どす黒い感情を抱えながらの昼食を終え、木の上でのんびりと休みつつもこの後はどうしようかと考えていた、そんな午後のひと時に。
『あー、もー、疲れたぁっ!』
ヒステリックにも聞こえる女性の叫び声が、脳内に響き渡る。
僕らの中で唯一の女性、紅一点――といっても中身が本当に女性かどうかは確認していないし、できないのだが――のラケシスの声だ。
『何だ、お前も誰かに襲われたのか?』
『そうなのよー。空を飛んでさっさとお暇しようと思ったけれど、存外にしつこくて……MPからっからよー』
彼女の言う、空を飛ぶ、という能力は、彼女の職業……いや、どの職業にも存在していない。彼女の飛行能力は、“魔王”固有のスキルによるものだ。
この専用スキルツリーは一人一人違うものを与えられている。
“Balberith”、“Dumah”、“Sariel”、“Mephistopheles”、“LucifugeRofocale”、“Meririm”、“Rahab”の7種類。聞けばこれらは、いずれモンスターとして実装される本来の“魔王”の名前だという。
元々は、キリスト教とかその辺りの悪魔の名前なのだろう。キールの持つスキルツリー“Mephistopheles”の名前がゲーテの“ファウスト”に登場する悪魔のものであることくらいは、そういった分野には全く詳しくない僕にもわかる。
ラケシスの持つ“Meririm”は飛行能力と敏捷性にまつわるスキルが多い。もっとも飛行能力は強力すぎるためか、飛んでいる間はMPが消費され、上空でMPが切れたりすると落下しダメージを受けるという仕様になっている。上空からの落下ダメージはかなり高レベルのキャラクターでも危険なため、飛行中はMPの消耗に細心の注意が必要になる、とは彼女本人の弁だ。
ちなみに、僕に与えられた“Sariel”のスキルツリーは、感覚、殊に視覚にまつわるスキルが大部分を占めていた。既に取得している千里眼や赤外線視覚、透視といったスキルは見た目的には地味だけれども、実用の面ではかなり有用だというのは最初の数日間だけでも身にしみてわかった。
『あ……ユーリ君、ラケシスさん。MP回復、いりますか?』
メンバー中唯一の、支援系に完全特化した職業であるプリーストであるファーテルがこちらの会話に気付いたのか、声をかけてくる。
『こっちは大体回復したし、見つからない場所にいるから大丈夫』
『んー……こっちはまだ寝床にしている場所までつけていないし、頼むわ』
『わかりました』
銀髪の神官はすぐさま了承する。
普通のプレイヤーは視覚外のプレイヤーのHPやMPを回復することはできない。しかし“LucifugeRofocale”のスキルツリーは、その制限を取っ払い……どこにいる相手でも回復することを可能にしている。
これもまた、1ヶ月もの間、数十万人のプレイヤー相手に僕たちが逃げ切れた理由の一つだ。基本的に単独行動の僕たちだが、
『こっちも回復を頼む。HP、MP両方だ』
と、また別の、低い男性の声がかかった。
僕たちの中で一番の古株――それ故に最もレベルが高く、他のプレイヤーたちからは最も恐れられている男・レオンハルトだ。
『そっちは狩りかな?』
『ああ。今はロック鳥を相手にしている』
うへあ、とキールが呆れたような声をあげる。
『正式実装されているボスの中では5指に入るモンスターだろ? ソロで勝てる相手なのか』
『回復があればなんとかなる』
僕は実際にどのくらい強いかわからないし、想像しようとしてもボスモンスターと出会ったこともないから、ただ聞いているだけだったけれど……どうやらレオンハルトはパーティ組んでいても危険なボスを一人で倒しに行っているらしい。
モンスター相手でもHPが0になれば死ぬ、という自分が置かれている状況にも関わらず、だ。
『とりあえず回復はかけておいたよ。他にも支援魔法かけておくかい?』
『頼む』
あまりの暴挙に呆れている僕たちを他所に、ファーテルはレオンハルトに頼まれた仕事をこなしていく。
彼は優しいが冷静沈着、いつでも落ち着いている。
元々は大きなギルドのギルドマスターをしていただけあって、誰かが口論になったときの仲裁役や、全員を巻き込んでの議論が起きた時の議長役もお手の物だ。
単純に戦闘能力だけを見れば一番強いのはレオンハルトだけど、僕たちの中で誰か一人をリーダーとして選ぶとしたら……本人以外の6人全員が、ファーテルを推すと思う。
実際に、彼が議長役となりまとめてくれたお陰で、いくつかの方針が決まっている。
最初にほぼ全会一致で決まったのは――自分たち以外のプレイヤーとは極力関わらないこと。
個人が騙されて刺されてエンド、ならまだいい。ハニートラップの類に引っかかって情報を引き出されたり、捕まって拷問されたりしたら全員にとって溜まったものじゃない。軽はずみな行動でも、全員の生死に関わる以上……全員が慎重にならざるを得ない。
次に決められたルールは――金銭・アイテムは共同の銀行口座と倉庫で一括管理すること。
多くのプレイヤーが拠点としている街で活動するのが難しい以上、アイテムは極力外で調達したいし、そうもいかない買い物は必要最低限に済ませておきたい。
幸いか不幸かはわからない――本人にとっては間違いなく不幸極まりないことに、僕たちの中にはマーチャントであるキールがいた。マーチャントはNPC商人との売買をする際、買価割引、売価の割増などの修正がつく。そこでキールにはできるだけ人がいないタイミングを見計らって、NPC商人との取引を行い必需品を買う、という役割が与えられることとなった。
明確に決められたルールは、現段階だとこの二つ……他はまだ議論を必要としている。
僕たちは確かに“魔王”として選ばれたという一点については同じだけど、選択したクラス、追加されたスキルツリーの内容は全く違う。
――レオンハルトのように単独戦闘能力に向いている能力の者、ファーテルのように他のキャラクターを支援する能力に特化している者、キールのように戦闘は苦手とする者。
相互補助しあうしかないとはいえ、僕たちの持つ能力はあまりにも違いすぎる。だから、1人にとってのベストが他の6人にとってのベストとなるとは限らない。故にお互いの妥協と慎重な議論が必要となるのだ。
『……ファーテルさん、ちょっといいですか?』
また別の、僕たちよりも若い少年……メルキセデクの声がかかる。回復や支援を頼むというわけではなさそうだが、ファーテルに用事があるらしい。
『頼まれていた薬、やっと全部できました……すみません、遅くなって』
セージの彼は、薬品製造に特化した職業のアルケミストほどではないが……薬を製作するスキルを持っている。
この手の製造系スキルは、ほぼ全員が何かしら持っており、自分たちで作れるものは可能な限り、購入せずに作ることにしていた。僕も矢については殆ど自作だ。
『わかった、後で貰っておくよ。というか、こちらも無理言って申し訳ないね』
『ん……? 何頼んだんですか?』
『キャスターポーションだよ。多めに頼んだんだ』
キャスターポーションというのは、呪文詠唱速度向上のためのポーションだ。
店で買うと高くつくため、材料と代金を渡して薬製作スキルを持つプレイヤーに作ってもらう、ということが多い。
『私の場合は自分に強化魔法をかけて、戦闘したり逃走したりしているからね……連続でかけるには詠唱速度を上げていかないと』
高レベルのプリーストでパーティの大黒柱・生命線となっている彼だが、単純な単独戦闘能力はかなり低い。
『こっちはヤバくなったらファーテルさんに回復頼みつつ、攻撃魔法を連発しているだけで追い払えるんですけれど……同じ魔法系でも、プリーストは攻撃魔法は殆ど対モンスターですからそうはいきませんね』
もっとも、普通の術師系プレイヤーは魔法の連発なんて最初に覚える基礎の魔法くらいしかできない。これはMP云々以上に、詠唱時間の問題だ。
呪文のキーワードを唱えて発動するまでは、ディレイが発生する。このディレイが詠唱と呼ばれ……効果が大きな呪文ほど、詠唱時間は長くなっていく。
メルキセデクの持つ――術師としての強化がメインの“Rahab”のスキルツリーには、この詠唱時間をスキルレベル分の1、最大で10分の1まで小さくする、というスキルが搭載されている。
彼はこのスキルによって“効果が発揮されている演出中に次の呪文を詠唱し、攻撃魔法を連射する”という暴挙を可能とした。HPは僕やキールよりもかなり低く、物理攻撃には最も脆い彼が無事なのは、偏に驚異的な攻撃性能のおかげだろう。攻撃は最大の防御とは、よく言ったものだ。
『いっそ武器攻撃してみたらどうっすかねえ?』
キールが提案するが、そう簡単な問題じゃないようで……ファーテルは唸る。
『それも考えていますが……いい武器が見つからないと』
『僧侶系クラスに強化スキルのある、メイス系武器なら俺に予備がある』
と、レオンハルト。彼は戦士だから、様々な武器を用意してのは当然といえば当然だ。
このゲームにおいては武器の種類は多岐に渡る。複数の種類の武器を常備するのは、魔法使い以外にとっては当たり前のことだ。
射撃戦闘に特化したハンターである僕の場合は、ショートボウ、ロングボウ、クロスボウ、接近戦にも投擲にも使えるナイフ類を常備している。
『一ついただけますか?』
『ああ。倉庫にいくつか置いてあるから好きなのを取っていってくれ』
『あ。レオンハルトだけじゃないけど、誰も使わないだろ、っつーアイテム手に入ったら言ってくれよー。売って金に換えてくるから』
『それならちょうど……』
そんな感じで、アイテムの扱いについての相談をしているところに。
『――回復を頼む』
これまでずっと黙り込んでいたアサシンのノアが、ファーテルに回復魔法を要請してきた。
『支援はどうする?』
『今はいい。とりあえず回復だけ頼む……何かあったらまた言うから』
それだけ言うと、ノアは礼も言わずに再び黙り込んだ。おそらく狩りに集中しているのだろう。
『……本当、無愛想な奴だな……』
本人に聞こえているにもかかわらず、キールが毒づく。しかしその意見には、僕も全面的に同意だ。
正直、このノアという男については……わからないことが多い。
コミュニケーションツールの一つとして存在する、プレイヤー用の掲示板を見ると、彼はこの1ヶ月間……殆どの時間をただひたすらモンスターを狩ることに費やしているという。
秘匿チャットでも、必要最低限のことしか口に出さない。レオンハルトなんかも口数はかなり少ないほうだと思うけれど、彼はそれに輪をかけて喋らない。
あまりにも喋らない、感情が見えてこない……どこか機械的ですらある彼を見ていると、人間ではなく何者かによって作り出されたプログラム……俗に言うBOTかもしれない、とすら思う時もある。冷静に考えればそれはないし、口に出すこともないけれど。
確かに遊んでいたゲームに閉じ込められて、しかも命に関わる事態になれば……頑なになる人も出るのは普通だけれど。赤の他人に対して頑なになるだけなら兎も角、僕らはいわば運命共同体だ。
何かの拍子で1人が死ねば、全員が死にかねない。そんな状況だというのに、ノアは他の6人とのコミュニケーションを最低限しか取ろうとしない。
『困ったものですね』
ファーテルが小さく呟いたように、彼の行動は――本人以外の全員にとって、頭痛の種だった。