――――1460年 ――――9月 ――――オロモウツ 西アジアの地にてウズン=ハサンが苦境に立たされようとしていた頃。 東欧――――いや、欧州そのものに影響を与える事になる一つの和約が行われようとしていた。 この和約に参加する国はハンガリー、モルドヴァ、モスクワ、ポーランド、リトアニア、ウズベク、カシモフ=ハン、クリミア=ハンの国々。 先頃のリトアニアでの戦いにおいて何かしらの形で関わった国の全てである。 因みに戦に参加していないモルドヴァとクリミア=ハン国だが、今回の和約ではそれぞれの勢力の仲介役と言う形での参加だ。 何れにせよ、多少の形や思惑などの違いがあれど、ここに東欧とモンゴルの諸侯が一堂に会する事になったのである。 ハンガリー王、マーチャーシュ=コルヴィヌス。 モスクワ公子、イヴァン=ヴァシリエヴィチ。 モルドヴァ大公、シュテファン=チェル=マーレ。 ポーランド王兼リトアニア大公、カジミェシ4世。 カシモフ=ハン国のハーン、カシム=ハーン。 クリミア=ハン国のハーン、ハジ=ギレイ。 ウズベク族のハーン、アブル=ハイル。 何れも名の知れた人物達であり、東欧やモンゴルにおいても大きな影響力を持つ人物。 それがこうして顔を並べていると言うのは些か壮観であると言っても良い。 このような機会は歴史上に一度もなかったからだ。 東欧の王とモンゴルのハーンが一度に会するこの和約。 オロモウツの地にて起こるこの出来事は時代そのものを動かそうとしていた。「まずはモスクワ公子、イヴァン殿から条件の提出をお願いする」 場所は一同の会するオロモウツの会議場。 各々の顔合わせが終わった後、シュテファンの切り出しで和約の条件提示が始まった。「はい。我がモスクワは……スモレンスクの獲得を条件とさせて頂こうと思います」 一番手はリトアニアにおいて戦の勝利者であるモスクワ。 イヴァンの口から和約における条件が提示される。 提示された条件はリトアニア~モスクワ間の中でも要所とされる地であるスモレンスク。 この地は先代のモスクワ大公であるヴァシーリー1世の時代からモスクワ、ポーランド、リトアニアの間で衝突が繰り広げられた地である。 スモレンスクはロシアにおいて最古の都市の一つであり、ノヴゴロドと同じくモンゴル帝国の襲来で破壊されなかった都市だ。 それ故に古くから文明が発達し、多くの聖堂が建立される美しい都市として名高かった。 モンゴルに荒らされなかったが故に古くから発展を続けていたのだ。 また、スモレンスクはモスクワとリトアニアの境界線上にある都市でもある。 古くからモスクワとリトアニアとの間で幾度となく、領有権が変わったスモレンスクは要所中の要所と言っても良い。 こう言った意味を踏まえれば、スモレンスクを制した方が優位に立つのだと言える。 他にも欲しい地はあるにも関わらず、スモレンスクのみを上げてくるとはイヴァンはその点を明確に理解しているのだろう。「……解りました。その条件でお受けしましょう」 ポーランド、リトアニアとしてもスモレンスクをモスクワに渡すのは大きな痛手である。 だが、モスクワは今回の戦において大勝を収めたにも関わらず、スモレンスクのみを要求している。 要所に絞ってきたとはいえ、この条件は破格であった。 本来ならば、スモレンスクを含めた他の都市の領有権も主張するのが道理だからだ。 しかし、イヴァンはスモレンスク以外の都市には目にもくれない。 相手の側に対する優位を取りつつ、相手の側の大幅な国力の低下を避けるためだ。 そこまで読み切っている辺り、イヴァンの眼はやはり卓越した物を持っていると言える。 自分の側には最大限の利益を齎しつつ、相手の側には極度の痛手を与えない――――。 その匙加減を見極めているイヴァンの器量にカジミェシは恐ろしいものを感じた。(これで、未だに公子の立場でしかないと言うのが恐れ入る) つくづく、イヴァン=ヴァシリエヴィチと言う人間は底が知れない。 未だに公子と言う立場でありながらモスクワを率い、率先して表舞台に立ち――――。 その全ての行動において予測の範疇を大きく超え、誰よりも先にあるべき答えを導き出す。 脅威的な眼と器の大きさを持つ、イヴァン=ヴァシリエヴィチ。 同じ東欧に居るその存在にカジミェシは戦慄するしかなかった。「次にハンガリーですが……こちらはカジミェシ殿の采配に任せるとの事です」 モスクワに続いて、和約の条件提示が示されるのはハンガリー。 しかし、ハンガリーもまた大胆な方向で条件を切り出してきた。 今回の和約の条件についてはカジミェシの方に全てを任せると言っているのだ。 マーチャーシュの思惑としてはこれでカジミェシの真意を確かめるつもりなのだろう。 要するにカジミェシの出してくる答えの内容次第でどのような関係を望んでいるのかを見極めると言ったところか。 しかし、和約を結ぶ相手に采配を委ねると言う事は相手によってはとんでもないような条件を提示してくる事もある。 だが、今回の場合はハンガリーの側がポーランドに対して勝者の立場あるため、不利な条件になる事はない。 マーチャーシュはそれを読んでいると言ったところだろう。 しかも、カジミェシの側としては迂闊な条件を提示する事が出来ない。 相手に委ねると言う事は条件を提示する側の器を計っていると言う事になるからだ。 これで生半可な条件では他の勢力からは甘く見られてしまうし、条件が良過ぎればハンガリーの属国になったのと変わらない。 マーチャーシュの提示してきた条件と言うものは簡単そうで難しいものであるとも言えた。「では……モラヴィア、シレジア、ラウジッツの領有権で如何だろうか」 しかし、カジミェシは躊躇う事なく領土をマーチャーシュへと譲り渡す。 カジミェシが条件として提示したモラヴィアはボヘミアの東側に存在し、スロバキアに接する要所である。 嘗てはハンガリーに属していたモラヴィアはこの数10年ほどの混乱の間に領有権が大きく変わっていたが紆余曲折の末に現在はポーランドが領有権を握っていた。 だが、カジミェシはハンガリーからすれば要所の一つであるモラヴィアの領有権を自ら譲ると言っているのだ。 これも破格の条件と言っても良い。 また、シレジアとラウジッツもモラヴィアの東に位置し、ドイツ方面の南に位置する地だ。 カジミェシはオーストリア、ボヘミアに接する地の領有権をマーチャーシュに条件として提示したと言っても良い。 これもまたある意味で大胆な行動である。 ハンガリー、モスクワに敗北したとは言えどカジミェシ4世と言う人物もまた東欧が誇る傑物の一人だった。「解りました。その条件でお受け致します」 マーチャーシュの側としても今回の条件を拒否する理由は存在しない。 元から勢力圏に置きたい地が手に入るのだ。 これを躊躇う方が可笑しい。 スロバキアを中心とした上部ハンガリーを完全に固める事が出来るのだ。 北の勢力圏が増す事は南に目を向け安くなると言う事と同義であり、それがポーランドとの戦に臨んだ理由でもあった。 ハンガリーとしてはこの上ない条件で締結出来たと言える。 マーチャーシュは難しい判断を読み切ったカジミェシに感謝しつつ、条件に応じる。 難しいながらも如何に動くべきを察知したカジミェシの器量も中々のものだ。 カジミェシを味方に付けると言う選択肢は間違っていなかったようであった。「ハンガリー、モスクワ、ポーランドの和約は相成りました。後はそれぞれに思う話をされますように」 今回における主題とも言えるハンガリー、モスクワ、ポーランド間の和約が締結した事を確認したシュテファンが場の解散宣言する。 モンゴルのハーン達はあくまでモスクワの援軍として戦に参加してに過ぎないため、和約には関係ないのである。 だが、結果として矛を交える事になったハンガリーとポーランドからすればそうもいかない。 盟主に当たるモスクワと和約を締結出来たと言えども、モンゴルのハーンがどのように動くのかは解らない。 もし、敵対する意志があるのならばまた、戦うしか道はない。 そう言った意味ではモンゴルのハーンとは直接、真意を確かめる必要があるのだ。 それ故にシュテファンはモンゴルのハーンと話す事の出来る機会を設けたのである。「では、ハジ殿。アブル=ハイル殿との会談に御付き合い願いたい」「解った、カジミェシ殿」 シュテファンが設けた機会を真っ先に理解したカジミェシ4世。 この機会を逃さず、カジミェシが盟友であるクリミア=ハン国のハーン、ハジ=ギレイを伴ってアブルの下へと向かう。 やはり、ウズベクのアブル=ハイルが最も印象に残ったのだろう。 脅威的な武勇を以ってポーランド、ドイツ騎士団を蹴散らしたアブル=ハイルの強さは尋常ではない。「シュテファン大公、それにイヴァン公子。共に話しましょう」 それに対してマーチャーシュは盟友であるシュテファンを誘い、自身が最も話してみたいと考えていたイヴァンを呼ぶ。 一目会っただけで鮮烈な印象を残したイヴァンの圧倒的なまでの存在感はマーチャーシュにとって決して無視する事は出来ない。 いや、寧ろイヴァンに惹かれない方が可笑しいと言ってもいいだろう。 自らよりも若干、1つしか歳上でしかないイヴァンは同年代の人間の中でも傑出している。 その才覚と器の大きさにはマーチャーシュも感じ入らざるを得ない。 自身はヤーノシュから薫陶を受けてきた身であり、英雄と呼ばれる人物によって開花するに至った自身の力量にはそれなりの自負がある。 だが、イヴァンはそのような経緯も相手も存在しない。 彼は自らの手で自身を開花させたのだ。 マーチャーシュとは違った方向性での覚醒だと言えるだろう。 自分とは全く違うからこそ、惹かれるものがあると言っても良いのかもしれない。「ええ、マーチャーシュ王」 だが、それはイヴァンから見ても同じである。 自身が会った事のない英雄と言われた人物達の薫陶を受けたマーチャーシュは自分とは違うものを持っている。 フニャディ=ヤーノシュ。 そして、スカンデルベグ。 強大なオスマン帝国と戦った欧州の誰もが認める2人の英雄。 マーチャーシュはその双方の人物に認められた人間なのだ。 今では伝説となった人物であるヤーノシュとスカンデルベグ。 東欧でも最強の呼び声高い2人の名将。 その2人に認められ、才覚を目覚めさせたマーチャーシュはイヴァンとは違った方向で覚醒を果たした人間だと言える。 マーチャーシュ=コルヴィヌス。 イヴァン=ヴァシリエヴィチ。 全く違う性質を持つ、2人の若き強大とも言うべき資質を持つ者。 その2人が双方に繋がりを持つ1人の人物によって語り合う機会を得た。 双方に繋がりを持つ者であるシュテファン=チェル=マーレの手によって。 遂にこのオロモウツにて、3人の人物が集結の時を迎える。 東欧においてこれからの時代を担う人物であるマーチャーシュ、イヴァン、シュテファンの3人がこの場に揃ったのである。 三傑とも呼ぶべき人物達が邂逅し、大きな影響を及ぼす事になるこの和約は――――。 後にオロモウツの和約と呼ばれる事になる。