マシュー・バニングスの日常 第五十二話 通話画面の向こうの八神は冷静かつにこやかで実に普通であった。 やべーすげー怖い。 事情があったんやろ、わかっとるで、そんなに急がんでええからな、と言ってるのに何故こんなに怖いのか。 プライベートモードに入ると相変わらず抜けてるフェイトさんが画面に後ろから入ってきた瞬間とかピクリと動いた瞼が超怖い。 しかしフェイトさんが事情を説明した所、なるほど仕方ないと八神も納得してくれた。うん、少なくとも言葉ではそう言った。 それじゃまたねと俺は急いで帰宅。 転移魔法使って良い場所まで徒歩で移動 → 病院の寮の自分の部屋に転移 → 八神の家まで徒歩、というのが普段の帰宅ルート。 この最初の転移魔法使って良い場所まで移動というのが意外とクセモノで、なかなかそういう場所が見つからない場合はそれだけに結構な時間を取られたりする。が、今回はちゃんと場所把握してたので速やかに帰宅できた。街中とか人の多い所、また病院なんかは勿論、別に転移魔法に限らず原則として無断で魔法を発動するのは禁止されてるのだ。使いようによっては物騒な力だから、まあ当然の規制だわな。魔法使った記録はデバイスに残るし座標も記録されるし無断違法使用は必ずバレる。記録の改竄は専門家なら可能だそうだが、使用履歴記録の改竄は、軽い違法使用なんて目じゃないレベルの罪となる。そうだな、全く人に危険が及ぶ可能性なしの状況で魔法を無断に使用した場合の罪が信号無視程度のもんだとすると・・・記録改竄は交通事故で人身事故起こしたくらいの扱いをされてしまうのだ。 まあそれはともかく。 帰ってみると、今日は珍しく全員揃っていた。いつも皆忙しいので、誰かはいないってパターンが続いてたのだが。 八神は普通・・・に見える、少なくとも表面上は。 しかし周囲の騎士たちがなんだか硬い・・・ むむ・・・俺、なんか忘れてたっけ? 誕生日では無いし何かの記念日とも思えんのだが今日・・・さすがにそういう日なら忘れないし。 とりあえず遅れた言い訳を再びしようとした俺を手で制して、八神はまずは食事と言うので。 みんなで一緒に夕飯。ほんと久しぶり。しかしどうも会話が弾まない。 騎士たちは奥歯に何か挟まったみたいな状態だし八神は平然とした表情を維持し過ぎ。 もそもそと飯を食い終わり後片付け。騎士たちが気を使ってくれて俺と八神二人で洗い物するのだがまだ八神は基本沈黙。 食後のお茶とお茶菓子を二人で用意してリビングに戻る。 微妙な雰囲気の騎士たちの前に茶と菓子を並べていくのだが・・・ 雰囲気に耐えられなくなったのか。「すいません! 先に風呂を頂きます!」 シグナム逃亡。「ああ~っと、ええ~と・・・そうだアレだ! うんアレだよ、なっシャマル!」 ヴィータが訳わからん発言。「そうよねアレよね! うん、じゃあ悪いんだけど席外すわね! さあ行きましょう!」 シャマルさんが意味不明の同意。「そうだな、アレだから仕方がない、うむ。」 ザフィーラ迅速に逃げる。「ええ~私、お菓子もっと食べたいですぅ~」 とリインが言うのだがヴィータに捕まえられて一緒に強制退場。 あっという間にリビングに俺と八神、二人きり。 まるで夫婦喧嘩の冷戦が醸し出す雰囲気に耐えられず逃げ出す子供たちのようだ。「ところで・・・アレってなんだよ。」 思わず突っ込む俺の発言に八神は少し微笑む。「みんなに気ぃ使わせてもうたな。」「リインの分の菓子はとっといてやろうぜ。」「うん。」 お茶をずずっと啜る。昔から飲みなれた、やっぱり落ち着く味だ。「えっとさ・・・とりあえず、遅れてゴメンな。ほんとゴメンなさい。」 やはりこれを怒ってるのだろうと思うのだが。「ううん、それはええねん、ほんまに。」「え?」 むむ、そうなると全くわからん。そもそも何で今日に限って・・・「そういえばなんで今日は皆、揃ってたわけ? なんかの記念日とかじゃあ無かったと思うんだけど。」「そうやな、それやねん。」「?」「私ら近頃は、全然、みんな一緒に食事とか無理やったやん。いつも誰かが仕事で抜けてて。それがな、今日は偶然、ほんまに偶然やったんやけどシフトがポカっと空いてん、それも皆同時に。こんなことって滅多にないやん? せやから嬉しくなって、それやったら今夜は久しぶりに皆で一緒に夕ご飯や!って張り切って帰ってきてん。でもそんな日に限って今度はマーくんが仕事で・・・」「うう~ん、しかしそれはしょうがないと言いますか・・・」「せやな、しょうがないねん。それは分かっとるクセに、私な、マーくんが今日に限って中々帰ってこぉへん言うの分かったとき、正直いうとまずは腹立ってん。何を遅れとるんや! せっかく皆おんのに! ほんまにマーくんは!って。」「やっぱり。」「うん、せやけどその後にすぐ思い直したんやけど・・・つまり・・・私が言えた義理か?ってな。」「む。」「いつも忙しくして家にマーくんを放置しっぱなしで、それでもたまに帰ってきたときにはマーくんに甘えて慰めてもらって、いつでも家に帰ればマーくんおんの当然みたいに思とったわ、いつの間にか。仕事ばっかで帰らへんでいつもいつもマーくん一人にしとんのはどう考えても私らの方で・・・たまたま一回だけマーくんが遅れたからってそれを責める権利とか、私には無いわな・・・」「なるほど、うむ、確かに。『お前が言うな!』ってやつだな。」「・・・そこまではっきり言わんでもええやん。」 とりあえず卓上の八神の右手を右手で取ってキュっと握ってみる。握った手ごしに八神の目をみて笑って見せてやる。「まあそんなに気にすることは無いんだけどな・・・実はな八神、今日についていえば本当は7時前には帰れた。」「え?」「フェイトさんが保護した子の話は聞いたよな。その関係で一緒にあちこち走り回ってるうちにいつの間にか、昔みたいにフェイトさんと隔意無く普通に話せるようになってさ、それで久しぶりに話してみたら会話が盛り上がってしまって・・・そんで遅れたわけよ、本当は。」「緊急の治療とかあったわけやなくて?」「うむその通りって、痛いってつねるな。」「なのはちゃんだけか思っとったらいつの間にかフェイトちゃんまで・・・伏兵やった・・・ほんまもぅマーくんは・・・」「おいおい落ち着けって、どっちも何も無いなんてことは本当は分かってんだろ。」「せやけど・・・」「まーそれはともかく、やっぱり一回、ちゃんと聞いとくべきかな。」 少し真面目な顔をして八神を正面から見つめる。「なんなん?」「つまりだな・・・お前が仕事頑張るってのはいいとして・・・その・・・ずっとこんな調子で頑張り続ける気か?」 聞いてしまった、が、しかし確かにいつかは聞かねばならんことで。「それは・・・」「中学卒業してからこっち・・・いや実は中学の頃もそうだったけどさ、お前、忙し過ぎとしか思えん。」「・・・」「いつか・・・そうだな、仕事辞めろとか無茶は言わんがせめて普通の会社員程度の勤務時間くらいにはなるのかね? 休日も普通に世間並みのさあ・・・今のお前だと本当に四六時中仕事で休日も不定期で休日の予定でも仕事入ったら仕事で・・・今月は確かに俺の方も忙しかったとは言っても俺は普段から余裕持って世間一般から比べると凄く休みが多い状態で仕事してる、それが今月は俺は珍しく、そこそこの仕事時間になって社会人として普通程度に忙しかった。いやそれでもまだ本当にフルタイム勤務してる人よりは拘束時間は少なかったろな。 そしてそういうふうに、俺がちょっと忙しくなっただけで、お前とこうしてちゃんと向き合って話ができるのが・・・3週間ぶりとかってどうよ? 常時待機し続けて、臨時に帰るお前を待ってなくちゃまともに会えない状況ってのはどうも・・・一緒に食事取れるのも久しぶりでそれを喜ばなくちゃいけないってのがそもそもだなあ。」「・・・」「せめてさ、日曜の夕食だけは一緒にとか・・・出来ない?」「・・・わからへん。」「このままの状態がずっと続くとか・・・流石に無いよな?」「・・・わからへん。」「・・・そか、分からん、か・・・」 重い空気になってしまった。「・・・まぁ、俺もお前も若いしな? バリバリ仕事したいって気持ちも分からんことも無いし。うん、これは今すぐにどうこうって結論が出せる問題じゃあ無いか。」「・・・」 卓の向こうでうつむいてしまった八神のそばに回り込んで、片手で軽く抱きしめながら片手で顎をつまんで顔を上げさせる。 むぅ、泣きそうだ・・・不安そうで、申し訳なさそうで・・・「マーくん・・・」「あんま気にすんなって。」 軽くキスしてやるのだが表情変わらず。ギュっとしてやってもなんか心ここにあらずというか。 俺は「大丈夫だよ~ほんと気にするなよ~」って言いながらよしよしってしてあげてたんだけど。 そのまま八神は俺の胸に顔を埋めて、すんすんって啜り泣きをしばらく続けて・・・いつの間にか眠ってしまったようだ。 眠りについても寝顔も何かすっきりしてないというか、まだ表情の曇りは拭われてないままというか・・・ とりあえずリビングのそばで隠れて待ってたシグ・シャマを手招きして八神を寝室に運んでもらう。 さーてどうしたものかね。 その日はそのまま、それぞれがそれぞれの寝室で眠りについたのだが。 朝起きると既に八神・シグナム・ザフィーラ・リインがいない。早朝払暁に任務が来たので出たらしい。 シャマルさんとヴィータと話してみるも、やはり今の過密な程の仕事も八神が自分の意思でやってることなので止めるとか無理とのこと。 俺たちがすれ違うのを二人ともかなり真剣に気遣ってくれているのだが。 しかし八神本人の意思が今は仕事優先ということにある以上、どうにもならねーと・・・ヴィータは無念そうな表情で言う。 結局、解決策などは見つからず。 やはり八神があそこまで仕事する、その理由が問題なのかな。単に仕事好きってだけとも思えん。 なんとかそのへん話し合わないことには・・・ しかしその機会も無いまま・・・ ☆ ☆ ☆ 時がたつのははやいもので。 もうすぐ夏が終わってしまうって季節になった。 夏が終わればアメリカの学校が始まってしまう。これまで以上に時間が取れなくなる。ミッドに来るのも減るだろう。 そのことに漠然と不安を感じながらも、まあこれが俺の決めた道だし。 しかし八神とは相変わらず一カ月に数回とかしかちゃんと顔合わせて食事もできんぜ・・・どーもな・・・ 中学卒業するまでは何も問題無かったはずなのだが・・・卒業して八神がフルタイム勤務するようになってからこっちどうにも俺たち二人は少しずつ、なにがしかのズレが出てきてしまってるかのような・・・ まあ、あんまり深く考えるのは止めとこう。 学校開始前、夏休み最大の出来事は・・・ エリオ君の本局病院への入院であった。やっと順番が回ってきたのだ。 保護してから数カ月は衰弱した肉体の回復と静養に努めてきた。 どこかに致命的な傷があるとかそういうことは無いのだがとにかく全身ボロボロだったのだ。 そして・・・肉体よりも重いのが心の傷の方で・・・ 彼は自然な成長による自然な人格の獲得というのをしていないのだそもそも。ある程度の年齢まで培養層の中で人工的に成長させられて、半覚醒状態のまま睡眠学習的に言語だとか常識だとか知識だとかを刷り込まれて、さらに彼の場合は親御さんの希望で、薬物などを使った強制的な深い暗示をかけられて、親御さんとエリオ・オリジナルとの間にあった会話集などの膨大な凡例を頭脳の奥底に無理やり植え付けられて、さらに実家の映像だとか両親の笑顔だとかも記憶させられて・・・ 彼がその状態から目覚めた時、まずは実家の自分の部屋で両親に見守られていた状態だったそうだ。 人工的な記憶だ、齟齬はある、しかし記憶と現状に大きな差は無いし両親への愛情も確かに自分にはある、違和感がどこかにあるけどそれは両親の言ったように事故で混乱してるだけなんだろう・・・とエリオ君は思ってたそうだ。 ところがその平和な箱庭は、両親たち自身の手によって破壊される。 本当にちょっとしたクセとか仕草が、やはり微妙にオリジナルとは違っていたそうで、そういうことが重なるにつれて両親は、両親とは信じられないほど冷たい顔をエリオ君に見せるようになり、そしてある日いきなり引き離されて研究所に逆戻り。 何がどうなってるのか分からないままで恐ろしく苦痛を伴う人体実験をされ、最初のうちはエリオ君は泣き叫んで親を呼んでいた。 しかしある日、余りにもうるさいので研究員の一人が残酷な真実をエリオ君に告げてしまう。 お前は作りものだと。 お前は代用品に過ぎないんだと。 そして失敗作だったから捨てられたんだと。 子供でも納得せざるを得ないように映像とか交えて正確精密に説明されてしまったそうだ・・・(そんなことをした鬼畜研究員はフェイトさんの手によって刑務所に叩き込まれた) しかしそれを聞いた時からエリオ君から表情が消えた。 苦痛を感じても全く表に出さなくなった。 正に人形のように・・・その境遇を受け入れてしまった。 彼の心は。 一度、壊れたのだ。 一度そういう状態になってしまった子供に・・・もう一度心を取り戻させるにはどうしたら良いのか。 簡単で便利な方法などは無い・・・ 人工的に人格を植え付けられた上に一度それも壊れてるわけだから・・・ 新たな人格が、自然に成長するまで、気長に接し続け、話しかけ続けるしか無いのだ。 そうだな・・・実の親でも出来ないくらいに愛情深くエリオ君を見守り接し続けるってことが出来る人でもいないことには彼の・・・肉体はともかくとして心の回復は望めないわけなのだ。そして普通の医療従事者はそこまではしない。俺も含めて。そこまで一人の患者の面倒だけを専門的に診るってのは現実問題不可能だ。 だからフェイトさんしかそれはできず、そしてフェイトさんはそれをした。 本来は縁もゆかりもない子供なのに、エリオ君を見出したその日からずっと。 フェイトさんはエリオ君を見守り続け、話しかけ続け、接し続けた。 それも我慢して頑張ってそうしてるわけではない。あたかも自分の本当の肉親に接するかのように・・・ その甲斐あって、なんとか近頃は、イエス・ノー程度の受け答えはしてくれるようになった。 時として優しすぎるほどに優しくなり、すぐに感情があふれてグダグダになってしまうのはフェイトさんの欠点かと思っていたが・・・ あふれる優しさを惜しみなく注げるってのは凄いもんだ・・・俺ではとても真似できん。 そして予約の順番も回ってきたので。 本局病院リンカーコア障害治療部にエリオ君を回して、そこで本格的なコア治療に移ることとなった。 これまでの地方病院から、移送用に一台救急車借りて、まだ基本的に寝たままのエリオ君を寝かせて、それにフェイトさんと俺と、あと看護師さんが一人付き添って、車だと数時間はかかる本局病院に向かう。エリオ君はたまに発作的に暴れることとかあるけど基本的に大人しくしてるし何かあってもフェイトさんなら取り押さえることができるし、容態は肉体的にはかなり回復してて、大きな障害が残っているリンカーコア以外の部分は既にほぼ健康、何の問題もなく本局病院につくことであろう。ちなみに彼は魔法的疾患にかかってるわけだから、なるべくこういうときは魔法的刺激を与えない方が良いので転送とか飛行魔法は使わない。彼のコアは長年の過剰な魔力刺激で過敏になっているので念のためである。ほぼ大丈夫だろうけど万が一まで考える。 さて。 俺は医者で、乗ってる車は救急車で、やってることは患者の搬送で、走ってる場所はクラナガン郊外のハイウェイ。 これで警戒しとけって方が無理だよな? 妙に交通量が少なくて対向車を全然見ないとか。 山道に入って前後にも車を全く見なくなったとか。 そしていきなり車が停まったとか。 つまるとこ、注意しようとして無ければ気付かないのだな。 なんだかんだ言っても俺は患者のエリオ君にこそ注意してたが周囲には意識を払って無かった。 そこがさすが執務官。 フェイトさんは停車した瞬間、立ちあがり。「マシュー。何かおかしい。警戒して。」 と平静な口調で言った。 それに対して俺は、「はい?」 ってマヌケな口調で返すしか無かった・・・(あとがき)・エリート若手キャリア出世街道驀進中!の八神には定時も無ければ定休も無い! 普通に会えるわけもない!・やばい本当の夫婦でも離婚しそうだ、これが続けば・・・・エリオ君の境遇マジメに書けば洒落ならんですな。次回はフェイトさんと初タッグなるかも。数の子も出るかな。