「ふうん……? ロングボウでどうやって、こっちに勝つつもりかしら?」
案の定というか何というか。彼女は僕の取った行動を鼻で笑いながら、ゆっくりと歩み寄って来る。
マントの性能で絶対的な優位に立っているのだ、余裕も油断も出てくるのは当然だろう。
――でも、その慢心が命取り。
それを教えてやろう、と僕は赤い鏃を持つ矢を手に取り……それを彼女に向けて放った。
「だから、それは通用しな――」
先ほどと同じく、女聖騎士はマントで矢を防ごうとする。
しかしその矢が当たった瞬間……防いだはずの矢の鏃が熱を帯び……外套に火が付く。
「な、何っ!?」
属性付属の矢――弓矢による攻撃に地水火風のうち、任意の属性を付加することができるアイテムだ。
どうしても刺突系のダメージソースばかりになってしまう弓手系キャラクターへの救済処置とでも言うべきアイテムだ。
ヴァーチャルリアリティかどうか関係なく、MMORPGでは定番のアイテムの一つと言えるだろう。
しかしながらこのゲームのそれ系のアイテムはクロスボウによる攻撃では使えない上、使い捨て。作るのにも材料と手間がかかる。
僕としてはできる限り使いたくなかったアイテムだが……この状況ではそんなことも言ってられない。
「こ、このっ……!」
「どうやら……そっちもそっちで、予習不足だったようだね」
感情を極力排した声で、冷たく言い放ちながら……次の矢を番える。
燃え盛るマントを外すのに手間取り、無防備に近い彼女に対し、地の属性を宿した3本の矢を撃ち放つ。
「ぁ……っ!?」
ジャンヌは小さな悲鳴をあげて、得物の蛇腹剣を手から落としてしまう。
彼女の利き手の甲を、僕の放った矢が――鎧の装甲ごと貫通したためだ。
しかも、それだけでは終わらない。この地属性の力を封じ込めた矢による攻撃は、致死性ではないが毒の効果を持っている。
彼女の体を穿った利き手と左脚、そして左肩にできた傷は瞬く間に化膿し、それは一瞬にして広がっていく。
「くっ……」
戦闘を続行する上で重要なパーツである利き手を脚を傷と毒に侵されたことで、流石に不利を悟ったらしい。
彼女は舌打ちしながらも、逃走するべくこちらに背を向ける。
負ければ命はない、引き際が肝心、ということは彼女もわかっていたのだろうけれど――それには少し、機を逸していた。
きっと、“粛清”以前の僕なら。彼女が逃げたことで満足して、見逃していただろう。
けれど、今の僕は躊躇せず……逃げる彼女の背に弓を向けることができていた。
「させるかっ!」
足元に2本、水属性の矢を打ち込み、彼女の足を大地へと縫いつけ――さらに凍らせる。
「あう……っ!」
接近戦を得意とする者にとって、足を完全に封じられるのは致命傷。
同じ接近戦型にやられたならまだしも、僕のような遠距離戦を得意とする敵にそれをやられれば、死亡宣告も同然だ。
「そ、そんな……」
完全に形勢は逆転。大勢は決まった。
僕は武器をクロスボウに変え、彼女の頭へと向ける。とどめを刺すために。
「さて、と――言い残すことはある?」
口から飛び出したのは……自分でも驚くくらいに、冷たい声。
「やだよ……」
ぽつりと、少女の口から漏れたのは。おそらくは――彼女の偽らざる、本音。
「やっぱり、あたし死にたくないっ……!」
嗚咽交じりのその台詞に、僕は自分でもわからないくらいの苛立ちを感じた。
「僕だって死にたくない。それなのに、君は僕を殺そうとしたじゃないかっ!」
殺せ、と頭の中で声がする。
――こんな身勝手な女を、生かす必要はないし理由もない。
僕に似たその声は優しく、残酷な内容を囁いてくる。
でも、確かにその通りだ。それにこの女を生かして逃がせば、また僕が襲われることはないとしても……戦闘能力は低いキール、自己強化で何とか生き延びているファーテル、強力な魔術師だが弱点も多いメルキセデクあたりに手を出す可能性がある。
そうなった時、襲われた“魔王”が、彼女を退けられるとは限らない。僕は何とかやり過ごせたけれど、彼らが同じようにどうにかできるとは断言することができない。
一人死ねば皆死ぬ――そんな可能性がある以上、不安要素の芽は気がついたらすぐに摘まなければならない。
「助けてよ……お父さん、お母さん……」
彼女の口からうわ言が吐き出される。しかし僕は彼女に同情など、できなかった。
――この女は僕を殺そうとした。
だから、僕がこの女を手にかけても、誰も咎めやしない。
誰にも咎める権利はない。誰にも、僕を責める権利などありはしない……!
「そう……殺らなきゃ殺られる……!」
――これは、正当防衛なんだ。
クロスボウの引き金に、指の力を込め。その引き金を引こうとした。
この状況で外すわけがない。即ち、この女は死ぬ。
そのはずだったが、矢が放たれることはなかった。
「……助けて……夕樹」
彼女の末期の一言となるはずだった台詞を聞いて――僕は思わず、クロスボウをその場に落としてしまう。
「え……」
緊張の糸が切れ、恐怖心に耐え切れなくなって気を失った“ジャンヌ”が呼んだ名前は間違いなく……僕の本当の名前。
僕自身も忘れかけていた、もしかしたらもう二度と呼ばれることのない、本当の……。
「まさか……みなも……?」
おそらく、そうなんだろう。
彼女は僕たちをこのゲームに放り込んだのに自責の念を感じて、必死にレベルを上げて……“魔王”を殺そうとした。
そして彼女は……その殺すべき“魔王”が僕だということは、知らない。知る手段もないだろう。
顔立ちや名前をある程度似せてあるといっても……それだけで“ユーリ”の正体が“設楽夕樹”という人物であると確信するのは、極めて難しいはずだ。
「くそっ……」
現在の僕らを取り巻いている状況から、こうなることがあり得るのは、予想できるはずだった。
でも僕は、この可能性を脳裏から排除していた。いや、考えないようにしていた、と言ってもいいだろう。
――リアルの友人知人なら、絶対に悪魔のゲームに乗ったりなんかしない。
そんな浅はかな、子供じみた考えを基に、現実から目を逸らし続けていた。
けれど現実はどうだ。みなもは僕の命を狙ってきた。
何も知らなかったとはいえ、僕を殺そうとしてきた。
「……はは……あはははは……」
何がおかしいのか、自分でもわからない。それとも、どこか壊れてしまったのか。
気がついたら僕は、声を出して笑っていた。
現実世界のクラスメートだろうが何だろうが、僕たちを殺そうとするプレイヤーは躊躇なく殺すべきであり、そのほうが安全なのは動かない――絶対的な事実。
しかし、ここで彼女に手を下したら……現実の世界に帰れたとしても、僕が取り戻そうとしている日常は失われる。
脳裏に、あの魔女の笑い声が響き渡る。これもまた……彼女が望んで、作り出した展開なのだろうか?
「おかしいな。覚悟は、決めたはずなのに……」
笑い続けながらも、落としたクロスボウを拾い、もう一度それを彼女の頭に向ける。
僕は人を殺している。だから、もう引き返せない。
ここで、現実のクラスメートだからというまったくの私的な理由で彼女を助けることは、これまで殺してきた他のプレイヤーに失礼であり、その死を愚弄しているも同然だろう。
そう。僕たちは私情を殺して、敵対してくる相手は極力殺害しなければならない。
「どうして……こんなことに……なったんだろう?」
それでも僕は、彼女に向けた機械弓の引き金を……なかなか引けないでいた。
そんな状況で、脳裏によぎるのは……もう10年以上前の思い出。
彼女と出会った時――小学校の入学式で起きた、ちょっとした事件だった。
一般的に入学式といえば桜が連想されるものだが、僕たちが暮らしているのは南部とはいえ東北の山奥。まだ雪が残っているくらいで、桜の季節には程遠かった。
入学式に来たのは、殆どが両親揃ってか、母親だけで……父親だけが見に来ているのは僕一人だった。
父さんがちゃんと来てくれたのはうれしかったけれど、他の子供たちにはそれがとても……奇異に映ったのだろう。
ある程度自由にできる時間が来ると、早速質問攻めにあった。
「なんでおまえのところ、パパだけきてるのさ?」
「へんなのー」
それは多分、他の皆にとっては……純粋に、疑問だっただけなんだろう。
けれど、当時の僕は……そこまで察することができる余裕もなければ、うまく説明するだけの頭も回らなかった。
「う……」
皆にバカにされているようで悔しくて、母親に捨てられたという事実が悲しくて。
思わず泣き出しそうになっていた……そんな時。
「やめなさいよっ!」
と、僕を庇うように立ったのが、みなもだった。
「きっと、ゆーきくんのいえには、ママがこれないりゆうってのがあるのよ」
彼女のその一言で、僕の周囲に集まってきた子供たちが散っていく。
そして彼女はそれを確認すると、安堵の表情を浮かべていた僕へと手を差し伸べてきた。
「だいじょうぶ?」
「うん……」
おずおずと頷く。
幼稚園とか保育園には行かずに祖父母に世話してもらっていたし、時折集まる親戚は同世代の子供たちも男ばっかりだったから――同年代の女の子と面と向かって話すのは、これが初めてだった。
「おかあさんはなんのしごとしてるの?」
「いや、しごと……じゃないんだ」
僕は少し、
「うちは、おかあさんいないから」
「……え」
「ずっとまえに、でていっちゃったんだ……おとうさんとけんかして」
まあ、それで大体の事情は伝わったのだろう。みなもは神妙な表情を浮かべて、何事かを考え込み始めた。
「じゃあ、あたしがあんたのおかあさんのかわりになったげる」
「おかあさんのかわり?」
僕は首をかしげて……。
「それってうちのおとうさんと“けっこん”するってこと?」
そんな特大ホームラン級のマジボケを、真顔でかました。
「ち、ちがうわよバカ! いっしょにいてあげるってこと!」
彼女は顔を真っ赤にしながら、ごつん、と頭に拳骨してきて……当時はあまり殴られたこともなかった僕が反射的に泣き出して、彼女が慌てて謝って……。
出会いはまあ、そんな感じだったはずだ。
僕が非常に情けないことを除けば、まあ……ありふれたものだった、と思う。
でも、僕が小さな頃、例の母親が出て行った時からずっと抱えていた人見知りが大幅に改善したのは、間違いなく彼女がこの時助けてくれて、手を差し伸べてくれたのがきっかけだった。
だから、彼女にはすごく感謝している。恩人と言っていいだろう。
そして今僕は、現実における恩人の少女を――非現実の世界で、殺そうとしているのだ。
「みなもの……持ち前の気質が、災いしたんだろうな……」
みなもという少女は、学校においても私生活ムードメーカー兼トラブルメーカーというかなんというか……いつも、何らかの形で話題や騒ぎの中心にいる人物というイメージがある。
率先して悪戯とかそういうことをやって先生や親御さんを始めとした大人たちを困らせる一方で、大きなイベントとか何か問題が起きた時はすぐにまとめ役に自分から進んで立候補できる……良くも悪くもリーダーシップがあった。
そして、まとめ役とか代表になった時は誰よりも真剣に取り組んでくれる……責任感も人一倍強い、人間だ。
そんな彼女だったから、ゲームを始めてすぐに閉じ込められた初心者であったにも関わらず、“魔王”を殺して脱出する、という目標に邁進できたのだろう。
――弱音や恐怖心を、無理矢理押さえつけながら。
このゲームに閉じ込められた数十万人のプレイヤーの中にも、そこまでできる人間は殆どいないだろう。
「くっ……」
現実のものとは似ても似つかない、気絶したままの彼女の顔へと機械弓を向けては、外し。それを何度も、何度も繰り返す。
誰が相手でも殺すという覚悟は決めているつもりだったが、こうして想定外の出来事に出くわすと、自分の甘さと精神力の弱さを痛感せざるを得ない。
「どうして、よりにもよって……僕のことを狙ったんだよ……」
苦々しく吐き捨てるが、意識を失っている彼女は返事を返さない。
襲ってきたのが彼女でなければ、こんな気分にはならず、躊躇いなく引き金を引くことができただろう。
――僕は後になって懺悔はすることがあっても、人を殺すそのときはとても冷静でいられる人間だから。
彼女が襲ったのが僕でなければ、真実など何も知らぬまま、……早かれ遅かれ命を落としていただろう。
――僕に敗北した彼女が、僕なんかよりもずっと強いレオンハルトやノアに勝てる訳がないだろうから。
でも、僕たちはこうして……おそらく、“お互いにとって最悪”と言っていいであろう形で、再会してしまった。