「ふう……」
深い深い、緑の影と木漏れ日に彩られた森の中。
僕はそんな森の中、人間数人が登っても折れそうにないくらいの太い枝の上に長弓を持って立ち――溜息を吐いていた。
視線の先には、先程遭遇して撒いたプレイヤー数人が、きょろきょろと辺りを見渡している姿があった。
聞こえる会話から察するに、僕を探しているであろう彼らを見下ろしながら。ただじっと、樹の上で“その時”を待つ。
「そろそろ、か……」
ぽつり、と。自分にしか聞こえないほどに小さな声でそう呟くと、ほぼ同時に……白い虎が草むらの中から突如躍り出て、プレイヤーたちへと襲い掛かる!
「うわぁっ?!」
「くそっ、ボスが涌く場所に来ちまったか……!」
時間涌きタイプのボスモンスター、ホワイトタイガー。
1時間に1回発生するように設定された、この巨体を持つ白虎は、周辺にいる他のモンスターなど比べ物にならない強さを持っている。
僕の場合、一対一では絶対に勝てない相手、と言っていいだろう。
いつもであれば、こいつが視界に入っただけで即座に離れようとするところだ。僕たちは他のプレイヤーと違って、モンスター相手でもHPが0になったらおしまいなのだから。
けれど、強力なモンスターは……うまく利用すれば、こちらにとっての“武器”となり得る。僕がこうして、隠れながらタイミングを伺っているのも……モンスターを利用した戦術のためだ。
「陣形を整えろ! この人数なら集団でかかれば何とかなるはずだ!」
パーティのリーダー格らしき、魔術師が叫ぶ。
このパーティはどうやら、何らかの形で以前から組んでいたのか……随分とチームワークがいい。即座に前衛が白虎から後衛を庇うように立ち、後衛は前衛から離れたところで呪文の詠唱や支援を開始する。
――だからこそ、僕もマトモに相手せず逃げて、“別の方法”に切り替えた訳だけれど。
とはいえホワイトタイガーも、かなりの強さを誇るモンスターだ。スピードはこのあたりのモンスターとしては少し高い程度だけど、攻撃力、防御力、HPがずば抜けている。
おそらく、スペック上は互角――五分五分の勝負を決めるのは、運くらいなものだろう。
「もっとも……“勝負は決まらない”んだけれどね」
お互い消耗してボロボロになっているのを見計らって僕は……矢を数本、引き絞る。
――狙いはホワイトタイガーと、プレイヤーパーティの前衛。
矢はあっさりと急所を射抜いて、ホワイトタイガーの咆哮とプレイヤーの断末魔の絶叫が耳を貫く。
そして、共にHPが0になった彼らの体の崩壊が、ほぼ同時に始まり……残された者たちが慌てだす。
「なっ……!? まさか!?」
「は、早く逃げないと!?」
こちらの奇襲に気付きながらも、すっかり青ざめて――いわゆる恐慌状態に陥った後衛を、これまた弓矢で狙い撃ちにしていく。
彼らの体も、やはり光に包まれて……崩れていく。
「……っ……はぁ……」
その場にいた全員を殺害した後、手で口を抑え、立っていた枝の上に座り込む。
“粛清”というルールの存在が発覚したあの日から、既に一週間が過ぎている。
――あれから僕は、何人ものプレイヤーを……つまりは人を殺した。
戦闘中は冷静に対処している、いや“できている”が、後から吐き気や自己嫌悪がこみ上げてくる。
殺し合いの間は形振り構う余裕がない分、後から一気に、まとめてクるのかもしれない。
それとも、僕がもともと、こういう二面性を持った人間だったということかもしれない。
とはいえ、僕は心理学とかそういうのの心得なんかないし、自分を客観視できる人間じゃないから、考えたところで答えが出る訳はないけれど。
「改めて数字を見るとやっぱり……かなり、死んでいるな」
データベースの生存者数をチェックし、そこから逆算するに。すでに1500人の人間が命を落としている。
うち1000人は“粛清”によるものだが、それ以外は僕たちが……何らかの手段で殺したプレイヤーだ。
“粛清”以降、僕たちに挑むプレイヤーは一気に増大している。その上に、僕たちの多くも挑んでくる相手を殺すという方針に切り替えているためため、“粛清”以前と比べてプレイヤーが死ぬペースは倍増と言っていいほどに増えていた。
それだけ“粛清”の効果は大きかった、ってことなのだろう。
といっても、僕たちと比べてレベルがずっと低い……つまり、タイムリミットが短いプレイヤーが煽られ、命を散らしているというケースが大部分だ。
逆に大手ギルドのメンバーや、高レベルのプレイヤーは僕たちに関わらないようにしているケースが多い。
彼らは何か考えがあってそう動いているんだろうけれど……連絡もギルド単位とかで行なっているだろうから、何を考えているのか伝わってこない分、こちらとしては不気味なことこの上ない。
「さてと……」
樹上から降りて、まずは一度、現在の拠点にしている洞窟へと戻って休憩することにした。
道中で、木の実をいくつか採取して、食事も準備はしておく。
『あー。何か根本的解決になりそうな方法とかってないもんかねえ』
未だに慣れない果実の甘さに顔を顰めていたところで、キールのそんな言葉が脳裏に響き渡る。
『アスタロトがどうやって、プレイヤーを殺害しているのかわかれば……何か対策とか考案して、他のプレイヤーを攻略に専念させることができるかもしれないですけれど』
『対策云々は内側からどうにかできる方法があれば、の話だけどなー』
『それはそうなんですけれどね……まあ、考えてみるくらいはしてみてもいいじゃないですか』
確かに、色々と可能性を考えることは悪いことではないはずだ。
ひょんなことから、意外な解決策が見つかる……というのは、こういう危機的状況じゃなくて、日常生活とかでもよくあることだし。
『まず、このゲームに閉じ込められている間は、現実世界における僕たちの体は植物人間状態なのは……ほぼ確定と見ていいでしょうね』
『まあ、意識がこっちにあって戻れない状態だから、脳死に近い状態だろうな。そこから一体どうやって完全に殺すのかが問題になるのか……』
とりあえず僕は、プレイヤーの殺害方法という話を聞いて、真っ先に思いついたのを出してみた。
『体内に埋め込んだ端末から高圧電流を流し込んで、神経とかを焼き切るとか……』
僕たち――というか現在の日本国民の大部分の体内には、全員マイクロチップを始めとした色々な端末が埋め込まれている。
これは日本だけでなく、先進国と呼ばれる国では人口の大部分が行なっている処置だ。
お年寄りだとこういう体の中に何かを入れるという技術そのものに難色を示す人が多いし、うちの地元くらいのド田舎だと親の世代くらいでもやっていない人も少なくなかったけれど……それでも僕らの世代くらいになると全員が端末を埋め込んでいる。
まあ、導入の度合いはさておき、この端末を使うことで……様々なサービスを受けることができ、ヴァーチャルリアリティもこの端末を使った技術の一つだ。
それを踏まえれば、殺害手段としては一番安定して使えるのではないかと思うんだけれど。
『うーん。それについては……悪く言えば誰でも考え付くアイディアだから、色々と対策とかされていると思うんだよね。クラッカーに悪用されたら大変だし』
正直、僕も言いながらそう思った。
端末については国とかが管理する代物であり、厳重なプロテクトが敷かれている……はずなのだ。
『とはいえ……僕たちを閉じ込めている手段は、端末経由でしょうから。
端末に施されているプロテクトを突破することはアスタロトにとって……簡単とまでは言わなくとも、可能なのでは?』
『どうなんだろうね。ハッキングとかの知識がないことには、それ以上のことについては何とも言えないな……』
僕が出した説については、これ以上の発展がなさそうだ。
『他にありそうなのは……そうだな。ゲーム機本体に何か仕込んであるとかは?
脳みそを完全に破壊するような電磁波が出るとか、感電死させる機能があるとか……』
『それはない』
キールの出した説を、レオンハルトがきっぱりと否定する。
『このゲームは……というかヴァーチャルリアリティタイプのMMOは殆どがマルチプラットフォームだ。
そして現在、ヴァーチャルリアリティ対応のゲームハードは乱立状態……戦国時代と言ってもいいくらいに、あちこちのメーカーが乱発している。
仮に、ある会社のハードウェアに何かしら悪用できる機能があったとしても、他社のハードウェアを使っているプレイヤーには関係ない話だ』
『ですよねー』
こうしてキールが思いついた“ゲームのハードウェアに仕掛け”説はあっさり反証された。
まあ、接続状態の維持についても端末のほうでどうにかしているんだろう。
『んでー? そういうレオンハルト様はどんな仕組みで殺していると思うんですかー?』
とはいえ、あっさり否定されたのはそれはそれで気に食わないのか。キールがレオンハルトを挑発するような態度を取る。
最近のキールは、感情的なだけではなく攻撃的なところがある。ストレスが溜まっているけれど、その立場上僕たちと違ってぶつける相手もいないため、発散しようにも発散できないのが原因だろう。
『そうだな。人体に悪影響のある音声とか映像とか……』
『おいおいおいおい、それはもっとねえだろ!?』
『いや、実例はあるよ』
レオンハルトの出した説をキールが即座に否定するが、ファーテルがレオンハルトのセコンドについた。
『1990年代後半に起きた、当時大人気だったアニメで起きた事件なんだけれど……激しく光を点滅させた映像を流したことで、視聴者のうち数百人の子供が体調不良を訴え、百人以上の子供が入院した』
『俺もそこから思いついた。リアルタイムで見ていたわけではないが、有名なエピソードだからな。学生連中なら親世代がちょうど、それの視聴者の世代じゃないのか?』
どうやら……僕が生まれてもいない時代に起きた事件のようだ。少なくとも、僕は聞いたことがない。
『これらをわざと悪用すれば――人間の脳を破壊することもできるかもしれない』
僕たちは専門家じゃないから、詳しいことは知らない。それについては、この説を考えたレオンハルトも同じだろう。
だからこそ、かもしれない、という“可能性”に怯えなければいけない。完全に否定するための根拠がないのだから。
『まあ、ハードウェアでどうこうするというのが難しい以上、ソフトウェア側から何らかの干渉を行なうことで殺す、というのは確実だろうとは思うけれどね』
『似たようなものだと……感覚フィードバックを悪用したショック死、というものも考えられますね。
ゲームには苦痛とかのリミッターはついているけれど、端末経由でハッキングできる技術があるのであれば外せそうなものですし……』
『感覚フィードバック……それだ!』
キールが何か閃いたらしい。
『快感を大量にフィードバックして、腎虚にするんだよ! 快感の類なら外部からも阻害しにくいし!』
数秒間の沈黙が流れ。
『アホかお前ー!?』
『そんな訳ないでしょう!?』
『思いっきり下ネタじゃない! やめなさいよそういうの!』
僕とメルキセデク、ラケシスからほぼ同時にツッコミが入り。レオンハルトが盛大に溜息を吐くのが聞こえた。
『いや真面目な話、アスタロトというのは元々愛とか美とかの女神であってだな。豊穣とか繁殖とかも司る神様なわけよ。
それを考えると、性的な快感による殺害というのはあり得るんじゃないかなと。マジでマジで』
何でこのキールという男は、そういう知識だけは無駄にあるんだろう。
『でもそれ……女性プレイヤーには、意味がないんじゃないかな。腎虚じゃ』
ファーテルの突っ込みで、この話については終わる……かと思いきや。
『いやいやいや、エロマンガとかにも女の子が、気持ちよすぎて死んじゃう、とか叫ぶシーンとかってあるじゃん!? だから女の子も快感で死ぬ可能性が!』
キールは僕の、いや僕らの予想以上に、アホの子だった。
『エロマンガを根拠にするなー!?』
『というか、いい加減エロから離れてください!』
僕たちのツッコミとは逆に、奴はますますヒートアップしていく。
『腹上死という死因がある以上、この件は真面目に考察すべきだ!
さっきのエロマンガのセリフは兎も角、極限まで気持ちよくすることで血圧を上げれば男女関係なく脳出血させることは可能と言えば可能だし……あり得ない話ではないはず!』
『実際に実現が可能かどうかはともかく、これが一番屈辱的な死に方だな……』
レオンハルトが言うとおり、確かにこれが死因なら成仏できそうにない。
現実でやることやって腹上死するならともかく、快感流し込まれてそれで死ぬっていうのは……。
しかもそうやってできた遺体を、司法解剖されて調べられた挙句、父親や友人に晒されるということまで考えると……それだけで、泣きたくなってくる。
ウチは父子家庭だからまだマシかもしれない。母親がいる普通の家とかだったら悲惨なことこの上ない。想像もしたくない。
……本当、どんな嫌がらせだよ。あの女ならやりかねないけど。
そんなことを考えて滅入っていた、そんな時だった。
『――今話している話は、アスタロトが本物の悪魔で、魔法を使ってどうこう、というのが真相だった場合……何の意味もないけれどな』
突然口を開いた、ノアの一言で場が凍る。
『お前なぁ……』
『事実だろう。それに俺は、自分たちを殺す手段を想像する趣味もなければ、そんな悪趣味な話を聞き続ける趣味もない』
また文句の一つでも垂れようとするキールを、ノアは先手必勝で制し、さらに続ける。
『そんな無意味な会話を垂れ流す暇があるなら、1匹でも多くのモンスターを倒したほうが有意義だ』
いつものように冷たい言葉ではあるものの、普段とは違い……かなり苛立っているように聞こえる。
大方……キールの言い出した下ネタあたりが、かなり気に障ったのだろうか?
キールとノアが一触即発になっている秘匿チャットの会話を聞きながらも、立ち上がる。
――何だか喉が渇いた。近くにある湖で水を調達してこよう。
そんな軽い気持ちで湖畔へと向かったが……そこには人の姿があった。
「っ……」
反射的に、息を呑む。
湖の畔に佇む、亜麻色の髪と青い瞳の、全身を鎧に包み込んだ美しい、まだ少女と言っていい若い女性。
その姿は、神話やそれを基にしたファンタジー作品において登場する戦乙女を連想させる。
彼女はまるで誰かを待ち構えるように、そこに佇んでいた。
「そこに、いるんでしょう?」
彼女は静かに、こちらへと視線を向ける。どうやら彼女は、僕がここに来るのを待っていたらしい。
目的なんてのは聞く必要もない。“魔王”以外のプレイヤーが僕たちに接触する理由は、一つだけだろう。
――やれやれ。一難去ってまた一難、か。
僕は半ば観念して、彼女の前へと姿を曝け出す。
「君は……」
分析眼によれば、プレイヤー名はジャンヌ。
クラスはパラディン――僧侶系魔法を使うこともできる戦士、器用貧乏なところはあるが、育てきればかなり強力なクラスだ。
レベルは僕よりも低いが、クラスの特性と武器の性質を考えれば、充分に僕を殺せるだけの実力者と言えるだろう。
「……“魔王”ユーリね?」
背中まで伸ばした彼女の髪が、風に揺れる。
サファイアを思わせる青の瞳は、真っ直ぐに僕の顔を見据え、睨みつけてきていた。
僕は一つ、溜息を吐きながら、彼女に向けた目を細める。
――他のプレイヤーたちはいつだって、僕たちの都合など考えてはくれない。
「そうだよ」
うんざりした声で答えると、彼女はすらりと腰に差した剣を鞘から抜き、その切っ先をこちらへと向けてきた。
「あたしは、あんたに個人的に恨みがあるわけじゃない……でも、あんたには死んでもらわなければならないの」
僕はその台詞を噛み締めるように、唇を強く噛んだ。
――恨みがある訳ではない。
――でも、“魔王”には死んでもらわなければならない。
――自分たちのために、大人しく殺されてくれ。
耳にタコができる、とはこのことだろう。一種の定型文のようにも聞こえる。
「はっきり言って……聞き飽きたよ、その手の台詞は」
突き放すように言い放つと、彼女は――。
「でしょうね。あなたたちにとっては、あたしも……数万人いる刺客の一人に過ぎないでしょうから」
そう言って、肩を竦めて苦笑を浮かべた。