職員室にて、新田を呼び止める声がする。
「新田先生」
「おや? シスター・シャークティ、何か私に御用ですかな?」
「ええ。美空のことです」
そこにいたのは新田の仕事の同僚であり、魔法先生の一人であるシスター・シャークティだった。
彼女は苦渋に満ちた表情を浮かべている。
新田は彼女の表情と、彼女の言った言葉からなにかがあったのだと推測する。
「春日の? いったい何があったのです?」
自然と新田の声にも不審の色が浮かぶ。
「何もありません。いえ、あるにはあるのですが、その話とは関係ありません」
「どういうことでしょうか?」
「あなたのおかげで、最悪の事態になることを防ぐことが出来ました。まずはそのお礼を」
そういってシスター・シャークティは新田に頭を下げる。
「ありがとうございました。それと、今回のことは全て私の責任です」
彼女は続ける。
「私が良かれと思ってやったことが、美空を傷つけてしまいました。
私も彼女の才能だけを見て、彼女自身のことを見ることが出来ていませんでした。
それをとても不甲斐なく思います。
修行をサボったり、ココネとの仮契約を拒んだりするなど、その兆候は確かにあったというのに……。
私はその兆候を見抜くことが出来ませんでした」
「……そうですか」
「ですから、初心に返って、一からやり直したいと思います。
美空にもう一度信頼されるために。
このままでは教師として以前に、人として失格ですから」
シスター・シャークティは決意を秘めた目で新田に宣言する。
「それがいいでしょう。私も微力ながら、手伝わせて頂きます」
「……ありがとうございます」
「なに、困ったときはお互い様ですよ」
そういって新田はからからと笑う。
その顔には先ほどの険は既に無い。
シスター・シャークティもそれにつられて笑みを浮かべるが、直ぐに引っ込める。
深刻そうな表情をして続ける。
「それで、ですね……」
「……まだなにかあるのですか?」
「美空なんですが、以前よりも礼拝堂の掃除を真面目にやるようになりまして」
「それは良いことですね」
「ええ。ココネとも前より仲が良くなった気がします。まるで本当の姉妹みたいに。ですが……」
「ですが? いいことではないのですか?」
「……前よりも悪戯が増えてまして……」
「……そう……ですか」
「……ええ」
新田は美空の悪戯が止んでいないことに頭を抱える。
そこへ更にシスター・シャークティが追い討ちを掛ける。
「以前の方法が使えなくなったせいか、技術に更に磨きがかかって来まして……、ココネも真似を始めてしまって……」
「あいつは……まったく」
「ええ、まったく」
「とりあえず、私からも一度ガツンと言っておきますので」
「お願いします」
シスター・シャークティはもう一度頭を下げると、次の授業の準備があるといってそのまま去っていった。
新田もそれを見送ると、自分の準備を始める。
そこに二人の女生徒が近寄っていった。
片方はその顔に柔らかな笑顔を浮かべ、もう片方は顔に不安を浮かべている。
「新田先生」
「ん? なんだ、那波に村上か。いったいどうした?」
声を掛けられた新田は、顔を上げて二人の姿を確認する。
「用事があるのは夏美ちゃんのほうです」
「村上が?」
「ええ。さ、夏美ちゃん」
そういって千鶴は、顔に不安を浮かべたままの夏美を促す。
「ええっ!? ちょ、ちづ姉!」
「あなたのことでしょう? 大丈夫だから」
「で、でも……」
二人はそのまま新田を前にして、押し問答を続ける。
「連れてきたのはちづ姉じゃんか。ちづ姉が言ってよ」
「あらあら、恥ずかしがっているのね」
「そ、それもあるけど……。私は別に言わなくてもいいのに……」
「それはいけないわ。せっかくのお祝い事ですもの。ちゃんと報告しないとね」
「でも……」
夏美は新田の方をちらちらと横目で見る。
それを見ていた新田が千鶴に話しかける。
「いったい村上はどうしたんだ?」
「職員室にはほとんど来ないから、緊張してるのね」
「違うよちづ姉!」
「次の授業の準備があるんだ。だから速くして欲しいんだが……」
「あらあら。新田先生も困ってるわ。さ、夏美ちゃん。早く」
「うう~」
再度千鶴に促されて、遂に夏美は観念したのか、頭を下げる。
そして新田に向き直る。
「こ、今度、舞台があるんです」
「舞台? ああ、村上は演劇部だったな」
「はい。それで私も出してもらえることになって……」
「そうか。それはよかった。おめでとう」
新田は夏美を祝福する。
夏美は照れているのか顔を赤くする。
「あ、ありがとうございます。でも、そんな大した役じゃないんですよ。脇役だし……」
「何を言う。例え脇役であっても、それは必要不可欠なものだ。お前もそれを分かっているだろう?」
「は、はい」
「それに、脇役であってもお前は手に入れた。お前の頑張りが皆に通じたんだ。もっと自信を持つと良い」
「……はい!」
夏美は笑顔になり、返事をする。
そこへ千鶴が割ってはいる。
「良かったわね、夏美ちゃん」
「うん。そうだね、ちづ姉」
「それで新田先生にお願いがあるんです」
「お願い?」
「ええ。一緒に夏美ちゃんの舞台を見に行きませんか?」
「私が村上の舞台を?」
「ええ。私も夏美ちゃんが活躍するのを見たいですし……」
「ふむ……」
新田は少し考える。
夏美は千鶴に言われた活躍、と言う言葉にさっきまでの元気を無くし、顔を赤らめて下を向いている。
多少の自信はついても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「分かった。教え子の晴れ舞台だし、なんとか都合をつけよう」
「あ、ありがとうございます!」
「あらあら。それじゃあもう行きますね」
「ああ」
そして失礼しました、といって職員室から出て行く二人の声を聞きながら、新田は思い出す。
「そういえば、演目を聞くのを忘れていたな」
職員室から出た二人は、足早に歩きながら、先ほどのことを話す。
「良かったわね、夏美ちゃん」
「良かったじゃないよ、ちづ姉ぇ! 私が舞台に出るって話したら、いきなり『じゃあ新田先生も誘いましょう』とか言って、
職員室まで引きずっていったのはちづ姉じゃん!」
夏美はいきなり行われた同居人の暴挙に、なすすべも無く流されたに過ぎない。
「あら、でもまんざらでもない顔してたわよ、夏美ちゃんは」
「嘘!? そんなはずないよ! そりゃあ少しは行ってよかったかな、とは思ってるけど……」
「あらあら」
そういって千鶴はうふふ、と笑う。
「ねえ? 夏美ちゃん。新田先生と一緒に応援してるからがんばってね」
「分かってるよちづ姉。私がんばるから。ちゃんと見ててね」
「ええ。新田先生と一緒に、ね」
「? うん」
こうして夏美は親友と担任に応援され、舞台にでることになった。
しかし彼女は気付いていない。
自分が千鶴によって、新田を誘う為のダシに使われているということに……。
そして約束の日。
今日の舞台は麻帆良の演芸ホールを使用する。
この場所は、麻帆良の生徒が演劇などで、自身の成果を試す場所としてよく活用される。
それなりの広さだが、麻帆良の生徒ならば借りるのは容易であり、あまり客が多く入ることも無い。
そんな会場である。
千鶴はそのホールの門の前で新田を待っていた。
いつもの制服ではなく、白を基調とした、瀟洒な服装をしている。
「新田先生。こっちです」
「ああ」
対する新田も休日のためかスーツを着ていない。
「遅れたか?」
「いいえ、でもあまり女性を待たせるものじゃありませんよ」
「そうだな。すまない」
柔らかく窘める千鶴に、新田も謝罪をする。
「じゃあ行きましょうか」
そういって千鶴は新田の手を取り、自分の腕に絡ませる。
「おい、那波?」
「あらあら、せっかくの休みなんだから、こうしてもいいじゃない。ねえ、お父さん?」
「……ああ、そうだな」
それを言われると新田も強くは返せない。
そのまま二人は腕を組みながら会場の中へ入っていく。
その姿はまるで、仲睦まじい夫婦のようであった。
「そういえば演目はいったい何なんだ?」
「あらあら。いってなかったかしら?」
「ああ」
今更のように新田が言う。
千鶴も微笑みながらそれに付き合う。
「ロミオとジュリエットよ」
「なるほど、シェイクスピアか。定番といえば定番だな」
「そうね」
二人はよく舞台の上が見えるであろう場所に座る。
会場の人の入りは疎らで、席も多数空いている。
休日ということもあり、学生にとってあまり魅力的に写る場所でもない。
これが普通の光景である。
「村上はいったい何の役をするんだ?」
「確か、ジュリエットの乳母、という配役だったはずよ」
「ほう……」
新田は関心したような声を上げる。
「良い役を掴んだものだな」
「あら? でも夏美ちゃんは脇役だって言ってたわよ?」
千鶴は不思議そうな顔をする。
新田は始まるまでまだ時間があるのを確認し、それに対して説明する。
「確かにそうだ。ロミオとジュリエットの中では脇役だろう。
ジュリエットの乳母、という役柄で名前さえない。
しかし、歴史というものは、過去があって初めて現在、そして未来がある。
この話ではそこまで話されることはない。
だが、ジュリエットの乳母が、ジュリエットを育てたもう一人の母親であることは間違いない。
例え名前が無くとも、ジュリエットの人生には彼女の存在が必要不可欠だ。
村上はジュリエットのもう一人の母として振舞わなければならない」
新田は話を夏美の事へと戻す。
「村上はその役を勝ち取った。
これは彼女が母としての大役を演ずることが出来たということだ。
それだけのことが出来たというのなら、村上はいずれ大成するだろう」
「あらあら、そんな凄い役だったの?」
「母は強し、だ。……あるいは、那波がいたからこそ、村上はこの役を掴めたのかも知れないな」
「私がいたから?」
「ああ。お前が園児たちの世話をするのを間近で見てきたからこそ、彼女は演じることが出来た。とも考えられる」
「あらあら。夏美ちゃんったら……」
そういって頬に手を当て、千鶴は微笑む。
「そろそろ始まる。私たちは黙って彼女たちを応援しよう」
「そうね」
そして舞台は幕を開ける。
『ありがとうございました!!』
舞台の上で演劇部員たちが一列に並び、観客席に向かって一礼する。
その顔はどれも、大仕事をやり遂げた誇らしげな表情をしている。
夏美もそれに混じって笑顔を浮かべている。
観客席からは拍手喝采が送られ、彼女たちはそれに手を降りながら、名残惜しげに舞台を降りる。
舞台の裏で夏美は汗を拭っていた。
自分が出た時間は主役に比べれば僅か。
しかし、夏美にとっては初の舞台である。
緊張による冷や汗はこの中で一番なんじゃないかと夏美は思った。
顔を手に持ったタオルに伏せ、椅子に座り、先ほどの舞台を思い出す。
「やった……」
上手く行ったことへの実感が沸々と湧いてくる。
拳を握り締める。
その手の中に自分の夢が入っているという錯覚さえ覚える。
いや、錯覚ではない。
自分は確かにその一端を掴んだのだ。
「夏美ちゃん」
自分がよく聞き慣れた声がする。
顔を上げると、そこには千鶴と新田が立っていた。
「おめでとう夏美ちゃん」
「おめでとう、村上。いい舞台だった」
「あ、ありがとう」
夏美は二人に礼を言う。
千鶴は夏美の顔に手をやり、白い何かを掴む。
「あらあら。夏美ちゃん、顔に糸くずが付いてるわよ」
「あっ、ご、ごめんちづ姉。ありがと」
「うふふ」
先ほどまでの歓喜とは別の意味で、夏美は顔を赤くする。
千鶴はそれをいつもの優しい笑顔で見つめる。
「よくがんばったな。お前たちの演技はとても感動したよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。技術的なことを言えば、プロには敵わないだろう。
だが、お前たちの演技は心に響くものがあった。
見る人の心に訴える、素晴らしいものだったよ」
「あ、ありがとうございます!」
自分たちの演技を賞賛してくれた観客に向かって、夏美は深々と頭を下げる。
「たくさん動いて腹が減っただろう。今日の夕食は私が奢ろう」
「い、いいんですか!?」
「ああ。がんばったものへの褒美は必要だ。労を労うのもな」
そして新田は後ろを向く。
そこには他の演劇部員がいた。
「お前たちも来るといい。金は私が全額持つ」
静かだった舞台裏が熱狂に包まれる。
「あらあら」
隣にいた千鶴は新田に問う。
「私はいってもいいの?」
「かまわんよ。大勢のほうが食事は楽しいものだからな」
「それじゃあ私もご一緒するわね、夏美ちゃん」
「うん! 一緒に行こ、ちづ姉!」
そしてこの日は皆の笑顔で終わりを告げる。
超高級学食で有名なJoJo苑では、子どもたちの笑い声が絶えなかった。
あとがき
今回、夏美編の皮を被った千鶴編となります。
演劇なんて一度も見たことがないんで、こんな感じになってしまいました。
内容全部カットして申し訳ありません。
感想お願いします。
もしかしたら、感想を読んでインスピレーションが湧いて、リクエストに応えることが出来るかもしれないので。
一人暮らしの準備とかがあるので、これからしばらくの間、更新出来なくなりそうです。
ネタもありませんし……。
それまでの間、私のことを忘れないで頂けるとありがたいです。