『今後のことについてだが……自分を殺そうとする相手は、勝てる相手であるのならば確実に殺していったほうがいいだろう』
レオンハルトの台詞に、ほぼ全員が凍りついた。
『多くのプレイヤーたちがどうして俺たちを殺そうとするのか――それは、俺たちを殺すことの難易度が、他と比べて低く見られているからだ』
『そもそも、全員が1ヶ月生き延びられたこと自体が奇跡の産物のようなものだしね……』
そう。プレイヤーの不協和音、独自のスキルの存在などの様々な要因が絡み合って、現在の状況がある。
例えるならば砂上の楼閣。何か刺激が一つあれば崩れてしまう、そんな脆い状況だ。
『俺たちを殺そうとすることで、多大な犠牲を出すとすれば……他の奴らも、別の解放手段に目を向けるかもしれない』
レオンハルトの言うことは、正しいとも間違っているとも言い切れない。
確かに、難易度が上がれば諦めて、別の選択肢を模索するプレイヤーもいるだろう。だけど。
『確かに、そういう部分はあるかもしれないけれど……この状況で、プレイヤーがそこまで冷静になるとは思えないな』
ファーテルが、レオンハルトとノアの唱える案に反論する。
『同感。人を殺せばそれだけ、仇討ちだの何だのと、“魔王”を討つ理由が増えるんじゃないか?』
『そうですよ。他のプレイヤーを必要以上に刺激するのは危険です。他の方法を考えないと……』
キールとメルキセデクも、ファーテルに同意した。
しかしノアが、彼らの意見に対して冷たく言い放つ。
『……復讐だの何だののやる気をなくすくらいに、恐怖心を植えつけてやればいいだけだろう?』
その抑揚のない言葉はあまりにも冷たくて、それでいてどこか空虚で。
彼の性格を知っている僕たちでさえ、彼の恐ろしさを感じずにはいられなかった。
『ということで、俺はレオンハルトに賛成だ。そっちの方が、効率がいいからな』
そして案の定と言うかなんというか。キールが彼に噛み付いた。
『お前はまた……!』
冷静すぎるノアと、感情的すぎるキールは水と油だ。
この二人の仲の悪さは、どうすることもできないだろう。
『少しは頭を使え。このゲームでは常に最適解を見つけないと……死ぬぞ。自分も、他のプレイヤーも』
本人はそのつもりはないのだろうが……馬鹿にしているようにも聞こえるその台詞に、キールがぎりぎりと歯軋りする音が聞こえる。
理解はしているけれど納得はいかない、と言ったところか。
実際僕も、彼やレオンハルトの言うことを理解はしているけれど、まだ……そういうものだと完全に割り切るには、覚悟が足りない。
『他のプレイヤーたちに悪鬼や羅刹と罵られ、憎まれても……一番効率のいい方法を見つけて推し進める。このゲームを“攻略”するためには、それ以外の方法はない』
それが、この一ヶ月間ただひたすらモンスターを狩り続け、僅かな睡眠と食事以外の全てを成長のために費やしたノアという男の考えであり信念、そして原動力なのだろう。
『そもそものアスタロトの言う解放の条件がどこまで本当なのか、怪しいもんだけれどな』
ケッ、とキールが毒づき、ファーテルが何とかなだめようとするのが聞こえる。
しかしノアは、気にした風もない。
『難易度が簡単な方に罠が仕込まれている可能性が高いなら、実現不可能と言われている条件のほうには何もないと信じるしかないだろう。
元々、俺たちを殺したら解放される、というのはあからさまに簡単すぎたからな。最初から……何かしら落とし穴が含まれていそうな気はしていた』
この話し方を聞く限り彼は、僕たちの殺害以外の解放条件を満たす以外に全てのプレイヤーが生き残る術はないというのは……最初の頃から予想していたようだ。
……喋ろうよ。そういう大事な話は。
と口に出して言ったとしても、無駄なんだろうなあ。ノアのこれまでの行動や発言を見るに。
――さておき。これでは、以前にも何度かあった堂々巡りになりかねない。ファーテルも議論に参加しているし、どうしたものかな。
そんな奇妙な均衡を崩したのは、ラケシスの一言だった。
『私も、レオンハルトたちの案のほうに一票入れるわ』
『ラケシス!?』
メルキセデクが非難めいた声をあげる。
僕から見ても正直、意外だった。彼女はどちらかというと、キールやメルキセデクに近い感情的な人間――のように見えていたから。
『死にたくないのは誰も彼も同じよ? 私たちも、他のプレイヤーも。この一点に於いては、誰も彼もが同じ。
だから……自分が助かるために“魔王”を殺そうとするのであれば、“魔王”が生き延びるために自分を殺そうとするのを受け入れるくらいの覚悟は……相手にもしてもらわないとね。
不公平じゃない、私たちだけ殺されることに怯えているなんてのは。せめて、相手にも同じ死というリスクと、それへの覚悟を背負ってもらいたいわ』
彼女はここで一旦深呼吸して、更に捲くし立てる。
『私かて、自分から積極的に人を殺したいわけではないわよ。レオンハルトやノアだってそうでしょう?
それでも、降りかかる火の粉は払っていかないとやっていけない、ってのは……どうしようもない事実よ』
そもそも……これまで殺した相手だって、積極的に殺したわけではない、止むを得ず殺害に及んだ結果のはずだ。それでも、僕たちは現時点でも相当にプレイヤーたちの恨みを買っているというのは想像に難くない。
プレイヤー感情の悪化を理由に不殺を貫こうとするには、時機を逸した気はする。
『それに、人を極力殺さないようにしよう、とは言うけれど……代案はあるの?』
『そ、それは……』
ファーテルも流石に言いよどむ。
でも、単に彼が思いつかないという問題じゃない。
無茶苦茶すぎるのだ。今の僕らを取り巻く状況が。
『相手の意見を一方的に叩くのは簡単。誰にだってできるわ。
特に今回のケースの場合――人を殺してはいけません、なんてのは倫理的には当たり前のことだし、それだけで理由になるもの。
でもね。綺麗事による絵空事じゃない、実現可能な範囲の代案を出してもらわなきゃ、こっちは納得しないわよ?』
『そんなこと言われても……困りますよ』
『こっちだって、あんたたちの言うような理想論が実現できるとはハナから思っていない』
しかし、ラケシスの声はどこか震えていて……不安定さを感じさせる。
彼女もまだ、どこかで迷っているのだろう。
『……そういうのはさっさと諦めて、現実を直視しなきゃ駄目なのよ。きっと』
その言葉は、他の皆にというよりは、自分自身に聞かせるかのように……僕には聞こえた。
『……ユーリ。お前はどう思う?』
煮詰まってきた話の矛先を向けられ、僕は内心思いっきり戸惑った。
『……どうなんだろう……まだ色々ブレている状態なんだけれど……』
正直なところを言ってしまえば、、まだ完全に頭の中がまとまっていない。
それでも、今考えていることを言葉にして、なんとか伝えようと試みることはできた。
『多分感情そのものはファーテルたちに近いと思う。人を殺す覚悟なんて、まだまだ足りていないと思うし……。
でも、実際のことを考えると、レオンハルトたちの言うように……こっちに向かってくるプレイヤーはできる限り殺していかないと駄目だということはわかっている』
『ユーリさんまで、どうして……』
メルキセデクの、どこか責めるような声に対し……僕はこの議論が始まってからずっと、考えていたことを答える。
『僕の見逃したプレイヤーが、他の皆を殺すかもしれない。そう考えると……敵対したプレイヤーは殺すしかないんだよ。どうしても』
そう。このゲームは、一人が死ねば……芋蔓式に全員が死亡する可能性がある。むしろ、その可能性が高い。
僕たちの全滅によって、アスタロトが勝利し――その結果としてプレイヤー全員が死亡するという最悪の結果が見え隠れする以上……僕たちの中から犠牲者が出る事態は極力避けなければならない。
『人狼ゲームだと、仲間を切り捨てることでお互いの繋がりを断つ、というのも戦略の一つだが……このゲームの場合だとそれは自殺行為だからな』
『あのゲームだと人狼は全く同じ能力だからね。それぞれが違う能力を持ち、お互いのスキルが生命線となりうる、今の僕たちとは違う……。
それに……確定情報ではないとはいえ、“魔王”の全滅がプレイヤーの全滅に直結する可能性もある……襲ってくるプレイヤーはできる限り殺すしか、ないのかな』
――だから僕らは、他のプレイヤーを殺してでも生き延びなければならない。
言葉で言うのは簡単かもしれないけれど、実行するのは難しい。口に出した僕も、まだ覚悟が定まっているとは言い切れない。
自分たちと他のプレイヤーを救うために、自分たちを殺すことで解放されることを願うプレイヤーの未来を奪う。
それが正しい、とは思えない。けれど……これは、解けば正しい答えが出る、数学の公式とは違う。
きっと……全てが正しくて、全てが間違っている。正解なんてありはしない。
『もし仮に、あの世というものがあったら……俺たちは全員、間違いなく地獄行きだろうな』
重苦しい沈黙を破るかのように、キールがぽつりと、小さく呟く。
確かに、ある意味では被害者とはいえ……僕たちが天国に行けるとは思えない。如何なる理由があるにせよ、他のプレイヤーを殺してでも生き延びる、なんて相談をしている時点で地獄行きは覆らないだろう。
『少しくらいは情状酌量の余地があるとは思いますから、少しくらいは……刑期とかそういうのがマシになりそうですけれど』
『アスタロトみたいな、性悪の裁判官に当たらないことを祈るくらいしかできないわね』
ラケシスの、あまりにも悪い冗談に、いくつかの苦笑が聞こえる。僕もこれには苦笑いせずにはいられなかった。
――冗談じゃない、とはまさにこのことだ。そんなことになったら、例え天寿を全うしたとしても、死に切れなくなってしまう。
そんなことを考えていると……腹の虫が、空腹の警鐘を鳴らした。
「そういや、目が覚めてからまだ何も食べてないな……」
いつものように果樹を探して食事を摂ろうと立ち上がったその時。
ほんの僅かだったが――ガサリ、と――離れた場所で草を掻き分ける音が耳に入った。
「……!」
息を呑んで、そちらへと視線を向けると、数人のプレイヤーがこちらへと向かって来ている姿が確認できる。
即座に千里眼ウィンドウを小さく開き、周辺のプレイヤーの配置を確認する。
既に視界に入っているパーティの他にも、複数の小規模パーティがこちらを囲むように展開していた。どうやら相手は、こちらが襲撃を受けて飛び出してくるのを迎撃しよう……という考えのようだ。
「あっちゃー……やっぱり、世の中そんなに甘くない、か……」
先ほど目を覚ました時に、周囲に誰もいなかったのは、相手が人手を集めて襲撃のための準備をしていたからのようだ。
あの状況なら不意打ちでも殺せたと思うけれど、万全を喫するためだろう。
特に僕の逃げ足の速さは、一般プレイヤーの中ではかなり知れ渡っている情報だ。だから、その対策としては間違っていない。
「でも……僕も死ぬわけには行かない」
僕の持つ千里眼のスキルは、“魔王”にとっての生命線の一つ。失わせるわけにはいかない。
沢山の命が、毎月消えるとしても……僕たちの全滅がアスタロトの勝利である可能性と、彼女の勝利により齎される結果を考えれば、僕たちは死ぬわけにはいかないのだ。
相手はこちらが気付いているということには、まだ気がついていない様子だ。
むしろ、僕だから相手の存在に気付けたようなものだ。僕は常時発動型のスキルによって、視覚だけではなく聴覚や嗅覚といった他の五感もかなり強化されている。このこともプレイヤーたちの言う、逃げ足の早さに一役買っていた。
チリチリとした殺気を感じながらも……僕は小さく一人ごちる。
「……流石に、覚悟決めなきゃいけないな」
今までは逃げ続けるだけでどうにかなったけど、今後はそうもいかないだろう。
殆どのプレイヤーたちはこれまで、条件を満たさなくとも魔王との戦いさえ避ければ死ぬことはない、という認識だったはずだ。
しかしその前提は、“粛清”というシステムの存在によって崩れ去った。これによって、それまで静観していたプレイヤーたちの多くも、こちらを潰しにかかるだろう。
――“魔王”を倒すというのが、プレイヤーにとって最も楽な解放条件である限りは、この流れを止めることなどできない。
だから、敗北により死ぬ覚悟だけではなく――襲ってきた相手を殺す覚悟が必要になってくる。
僕たちが生き延びるためには、積極的に僕らを殺そうとするプレイヤーの数を、少しでも減らしていかなければならない。
そのためには、まずは最初に……勝ち目がありそうな戦いで一線を越えておかなければならない。人を殺すという、禁断の一線を。