学園都市に悲しみが降り注ぐ。
その悲しみは『羽根』という形をしており、それに触れてしまえば誰しもが例外なく悲しい気持ちへとなった。
そんな異常事態の中、降りしきる羽根で身体を白くしながらも無言で立ち尽くす男たちがいた。
第七学区の『不良(スキルアウト)』たち。
彼らは学園都市において『無能力』という烙印を押されたものの、それをよしとせずに体を鍛え、他の能力者たちに対抗しようとしている者たちだ。
そんな彼らは当然ながらメンバーのほとんどのガタイが良い。
特にリーダーである駒場 利徳に至っては他のものよりも頭一つ分以上大きい、まさしく巨漢と称するにふさわしい人物だった。
その彼の周りには浜面 仕上や半蔵など彼のスキルアウトのメンバーたちがいた。
ただし、彼らの表情は一様に唇を噛み、眼を見開いている鬼瓦のような者であった。
そして、その中の一人が突如として膝をつく。
「ぐっ、がっ、ちくしょう! すまない、みんな…」
彼はそのまま地面に這いつくばるかのように倒れこみながら、嗚咽を殺して男泣きを始める。
泣き始めてしまった彼を見ながら、スキルアウトのメンバーは思う。
次は、自分かもしれない、と。
彼らは自分たちが、男臭いことを知っていた。
もっとも、それはつっぱって不良なんてものをやっている彼らからすれば当たり前のことだ。
だが、今はその当たり前のことが彼らを追い詰めている。
想像してみて欲しい。
男臭い男たちがたむろして男泣きしている姿を。
その光景は、果たしてに正視出来るだろうか、いや、出来ない。
彼らは、そのことを誰よりも明確に理解していたのだ。
そして、この一連の現象の元凶は他でもなく空から次々と舞い降りてくる羽根。
羽根自身ははるか遠くに見える巨大な翼から発生しているかのように見えるが、彼らにはそんな事を検証している余裕はなかった。
ともあれ、空から降る羽根は『誰か』の感情を彼らにダイレクトに伝えてきた。
誰かの感情は、ただ悲しいと彼らに訴えかけ感染させる。
まるで、本当に自分自身が悲しんでいるのだと錯覚させられるのだ。
それは涙を流させるほどの感情の嵐。
しかし、その感情の波にさらされながらも、彼らは耐える。
時折、倒れて泣きだす者もいて次第にその数を減らしていくが、それでも彼らは耐えた。
彼らの心にあるのはたった一つの信念。
――――俺らが泣いたら、キモクね?
悲しいかな。それは真実であった。
それ故、彼らは泣くことは許されず。
また、羽根の感染を防ぐことも出来なかった。
彼らに許されるのは、ただ押し寄せる悲しみに耐えることだけ。
だが、それもやがて限界を迎える。
「!?」
羽根を伝わってもたらされるものに、別の者が含まれたのだ。
それは、彼の普段の光景。
どれほど拒絶されても、相手にされずとも愚直なまでに『彼女』に思いを伝え続けるその姿。
遥か高みにいる彼女の隣にあり続けようとするその姿勢。
そこで、彼らはようやく気がついた。
この振り続ける羽根は悲しみなんかではない、と。
降りしきる羽根は『哀(あい)』。
行き場をなくした『愛』が、そのまま昇華されてしまった感情なのだと。
「こ、こんなの……」
スキルアウトの一人、浜面は思わずそう口にする。
その続きが何なのかは分からない。ただ、消えてしまった言葉は彼だけが知っている。
それでも、彼が涙を流し始めたという事実が、答えを教えてくれていた。
気がつけば、周りのスキルアウトたちも、それこそ彼らを率いる首魁の駒場 利徳さえも涙を流している。
浜面はそんな彼らを見つめながら、たった一つだけ言葉を漏らした。
「ああ、気持ち悪いなぁ」
それは、男臭い地獄の蓋が開かれた瞬間。
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「とうま、帝督を助けてあげて」
その言葉と共に銀髪の少女は、涙を流しながら倒れた。
上条は、ただ彼女を優しく抱きしめると、自分の病室のベッドの上に横たえる。
壊れモノを扱うかのように優しく、その腕に万感の想いを込めて。
そのベッドには、天井から次から次へと純白の羽根が舞い降りている。
上条は、その羽が誰のものなのか知っている。
そう、それは彼の親友であり、最低の変態の柄にもないメルヘンな翼。
それは、『幻想殺し』をもつ上条が触れてしまえば、瞬時に消えてしまうものだ。
インデックスは、その翼が帝督の感情を伝えているという。
どうしようもない悲しみを。
上条にも、それは分かっていた。
そのあまりに純粋な思いは、垣根 帝督のものなのだと。
上条は、唇を噛み、右手を握りしめた。
(あの馬鹿。人に一人で背負いこむなって言っておいて、自分が一人で背負いこんでんじゃねぇか)
折れてしまった彼の足。
全治には3ヵ月もかかると言われていたその足は、『先生』もとい、アウレオルス曰く骨がすでに繋がっている状態であるという。
それは、ハッキリ言って上条自身もあり得ないことだと思う。
何故なら、彼はただの人間だ。
右手であらゆる異能を打ち消すだけの、傷を負えば死ぬこともある普通の人間だ。
だから、これは上条の力ではない。
原因なんてものは、上条は知らない。
ただ、上条はそのことに獰猛な笑みを浮かべる。
これで、何者も彼を遮ることはなくなった。
彼の右手は、便利だ。
異能を打ち消すことしか能がなく、自分自身に不幸を背負わせる右手。
それでも、彼の右手はとても便利だ。
何故なら、
「待ってろ、変態」
彼の親友を救えるのだから。
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悲しい。
いや、哀しい。
俺は、失意のどん底でそんなことを思った。
大好きだった彼女。
彼女が、もう二度とクルクルとよく変わる表情を見せてくれないことが、とてつもない虚脱感を俺にもたらした。
あ、あと彼女で童貞を捨てられなかったことも。
いや、大好きな人とエッチしたいと思う事は悪くないはずだ。
ソレはともかく、しばらく我を忘れて泣いていたのだが、気がつけば俺の背中には異様な大きさの翼が生え、辺りに羽根を振らせていた。
正直に言おう。
「なんじゃ、こりゃあ?」
こんなこと、俺は知らない。
俺の能力は、『脳内メルヘン』はこんな凄まじいことができるはずがない。
そして、腕の中にいる血まみれの美琴ちゃん。
彼女を見るたびに涙があふれてくるが、その肌はすでに地を失ったため真っ白に変色している。
そこで、ようやく実感する。
彼女が本当に死んでしまったのだと。
俺は、彼女が熱を出して病院にいるものだとばかり思っていた。
しかし、おそらく彼女は病院を抜け出してまで此処まで来て、一方通行と戦った。
俺は彼女の死体を抱きしめながら、目の前にいる白い悪魔に視線を向ける。
一方通行は、俯いておりこちらを見ていないがその頬には幾筋かの涙の痕が見える。
恐らくは、泣いたのであろう。
何故、泣いているのかは分からない。
ともあれ、もし俺があの時に調査を優先せず美琴ちゃんと共にいることを選択していたら、彼女は死ぬことはなかった。
俺がいたら、こんな所に来させるはずがなかったから。
だから、
「美琴、ちゃん」
俺は彼女の肩に顔を埋める。
すると、いつもの柑橘類系の良い香りの代わりに、鉄臭い据えた血臭がした。
「お前、本当になんなんだよ?」
俺が、しばらくそのまま動かないでいると、不意に一方通行が呟いた。
俺はノロノロと顔を上げる。
すると、一方通行が泣きながら俺に向かって歩みよってきていた。
俺はと言えば、美琴ちゃんを放り投げて逃げるわけにもいかず、ただ彼女を見つめるだけに留まる。
「これが、私の罪を自覚させられることだけ、それだけが、私に対する罰だとでも言いたいの?
一生、罪の意識に苛まされることが!」
同時に、俺は襟首を掴まれて引き上げられる。
美琴ちゃんも俺の手から離れ、大地に倒れることになった。
「あ…………」
俺が無意識のうちに彼女に手を伸ばそうとすると、その手が払われた。
「ふざけないで! 私は、私は理解している! これが罪なんだって、これがいけないことなんだって!
だけど、今さらどうしろって言うのよ!? 初めに一人殺して、自覚したのに止められなくて……」
俺に叩きつけられる言葉の刃。だけど、俺にはその半分も理解できない。
ただ、彼女が何かに苦しんでいるのだろうと言うことしか分からない。
そんなこと、彼女だって分かっているだろう。だと言うのに。彼女は言葉を吐き出し続ける。
「1人の時点で止められなかったことを責めているの!? だったら、貴方がやれば良かったのよ!
私は、私は、所詮は貴方の『代替計画(ニュープラン)』だったんだから!!」
「は?」
「止められるはずがない、私の反論はおろか性格、次の行動まで全てが完璧に予測されている!
逃げ道なんて無かった!! あの魔人の掌の上から逃げだせたのは貴方だけ!!」
「ま、じん?」
「知らないなんて言わせない! だって、私の前の『第一計画』は――――」
――――貴方だったんだから。
なんだ、それは? なんの話だ?
俺は理解なんてできない。俺の頭は所詮『強能力(レベル3)』程度の開発しか行われていない。
暗記はもちろん、思考の速度、発想など、とてもではないが『超能力者(レベル5)』の目の前の存在には及ばない。
だから、俺はこいつが何を言いたいかも分からない。
それでも、たった一つ分かってしまったことがある。
こいつは、逃げようとしているのだと。
美琴ちゃんを殺しておいて、それがあたかも本当の自分が望んだことではないと言っている。
それじゃあ、美琴ちゃんは何のために殺されたんだ?
こんな、こんな奴の為か!!??
「ふざ、けんな」
「?」
気がついたら、俺は口を開いていた。
悲しみに隠されていた別な感情が、剥がれた瘡蓋から顔を覗かせる。
「グダグダほざいてんじゃねぇよ。今、たった今、ここで美琴ちゃんを殺しやがったのは、テメエだろうが!!」
「!? ち、ちがっ、私は、私は!!」
「魔人だか、魔人ブゥだか知らねぇが、俺は今心底お前にイライラしてんだよ!!
よくも、よくも美琴ちゃんを殺しやがったな! 俺の、俺が大好きだった彼女を!!」
脳の中を熱い、煮えたぎるような血液が駆け巡る。
そして、俺はそのまま一方通行の俺の襟首を掴んでいるその右手を掴んだ。
ボキリ
「え?」
直後、嫌な音がした。
俺はその音の音源。正確には俺の襟首を掴んでいた一方通行の手首を握ろうとした自分の左手を見る。
プラーンという音が似合いそうなほど脱力して、感覚がなくなっている。
気のせいか、次第にその部分の肌の色が紫色に変色していく。
い、いやいやいやいやいやいやいや!!
さ、流石にこれはないって! いくらなんでも、一撃も与えられずにこちらは致命傷とか、そんなダサい展開!!
アレレ? ナンダカ腫レテキタ手ガ痛イゾ?
しかも、手首とか曲がって構わない部分ではなく、そのちょっと下。明らかに曲がってはまずい部分が曲がっている。
まるで、間接がもう一つ増えてしまったかのようなソレは明らかに視覚的に異常だと判断できる。
「え、あ、その…」
一方通行も何故だか非常に申し訳なさそうな顔をして、俺の襟首から手を離した。
しかも、その瞳にはどこか憐憫の情が混じっている。
「…待て待て待て待て。いや、違うから。これは、骨折とかそう言うのじゃないからね?」
「……」
「ほ、ほら、これはプラプラしてるけど、たぶん逆に曲げれば治るから!」
「……」
「……」
いつしか俺も言うべき言葉が無くなり、無言になる。
気まずい、あまりにも気まずすぎる沈黙が流れた。
いやはや、とりあえず攻撃しようにも痛みのあまり能力発動に集中できない。
痛みは、次第に熱を持って俺を苛む。
目の前には、最強の『超能力者(レベル5)』。
あれ? 俺ってばこれ死んだんじゃね?