読書、とか?」
私が何とかしてひねり出した答えは双子にはお気に召さなかったらしい。そりゃそうだ。
その後、「エル姉様はもう少し外に出た方がいいわよね」「僕もそう思う」とこそこそ聞こえるように内緒話をしていた二人に微かに殺意が芽生えた。放っておいてよ、もう。
それにしても楽しい事ねぇ、ああ言った手前何か無い物かと思考を巡らせる。
そして、ふと手の中の風船を見て閃いた。
「遊園地、」
「え?」
そうだ、遊園地に行こう。正直私も今まで前世も含めて一回しか行ったことが無いけど、それなりに楽しかったような記憶がある。
あの時一緒に行った先輩は元気にやっているだろうか。あの人も例にもれず特殊な性格をしていたからなぁ。
部活で同じように部員から遠巻きにされてたから、必然的にいつも一緒にいたんだよね。大学も一緒の所だったし。先輩、受験失敗してたから、大学は同学年だったし。
捻くれ者で、嘘つきで、変態という所を除けば後輩想いでいい先輩だったんだけれど。
因みに友人たちはこのことを話すと、お前頭大丈夫? とでも言いたげな視線をよこしてきた。
いや、確かに先輩はどうしようもない人だけど、いい所もたくさんあるんだよ。それを言葉にしろって言われると上手くは言えないけどさ。だからストックホルム症候群とか言うな。私は別に何もされてない。はず。
少し飛んでいた思考を現実に戻す。
「試験が終わったら、少し遠出して遊園地にでも行こう。きっと、楽しいと思う」
私の言葉に、双子がきゃいきゃいとはしゃぎ出す。
「遊園地って、あの高いところから落下する乗り物があるところかしら?」
「ちがうよ姉様。着ぐるみを追いかけて鬼ごっこをするところだよ」
「へ、ヘンゼルちょっと待て! それはちょっと違う!」
双子の物騒な言葉に今まで傍観していたミルキが思わずといった風に口を出す。……うん、ミルキが居るとやっぱり楽だなぁ。ツッコミの手間が省ける。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ―――――
ミルキが双子に遊園地とは何かを力説している最中、それを遮るかのように大きなベルの音が鳴り響いた。
――どうやら最初の関門の始まりらしい。
◇ ◇ ◇
「―――承知しました。第一次試験、408名全員参加ですね」
因みに一次試験の試験官はサトツ、くるりとした髭がキュートなおじ様だ。私のストライクゾーンには入っていないけど。
サトツさんは頭上からぐるりと受験生を見渡すと、さっと踵を返して通路の方に歩き始めた。
これから地獄の長距離マラソンが始まるかと思うと気が滅入る。
走るのは、あまり好きではない。逃げるのはもっと嫌いだけど。
……黙々と走っていると嫌でも思い出すんだよなぁ。アリアのお友達との鬼ごっこ。
「エリス? 顔色悪いよ?」
ミルキが心配そうな表情で私の顔を覗き込む。
「ん、平気」
さぁ、頑張ろうか。
試験が始まって三時間もすると、殆どフルマラソンと同じくらいの速度で走る事になっていた。いや、フルマラソン自体はしたことはないのだけれど。あくまでも比喩だ。
でも幼い頃から不本意ながらも、デッドorアライブの追いかけっこを繰り返してきたんだ。脚力だけならここにいる受験生にだって負けるつもりはない。――例外は除くけど。
だがしかし、隣りで平然とした顔をして走っている双子とミルキを見ると何だか少し虚しくなる。
……いや、そりゃ元の体のつくりからして違うだろうけど、やっぱり格差は感じてしまう。
――追いつきたい、というのは少し違うのかもしれない。
人には適性があるし、出来ない事があったって何もおかしくは無い。
ただ、――ただ私は見捨てられるのが嫌なだけだ。私が無能な事を理由に見限られるのは絶対に嫌だ。
だからこそ日々の修行だって真面目に頑張っている。置いていかれないように。
……別に卑屈だと笑ってくれて構わない。私は、今の居場所を失いたくないのだ。ただ、それだけなんだ。
◇ ◇ ◇
それなりの余裕を持って地下道の出口に到達した私達であったが、湿原前のニセ試験官イベントで定例の問題が起こった。
「―――そいつはハンター試験に集まった受験生を一網打尽にする気だぞ!!」
ふぇ、くしゅっ。 ……砂埃が鼻に入った。まだムズムズする。
失礼ながらもサトツさんって本当にあのサルと似てるなぁと、まじまじ彼の事を見ていたのだが、急にくしゃみが出て前かがみの様な姿勢になってしまった。
一応シリアスっぽいシーンでくしゃみをするのはちょっと恥ずかしい。自意識過剰かもしれないが皆に見られているような気がする。顔を上げたくない。
体勢を直すとドシャリという音が斜め後ろからし、振り向いてみると喉と顔にトランプが刺さった男の人が倒れていた。
……え、何なの一体。
普通に考えればトランプ=ヒソカ、だよね。
斜め後ろの男の人はヒソカの琴線に触るような事をしてしまったのだろうか、とにかくご愁傷様である。
どうやら私が後ろの男に気を取られている内に、ニセ試験官騒動は終わってしまったようだ。
……別にいいんだけどね。
なんかサトツさんがこっち見てるような気がするけど、多分自意識過剰なだけだ。気のせい気のせい。
◇ ◇ ◇
何故か双子にキラキラした目で見られつつ、《詐欺師の塒》でのマラソンが始まった。
流石は湿原。ぬかるみに足が取られて走りにくい。……この靴、わりと気に入っていたのに泥だらけだ。先生が誕生日に買ってくれたんだけどなぁ……、ちゃんと落ちるといいけど。
陰鬱な気分になりつつも、何とか先頭集団について走っていく。
うっかり後ろにでもいってみろ、即座にヒソカの試験官ごっこに巻き込まれるに決まっている。それだけはゴメンだ。
そんな事を考えている時、恐らくゴン達であろう人達の緊張感の無い声が湿原に響いた。
――前に行った方がいいってさぁ、私も同感だよ。
「ねえ、後ろに遊びにいっちゃダメ? すっごく楽しい事が起こりそうな気がするんだ。 ね、姉様?」
「そうね、兄様。殺戮と流血の気配だわ。――あぁなんて素敵なのかしら」
「……喧嘩を売る相手は考えろといつも言ってるはずだけど? 何度言ったら解かるの、お前達は」
絶対ヒソカが暴れる事を分かって言ってるよね、こいつ等。
ヒソカと遊ぶつもりなのか受験生で遊ぶつもりなのかは解からないが、どちらにせよ今回は遠慮してもらいたい。
悲しい事に私じゃ最悪の事態に対処しきれる自信が無い。私の初見殺しの能力を持ってしても、よっぽど好条件が続かなきゃ勝てないってあんなチートキャラ。
「エリスもそう言ってるんだから今回は諦めたら? 心配しなくても明日には思いっきり遊べると思うしね」
そんな私を見かねたのか、ミルキが加勢をしてくれた。
明日……、明日ってタワー攻略だよなぁ……。双子の手綱を握っておきたいのは山々だが、一緒に行動というのは厳しいものがある。
一緒の場所に落ちるのは難しいだろうし。あそこって多分その特性上、円(エン)は使えないとおもうから。
「とにかく今はやめときなって。 ……ちょ、そんなに不満そうな顔しないでよ」
「ミルキのくせに生意気ぃー」
「生意気だー。謝れー」
「なんでお前ら俺に対してそんな辛辣なの? 俺何かした?」
――絶対納得してないな、あの様子だと。
そんな風にミルキと双子が戯れている様子を横から見ていると、不意にミルキがこちらを向いた。
「そう言えばさぁ、その風船何時まで持ってるの? 特に念はかかってなさそうだけど、いい加減邪魔じゃない?」
手首に結ばれた紐に繋がる風船を怪訝そうに見つめながら、ミルキが問いかける。
そう、兎から貰った風船はまだ私の手の中にあった。……何というか手放すタイミングを見失ってしまった。珍しく双子もあれ以上強請ってこなかったし、わざわざ割ってしまうのもなんだか忍びない。
「……やっぱり邪魔かな」
「エリスが構わないならいいんだけどさ。 ――一応気を付けておいてよ」
「うん。……なんか、心配かけてごめん」
「いいよ。 大丈夫ならそれでいいんだ」
そういうと、ミルキは微笑んだ。
優しい、笑みだった。
――何故かチクリと胸が痛んだ気がした。
◇ ◇ ◇
という訳で二次試験会場、奇怪な音を奏でるプレハブっぽい建物の前に到着した。
何だかもの凄く疲れた。
いや、肉体的にではなく主に精神の方がダメージが大きい。今からこんな事ではこの先の試験を乗り切れないかもしれない……。いや、流石にそれは言い過ぎだけど。
無言で俯いていると、そんな私の顔を覗き込んでと大丈夫かとミルキが聞いてきた。
もう何て言うかミルキはホントいい人だ。私みたいのと友達でいてくれるし、色々気遣ってくれる。
――時々それがどうしようもなく、怖くなる。
私は本当に彼の事を『友達』と呼んでもいいのだろうか? 前世の記憶という些細な繋がりだけで一緒に居てくれるだけなのではないのか? 同情されているだけなんじゃないか?
そんな私の葛藤を打ち消すかの様にプレハブの扉が開いた。どうやらもう正午になったらしい。
中には細身の女性と巨漢の男が居た。まぁ概ね原作通りと言っておけば問題ないと思う。
それにしても生で見るとメンチさんってかなりいいプロポーションしてるよなぁ、特に胸。
思わず自分の胸を見てしまう。うん。平らとまでは言わないけど、とってもささやかだ。
……悲しいけどこれが現実なんだよね。
何を食べたらあんなに大きくなるのだろうか。もしかして美食ハンターになれば巨乳も夢じゃないかもしれない。選択肢の一つに入れておこうか。いや、嘘だけど。
試験管の事をじろじろ見つつも、二次試験前半の課題が発表されるのを待った。
なんだか試験管が居心地が悪そうにしていたが、別に私の所為ではないと思うので特に気にしないことにする。
ハンターなんていう職業をしているのだから人に見られる事もなれている筈だ。
それに私みたいな三流に見られたところで、シングルハンターの彼女は歯牙にもかけるはずがないだろう。きっとヒソカが原因だな。
◇ ◇ ◇
「豚の丸焼き、か」
調味料なんか全然使ってないけど、それでもいいのだろうか?
それともグレイトスタンプという豚は、そういった味付け抜きでも食せるくらいに美味なのかもしれない。全然食べる気はしないけど。
下らない事を考えつつも双子が仕留めてきた豚を焼く。一応中まで火が通っていた方がいいだろうけど、確認めんどくさいなぁ。
因みにミルキとは別行動中だ。
曰く、「ちょっと弟の所へ行ってくる」らしい。やっぱり兄弟だから心配なんだろうね、きっと。
特に問題もなく豚が焼きあがり、双子と供に出来上がったそれを試験官の下へ持っていった。どうでもいいが、ゴスロリに豚はミスマッチ過ぎると思う。油臭い匂いがつかないといいけど。
「―――豚の丸焼き料理審査、76名が通過!!」
メンチが銅鑼をならし、試験前半の終了を宣言した。
……積まれた骨の方が、食べた人の体積より大きい。
話には聞いていたが実際に見てみると薄気味悪い。腹の中にブラックホールでも作る念でも持っているのかな?
「んー、思っていたよりも残ったわね。――二次試験後半、あたしのメニューはスシよ!」
大量の合格者が出た事が不満なのか、どこかイライラしつつも試験後半の課題を宣言した。
人を評価する側の人間が私情で動いてはいけないと思う。試験管たる者、自分が与える影響という物を考えなくてはいけない。
でもこれハンター試験だからなぁ……、際物の人間しか試験管になれないのかもしれない。
それにしても、スシ。……寿司かぁ。
先生がジャポン料理を結構好きだからよく作るんだけど、流石にそういった職人技が必要な料理は基本的に作らない。やはりそういう物は専門家に作ってもらった方がいいに決まっている。
……誰も受からなければどうせ追試験になるだろうし、適当にスシっぽい物でも作るとするか。
「取りあえず、川に行って来よう」
でも川魚って生で食べると危険なんだよなぁ、病原菌とかいっぱい持ってるし。寄生虫とか見ちゃうと食欲失せるよね。
……まぁ、私が食べるわけじゃないし別にいいか。
「川? 水遊びでもするの?」
「エル姉様、僕らも一緒に行っていい?」
元からそのつもりだったし、むしろ放って行く方が不安である。
「俺も行っていいかな?」
背後からいきなり声を掛けられて、少しビクつく。け、気配を消して近づくのは止めようよ。心臓に悪い。
私は特にミルキが一緒に居ることに異論はない。双子に対するストッパーが増えるのはいい事だし。
そんな感じで、私達は他の受験生で混み合う前に魚を取ることに成功した。
いや、本当は受験生が来る前に戻ることも出来たんだけれどちょっと水遊びをしていた所為で時間をくってしまった。でも双子が楽しそうだったからよしとするか。
水場に行くついでに泥だらけの靴を洗ってみたが少しだけシミが残ってしまった。……へこむ。
コートの不快感な重さに少し辟易しながら試験会場に戻ると、試験官以外居ないと思っていた会場に一人の少女が居た。
その女の子はスシを作ろうとしている様子もなく、恐らく自身で作ったであろうおにぎりを、黙々と食べている。
……なんというチャレンジャー。試験官が睨んでいるのも全然気にしていないみたいだ。
外見は外ハネの肩くらいまでの黒髪と黒ぶち眼鏡、おまけに逆十字のペンダント。
……あれ? 何だか見覚えがあるような気がしなくもない。
うーん。と私が考え込んでいるとミルキが、あ、と声をあげた。
「言い忘れてたけど、あれって多分シズクだよね。さっきキルアの所に行った時に見つけたんだけど、すっかり忘れてた」
ごめん、と彼はすまなそうに言った。
え、ちょ、そんな重大な事を忘れないでよ! 心の準備期間が欲しかったよ!
ていうかなんで幻影旅団がハンター試験受けてんの? 必要なの?
驚きつつもシズクの事を凝視していると彼女が振り返り、私と目が合った。
数秒間の間何ともいえない沈黙がその場を支配したが、彼女の方から会釈された。
……あ、どうも。
私もつられて頭を下げると、シズクは元の位置に向き直って食事を再開しはじめた。
……うーん、不思議な娘だ。
ミルキとシャルナークを見たときに思ったけど、紙面上と実際に三次元になった彼らは印象がかなり違う。今まで気づかなかったのも無理もない、と思う。
そもそも此処が私がリアルタイムで見ていたH×Hと同一の世界とは限らない。似ているだけのパラレルワールドという可能性だって捨てきれないのだ。ミルキや私の存在がいい例だろう。
だから原作でハンター試験を受けていない人物が試験を受けていてもおかしくはない、筈。でも、
――嫌な予感がするなぁ。
◇ ◇ ◇
うん。結果から言えば二次試験には受かった。
いや、スシの方ではなく崖のダイブの方だけれど。
ゆで卵はかなり美味しかったです。半分双子に取られたけど。
一応スシの審査は食べてもらえる所までいった。がしかし、
「ネタが不味い、やり直し!」
…だってさ。
味見もしなかったし、当然かもしれない。
双子とかミルキも一応は持っていったみたいだけど、にぎりが硬いとかネタが生ぬるいとかでダメでした。まぁ残念だけど仕方ないよね。
その後ネテロ会長が来て試験のやり直しが行われたけど特に特筆する事は起きなかった。しいて何か言うとすれば時折シズクと目が合うこと位だ。
やめて、ほんとに。フラグの匂いがするから。全然旅団との関わりなんて望んでないからほんとに。
◇ ◇ ◇
三次試験会場に向かう為の飛行船に乗り込み、軽い食事を取ってからミルキと別れた。
よく考えてみると飛行船に乗るのは初めての事かもしれない。いや、だからどうって訳でもないけれど。別に高いところがちょっと怖いとか思ってない。思ってないよ?
「エル姉様、少しこの中を探検してきてもいいかしら?」
「ねえ、駄目かな?」
正直ダメだと言いたかったが、何だかもう疲れて眠かったので許可してしまった。
付いて行こうかとは思ったが、もう一緒に船の中を周る気力すら無い。ぶちゃけ怠い。
流石に試験失格になるような事はしないと思うし、あとは私の良心の問題だろう。被害者(仮)さんごめんね。安らかに眠れ。
そう自分を納得させ、双子を見送った私は女性用として用意された別室に向かった。
男性陣のタコ部屋とでは対応に大きな差があるので、ちょっとミルキに悪い気がする。因みに双子は特例として私と同じ部屋で過す事を許可してもらっている。
こんなところでも先生の名前が使えるとは思ってなかった。先生やっぱ凄い。持つべきものは権力のある師匠だな。
私が今向かっている部屋は4人部屋で、あと一人同室になるそうだ。
内心どんな人が同室になるかヒヤヒヤしていたが、部屋について中に居る同室者を確認した瞬間、私はここから逃げ出したい衝動に駆られた。
――――よりにもよってシズクさん(仮)と同室ですか。
そんな事を考えていると、座って本を読んでいた彼女が入り口に立ち尽くしていた私を視界に捉えた。
どうも、という彼女に私は引きつった笑みで宜しくと返した。
別にシズクの事が嫌いだとかそんな事ではない。むしろ可愛い女の子は大好きだ。
ただ彼女が念能力者で幻影旅団のメンバーであるという事が問題なのだ。
残念なイケメンと化しているシャルナークは例外として、幻影旅団は私には危険すぎる。
こうやって原作軸の試験に参加する事すら本当は不本意なのに、これ以上命の危機になりそうな行動は起こしたくない。私は、強くなんかないのだ。
「――――貴女が、シャルの言ってた『エリス』?」
「……………………」
……おっと、思考が少しフリーズしてしまったようだ。
唐突に切り出された言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要してしまった。
ていうか事の元凶はやっぱり奴か、奴なのか!?
そもそもアイツ彼女に何を言ったんだよ。また義妹だとか阿呆な事じゃあるまいな。
「シャルナークの知り合いですか?」
あくまでも『私は貴女の事を知りませんよ』というスタンスをとる。彼女の真意が判らない以上下手な事は言えない。
発言から察するに敵意といったものは無さそうだから命の心配はしなくてもよさそうだけど、これからの言動しだいで死亡フラグが立ちかねない。幻影旅団マジで怖い。
「うん。やっぱり貴女がエリスだったんだ、話に聞いてた通りだね」
「話って、一体何の――、」
そう言ってシズクは納得したように頷くと、おもむろに携帯電話を取り出して電話を掛け始めた。
あ、無視ですか。そうですか。
「あ、シャル?―――うん、見つけた。そうだね、私も賛成かな。面白そうだし。―――え、分かった、今代わるね」
はい、とシズクに携帯を押し付けられて私は嫌々ながらも電話に出た。正直嫌な予感しかしない。
『もしもし、エリス? 試験は順調なみたいだね、安心したよ』
「それはどうも。……で、どういうつもりですか」
携帯から聞こえてきた事の元凶の声に、若干苛立ちを表しながら返答を返した。
寧ろコイツに対して敬語の類は不必要かとも思ったが、一応は年上なのでそこの所は節度をもって接している。
『どういうつもりも何も無いよ。ただ仕事の関係であと一人くらいライセンス保持者が必要になってさ、シズクに受けに行ってもらってるだけだし。今の面子だと他に適任者がいないしね。……あれ、シズクから聞かされてないの?』
「何も。……それに私が聞きたいのはそういう事ではなく、何故彼女が私の事を知っているかについてです。――返答によっては出入り禁止にしますよ」
私が目立つのを嫌っている事を知っている癖に、人の事を言いふらすとは何事だ。しまいには温厚な私だって怒るぞ。
『えー、それは困るなぁ。シズクが試験を受ける事になったから、ついでに教えておいただけだよ。下手に戦闘になったら困るでしょ? でも気に触ったなら謝るよ、ゴメン。
あ、それとシズクの事なんだけど何かあったら宜しく頼むよ。ほら、彼女って天然だからうっかり試験に落ちないか心配なんだよねー』
「嫌です。だって彼女の方が私よりも強いじゃないですか、本末転倒ですよ」
それに只でさえ双子という不穏因子の面倒をみなければいけないのに、これ以上の厄介事はゴメンだ。
『あはは、よく言うね。謙遜もほどほどにしておかないと嫌味に聞こえるよ?』
「何の事だか理解しかねます」
謙遜ってなんだ謙遜って、私は事実しか言ってないぞ。
『ま、別にいいけどね。俺これからアリィといちゃいちゃするのに忙しいからもう切るよ。じゃ、試験がんばってね』
「は、ちょっと、待っ――――」
話の途中で電話を切られた、ていうかアリアといちゃいちゃするってどういう事だ? もしかして今家に居るのか、アイツは。
試験が終わったら絶対殴る、と心に誓いつつも携帯をシズクに返した。
彼女は携帯を受け取ると、何故か自分の右手を私の前に差し出してくる。ん? 通話料でも払えばいいのかな? ……いや、そんなわけないか。
常識的に考えれば、これは握手の要求である。
「これから、よろしくね」
「あ、はい。……こちらこそ」
此処でよろしくなんてしたくないです、と言えたならばどんなに良かった事だろうか。
だがしかし、悲しい事に私にそんな台詞を吐ける勇気はどこを探しても見つからなかった。
……これも全部シャルナークの所為だ。
その後簡単な自己紹介や携帯のアドレスの交換などをして過した。
……どうやら彼女は不思議系ではあるが、私が思っていたよりもずっと常識人だったようだ。少なくともヒソカとは比べ物にならないだろう。
暫くして双子が飛行船の散策から帰ってきて、その場はお開きになった。
振り分けられた寝室に向かうシズクを見て、何事も無く済んで本当に良かったと思う。
何か嫌なフラグが立ったような気がするが気のせいだろう。……気のせいだと思いたい。
その後、一緒に寝ると言い出した双子を有無を言わせず別の部屋に入れて自分の部屋に向かった。
私だって偶には一人で眠りたい。それに彼らと一緒に寝るとなんというか、その、うん……。ノーコメントで。
部屋の中に入ってコートを脱いで楽な格好になると、少し肩の力が抜けるような気がした。
……最後の最後でこんなドッキリイベントがあるとは思っていなかったなぁ、と思いつつふかふかのベッドに身を投げた。
―――どうか明日は平穏に過せますように。
どうせ叶わない願いだと思ったが、願う事だけは自由だと思う。
そんな事を思いながら、私は迫り来る睡魔に身を任せた。
おまけ
~飛行船での試験官達の会話~
「今年は中々のツブぞろいだと思うのよねー、結構いいオーラだしてた奴もいたし。
サトツさんはどう思う?」
「ふむ、そうですね…。新人がいいですね、今年は」
「あ、やっぱり?私は294番がいいと思うのよね、ハゲだけど。あとムカつくけど406番なんかもいいわね、既に念を覚えてるみたいだったし」
「(あの子、スシを作らないでずっとおにぎり食べてたしね)」
「私は断然99番ですな、彼はいい。ブハラさんはどう思われますか?」
「うーん、新人じゃないけどやっぱり44番かな。
メンチも気づいてたと思うけど、一度全員落とした時に一番殺気を放ってたのってあの44番なんだよね」
「勿論知ってたわよ。でもあいつ最初からそうだったわよ、あたし等が姿見せた時からずっと」
「ホントに?」
「私にもそうでしたよ。彼は要注意人物です。
たまに現れるんですよねぇ、ああいう異端児が。我々がブレーキをかけるところで躊躇いもなくアクセルを踏み込めるような…。
そういった意味では221番と222番の双子も同じように言えるでしょうね」
「あぁ、あのそっくりな双子ね。顔だけ見てれば天使みたいなのに、なんであんな風になっちゃったんだろうねぇ」
「知らないわよそんなの。ただ、間違いなく裏の住人でしょうね」
「……今まで誰も触れませんでしたが220番の事はどう思います? 私は正直なところ、ヒソカとは違った狂気を彼女から感じるような気がしてならないのです」
「……あぁ220番ね、よく覚えてるわ。彼女、私達が姿を現した時にずっとこっちを観察してたの。今思い出してもぞっとする、その時のアイツの目、人に対してする目じゃなかったわ。ちっ、胸糞悪い」
「試験官っていう立場じゃなきゃ絶対に関わりたくないよね。ヒソカみたいなタイプは居ない事も無いけど、220番は何ていうか『見ちゃいけないモノ』を見ている気分になるんだよね……」
「幽霊、みたいな?」
「うーん。あえて言うなら、邪神?」
「……もうやめましょう、これ以上はゴハンが不味くなるわ」
「……そうですね」