木々のざわめきすら聞こえぬ静かな森の中、僕は息を殺して身を潜めながら、弓をあるモンスターへと向けていた。
そのモンスターは、見た目上では小さくて愛らしい、長い耳を持つ小動物……普通のウサギと大して変わらない形をしている。サイズもごく普通のウサギと同様だろう。学年持ち回り当番制で世話をしていた小学校の頃の記憶が間違っていなければ、だけど。
しかしそのモンスターがどれだけ恐ろしいのか、僕は知っている。
ヴォーパル・バニー。基本的な性能は低レベル用のウサギ型モンスターと大差ない。しかしそれは、恐るべき、僕たちにとっては正しく致命的な特殊能力を持っているのだ。
――攻撃が当たると、中確率でHPが自動的に0になることがある。
他にもHPを0にしてくるモンスターはいるが、いずれも殆ど発動しない低確率。それと比べるとこいつの即死効果の発動率は遥かに高く、全モンスター中最も高いとされている。
HPが0になることは死を意味する僕たちにとって、これ以上に恐ろしいモンスターが、果たしているだろうか?
回避能力には自信があるが、クリティカルされたら即死効果が自動的に発動する。故にこれを狩るには、遠距離からの狙撃以外の手段はない。
慎重に慎重を重ね、矢を放つタイミングを見計らう。
その間、心臓はどくどくと高鳴り、背中には嫌に冷たい汗が流れ続けている。早く終わらせたいという気持ちと、この場から逃げたしたいという気持ちを押さえつけて、一瞬のチャンスだけをひたすら待つ。
――そして、その時は来た。
「……っ! 今だ!」
ウサギがこちらに対して背を向けた、そのタイミングで……矢を放つ!
矢は、吸い込まれるかのようにウサギの後頭部を穿ち――ウサギのその体が光に包み込まれ、崩れ去っていくのを見て、僕は。
「よしっ!」
小さく、ガッツポーズした。
とりあえず周囲にモンスターがいないことを確認して、ウィンドウを開く。そして戦利品を確認した後……僕は現実を思い出し、溜息を吐いた。
「これで3匹目か……あと半分……」
僕がこんな危険なモンスターを狩っているのには理由があった。
確かラケシスあたりだったろうか。例の、反転の木の実の一件についての謝罪について……『誠意を示して欲しい』と言い出したのは。
その誠意というのが、ヴォーパル・バニーが必ず落とすドロップアイテム。首切りウサギの肉、だ。
僕は実際に食べたことはないけれど、何か焼いて食べるとすごく美味しいらしく――それを食わせろ、という話だ。
当然、食料アイテムをみんなで分けて食べることは無理なので……6人分調達しなければならない。命がけで。
「まあ、狙撃さえ成功すれば大したことはない敵なんだけどね……」
2回目の狙撃で、外した時は焦った焦った。向こうの攻撃は当たらないとは思うけれど、やっぱり怖いものは怖い。
「うー。三食一晩の罰ゲームとしてはちょっとリスクが高すぎるよなあ。労力云々以上に、心臓に悪いよこれ……」
ぼやきながらも手に入れたウサギ肉を納品するためにに倉庫ウィンドウを開くと、物凄い勢いで外見変化系のアイテムが増えている。誰が集めたのかは、確認しなくてもわかる。
「あの二人か……」
……この特定用途アイテムの集まり具合だけでも、レオンハルトとノアがいかに効率のいい狩りをしているかが、よくわかる。ついでに自分の効率の悪さもよくわかる。
しかし職業の特性というものもあるし、ゲームそのものの経験の差というものは相変わらず大きい。この状況では外部にある攻略情報を閲覧するのもできないし、こればっかりは経験を詰んで慣れるしかないんだろうか。
『うひゃー……こんだけありゃ、生活レベルが飛躍的に向上しそうだな』
同じタイミングで、キールも倉庫を開けたらしい。そんな声が聞こえてきた。
『まあ、他のプレイヤーにバレない程度に……気をつけて使わないとね』
『あはは、ユーリさんにだけは言われたくないですよー?』
メルキセデクがけらけらと笑いながら言い放った台詞が、僕の臓腑を抉る。
当分はこのネタでからかわれたり弄られたりしそうだ……自業自得だからしょうがないとはいえ、じわじわと削られるのは意外と辛い。何だか毒のダメージを受け続けているような気分になる。
旧来のRPGだと、毒なんてのは大したことはないステータス異常だったけれど、ヴァーチャルリアリティタイプのゲーム内では減るHPに応じて体に苦痛が入るので割ときついんだよなあ。データ的にではなく、精神的に……。
とりあえず追撃が来る前に、話題を逸らそう。そうしよう。
『そういやキール、転職どうするの?』
これだけ外見変化アイテムが手に入ればキールの転職も容易になる。だからそろそろ、どの職業になるかは決めておいて損はないはずだ。
『んー。どうするかねえ。商人ってのは無駄に幅が広いからなあ……』
確かに本人が自己申告している通り、マーチャントから転職できる二次職というのは多岐に渡る。
『戦闘能力も、ある程度あったほうがいいんじゃないかしら?』
『そうだね。せめて移動速度向上系のスキルは欲しいかな……』
ラケシスとファーテルはそう言うが。
『町に潜伏を続けるなら生産職というのもありだと思うんですけれどね……。専門職が作らないと手に入らないアイテムとかも少なくないですし』
『商人に限らず非戦闘職からなれる戦闘系寄りの職業というと、中途半端になりがちだからな。器用貧乏になるくらいなら、特化した方がいいかもしれない』
メルキセデクとノアは生産職を推す。
『んー。難しいところよねえ……』
『とはいえ、今後の戦略にも影響が出るからな』
レオンハルトの言う通り、この選択は非常に重要だ。今後の方針を決めるということは、僕たち全員の命がかかるのだから。
とはいえ、本人の意思というものを無視してもいけないだろう。最終的に決めるのはキールなのだから。
『キール本人としては、どっち寄り?』
とりあえず本人の希望について質問してみたものの。
『俺の趣味に走ると、もれなくギャンブラー』
『はい却下』
本人以外の全員から二秒と待たずうちに却下された。ある意味予定調和な気がしないでもないけれど。
『何だよ! 本人の第一希望無視かよ!』
『遊び人を養う余裕は、ウチにはありません!』
ギャンブラーというのは、やや戦闘職よりの商人派生クラスで、全く役に立たないとまでは言わないが……かなりリアルラックも含めた運が問われる職業である。
普通のパーティならいざ知らず、僕たちは立場が立場。更に言えば、キールだけじゃなく僕たち全員のリアルラックが最悪の部類なのは……こんなことになっている以上、確定的に明らか。
それを踏まえつつ、ギャンブラーを選択するというのは……はっきり言って、数ある選択肢の中でも最悪なものだと思う。
『その辺は俺もわかっているんだよ。だから迷っているわけでさあ』
まあ、こればっかりは、無理強いをする訳にはいかないから彼が決めるのを待つしかない。
流石に、全員に真っ向から否定されたギャンブラーだけは、いくらキールでも選ばないと思うけれど……。
『でもやっぱり、男に生まれたからには……命を賭けた博打はロマンだよなあ』
……って、全然諦めてなかった!
ああもう、どうすればいいんだこいつは!
『キール……それだけはやるなよ、絶対やるなよ』
つい先日私利私欲に走った僕が言うのも何だけど、何も言わないよりはマシだろう。
『……それは……ギャンブラーになれという前フリと受け取るけど、本当にいいのか?』
『駄目だって!』
真面目に言ったことをギャグと捉えるなこの野郎?!
『本気で考えろ、キール。俺たちだって、いつまでこうして……無事でいられるかわからないんだぞ』
レオンハルトが溜息混じりにキールを諌める。その声には重みの他に、どこか疲れのようなものが含まれていた。
『このゲームのルールについて、俺たちには知らされていないことが多すぎる』
ルールはアスタロトが一方的に知らせてくる。しかも意地が悪いことに、彼女はわざと時期をずらして新しいルールについての説明を行なったりもするのだ。
まだまだ、僕たちが知らない秘密が隠されていると……見ていいだろう。
『このまま、何も知らないままでは……何もできずに全滅しかねない』
レオンハルトの言う通り、守りに入ったままという現状は、極めて不味いものだろう。
暗中模索のまま、ただ必死に保身にひた走る。それだけでは状況は一向に改善しない。
今の僕たちは、例えるならば――将棋やチェスでいえば駒の動かし方もままならぬまま、ポーカーなどのカードゲームで言えば役も知らぬまま、無理矢理にゲームをさせられているようなもの。
しかもそんなゲームには自分の命が賭けられている、ときている。
そして自分の死が仲間の、ひいては他のプレイヤーたちの命を危険に晒す可能性もある――それはまさしく、悪魔のゲームと呼ぶに相応しいだろう。