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No.7903の一覧
[0] 【生存報告・新話投稿】異形の花々(リリカルなのはStrikers×仮面ライダーシリーズ……?)【あと既投稿分修正】[透水](2023/12/29 21:15)
[3] [透水](2023/12/29 20:29)
[4] 第壱話/甲[透水](2023/12/29 20:31)
[5] 第壱話/乙[透水](2023/12/29 20:32)
[6] 第弐話/甲[透水](2023/12/29 20:33)
[7] 第弐話/乙[透水](2023/12/29 20:34)
[8] 第参話/甲[透水](2023/12/29 20:34)
[9] 第参話/乙[透水](2023/12/29 20:36)
[10] 幕間[透水](2023/12/29 20:37)
[11] 第肆話/乙[透水](2023/12/29 20:38)
[12] 第肆話/甲[透水](2023/12/29 20:39)
[13] 第伍話/乙[透水](2023/12/29 20:40)
[14] 第伍話/甲(残酷描写? 有り)[透水](2023/12/29 20:41)
[15] 第陸話/乙[透水](2023/12/29 20:42)
[16] 第陸話/甲[透水](2023/12/29 20:43)
[17] 幕間[透水](2023/12/29 20:44)
[18] 第漆話[透水](2023/12/29 20:44)
[19] 第捌話/甲[透水](2023/12/29 20:45)
[20] 第捌話/乙[透水](2023/12/29 20:46)
[21] 第玖話[透水](2023/12/29 20:47)
[22] 第拾話[透水](2023/12/29 20:48)
[23] 第拾壱話[透水](2023/12/29 20:49)
[24] 第拾弐話[透水](2023/12/29 20:51)
[25] 第拾参話[透水](2023/12/29 20:52)
[26] 第拾肆話(残酷描写? 有り)[透水](2023/12/29 20:53)
[27] 第拾伍話/乙[透水](2023/12/29 20:53)
[28] 第拾伍話/甲[透水](2023/12/29 20:55)
[29] 第拾陸話[透水](2023/12/29 20:56)
[30] 第拾漆話[透水](2023/12/29 20:57)
[31] 第拾捌話[透水](2023/12/29 20:58)
[32] 第拾玖話(前編)[透水](2023/12/29 20:59)
[33] 第拾玖話(後編)[透水](2023/12/29 21:00)
[34] 第弐拾話[透水](2023/12/29 21:01)
[35] 第弐拾壱話[透水](2023/12/29 21:02)
[36] 第弐拾弐話[透水](2023/12/29 21:02)
[38] 第弐拾参話(前編)[透水](2023/12/29 21:10)
[39] 第弐拾参話(後編)[透水](2023/12/29 21:12)
[40] 怪人図鑑[透水](2023/12/29 21:03)
[41] 設定資料集[透水](2023/12/29 21:08)
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[7903] 第拾漆話
Name: 透水◆44d72913 ID:35af097c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2023/12/29 20:57

 遠く遠く、遥か彼方まで終わりなく続く次元空間。
 人間の暮らす世界からは文字通り次元を隔てて存在する極彩色の海を、いま一つの黒禍が汚していた。

 轟と唸りを上げて次元空間を遊弋する、漆黒の戦艦。時空管理局の保有するそれとは明らかに異なる禍々しい外観は、その内に膨大な災厄を詰め込んでいる。
 一度その災厄が解き放たれれば、世界の一つや二つ、瞬きする程の間に滅ぼせるだろう。事実この黒禍はそうして、幾つもの世界を地獄へと変貌させてきた。いわばこの黒禍こそが災厄そのもの。触れる事すら禁忌とするべき悪夢の具現。

 ただ今はまだ、この戦艦の正体を……その脅威を知る者はなく。
 本来であれば、無知とは責められるべき事である。だが想定される全て、或いは想定すら及ばない全てに対して予め知識を得ておくなど、非現実的な空想、無責任な外野からの戯言だ。
 まして無知の対価を命で支払うとなれば、最早それを責められる者は何処にも居ない。

 そう。この日、突如としてセンサーに感知された漆黒の戦艦を、目視距離にまで捕捉した次元航行艦『バルサザール』の迂闊な行動――正体不明の存在に近付くという――は、つまるところ黒禍の脅威を知らぬが故の事であり。
 それを責められる者は、誰一人居なかったのである。

「……大きいな。おい、照合は終わったか?」

 次元航行艦バルサザール。
 時空管理局本局、次元航行部隊に所属するL級次元航行艦である。

 かの『アースラ』と同時期に就航した老朽艦ではあるものの、アースラのように前線で危険度の高い任務に就く事は稀だったせいか、未だに現役として運用されている。
 さすがに老朽化は激しく、もう一年か二年もすれば寧艦という見方が専らではあるが、長期に亘り地味な二線級の任務を着実にこなしてきたこの艦へ乗組員達は少なからぬ愛着を持っており、今日の哨戒任務を厭う者も居ない。
 手柄や称賛とは縁遠い仕事へ真面目に取り組めるというのは、間違いなく美徳であるはずなのだが――この日ばかりはそれが仇となる事を、まだ、彼等は知らない。

「駄目です。本局のデータベースには一致するものがありません」

 ブリッジクルーの一人が後方の艦長席を振り返り、そこに座る艦長へ報告する。
 バルサザールの艦橋正面に据えられたモニターには、次元空間を直進する黒禍の威容が映し出されている。
 近距離から見れば、それが只の艦船でない事は明らかだった。管理局や各管理世界の保有する艦船製造技術からは明らかにかけ離れた、有機的にして無機質な、生物と機械の融合を思わせる外観。
 もしかすればロストロギアの類かもしれないが、ここまで大きい物は他に例が無い。強いて言うなら先頃ミッドで確認されたという古代ベルカの遺産、『聖王のゆりかご』くらいだろう。

「ふむ……やむを得んな。無限書庫に依頼しよう。外観や熱反応など、出来る限りのデータを集めておけ。向こうの手間が少しでも省けるようにな。それとあのでかぶつの進路を割り出せ。進路上にある管理世界へ注意勧告を出さねばならん」

 艦長が指示を下す。バルサザールの任務はあくまで偵察と哨戒。危険を伴う接触は任務の内に入っておらず、功を焦って独断行動を起こす者も居ない。
 このまま安全な距離を保って戦艦の監視を続け、無限書庫からの情報を元に装備を整えた部隊と交代する。それが普段と変わらぬバルサザールの任務であり、今日もまたそれを遂行するだけだったのだが――しかし。

「艦長! 対象に動きが!」

 悲鳴の様な報告が、その時バルサザールの艦橋に響き渡った。
 漆黒の戦艦、その艦体表面が蠕動する様に歪む。歪みはやがて黒々とした孔へと変化し、それを見た瞬間、艦長の総身を怖気が駆け抜けた。
 剣の切っ先を突きつけられたような。拳銃の銃口を押し当てられたような。命の危険を直前に置いた時に覚える、全身が総毛立つ様な感覚。

「緊急回――」

 咄嗟に艦長は叫んだが、それは最後まで彼の喉から出て行く事はなかった。最後まで聞き届けた者も居なかった。

 漆黒の戦艦から放たれた一発の“砲弾”が、バルサザールのブリッジを直撃。艦の中枢を狙い済ましたかのように吹き飛ばして、続く二発目、三発目の砲弾もまた次々とバルサザールの艦体に突き刺さる。
 最早ダメージコントロールなどというレベルではなかった。そもそもそれを指示するべきブリッジが真っ先に潰されていた。四発目が着弾した時点で既にバルサザールは原型を留めておらず、爆発の衝撃は艦体をねじれるようにして崩壊させていく。

 艦長をはじめ、砲撃によって即死出来た者はまだ幸せだっただろう。運悪く即死出来なかった者達の阿鼻叫喚、それに被さる誘爆の轟音をBGMに、次元航行艦バルサザールは極彩色の海へと沈んでいった。
 黒禍は泳ぎ去っていく。つい今し方沈めた艦の事など、元より眼中に無いと言うかのように。
 やがてその姿は次元空間の極彩色を穿つ孔へと吸い込まれ、通常空間へと飛び出していった。向かう先に一つ、青く輝く星を置いて。



 惨劇の一部始終を、傍観者達はただ黙して見届けた。
 白煙の敷き詰められた床。漆黒に塗り込められた天井。明滅する光球。無造作に配置された奇怪な形状の岩。それらが一体となって作り出される光景は、尋常の感覚では理解しきれぬ邪教の祭壇だ。

 中空に映し出される映像は、漆黒の戦艦が次元航行艦バルサザールを轟沈せしめるその瞬間。それを見上げるのは色褪せた白いフードを被る、三人の男女であった。
 男女とは言うものの、彼等の姿……フードから覗く面貌はおよそ人間のそれからかけ離れている。朽ちた浮木の如き肌の老人、翡翠の原石を思わせる膚の男、漆の肌艶と右半面に紋様の如き痣を刻んだ女。

 暗黒結社ゴルゴムが最高幹部、三神官。
 ダロム、バラオム、ビシュムの三人が、中空の映像を見て三様に笑みを浮かべる。

「ふははははは。愚か者どもめ、迂闊に近付くからよ」
「あれは私達ゴルゴムとて、かつて痛打を受けた存在――愚かな人間が、どうして触れる事が出来ましょう」

 バラオムとビシュムの嘲笑が地下空間に響く。
 そう、彼等は知っていた。たった今、バルサザールを事も無げに次元空間の藻屑と化さしめた、黒艦の正体を。
 だが態度ほどに、彼等に余裕がある訳ではない。黒艦の正体を知っているという事は、その脅威を過たず理解しているという事でもある。知識ではなく経験によって。

 ゴルゴムの長い歴史の中で、彼等が喫した敗北は僅かに三つ。『世紀王の反乱』。『闇の書の暴走』。そして残る一つが、あの黒艦によってもたらされたものだ。
 かつて侵略を進めていた世界が、あの黒艦によって滅ぼされた。生ある物の何もかもが食い尽くされ――それはまさしく文字通りに――死に絶えれば、最早侵略も征服もあったものではなかった。

「機械獣母艦フォッグ・マザー! 此度はミッドチルダを喰らいにやって来よったわ!」

 中空に映し出される漆黒の戦艦――機械獣母艦フォッグ・マザーを睨み付け、大神官ダロムは忌々しげに吐き捨てた。





◆      ◆





異形の花々/第拾漆話





◆      ◆







『あ、おかえりなさい』

 早朝の訓練を終え、六課隊舎に戻ったところで、不意に聞こえてきたそんな言葉に、ギンガは思わず顔を上げた。
 つい二週間ほど前までは、早朝訓練から戻った彼女達を、隊舎前の掃除をしている少年が出迎えるのが常だった。身の丈ほどもある箒を鼻歌混じりに操りながら、戻ってきたギンガ達を労いの言葉と微笑で迎えてくれた。
 魔導師として前線に出るのが役割のギンガ達と、六課隊舎内で雑用をこなしている少年とでは、同じ六課とは言っても勤務場所も内容も違う。顔を合わせる機会もそう多くはない。だからこそ、朝のこの一時だけは、少年と確実に触れ合える貴重な時間であった。

 けれどもう、その言葉がギンガを迎える事は二度となく。
 だから聞こえてきた言葉がただの錯覚と悟るまで、そう時間はかからなかった。

「……そうよね。もう、居ないんだもんね」
「ん? 何か言った、ギン姉?」

 独り言を聞き取ったスバルが、怪訝な顔で訊いてくる。それに「何でもないわ」と返して、ギンガは先を急いだ。
 ……そう、何でもないのだ。スバルに言ったのは、別に嘘でも強がりでもない。

 少年がはやてに託した言伝は、ギンガも勿論伝え聞いている。感謝と謝罪。その後に少年が、同族たるオルフェノクと共に姿を消したとなれば、そこに込められた意図を察するのはそう難しい事ではなかった。
 彼は自ら決めて、自ら歩き出した。それが最早庇護を得られなくなった現状に後押しされたものだとしても、自身の意思で歩き出す事は間違いではあるまい。それを間違いと言えるのは、彼が過ちを犯した時……つまりは“終わった後”に無責任な第三者の位置に居る者だけだ。

 そう理解しているからこそ、ギンガはもう、衛司を捜そうとは思わない。六課に連れ帰ろうとも思わない。今はただ、遠くより少年の無事を祈り、せめて前途に幸あれと願うばかりである。
 ただ、それでも。

「衛司くん、ちゃんとご飯食べているのかしら……」

 もう保護者さながらに少年へ注意する事も出来ない。その現状に一抹の寂しさを覚えるのは、彼と最も近しかったギンガならば無理からぬ事であっただろう。

「あ、おかえりー」

 と。隊舎のロビーに這入ったところで、ふと横合いからそんな言葉が投げかけられた。
 今度は錯覚ではない。振り向いてみれば、そこに居たのは六課通信士のアルト・クラエッタと、ルキノ・リリエの二人。

 何をしているのかと思えば、二人はロビーに置かれたTVに見入っていたのだ。どこの世界でもお馴染みの、朝のワイドショー。
『JS事件』の直後は事件報道一色だったワイドショーも、流石に飽きてきたのか、ここ最近はやれ芸能人の熱愛発覚だの政治家が税金を無駄遣いしているだのと、事件前と同様の毒にも薬にもならない報道を垂れ流している。
 今日もまたその類だろうと、アルト達の肩越しにTVを覗き込んだギンガは、画面内のコメンテーターがやけに神妙な顔で何やら語っている事に気がついた。

『――ですから、このままの軌道を保つと、隕石は明日の午後にはミッドチルダに――』
「ねえアルト。これ、何のニュース?」

 よくよく見れば、神妙な顔をしているのはコメンテーターばかりではない。スタジオに居る者は総じて同様の表情を浮かべており、妙に切羽詰った雰囲気を醸し出している。
 穏やかな朝に似つかわしくない緊迫感を不審に思って、ギンガはアルトに問い質した。

「あれ、知らないんですか? これですよう」

 そう言ってアルトが差し出したのは、ロビーに常備されているその日の新聞。受け取って開いてみれば(背後からスバルやティアナ、エリオとキャロも覗き込む)、そこには『ミッドチルダに隕石接近』の見出しがでかでかと一面トップで踊っていた。

「昨日いきなり観測されたらしいんです。何でも、有り得ないくらいいきなり出てきたみたいで。今からじゃ対策が間に合わないって大騒ぎなんですよ」

 一般レベルに降りてくる情報でも、事態が相当の危険域にあると知れる――やや早口なルキノの口調が、それを裏付けているかのようだった。
 尤も、単に報道管制が間に合っていないだけかもしれないが。隕石が唐突に現れたというのが事実ならば、今頃管理局地上本部もミッドチルダ行政府も大わらわだろう。

「落ちないといいんだけどねー」

 とは言え、一管理局員であるギンガ達に出来る事など、そうあるものでもなく。
 どこか暢気なアルトの呟きは、その場に居る全員の共通認識であった――つまるところ、誰もがそれを対岸の火事と思っていたのである。
 この時点では、まだ。





◆      ◆







 だが当事者は既に動いている。
 一管理局員ではなく、一個艦隊を預かる提督としてのクロノ・ハラオウンは、恐らくは時空管理局の中で最も早く、この一件の当事者となった者であった。

「やはり、隕石ではないのか?」
『そう。あれは隕石じゃない――実物を見てないから断言は避けるけど、ほぼ間違いなく、第一級危険指定ロストロギア「フォッグ・マザー」と見ていいね』

 XV級大型次元航行船『クラウディア』艦橋。
 ここ最近でようやく馴染んできた艦長席に腰を下ろしながら、クロノは無限書庫司書長ユーノ・スクライアと通信にて言葉を交わしていた。

 ……先日の次元航行艦バルサザールの轟沈は、すぐさま本局へと伝えられた。
 幸いな事にバルサザールの轟沈海域から程近いところを別の艦が航行中であり、異変を感知した彼等が現場に急行した時には、未だバルサザールの残骸が次元空間の荒波に押し流される事もなく漂っていたのである。
 何が起こったのか判らぬまま周辺一帯の調査を開始した彼等だったが、すぐさまそれが、何者かによってもたらされた破壊であると気付いた。現場から五百メートルと離れていない海域で、次元交錯線の異常なまでの歪みが観測されたのである。

 通常空間と次元空間は言うまでもなく次元の壁によって隔絶されている。次元交錯線が歪んでいるという事はその隔絶が一時的にしろ破られた事を意味し、何者かがバルサザールを蹴散らした後、通常空間へと逃げ去ったのは明らかだった。
 次元交錯線の歪みを調べれば、何者かが逃げ去った先が第一管理世界ミッドチルダの存在する世界である事はすぐに知れた。そうしてミッドチルダに問い合わせれば、ほぼ同時刻、突如として現れた隕石がミッドを直撃するコースを進んでいると判明していたのだ。

「ただの隕石が次元空間を出入り出来るはずがない……まして次元航行艦を撃沈するなんて真似、出来るはずがないと思っていたが」
『言いたくないけど、クロノの判断は正しかったと思うよ。あと半日でもこっちに情報捜索依頼を出すのが遅れていたら、間に合わなかった』

 バルサザールの轟沈を知ってからの、クロノの動きは早かった。彼は自身の権限をもって、ミッドの観測機関――管理局に属する公的機関のみならず、民間のものも含めて――に片っ端から協力を依頼。ミッドに迫る隕石の情報を逐一無限書庫に送り続けたのである。
 悠長に様子見をしていては間に合わない。エリート街道を歩みながらも、現場での経験を豊富に積み重ねる事で培った直感がそう囁き、彼に迅速な行動を促した。
 果たしてそれは見事功を奏し、隕石がミッド軌道上に到達するまで残り十五分弱というぎりぎりのタイミングで、無限書庫での検索結果が間に合った。

『機械獣母艦フォッグ・マザー。元々はある次元世界に生息する生命体……「ハニビー」と呼ばれる昆虫類だったらしい。地球で言うミツバチみたいな生態の昆虫だったようだね。
 この世界には人間に相当する生命体も存在していたんだけど、種族間抗争から無秩序な核実験を繰り返していたんだ。結果、ハニビーは核実験の影響で生態が変化、高い知性を有する獣昆虫「フォッグ」に進化した。
 フォッグが誕生した時点で、その世界の環境はほぼ壊滅状態、人類も大半が死に絶えていた。彼等フォッグはその世界から脱出を図る為に遺されていた機械と融合、機械獣母艦となった――という経緯さ』
「……第一級危険指定ロストロギア、と言ったな。その危険性というのは?」
『さっきも言った様に、フォッグはそもそも昆虫型の生命体だ。基本的には卵生で……およそ千年に一度、“大孵化”といって大量の卵が孵るんだよ。
 問題はこの大孵化で、孵化した直後の幼虫は手当たり次第に周囲の動物を喰らうんだ。その世界固有の生態系なんかお構いなしさ。惑星一つ丸ごと食い尽くす勢いで、大量絶滅を引き起こす。異世界製の禁忌兵器フェアレーターと言っても良いね。
 これによって滅んだ世界が、確認出来るだけでも六つ。ただまあ、中には管理局成立前のあやふやな記録もあるし、フォッグ・マザーそのものが単体では無く複数存在しているらしいから、一個体あたりの危険度というのもちょっと曖昧なんだけどね』

 あくまで推測であるが、フォッグ・マザーは最低でも四個体が存在しているらしい。今回ミッドに迫っているのはその中の一体であり、何を目的にミッドを目指しているのかは明白だった。暴食の機械獣は、次の餌場にミッドチルダを選んだのだ。

「一個体だけでも充分な脅威だろう。間違ってもミッドに落とす訳にはいかない……第一級危険指定というのは却って好都合だな。遠慮なく吹っ飛ばしてやれる」

 滅びた古代文明の遺産、ロストロギアに対する時空管理局の基本方針は『回収』である。
 如何に危険なロストロギアであっても、それは結局のところ道具に過ぎない。道具そのものに善悪の概念はなく、使う側の意思一つでどうにでも転ぶものなのだ。良識ある者より悪意ある者の手にそういった道具が渡る傾向にあるのは、皮肉と言うほかないが。
 かの『闇の書』であっても、分類自体は第一級“捜索”指定ロストロギアという事を鑑みれば、時空管理局が亡き文明とその遺産に敬意を払っている一面が窺えよう。

 ……だが。世の何事にも例外があるように、管理局のロストロギアに対する姿勢にもまた、例外が存在する。
 第一級“危険”指定ロストロギア。回収が極めて困難であり、単体で次元災害を引き起こす危険性を認められたごく一部のロストロギアが、そう分類されている。
 これに対してはさすがの時空管理局も『破壊』ないし『排除』を基本とし、機械獣母艦フォッグ・マザーをこれに分類している事実は、管理局がフォッグの脅威を過たず理解しているという証左でもあった。

『資料では、フォッグ・マザーにバリアやシールドといった障壁機能は存在しない。艦隊の一斉砲撃で破壊出来るはずだよ』
「そうか。さすがに、アルカンシェルの使用許可は間に合わなかったからな……それもそれで、好都合だ」

 話している内にも時は過ぎ、刻一刻とフォッグ・マザーはミッドチルダへ迫っている。
 既にミッドチルダ軌道上には次元航行部隊の艦隊が展開され、標的の到着を待ち受けていた。ミッドを背に負った水際の迎撃であるが、時間的余裕の無い中で先回りしようと考えれば、これが精一杯であった。

 チャンスは一回きり。通常の隕石と同様、フォッグは第二宇宙速度……時速にして四万キロという途轍もない高速で迫ってくる。初撃での破壊が失敗すれば、艦隊の横を通り過ぎてミッドへと落ちていくだろう。
 失敗は許されない。艦隊を預かる身として、クロノは出来得る限りの万全を期さなければならなかった。

「そろそろ奴が射程に入る。通信を切るぞ。――今回は助かった、ユーノ」
『礼の言葉は有難いんだけどね。出来るなら言葉じゃなくて、何か実のあるもので返してくれないかな。例えば次から資料請求はもっと期日に余裕を持たせるとかさ』
「ふっ……そうだな、考えておく」
『考えなくてもいいから実行して。それじゃ、武運を祈るよ』

 そう言って通信は切られ、クロノは一つ苦笑と共にため息を漏らして、顔を上げた。
 オペレーターが落ち着いた声で報告を上げてくる。各砲塔、発射準備完了。フォッグが射程に入るまで、あと240秒――。

 凄まじいまでの衝撃がクラウディア艦橋を揺るがしたのは、その時だった。
 艦橋の照明が一気にレッドランプに切り替わり、耳を劈く警報音が響き渡る。何があった、とクロノが声を荒げると同時、更なる衝撃。

 地震? 有り得ない。宇宙空間だ。デブリの類が衝突したのかとも思ったが、そもそもクラウディアは艦体をフィールドで覆っている。余程巨大なデブリでない限り、ここまで揺れる事は有り得ない。
 そも、これがただの揺れでない事は明らかだった。……これは、爆発だ。それも艦内部からの。

「第二動力炉で爆発! 一番から三番砲塔へのラインが断線しています!」
「第四ブロックで火災発生! 自動消火システム、作動していません!」

 矢継ぎ早に被害報告が上がってくる。オペレーターの悲鳴じみた声で読み上げられるそれは、先の衝撃がクロノの予想以上に深刻な事態をもたらしていると告げるものだった。

「第二動力炉の電源を落とせ! 一、二、三番砲塔も停止させろ! 第四ブロックは隔壁で閉鎖、それからエア・ロックを解除だ! 今は火さえ消えればいい!」

 クロノの指示もまた怒号のようで、しかしそれが半ば恐慌状態に陥っていたオペレーター達にある程度冷静な思考を取り戻させたのか、彼等はクロノの指示を各所に通達し始める。
 旗艦の異変を僚艦も察した様子で、何があったと問う通信が次々と送られてくる。だがそれにクラウディア側が答えるよりも先に、通信は一方的に切断されていった。クラウディアと同様の異変が起こっていると悟るのは、そう難しい事ではなかった。

「動力炉の映像、出します!」

 クラウディアの専属オペレーターは低ランクではあるが魔導師としての資格を持っており、咄嗟に飛ばしたサーチャーを爆発現場の第二動力炉へと向かわせていた。
 クロノの眼前に通信用の魔法陣が展開される。爆発現場の中継映像を目の当たりにしたクロノは、その光景に思わず息を呑み――呆然と呟いていた。

「なんだ、これは……!?」

 床も壁も天井も残らず黒焦げになって破損している動力炉であったが、それだけならばまだ常識の範疇。問題は壁や床を伝うようにして張り巡らされた白い糸と、ところどころに点在する白い塊だ。
 白い糸を編んで組んだと思しき塊は、大きさ・形状ともにラグビーボールのそれに近い。一体何かと訝るクロノだったが、ふと彼の頭に閃いたのは、昆虫の繭のようだという感想だった。

 と、映像の中から複数の足音が聞こえてくる。爆発に巻き込まれた者を助けるべく、他の乗組員が現場に到着したのだ。
 だが。

『ふははははは――ふはははははははははは』
「…………!?」

 唐突に響く笑い声に、現場に駆けつけた乗組員達、そしてそれを中継されるクロノが、揃って困惑に眉を顰める。
 次の瞬間、物陰からゆらりと涌き出でる人影を見て取り、身構えた彼等だったが、その動きが今度は困惑に倍する驚愕によって押し留められた。

 現れた人影は二人分。だがその両方ともに、およそ尋常な姿形ではなかった。一人は色褪せた白いローブを纏う、翡翠の原石が如き硬質な肌を持つ男。そしてもう一人は、最早“一人”と言うよりは“一匹”と数えるのが相応しい、異形の怪物であった。
 総身に棘と繊毛を生やした緑色の皮膚。オルフェノクのそれとは明らかに違う、生物的な質感に溢れたそれは、どこか昆虫の幼虫を思わせる。

『う――うわぁあああっ!?』

 今回のクラウディアの任務はあくまでフォッグ・マザーの破壊であり、武装隊……つまりは戦闘を本職とする魔導師達は乗船していない。
 だが乗組員の中に魔導師が皆無という訳でもなく、自衛に必要な程度の攻撃魔法を修めた者も中には居て、その中の一人がいま怪物と至近で相対した事により、恐慌状態のまま一発の魔力弾を撃ち放った。
 ……いや、撃ち放とうとした、と言うべきだろう。指先に魔力を収束させ、それが弾丸の形を為した瞬間、足元の繭が突然爆発。彼と、彼の近くに居た仲間達を吹き飛ばしてしまったのだから。

『馬鹿め。イラガ怪人の繭はあらゆるエネルギーに反応して爆発する。熱エネルギー、電気エネルギー……貴様等魔導師の魔力エネルギーとて、例外ではないわ』

 緑膚の男が嘲笑する。
 成程これが、クラウディアを襲った衝撃の正体なのだろう。エネルギーに反応して爆発する性質を持つ繭。次元航行艦の動力炉ともなれば莫大なエネルギーが発生する、むしろ被害がこの程度で済んだだけ幸運だったと思う他ない。
 爆発を恐れ手が出せない乗組員へ、異形の怪物――イラガ怪人が奇怪な唸り声を漏らしながらにじり寄ってくる。だがそれは緑膚の男に制止された。情けや哀れみからでない事は明白、事実、身を竦ませる乗組員達を見る男の目には、侮蔑の色しか映っていない。

『時空管理局の者共よ、聞くがいい! これは挨拶代わりだ。我等ゴルゴムに歯向かう者、邪魔をする者は、誰であろうと容赦はせん!』
「ゴルゴム……!」

 暗黒結社ゴルゴム――かつて幾多の次元世界で猛威を揮った邪教集団。
 数十年の沈黙を破り、彼等が活動を再開したとは伝え聞いていた。本局に押し入り、ロストロギアを強奪していった顛末も。

 だが何故、このタイミングで、この場所に現れるのか。単なる宣戦布告だというのなら、もっと相応しい場所、相応しい時が幾らでもある。それこそ、数ヶ月前に本局を襲撃した時でも充分だったはずだ。
 クロノの思考が答えのない袋小路に落ち込もうとしたその時、不意に天啓の如く答えが彼の脳裏に閃いた。と同時、画面内の緑膚の男が踵を返して、配下の怪人へと呼びかける。

『往くぞ、イラガ怪人よ。――フォッグ・マザーは我等ゴルゴムが頂く。余計な手出しをするならば、この程度では済まさんぞ!』

 やはり、ゴルゴムの狙いは機械獣母艦フォッグ・マザー。
 彼等が如何なる理由でフォッグ・マザーを狙っているのかは不明だが、どんな理由からにしろ、フォッグを破壊しようとする次元航行部隊は邪魔者以外の何物でもない。攻撃は至極当然で、そしてそれが達成されたという事は――

「……! しまった……!」

 クラウディアの艦橋が暗転する――ただし、一瞬だけ。艦の横を通り抜けるフォッグ・マザーの巨体が、艦橋に差し込む太陽の光を遮ったのである。
 もう止める事は出来ない。今から艦を反転させても間に合わない。既にフォッグ・マザーはミッドの大気圏に突入し、漆黒の艦体を断熱圧縮で真っ赤に燃やしている。
 一秒ごとに遠ざかり、芥子粒のように小さくなっていく標的を捉える曲芸めいた砲撃は、傷ついたクラウディアではおよそ不可能な芸当だった。

 気付けばいつの間にか、ゴルゴムを名乗った者達も姿を消していた。目的を達したからとは言え、その鮮やかな引き際はある意味で称賛に値しよう。
 しかし無論、クロノは彼等を讃える口など持ってはおらず、ただ怒りと憤りに椅子の肘掛けへ拳を打ちつけるしか出来なかった。

「……作戦は失敗だ。各艦、被害状況を報告しろ――応急処置が済み次第、本局へと帰還する」



 新暦76年。前年に起こった『JS事件』の惨禍も癒えやらぬ中、後に『フォッグ事件』と呼ばれる一連の事件は、こうして幕を開けた。
 本局精鋭たる次元航行部隊を投入してのフォッグ・マザー迎撃は失敗に終わり、暴食の黒禍はミッドチルダの大地へ墜ちて行く。
 惨劇の舞台は地上へと移り――そして次なる幕が開く。





◆      ◆







【機械獣母艦フォッグ・マザー――まさかミッドチルダに落ちてくるとはな】
【落ちたのはミッド西部の山岳地帯か。海中に没するよりは好都合ではあるがな……とは言えあの一帯の険しさは、踏み入るには些か面倒よの】
【厄介なところに落ちてくれたものよ。この事態に貴様はどう動くつもりだ? 結城真樹菜】

 照明が落とされ、窓から差し込む僅かな陽光を光源とした室内は、どこか廃墟を思わせる寒々しさに満ちている。
 無論そこは廃墟などではなく、クラナガンの一等地に居を構えるスマートブレイン本社ビルの一室だ。『謁見の間』と皮肉混じりに呼ばれる一室。社長である結城真樹菜、そしてその秘書的立場であるスマートレディ以外は何人も立ち入りを禁じられている、スマートブレインの最奥にしてブラックボックス。

 真樹菜は部屋の中央、ぽつりと置かれた一脚の椅子に腰掛けている。少し離れたところではスマートレディが(珍しく)静かに佇んでいて、部屋に居るのは彼女達二人だけ。
 だが室内に響くのは野太い男の声ばかりだった。それが真樹菜の周囲を旋回する立体映像から発されている――映像の“向こう側”に居る者の言葉と察するのは、そう難しい事ではない。

「別段、どうとも――今のところ、これといって行動を起こすつもりは御座いません。無闇に首を突っ込んだところで、さして利があるとも思えませんので」

 立体映像とは言うものの、真樹菜の周囲を旋回するそれは酷く奇妙な形状の映像であった。少なくとも実在する何かをそのまま投影したものではない。一見すれば浮遊する生首なのだが(それもそれで大概ではあるけれど)、しかしその外形がどうにもおかしい。
 あえて表現するのなら、人間の顔面を箱の内側に貼り付け、それを外から眺めたような。前衛芸術の様な不条理感に溢れた造形の立体映像が、恐るべき事に三つ、真樹菜の周囲をぐるぐると回っているのである。
 実際、何を考えてこんな映像を使っているのか、真樹菜にはまったく理解の外であった。内心では呆れ返っていたのだが、さすがにそこは社会人、正直な感想を述べる事もない。ただ問われた事に淡々と答えるだけである。

「むしろ私どもの出番はフォッグを退けた後でしょう。第一級危険指定ロストロギアが相手となれば、地上本部も相応の被害を免れないでしょうから。故レジアス閣下の言ではありませんが、地上を守る戦力を求める声も高まってくるはず――我々が付け入るとするのなら、そここそが最良かと」
【ふむ】

 旋回する箱顔の中の一つが、納得するかのように頷いた。

「無論、ただ座して見ているつもりも御座いません。既に情報収集の為、数名を現地に向かわせています。ご報告は後ほど」
【良かろう。フォッグの件、貴様に一任しよう――ところで、結城真樹菜よ】

 立体映像からの声が、その時、やおら声質を変じた。威圧感を持ちながらも穏やかだった声音が、糾弾するかの如くに冷徹な色を帯びたのである。
 真樹菜がぴくりと僅かに目尻を反応させたのは、何を言われるのかに凡その予想がついていた為だ。弁明を面倒と思う彼女の内心が僅かに顔の表情に反映されたのだが、幸いにも立体映像の向こうに居る連中はそれに気付く事はなかった。

【S.A.U.Lの件、あれは一体どういう事だ? 貴様が我等に提出した“計画”には、あのような事は何も書かれていなかった】
「さて――あれとかあの様なとか申されましても、何の事か私にはさっぱり」
【とぼけるな。時空管理局未確認生命体対策班S.A.U.L……これの設立そのものは、確かに想定されていた事だ】
【だが貴様はそれに介入し、設立を前倒しにしたばかりか、戦力の拡充にまで協力している】
【人間どもにむざむざオルフェノクへ抗する術を手に入れさせるとは――何のつもりだ、結城真樹菜よ】

 予想通りの詰問に、真樹菜は薄っすらと余裕めいた笑みを浮かべ――実際のところ、それは余裕ではなく、侮蔑に近い感情からくる表情だったのだが――「ご心配には及びません」と、不敵に言い放った。

「ご懸念を抱かれるのも当然かと思いますが、ご安心下さい、あくまで演出の一環です。折角立ち上げた対オルフェノク専任機関が、実際はまるで我々に太刀打ち出来ないとなれば、その存在意義に疑問を呈されてしまうでしょう――第三者視点から見て『対等』に見えなければいけません。S.A.U.Lへの援助は『対等』を演出する為の仕込みと考えて頂ければ」

 無論、全くの嘘という訳ではないが、それは真樹菜の真意からは程遠い。しかしその詭弁に一理あるのもまた確かで、少なくともある程度筋が通っていると思わせるには充分な説得力を備えていた。
 無言のまま、三つの箱顔は真樹菜の周囲を旋回し続ける。糾弾に対する真樹菜の言葉から、彼女の真意を探ろうとしているのだろう。彼等がそれを無駄と悟るまでの数分間、真樹菜はただ黙して箱顔達からの視線を浴び続けていた。

【……良かろう。今回は不問としておく】
【だが忘れるな、結城真樹菜よ】
【貴様の成すべきはオルフェノクの為の世界を作る事だ――その為に我々は、貴様にスマートブレインを任せている】
「理解しております。我等オルフェノクの楽園、この結城真樹菜が作り上げてみせましょう」

 宣誓するかのように真樹菜がそう言い放てば、とりあえずはそれに納得したのか、立体映像は音も無く消失した。
 部屋の照明が点けられ、純白で統一された壁や床が本来の色を取り戻す。照明を落とされていた先程までが廃墟染みているとするのなら、今の室内はどこか作り物めいた現実感の無さを意識させた。
 かつん、と高い足音。部屋の片隅で真樹菜と立体映像との会談を眺めていたスマートレディが、室内中央の椅子に腰掛ける真樹菜へと近付いてくる。

「はーい、お疲れ様でした」
「ああ。ごめんなさいね、レディ。退屈だったでしょう?」
「いえいえ、ぜーんぜん、そんな事ないですよう? けど気をつけてくださいねー。あのヒト達のご機嫌損ねちゃうとぉ、たーいへんな事になっちゃいますよう?」

 でしょうね、と真樹菜は曖昧な笑みを浮かべて呟いた。
 スマートブレイン社長という真樹菜の地位は、決して飾り物ではない。だがそれは、あくまで“彼等”の意思、思惑から外れなければの話だ。
 もし真樹菜が“彼等”の従順な駒でなくなれば。もしくは“彼等”が真樹菜の利用価値を見切ってしまえば。その時に派遣されてくるのが誰か、言われるまでもなく理解している。

「わたし、今の社長さんが好きですから――変な事は考えないでくださいね? 社長さんを始末するの、あまり気が進まないですから♪」

 どこまでも明るく緊張感のない、自らの立場を隠そうともしないスマートレディの剣呑な言葉に、真樹菜は知らず、肩を竦めていた。





◆      ◆







 フォッグ・マザーがミッドチルダ西部の山岳地帯に落着した時点で、第一級危険指定ロストロギアへ対処する役回りは本局から地上本部へと移された。
 本局と地上本部、海と陸の確執は『JS事件』を経た今も尚――多少融和路線に舵を切ったとは言え――色濃く残り、地上の事件は我等の管轄とばかりに本局の介入を拒んだのである。

 尤も、それが些か現実を見ない判断である事は確かだった。
 地上本部が保有する戦力に、フォッグ・マザーを破壊し得る兵器は存在していない。そもそもが『治安維持』、換言すれば対人制圧を主任務とする地上本部に、過剰な破壊力を持つ兵器は不要という風潮もあったのだ。

 強いて言うなら、故レジアス中将が開発を推し進めていた試作兵器『アインヘリアル』であれば、フォッグへの対処も可能だっただろう。
 しかし試作・先行配備されたそれらは『JS事件』において破壊され、また計画の推進者であったレジアス中将が事件中に命を落としていた為、計画は頓挫。例え今から開発を再開したところで、その前にミッドの全生物がフォッグの餌食となるのは、火を見るより明らかだった。
 手段もないまま面子だけに拘る地上本部を腐敗していると見るのは簡単だが、その混乱はむしろ、『JS事件』の惨禍が未だ尾を引いているが故で。今は亡きレジアス・ゲイズの手腕を、今更に再評価させるだけであった。

 ともあれ。取り得る手段はないにしろ、ただ手をこまねいている程に地上本部は無能ではなく。
 ミッドチルダ西部に存在する各陸士部隊へ偵察の名目で出動命令が下ったのは、フォッグ落着から僅か三時間後――ゲンヤ・ナカジマ率いる陸士108部隊もまた、その中の一隊として機械獣母艦フォッグ・マザーへと近付いていた。

「おおう、予想以上にでけぇもんだな、ありゃぁ。あんなもんが空から落っこちてきたんじゃ、そりゃお偉方ものんびりとしちゃァいられねぇか」

 陸士108部隊所有の指揮通信車、その車内で、斥候の魔導師が中継する映像を見たゲンヤが、感心と呆れが入り混じった表情でそう呟く。
 映し出される映像には天を衝くかの如き威容。屹立する大岩……否、最早漆黒の山脈とでも言うべきフォッグの巨体は、眼下に広がる森林とも、頭上に広がる蒼穹からも酷く浮いていて、なるほど侵略者の姿に相応しい。

 とは言え。目に映るその光景は、ある意味でフォッグのお陰で保たれているものでもあった。
 これだけの質量が地表に落下したとあれば、本来なら巨大なクレーターが生じていただろう。落着の衝撃は莫大な粉塵を空に巻き上げ、陽光を遮って、『核の冬』と同等の惨禍をもたらしていたはずだ。
 そうならなかったのはフォッグが落着寸前に減速を行った為であり、彼等にしてみれば餌場を守る為の配慮でしかなかったのだろうが、それによって景観が保たれているのもまた事実だった。

「どうされますか、部隊長? 上からは何と?」
「上の連中はどこもかしこもてんてこまいだよ。出来る事とやらにゃならん事の区別がついてねぇ。とりあえず情報集めようって次から次に偵察部隊を送り込んできやがる……頭数ばっか増やしても、面倒が増えるだけってのによ」

 苛立たしげにゲンヤは煙草を取り出して、一本に火をつける。
 ゲンヤを苛立たせているのは、続々とこの一帯に参集する“頭数”の中に、自分達も含まれている事だった。船頭多くして船山に登るの故事ではないが、命令系統も曖昧な中で人数ばかり増やしたところで効率が良くなる訳もない。

 何より馬鹿馬鹿しいのは、ゲンヤは命令によって船頭役を務めさせられているという事だ。船を山に登らせる事が目的でもあるまいに、茶番を演じさせられている気分で、どうにも面白くない。
 ただ、それで任務に手を抜くような事もない――機械獣母艦フォッグ・マザーの脅威は、中継映像越しの外観からでも容易に読み取れる。怠慢が許される相手ではないと、ゲンヤは直感的に理解していた。

「しかし……ちと、静か過ぎるな。何か企んでやがるのかね」
「部隊長。221部隊から通信が入っていますが――」
「おう、こっちに回してくれ」

 フォッグ・マザーはミッド西部の山岳地帯に落下したきり、動きを見せていない。
 与えられた情報では、フォッグ・マザーは内部で孵った幼獣達を一斉に解き放ち、その世界のあらゆる生物を食い尽くすという話だったのだが、今のところそれらしい動きは観測されていなかった。

 これ幸いと、ゲンヤは部下にフォッグの監視を命じながら、自身は周辺一帯に集まった陸士部隊へと片っ端から連絡を取っていた。
 陸士108部隊もそうだが、フォッグの偵察・監視任務に駆り出された陸士部隊の大半は、同内容の任務に従事する他部隊がどれだけ居るのかも判らない状況に置かれていた。いざ現地に到着してみればそこは同胞がひしめき合っていて、隣の部隊に話を聞けば彼等も自分達と同じ任務を与えられていると、そこで初めて知るような有様だったのである。

 見かねたゲンヤは本来の任務である偵察には数名のみを使い、残る隊員達を周囲に展開する陸士部隊に派遣して(さすがに敵の至近で広域回線を使う事は出来なかった)、情報の共有と展開位置の確認を呼びかけた。
 結果として、現在の陸士108部隊はフォッグの監視・偵察に従事する部隊の情報集積所となっていた。否、次々と寄せられる情報を処理しつつ、次の行動を“提案”して――“指揮”する権限はゲンヤには与えられていない――動かすようにまでなっていたのだから、それはもう即席の司令部と言った方が適切だろう。

「連絡が途絶えた……!?」
『ああ。ウチの偵察班と連絡がつかん。定時連絡もないし、こちらからの呼びかけにも応答しないんだ』
「解った。おい、221の近くに居るのはどこの部隊だ?」

 ゲンヤの問いかけに、部下からはすぐに「119です」と答えがあった。
 すぐさまゲンヤは陸士119部隊へ連絡を取り、221部隊偵察班の様子を見てくれと依頼するが、しかしウィンドウに映る陸士119部隊の部隊長は焦燥を顕わにした顔でかぶりを振った。

『済まない、こっちも今、隊員の何人かと連絡が取れなくなっている。状況が判り次第、221の様子を見てこよう』
「…………!」

 直感的に、ゲンヤは異変を察知した。
 部下に命じ、フォッグの落着点を中心とした一帯の地図をウィンドウに表示させる。さして精度の高いマップでは無い、大雑把な地形が把握出来る程度のそれには、幾つもの光点が点灯していた。近隣に展開する陸士部隊の配置を意味する光点。

 221と119が展開しているのはフォッグから北東に1km前後。その周辺に展開している他部隊へ連絡を取ってみれば、どの部隊も隊員達の行方不明、連絡途絶が相次いでいた。いやそれだけではなく、こちらからの通信にさえ答えない部隊も少なくない。
 異変は既に、近隣の陸士部隊を蝕み始めている――そう、それはゲンヤの108部隊も、例外ではなく。

「ぶ、部隊長ッ!」

 部下の一人が血相を変えて指揮車の中へと飛び込んでくる。その背後から聞こえる悲鳴と怒号、そして絶叫。かの『JS事件』をも潜り抜けた歴戦の兵、陸士108部隊隊員をして恐慌状態に陥らせるとなれば、それは最早異変どころではない異常事態。
 指揮車の外へと飛び出したゲンヤだったが、指揮車の外に広がっていたのは、目を疑うような光景だった。

 そこに蜘蛛が居た。
 いや、それを蜘蛛と言うと語弊が生じるだろう。ヒトの如くに四肢を持った蜘蛛とでも言うべきか。同じ異形であっても、石膏像めいた調和のあるオルフェノクとは明らかに違う。生々しいまでに生物的な人型の蜘蛛が、総勢四匹――それが陸士108部隊の隊員達を襲っている。

「こいつら、まさか――」

 ゲンヤの言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。
 しゅるん、とゲンヤの首に白い糸が絡まったかと思うと、次の瞬間、それが一気に引っ張り上げられたのだ。
 眼球を巡らせて上へと視線を向ければ、指揮車の上に居る一匹の人型蜘蛛が目に入る。その口から吐き出された白紐のような糸がゲンヤの首に絡まり、絞首刑よろしくゲンヤを吊り上げているのである。
 蜘蛛の糸は尋常ならざる力で、ぎりぎりとゲンヤの首を締め上げている。必死にもがくゲンヤだったが、糸は千切れるどころか伸びもせず、逆に足掻くほど締め付ける力を増してくる。

「ホホホホホホ――管理局員とは言っても、たかが人間。クモ怪人の前には手も足も出ますまい」

 どこからか、哄笑が聞こえてくる。
 意識すら危うくなり始めたゲンヤの目に、中空から滲み出るようにして現出する人影が映り込む。色褪せた白いローブを羽織った女。まるで漆を塗ったかのような肌の光沢と、右半面を彩る紋様のような痣が、彼女が只人の範疇にない事を告げている。

「バラオムの忠告を無視し、フォッグ・マザーに不浄な手で触れようとする愚かな人間ども。これは我等ゴルゴムによる誅戮と心得よ」
「ゴルゴム、だと……!?」

 暗黒結社ゴルゴムの名を、ゲンヤは当然知っていた。それが本局次元航行部隊によるフォッグ・マザー迎撃を妨害した事も伝えられていた。
 なれば必然、この場にゴルゴムが現れる事も予想出来て然るべき。事実ゲンヤはそれを考慮し、フォッグの監視に加え、不審な動きをする者はいないかと、監視を広く取るように指示していた。

 ゲンヤに落ち度があったとするのなら、ゴルゴムの思考を常識の範疇で考えた事。ゴルゴムの狙いはあくまでフォッグのみであり、フォッグの確保を優先して行動するはずと。
 フォッグも管理局も諸共に敵視し、見境無く攻撃を仕掛けてくるという可能性を見落としてしまった事こそが、ゲンヤの失策だったのである。

「さあクモ怪人よ、一気に絞め殺してしまいなさい」

 頬痣の女が命じれば、ゲンヤの首を締め上げる糸が一気に力を増した。
 絞め殺すどころか、首から千切れてしまいそうな。血流が寸断され、意識が急速に暗転していく。

「ぎん……が、す、ばる……!」

 奈落へと転がり落ちていく意識の中で、ふと脳裏を過ぎる娘達の顔も、薄れてぼやけて溶暗していって――





◆      ◆







 機動六課に出動命令が下った時点で、地上本部は最早状況を推し量る事すら出来なくなっていたと言える。
 フォッグ・マザー落着地点周辺に、ゴルゴム出現――その一報が入った直後、現地の陸士部隊と連絡が取れなくなったのだ。
 偵察と監視を命じられて現地に向かった陸士部隊は二十を超えるが、いずれも応答を絶っている。通常の通信手段のみならず、念話による通信さえも遮断されていて、そこに何者かの意図を見出すのは難しくなかった。

 ゴルゴムの仕業。それは誰に説明されるまでも無く明白だったが、しかしフォッグ・マザー攻略の為に戦力の編成を急ぐ地上本部に、ゴルゴムに対処する為の戦力までをも捻出する余裕はなく。
 本局所属でありながら地上に拠点を置く機動六課へ出動が命じられたのは、ある意味で必然的な流れとも言えた。

「――そんな訳だから、今回のわたし達の任務は現地の状況調査、及び陸士部隊の救出。戦闘が予想されるから、全員、気を引き締めて」

 ミッド西部へと向かうヘリの中で、高町なのはは部下にそう告げた。
 ヘリの中にはなのはを初めとして、スターズ分隊、ライトニング分隊が、隊長や副隊長も含め勢揃いしている。
 いつぞや、拉致された少年を救出に向かった時以来のオールスター。だがあの時がちょっとした事情から、どこか緊張感に欠けていたのに対し、今の機内は一分一秒ごとに高まる緊張感で張り詰めている。
 やがてその緊張感に耐えられなくなったのか、スバルが手を挙げて、なのはに呼びかけた。

「あ、あのっ! なのはさん!」
「どうしたの、スバル?」
「その、お父さん――108部隊は、無事なんでしょうか?」

 スバルの問いに、なのはは硬い表情でゆっくりとかぶりを振った。

「……108部隊とは今、連絡が取れない状況だよ……周辺一帯に通信遮断型の結界が張られているみたいで、状況が掴めないんだ」
「そんな――」

 絶句したスバルの肩を、その時、横合いから抱き寄せる者があった。
 言うまでもなくティアナ・ランスター。スバルとは対称的に、内心の焦燥と動揺を押し殺した能面のような顔で、それでもはっきりと彼女は希望を口にする。

「それを調べに行くのが、あたし達の仕事よ――大丈夫。あんたのお父さん達なら、きっと持ち堪えるわ。あたし達が着くまで、きっと」
「………………うん」

 心配と不安に押し潰されそうになってはいるものの、それでも相棒からの励ましはそれなりに効果があったようで、スバルは言葉少なに頷いた。 
 スバルはティアナに任せておけば大丈夫だろう。問題は――と、なのはは視線をギンガへと転じる。

 目を閉じたギンガの顔は、ティアナに負けず劣らずの無表情。だが心中穏やかにない事は、膝の上でぐっと握り締められた両拳を見れば瞭然だ。
 当然と言えば当然か。ギンガは陸士108部隊から機動六課に出向している状態だ、元の所属部隊、仲間達が丸ごと安否不明の現状で、落ち着いていられるはずもない。
 一見すればそうと見えない程の自若ぶりであったが、それが見せ掛けだけのものであると、なのはは悟っていた。

「ギンガ――」

 ギンガの向かいに座るフェイトが、恐る恐るといった感じに呼びかける。
 しかし呼びかけたは良いが、何と言って良いものか判らずに、結局彼女は押し黙ってしまい――そんなフェイトを見て、当のギンガが励ますかのように微笑んでみせた。

「大丈夫です、フェイトさん。ティアナの言う事じゃありませんけど……皆、しぶといですから。きっと無事です」

 フェイトに向けた言葉と思しきそれが、実際はギンガ自身へ向けた気休めだと気付かない者は、生憎、この場には誰一人居なかった。
 そこから先、口を開く者は居なかった。誰もが焦燥感に押し潰されそうになって、現場に到着するまでの一分一秒が十倍の鈍さで進むような感覚に捉われていた。
 だが幸いと言うべきか、重苦しい沈黙と、暗鬱な空気は然程長く続きはせず。

「なのはさん!」
「! ――どうしたの、ヴァイス君!?」

 操縦席のヴァイス・グランセニックが唐突に声を張り上げ、後部のキャビンを覗き込む。
 慌てた様子ではあるが、切羽詰った感のないヴァイスの声に僅かな期待を抱きながらなのはが応えれば、ヴァイスはにっと口の端を吊り上げて、彼女に笑みを向けた。

「今、ロングアーチから連絡があって――108部隊と連絡が取れたそうです! 全員無事だと!」

 キャビンに居る全員が反射的に顔を上げ、操縦席のヴァイスを注視する。その視線には喜びと驚き、しかしそれ以上に『まさか』という思いがあった。
 都合の良い言葉を鵜呑みにすれば、それが嘘と知った時の落胆はより大きくなる。当然の防衛本能が、彼女達を普段よりも少しだけ疑い深くしていた。
 しかし勿論、ヴァイスにそんな嘘を吐く理由はない。どこか疑いの混じった視線を受けて、彼はもう一度「全員無事っすよ! 無・事!」と繰り返す。

「良かった……良かった、よぉ……!」
「そーね。……とりあえずスバル、あたしの服に鼻水つけんのやめてくんない?」

 ぼろぼろと涙を流して縋り付いてくるスバルを、ティアナが複雑な顔で引き剥がす。
 張り詰めていた空気と一同の表情が少しだけ和らぎ、それが彼女達のモチベーションを高めていく。
 常人ならば安堵がそのまま脱力に変じそうなものだが、少なくとも今の機動六課にしてみれば、それは個人的な不安に気を取られる心配がなくなったという意味で、戦意高揚へと繋がるものであった。

「合流地点に向かいますぜ! 全開で飛ばしますんで、掴まっていてくださいよ!」
「うん、お願い!」

 なのはが応えると同時、ヘリは大きく旋回して――陸士108部隊、そしてそれに追随する陸士部隊との合流地点に向けて、一気に速度を上げていった。





◆      ◆







 機動六課がロングアーチからの連絡を受け取った瞬間から、僅かに時間は遡る。



 不意に雷鳴の如く轟いた排気音と駆動音が、ゲンヤの意識をあと一歩のところで繋ぎ止めた。
 とは言えクモ怪人の糸は変わらずゲンヤの首を締め上げていて、繋ぎ止められた意識もあと一秒と保たず暗闇に没するはずだったのだが、しかしその一秒こそが彼を救ったのである。
 何処からか飛来した光弾がクモ怪人の糸を撃ち抜き、切断する。唐突に荷重を失ったクモ怪人が後ろによろめくようにして態勢を崩し、そこに更なる光弾の連射が殺到。怪物は総身から火花を散らして、指揮車の上から転がり落ちた。

「がっ……げほっ! な、何だぁ……!?」

 激しく咳き込んで酸素を取り込みつつも、ゲンヤの目は何が起こったのかを把握するべく四方に視線を散らしていた。陸士108部隊隊員を襲うクモ怪人の姿、それを指揮する頬痣の女の姿が目に入る。
 排気音と駆動音はますます高らかに鳴り響いていた。何らかの駆動機械が近付いている事の証。誰もがその正体を捜して、視線を右往左往させている。
 音の正体を見て取ったのは、ゲンヤが最も早かった。彼方から猛然と近付いてくる一台のサイドカー。そして他の面々がゲンヤの視線からサイドカーの存在に気付いた時には、ゲンヤはサイドカーを駆る者、側車に座る者の風体までをも視認していた。

 まず目を惹くのは、頭部全体を覆う、フルフェイスヘルメットのような仮面。サイドカーを運転する者と、側車に座る者とで微妙に意匠が違う。前者が『Χ』を模した、後者が天地逆の『Δ』を模した意匠。
 仮面である以上、それは当然の如くに着装者の表情を覆い隠し――無機質な戦意だけが、見る者の知覚を刺激する。
 首から下もまた常識外の装い。総身を覆う漆黒のスーツ。胸部や肩部を鎧う装甲。体表を走る黄と白のラインが、スーツの漆黒と陰陽の如く相克する。
 明らかに魔導師のバリアジャケットとは異なる、騎士の騎士甲冑ともまた違う。埒外の科学技術が結晶したそれは、異形に抗する為に作り上げられた、珠玉の戦装束であった。

「くっ!」

 サイドカーは頬痣の女へと向けて突撃、轢き殺さんばかりの速度で迫るそれを、頬痣の女は当然ながら回避せざるを得ない。
 瞬間、『Χ』は絶妙のハンドリングでサイドカーをスピンさせた。側車が遠心力に振り回され、そこに座っていた『Δ』が側車の外へと放り出されて宙を舞う。

 いや、『Δ』は自ら側車を飛び出したのか。中空で姿勢を制御し、手にした銃型兵装の照準を構える一連の動きは、偶然を利用した動きとは明らかに異なる、計算され尽くした挙動である。
 先にゲンヤを間一髪で救ったように、『Δ』の放った光弾は陸士108部隊隊員に迫るクモ怪人達を次々と直撃する。炸裂する光弾が怪物達を弾き飛ばし、隊員達がクモ怪人の攻撃圏内から脱する時間を作り出した。
 そうして『Δ』が降り立ったのはゲンヤの眼前。ゲンヤを庇うかのように彼へ背を向けて、十メートル弱の距離に佇む頬痣の女に相対する。

「お――お前さん、いったい……」
「部隊長。皆を連れて、ここを離れてください。――早く!」
「! その声……!?」

 背を向けたままの『Δ』から放たれた言葉に、その内容もさることながらその声音に、ゲンヤが予想外の驚きを覚えて瞠目する。

「お前、ラッドか……!?」

 ラッド・カルタス二等陸尉――陸士108部隊所属の管理局員であり、ゲンヤ・ナカジマが腹心として信を置いていた男。
 だが彼は数ヶ月前から行方知れずとなっている。顛末を見届けた部下の話では、謎の女が彼の行動の自由を奪い、連れ去ってしまったとの事。何らかの事件に巻き込まれたのは明白だった。

 この数ヶ月、108部隊を初めとする地上部隊がラッドの捜索に当たっていたが、彼の消息は絶えたまま、手掛かり一つ掴む事は出来なかった。生存すら絶望視されていたのが実際のところだった。
 その彼が何故いま、こうして仮面と装甲の戦装束に身を包み、自分の前に立っているのか――ゲンヤには全く理解が及ばない。ラッドの身に何が起こって現状に至るのか、それを推察する事すら出来ない。

「急いでくださいよ。自分も、そう長いこと時間を稼いでいられません」

 慮外の展開に目を白黒させるゲンヤにそう言い置いて、『Δ』……ラッド・カルタスが前に出る。
 頬痣の女とクモ怪人を牽制する位置で停止していたサイドカーの横を通り過ぎれば、『Χ』がサイドカーを降りて、ラッドの横に並び立った。『Δ』の橙に光る複眼と、『Χ』の紫に輝く複眼が、それぞれにゴルゴムの怪人達を睨み据える。

 彼等を脅威と認識したのか、クモ怪人達の優先順位が108部隊隊員から、仮面の男二人へと切り替わる。四体のクモ怪人がじりじりと横へ移動して、『Δ』と『Χ』を包囲する陣形を取った。
 その隙に、108の隊員達が指揮車に集結する。ゲンヤの目配せ一つで、彼等は指示を待たずに撤退の準備を開始した。指揮車を含め、停めてあった車に次々と乗り込んで、エンジンを起動させていく。 

「! クモ怪人達よ、奴等を逃してはなりません! 我等ゴルゴムの恐ろしさを知らしめる贄として――」

 頬痣の女が指示を飛ばすのは、しかし僅かに遅かった。少なくともそれは、クモ怪人が仮面の男達を包囲する前に下されなければならなかった。
 唐突な指示に、クモ怪人達が意識を再度108部隊へと戻す。だがそれは換言すれば、『Δ』と『Χ』の前で隙を晒す事に他ならない。瞬間、二人がそれぞれに抜き払った銃型兵装が火を噴いて、光弾がクモ怪人を四体同時に穿ち抜く。

「し、しまった……!」

 ばたばたと倒れこむクモ怪人。頬痣の女がここで漸く、自身の迂闊な指示がそれを招いたと理解する。
 そして迂闊と言うのなら、目の前の状況に動揺し、動きを止めてしまった事もまた、その通りで。
 『Δ』と『Χ』が同時に頬痣の女へと照準を据え、躊躇無く引鉄に力を込める。奔る光弾が女のローブを浅く掠め、それだけで光弾の速度と熱量は布地を易々と引き裂いた。

「……っ! いいでしょう、今日はここまでにしておきます……! クモ怪人達! 奴等を始末しておきなさい!」

 憎憎しげに『Δ』と『Χ』を睨みつけ、だが次の瞬間、頬痣の女はローブを翻し、空間に溶けるようにして、その場から姿を消した。
 追うべきかと『Χ』が前に出るが、残されたクモ怪人達が、先のダメージも抜けきっていないと知れる足取りで彼の前に立ち塞がる。
 いっそ哀れとすら見える怪人達の有様に、ラッドの足が止まった。憐憫か、或いは躊躇か。だが一方の『Χ』にはそんな感傷は欠片もないと見えて、彼は迫る怪人達を容赦なく迎撃――否、蹂躙する。

 迫るクモ怪人の一体が鉄拳と蹴撃を叩き込まれ、ぐらりと身体をよろめかせる。端から被弾は覚悟の上か、必死に敵へ組み付こうと前進するも、銃口を押し当てられ零距離からの光弾連射を浴びせられれば、さしもの怪人も血と肉片を撒き散らして吹き飛ばされた。
 瞬間、するりと『Χ』の首に絡まる白い糸。決死の覚悟で掴みかかった同胞を囮とし、『Χ』の背後に回った一匹のクモ怪人が、仇討ちとばかりに糸を吐きかける。
 常人であれば骨まで容易にへし折れる白糸の緊縛。そこに加えて、残る二匹のクモ怪人が同様に糸を吐きかけるとなれば、拘束は最早磐石である。

「おい、まずいんじゃねぇか、ありゃあ……!?」

 つい先程、クモ怪人の糸に絞め殺されそうになったゲンヤが、『Χ』の危機に思わず声を上げる。
 しかし生憎、この程度は仮面の男にとって危機ではない。常人ならば五体を引き千切られる緊縛も、特殊流体エネルギーを血潮とする強化装甲服を纏った今、何ら脅威に値するものではない。

 無雑作に蜘蛛の糸を掴み、ぐいと一気に腕を引き込む。人間を凌駕する桁外れの膂力が三匹のクモ怪人を纏めて引き寄せ、『Χ』の足元へと這いつくばらせた。
 怪人達が立ち上がり、顔を上げるまでの一刹那に奔った光弾が、三匹のうち二匹の頭部を正確に撃ち抜く。如何に人外の怪物と言えども、脳髄を抉られて生きていられる道理が無い。立ち上がったばかりの彼等が膝からくず折れ、再度地面に突っ伏した。
 無論、もう二度と立ち上がる事はない――その身体がどこからか染み出る炎に包まれ、極彩色の火花を散らして爆発する様を見れば、ここからの逆転が有り得るはずもない。

【Ready.】

 頭を撃ち抜かれて即死した二匹ではあったが、最後まで生き残った一匹の末路を思えば、それはいっそ幸福な死に様と言えただろう。
『Χ』がベルトのバックルから何やら部品を取り外し、それを銃型兵装に装填。瞬間、電子音声と共にグリップ下部から光が伸びて、瞬時に刀身となって形成された。
 蝿の羽音を思わせる不気味な駆動音を呻らせ、流動するエネルギーで金色に輝くその刀身が、高々と掲げられたかと思うと一気に突き下ろされる。

 ぞぶり。不気味な音を立てて、刀身がクモ怪人の胸に突き刺さる。串刺しにされたクモ怪人の姿はいっそ昆虫標本を思わせるが、彼にとっての悪夢は、むしろここからだった。
 肉を焼く音。刃を突き立てられた胸から立ち昇る白煙。もぞもぞと四肢を蠢かしていた怪物が、やおら苦しみ方を変えて暴れ出す。

 誰が知ろう。蜘蛛を串刺しにする刃が高熱を帯びている事を――本来それは切断ではなく、高熱による溶断を目的とした武装である事を。
 鋼鉄をも容易く灼き斬る刃を直接体内に突き入れられたクモ怪人が、一体どれほどの苦痛を味わっているのか、当事者以外の誰が理解出来るだろう。

 断末魔の苦痛にもがき苦しんでいたクモ怪人が、やがて糸の切れた人形のように動きを止める。ずるりと刀身を引き抜けば、先の二匹と同様にその身体は炎に包まれて、数秒の後に爆散して果てた。

「ひっ……!」

 陸士108部隊の誰かが、短く悲鳴を上げた。
 爆ぜる火の粉と立ち昇る黒煙。その只中に佇んで、煌と紫の眼光を輝かせる『Χ』の姿は、悪鬼羅刹にも等しきおぞましさを纏っている。108部隊隊員の反応も、無理からぬ事と言えよう。

「よし――おい、逃げるぞラッド! お前も来い!」

 撤退の準備は完了した。指揮車運転席の窓から身を乗り出して、ゲンヤが声を張り上げる。
 ゴルゴムの怪人を一掃した今こそが撤退の好機。このままここに留まれば、いつまた怪人がやってくるか判らない。
 充分な装備を整えた状態ならいざ知らず、今の状態でゴルゴムと渡り合うのは自殺行為だ。ゲンヤ・ナカジマは自殺願望とは縁遠く、また自身の破滅に部下を付き合わせる程に、無能でもなかった。

 ゲンヤの呼びかけに、ラッドは逡巡するかのように僅かな間を置いた後、踵を返して指揮車へと歩み寄ってくる。未だ黒煙の中に佇んでいる『Χ』へ呼びかける事も、何らかの所作で誘う事もしなかった。
 置き去りにするようなあっさりとしたラッドの足取りに、ふとゲンヤの眉が寄る。――あいつら、仲間じゃないのか?
 そんな疑問がゲンヤの脳裏に兆した瞬間、ラッドが突然走り出した。まさかゲンヤの疑問に反応した訳でもあるまい、何だいきなりと呟いて駆け寄ってくるラッドを注視したその時、不意に指揮車のフロントガラスが砕け割れた。

「うぉおっ!?」

 飛散するガラスの破片に、思わず両腕で顔を覆うゲンヤだったが、その腕にするりと白い糸が絡みつく。更に次瞬、ずるりと這うようにして、何か人型の物体が指揮車の運転席へと這入り込んできた。
 それは先刻、ゲンヤを首吊りに追い込んだクモ怪人。『Δ』の放った光弾に撃ち抜かれ、指揮車の車上から撃ち落とされていたものの、絶命には至っていなかったらしい。

 仲間が惨殺されている中、一人身を潜め、当初の獲物であるゲンヤをしつこく狙っていたのだろう。頑固に初志貫徹を目論んでいるのか、或いは部隊の指揮官がゲンヤと悟り、頭から潰そうと向かってきているのか。
 どうあれ自身の命と引き換えにゲンヤの首を獲る算段なのは明らかで、人外の怪物が生還を度外視した死兵となって迫るのだ、そうそう容易く振り解けるものではない。

「ぶ、部隊長っ!」

 助手席に座っていた部下が咄嗟にクモ怪人へと掴みかかり、ゲンヤから引き離そうと奮闘するも、どだい人間の膂力では敵うはずもなく、あっさり弾かれて車外に放り出される。
 だが彼が地面に落ちるより僅かに早く、『Δ』――ラッド・カルタスが間に合った。
 放り出された隊員を受け止め、その身体を地面に横たえて、改めてラッドはゲンヤに組み付くクモ怪人へと飛び掛る。敵の首を背後から鷲掴みにし、無理矢理引き剥がすようにして、ラッドはクモ怪人を車外へと引きずり出した。

「あだっ! ――おいラッド、もうちっと丁寧にやってくれや……!」
「す、すみません、部隊長」

 クモ怪人の糸に腕を絡めとられていたものだから、ゲンヤも諸共に車外へと引きずり出される。ただしこちらは間一髪でラッドがゲンヤの後襟を掴み、糸を断ち切っていた為に、地面に叩きつけられる事はなかったが。
 よろよろと立ち上がるクモ怪人。その眼前に、ラッドが立ちはだかる。『Χ』の様に問答無用で殺しにかかる事はなく、それでも決して逃がさないという意思を明確に表す足運びで、彼は怪物の進路に立ち塞がった。

「お前達には同情しないでもない――部下を捨て駒にする上官を持った事、不憫とは思う。捨て駒になれという命令であっても、それに従わなければならない事……ああ、これにも同情しよう。まったく酷い話だ、酷い上官だ、酷い命令だ」

 ゆるりとかぶりを振りながら呟くラッドの言葉は、心底からの本音であった。一片の偽りも無く、彼はクモ怪人に同情し、部下を捨て駒とした頬痣の女に憤っていた。
 自分達は上官に恵まれている。それは陸士108部隊隊員の総意であり、同部隊の高い士気、強固な結束はそこに起因している。
 上に立つ者の人徳、人柄、人間的魅力。組織や集団を維持し、事に当たる上で最も必要なものが、陸士108部隊には紛れもなく存在していて――構成員を捨て駒として浪費するゴルゴムにはそれがない。

 だからこそ、ラッドはクモ怪人に同情する。それは同情と言うよりは、むしろ憐憫に近い感情であったのだが、どちらにしろそれは同じ事。
 しかし当然、それを理由に見逃すなど、選択肢としては有り得ない。

「ただし――同情はするが、容赦はしない。お前達がどれほど上官に恵まれていなくても、残酷な命令を出されていたとしても、だ。他人を傷つける事を是とするのなら、見逃す訳にはいかないな!」

 語気を強めて言い放てば、クモ怪人は覚悟を決めたか、奇怪な唸り声を咆哮へと変えてラッドへ飛び掛ってきた。
『Δ』に敵わないのはこれまでの戦いで思い知らされているはずであろうが、窮鼠猫を噛むの心境であるのだろう、一命を賭せばせめて相打ちに持ち込めると考えたのか。
 その甘く温い目算を糺してやる義理は、ラッドにはない。彼のするべきはただ一つ、誤算の対価を支払わせる事だけである。

「チェック!」
【Exceed Charge.】

 ラッドが右腰の銃型兵装を抜き払い、バックルから抜き取ったパーツを装填する。銃身が伸長し、音声入力の起動キーを受信した各種装備がそれに反応。ベルトを起点に、スーツの体表を走る白のラインを伝って光点が移動、銃型兵装へと送り込まれる。
 次瞬、銃口から光の針が撃ち出される。クモ怪人へと向けて加速する光針は、標的の直前で傘の如く展開、白色に輝く巨大な三角錐へと変化した。
 暴と颶風が吹き荒れる。突如として空間を占拠した三角錐が空気を引き裂き、即席の乱気流を生み出しているのだ。その只中に囚われたクモ怪人は挙動を奪われ、即ち回避と防御の選択肢を奪われる。

 ラッドが走り出す。乱気流の中心、クモ怪人に切っ先を向けて浮遊する光錐へと向けて。地を蹴って高々と跳躍、空中で一回転すると、眼下の光錐へ身体ごと蹴りこんでいく。
 クモ怪人の体表に触れるか触れないかというところで静止していた光錐が、ラッドの突撃によって、遂に標的の外皮を突き破った。
 同時に始まった高速回転がクモ怪人の肉と内臓を容赦なく掻き回して抉り抜き、そして『Δ』の姿がクモ怪人の後方に現出すれば、怪人の身体はゆっくりと倒れこみ――爆発の中に消え去った。
 爆煙の中に薄っすら浮かび上がるΔの一字。それも程なく、黒煙もろとも風に攫われて消え失せる。

「……く、ぐ……!」

 右腰のホルスターに戻した銃型兵装から、銃把部分を取り外す。白光が一つ激しく瞬いて、次の瞬間、ラッドの身体を包む黒いスーツと頭部を覆う仮面は消失していた。骨組みのように残っていた白色のラインも、ラッドの腰に巻かれたベルトへと引き戻されていく。

 陸士部隊の制服姿へと戻ったラッドだったが、そこで彼は膝をついて蹲ってしまった。見れば彼の目は酷く血走って、額に脂汗が浮いている。ぎりと歯を食い縛り、腕を小刻みに震わせながらも強く拳を握り締める彼の姿は、何かの苦痛に耐えているか……或いは何かの衝動を必死で抑え込んでいるように見受けられる。
 慌てた様子で『Χ』が駆け寄り、ラッドに手を差し伸べるが、しかしラッドはその手を乱暴に払いのけた。

「……?」

 先の疑問が、ゲンヤの脳裏で再び涌き上がってくる。明らかにラッドと『Χ』との間には何らかの確執がある……単純に“仲間”と言える関係には見えない。
 ともあれ詳細を知らぬのだから、内心の疑念は解決するはずもない。それよりも今は此処を離れる事こそが先決、ゲンヤは『Χ』の代わりにラッドに肩を貸して、彼を立ち上がらせた。

「すみません」
「気にすんな、こっちァ命助けてもらってんだ。……なあラッドよ、さっきのありゃあ――そのベルトのおかげか?」

 未だラッドの腰に巻かれたままの、金属部品がごてごてと備え付けられた重装のベルト。およそ服飾品の類からは逸脱したそれを指し示してゲンヤが質せば、ラッドは黙して頷いた。

「『デルタギア』と呼んでいます。あっちの彼が使っているのが『カイザギア』。特殊強化服着装システム、とでも言うんでしょうか」
「お前、何でそんなもん――」
「言えません。口外しない事を条件に、こいつを持ち出す許可を貰ってるもので」

 そこでゲンヤはちらと後ろを振り向き、周辺を警戒するかのように辺りを見回す『Χ』を見遣った。

「って事ァ、あいつはそのお目付け役ってか? 余計な事言ったら口封じに入る……とか?」

 ベタだなおい、とゲンヤは苦笑する。ただそれなりに筋の通った推論なのも確かだった。ラッドの『Χ』に対する態度を見ていれば、相手に良い感情を抱いていない事はすぐに知れたし、余計な事を喋らせない為の監視役と考えれば、あの邪険な態度も頷ける。
 だがゲンヤの言葉に、ラッドはゆっくりとかぶりを振って、その推論を否定した。

「いえ――彼はただ単に、自分を手伝いに来てくれただけです。一時的な協力者とでも言いますか……少なくとも彼に関しては、そう危険視しなくても良いはずです」
「の割にゃ、随分と邪険にしてるじゃねえか」
「あまり、良い感情を抱ける相手でもないもので」

 そうかい、とゲンヤは詮索を打ち切った。
 代わりに彼の意識は、ラッドの腰に巻かれたベルト――デルタギアに集中する。

 ラッドの不調は、明らかにこのベルトが原因だ。一見してゲンヤとも普通に会話しているように見えるが、その実、相当な無理をしている事はすぐに知れた。
 無理にでも取り上げるべきだろうか。だがこれがあったからこそ、ゴルゴム怪人を撃退出来たのもまた事実。ラッドの身体を気遣う一方で、彼と彼の装備に頼らざるを得ない現状を、指揮官たるゲンヤは冷静に推し量り――今はこのままにしておくしかないと、業腹ながらそう結論付ける。

「ふん。まあ、仕方ねえか。……おい、そっちの――カイザだったか!? お前も来い、ここ離れっぞ!」

 大声で呼びかければ、『Χ』はさも慮外と言わんばかりに――勿論、仮面の下でどんな表情をしているのかは判らないけれど――ゲンヤに向き直って、しかし躊躇するかのように僅かに顔を伏せた。何を躊躇っているのかは判らない。
 それでも意を決したのか、やがて彼は静かにゲンヤへと歩み寄ってくる。

 歩きながら『Χ』の手はベルトのバックルに伸び、そこから部品を取り外した。先に銃型兵装に装填した部品と異なり、バックルを丸ごと抜き取る形で取り外したそれは、閉じた状態の携帯電話を思わせた。
 携帯電話を操作すると、ラッドが変身を解除した時と同様、強い光が『Χ』の姿を覆い隠して、彼の総身を覆うスーツと仮面が消失する。体表のラインもベルトに引き戻されて、着装者の姿がここで初めて顕わとなった。

「……ん?」

 着装者の姿を見た瞬間、ゲンヤが怪訝そうに眉を顰める。どこかで見たような顔。それがどこであったのか記憶を辿れば、すぐにその正体に行き当たる。
 対して着装者はゲンヤの顔に見覚えが無いらしく、何やら思い出している様子のゲンヤに怪訝な顔。やがてゲンヤが「おお」と一つ手を叩けば、怪訝な顔のままで更に首を傾げた。

「お前、確か――」





◆      ◆







『謁見の間』を出た真樹菜がその足で向かったのは、普段の執務を行う社長室ではなく、スマートブレイン本社ビルの地下階層に存在する一室であった。
 多国籍ならぬ多世界籍企業スマートブレイン。それは決して、内実を覆う隠れ蓑というばかりではない。そこで働く者達の大半が人外生命であるとは言え、実際に企業活動を行っている以上はそれもまたスマートブレインの一側面であって、端的に言うならば地表部分の社屋はほぼ全てがその為に使われている。

 故に。スマートブレイン本来の目的は、主に地下階層へ設けられたセクションにおいて進められているのが実態だ。
 逆説、ここを訪れる者は総じてスマートブレインの暗部に少なからず関わっているという事であり――ここを訪れるという事は、それに関連する何がしかの目的があっての事と言える。
 この日の真樹菜もまた、例外ではない。

「あら、白華さん」
「ん? ……ああ。おハナシは終わったアルか? お疲れ様ヨ」

 足早に通路を歩く真樹菜が、ふと通路の側壁にもたれかかり、憚りなく煙草の煙を燻らせていた一人の女に目を留めて、話しかける。
 目を奪われるような眩い金髪の白人女性。だが妙に訛った口調と、総身を包む藍色のチャイナドレスが、その印象を酷くちぐはぐなものにしている。
 ラッキークローバーが一葉、白華・ヘイデンスタム。結城真樹菜の友人である彼女は、呼びかけられて初めて近付いてきた誰かに気付いたらしく、吸いかけの煙草を床に落とすと靴の底でねじり消して、真樹菜へと向き直った。

「どうされました? ぼうっとしておられますけれど」
「別に、大した事じゃないネ。……ああ、そうそう。あのガキとあの男、フォッグの調査に出たヨ。言われた通りにカイザギアとデルタギア渡しといたアルけど……本当に良かったアルか?」
「良かった……とは?」
「そのまま逃げちまうかもしれない、って事ヨ。中身はともかく、ベルトを持ち逃げされたら後々面倒になると思うネ」
「ああ――」

 白華の懸念は尤もだ。しかし無論、真樹菜がそれを考えていなかったはずもなく、むしろ我が意を得たりと言わんばかりに、彼女は薄っすら微笑んだ。

「大丈夫ですよ。あの子はちゃんと戻ってきます。もう一人……ラッド・カルタスさんはどうか判りませんけれど、その場合でもちゃんとデルタギアは回収する手筈になってますから」
「何でそこまで信用出来るのか、私にはとんと理解出来ないアル」
「ふふ。そうでしょうね――まあ、その辺は私とあの子だけが解り合える事でしょうし。理解出来ないのは当然ですよ」

 それよりも、と真樹菜は白華の横にある扉を指し示す。
 白華がもたれかかっていた壁のすぐ横には一枚の鉄扉があり、専用のパスコードを入力する為の端末が備え付けられたそれは、他の部屋と比して一段と厳重な警備が敷かれている事を窺わせる。
 真樹菜が地下階層にまで赴いた理由は、この鉄扉の向こうにある。それは白華も理解していると見えて、一つ頷いて、新たな煙草に火を点した。

「ノリノリで仕事してるヨ。正直付き合いきれないネ、こっちまでアテられそうだったから部屋出てきたアル」
「そうですか。ふふ、それは重畳」

 端末にパスを入力、外観の重厚さからは些か拍子抜けするほど軽快に開いた鉄扉を潜って、真樹菜は室内へと這入った。
 瞬間、真樹菜の視界を占拠する膨大な情報。中空に展開される無数のウィンドウが、そう広くない部屋の中をびっしりと埋め尽くしているのだ。

 ウィンドウそのものに実体はない。それでも何となくぶつからないように頭を下げて前へと進めば、部屋の中央に居る一人の男が目に入った。長身痩躯の立ち姿。普段は酷い猫背の男が、今日に限って背筋をしゃんと伸ばして立っている。
 白華・ヘイデンスタムと同じくラッキークローバーの一葉、ラズロ・ゴールドマンは、部屋に入ってきた真樹菜に気付く事もなく作業に没頭していた。

「うふふふふひゃらはははははははひははははは。あああぐるぐる回って兎が月と火星と太陽でこんがり煮えてジューシーだからお刺身ぃいいいいい。真っ黒な階段がずぶずぶとろけるよぬるぬる固まるよマンションが丸ごとプリンになって血まみれだよ、キャベツが空を飛んで破裂しながらレタスになるからジャガイモだって水着を着るのさふんどしだ、べとべとの牛が燃えて凍るとお好み焼きだってオーブンレンジも知ってるけれど包丁は知らないのさあひゃらはははははははははははははは」
「……………………」

 今日はまた一層、頭の飛び具合が甚だしい。
 直立しながらゆらゆらと全身を蠢かせてコンソールを操作するその様は、海底で揺れる海草を彷彿とさせる。伽爛の艶かしくくねった動きとはまた別ベクトルの気持ち悪さだ。
 コンソールを叩く手が、時折思い出した様に傍らのワゴンへと伸び、そこに置かれた大皿から豆状の何かを掴み取って口へと運ぶ。ぼりぼりと音を立てて咀嚼されるそれが非合法の薬物錠剤であると、真樹菜は知っていた。

「ラズロさん――ラズロさん?」
「くくく狂わせ屋の脳波変調機で頭くるくるこねこねぐっちゃぐちゃ。遊星より愛をこめてこんにちはだからSRIが怪奇をあばいてノストラダムスの大予言に一筆奏上だよね、吸水性ポリマーに狂鬼人間をくるんでギエロン星獣に召し上がれって駄目駄目それはスペル星人の罠だからぁああああ」
「……駄目ですね、これは」

 普段からいまいち言葉の通じないヤク中であるが、今日はもう完全に聞こえていない様子で、良く聞けばかなり危険な事を口走っている。
 仕方なく、真樹菜はラズロとのコミュニケーションを諦めて、周囲に展開されるウィンドウへ視線を移した。
 室内を埋め尽くす無数のウィンドウは、どれ一つとして、フォッグに関連する情報を映し出していない。まあ当然と言えば当然だ、ラズロの“情報収集”はフォッグがミッドに落着するよりも以前から始められていたのだから。

 視線を巡らせ、ウィンドウに表示される内容を次々と確認していく真樹菜だったが、その表情はどうにも晴れない。求める情報は見つかっていない。
 元より砂漠で砂金を探すような、手がかりすら無い漠然とした探索であったのだから、それも予想の内ではあったのだが――落胆するのもまた、無理からぬ事。

「……で、真樹菜は一体なにを探してるアルか?」

 いつの間にか部屋に入り込み、真樹菜の後ろに佇んでいた白華が、耳に息を吹きかけるような至近距離からそう訊いて来る。

「白華さん、『怪魔界』というのはご存知ですか?」

 広大な次元空間には無数の次元世界が存在し、実際のところ、時空管理局が把握している世界はそのごく一部に過ぎない。
 管理世界、管理外世界、無人世界、観測指定世界……それら全てを合わせたとしても、全ての次元世界の四割にも満たないのではないか。それが次元世界学における、現時点での常識である。

 怪魔界はそんな、管理局が把握していない次元世界の一つだった。区分においては管理外世界に属するのだが、それは単に管理局の秩序を受け入れるかどうか、その交渉すら始まっていなかったというだけの事。次元航行技術を保有する怪魔界は、時空管理局の理念に照らし合わせれば、まず無視出来る存在ではなかった。
 ただ――もし交渉が始まったところで、それが難航するであろう事は、容易に予測出来たのだが。

「怪魔界? あー、そういや昔どっかで聞いたよーな気がするネ。確か、別の管理外世界に侵略仕掛けたっつー世界だったようナ……」

 他の次元世界を我が物とするべく、軍事力を以って侵攻を行う――時空管理局が怪魔界の存在を察知したのは、それが契機となっての事だった。
 第97管理外世界、『地球』。怪魔界が狙ったのは、当時既に管理局が存在を認知していたこの世界。

 管理外世界による、他の管理外世界への侵略。この前代未聞の事態に、時空管理局は真っ二つに割れた。管理外世界へは原則不干渉という立場を固持すべきという意見と、例え管理外世界であっても他世界への侵略を許すべきではないという意見。
 議論は平行線を辿り、如何なる処方で臨むのかを決められぬまま、時間だけが無意味に過ぎていった。

 結論を先に述べるなら、怪魔界の侵略に対し、管理局は一切の介入を行わなかった。
 行う必要がなくなった、と言うべきか。ある日突然、唐突としか言いようのない脈絡の無さで、怪魔界の侵略は終結したのだ。――怪魔界の消失という結末で。
 当時の資料では、怪魔界は地球の一国を地球侵略の前線基地とするべく、先遣隊を派遣し侵攻を行っていたのだが――その最中、突如として先遣隊は壊滅、のみならず怪魔界そのものも消え失せたという。

「なんで消えちゃったアルかねー」
「さあ……未だに諸説紛々ですけれど。一番信憑性が高いのが、怪魔界の統一国家『クライシス帝国』の皇帝が何かをやらかした、って説ですね。まあ何をやったのか、というのがすっぽり抜けたトンデモ説なんですが」

 それが最も信憑性が高いと言われる事からも判るよう、怪魔界の消失は一種のオカルトとして扱われているのが現状である。 
 怪魔界が滅亡したというのなら、まだ話は単純だった。地球へ侵攻していたはずの怪魔界が滅びるという皮肉はあっても、そこに謎は無かったのだ。在るべき場所から消え失せて、存在を感知出来なくなってしまったからこそ、それは不可解として語り継がれている。

「恐らくは次元断層か何かで、世界が丸ごと“向こう側”へ落ちてしまったんでしょうね――アルハザードと一緒です。もしかしたらまだ現存しているのかもしれないけれど、そこに行く事も見る事も、もう出来ない……そんな世界」
「はぁん。……ん? じゃ何で真樹菜は、その怪魔界を探してるアルか? 行けない見れない関われない世界ネ、探すだけ無駄ヨ」

 白華の指摘は至極尤もで、ただそれは真樹菜も予想の内だったのか、懐から一葉の写真を取り出して、白華に差し出した。

「わざわざ写真持ち歩いていたアルか。暇人ネ……何アルかコレ? 腕? ロボ?」

 写真に写っていたのは鉄板と鉄骨と配線の混合物……要するに機械の塊。しかしその形状は確かに人間の腕に酷似していて、それでも戦闘機人とは異なり無機物のみで構成されたそれは、見も蓋もない『ロボ』という感想がなるほど良く似合う。

「クライシス帝国製機械兵器、『怪魔ロボット』の腕ですね。どうしてこんな有様になっているのかは不明ですけれど……問題はこれ、今から一年ほど前に、とある管理世界に落ちてきたものなんですよ」
「一年前? あれ、怪魔界が消えたのって二十年前だったアルな?」
「ええ。二十年前に滅びたはずの世界で作られたものが、一年前に落ちて来たんですよ。文字通りに空からぽろっと。しかも落ちて来たのはこれだけじゃありません、色んな世界の色んな場所で、怪魔界の残滓が降ってきているんです。……これ、何を意味すると思います?」
「んー……」
「私の答えはこうです――怪魔界はすぐ近くにある・・・・・・・・・・・。行けない見れない関われない、けれど何かの拍子にちょっとだけ繋がってしまう、そんな近くに」
「……ふん。だから、その“何かの拍子”をこうして探して――もとい、探させてるという訳アルか」

 まあ、そんなところですと頷いて、真樹菜は改めて中空を占拠するウィンドウを見遣った。幾多もの世界で確認された、怪魔界の残滓に関する情報を、片っ端から頭の中に叩き込んでいく。
 “何かの拍子”を探す。それをより正確に言い表すのなら、“何かの拍子”の発生条件を探すという事。
 世の事象は総じて必然から成っている。何かが起こるという事は、それが起こるだけの条件が満たされたという事に他ならない。怪魔界へと繋がる道もまた然り。
 発生条件さえ確認出来れば、それを人工的に再現する事も決して不可能ではないはず。怪魔界への道を作る方法を確立出来るはずだ。

「しかし真樹菜、何でそこまでして怪魔界に行きたいネ? バカンスにしちゃ、ちょい遠出過ぎると思うアルよ」
「まさか。別に、怪魔界に行きたい訳じゃありません――怪魔界の“あるモノ”が欲しいんですよ。怪魔界にならきっとある……いえ、ないとおかしいモノですね。まあ、アルハザード探すよりは手近なんじゃないですか?」

 結城真樹菜には確信があった。怪魔界へ通じる道は、いずれ必ず自らの前に現れると。こと策略と権謀において他の追随を許さぬ真樹菜であるが、一方で論理に拠らぬ直感を蔑ろにする訳でもなく、予感や虫の知らせといった感覚を大事にもしている。
 その意味で、彼女にとって予感と確信は同義であり、確信を抱いた事柄をことごとく実現させてきた彼女には、怪魔界への侵入は最早決定事項と言えた。

「――まあ、今は今で、先に対処しなければいけない事が山積みなのですけれど」
「そうアル。とりあえずはフォッグとゴルゴムをどうするかネ。どいつもこいつも厄介ヨ」
「そうですね……いざとなれば、『帝王のベルト』を投入する事になるかもしれません。或いはトルーパー部隊を幾らか動員するか……どちらにしろ、当面は様子見ですね。我々が表に出るのは、出来る限り避けたい事態ですから」

 どういう処方でフォッグに関わるのか、真樹菜にもまだ明確なプランがある訳ではない。様子見という判断は、次の一手を打つまでの時間を稼ぐ為のものでもあった。
 ただ、どう動くにしろ、判断材料となる情報は必須で――斥候として現地に送った人員が、どれだけ有用な情報を持ち帰れるか、それ次第でもある。

「……そう考えると、あの子に任せたのは人選ミスだったかしら」

 情報収集のいろはも知らない“彼”に斥候役を任せたのは、今にして考えれば明らかに失策で。
 その場のノリって怖いですねえ、と呟く真樹菜の顔には、妙に楽しげな笑みが浮かんでいた。





◆      ◆







 フォッグ周辺に展開する部隊は、ポイントD-24に集結されたし――陸士108部隊の発した号令によって、指定された地点には続々とゴルゴムの襲撃を逃れた部隊が集まってきていた。
 見方によっては任務放棄、敵前逃亡にも等しい行為ではあるが、実際問題、フォッグ・マザーの監視という本来の任務を果たせる部隊は、この時点でほぼ皆無だったのだ。
 ゴルゴムによって地上本部との通信が遮断された状態では指示を仰ぐ事も出来ず、最終的には108部隊長ゲンヤ・ナカジマの『総ての責任は俺が取る』という言葉によって、彼等は撤退を開始した。
 
 フォッグの落着地点からやや離れた、何らかの開発が行われるであろう工事現場。木々が切り倒され、地面が均された時点で工員が退避したそこが、108部隊の指定した集結ポイントだった。
 各部隊の指揮車と野戦用テントが立ち並び、九死に一生を得た者達がそこかしこに腰を下ろして脱力している様はさながら野戦病院の様相で、そんな中を小奇麗なままで歩くギンガ達は明らかに周囲の光景から乖離している。
 尤もそれを気に留める者もまた居らず、加えてギンガとスバルを初めとしたフォワード陣は一様に焦りと不安を顕わにしていたから、場違いと言うほど周囲の雰囲気にそぐわない訳ではない。

 陸士108部隊の指揮車へと向かっているのは、ギンガとスバル、ティアナ、エリオにキャロ、おまけにフリードの、五人と一匹だけ。ヴァイスはヘリに残って現地の仔細な状況を六課司令部へと伝えており、隊長陣は持ち前の空戦能力を活かし、未だ連絡のつかない各部隊の救援へと当たっている。
 フォワード陣には108部隊の指揮下に入るよう、指示が下されていた。空中を移動する能力や手段があるとは言え、彼等は陸戦魔導師だ。なのは達空戦魔導師と同様の運用は出来ず、また状況を考えれば、フォワード陣に足並み揃えて動く訳にもいかない。

 ただ、彼女達はその指示の真意に概ね気付いていた。結局のところそれは、ギンガとスバルへの配慮……ゲンヤを案ずる気持ちへ配慮したのだ。
 公私混同のようにも思えるが、隊員のメンタルを軽視するやり方は機動六課の(と言うよりは、隊長陣の)望むところではなく、またフォワード陣の実力は『JS事件』において証明済みであり、隊員の大半が負傷した108部隊への戦力補填と考えれば、決して無意味な指示ではなかった。

「あ、あれだ!」

 やがて先頭を歩くスバルが、陸士108部隊の指揮車と、その傍らに設置された野戦テントを見付け出す。早足の歩みが駆け足となって、まずスバルが、次いでギンガが、僅かに遅れて残る三人が走り出した。
 指揮車付近に座り込む108部隊の隊員達が、ギンガに気付いて立ち上がった。挨拶もそこそこにテントの幕をはぐれば、そこには上半身裸になって診察を受けるゲンヤの姿。

「お、おう……どうした? お前ら。んな血相変えてよ」

 テントに飛び込んできたスバルとギンガの勢いに面食らったのか、目を瞬かせてゲンヤが質してくる。

「お父さん! だいじょうぶ!? 怪我してな……それ、その首!」

 わっとゲンヤに詰め寄ったスバルが、矢継ぎ早に質問を繰り出して、その答えが返るよりも早くゲンヤの異状を察知する。
 ゲンヤの首には黒々とした痣が刻まれており、ちょうど喉仏のあたりからぐるりと線状に首を周回する痣は首吊りの痕跡めいていて、見た目以上の痛々しさを見る者に感じさせた。

「大丈夫だ、ちっと吊り上げられただけだからよ――ったく、なんてツラしてんだ、お前。ギンガもだ」
「なんてツラ、じゃありません! 心配したんですよ!」
「お、おぅ。悪かった」

 茶化すような口調の言葉にギンガが声を荒げて言い返せば、その剣幕にさすがのゲンヤもたじろいで謝った。
 医務官と思しき管理局員がぽんとゲンヤの肩を叩き、もう上着を着ていいですよと告げる。ゲンヤが部下から渡された上着に袖を通している間、医務官はギンガ達に彼の容態を説明した。……ゲンヤの怪我は首の痣くらいで、後は掠り傷が幾らかとの事。
 ほっと息を吐いたギンガ達だったが、そこでふと、「ん?」とティアナが疑問を抱く。

「あの、ナカジマ三佐。少しお訊ねして宜しいでしょうか」
「あん?」
「ゴルゴムに襲われたというのはお聞きしたのですが、その、どうやって……」

 どうやって逃げ延びられたのか。それを上手くオブラートに包む事が出来ず、ティアナは口ごもった。
 ゴルゴム怪人の脅威に対し、熟練の魔導師を擁する訳でもない陸士108部隊が、どうして死者を出さず逃げ延びる事が出来たのか。当然の疑問ではあるが、しかしそれを言葉にすれば他部隊の過小評価、ひいては罵倒に繋がりかねない。ティアナもさすがに自重する。
 ただ彼女の言いたい事は概ね伝わったのだろう、ゲンヤは合点いったとばかりにぽんと膝を叩いて頷いた。

「ああ、まあそうだろうな。確かに、俺らだけじゃあ逃げられなかっただろうよ。助っ人が来てくれてな」
「助っ人……?」

 流れから察するに、管理局の他部隊という感じではない。だが民間人にはこの一帯から退避するよう指示が出されているし、そもそも怪人を相手取るだけの実力を持った魔導師や騎士がそう都合良く近くに居るとも思えない。
 首を傾げるティアナから、ゲンヤはギンガへと視線を移し、

「何だっけ、ギンガよ。ちっと前に、お前が拾ってきた坊主いるだろ?」
「坊主?」
「おう。次元漂流者の――あり、名前なんつったか」

『拾った』『坊主』『次元漂流者』――確かに、心当たりがある。と言うか、それではもう特定したも同然だ。次元漂流者などごく稀にしか発生しない上、これまでにギンガが出会った漂流者と言えば、ただ一人しか居ないのだから。
 しかし、まさか彼がという思いが、その心当たりを否定する。こんな危険な場所にのこのこ顔を出すほど、あの少年は愚かでは……

「……いや。まさかまた、何かに巻き込まれてるんじゃ――」

 とにかくろくでもない目にばかり遭わされていた彼のこと、案外今度も何かに巻き込まれて動かされているのではないか、そんな思考を否定出来ない。
 嫌な予感にギンガが顔を顰めたその時、不意に低く重い排気音がテントの中に聞こえてきた。恐らくは大型バイクのものだろう。

 排気音はやがてテントのすぐ近くで停止し、バイクを降りたと思しき音、ぱたぱたと小走りに近付いてくる音がそれに替わって聞こえ始める。
 自然、テントの中に居る者達の視線は入り口の幕に集中し――そして。

「ゲンヤさん! 221の人達、見つけてきました! 怪我はしてるけど全員無事――あれ?」

 ばさりと勢い良く幕をはぐって顔を出した少年が、テント内に居る面々の顔を確認して、素っ頓狂な声を上げる。
 うすうす予想はしていたものの、それが見事に的中してしまった少女達は、声もなく少年の顔を見つめるのみ。
 少年は(当然と言えば当然だが)二週間前に別れた時と殆ど変化がない。妙に似合わない、白い詰襟の学生服を着用しているが――黒髪黒目、そこそこ端整ではあるが平凡で普通な顔立ちは相変わらず。強いて言うなら以前よりも幾らか顔色が良く見えるくらいか。
 さておき。

「衛司、くん?」

 今更のように名を呼ばれ。
 しかしそれに気の利いた答えを返す事も出来ず、結城衛司はただ、呆けた顔を晒していた。





◆      ◆







「バラオム、ビシュム、共に役目を果たしておるようだな」

 暗闇の底で一人、大神官ダロムは満足げに呟いた。
 状況は全て彼等ゴルゴムの意図するままに動いている。フォッグ・マザーはミッドに落ち、フォッグ周辺の管理局も排除出来た。並行して次の“仕込み”も進んでいる、遠からずそれも完了するだろう。
 強いて言うなら、フォッグ側に何の動きもない事がやや気になるところか。懸念材料と言えばその通りだが、生憎、ゴルゴムはそれに対しても布石を打っている。

「……ふむ。傷は癒えたか。思ったより時間がかかったものよ」

 ダロムの眼前には、古井戸を思わせる小さなプール。床面が直接隆起したような、絡み合って組み上がったケーブルがプール状の窪みを形成したような、とかく異形で異常な造形の水場。
 ただしそれに湛えられているのは水ではなく、緑黄色に発光する不気味な粘液だ。ぼんやりと明滅するそれはゆらゆらと水面を揺らめかせて、底に潜む何者かの存在を主張している。

 そしてプールを覗き込むダロムの掌には、一枚の布。丁寧に折り畳まれたそれを開けば、中に包まれていたものが顕わになる。
 それは宝玉だった。翡翠色に輝く、しかし宝石と言うにはあまりに怪しい光沢を放つ、一個の真球。
 暗黒結社ゴルゴムの至宝、キングストーン――かつて世紀王シャドームーンに与えられ、紆余曲折の果てにゴルゴムの元へと戻った、『月の石』。

「さあ、これを貴様に預けてやろう――貴様に扱う事は出来んだろうが、なに、今の貴様ならば、少しくらいのお零れで充分であろうよ」

 言って、ダロムはキングストーンをプールの中へと沈めた。
 秘石の中には膨大なエネルギーが詰まっている。いっそキングストーンそのものがエネルギーの塊と言って良いが、しかしそれを扱う事が出来るのは世紀王、そして創世王としてその身を造り変えられた者だけだ。
 只の人間には単なる宝玉と変わりなく、プールの底に潜む何者かであっても、それは変わらない。

 だが水底の“彼”は、只の人間とは一線を画する生命だ。既存の生命体全てを超越する為に作り出された存在だ。扱う事は出来ずとも、漏れて染み出す僅かな力を得るだけならば、決して不可能ではない。
 さながら舌の上で飴玉を舐め溶かすが如く、“彼”はキングストーンから滲み出る力を取り込んでいく。繋ぎ合わせた身体に力を通わせていく。思考が明確になり、意識が昂揚していく。
 さあ――復活の時だ。

〖あははっ! あはははははははははははははははは!〗

 澄んだボーイソプラノの笑い声が、暗黒結社ゴルゴムの根城たる暗闇の底で朗々と響き渡る。
 同時にごぼりとプールの水面が隆起し、間欠泉よろしく一気に噴き上がった。飛沫はプールの傍らに佇むダロムにまで容赦なく降りかかり、しかしダロムはそれを避けようともしない。
 朽ちた白木を思わせるダロムの顔には、明らかに喜悦と見て取れる表情が浮かんでおり――その視線はプールの底から浮上してきた“それ”に釘付けだった。

 子供の上半身を埋め込んだ円盤……あえて言葉で表すならば、そういった表現しか出来ないだろう。子供と言っても、容貌は人間のそれとは明らかに異なっている。真紅に染まった眼球と緑色の膚。ことに肌は内臓の様に血管が浮いてぬめ光り、ただ異様というだけでなく、見る者に生理的な嫌悪感を抱かせる。
 ただ、その姿も長くは続かなかった。円盤は液体金属の如く溶解し、球体状に変化したかと思うと、プールの傍らへと流れ落ちて、そこで更なる異形へと変化する。

 生物のような機械のような、ぬめりと金属の光沢を併せ持った皮膚。
 蟲のような獣のような、無機質でありながら獰猛な印象を与える面貌。

 先の姿が嫌悪感を抱かせるものであるのなら、今の姿は恐怖の具現だった。人間が本能的に恐れる“怪物”の概念が、形を伴って現出するに等しかった。
 ぎしりと怪物は首を巡らせて、周囲を睥睨し――澄んだボーイソプラノの声で、ダロムへと問い質す。

〖おなかすいた。ねえ、ごはんはないの?〗
「ふはは。食わせてやろう、好きなだけな。貴様の空腹、存分に満たしてやるぞ――のう、ドラスよ」

 大神官ダロムの言葉に、嬉しそうに二、三度頷いて。
 付いて来いとばかりに踵を返して歩き出すダロムの背を追い、ネオ生命体ドラスもまた、餌場へと向けて歩き出した。



 フォッグ・マザーの襲来。
 暗黒結社ゴルゴムの再動。
 ネオ生命体ドラスの復活。

 ミッドチルダを襲う未曾有の危機。その中核を為す要素が全て出揃った事を、この時点ではまだ、誰も知らない――。





◆      ◆





第拾漆話/了





◆      ◆







後書き:

 という訳で、第拾漆話でした。お付き合いありがとうございました。

 本作でやりたいと思っている展開は幾つかあるんですが、今話からの展開は本作書き始めた頃からやろうやろうと思っていたネタでして。こう言うとアレですが、ここまでの話は今話以降の前振りです。こっから本番入ります。
 ……前振りに二年かかっちゃったのは、本当に誤算でしたけどw

 本作読んでくださってるのはコアな仮面ライダーファンでしょうから、今更説明するまでもないんですけど。今話から登場のフォッグ・マザー、『仮面ライダーJ』に出てきた敵です。
 ドラスと違ってディケイドに出てこないから(配下の怪人は出ましたけど)、相当マイナーな敵かも。真・仮面ライダーの敵ほどじゃないでしょうが。
 ちなみに作中でユーノが言ってるのは、仮面ライダーJの小説版からの設定です(『滅びた次元世界の~』というくだりは本作のこじつけですが)。ただし作者が小説持ってないので、HERO SAGAに転載された部分からの引用です。
 ただしこれもユーノが言った通り、原作に出てきたフォッグ・マザーと、本作のフォッグ・マザーは別個体という扱いです。さすがにドラスに続いて『実は死んでなかった!』は無理あるかなとw

 ゴルゴム、ドラス、フォッグ、クライシス帝国(真樹菜の発言だけですが)と、特定の時期に偏った敵ラインナップになってます。
 作者が天邪鬼なもので、『平成ライダーの敵は他の二次書いてる人が出してるよね』『昭和ライダーの敵は仮面ライダーSPIRITSで結構出てるよね』という感じで、その間の敵を引っ張り出してきたと。
 マイナーすぎて読者置き去りな面もあるんですが、どうぞご了承ください。

 それでは次回で。よろしければ、またお付き合いください。


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