Episode 4.5 「Buying Time」
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何時もどおりの能天気な笑顔が言葉を発した。
「デートしない?」
眠いのを我慢して朝食を腹に叩き込んだ後、ぼんやりと自室へ向けて歩いて居たら。
背後から走りよってきたエーリカにそんなことを聞かれた。
エーリカ、そしてデートと聞いて真っ先に思い浮かべるのは何時ぞや連れて行かれた哨戒任務だ。
っていうかまた哨戒任務かよ……疲れてる上にあんま寝てなくて眠いんだよ。
ガラス掃除やった後も、日課にしてるサーニャとの交信訓練したからな。
最近漸くコツの様なものを掴めて来たような来ないような、まぁそんな按配なのでやってて面白いのではあるが。
慣れてないのに集中なんかするもんだから体力気力魔法力をごっそり消費して疲れるのである。
朝は朝で起床ラッパが七時だし、起きないとご飯食いっぱぐれるわ朝礼に遅れるわでゆっくり寝てられないし。
何だかんだ言って、健常な肉体と精神な状況で迎えるネウロイ襲撃後、つまり休日は初めてだったのだが。
普通の一日より疲れた気がする。
「……哨戒?」
「ううん、違うよ。 本当にお出かけ」
任務なら養ってもらってる以上付き合うのも吝かでないんだが、という妥協から出た問いは、不思議そうな表情で否定された。
何言ってんの、デートって言ったらデェトだよ? と、以前同じ文句で敵地への飛行任務に連れて行った少女は首をかしげながらのたまう。
……任務じゃないなら付き合う必要も無いよなぁ。
っていうか見た目女同士だし。 フラグ立ってないし。 主にオレの方に。
復讐フラグというか、胸揉みフラグは立ってるけど。 初志貫徹、何時の日かこいつをひぃひぃ言わせてやるつもりではある、のだが。
それはそれとして、可愛い女の子からのお誘い。 本当なら涙がちょちょ切れるほどありがたいが、とりあえず今は色気より眠気である。
「……今日は、自由時間は……全部、寝る」
「私もそうしたいんだけどさ、ミーナが言うんだ……ヴィルヘルミナと一緒に居ろって」
そんな感じで断ろうとすると、エーリカは少し困った顔でミーナの名前を出した。
なぬ、ミーナさんとな? ミーナさんがオレとエーリカでデートに出かけろと?
男に対してちょっとトラウマあるだけのノーマルさんかと思ったらまさかの百合推進派だったのかあの人――!
「誤解を招くような内容を吹き込むな、フラウ」
と、内心勝手に慄いていると。 エーリカの背後に近づく姿。
相も変わらずカーキ色の制服を見事に着こなしているトゥルーデだ。
「あ、トゥルーデ」
「なんと言うことは無い、昨日お前とシャーリーが割ったガラス。 業者が来て取り替えるのでな。
その間、敷地内から出ていろとのことだ。 ……まぁ一種の臨時休暇だな」
「……ああ」
口を尖らせて何かを言おうとするエーリカを視線で制して、トゥルーデが説明してくれる。
――ああ、なるほど、ガラス業者の人ね。 つまり男の人たちがそれなりの数来るということなのだろう。
ウィッチの居住区のガラスも吹っ飛んだからな……今こうして立ち話している廊下のなんと風通しのいいことか。
なんとも潮風が気持ちいいが、それはそれ。 娘さんたちの雰囲気で忘れがちだが、ここって軍事施設だからな。
幸いにして個室の窓に被害は無かったようなのだが、速いところ補修してしまいたいのは判る。 雨が吹き込んでも困るしね。
そんな風に納得していると、ガラス粉砕の元凶の片割れであるところのオレを見て、苦笑。
腕を組んで、語りだした。
「夕方まで外に出ていることを『強く推奨する』、だそうだ」
強く推奨する、を強調して言うバルクホルン。
まぁ、こういう組織の中でそういう言い方ってことは、ほとんど命令と同義なんだろうけど。
「というわけで、降って沸いた余暇だ。 折角だからクリスの見舞いに行こうと思ってな」
「先週も行ったのにね。 あんまり基地からは離れないようにって言われてるのに……まったくトゥルーデは妹のこと大好きなんだから」
「う、うるさい! 今まで疎かにしていたのだし、これくらいで丁度いいんだ。 ミーナにも許可は貰っている。」
本来なら毎日でも見舞ってやるべきなんだろうがな。
そう顔を赤らめて主張するトゥルーデに、過保護、とジト目で小さく呟くエーリカ。
幸いにして、トゥルーデはその言葉に反応はしなかった。 聞こえなかったのか黙殺されたのかはわからないが。
眉根を寄せているところ見ると、後者なのだろう。 その表情は、年相応の女の子に見える。
まぁとにかく、一緒にお見舞い行こうぜ、って事なのね?
「……オレも、一緒に……病院、まで?」
「ああ、お前が良ければ、だがな。 何かやりたい事があれば話は別だ」
どうするよ? と視線で問いかけてくる二人。
ふむ。 エーリカに言ったとおり今日の自由時間は寝て過ごすつもりだったんだが、出てろって言われるとは思わなかった。
ただ、面識も無い人のお見舞いに行くのも何となく心苦しいものがあるよなぁ。
そういえば、他の娘さんがたはどうするつもりなんだろうか。
「他の……皆は、どうする……って?」
「ん? ああ、ミーナと少佐は基地待機だと聞いたな。 流石に基地の戦力を空っぽにするわけにも行かないし」
指揮官組は基地待機、か。
つい先日来襲したばかりだし、ネウロイの攻勢が無いと確信しての臨時休暇なのだろうが、トゥルーデの言うとおり基地を完全に空けるわけにも行かない。
しかし、美緒さんが基地居残りだとすると、ツンツン眼鏡ちゃんの動向も自動的に判ってしまうな。
そんなオレの予想が、エーリカの言葉によって肯定される。
「ペリーヌは聞かなくても判るでしょ? 坂本少佐にべったりだもんね」
あの十分の一でも見せてくれれば可愛げもあるんだけどねぇ、とエーリカが苦笑しながら呟く。
いやいや、あれが60年後の未来、極東で持て囃されるで言うツンデレって奴ですよ……少し違う気もするけど。
あのままでも十分可愛げはあるぜ? 尽くす系だし。
「宮藤とリーネは……」
「バルクホルン大尉っ」
後方から、聞きなれた元気な声。
噂をすれば影である。 振り向いてみれば、廊下の向こうから走りよってくるリネットと芳佳の姿。
その姿を見て、トゥルーデが溜息と一緒に、小言を吐く。
「宮藤、リネット。 廊下は走るな」
「あ、すいません」
「いや、いい。 気をつけろよ、と言いたいだけだ。 ……で、どうだった?」
はい、と一呼吸おいてから。 そこでオレに気づいたようで、二人は小さくおはよう、という挨拶。
返事と頷きを返してやると、にっこり笑ってからトゥルーデの質問に答え始めた。
「シャーリーさんが、私達と一緒に来たいそうです」
「ルッキーニの奴は?」
「ルッキーニちゃんは近くの村の子のところに遊びに行くって」
「ふむ、そうか。 シャーリーは自前の足があるだろうし、この人数ならワーゲンで大丈夫だな。 フラウ、頼んだぞ」
「ま、トゥルーデに運転させるとロンドンまで一週間かかりそうだからね。 任せといてよ」
エーリカの視線と軽口に、珍しく言葉を詰まらせて苦々しい表情をするトゥルーデ。
意外だな……運転苦手なんだ。 ストライカーユニットの扱いはあんなに化け物じみてるのに、車の運転が苦手なんだトゥルーデ。
なんだそれ。 萌えポイント狙ってんのか?
「芳佳と……リネット、も……お見舞い?」
「えっと、私達は近くの町まで買い物に行くんです」
ええっと、此処から近くの町というと……あの辺とかなのか?
各種勉強の際に何度か見せてもらっている、ブリタニアの地図を思い出して、この近くにある大きな有名どころの街の名前を幾つか挙げてみる、が。
返ってきた言葉は否定だ。
「芳佳ちゃんが、家具とか服とか見たいって言うから……もっと近いところじゃないと、運べないんです」
「ふ、服は良いってば、リーネちゃん。 ブリタニアの服ってなんかハイカラで……私なんかに似合う服無いってば」
「そんなこと無いよ芳佳ちゃん! 芳佳ちゃんにもきっと似合う洋服あるから!」
「えー」とか「だよー」とかいちゃつき始めた二人を横目に、少し考える。
成程、家具ね。 それなら確かに、出来るだけ近場が良いか。
運ぶのは手間だし、基地は軍事施設だからな……配達とかも頼み辛いだろうし。
しかし、服か……ふむ。 興味は、あるな。
いちゃいちゃしてるリネットに、とりあえず確認。
「服……見る?」
「え? あ、はい。 流石にロンドンやドーバーほど良いお店は無いですけど」
「……オレ、も……行く」
服屋。 うん、大いに興味あるね。 主に、普段着的に。
デザインとかはどうでもいい。 出来ればパンツじゃないズボンとかスラックスとかジーパンとか、凄く欲しいです……!
「ん? ヴィルヘルミナはリネットたちと一緒に行くのか」
「……ん。 ……ごめん」
「ああ、まぁ構わないさ。 次の機会、ということにしよう」
すまんねトゥルーデ。 そう言うことにしていただきたい。 心の中で深く謝っておく。
妹さんの事はそれなりに心配だが、どうにかなるはずではあるし、オレの精神衛生状況を改善するチャンスがあれば何とかしたいのです。
「さて、では――他に何かあったかな?」
その言葉に、一瞬だけ考え込んで――そういえば。 あの百合っこ二人組み共はどうなったんだろうか。
彼女達は夜勤組である。 オレ以上に眠いはずなのだが。
「エイラ……と、サーニャ、は」
「ああ、あの二人は自室待機、というか今日は寝る日だ」
さも当然のように応えるトゥルーデ。 その言葉は、オレに電撃のように突き刺さった。
なん……だと……? オ、オレも寝たいです!
「じゃあ……オレ、も」
「エイラもサーニャも昨晩は夜間哨戒だったし、今夜もそうだ。 夜間組は寝るのも仕事の内だからな」
お前は……まぁ同情してやらんことも無いが、とりあえず駄目だ。
そう、トゥルーデはにべも無くオレの希望を却下した。 お姉ちゃんの石頭!
「うらやましいよねー、任務内容に睡眠があるんだよ、睡眠が!」
「エーリカ、一応我々も睡眠は仕事のうちなんだがな……」
夜寝るのと、昼間寝るのは別腹だよ別腹! と、エーリカが訳のわからん自論を展開するのに、トゥルーデは溜息を、芳佳やリネットは苦笑を浮かべることしか出来なかった。
……別腹? 腹?
「こほん。 まぁ、そういう訳だから……各自準備して正門前に集合。 十分後だ」
何となくぐだぐだになってきた空気を振り払うように、トゥルーデがそう言って。
三々五々、自分の部屋へと向かっていく。 しかし、買い物かぁ……なんかいいもの有るかなぁ。
ぱんつじゃないズボンとか、パンツじゃないズボンとか、或いは下穿きじゃないズボンとか。
個人的にはその辺を切に、切に希望いたします。
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町のほぼ中央部にある噴水。 その縁に腰掛けながら、疲労しきった精神に休息を与えてやる。
シャーリーのサイドカーと併走して、走ること三十分弱の距離にある、小さな町。
エーリカが調子に乗ってシャーリーとチェイスすると言う無謀かつ同乗者にとっては甚だ迷惑極まりないイベントもあったが、とりあえずは無事に辿り着いた。
足になってくれたエーリカ達のワーゲンを見送ってから、アスファルトのメインストリートに面した店を回ること数件。
とりあえず、家具などの大物は後にして服から見よう、という尤もらしい意見に従ったのだが――正直女の子の買い物というのを舐めていた。
……なんで服一着買うのにあんなに時間かかるんだよ。 俺が欲しいのなんてタイツと丈の長めの上着だけだってのに。
こう、買い物に関しての女の子のバイタリティってのは洋の東西どころか世界を跨いでも変わらんものらしい。
手元には、紙袋が二つ。
一つには、手持ち無沙汰だった為、冷やかしに入った書店で見つけた本が一冊。
題名はThe Hobbit, or There and back again. 著者は、Tolkien――あのトールキンである。
ファンタジー小説に興味は無かったものの。 かつて聞いたことのある代物と出会うのは、懐かしいという感情を抱かせるのに十分だった。
まぁ、スーパー爺ことガンダルフが出てくるお話、くらいの認識である。
英語故に読むのが大変そうだが、結局は勉強用と暇潰し用。 児童書だから、きっと文体も綺麗な事だろう。
そして、もう一つには丈の長いワイシャツが二着。 あと手元にあるのは、伝票というか……注文票のようなもの。
服飾店といっても、現代というか未来というか――にあるような量販店などまだ普及しているわけも無く。
ズボン――もとい、替えの黒タイツとか、スパッツとか、サイハイソックスとか。 そういった身体にフィットするような物は、採寸とかが必要だったのである。
というわけで、タイツだのスパッツだのを注文して。 仕立てにしばらく時間がかかるということだったので。
その間の時間をつぶす為に娘さんがたはまた別の店へと繰り出していったのだが、正直お腹一杯だったオレはこうしてちょっと休憩している、というわけである。
というかこの眠い状態にあのテンションの高さの女の子は毒でした。
ただ、収穫が有るにはあった――スパッツが存在したことだ。
タイツを上に履いてるとはいえ、流石にローライズのズボ……もといぱんつを履き続けるのは精神衛生上非常によろしくない。
スパッツはスパッツで色々考えさせられるのだが、パンツ丸出しよりゃ幾分かマシな感じである。
尤も、スパッツの上にタイツ履くことになると思うとすこし格好悪そうでは有る、のだが。
あと、紳士用のズボン有ったからじっと眺めてたら「お客様はもっと若々しいのがよろしいと思いますよ」とか店員に言われたし。
え、いやババァとかジジィ扱いされてもいいからオレズボン――長ズボンとか履きたいんですけどっ。
それに、ベルト見てたら普通にスカートあった。 サッシュとかの飾りベルト的扱いとかツッコミどころ満載だったりした。
「……ふ、ぅ」
大変だった十数分前を回想するのをやめて、溜息を一つ。
耳に聞こえてくるのは、背後から響く噴水の音と、微かな雑踏の音。
魔法か何かの力を介さないで聞こえてくる言葉は、明らかに英語で。
目に見えるのは、疎らな人影と、日本ではほとんど見ることの無い町並み。
アスファルトの道路と、時代を感じさせる石畳の比率は半々程度。
建物は煉瓦や、あるいは漆喰で塗り固められた物ばかりで。 電球の代わりに金網で出来た円筒が入っている街灯は、おそらくはガス灯なのだろう。
視界の隅には、石焼芋の屋台の様なもの。 書かれている文字は、Fish and Chips。
イギリス名物の糞不味いと評判のジャンクフード、だったろうか。
ブルネットの髪の、青いワンピースを着た女の子が屋台のおじさんから紙袋を幾つか受け取っているところだった。
一つ、二つ、三つ、四つ……あんなに食うのか。 見てるだけで胸焼けがしてくる。
視線を逸らそうとしたところで、女の子が振り向いて。 こちらを見て、驚いたような顔をした。
そのまま駆け寄ってくる。
「バッツさん!」
オレの名前を呼ばわる女の子。 えぇ、誰よあんた……?
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お一つどうですか、と差し出された魚のフライをやんわりと辞退しつつ、隣に座る女の子の顔を見返す。
残念そうな表情だったが、すいません。 凄く油っこそうなんですもの……寝不足の腹でそんなものが食えるか!
「まさか、こんなところで会えるとは思いませんでしたよ、バッツさん」
「……ん」
その後どうですか、何処か後遺症はありませんでしたか、と聞いてくる彼女に、特に大事は無いとだけ伝える。
本当は色々会ったのだが。 大怪我しまくりだったのだが。 不必要に心配させることも無いだろう。
それを聞いた彼女――アイリーン嬢は。 よかったです、と呟いて魚のフライを口に含んだ。
アイリーン。 病院に居たときに着ていた白衣を脱ぎ、アップにしていた髪を下ろして居たため誰だったか判らなかったのだが。
オレに、治癒の魔法を掛けてくれた女医さんだった。 聞いてみれば、今はちょうど早めの昼休みらしい。
「それで、今日はなんでこの街に……はっ、まさか軍の機密任務とかですかっ」
「……それは、無い」
「えー」
残念そうに全く見えない表情で不満を口にして。 さくさくとフィッシュアンドチップスを消費していくアイリーン。
結構ノリの良い、ルッキーニとは別の意味で喜怒哀楽の表現の激しい子だ。 というかウィッチーズ基地に居ないタイプの子である。
入院していた間、色々と世話を焼いてくれた人、という意識もあって。 会話するのに抵抗を感じさせない。
「今日……休暇……」
「そうなんですか。 あれ、じゃあロンドンまで出たほうが良いんじゃないですか?」
ロンドンのほうが遊べる場所も多いですよ、という彼女に、首を振って応える。
「……基地……から、あまり……離れるのは」
「あっ、そうですよね」
「それに……」
「それに?」
「余り……人の沢山居る……ところは」
そう、発言した途端。 眉尻が下がり、じわりと彼女の青い目に涙が浮かぶ。
ちょ、え、何でだよ!? なんか地雷ワードだったの!?
混乱の余り動きの固まったオレに向かい、アイリーンは謝罪の言葉を述べた。
「ご、ごめんなさい、私の力が足りなかったから……ごめんなさい……っ」
いや、そんな急に謝られても、何がなにやら判らないんだが。
というか寧ろ治療してくれた貴女にはオレが感謝するべきであって何故謝られなければいけないんだろうか。
泣き出しそうな彼女をなんとかな宥めて。 聞いた理由は、それなりに予想外で――しかし納得のいくものだった。
「火傷の跡が残ってしまったから」
……ああ、なるほどね。 別に余り気にはしていないのだが。
やはり、傷が残るというのは女の子にとっては重大事なのだろう。
というか、今思い出してみれば初対面のときに問題ない感謝する、と伝えて涙ぐんだのもこの所為なのか……?
命があっただけでも儲けものだし、第一、人が沢山居る所が苦手なのは雑踏が大嫌いなだけである。
日本の通勤ラッシュの電車とかなにあれ。 乗る奴馬鹿じゃねえのと思うくらいキツいんだよ……
兎に角。 純粋に人混みが嫌いなだけだと納得のいくまで、回らない舌で説明してあげて漸く彼女も納得してくれたようだった。
「本当は、この町も……もっと、賑やかなんですよ」
目尻に滲んだ涙をハンカチで拭って、二、三回瞬きしてから。
まだ少し赤い目で、アイリーンは周囲を見回しながら唐突にそう語り始めた。
平日の昼間という理由で疎らだと思われた人の数と、声。 時代を感じさせるガス灯。 アスファルトと石畳の混在する道路。
オレが異国情緒を感じていたそれらは、実際のところはそんな和やかなものではなく。
ガス灯は、本当なら去年までには全部電灯に置き換わっていたはずで。
劣化の激しい石畳はアスファルトを敷くどころか、修復すらままならない状況で。
ここからは見えないが、町の外れの方には、以前水際防衛に失敗した大型ネウロイの墜落痕が未だに残っているそうだ。
「子供達はほとんど、ウェールズの方に疎開させたんです。 ……本当は、今くらいの時間だとこの広場は小さな子達の遊び場なんですよ」
そして最後に、そう、懐かしいものを思い出すような――そんな声で彼女は言った。
……子供て。 アイリーンも、随分大人びて見えるとはいえ、魔法を使えるならそれなりに若い、んじゃないのか。
「アイリーン……は」
「私も魔女ですけど、魔法力が低くて……それに、運動神経も悪くって試験に落ちちゃったし」
治癒の魔女は貴重で、だからこそ多くが国の要請や自らの希望で戦場へと向かう。
彼女達のお陰で、多くの人達が死地で命を拾っている――だけど、だからといってそれ以外の場所での怪我人が減るわけでもないから、と。
「この町が大好きだし、皆戦ってるんだもの。 何か出来ることがあるなら……逃げてられませんよ」
「……」
「それに、ウィッチーズ隊が編成されてから、随分と安心して生活できるようになりました」
「……ん」
「以前は、空襲警報が何時鳴るかひやひやしながら暮らしていたんですけど……ここ暫くは、そんなこともなくて」
でも、昨日、凄い音が遠くから聞こえてきたんですけど……なんだったんですかね? という彼女の問いには、曖昧な相槌を返しておくことしか出来なかった。
……ホントごめんなさい。 正体はオレとシャーリーです。
爆音の正体を話そうかどうか、内心悩んでいると。 アイリーンは、突然何かを思いついたように手を鳴らした。
「あ、そういえば……バッツさんって、あのウィッチーズ隊所属、ですよね?」
大陸からの撤退が行われた直後なら兎も角、最近になってまでこの辺にいる異国のウィッチといえば、その筈ですよね。
先ほどまでの思い雰囲気から打って変わって。 妙に目を輝かせながら詰め寄ってくるアイリーン。
な、何ですかとオレが思うのもつかの間。 緊張した面持ちで、彼女は白いハンカチを取り出しオレに差し出しながら言った。
「さ、サインください!」
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別れ際、サインのお礼にとアイリーンさんに押し付けられたフィッシュアンドチップス。
貰った以上は消費しなければ気が済まないので、冷め始めていたそれをもそもそと食べていると。
路地の向こうから、手に二つの小さな紙袋を持った見慣れた赤毛の彼女が歩み寄ってきた。
「よう、ビリー、いいもの食べてんじゃん。 あたしにもちょっとくれよ」
「……シャーリー」
遠慮もなく、隣にどかっと座ってくるシャーリーに、紙袋を差し出す。
正直な話、一人でこの油量は食い切れんと思っていたところなのでなんともありがたい。
シャーリーはフライドポテトを幾つか摘んで、一口で頬張って。
「うーん、ケチャップが欲しいね」
と、感想を一つ。 いや、塩味十分ついてるじゃないか。
文句言いながらも結構なスピードで食べてるし……やっぱりアメリカ人の味覚はなんというか豪快なんだな、と戦慄していると。
不意にシャーリーが持っていた紙袋を一つ差し出してきた。
なんすか?
「……何?」
「ん? お礼だよお礼」
「……芋、フライ?」
たかがジャガイモフライで何か返礼いただいても却って困るのですが、と思っていると。
いや、昨日のアレだよ、と苦笑と共に紙袋を押し付けてきた。
ああ、そうか……なんか、自分の中では決着が付いてたから予想外だよ。
受け取った紙袋。 手に返ってくる感触は、中に何かしら硬い物が入っていることを教えてくれて。
「ほら、開けてみろよ」
シャーリーのその言葉に従い、せっかくなので紙袋を開いてみる。 中に入っていたのは。
「ゴー、グル?」
「そ。 ビリー、この手の持ってないみたいじゃないか」
取り出して、まじまじと見つめてみる。 皮製の、いかにも頑丈そうなライダーゴーグルだった。
確かに、こういったものは持っていない。 いや、或いは持っていたのかもしれないが、今は持っていないのだ。
私物のほとんどは焼けたか海中に没したらしいしなぁ。
今所有する私物らしい物といえばトゥルーデに貰ったこのコンパスくらいしか無いので、彼女の言うことは本当なのだが。
「Me262、あの速度じゃ風がキツいだろ? 昨日、実際に使ってみたらやっぱりそう思ってさ」
ほら、合わせてやるから着けてみろよ、とシャーリーは言葉を締めた。
ふむ。 確かに、トップスピードだとかなり向かい風強いけど……そんなもんなんだと納得してた。
成程、あれは標準からしても強いらしい。 普通のストライカーの速度を知らないが、両方を知っているシャーリーが言うならそうなんだろう。
とりあえず、そのままゴーグルの眼鏡の部分を顔に当てる。
微かに香る皮の匂いを感じていると、後頭部に回したストラップを、シャーリーが調節してくれた。
「ほら、キツ過ぎないか?」
「……ん」
「うーん……やっぱちょっと大きかったな。 ま、皮だからいくらか伸縮性あるけど……ズレるようだったら無理につけなくていいからな」
戦闘中にズレて視界が塞がれたらヤバイなんてもんじゃないからな、という彼女に、首肯で同意する。
目を保護するもので前が完全に塞がれるのは冗談ではない。 まぁ、多少キツめに締めれば大丈夫だと思う。
何より、オレからすればアンティークぽい雰囲気を醸し出すゴーグル、なかなかに格好良いのである。
シャーリーにありがとう、と謝意を伝えると。 彼女は小さく微笑んで満足そうに頷いた。
「そういえば……芳佳、達は」
「ん? さっき小物屋の中で会計してるの見かけたから……そろそろ来るんじゃないか? と、ほら。 来たぞ」
彼女の指し示す方向。 やや濃い色のガラスの向こうには、仲良く手を繋いでこちらに向かっている芳佳とリネットの姿が見える。
二人とも、手には先ほどの服飾店で手に入れたものとは別の紙袋を抱えていた。
……あいつら、本題の家具屋のこと忘れてないだろうな?
「さーて、そろそろいい時間だし……リネットが良いカフェ知ってるらしいから、そこ行こう」
いつの間にか空になっていたフィッシュアンドチップスの紙袋をつぶして、シャーリーが立ち上がる。
ふと、遠くから鐘の音が聞こえる。 音はきっかり、十二回だけ鳴った。
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帰り道。 傍らには、衣服と本の入った袋。 周囲には、リネットたち。
芳佳の購入した小洒落たチェストを支え、ワーゲンに揺られながら微かに赤く染まり始めた青い空を見上げて思うこと。
それはアイリーンさんに、別れ際に言われたことだ。 フィッシュアンドチップスと共に、貰った言葉。
――ウィッチーズの皆には、本当に感謝しています。
オレは――その感謝の言葉と表情を、素直に受け止めることが出来ないでいた。
”皆”。 その中には、図らずもオレが含まれているのは確かな事で。
「? ヴィルヘルミナちゃん、どうかしたの?」
「……眠い」
「あはは、私も疲れちゃった」
腹の奥底で渦巻く、イラつきのような、あるいは焦燥のような感情に、戸惑う。
だから。 芳佳の問いに、誤魔化しの様な答えを返すことしか出来なかった。
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戦争は日常を壊していくというお話。
結局、資料集めの意味ほとんど無かったわはー
しね! しんでしまえ俺!
あと、「無理して全編一人称で書いたらゲシュタルト崩壊しそうになったでござる」の巻
家具はお姉ちゃんが怪力出して運んでくれました
アイリーンさんじゅうきゅうさい! おりきゃら!
公式でも航空歩兵はなんかアイドル的な存在らしいよ、設定上は。
アニメ一話の背景に登場する一般人から察するに、あの世界の女性は既婚者か高齢者なら下半身隠しても良いらしい。
すぱっつだいすき! そして、スパッツを履くときに下にパンツ穿かないでいいとか勘違いする童貞主人公。
kdも中学生位まではスパッツは直ばきだと勘違いしていた。
以下超蛇足。
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夜。 夕食後の自由時間。
それは、眠るまでの余暇――あるいは最後の一仕事を前に、食後の休息を楽しむ時間だ。
自室に戻る者、格納庫に向かう者も居れば、歓談の場所であるミーティングルームに向かう者もいる。
そのミーティングルームに、紙束の落ちる音が大きく響いた。
それはチェスを楽しんでいたトゥルーデとペリーヌ、隣で観戦していたミーナの注意を引くには十分すぎる音で。
三人は、自然な流れとしてその音の元へと視線を向けた。
そこには、呆然と立ちつくす少女が一人。 肩を震わせている彼女の名は。
「――ヴィルヘルミナ? どうしたんだ?」
「ガ……」
「が?」
トゥルーデの、疑問を大いに孕んだ問いに、しかしヴィルヘルミナは短音で答える。
その答えに、トゥルーデを含む三人は首を傾げた。
確かに、ヴィルヘルミナは変わった喋り方をする。
しかし、一応意味の通る発言しかしてこなかったはずだ、と三人は思う。
困惑する三人を余所に、ヴィルヘルミナは依然として視線を動かさない。
その先には、一冊の本。 昼間、町に行ったときに買い求めた物だという。
やがて、長いようで短い沈黙を破り、ヴィルヘルミナがようやく意味のある言葉を紡いだ。
「……ガンダルフ、おばあちゃん……だと……?」
意味はある。 意味はあるのだが、三人にはヴィルヘルミナが何を言っているのか理解できない。
その、老婆がなにかしたのだろうか。 シャーロック・ホームズの様な推理物であるならばまだ三人の理解と推測の範疇である。
が、しかし。 曰く、その本は子供向けの童話のような代物であるという。
童話の中に驚愕と動揺と戦慄を招くような要素が存在しえるのだろうか。 普通は無い。
謎は深まるばかりであった。
結局。 それ以上ヴィルヘルミナは発言することもなく、床に落ちた本を拾い上げて部屋を去って行った。
その背中に妙な哀愁を感じた事が、三人の困惑を余計深い物にしたのは語るまでもない。
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某灰色の魔法使いはヨーロッパ一般に置ける”魔法使い”のイメージの集合。
よって、ウィッチーズ世界ではこうなるはず……!
多分白色に成るときに若返って魔力復活とかそう言うネタだと妄想する。
あと三人称分補給。