『あとは、私とアラストールでやるわ』
(待って‥‥‥)
仲間だと、一緒だと言ったくせに‥‥‥。
『ここから先は、"一緒"でも意味がない‥‥』
紅蓮の女は、馬鹿にする風に笑う。
『別に、死にに行くわけじゃない。駆け抜ける命が、あそこで尽きるだろう、ってだけのこと。死ぬのは、ただの結果よ』
いつもいつも、勝手な事ばかり‥‥‥
『背中を預けるのに、あなたたちほど安心できた戦友はなかったわ』
そして女は、背を向ける。
『さよなら、ヴィルヘルミナ、ティアマトー。今までありがとう』
舞い上がる。
『あなたたちに、天下無敵の幸運を』
突然、光景が変わる。
たった今舞い上がり、自分たちに別れを告げた女騎士が、青の天使の前に立っている。
明らかに戦う力など残っていない、それでも、彼女は立っていた。
絶対の敵を前にして、何故か彼女は振り返る。
"これ"を、自分は見た事は無い。しかし、知っていた。
振り返る女騎士の顔が突然ぼやけて、変わった。
自分が育てた、可愛い、可愛い、とても可愛い少女。
『‥‥天破、壌砕』
「っーーー!!」
目に見えるのは、馴染みのない、白い天井。
「顔面蒼白」
ベッドの横のタンスの上から聞こえる、パートナーの声。
(‥‥‥夢?)
体を起こし、周りを見渡し、ようやく状況を理解‥‥‥しつつある。
(確か私は、マージョリー・ドーの部屋で一緒に飲酒を‥‥‥)
自分の行動を思い返そうとして、
「っ!」
『夢』の事が、再び頭に浮かぶ。
(‥‥‥マティルダ)
只の夢ではない。夢の初めは、実際にあった過去の記憶。
「‥‥‥‥‥‥‥」
彼女がああする事はわかっていた。
だから、それをさせないために、奇跡に懸けるために、一緒に戦ったのだ。
誰が何を言おうと、彼女が聞き入れるはずはなかったのだから。
「感しょ痛っ!?」
「‥‥うるさいであります」
相棒の一言が何故か無性に腹立たしく思えて、珍しく頭上にいないヘッドドレスをひっぱたく。
夢の最後の瞬間、突然変マティルダから変わった顔が、頭を重くもたげる。
‥‥‥わかっている。
何故こんな夢を見たのかを。
今は、"そういう時"なのだ。
(‥‥‥‥もう、失いたくない)
いつもそうだ。世界そのものが自分を嘲笑うかのように、大切なものを奪っていく。
酷過ぎる現実が、いつも襲いかかってくる。
御崎市での出会い。
坂井悠二、平井ゆかり、ヘカテー。
彼らとの邂逅によって、失ったと思っていた大切なものを、取り戻せた。
フィレス、ヨーハン、そしてメリヒム。
(それなのに‥‥‥)
今度は、その坂井悠二達が自分の敵として、現れた。
よりによって、愛娘の、自覚のない想いを受ける存在として‥‥‥。
(もう、嫌だ‥‥)
わかっている。
それでもどうせ、自分は何も捨てられない。
戦うしかないのだ。あの時のように。
フレイムヘイズとして戦い、『世界の敵』を連れ戻す。
不可能としか思えない事を成すための戦いを。
(もう、失いたくない)
グッと握った手に、決意を新たに固める。
そこで、
(‥‥?)
握った掌の中に、少し何かが紛れ込んでいる感触を感じて、手を開いてみる。
(これは‥‥‥)
女性のように長く、細く、繊細な、銀髪。
そうだ。自分はマージョリーの部屋で酒を飲んでいたはずなのに、自分の部屋にいる事自体がおかしい。
手に在る銀髪の意味するところを理解して、再び掌を握り、まるで抱くように、両手で胸へとやる。
(大丈夫)
ティアマトーの目も、完全に忘れていた。
(今度は、あなたも一緒だから‥‥)
「‥‥‥‥‥‥‥」
今は、シャナに一人で考える時間を与えたかった。
自分が傍に在るという状態自体が、シャナを縛る枷になりかねないという判断からである。
だからこそ、本当なら頼みたくなどない傲慢な徒の手を借りてこんな所にいるのだ(場所は別に自分で選んだわけではない)。
水槽の底から、上方を泳ぐ熱帯魚を見上げる。
人間がどういうわけか水と戯れたがる気持ちが少しだけわかる。思いの外、落ち着くのだ。
「‥‥‥‥‥‥」
彼、"天壌の劫火"アラストールは、自らの使命は必ず果たす。
しかし、物心つく前からの親の一人として、短い間だが、共に一つのフレイムヘイズとして戦ってきたパートナーとして、シャナの事を信じ、大切に思っていた。
だからこそ、シャナ自身の意思と覚悟で、決めて欲しかった。
フレイムヘイズとして‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥」
愛した女は言った。
『この、厳しさでしか他人に当たれないくせに、本当は優しくて優しくてたまらない、可愛らしい大魔神に‥‥‥』
その言葉は、信じてもいい。
いや、彼女の言葉だからこそ信じよう。少なくとも、彼女にとってそれは真実だったのだから。
だが‥‥‥
『知ってるよ? 隠さなかったでしょ? 私も、大好き。みんな大好き』
‥‥決して形になる事がないのなら、その優しさに意味などあるのだろうか?
事実、
『おまえのためじゃない‥‥‥ああ、誰がおまえのためになんか!!』
メリヒムは、マティルダが言った『それ』を、決して認めていない。見ればわかる。
そして、その事に関しては、甚だ不愉快だが、自分もメリヒムと同意見だ。
そんな"優しさ"を肯定された所で、自分は結局、その優しさを、愛を、全てを省みずに、志を選ぶのだから。
『さようなら。あなたの炎に、永遠に翳りのありませんように』
いや、それも違う。
『もう一度だけ、言わせてね』
自分にとって、いや、"自分と彼女に"とって‥‥‥‥
『愛しているわ、"天壌の劫火"アラストール、誰よりも‥‥‥』
志と愛は、一つのものだった。
いきなり、抱き上げられた。
仲間との戦いで悲しい気持ちになった自分。悠二に会いたいと思って自室に来た自分を、悠二が突然抱き上げたのだ。
そして、そのままベッドに運び、寝かせて、悠二自身も布団に入る。
いつもなら、自分が寝た後に悠二が布団に入ったり、悠二がいる布団に自分が潜り込むのが常。
一緒に布団に入る時も、大抵自分が布団に引っ張り込むのだ。
だから、これは異例。
悠二から添い寝を求め、さらには抱き締めてくれているのだから。
(んぅ‥‥‥‥)
小さなヘカテーを包み込むように、抱き締める。
すっぽり悠二の胸に収まったヘカテーは、ぬくもりの中で、先ほどまで感じていた辛さを思う。
消えは、しない。
事実は消せない。それに、まだ何一つ終わってはいないのだから。
だが、悲しみの上から温かくて大きなものが包んで、覆い隠してくれるような感覚を覚えた。
悠二は、何か特別な事を言ったわけではない。
自分の決意を再度表明して、ヘカテーを奮い立たせたわけでもない。
ただ、胸の中で身を任せるヘカテーの頭や背中をゆっくりと、何度も撫でながら‥‥‥‥
「‥‥‥頑張ろう」
一言、そう告げただけだった。
ヘカテーは、悲しさも、嬉しさも、寂しさも、決意も、色んな気持ちがごちゃ混ぜになって、しかしその全てを、温かな安心感に包まれているのを感じながら。
「‥‥‥‥はい」
少年の腕の中で、瞼を閉じて、身体を預けた。
寄り添い、想いが募る。
いつしか、何かたまらなくなった自分は、下から少年の顔を見上げ、身をよじって伸ばし、その唇を‥‥‥‥
「ヘカテー!」
「‥‥(ビクッ)!」
隣からの、ゆかりの突然の大声に正気に帰る。
少しだけ前の事に想いを馳せていたらしい。
「‥‥全く、すぐに妄想に浸るんだから。そんなんじゃそのうちアホの子認定されるよ?」
‥‥夢想している自覚はあるが、それは今している作業やゆかりの発言のせいである。
決して自分は阿呆ではない、断じて。
「私はアホの子ではありません」
ゆえに、キッパリと否定しておく。
「巫女さまのサイズに合うお召し物が少し少ないですね」
「このマネキンの標準サイズ、私でもちょっと大きいもんね」
「‥‥‥帰っていいかね?」
「だーめ♪」
フリアグネは、その趣味ゆえ、自身の燐子に着せる衣装のバリエーションに富んでいる。
それは先日ヘカテーが確認し、ゆかりに伝わった事実。
フリアグネ・マリアンヌルームには、様々な(普通は売ってない)衣装が存在し、それが別な意味の"狩人"であるゆかりに露見したのである。
ヘカテー、ゆかり、マリアンヌ、そしてリャナンシー(は、強制連行)に占拠されたフリアグネルーム。
今この場所は、男子禁制の乙女の花園と化していた。
その花園の入り口のすぐ外で‥‥‥‥
「う〜〜〜、う〜〜‥‥‥!!」
混ざろうか、混ざるまいか、むしろ混ざるのはアリかどうかに悩む妙齢の美女が一人、悶えていた。
(師匠の事だから、あの場所かな‥‥)
長年共に戦ってきた師である男、サーレ・ハビヒツブルグを探して、キアラ・トスカナは奔走していた。
これも別に珍しい事ではない。
彼の無精髭を剃るだの剃らないだの、という小さな理由で喧嘩してしまったのだ。
珍しくもない、いつもの事。小さな、わりとどうでもいい事である。
だが‥‥‥
(どうせ大した問題じゃないんだから、剃ってくれてもいいのに‥‥‥)
と、キアラは思う。
サーレが同様に「なら剃らなくてもいいだろうが」と考えている事は敢えて無視する。
何だかんだ言ってもそれなりに頑固なキアラであった。
(前に一回、来た事がある)
些細な事で逃げたとはいえ、サーレも強力なフレイムヘイズ。
昨今の、少々不穏な空気を感じる徒たちの動きがわかっていないはずはない。
それら、フレイムヘイズの常識から導きだされる手掛かりの下、キアラはサーレを連れ戻しに、以前一度だけ訪れた事のある外界宿支部に向かっていた。
まあ、他に手掛かりらしい手掛かりがないとも言う。それゆえ、キアラはそうすぐにサーレを見つけられるとは思っていなかった。
せいぜい、「見つかればいいな」くらいの気持ち。見つからなければ捜索願いも頼んでおこう、そんな考えだったから‥‥‥
「! ‥‥‥師匠!?」
外界宿に到着する前の曲がり角の辺りで見慣れたカウボーイ姿を見つけた時には、予想をいい意味で裏切られた。
いや‥‥あるいは、悪い意味と言えたのかも知れない。
「あれ? 逃げないわね」
「てっきり、脇目も振らずに逃げると思ったのに」
ウートレンニャヤとヴェチェールニャヤの言葉同様、キアラも妙に感じていた。
サーレはこちらに振り向きもせず、慌てもせず、ただ帽子の鍔を少し下げて、通りを曲がった先、自分には見えない方ジッとを見ていた。
様子がおかしい事に気付いたキアラは駆け足でサーレに近づき‥‥‥
「師‥‥‥」
そこで、サーレが何を見ていたのかに気付いた。
かつて一度だけ訪れた外界宿の支部。
そこに、"何もなかった"。
初めから存在していなかったように。
当然、そんな話は聞いていない。
「‥‥‥少し、厄介な事になりそうだな」
サーレが小さく、呟いた。