屍鬼は霧と共にやってくる。
じーさんはよくそう言っていた。街の中にかかる白い靄に紛れて、屍鬼は人をさらい、喰らう。だから霧の濃い夜に外を出歩いてはいけない。灯りを絶やしてはいけない。施錠を忘れてはいけない。命が惜しいのであれば――。
その日は長く雨が降り続いていた。街の中には霧が立ち込めていた。ここ1週間、毎晩がそうだった。じめじめとした空気は肌に纏わりつくように重く、街中がじとりとした嫌な気配に満ちていた。
客のいない店の中で、僕はひとりカウンターに座っていた。気分転換にでも飲もうとコーヒーを淹れていたが、まだ一口も飲んでいなかった。
外では夜闇の中で、小雨がしとしとと降り続いている。こんな日に客が来るはずもない。早々に店じまいをして寝てしまおうと立ち上がると、ドアベルの鳴る音が響いた。
「良い夜ですね」
小柄な体を真っ白な外套で包んだ姿。背中には長い包みを背負い、手には古びた旅行用の大型鞄を持っている。その出で立ちと、少し芝居がかったしゃべり方には覚えがあった。
「僕はあまり好きじゃないね、なにしろほら、お客さんがこないんだ」
肩をすくめて見せると、彼女はかすかに笑ったようだった。
「それはそうでしょう。屍鬼の出る夜に出歩くような馬鹿は中々いません」
「つまり、あー、自分のことを貶す趣味が?」
訊き返すと、彼女は上品な動作で旅行鞄を置き、両手でフードを下ろした。ひとつに結んで右肩の前に垂らした銀糸のような髪、氷青色の瞳、小ぶりな鼻と、白い肌の中でより鮮やかな色を持つ唇。記憶の中にいた彼女の姿が、より鮮明となった。
「貴方に会うためならば、喜んで馬鹿にもなりましょう。お久しぶりですね、ユウ」
「会えて嬉しいよ、シスター・クラレンス。花束でも用意しておけばよかった」
「お気持ちだけで十分です。またこうしてお会いできたことに感謝を」
シスター・クラレンスは両手で聖印を切った。
その姿は絵姿にして教会の壁に飾りたいほど美しかったが、僕としては会えた喜びよりも、もっと苦いものを胸に感じていた。
「それで、今日は晩餐のお誘いかな? それなら正装に着替えたいんだけど」
「とても素敵ですけれど、それはまたの機会にいたしましょう。今宵は……お分かりでしょう?」
「分かっていても認めたくないこともあるんだ、お嬢さん」
僕は肩をすくめて、彼女に椅子を勧めた。
それからドアの外に出て、店を閉める。
長い夜になりそうだった。
φ
「ご存知のことでしょうけれど、すでに被害者は3名となりました。いずれも幼い少女で、霧の出た夜の間のことです」
「ああ、それなら知ってる。悪い魔法使いにさらわれたんだってね」
シスター・クラレンスはじとりとした目で僕を見つめた。
「ごめん。軽い冗談だよ、続けて」
「銀十字教団は調査員を派遣。一昨日、屍鬼の発生を確認し、正式に討伐命令を下しました」
「そりゃ安心だ。これでも僕も夜歩きができるよ」
「お勧めしません。昨日、第三位階の奏者が討伐に向かいましたが、結果は失敗。屍鬼は人狼型です」
僕は眉を顰めた。
「第三位階の奏者が? 銀十字教団の中でも、屍鬼を狩ることだけに特化した奏者と呼ばれる戦闘員の中でも、上から三番目に位置する結構強いランクの人がやられたっていうのか!」
「え、ええ、そうです」
「それに人狼型だって!? 屍鬼は通常、人型や純粋な動物型が多いっていうのに、人の知恵と動物の肉体能力を持つ人狼となるとかなり厄介ということか……」
「その通りですけれど、なぜそこまで丁寧に……?」
「いや、後々に出てこない設定は今のうちに説明しておこうと思って」
シスター・クラレンスは首を傾げたが、僕が話を促す。
「さらに、その人狼には私たちの『銀弾』の効果がありませんでした」
僕は思わず立ち上がった。倒れた椅子が僕の動揺を代弁したかのような音を立てた。
「まさか、銀十字教団が聖なる祈りで祝福した、対屍鬼専用の唯一にして最大の武器である『銀弾』が!?」
「え、ええ、そうです、その『銀弾』です」
「そうか、まさかそんな手ごわい相手がいるとは。まったく、勘弁してほしいな」
僕は倒れた椅子を立て、座りなおした。
「君が久しぶりにこの店にきた理由がわかったよ」
僕が言うと、彼女はうなずいて見せた。真剣な瞳だった。
「そうです。最初の少女が連れ去られて一週間が経とうとしています。早急に救出しなければ、命の保証がありません。今ならまだ、間に合います」
一呼吸の間。
「銀弾が通じない以上、私たちはそれ以外の手段で人狼型の屍鬼を討伐する必要があります。それも、可及的速やかに。ユウ・クロサワ――貴方の力が必要なのです。〝悪夢の残響<エコー・オブ・ナイトメア>″と呼ばれた、貴方の力が」
――そう、今まで内緒にしていたが、かつて僕は夜な夜な屍鬼を狩る、凄腕の屍鬼ハンターだったのだ。これも内緒にしていたが、実は僕は屍鬼と人間のハーフで、人間の姿でありながら屍鬼の力を併せ持つスーパーヒューマンなのだ。
1年前に起きたある悲しい事件によって銃を置き、隠居しながら喫茶店を経営していたが、僕の力が必要とされるような強敵が現れてしまったらしい……。
もちろん僕は断るつもりだった。
詳細は省くが1年前の事件は僕の心に深い傷を残しており、再び銃を手にするには戸惑いがある。あと2、3回は彼女の要請を断り、それからついに彼女のピンチに駆けつけるという熱い展開が望ましいのだが、そうすると長くなるので今は止めておこう。
「いいとも」
僕は快諾した。
「もちろんあなたの過去を思うと強制は……って、良いのですか?」
「ああ。早く行こう。弾倉一回転分の銃弾でケリが付く予定だから」
「いえ、まだ屍鬼の居場所も分かっていないのですが」
「大丈夫。今から行けば人気のない場所で鉢合わせるから」
「何ですかその自信は……」
飽きれた声を背にして、僕は店の裏手にある倉庫に向かう。
香辛料や備蓄食材の置かれた棚の、上から四段目の端に置かれた陶器の瓶を右に3回、左に4回ほど回転させる。すると、棚が横にずれ、隠されていた扉が現れる。
扉を開くと、自動で灯りが中を照らす。
そこには、もう使うことはないと思っていた僕の現役時代の装備があった。
防弾・防刃の施された白いシャツに黒のベスト、銃弾の詰め込まれたガンベルトを巻き、その上からあらゆる汚れを跳ね除ける撥水加工済みのエプロン。完璧だ。
店に戻った僕は、カウンター内の壁に掛けられていた白銀の銃――ヴィヴァーチェを手に取った。まるでこの時を待っていたかのように、美麗な装飾を施された銃身がきらりと光りを反射する。
「そうだな――お前はただの店の飾りじゃない、分かってるよ相棒」
懐かしい重みを腰のホルスターに収め、シスター・クラレンスへ向き直る。
「さあ、行こうか。化け物退治には良い夜だ」
「ええ……お帰りなさい――〝悪夢の残響<エコー・オブ・ナイトメア>″」
φ
色々あったが僕たちはいま街外れの廃工場へとやってきていた。いい感じに人狼が目の前にいて、まさに一触即発の状態だ。
「ちっ、またてめえらか、クソ教団が」
見た目はただの冴えない中年だった。しかし目は落ちくぼみ、生気というものが感じられない。
「屍鬼よ、少女たちを解放しなさい。今ならまだ貴方の魂は救済されます」
シスター・クラレンスは毅然として言った。男は工場中に響くような大声で笑った。
「おせえよ……救済なんざ望んでねえ……俺は、今、十分に、救われてる――っ!」
「ならば屍鬼よ、その業を持って神の下へ逝きなさい!」
シスター・クラレンスは背中に背負った長包みを解放する――漆黒の長銃だ。彼女は自らの身長ほどもあるそれを両手で軽やかに構えた。
「お前は俺の好みじゃねえからよ……殺してやるよババァ!」
「ば、ババア!? 私は17です!」
「十分ババアだろうが――ぐるぁぁぁぁぁぁああああああああああ」
「くっ、気をつけてユウ! 変身です!」
男が身を丸めたかと思うと、纏っていた襤褸切れがはじけ飛び、背中が膨張する。男は人狼へと変身しているのだ。
僕は撃った。
「はがぁ!?」
男はのけ反る。
両手でヴィヴァーチェを構え、反動によって逸れる照準を瞬時に直し、弾倉一回転分、撃った。
6発分の銃弾は男を盛大に吹き飛ばす。男は背後の粗大ごみの山に突っ込んだまま身動きもしない。
「ユウ……あの……」
「なんだいシスター・クラレンス」
「彼、変身中でしたけれども」
「ああ、だから撃った。まさか、お約束だから待つべきとか言わないよね?」
「いえ、教団的には、一応、人間と屍鬼は別物としておりまして、屍鬼に変身しきるまでは人としての救いの道をですね、その……」
言葉の途中で、僕は彼女を突き飛ばした。
突風。
突き飛ばした僕の左腕から鮮血が舞う。
「らぁぁぁぁあああああ! 小賢しいんだよゴミがぁぁぁぁ!」
粗大ごみから飛び出してきた人狼がそこにいた。恐ろしいほどの瞬発力。
思わず舌打ちをした。銃は撃ちきったままだった。気を抜いて装弾を怠り、おまけに世間話をする始末。ブランクにしても最低だ。
着地した姿勢を変え、人狼がすぐさまこちらに顔を向ける。
開かれた咢、並ぶ牙、糸を引く涎、真っ赤な口内。僕に飛びかからんとしたその時、人狼の顔が横に跳ね飛ぶ。
「装填を!」
シスター・クラレンスの援護射撃に目で感謝を伝え、すぐさまヴィヴァーチェの銃身を折って排莢する。ガンベルトから銃弾を抜き取り、弾倉に込める――何千回とこなした動作は体に染みつき、ほんの数秒でそれを終える。
中折れしていた銃身を跳ね上げるように戻せば、機構がガチリと噛みあう心地よい反動。息を吹き返したヴィヴァーチェをすぐさまに構え、シスター・クラレンスへ狙いをつける人狼の右足を撃ち抜く。
膝をついた人狼が僕をにらみつける。その顔を、今度はシスター・クラレンスの長銃が撃ち抜く。
そして今度は僕が人狼の腕を、彼女が足を――終わらない銃撃、楽譜の上に銃痕が刻まれ、硝煙と銃声の旋律が刻まれる。
人狼が無理やり跳躍――その速さに、僕たちの目が置いて行かれる。
あちこちで物が跳ね飛ばされる。天上、壁、床。その身体能力のままに、人狼は縦横無尽に駆け巡る。
シスター・クラレンスが長銃を構えたまま視線を巡らせる。
僕は空薬莢を捨て、銃弾を込めながら前へと歩み出る。
「ユウ――?」
彼女の呼びかけに片手を上げて答え、僕は立ち止った。
ヴィヴァーチェで肩を叩く。二度、三度。
「怖くて庭駆け回るのは良いんだけど、早くしてくれるかな犬っころ。僕はそろそろ寝る時間なんだ」
「貧弱な劣等種族がぁぁぁぁぁぁっ!」
怒声――僕は反射的に銃を向け、引き金を絞る。
「ご丁寧に自己紹介をどうも」
直撃。
空中で勢いを殺された人狼はその場に落ちる。しかしさすがの身体能力――落ちながらにして、すでに体勢は立て直されている。
僕は銃を左の壁に向けて一発、天井へ一発、そして人狼へ向けて一発撃ち放った。
人狼が着地――低く四つ足となり、強靭な後ろ足の筋肉が力を解放しようとしたその瞬間、左の壁から反射した銃弾がその足を撃ち抜く。
――力の空振り、膝がつく。体勢を保つために重心が前足へ――天井からの銃弾が、その足を貫通する――上半身が地面に崩れ落ちる。驚愕の瞳でこちらを見る人狼の瞳――その額に、銃弾が撃ち込まれた。
静寂。銃声の残響が、溶けるようになくなった。
「死角なしの跳弾……まさに悪夢ですね」
隣にやってきたシスター・クラレンスの声に、僕は笑って見せた。
「こんなことにしか使い道のない能力さ」
「ですが、その力で救われる人々がいるのです――私のように」
真っすぐにこちらを見上げる視線に、僕は息を飲んだ。
「ユウ――いえ、マイマスター。どうかもう一度、戻ってきて頂けませんか」
「マイマスターってのは辞めてくれないかな、シスター・クラレンス。君が僕の従者だったのは昔の話だし、立派な正シスターになったんだろう?」
「それでも、です。私は、貴方の隣に立っていたいのです」
一歩、距離を縮められる。
彼女は懐から取り出したものを僕に差し出した。銀鎖の先に、一枚のコイン。銀十字教団の奏者である証となるものだった。
「これを。貴方が一年前に返却したものです。登録は抹消されていません。大司教も、いつでも戻ってこいと」
僕はしばらくコインを見つめていた。彼女はじっと僕を見つめていた。
苦笑を一つ。僕がコインを受け取ると、彼女は童女のような笑みを浮かべた。
「またよろしくお願いします、マイマスター」
「その呼び方はやめてくれるかな。今度は相棒だ」
「――はい。では、私のことも、アイリスと」
「ああ、よろしく、アイリス」
それから僕たちは、改まった関係に気恥ずかしく思いながらも握手を交わした。
「それじゃ」
「そうですね」
「相棒となっての初仕事だ」
同時。僕とアイリスは、白銀のヴィヴァ―チェと漆黒の長銃を人狼に構える。人狼は黒い靄に飲み込まれつつあり、そこに人の意識は残っていなかった。
「調査部に言っといてくれ。狂化種だってこともしっかり調べとけってね。普通の奏者じゃ何人死ぬことか」
「でも私たちなら?」
悪戯っ子のような笑みでアイリスが僕に言う。男として泣き言なんて言えるはずもなかった。
「負ける気はしないね」
φ
「そうして、2人は凶悪な屍鬼を倒し、さらわれた少女たちを無事に助け出したのでした。めでたしめでたし」
僕が話し終えると、黙って聞き入っていたノルトリたちがぱちぱちと拍手と歓声を上げた。
「ふ、ふんっ、なかなか楽しめたわね! 人狼なんてこわくないけどね!」
金髪をサイドポニーで結んだ10歳くらいの少女はシュイ。ちょっとぷるぷるしながらも胸を張っている。
「わたしも銃をうちたい。楽しそう」
銀髪ショートカットのニニは、あまり変わらない表情ながら両手で拳をつくり、何やら意気込んでいる。彼女たちはノルトリの学友なのだった。
そしてノルトリはいつも通りのふにゃんとした雰囲気ながら、僕を尊敬の瞳で見上げている。
「ユウ……すごい……かっこいい」
僕は腰に手を当ててふんぞり返り、渾身のドヤ顔を見せた。
そんな僕を、いつの間にか来店して、少し離れた席に座っていたリナリアが苦笑しながら見ている。
ノルトリたちが人狼と奏者について夢中で話している隙に、リナリアの下へ向かう。
「やあ、いらっしゃい。何か飲む?」
「うん、適当にお願い。それにしてもよくあんな話を思いつくわね」
カフェオレを用意しながら、僕は肩をすくめた。
「夢のある物語に溢れた場所で生きてきたからね。うら若きお嬢さま方から、暇つぶしに何か面白いお話をしてなんて言われても、まあ軽いもんだよ」
「そういうとこは素直に尊敬するわ」
腰に手を当てて渾身のドヤ顔をする。と、テーブル席のエルフのお姉さんに呼ばれ、僕はカウンターから出た。
背後でリナリアの呟きが聞こえてくる。
「まったく、屍鬼だ人狼だ教団だなんて、よくそんなに思いつくわね……ん……? 銃の横にあんなメダルなんて飾ってあったかしら……んんん? ちょっとユウ! 今さっきの話もっとしっかり聞かせなさい!?」
おわり
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<忘れられていたエイプリルフール>
すっかり忘れていたので、ネタらしいネタを用意できませんでした。
▽屍鬼とはそう、ロリコンの業界用語。
>この世界にコピ・ルアクがあるとどうなるかとか妄想中。
あの恐ろしいコーヒーですね……?
>にしてもここ数年で私はロリ好きからロリも好きに変化しました
>ストライクゾーンが広いと世の中楽しいですよ(笑顔)
お、おう……せやな……?
>更新はやスギィ!!!
>早すぎて2人目できてませーん!!
>カクヨムでも見てるよ!
ありがとうございまーす!
そろそろ3人目もできましたか!?
>お久しぶりですロリさん!
お久しぶりです! かざみはつけて!
>ロリさん今回は釈放早かったですね!
>司法にもロリ仲間が居たから釈放が早かったのかな(笑)
何だか悪の組織みたいですね!
>なんだかんだで3月でついに三十路(独身)…時がたつのは早いロリ…
>この小説で興味を持って約5年かけてコーヒーが飲める体質にしんかしましたろり。慣れるまでが大変でしたろり。
これが訓練された読者です。三十路おめでとう!
>ろく年以上連載が続いて随分と時間の移ろリを覚えますが相変わらずおもしろリです。
>理想郷の賑わいを余所にろリゃくされて寂しいですが…更新されて嬉しいですね。
>ロリヤリティ-ある少女の登場話は特に僕の中では面白かったと記憶しています。
>リエッタでしたっけ、たしか。しろリ服の似合うお嬢さんの。
>炉端焼きの雰囲気ある店に足を向けたくなるマスターの調理の手際良さ。
>裏では何か凄い力を持っていそうな過去の出来事。
>露呈すること明確でなく、未だ尚この作品に魅了されて仕方ありません。
>リアさんは駄目なお姉さんじゃないと信じています!
その熱意を世界平和のために使おう。
>時の止まったような喫茶店はきっと名店
>時の止まったような小説家はきっとロリ
なにその素敵なキャッチコピーみたいな雰囲気。
>なるほど、クエストを受けた中の幾人かがロリであり、それを見極めてこそ真なるロリコンを名乗れるということですね、これはロリコンに与えられた試練なのですね。
>クエストに参加していた人に何人ロリが混じっていたんでしょうか?
正確にはひとりのロリです。つまりひろりです。
はっぴーエイプリルフール!