「さてと……」
僕は僅かに集中し――“Sariel”のスキルの一つ、分析眼を起動する。
このスキルにより僕は、相手のクラスやレベルなどの基礎的なデータを読み取ることができる。肉眼の視界内に入っていることが使用条件なため、千里眼などとは組み合わせられないが……それでも、かなり便利なスキルの一つだ。
彼らはレベルが僕よりもずっと低く、僕にとっては幸いなことに……僧侶系キャラクターは一人もいない。戦士系と魔術師がそれぞれ2人、暗殺者が1人、といった構成だ。
「とはいえ……厄介といえばかなり厄介なんだけどね……」
暗殺者――盗賊系の上位クラスは僕が最も苦手とする相手だ。
こちらよりも足が速く、命中と回避に優れる彼らは……単純に攻撃力や防御力が高い、という戦士系のキャラクターよりも相性が悪い。
パーティが一つだったらその場から逃走するというのも手の一つではあるが、相手はそれを見越して、複数のパーティで取り囲んできているのだ。
「殺して……気付かれないうちに、包囲網の穴を突くしかないか」
相手が近付いてくるまでの間に、戦略を組み立てる。
流石に少人数とはいえパーティ相手の戦闘を、複数回できるほどの自信はない。
今、現在進行形で向かってくる陽動部隊から逃げても……彼らを逃がしても他のパーティが僕の動きに気付く。それはまずい。
一旦は千里眼ウィンドウを閉じ、ファーテルにもしもの時のための回復や支援魔法の依頼をして相手がこちらの攻撃範囲へと入ってくるのを待つ。
いよいよ近付いてくる相手に、僕はあえて……気付いていないようなそぶりを見せることにした。
――奇襲返し。
こちらの不意を討とうとする人間の、油断や慢心という名の不意を討つ。この場を突破するには、これしかないだろう。
心の中でカウントダウンする。そしてそのカウントがゼロになった時――。
「“魔王”、その首貰ったぁっ!」
ガサッ、と一際大きな音がしたかと思うと、プレイヤーたちが飛び出そうとしていた。
しかし、相手が草むらから躍り出て、こちらへと攻撃するよりも先に……僕は武器を装備していた。
僕が呼び出したのは、長弓でも十字弓でもなく……指に挟める、小さな短剣が3本。
このゲームにおいて武器を装備する際は、それぞれの武器の種別によって使用可能になるまでのディレイというものが異なる。
無数に存在する武器種別の中で、そのディレイが短いのは短剣系列だ。構えるための手間もそれほど大きくはない。
故に、僕が……油断させてからの不意打ちに使う武器は、投げナイフ一択となる。
――ヒュンッ!
風を切る音と共に利き腕が振るわれるのと同時に、3本の短剣が指から離れ――真っ直ぐに軌道を描く。
「……なっ!?」
ナイフはそれぞれ、重装備の騎士の――額、顔面、首に、まるで吸い込まれるように刺さり、貫き……3回分のダメージの表示が出たかと思うと、彼の体が驚愕の表情を浮かべたまま崩れ去っていく。
このゲームは、攻撃の命中箇所によってダメージに大きな補正がかかる。例えば、頭部への攻撃は、敵の攻撃力そのものが低くても一撃で致命傷になりかねない。
そう。狩人のスローイングダガー3本だけでも、重戦士キャラを殺すことが不可能ではないのが、このゲームなのだ。逆に言えばどんなに弱い相手の攻撃であっても、当たり所によっては致命傷となりかねない。
このシステムは本来、ヴァーチャルリアリティの特性を生かしつつバトルに緊張感を持たせるためのものだったのだろう。
しかしこのデスゲームにおいて、攻撃箇所によるダメージ変動システムは“魔王”と一般プレイヤーのお互いにとって恐るべきものと化している……。
「――まずは一人」
僕は静かに呟いた。
プレイヤーたちは信じられないものを見るかのような、見開いた目で、こちらを凝視している。
……どうせ、僕のことだから自分たちには手を出さずに逃走を図るとでも思っていたのだろう。
でもこっちだって、これまでと同じで済ませるという訳には行かなくなっている。
「悪いけれど、こちらも状況が変わった……向かってくるなら、死んでもらう。逃げるなら今のうちだよ?」
僕が冷たく言い放つと同時に――事態を把握したプレイヤーたちは散開、剣士と暗殺者が二手に別れ、魔術師二人が呪文の詠唱を開始する!
そして僕は、地面を思いっきり蹴り。暗殺者の方に向けて、跳んだ。
「バカがッ! 弓使いが近付いてくるとは……!」
暗殺者の男は、僕の行動を自殺行為だと認識し、嘲笑う。
射撃戦を得意とするキャラクターが、接近戦を得意とするキャラクターに近付く――それは確かに、危険極まりない行為だ。
だけど、その“一般的な認識”こそが……僕が付け入る隙を生じさせる。
敵の間合いに入り込むと、二刀が何度となく振るわれる。それを避け切るのは回避に力を入れている僕でも不可能だ。
だから、頭や重要な臓器がある位置を狙った攻撃だけを注意して避けながら、相手の隙を伺う。
戦士系ならともかく暗殺者の攻撃力なら、攻撃全部を回避する必要はなく、頭部や重要器官を狙った攻撃だけを回避すれば……耐久力の少ない僕でも耐え切ることができる。
当然、喰らった分のダメージは徐々に蓄積していくが、一撃でHPを根こそぎ持っていかれるような攻撃でもなければ、ファーテルに回復してもらうという手があるのだから心配は要らない。
『回復頼むっ、ついでに回避バッファも!』
『わかった!』
削られた僕の体力が見る見るうちに回復し、攻撃に対する反応速度も上がっていく。
「ちぃっ!」
この回復や支援魔法の効果は、エフェクトを見れば敵対する相手も確認することができる。
当然、こちらが回復し支援効果も受けたことに気が付いた暗殺者は舌打ちし、苛立ちを露わにしてきた。
気持ちはわからなくない。ファーテルの遠隔回復・支援能力は……僕たち以外のプレイヤーにとっては、腹立たしいことこの上ないだろう。
「この野郎……!」
苛立ちの叫びと共に振るわれた、首を薙ぐ必殺の一閃。
紙一重で全身を屈めてそれを回避し……その回避モーションの間にクロスボウを呼び出し、それを彼の首に向けて固定する。
「!?」
こちらの思わぬ行動に、目を白黒させる暗殺者。
この動きがアーチャーやハンターのスキルによるものであれば、彼も対策は練っていただろう。しかし彼は完全な形で虚を突かれ、致命的な隙を曝け出している。
何故ならばこれは、ゲーム側によって用意されたスキルなどではなく……回避力に優れたモンスターをソロで倒すために僕が自分自身で考えて編み出した技だ。
普通のプレイヤーであれば絶対にやらない無茶な行動であり、孤独な戦いを強いられたが故の苦肉の策。
敢えてスキルのような名前をつけるなら、ゼロレンジ・ショット、とでも呼ぶべきか。
矢の先が首につきそうなほどの零距離から引き金を引けば。いかにAGIやLUCが高かろうが、避ける術などない!
「ぐあぁっ!?」
暗殺者の首に、矢が突き刺さったその瞬間。クリティカルヒットを示す文字が宙に躍る。
次の瞬間、彼の体が光に包まれ……肉体を構成するポリゴンが、足元から崩壊し始める。
「う、あああああっ!? そんな、嫌だッ、死にたくないッ!?」
崩れながら彼は断末魔の悲鳴を上げる。
しかしそれを聞いてやる余裕なんかは、僕にはない。目に見える範囲だけでも、まだまだ敵はいるのだから。
「これで二人……」
呟きながらも地面を蹴ってその場から離脱する。それとほぼ同時に、無数のツタが地面から現れたが……それが僕を捕らえることはなかった。
この、植物による拘束を行なう“リーフバインド”は、特に素早いキャラクターを捕らえることを主眼に置いた、弱体化魔法――僕やノアのような足の速さが重要なキャラクターにとっては、非常に厄介な魔法だ。
しかし、狭い範囲かつ発動からの発生の遅いこの魔法は、発動後でも瞬時にスキルを発動してその場から飛びのけば回避は充分に可能ではあるのだ。普通のプレイヤーは僕たちに比べて必死じゃないから、発動したら回避を試そうともしないから、知らないだけで。
「次はお前だッ!」
そう叫んで、機械弓を剣士の方へと向ける。
「貴様ぁっ……!」
剣士は目の前で仲間二人が死んだことに、焦りと怒りのままに……こちらへと突っ込んで来た。
――どうやら……こちらの予想よりもずっと、相手の連携は余り宜しくないようだ。
剣士がフォーローに入るよりも先に暗殺者を殺すことができたことで、僕はそれを半ば確信していた。
彼が使っている武器……リーチが長い反面取り回しが効き辛いロングソードでも、普段からパーティを組んでいれば何らかのフォーローはできていたはず。
その時点で死人が出ており、こちらの予想外の行動に戸惑ったと言うこともあるだろうが……その辺を加味して考えたとしても、最初から仲間同士というパーティの動きではないというのは断言してよさそうだ。
十中八九、パーティ戦闘に慣れていないプレイヤーたちが街で人員を集めて、チーム分けをして組んだ即興パーティといったところだろう。
それは僕にとっては幸運だったが、彼らにとってはこの上ない不幸だろう。この選択ミスによって、既に二人のプレイヤーが死んでいるのだから。
「お前たちは……どうして生きている!?」
剣士は再び剣を振り下ろしながら叫ぶ。僕は後ろに跳躍しながら、その表情を見据えた。彼の顔は、怒りと憎しみに満ち溢れていて……酷く歪んでいる、ように見える。
「お前たちが生きている限り、毎月……数千人の人間が死ぬ」
“粛清”によって、毎月沢山の人が死ぬ。
「長くなれば長くなるほど、死者は増える」
しかも経過時間が長くなれば長くなるほど、一度に死ぬ人間は増えるという。
「それなのにどうして、お前たちは生きている……? どうして、多くの人間を助けるために、自殺と言う選択肢を選ばないんだ!?」
その問いに僕は、きっぱりと言い放つ。
「――本当に僕たちが死ぬことで解決するとは、思えない。何か裏があるかもしれない」
もう一撃、強烈な斬撃が振り下ろされる。今度は横に跳んで回避し……彼へ向けたクロスボウの引き金を引く。
「それが何なのかわかるまでは……僕たちは、死ねない!」
頭を狙っていたはずの短矢は、彼の頬を掠めただけに終わった。
そこに相手の横斬りが迫ってくる。
「くぅっ……」
上半身をそらすが、完全には回避しきれず――ざっくりと肩を深く切り裂かれ、痛みが走る。
ショック死とかしないようにリミッターとかはついているのだろうけれど、傷をつけられれば当然のように痛みを感じるのがこのゲームだ。現実では味わえない痛みがクセになって、パンチドランカーとなってしまっている廃人プレイヤーもいるらしい。
しかしこの程度の怪我ならば、行動に障害はない。血は出るがあくまでイメージだけのものだ。手足や関節へのダメージは、切り落とされでもしない限りは大したことはない。
新しい矢が自動的に装填されたクロスボウを、再び剣士へと向けようとしたその時。
「下がれッ!」
後ろから魔法使いたちの指示が飛び、剣士が慌てて後ろに下がる。
どうやら回避しにくい中から広範囲の攻撃魔法の詠唱が完成しつつあるようだ。僕も同様に、その場から飛びのこうとしたが。
「うおわぁっ!?」
完全に離脱し切る前に、爆風が二発。それは僕のいた場所の地面を抉り、双子の小規模クレーターを作り出す。
直撃を食らうことだけは何とか回避したもの、派手に吹っ飛ばされた僕は……地面に転がるという醜態を晒してしまう。
「このっ……!」
しかし、転んでもタダで起きる訳には行かない。無駄な動きは死に直結する。
僕は転がりながらも左手で足元の砂を引っつかみ……それを、好機と見てこちらへと飛び込んできた剣士の顔へと投げつける!
「ぐぁっ!?」
砂が目に入ったことでブラインド状態になったらしく、剣士はごしごしと目を擦るが、状態異常というのはそう簡単には回復しない。
「卑怯な……!」
新たな呪文を詠唱に入った、魔術師の片割れがこちらを罵ってくる。
それに対して僕は……何故か、笑っていた。
「そいつは申し訳ない。こちとら育ちの悪い、田舎生まれの田舎育ちなんでね……」
どうやら、理性の制御が利かないくらいに……ハイな気分というヤツらしい。
自分でも何がおかしいのかがわからないまま笑いながら、剣士の鳩尾に渾身の蹴りを入れる。
もっとも、ダメージは殆どない。徒手空拳での戦闘に特化したモンクでもなければ、蹴りでの攻撃でデータ的なダメージを与えることはできない。
それでも、相手がプレイヤーである場合は……“データとしては存在しない部分”へと、ダメージを与えることは可能だ。大分マイルドになっているとはいえ、攻撃を喰らえば痛いものなのだから。
「都会の喧嘩の作法を知らないのさ!」
僕は決して好戦的な人間ではないはずだが、それでも……取っ組み合いの喧嘩の経験は子供の頃からいくらでもある。
学校でも男子同士による殴り合いの喧嘩はあっても、陰湿な虐めなんてなかった。というか、取り巻く社会そのものが小さく閉鎖的であったがために、そんなことを許さない環境だった。
そんな社会で生まれ育ったが故に……都会では親が口うるさくてできないようなことを、僕たちは当たり前のこととして経験できていた。
「まあ、流石にっ……育ちの悪さが、こんな風に役に立つとは思わなかったけどっ」
リアルにおける喧嘩の応用が生かせるのは、ヴァーチャルリアリティのゲームならではと言えるだろう。普通の、コントローラやキーボード、マウスで操作するようなゲームではこうはいかない。
普通のPVPじゃマナー違反行為だろうが、今のこの世界は管理者不在。
僕たちがやらされているのは、互いに競い合う決闘行為ではなく……マナーもへったくれもない、殺すか殺されるかの戦いだ。
特に僕は、他の戦闘職と比べると弱いんだ。卑怯とか汚いとか言われようとも、あらゆる手段を駆使しなければ……殺される。
「さっき言った通り、僕たちは死ぬわけには行かない――だから、これでさよならだ」
そう小さく呟いて、彼の頭にクロスボウを照準し……矢を打ち込む。
矢は頭蓋骨すらあっさりと貫通し……脳天を貫かれた剣士は、最後の言葉を遺すことすらできずに――逝った。
「……さて、と」
そして、残された魔術師二人はというと……こちらと視線が合っただけで、慌てて逃げ出そうとした。
大概のゲームで言えることで、このゲームに於いても例外ではなく――前衛を失った術師系クラスというのは弱い。
メルキセデクのように高速詠唱で弾幕を張ったり絨毯爆撃ができるなら兎も角、そうでない普通の魔術師は前衛が全滅した時点で逃げ惑うしかない。しかも、その逃げ足も遅いときている。
彼らについては、わざわざ追いかけて殺すまでもない。この場からでも充分すぎるくらいだ。
「……悪いけれど。他の連中に僕の動きを悟られるのはまずい」
長弓を取り出して引き絞り、二本の矢を足に向けて放つ。彼らに避けられるはずもなく……、その場に倒れて蹲る。
「だから、君たちを見逃すわけにはいかない」
こうなってしまえば、簡単だ。動かないものを狙い撃ちにするだけなのだから。
彼らのHPを0にするまで、矢を撃ち続ける。それは最早戦闘とは言えない、“作業”だった。
その“作業”が終わったら、急いでその場から離れ、敵部隊の包囲網の穴から逃げ出さなくてはならない。
取り囲んでいる間隔が広いのであれば、それから逃れるのは簡単だ。こちらは千里眼で、相手の配置をリアルタイムで確認できるのだから。
逃げている間、僕はとても冷静だった。
――自分でも、寒々しく感じるくらいに。