Episode 4: Beyond the Bounds21:「恋と針」****** ――私は、恋をしている。 シャーロット・イェーガー――シャーリーは高空の風にその艶やかな長い茶髪を泳がせながらそう思う。 雲に近い空。 遠くに見える、大地と海と空の境界線。 駆け巡る白と青の世界。 肌を乱暴に撫でていく大気。 下には古城を改造した基地。 上には照りつける太陽。 しかし周囲には何も無いただの空虚。 だけど、そこには彼女の欲しい全てがあった。 すなわち、速度。 保護魔法越しに冷たい風が自分を撫でていくとき、彼女は何時も思う。 これはきっと恋なのだと。 同じ人ではない。 速度に恋している――私は、世界で一番速くありたい。 それは本当は虚栄心なのかもしれないし、あるいは単に自己顕示欲の発露なのかもしれない。 加えて、シャーリーは人間相手に恋心を抱いたことは無い。 だから、本当の恋がどんなものかは解らないのだ。 それでも、とシャーリーは思う。 きっとこれが私の初恋。 自分の魔法が、何かを加速させる物だと気づいた時か。 ボンネヴィル・ソルトフラットでスピード狂達が速度の限界に挑戦していることを聞いた時か。 実際に、原形をとどめないほどに改造された、速度を出すための機械を美しいと感じたその瞬間だったか。 それとも、光り輝くボンネヴィルでスピード狂達の頂点に立ったその瞬間だったのか。 何時だったかはわからない――ただ、気づいたら誰よりも速度を求めていた。 自分が最速であるという自負。 この地球上に存在する他の誰よりも何よりも、速度は私と共に在る。 ずっとそう思っていた。 そのはずだったし、その為の努力は惜しんでは居ない。 音の壁、その向こうの世界もいまだ遠いとはいえ、自分が必ず一番最初にたどり着く。 それはシャーリーにとって決定事項であり予定調和であり、『――シャーリー、今780を超えたよ!』 その聞きなれた元気な声に、自己に埋没していた意識が浮上する。 フランチェスカ・ルッキーニ。 501統合戦闘航空団において最年少の少女。 シャーリーの一番の友人で、相棒で、守るべき一人。 地上で速度観測をしてくれている彼女を探すように、シャーリーは基地、滑走路へと視線を向けた。 魔法で強化された視覚は、砂粒のような大きさのルッキーニとその傍に立つ数人のウィッチを、しかし確かに見つける。 姿かたちではなく、衣服らしき物の色で判断。 ルッキーニと、芳佳と、リネットと――ヴィルヘルミナ。「……」 最後の一人、ひと月ほど前にシャーリーが病院へと運び命を助けた少女。 出撃するたびに何らかの理由で怪我をして帰ってくる、無口で、顔に消えない傷を持った少女。 その物静かな、あるいは無愛想な所作と外見。 しかし時折危うさや覚束なさを見せる、何処かアンバランスな存在。 彼女にとっては仲間の一人で、多少心配なところはあるものの、それ以上でもそれ以下でもない。 ただ、ペリーヌやトゥルーデなどの”口うるさい”奴らと比べれば、随分と付き合い易い奴だ、というレベルである。 そのヴィルヘルミナを見つけて、シャーリーの口元が微かに強張った。 首にかけていたゴーグルを引っ張り上げる。 視界が狭まる。 前しか見えなくなり、地上が見えなくなる。 そして、視線をまっすぐ前、進行方向へと向けた。 余計なことは考えるな。 今は前だけ向いていればいい。 そう自分に言い聞かせ、上半身に感じる風の勢いと下半身に感じるストライカーユニットの振動に集中する。『790……800キロ突破! やった、記録更新だよ!』 ルッキーニがあげる、我が事のように嬉しそうな声。 記録更新――800km/hの大台だ。 シャーリーのストライカーユニット、P-51Dマスタングはカタログスペック上、700km/h前後を限界速度としている。 それは様々な要素のトータルバランスを鑑みた上での数値であり。 P-51はそのバランスを高いレベルで維持してなお、快速と高らかに謳われるほどの速度を保っている。 その魔道エンジンこそブリタニア製の傑作エンジン、”マーリン”だったが。 機体の善し悪しはエンジンのみで決まる訳ではない。 リベリオン。 新大陸に生まれた新興国家の新型機。 世界に覇を唱える大国の意地と実力と地力の結晶だった。 そしてシャーリーは、魔力割り振りのマッピングやエンジンの調整により、そのバランスを故意に崩している。 その結果としての速度だ。 崩されたバランスは着用者を含めた様々な部位に負担を強いる。 限界速度を100km/hも超過してなお平然と飛び続ける。 それは非常に危険な行為で。 しかし同時にシャーリーの機体制御技術を、あるいはパイロットとしては希有なレベルの機体整備技術を燦然と光り輝かせる。 そして、速度を求めるために最低限の安全装置以外を切り捨てて行ったモンスター・バイクを乗りこなしたという経験と自信が、その技術を支えた。 『804……5……6……!』 ルッキーニが伝える。 加速は止まらない。 そうなるようにシャーリーが調整したからで、解りきっていた答えだ。 前回の記録が799.4km/h。 一度に5km/h以上も更新したのは久しぶりで。 ――だが、足りない。 『8……9……10!』 足りない。 速度が、加速が、速さが、自分の欲しいものが手に入らない。 届かない。 ゴーグルに保護されているはずのシャーリーの目が細まっていく。 細く小さくなっていく視界。 見なければならないはずの前方が、だんだんと見えなくなっていく。 だというのに、彼女の目の前には、自分よりも速く飛んでいく何かが見えていた。『13……14…………15!?』『――シャーリー、大丈夫か?』 インカム越しにシャーリーの耳に、今までにはない心配そうな声が届く。 坂本少佐、と認識と理解をするものの、返答する余裕は無い。 追いつけない。 置いていかれる。 引き離されていく。 目の前の幻影に、今は地上に居るはずの彼女に。 高空の風を今までに無く強く感じるほど保護魔法にまわす魔力を引き下げても。 速度実験用に、強化魔法による身体ブーストを最低限まで制限しても。 感じない。 あの日、光り輝く広大な塩湖で、既存の全ての記録を打ち破った、自分が風になったような感覚を。 届かない。 カールスラントの新鋭機であるMe262と、それを駆るヴィルヘルミナに。 新型のストライカーユニット。 噴流式。 既存の、呪式を展開する推進方式では容易にたどり着けない境地に、しかし到達している魔女。 加速が急速に緩んでいくのを肌で感じる。 調整と改造と賭けを施したP-51が、これ以上の速度で空を飛べぬと悲鳴を上げた。 風を切り裂くことが、大気の抵抗を打ち破る事が困難になっていく。 それはあたかも空が、シャーリーを拒絶している様で。「――ッ」 推進機構そのものが違う。 加速力が違う。 運動性が違う。 そんなのはどれもシャーリーにとっては言い訳にも慰めにもならない。 重要なのは最終到達速度と、それによって得られる結果だ。 ボンネヴィルの時とほとんど変わらない。 何時だって誰よりも速い奴が勝者で、それ以外は負け犬。 唯一加速力だけが違うが、この広大な空には助走距離などと言うレギュレーションは存在しない。 空想の魔女がP-51の打ち破れぬ壁を悠々と突きぬけ、シャーリーを引き離していく。 焦るな、と理性が訴える。 不要な無理では良い結果はけして生まれない、と知識が言う。 クール&ホット。 機械の、そして自分の本当の性能を引き出すためには心(エンジン)の熱を理性(ラジエタ)で制御せねばならないのに。 だが、その熱が、泣き叫ぶ感情が抑えられない。 目の前に素晴らしい道具を突きつけられて、自分がそれを扱えないという焦燥。 ――何故、自分ではないのだ。 何故、自分では駄目なのだ! 「……っそぉ!」 不意に高ぶった感情が魔道エンジンに魔力を無意識に叩き込み、そして同時に己の失敗を悟る。 真剣勝負、それは何時だって自分との勝負だ。 そんな時に余計な考え事をしていれば碌な事が起きないなんて解りきっていたはずなのに。 唯でさえ大きな負荷による異常な振動を起こし、それを騙してあやして誤魔化して来たエンジンが突如として暴れはじめる。 ひとたびバランスが致命的に崩れれば、待っているのは崩壊だ。 即座に出力を落とし、減速と負荷低減を計るが。 遅い。 速度だけを求められたストライカーユニットは、しかしその速度で使い手の身を危険にさらす。 左のストライカーユニットが、小さくはぜる音と共に黒煙を吐いた。 ******「――シャーリー!」「「シャーリーさん!?」」 周りでルッキーニ、芳佳、リネットが悲鳴じみた声を上げるのが聞こえる。 青い空に描かれていた白い雲の軌跡。 その中に、突如として黒いものが混じった。 それは間違いなく不味い知らせで、異常な事だ。 つまり、何らかの故障や事故が起こったってことで。 ああ……シャーリー、やっちまったか。 大丈夫かと思ってたけど、やっぱりそうじゃなかったか……! テラスの上から美緒さんがオレ達に救助を命令する。 とはいっても、オレは除外なんだけれど。 多分準備してる最中に落っこちてくるだろうし……畜生、時間がかかるって歯がゆいな。 シャーリーの速度テストの後にトゥルーデとの飛行訓練だったから、履いておけばよかった。 まだ少し残っている生理由来の偏頭痛を抑えるように頭を抑える。 これもオレが……多分原因、か? いや、違う……筈、だ。 頭痛いから脳みそ使うのはとりあえず辞めにして、とりあえずオレはオレの出来ることをする。 ストライカーユニットを履いて飛び出していく三人と入れ替わりになるように、格納庫の中に飛び込んだ。 壁に設置されてる消火器と、そのすぐ傍にある応急キット。 その二つを引き剥がして、滑走路に走って戻る。 見上げれば、黒い線と白い線が空中で合流していた。 シャーリーの黒煙と、芳佳たちの飛行機雲。 黒い煙の大本はゆっくりと速度と高度を落としてくる。 急降下する様子は無いから、無事ではあるんだろう。 しかし、いくらウィッチがある程度までは無意識に魔力で防御をするからって……あの高さからフリーフォールするのはぞっとしない話だ。 軽くするためにシャーリーはパラシュートとか付けずに飛ぶし……オレだったら漏らして気絶する自信あるね。 バルクホルンとの模擬戦の時に失火した時とかマジ怖かったです。 黒く細い煙を引きながら、芳佳達に先導されて――いや、支えられてシャーリーが降りてくる。 滑走路にたどり着いて、着陸。 しようとして、そのまま皆で崩れ落ちた。 「きゃん」だの「うわ」だの「あわわ」だの可愛らしい悲鳴が上がるのを聞きながら駆け寄って、消火器の安全ピンを引き抜く。 とりあえず火を消さないと、と思っていると。「あ、ヴィルヘルミナ、大丈夫だ! 燃えてないから」 そう言って、シャーリーがオレを止めた。 よく見れば、装甲の隙間から微かに黒いものが上るだけで、何処も焦げたりはしていない。 てっきりなんか火を吹いたのかと思ったが……エンジンの焦げ付きでも起こったか? まぁ念のため、消火器はそのまま準備しておくけどもさ。 くんずほぐれつな少女たち、という描写だけは艶っぽい状況のシャーリーたちだが。 なんというか普通にこんがらがってるだけだから見た目大変そうなだけで。 とりあえず一番上に覆いかぶさっていたリネットが立ち上がり、シャーリーの安否を問うた。「シャ、シャーリーさん、大丈夫ですか」「ああ、大丈夫大丈夫、ちょっとトチっただけだからさ」「シャーリーさん、お、重い……」「うわ、酷いな宮藤!」「え、ええええ!? あ、いやそういう意味で言ったんじゃないです!」 いや、流石に女の子に重いはねーだろ芳佳。 リネットという重石が無くなったことで自由になったシャーリーは、横に転がるようにして芳佳の上から退く。 ルッキーニはさっさとストライカーを脱いで立ち上がっており。 芳佳も慌てて立ち上がってシャーリーに謝っていた。 謝罪を受ける本人は、仰向けに寝転がってその立派な胸を張り。「ふぅ。 ま、あたしにはコレがあるからな。 さっき触ってただろー、宮藤?」「え、そ、そんな事無いですよ!」 ニヤリ、という形容詞がふさわしい表情で、余計に芳佳を混乱させていた。 立派な胸ですね。 体重の10%くらい占めてそうである……くっ、重力に負けないとか若さって良いな! 「芳佳はリーネの触ればいいじゃん、これはアタシの!」「ぇええええっ!?」 驚きの声を上げるリネットの胸を見て唾を飲む芳佳。 飲むな。 というか着実におっぱい星人化してるな……オレも隙を見せたら危ないかもしれない。 それに気づいて胸を隠すように腕を組んで一歩身を引くリネット。 それは逆効果だ、胸が強調されるぞ。 どさくさに紛れてシャーリーの胸の所有権を主張しつつ、赤くなって慌てて弁解する芳佳を茶化して場を混乱させていくルッキーニ。 茶化すな……といっても無理か。 騒いでいる三人を横目に、さっさとストライカーを脱いで足の様子を見ているシャーリー。 マイペースだな。 そしてそれを救急箱と消火器を手にして呆然と見つめているオレ、という構図が今の状態である。 凄く蚊帳の外です……そして実にカオスだ。 まったく、事故直後だって言うのに暢気なもんだよ。 緊急時でもなし、本当なら原因究明とか現場検証とかするんだろうが、そんなのお構いなしに騒いで。 ――原因。 その単語が、心に引っかかる。 それは多分、焦り、なのだろう。 結論から言えば、シャーリーはMe262が使えなかった。 Me262の故障じゃない。 ただ単に、シャーリーの魔力的な資質や適正が足りなかったという、それだけの事。 戦闘があった翌日、つまり昨日、生理痛を薬で誤魔化しながらシャーリーとルッキーニに付き合って解ったことだ。 この時代に薬があって本当に良かったと心底そう思う。 もう頭痛とか腹痛とか色々本当にたまらねぇ。 ……そのうえ、生理用品の使い方とかも教えてもらうとか羞恥プレイ以外の何物でもなかったし。 とにかく。 元々、噴流式の魔道エンジンは新型で、つまり技術としての成熟度が足りないらしい。 それを重くしたり負荷を高くしたり、あるいは使用者の敷居を上げることで誤魔化しているのだという。 敷居上げるて……兵器としてはとんでもない欠陥のような気がするけど、枯れてない技術ならそんなもんなんだろうか。 あるいは、戦時ゆえに最新技術でも惜しげもなく注ぎ込まれるという事なんだろう。 因みに、幾らか誤魔化しの例を挙げたが、Me262のエンジンが採っている方法は「全て」である。 重くて燃費悪くてスターターの魔力は質のいいもので無ければならないとか。 どんだけ人を選ぶんだよ。 ……ああ、うん、ヴィルヘルミナさんの身体のお陰でオレの魔力資質は結構良い感じのものらしい。 シャーリーには申し訳ない気分で一杯だけれども。 目の前に凄い料理を見せておいて食べさせないという、酷い生殺しをしてしまった事も含めて。 シャーリーは少し残念そうに笑いながら、ルッキーニは凄く不満そうに許してくれたけど……思うところが無いというほうがおかしいだろう。 芳佳とルッキーニ、それに巻き込まれたリネットの騒ぎを見ながらそんなことを思っていると、肩を叩かれる。 叩かれた方向を見てみれば、その騒ぎを楽しそうに見つめているシャーリーが居た。 その様子は何時もどおりに見えて、オレの心配など杞憂なんじゃないかと思わせてくれる。「……シャーリー」「なーに心配そうな雰囲気振りまいてんだい」「ん……何でも、無い」「ルッキーニも言ってたろ? お前さん、びっくりするほど表情が動かない代わりになんていうのかな、空気? が変わりすぎるんだよ」 なんて言ったらいいのかな、と首を捻るシャーリー。 空気が動くって……そんなに動いてるのか、オレの雰囲気。 まぁ、心配したくもなるさ。 シャーリーが無理したり失敗するところなんて、こっちでもアニメでも見たこと無かったからな。 なんて返そうかと少し考え込んでいると、黙っていたのを気にしたのかシャーリーが見ている向きは動かさずに言葉を放つ。「ヴィルヘルミナ、あたしを見くびるなよ?」「……ん」「今日のはあたしのミスだ。 あんたも、あんたのストライカーも関係ないよ」 その視線の先には、からかうルッキーニと、言い返す芳佳、そして胸を隠してオタオタしているリネットが居る。 さらにその先には、いまだ黒いものを微かに立ち上らせている彼女のストライカーユニット。 シャーリーの横顔は何時も通りの、少し眠そうな飄々としたもので。 ……シャーリーの方がよっぽど表情読めない。 ヘタに無表情なのよりも、こういう手合いのほうがなに考えてるかわからないな、と思う。「ま、中見てみないと解らないけど、あたしでも修理できると思うし。 心配するなら無理だったときの整備士連中の業務時間の方を頼むよ」 「……うん」「さて、とりあえずアレ、ハンガーまで持ってかないとな」「オレ……持つ」「お、そかそか。 ありがとな、ヴィルヘルミナ」 肩を二回、軽く叩いてきたシャーリーに返事をして、依然としておっぱい談義を続ける芳佳たちを迂回。 まだ少し熱を持つストライカーユニットを軽くして脇に抱えたところで、シャーリーの唸り声が聞こえた。 見れば両手を上に振り上げて、ストレッチ。 「んっ、お腹へったぁ! よし、食堂行ってなんかつまみ食いするかぁ!」「あっ、アタシも行く!」「よっし、ルッキーニ、競争だー! じゃ、ヴィルヘルミナ、あと頼んだ!」 芳佳たちをからかうのを即座に中止して飛び跳ねるルッキーニ。 おー、と騒ぎながら駆け出していく二人を芳佳たちと一緒に呆然と見つめる。 本当に元気だなあいつ等。 何時もなら安心感を一方的に与えてくれるその元気さだが、それが却って心に少し引っかかる。 とりあえず、両脇に抱えているストライカー片して……オレもトゥルーデ来る前に履いとくかな、ストライカー。 しかし、何とかならんもんかな……****** ノック、ノック。 背後から差し込む太陽の光を浴びる、ひときわ確りした造りの木のドアを叩いて、名前を告げる。 中から返ってくるのはミーナの声。「ああ、ヴィルヘルミナさん、来たわね。 どうぞ入って頂戴」 その声に促されて入室。 眼前に広がる部屋は、相変わらず無駄に広いミーナさんの執務室である。 基地司令ともなればそれなりに仕事も多いだろうに、ここは何時来ても片付いてる。 それが余計に広さを際立たせるのだが。 大きな机のその向こう、椅子にかけているミーナさん。 その手前の革張りのソファには、何故かサーニャが居た。 まだ少し眠そうにしながら、ぼんやりとこっちのほうを見つめている。 何だろうと思って見ていたら目礼されたので、とりあえず此方もそうしておいた。「悪いわね、トゥルーデとの”ミーティング”だったんでしょう?」「ん……問題、ない」 ミーナの問いに、そう応えて首を振る。 デブリーフィング、というかまぁカールスラント語講座だったんだけども。 トゥルーデとの訓練飛行とその後の昼食を終えて、午後。 そのままトゥルーデのフライトに関するデブリーフィングと反省会……という名目で、言葉を教えてもらっているのだ。 その予定だったのだが、昼食時にミーナさんにお呼ばれしたので、デブリーフィングだけささっと済ませてこちらに来た所、というわけである。 相も変わらずオレの記憶障害は部隊上層部のみの秘密事項らしいので、いつの間にか隠語というか符丁のようなものが出来てしまっていた。 まぁ確かに本国や司令部に知れたりしたら後方に送られるの必至だよね。 ただ、ルッキーニに聞いた噂だと記憶喪失のロマーニャ・ウィッチがスオムスの前線送りにされたりもしたらしいが。 容赦無いなロマーニャ。「どうかしら、トゥルーデの様子は」「……もう、オレ……要らない、よ?」 あら、もうお墨付き? 私も負けてられないわね、と微笑むミーナさん。 ……っていうか、もうトゥルーデとか本当にオレいらねえよ。 なんだあの習得速度、傍で飛んでるオレの方がいろいろ教わってしまうとか、地力というか経験値の差というかそういうものを思い知る。 Me262の飛行時間が合計10時間弱で、都合30時間くらい履いてるオレより加減速上手いとか酷いです。「さて、本題に入ろうかしら」「……?」 ミーナさんが姿勢を変える。 机に両肘を突いて、顎を重ねた手のひらの上に置いた。「ヴィルヘルミナさん、貴女、魔導針を出せるかしら?」 魔導針……って、何ぞそれ? 初めて聞く単語だ。 首を振る。 ミーナさんが予想通り、といった表情でため息をついて、サーニャのほうを見て頷いた。 それを受けたサーニャが小さく頷き返して、目を閉じる。 青い魔力の煌きと共に、ふわりと髪の毛が揺れて黒猫の耳が生え。 それから一瞬遅れて左右の側頭部に淡く緑色に発光する線図形が出現した。 象形化されたテレビアンテナ、簡略化された電気回路図にも似たそれは、劇中では確か見た目どおりアンテナの役目を果たしていたはず。「魔導針――レーダー魔導針ね。 シールドと同じように一般化されている呪式だけれど、使用には特別な素質が必要なの」「……サーニャの……魔法じゃ、無かったんだ……」「彼女の魔法は広域探査で、魔道針の補助に使っているだけだから」 ミーナさんの答えに、頷くサーニャ。 へぇ、そうなんですか……しかし、また素質か。 魔法は生来のものらしいから仕方ないとはいえ、なんというかこう立て続けに聞くと少し考えさせられるな。 かすかに光り輝くアンテナをじっと眺めていると、サーニャが少し恥ずかしそうにうつむいて。 その光がゆらゆらと微かに明滅する。 う、じろじろ見るのは失礼でしたね、すいません。 とりあえず視線をミーナさんに戻して考える。 さて、話の流れから行くと、ヴィルヘルミナさんはこのレーダー魔導針を使えた、らしい。 そういう素質みたいなものはきっと履歴書というか経歴に書かれてると思うし、あるいはエーリカかトゥルーデの記憶にあったか。 しかし、それとオレに何の関係があるんだろうか。「レーダー魔導針は、必須……という訳でもないけどそれと同義になるくらい、夜の空を飛ぶナイトウィッチにとって非常に重要な魔法なの。 そして、この部隊でそれを扱えるのはサーニャさんだけ。 サーニャさんが夜間哨戒をずっとやってくれてるのはその為ね」 どういう物かは覚えてる? という続きの質問には頷いて答える。 まぁ、多分名前の通りレーダーの様な物なのだろうし。 ふむ、なるほどな。 そこに、魔導針が使えるはずのオレがやって来た。 交代無しと、二交代制じゃやっぱり違うよな。 暗いところは結構気が滅入るし、そこを飛ぶとなれば疲れもするだろう。 夜の峠とか、最初のうちは凄い怖かったからな……まぁ、すぐにそれが快楽に変わったわけだが。 サーニャ、一人だけ夜組のお陰で仲のいい子が少ないみたいだし、オレに夜間哨戒のお鉢が回ってくるのは一向に構わないのだけれども。「でも……オレ、使えない」 と言うしかないのである。 真っ暗な空がどれだけの物か知らないが、唯でさえだだっ広い空で、相対位置を確認できるものが視認し辛くなるはずなのだ。 すみませんが迷子になって体力魔力切れで墜落する未来しか見えません。 「大丈夫、その為にサーニャさんを呼んだのよ」 ホワッツ? 二人で飛べと? いやソレも有りだろうけど、それならオレじゃなくてエイラのほうが相性的に良いと思うんだが。 黙っているオレを尻目に、おもむろにミーナさんが椅子から立ち上がる。 そのまま静かに歩いてサーニャの後ろに立ち、座っている彼女の肩に手を置いて。 寝かけていたのか身体を小さく震わせたサーニャと、オレを交互に見てから口を開いた。「ヴィルヘルミナさん、貴女はサーニャさんに魔導針の生成方法を教わりなさい。 もっとも、サーニャさんが起きてくるのはお昼過ぎだから、午後の作業の合間を縫って、という形になるけれど」「……でも、それじゃ」 いや、教わるのはいいけど……というか存在感が希薄で忘れてたが、こういう話をサーニャの前でするのは不味かったんじゃないか? 何だかんだ言って直接的な言葉は言ってないけれど、使えて当然の物が使えないというオレの現状を聞いて何か思うところもあるだろうし。 人の口に戸は立てられない。 まだまだ十全とはいえないオレの知識と技量では、真剣に追求されたら誤魔化しきれない……のではないだろうか。 「大丈夫、サーニャさんにはもう話したし……彼女もエイラさんから聞いてたみたいだしね」 にっこりと笑うミーナさん。 て、ちょ、エイラさん! 何喋っちゃってんですか! 秘密って言ったのに! 人の口に戸は立てられないって比喩だと思ってたけど、こんな身近なところから裏切り者が出るとは思わなかったです。 サーニャと仲良しだから話の種に話しちゃったんだろうけど、他の人たちに喋ってないだろうな。 ペリーヌとか知られたら五月蝿そうだぞ。「その、エイラのこと……怒らないであげて」「……ん」 少し眉根を寄せて、申し訳なさそうに此方を伺ってくるサーニャに頷いて応える。 まぁ、別に怒るつもりは毛頭無いです……が。 寧ろ貴女の後ろにいらっしゃるミーナさんがそこはかとなく怒気を放っていらっしゃいます。 主にオレに向けて。 ……笑顔怖い、超怖い。 拝啓親父様、お袋様。 女の子の笑顔ってこんなに怖いものだったんですね――! 「とりあえず、そういう事だから……サーニャさん、ヴィルヘルミナさんをよろしくね」「……よろしく」「はい、わかりました」 ミーナさんは頷いて、しかしそのオレに向けた視線も、表情も動かさないまま。「じゃあ、サーニャさんはもう行っていいわ。 ご苦労様。 ……ヴィルヘルミナさんは少しお話があるから、残って頂戴ね」 何時もの優しい声音で、サーニャに退室を促した。 オレにとっては死刑宣告ですね、わかります。 シャーリーのことについて少し相談しようと思ってたんだけど、どうしてこうなるかなあ……!------なんとなくEx1-3の後に書いていた訳だが。そのままシャーリーが飛んでっちゃいそうな気がしたが、彼女にはルッキーニって言うでっかい錘があるのであるので大丈夫だと思った。そしてシャーリータイムと見せかけてサーニャのターン!また別の方にヴィルヘルミナさんの画像をいただきました。 イメージかなりばっちり。応援、ありがとうございます。 今回は金槌装備です。 以下URL。 パスは半角小文字でkd。http://tomiya.bne.jp/cgi-bin/upup/src/myg_l1546.jpg.html今回は本エピソードが終わるまで、もしくは自然消滅するまで放置します。当然、著作権云々諸々の権利は作者さんにありますので、無断転載とか禁止。オレ……このエピソードが終わったら、画像消すんだ……とか蒸発フラグ立てとく。 嘘ですけど。