マシュー・バニングスの日常 第五十六話 はじめて会った時の事はまだ覚えてる。 忘れられるはずが無い。 ・・・人を病院送りになんてしたのは初めてだったのだから・・・ 小学生になったばかり頃、気の弱そうな黒髪の女の子が、見るからに勝気でその年で既にゴージャスな雰囲気すら持つ金髪の少女に、何かを取り上げられて泣きそうになりながら「返して! 返してよ!」って言ってるのを見た。あれは何時の休み時間だったろうか。いじめ・・・とまでは行かないかもだが、かなりタチの悪い嫌がらせだと思った。そう思って、気弱な黒髪少女に同情する雰囲気は周囲にもあり、なんとか金髪少女を止めようと何か言いかける子も何人かはいた。しかし金髪少女の持つ強気な雰囲気にのまれて、じろりと一瞥されるだけで皆撤退。 高町なのはにとって一番重要なのは「いい子」でいることだった。それはなるべく問題を起こさず大人しくしてるということでもある。だがこのときはなぜか我慢できなくなった。黒髪の少女の泣きそうな顔を見てられなかったのだろうか。それとも取り上げて意地悪して周囲からも「なんだよあいつ・・・」と白眼視され浮き上がってる状態なのを知りながらそれでも無理に意地悪を続けてる金髪少女の目が・・・実は、とても悲しそうに見えたのが原因なのだろうか。 小1のときの自分の心境なんて正確には分からない。 分からないけど結局、なのはは割って入っていきなり金髪少女・・・アリサ・バニングスの頬を軽く平手で張る。 そういう経験が皆無だったアリサは痛みより驚きに硬直し呆然となる。 確か、「痛い? でもそんなのより大事なものを取られた心の痛みのほうが痛いんだよ!」とかなんとか言ったような気がする。 今、思い返せば本当に赤面である。 なにも分かって無い子供であるなんて今でも変わって無いのに、さらに幼いその頃にそんな偉そうなこと言うなんて・・・ そのままアリサと揉み合い掴みあいのケンカになり、それを見てしばらく呆然としていた黒髪少女、月村すずかが止めに入り、気付いたら3人で、やめてやめない離して離さないとダンゴになってもう誰が相手なのやら。やっと先生が呼ばれてきた時には、既に止められるまでも無く・・・3人は顔を見合わせて、互いにぐちゃぐちゃになった服や髪をみて・・・思わず笑ってしまった。 後から考えてみると、実はクラスに馴染めず浮いていて、それに焦って、それを怖がっていたのはむしろアリサの方だったのかも知れない。結構いいとこの子もいる私立聖祥ではあったが、その中でもバニングス家は群を抜いていた。とんでもない超お嬢様で近寄りがたい雰囲気をもともと持っていたし本人も絶対弱みなど見せないプライドの高い性格。しかしそんなアリサでもずっと孤独なままでは嫌だった。友達が欲しかったのだ、だから自分と似た境遇のお嬢様で・・・もしかしたら仲良くなれるかもって期待してた月村すずかになんとか接触しようと試みたのだ。しかしその試み方が・・・もろに「気になる子をいじめる」という態度に直結したのはどうなのかと思うのだが、それはアリサもまだ幼かったのだし仕方ないことなのだろう。 それに対して、すずかの方は、今でもその傾向があるのだが、その頃はもっとひどく、ちょっと過剰なほど引っ込み思案だった。一人静かに本を読む以外のことはなるべくしようとせず別にアリサに対してだけでなく誰に対しても壁を作って、なるべく人と関わり合いにならないようにしていたように思える。その態度はなのはも気になっていたが・・・アリサの強引な接触無しには、たぶん何もしなかっただろう。 しかし結局、そうしてケンカした3人は、そのまま親友となった。 アリサにとっても、すずかにとっても、なのはにとっても、それは非常に大きい・・・一生意味を持つ程の出来ごとだった。 高町なのはが「身内」に対しては遠慮勝ちで引っ込み思案、しかし「他人」に対してはおせっかいで親切を押し付けて回るというその性格。 その傾向が明確になったのはこのときの経験が原因の一つ。 実はアリサの影響が大きいのだ・・・ 家でも幼稚園でも静かに大人しくしてるだけだった高町なのはの世界は。 小学校に入って2人の親友が出来たことで大きく変わった。 毎日学校に行くのがとても楽しくなった。 表情も態度もとても明るくなり、心配してた両親もほっと一息。 しかしそれから数カ月後・・・再び、なのはの表情が暗くなる出来事が起きる。 親友のアリサには実は弟がいるそうだ。 双子ということは同い年なのだが・・・それでもアリサは「弟である」と断言。 そのへんよくわからなかったがアリサちゃんがそういうならそうなんだろうと流す。 そんなことよりまた友達が増えるかも!っという楽しい希望の方に気を取られていた。 体が弱いからちょっと外国の病院に入院していた、これから同じ学校に来るけど、それでも多分休みがちになってあんまり来れないかも。 本当に体が弱いからくれぐれも注意してね、と言われていたのだが・・・ なのはは、やらかしてしまう。 他人にはなるべくおせっかいなほど親切に!っという態度に変わってまだ数カ月、やり過ぎの範囲が分かって無かった。 いや、この場合は・・・ マシューの体の弱さが、普通の人間には想定外だったというのが正しいのだろう。 髪の色も黒く見えた。骨と皮ばかりのガリガリな体格、正直アリサの双子の弟とは信じられないほど似てない。車椅子に乗ってアリサが押してきたのだが、それに押される彼の表情もなんだか、かなり無表情で無感動、周囲に壁を作ってるようにも見えたし、それが前のすずかと重なって見えて、だからつい手加減きかずガンガン押してしまって親しくなろうと近づきすぎて・・・ 迷惑そうな顔をする彼に自分を名前で呼ぶように!っと押して押して押しまくっていたとき、急に彼の表情が一変。 車椅子に座ってることもできなくなり倒れて痙攣しだす。 あのときの驚きと恐怖は・・・実は今でもたまに夢に見る。 これまで生きてきて、それなりに色々あったけど。 正直、仕事で敵中に孤立して集中攻撃されて撃墜されたあの瞬間よりも・・・まだ怖い。 アリサはもちろん一度は、なのはに対して思いっきり切れた。 しかし一度思い切り怒って感情を吐き出してしまうと、またすぐ切り替わるのがアリサであって。 結局は、「ちゃんと具体的に注意してなかった私も悪かったわ、そんなに気にしないでね」と言ってくれた。 ビクビクしながらお見舞いに行くと、倒れた彼自身も、「まあ気にしないでくれ」と意外と優しそうな顔で笑って言ってくれたし。 それでもやはりまた再び、引っ込み思案になりそうになったなのはだったのだが。 それを許さず、強引にこれまで通りでいるように矯正してくれたのが親友二人組だった。 アリサが押しつけ、すずかがフォローし、気付けばまた前の通りに振舞えるようになっていた。 本当に二人には感謝である。 だがだからといって、彼に苦手意識を持つようになってしまったこと自体はどうしょうも無かった。 いつでもなにか気になってる。 心のどこかで彼の事を心配してる・・・心に刺さった小さなトゲのように、どうしても気になってしまう。 彼の考えてることとかも全く分からない。 彼の体の悪さというものが・・・後で知れば知るほど本当にひどくて・・・実は絶望的、いつまで生きていられるのかも分からないほどの状態なのだと知ってしまったというのもある。生まれた時から寝たきりに近く、まともに歩けた経験もほとんどなく、いつ死ぬかも分からず、そしてそういう状態のまま自分と同じ年まで生きてきたというのだから・・・健康である自分に全く分からないのも仕方ないのだろうか。 しかしそんな弟をアリサは溺愛・盲愛していた。 実はアリサの世界が弟を中心に回ってるということは、マシューを紹介された後はすぐに分かった。 どんなときでもなにがあってもアリサは弟を優先していた。 そしてマシューもアリサに対しては強い愛情を持ってることもすぐ分かった。 二人は姉弟でありもっとも親しい身内であり、互いに思いやりながら意外と遠慮なく口ゲンカもするし、本当に仲が良かった。 実は、身内とそういう関係でありたいというのも、なのはの持つ根源的な欲求の一つ・・・ただし叶えられない思いの一つだった。 だからそんなふうに自然にいかにも仲良し姉弟である二人の姿は、少し、羨ましかった。 3年生になって魔法に出会ったあの日の衝撃はもちろん今でも忘れていない。 一生忘れない衝撃と、感動だった。 そして同時に忘れえない思い出が、マシューにもその才能があったと知ったことだ。 さらに事態が進んで、マシューは魔法的治療を受ければ治るかも知れないと知った時の喜び。 だがそれはまだ正直言うと、それをきくとどんなにかアリサが喜ぶことだろう!っという思いの方が強かったかも知れない。 マシュー個人に対しては、まだやはりどこか・・・苦手意識があったのだ。 結局なのはは、「魔法を知らない人には教えてはダメ」という言いつけを破り、マシューを助けることを優先する。 悲しみのどん底に落ちたアリサの顔を見ていられなかったし、 助ける力があるなら助けるべきでそれ以上に重要なことなんて無いと思ったから。 出会ったときにいきなり病院送りにしちゃったけど。 これで少しは、マシュー君に借りを返せたかな・・・と。 ちょっとだけ、ほっとしたのは誰にも言わなかった。 しかしそれからしばらくの間は、どこかマシューとの距離感を見失い・・・ アリサに対するように遠慮なく振舞おうとしたのか、それとも単に混乱してたのか・・・ 強引に模擬戦に誘い出して・・・ 軽く当ててすぐ降参させるつもりだったのに・・・ 逆に、罠に嵌められてボコボコにされたのは・・・ 今でも思い出しては鬱になる出来事であった。 やっぱりマシュー君は苦手だ・・・と思った。 魔法を知ってから、なのはの世界はさらに大きく広がった。 学校に行って親友に出会ったあのときのように・・・いやそれ以上に! 家でも役立たずで、学校でもやはり実は物凄い頭の良い親友たちに比べたら大したことない自分。 そんな自分が持っていた魔法の力! この力を使えば皆の役に立つんだ! 誰からも必要とされる自分に変身できる! なのはは夢中にのめり込み、それ以外のことは何も見えなくなった。 そういう状態だったということは今になれば良く分かる。 マシュー君に散々言われたし・・・ だが撃墜されるまでは周囲の制止の言葉なんて全く耳に入らなかった。 後から考えれば皆が・・・何度も何度も言ってくれてたのに・・・気付かなかった。 撃墜されて、脊髄とリンカーコアを損傷して、魔法の力が無くなるかもと言われた時の絶望感、良く覚えている。 それは自分にとって、全てを失う事のように思えた。 あまりの絶望感に押し潰されてそれ以外の事はまたなにも見えなくなった。 マシュー君がベッドに寝たきりの私の周りをなんかうろちょろしてたのも実はほとんど目に入って無かったの。 まずは体力の回復? はいはい・・・ そろそろ手術の準備、まずは脊髄を? はいはい・・・ そんなことよりも。 私はまた魔法を使えるようになるの? 今は昔と逆だね、マシュー君。 マシュー君はそうして元気に歩きまわってて、私は寝たきり。 もしかして自業自得だとか、ざまぁ見ろとか思ってる? そう思われてても仕方ないんだけどね! どうせ私が悪いんだから! そんなことは言わなかった・・・はずなの。 暗い気持のなかでさらに弱気になったときとかでも、さすがにそんなドロドロした感情をマシュー君にぶつけるとか・・・ してないよね、うん、してないはずなの。 そう信じたい・・・ 暗く暗くひたすら暗くなってた私。 でもある日いきなり、お母さんとお父さんが病室に。 絶対連れてこないでって言ったのに! ベッドの傍らにいてどう見ても事情知ってそうなはやてちゃんと、入って来てチラリとそのはやてちゃんと目を見交わしたアリサちゃん。 この二人の仕業? アリサちゃんが噛んでるってことはマシュー君も? 私のためにとか言いながら結局私の言う事聞いてくれなかったんだ! マシュー君は私を裏切ったんだ! ・・・そう思った自分の記憶を消したい。 いやむしろその頃の自分を抹消したい・・・ 時間を遡ってその日の自分を横から見るとか出来てしまえば・・・ 私、羞恥心のあまり昔の私を問答無用で消してしまうかもしれないの・・・ 今でも思い出しては恥ずかしさにのたうちまわる思い出。 気付いたらお母さんに抱きついてワンワン泣いてたんだもん、私。 そしてなんだかそれだけでスッキリして・・・ウソみたいに気持ちが軽くなったし。 でもどうやらこれはマシュー君の仕業じゃなくて、はやてちゃんとアリサちゃんがマシュー君にも黙ってしたことらしいんだけどね。 あとではやてちゃんに確かめたらそう言ってた。 でも!っと釘を刺されたけど。 マーくんがどんだけなのはちゃんのことを心配して、なのはちゃんのために頑張っとるんか、なのはちゃんは知らへん。 マーくんのその真剣な気持ちだけは、分かってあげてな・・・ そうだったんだ・・・そんなにマシュー君は・・・頑張ってくれてたんだ・・・って? あれ? でもなんでそこまでしてくれるんだろ? 私ってマシュー君には、ひどいことばかりしてるような気がするんだけど? あ、そっか。 私が、アリサちゃんの友達だからだね。 今でも姉ちゃんベッタリ、姉ちゃん第一のマシュー君だもの。 アリサちゃんが私を心配して暗い顔になるから、それをなんとかしたくて・・・そういうことだよね、うん。(あとがき) まず、なのはの気持ちを整理しようと思って至近の出来事をなのは側から見ただけの話を書いてみたところ。 ダメだもう少し前から描写しないとつながらない。もう少し前、もう少し前と繰り返されて結局最初から。 だが「VS八神」前後は全体の肝になるべき部分・・・冗長になることを恐れて描写を削るわけにもいかぬ・・・困った・・・