「どういうこと? 何かのイベント?」
「わからない……」
「ログインする時にも告知とか出てなかったよな」
アスタロトを名乗る女性の、いきなりの発言に静まり返り、街のテーマBGMが流れるだけだった周囲に、ざわめきが戻り始める。
『汝らの遊戯というのは、見ていて詰まらぬからな。妾は、色々と手を加えることにした』
――手を加えた、とはどういうことだろう?
不思議がる僕たちを他所に、彼女は淡々と言葉を紡いでいく。
『汝らは、自らの現実へと戻ることはできない』
その台詞に、僕も含めた多くのプレイヤーは即座に――殆ど脊髄反射と言ってもいいだろう――ログアウト機能をチェックしたが……ボタンを押してもログアウトするかどうかを確認するウィンドウは開かなかった。
『外の世界から、何らかの手段で長時間接続が断たれた場合、汝らは死に至る。まあ、肉体を安全な場所に移したりする時間や、この世界に繋がるための道具の不調などもあるだろうから……ある程度の猶予は与えてやるが、な』
彼女の言うとおり、本当に死ぬかどうかはわからない。
しかし、実際に彼女の言うとおり、僕たちはログアウトできなくなっている。それに、ヴァーチャルリアリティのシステムは脳に直接、何らかの刺激を与えることは可能だ。
周囲のざわめきが大きくなり、女性と思しきヒステリックな悲鳴や嗚咽も聞こえて来る。
僕も例外ではなく、先ほどまでのチュートリアルクエストでパーティを組んでいた仲間たちと……不安そうに顔を見合わせていた。
『そうそう。この世界の本来の管理者の手を期待してはならぬぞ。この世界の内側へと入っていた者は……全て殺した。
更に言えば――もし外から改めて入ろうとしたり、入り込まず干渉しようとするのであれば、汝ら全員の命を奪うとも伝えてある』
その言葉が本当かどうか。証明する手段はないし、彼女も証明しなかった。
――しかしながら、彼女の言葉が嘘だったなら。すぐに助けが来るはずだ。
そう考えた僕は、彼女の話の続きを待つ。
『しかし、二度と帰れぬわけではない。妾が今から言う手段でこの世界から抜け出すことができる。一人でもこれを成し遂げれば、そのときに生きている全員を元の世界に帰そう』
その言葉に多くのプレイヤーは期待を抱いたことだろう。
僕もそうだった。結局何かのイベントだったのだ、と言い聞かせようとした。
こうして、閉じ込められた66万6666人に提示された脱出の手段はいくつか提示され――しかし、その殆どが……プレイヤーたちの希望を打ち砕くかのごとく、非現実的……実行するのは到底不可能だとしか思えないものだった。
『一つ。……世界の中心部。その地下に迷宮を作り出した。妾はその最深部にいる。誰でもいい。妾を打ち倒してみよ』
彼女はこのゲームの最大の敵。彼女を倒すのがプレイヤーの最終目標。
そう考えれば、この最初の条件については色々と納得がいく。
『ただし……妾に敗北した者に待ち受けるのは、死のみである』
その台詞に、ごくりと唾を飲む。
――様々なフィクションで目にする、命をかけた死のゲーム。
それを実際にやろうというのだ。この魔女は。
『その覚悟がある者のみ、妾の元へと来い……歓迎するぞ』
後に“アスタロトの迷宮”と呼ばれることとなったその迷宮は――第一階層からそれまでの最高難易度のダンジョンの最深部に相当する高難度の、何階層あるかも公開されていない、そんなダンジョンであることが発覚する。
これははっきり言って、本当にクリアできるかどうかは不透明だ。
これは本当、難易度がどうのこうの以上に、クリアするための条件があるかも怪しい――何といっても、ランダムで生成されているダンジョン“ではない”という保証がないのだ。
『一つ。七人の天使の名を冠した、宝具を集め……中央の神殿に捧げよ。すれば七人の天使は降臨し、奴らが妾を打ち滅ぼす』
これもまた、彼女の存在同様に。このゲームの公式ストーリーに沿った話だ。
彼女の言う宝具とは世界唯一のアイテム――ユニークアイテムと呼ばれるそれは何れも、強力なアイテムであり――そしてその殆どが脆く、数回使えば壊れてしまうという。
……こればっかりは、手に入れたプレイヤーの良心と理性を信じるしかない。
『一つ。高みに達した者が天使に転生することにより、世界は新たに書き換えられ……汝らは解放される』
これは公式設定というか。公式設定という運命を書き換える……そんな意味合いを持っているように聞こえた。
これだとかなりわかりにくい言い方だが、これはプレイヤーのうち誰か一人でも、高み――最高レベルであるレベル100に達したプレイヤーが、転生――天使という職業に転職するということだ。
しかしながら、古参のプレイヤー曰く、最高の僅かな睡眠と食事などといった生理現象を解消する以外は常時戦闘しているという、普通のプレイヤーから見れば気が狂っているとしか思えない廃人でもレベル80台に入った途端、頭打ちになるとのこと。
デスペナルティが1レベル下がる、という仕様も、このクエストの難易度を上げていた。
――後に発覚することだが、レベル90以上からは必要経験点が“前のレベルの必要経験点の2倍”に変更されており、その上天使となるために突破しなければならないダンジョンにはアスタロトによりレベルドレインモンスターが配置されたという。
これもまた、アスタロトの打倒同様に……事実上クリア不可能なクエストだと言っていいだろう。
『最後の一つ……ある意味では最も簡単かも知れぬ。7人の“魔王”を殺すがいい』
7人の“魔王”。これも、公式ストーリーに関わる存在だ。
アスタロトは、自らの力の複製を込めた宝石を、7人の人間に埋め込む。宝石を埋め込まれた人間は異形の魔人と化し……人々を絶望へと叩き込む“魔王”となる。
そして“魔王”というバックアップがある限り、彼女はいくらでも復活できる。誰も彼女を殺すことはできない。
だからプレイヤー扮する冒険者たちは、この“魔王”を倒すのを第一の目標とするのだが……。
「おい、待てよ。“魔王”実装は来週だろ。いないものをどうやって倒せと?」
誰かが指摘したそれについては、大規模アップデートとして公式サイトやログイン画面で告知されていたから、このゲームを始めたばかりの僕にもわかった。
この“魔王”は、ストーリーには存在しているが、データ的にはまだ未実装のボスキャラクターだ。
現時点では存在しない。
――それをどうやって殺せと? 何を以って、これが一番簡単だと?
誰もが思ったであろう、その疑問に対する回答はすぐさま、明確かつ残酷なものが返ってきた。
『汝らから無作為に7名の“魔王”を選ぶ――彼らを全員殺すことで、妾を間接的に殺すことができ、汝らは解放される』
実にわかりやすい、シンプルなルール。
ただし、コンピュータRPGでは定番のわかりやすいボスの称号を与えられたものの……中身は他のプレイヤーと同じく、現実から隔離されたプレイヤーたちだ。
それを殺せという
『手段は問わない。魔物どもに殺させても殺害したと扱われる。ただし“魔王”の戦いにおいては、妾との戦いと同様に……敗北は死となる』
通常のデスペナルティは、レベルが1下がるだけ。
でもこの“魔王”と、“魔王”と戦うプレイヤーの場合は違うとのこと。HPが0になった時点で、死ぬ――という話だ。
『これより妾が選んだ、“魔王”の姿を映す』
この選択肢の難易度については言うまでもないだろう。
どんなに高レベルのプレイヤーが選ばれたとしても、“魔王”に選ばれなかったプレイヤーの総数を考えれば……同レベル帯以上のプレイヤーなんていくらでもいる。
何といっても、目標の名前と顔の外見データが公開されている以上……“目に見える”のだ。
――たった7人の犠牲で、確実に帰れる。
――たった7人の生贄を悪魔に捧げることで、元の現実に戻れる。
ゲームよりも現実を優先する者にとっては。彼らの殺害こそが、世界からの脱出への一番の近道ではあるのだ。
人を殺すことへの抵抗とか、倫理的な問題を除けば――“難易度は最も低い”。それについては、アスタロトが言う通りだろう。
『この7名が、汝らが殺すべき“魔王”である』
プレイヤー全員の眼前に、新たにウィンドウが開かれる。
ウィンドウには7名の、プレイヤーのバストアップと名前が映し出されている。
――赤茶色の髪を持つ鎧を着込んだ20代前半の男。
――黒い長髪の、端正な顔立ちの10代後半から20代前半の青年。
――垂れ目の優しそうな、20代後半と思しき銀髪の男性。
――真紅のロングヘアの、10代にも20代にも見える、派手な美女。
――跳ねた青い髪が特徴的な、中学生くらいの可愛らしい少年。
――茶色の尖った髪を持つ、見覚えのある少年。
チュートリアルの場所を教えてくれた少年の姿を見て驚きながらも、さらに下、最後の一人の姿と名前を確認する。
「え……?」
そこには――金髪の、中性的な少年の姿が映し出されていて、ユーリという名前が併記されている。
「何だよ、これ……一体、どうなって……!?」
“魔王”として公開された、自分の名前と姿。
それを食い入るように見ていたところで……ふと気付く。
「……」
知り合ったばかりの、4人の視線が、僕へと突き刺さっていることに。
彼らはただ、黙って僕を見ているだけで。
それにどんな感情が混じっていたのかは、わからない。
「何で皆、そんな目で見てるの……?」
それでも、頭が混乱していた僕には――彼らの視線がとてつもなく不気味なもののように思えた。
「おい、ユーリって……あいつじゃないのか……?」
「うわ、本当だ」
暫くすると彼らだけではなく、その周囲からも――無数の視線のナイフが僕の全身に突きつけられ、ざわざわと騒ぎが大きくなっていく。
「――あいつを殺せばいい、ってことか?」
「転職したばかりのアーチャーだし、取り囲めば……」
仕舞いには、そんな声まで聞こえてくる。
「っ……!」
僕は何もしていない。
突然選ばれて、何が何だかわからない。
そんな僕を殺そうとしている人がいる。
それも沢山。沢山。
沢山の人が、僕を殺そうとしている。
「どいてっ!」
そのことに気付いた瞬間、僕は――その場から、仲間だった人たちを無理矢理突き飛ばして……逃げ出した。捕まえろ、とか、追いかけろ、とかそんな声も聞こえてきた気もしたけれど。振り向く余裕なんてのは、その時の僕にはなかった。
逃げて逃げて、とにかく逃げて。
疲れ果てて意識を失う寸前になるまで……ずっと、逃げ続けた。