買い物を終え、帰路に着こうとした彼女らはその光景を見て辟易した。
現在、時刻はもう夕方の6時。
夕飯のために主婦達が行動を始める頃合だろうと予想はしていたが、目の前に広がる人の山は
彼女らの想像を遥かに超えていた。
波のように蠢く人ごみを遠巻きに眺め、彼女らはため息をつき、友人が手にした荷物の数々に目をやる。
自分の胴体ほどのサイズの大きなケージ。紙製の袋に納められた、約一か月分のペットフード。
腕にかけた小袋には、首輪やボールに小さなテントなどが入っている。
「それにしても、たくさん買ったわねー」
「やっぱり、一から揃えると結構高くつくね……」
呆れた表情で、しかしそれとは裏腹にどこか嬉しそうな調子で彼女ら――アリサとすずかは言いながら、
重たそうにケージの取っ手を握り締めるなのはに目を向ける。
彼女の頭の上では、一匹のフェレットが申し訳なさそうに鎌首をもたげていた。
(ゴメンね、なのは。僕のためにこんなことまでしてもらって……)
彼女の親友二人に気取られぬよう、念話を使ってなのはに話しかける。
出会って一日しか経たない自分のために、わざわざ貯金を崩して色々生活用品まで買ってくれるとは。
申し訳ないあまりに涙が出てきそうである。
(そんなに気にしなくてもいいよ。私が好きでやってることだし、ユーノくんは怪我人さんなんだから)
上機嫌に微笑を浮かべながら、なのはは念話でユーノに返す。
浮かれた様子で鼻歌まで口ずさむ、その姿のなんと純朴で無垢なことか。
非常事態とはいえ、こんなにも優しい子を危険な戦いに巻き込んでしまったのかと、ユーノは淡い罪悪感を改めて抱く。
(それに私、一度ペット飼ってみたかったんだ!)
(……ああ、そう……)
別の意味で涙が出てきそうになった。
そうか、この姿でこの国にいるとペット扱いされるのか。
先程立ち寄った店内の一角で、自分そっくりの姿をした動物がガラス張りの個室に入れられていたが、あれは愛玩動物だったのか。
てっきり病院のような施設だと思い込んでいた自分が情けない。
使い魔と間違われるのとペットとして接されるのと、一体どっちが不憫だろう。
影を背負い、蚊の鳴くような声でブツブツと独り言を漏らしながら彼が悶々と考えていると、不意になのはの足が止まった。
頭を上げ、なのはと同じ方向を向いてみれば、視線の先では相変わらず人の波が激しく流れ続けていた。
「どしたの? なのは」
不思議そうにアリサが問いかける。
どこか上の空な様子で流れる人ごみを眺めていたなのはは、突如かけられたその声に、思わず肩をすくめた。
「あ……うん。今、あっちに銀さんがいたような……」
愛想笑いを浮かべながら振り向き、そしてまたすぐに視線の位置を元に戻しながらなのはは答えた。
手のひらを水平にして額に当て、人垣の向こうを眺めようと背伸びをするが、わずか9歳のなのはの背丈では、
もちろんそれが叶うはずも無い。
それでも諦めずに向こうを覗こうと、なのはは荷物を置いてピョンピョンとその場で飛び跳ねる。
振り落とされそうになったユーノが必死に彼女の頭にしがみつくが、そんなこともお構い無しだ。
どこかの先住民族のような奇妙なダンスを踊るなのはの背中を眺め、アリサは悪戯っぽく口の端を吊り上げる。
「そんな必死に探さなくても、お店に行ったらいつでも会えるっしょ?」
ニヤニヤと含みのある笑顔を向けられ、なのはは頬を薄い朱に染め顔の前でブンブンと手を振る。
「そそ、そんなのじゃないよ! 姿が見えたから気になっただけで……!」
「おーおー照れちゃって。愛いのぅ愛いのぅ」
「なのはちゃん、銀時さんっ子だもんね」
「ち~が~う~! 私はどっちかといえばお父さんっ子でお兄ちゃんっ子なの!」
普段は大人しく、あまり人をからかわないすずかにまで微笑ましそうに見つめられ、
なのはの羞恥心は最高潮に達してしまった。
耳たぶまで真っ赤に染まり、大きな瞳には薄く涙が溜まり、結わえられた二括りの髪は、
何故か威嚇した猫のようにピーンと逆立つ。
(大丈夫だよなのは。僕の住んでた世界だと、君達くらいの歳の差夫婦なんてザラにいたし)
(ユ、ユ-ノくんまで~!)
ペット扱いされた仕返しだろうか。
しれっととんでもないことを発言したユーノはなのはの抗議の声など何処吹く風で、
キュンキュン鳴き声を上げてアリサとすずかに愛嬌を振りまく。
"普通のフェレット"で通している以上声を出して怒るわけにもいかず、なのははただ頬を膨らませて
ぷいっと親友達から顔を背けるのみ。
(……まあ、冗談は置いておいて)
どこか楽しそうなその発言が、そこはかとなく腹立たしい。
いっそ聞こえなかったふりでもしまおうかとも思ったが、そこは生来のお人好し、なのはちゃん。
無視を決め込むことなど到底出来ず、渋々ユーノの言葉に耳を傾ける。
(実際のところ、銀時さんってなのはとはどういう関係なの? 兄弟ってわけでも、親子ってわけでもなさそうだし……)
(……ん~……なんていうのかな……)
(ひょっとして、親戚とか?)
(ううん、そういうのじゃなくて、えっと……)
なのはは考える。言われてみれば、彼は一体自分の何なんだろうか。
幼い頃からずっとずっと一緒にいて、傍にいるのが当たり前で。
(……ホントに、なんなんだろうね。私が、もっとちっちゃかった頃からずっと一緒で。
昔っからグータラで、だらしなくて、やる気も無くて。
……でも、いざという時はキチンと決めてくれて。私が困ったり、悲しかったりするときは、
いっつも面倒くさそうにしながら助けてくれて)
昔を懐かしむように目を細め、呟くようにユーノに語りかける。
父が大怪我をして入院をして、一人寂しく留守番をしていた時。
初めての入学式で、不安で胸が一杯になっていた時。
そうだ。彼はずっと、そんな感じだった。
昔から、何も変わらない。
(……うん……そうだね……)
そう。
今も昔も、何一つ変わらない。
(上手く言い表せないけど……銀さんは、大事な人。今も昔も変わらない……私の、大切な人だよ)
なの魂 ~第五幕 トイレに5分くらい篭っていたつもりでも外に出ると倍以上経ってたりする~
「ぶぇっくしょい!」
「わ。銀ちゃん大丈夫?」
突如として響き渡った盛大なくしゃみに、思わず人々は足を止め声のした方を見やる。
物珍しげに向けられる、雑多な視線が痛々しい。
様々な世界の人間が入り乱れるこの大型量販店内においても、なお奇異な出で立ちをする彼女ら――シグナムら、
ヴォルケンリッターの面々は、コソコソと隠れるように銀時達の背後へと回りこんだ。
「……何やってんだ、お前ら?」
ズルズルと鼻をすすりながら銀時は後ろを振り返る。
警戒心もあらわに辺りを見渡すシグナムは、油断ならぬ目つきで銀時を睨み、そしてヒソヒソと小声で物申す。
「……いえ……今、四方八方からただならぬ殺気を感じたような……」
言いながらすす、と摺り足ではやての傍まで自身の位置を移す。
シャマルにヴィータ、ザフィーラも同様だ。
何かあったときに即座にはやてを守ることが出来るように、という配慮なのだが、残念ながら先程彼女らに向けられたのは
殺意を孕んだ視線などではなく奇矯なモノをみる眼差しだ。
遠巻きに眺める人間はいるだろうが、襲いかかろうとする者などまずもっていないだろう。
「んなワケねーだろ。なんだ? みんなの視線が気になる年頃か? 自意識過剰すぎんだよ」
そういうわけで、主君思いの騎士達の行動は、銀時の目にはただの奇行にしか見えていなかったりする。
呆れた表情でシグナム達の顔を見回し、そして彼はため息をついた。
「そんな様子で、まともに買い物できんのか?」
指摘と同時にシグナム達は一斉に眉根を潜めて、互いの顔を見合わせ、
そして様子を窺うようにはやてと銀時の顔をチラチラと覗く。
この反応を見る限り、どうやら先の質問の返答は否、であるようだ。
「はァ……まァちょうど良い機会だ。ココの一般常識とか、色々コイツに教えてもらえ」
ぽんぽん、と車椅子の上に鎮座するはやての頭に手を置いてそう言ったかと思えば、
銀時は面倒くさそうにシグナム達に背を向けて、さっさとその場を離れようとする。
「銀ちゃんは一緒にこーへんの?」
てっきり服飾の買い物に付き合ってくれるものだと思い込んでいたはやては、驚き半分寂しさ半分といった様子で問う。
「いや、服買わねーし。……しばらく買い物してなかったからな。今のうちに食い物買い込んでおかねーと」
「私も定春のご飯とか、一杯買うものあるアル」
引き止めようとするはやてには構わず、とっとこと二人は食料品売り場へと向かいだす。
背後からはやてだけではなく新八の呼びかけも聞こえてきたが、そんなものには一切合財耳を傾けずに人ごみの中へ紛れようとし、
ふと、何かを思い出したかのように二人ははやて達の方へ向き直る。
「あーそうそう。最近ひったくりとか多いらしいからな。荷物とかしっかり持っとけよ」
「知らないおっさんに声掛けられたら、すぐ逃げるアルよ」
そう忠告したかと思えば、二人はすぐに踵を返して食の聖地へとその足を運ぶ。
見送る暇すらなく、二人の背中は流れ行く人の波に同化していった。
どこまでマイペースなんだ、あの二人は。
引き止めるチャンスを逸してしまった新八は、額に手を置きため息をつき、気まずそうに腰から下を見下ろす。
はぁ、とどこか寂しげなため息。
新八の視線に気付いたのか、いじいじと膝の上で遊ばせていた両手の指を止め、その大きな瞳で
はやては新八の顔を覗き込むように見上げた。
「あー、その……と、とりあえず服! 服買いに行こっか、みんな!」
ギクシャクとした居た堪れない空気を払拭すべく、新八はわざと声を大きくしてはやて達に呼びかけた。
真っ先に彼の言葉に反応したヴァルケンリッター達は互いの顔を見合わせ、指示を請うように一斉に主へ向き直る。
どこか期待も孕んだように思える臣下達の視線を受け、はやては無理に笑顔を作って肯定の意を込め小さく頷く。
「よ、よし! それじゃ早速出発~っと……た、確か服屋って4階だったよね?」
マズい。この空気は本当にマズい。
これ以上はやてが機嫌を損ねる前に、どうにかして場の雰囲気を和ませたいものである。
幼い少女の晴れない横顔なんて、見ていて気分の良いものじゃないからだ。
早く買い物に行って、和気藹々と呉服洋服選びに勤しもう。
服屋の位置を確認するため、すぐ傍の壁にかけられた案内図に目を通そうと首を回す。
彼の視界に最初に飛び込んできたのは、店内の案内図ではなく、
『本日4Fにて福袋販売中!』
丸っこい文字でそういった旨の文句が書かれた、一際大きなPOP広告であった。
そこは、まるで極寒の地のような寂しさに包まれていた。
カリカリとハードディスクが稼動する音と冷却ファンの回転音、そして一心不乱にキーボードを叩く音。
どこか物々しい協奏曲の中、簡易的な机の上に置かれたモニターから発せられた光が、
銀の壁に乱反射して、てらてらと歪に狭苦しい室内を照らし出す。
その中に浮かぶ二つの影。
冷房によって過冷却された室内で、二人の男がゴソゴソと蠢いていた。
電子機器が織り成す不協和音も相俟って、なんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
ふぅ、と、男の疲れ切ったため息が吐かれると同時、その男の背後からゴンゴンと鈍い音が聞こえた。
まるで厚い金属製の板を、力一杯叩いたような音だ。
腰を据えていたパイプ椅子を軋ませ、モニターの前に座っていた男が顔を上げ振り向く。
何かが外れるような音、そして金属の軋む音と共に一筋の光が部屋の中へと入り込む。
思わず顔をしかめ、腕で顔を覆う。
「少尉、真選組の方々が御見えです」
毎日のように聞く部下の声。
ようやく光に慣れてきた目をうっすら開けると、警察手帳を手にした黒服の男が、入り口に足をかけ
こちらへ向かってきているのが見えた。
ボサボサに切られた黒髪、瞳孔開き気味の瞳、腰に携えられた刀。
その男に、彼は見覚えがあった。
そう、武装警察真選組の副長、土方十四郎だ。
「真選組だ……って、なんだこりゃ、たったの二人か?」
驚いたように目を見開く土方に、男は額を押さえてため息をつく。
「あー……まあ、いわゆる人手不足ってやつでして」
「だからって二人だけってのは……」
「上の連中が魔導師を過大評価しすぎた結果ですよ」
先程仲間に少尉と呼ばれた男は、重い腰をパイプ椅子から上げ、
手元にあった数珠のようなもの――おそらくデバイスの一種だろう――に二言三言声をかけ、軽く敬礼をする。
それに釣られるように、部屋の奥でチューナーのような機械の前に座っていた男が眠そうに振り向いて会釈をする。
肩の階級章を見る限り、どうやら彼は軍曹のようだ。
「……まあいいか。それで、状況は?」
いくらなんでも、職務をまっとうできないような人材は寄越すまい。
仕事さえ出来るのならば人数はさしたる問題ではないと考え、土方はしかつめらしく問いかける。
彼の問いに答えるように少尉は頷き、簡素な机の上に置かれたモニターの前へと土方をいざなう。
「店内全域にスキャンはかけてんですけどね……どうやら対探査魔法処理がされてるみたいで」
モニターに映し出される人の山を、少尉は真剣な目つきで眺める。
ふむ、と土方は顎に手を置き、彼もまた食い入るようにモニターを見つめる。
買い物中の主婦が、学校帰りの学生が、せせこましく、しかし楽しそうに憩いのひと時を過ごす姿。
土方は心底気に食わなさそうに懐から煙草と、一枚の紙片を取り出す。
その紙片には、新聞の切抜きと思わしき文字が沢山貼り付けられており、一つの文章を形成していた。
――本日十八時三十分、大江戸デパートを爆破スル――と。
そう、屯所で近藤が言っていた『緊急事態』とは、このことだったのだ。
「……上等だコラ。どこの誰だか知らねェが、やれるモンならやってみやがれ。
その前にとっ捕まえて叩き斬ってやる」
沸々と湧き上がる怒りを抑えもせず、土方は好戦的な笑みを浮かべ、手にした紙片をクシャリと握りつぶす。
その様相はまさしく荒れ狂う鬼。
まあ荒れた原因の殆どは、某テレビ番組の最終回を見れなかったことに対する憤りに起因するのだが、
この際そのことには言及しないでおこう。
『鬼の副長』の二つ名に恥じぬ気迫を目の当たりにし、少尉は楽しそうに口笛を吹く。
「まァ軍まで出張ってるわけですし。被害者ゼロで抑えないと、示しが付きませんよ。なァ?」
同意を求めるように少尉は軍曹の後姿に声を投げかける。
しかし、返ってくる言葉は何一つと無い。
チューナーのような機械の前に座る軍曹は、無言のまま中空に浮かぶ魔力で生成されたモニターを見つめ、
そして膝の上に置いた端末のキーボードを一心に叩き続けている。
その姿にただならぬものを感じたのだろう。
咥えた煙草に火をつけようとしていた土方がその手を止めて、彼の背中越しに中空のモニターを見やる。
「……オイ、何かあったか?」
「ああ……いや、ちょっと気になる反応があったもんで……」
振り返ることも無く軍曹は、淡く緑に輝く魔力のモニターを眺めながら呟き、キーボードのエンターキーを叩く。
それと同時に膝の上に乗せた端末の画面に、サーモグラフのような画像が映し出された。
「こりゃ4階の……なんでしたっけ? ここ」
「服屋じゃなかったか? ……あーいや、確か今日は福袋の会場になってたような……」
「うーん……新八さん、遅いなぁ……」
大量の紙袋を乗せたワゴンに群がる人々を遠巻きに眺め、はやては車椅子の上でぽつりと呟いた。
落ち着き無くそわそわと辺りを見回し、大きな紙袋を抱える両手にぎゅっと力を込める。
抱えられたその紙袋には、大きな赤文字で『福袋』とプリントされていた。
そう、それは目の前で争奪戦が繰り広げられている、福袋会場で購入した物。
新八の提案で、服飾品を買いに行く前に訪れたのだ。
無論料金は新八持ち。値段は締めて4000円。
16の青年には手痛い出費であるが、幼い少女の笑顔のためならば安いもの。
実際に銀時達と別行動になったときと比べ、彼女のご機嫌は新八の目論見通り、随分治っているようだ。
しかし、そんな面倒見の良いメガネのお兄ちゃんの姿は今は見当たらない。
一体何処へ行っているのかといえば、
「お手洗いにしては、随分長いですね……」
そう、厠である。
はやてに福袋を買ってあげた後すぐ、彼女と守護騎士達をこの場において厠に向かってしまったのだが、
それが大体10分程前。
シャマルの言うとおり、用を足しに行っただけにしては時間がかかりすぎている。
うーん、と心配そうに新八が駆けて行った方向を眺め、「あ、大きいほうか」と思い直し、
(……って、何を考えてるんや私は……!)
と勝手に恥ずかしそうにはやてが頬を赤らめていると、不意にシグナムが表情を険しくした。
「……まさか、用を足している最中に背後から暴漢に……!」
「ありうるな……食事・睡眠・排泄時は、人間の心に最も隙が生じる瞬間だからな」
「あー、なんか狙われやすそうな顔してるもんな……」
「……そ、それは無いと思うけど……」
どこか思い詰めたように、真摯な表情で俯くシグナムとザフィーラ、そしてヴィータ。
しかし残念ながらこの日本という国は、玄関を出ただけでひったくりにあうような無法地帯でなければ、
手斧片手にモヒカンマッチョが暴れまわるような世紀末世界でもない。
可能性としてなくは無いが、シグナム達が懸念するような事件はまずもって起きないだろう。
呆れたようにはやてが呟き、だがシグナム達はどこか納得いかない様子で神妙にお互いの顔を見合わせる。
「あー、ちょっといいかな? そこのお穣ちゃん」
彼女らに唐突に声が掛けられたのは、その時だ。
まるで水をかけられた猫のような機敏な反応で、守護騎士達は声のした方へ素早く振り向く。
それに続いて首を回したはやての視界に入ったのは、かっちりとした紺のスーツのような服を着こなした
二人組みの男の姿であった。
この国に住まう者から見れば、なんの変哲も無い光景。
「警備員が車椅子の少女に声をかけた」。
ただ、それだけの光景だ。
だがシグナム達にとっては、違った。
振り向くと同時に、仰け反るように身を逸らせた不審な二人組み。
全身紺の服を身に纏い、狼狽するその様はあからさまに怪しい。
頭のてっぺんから足の先まで舐めるように観察し、そしてその途中で彼女らは気付いた。
二人の男の両腰に、短い鉄の棒が、そしてL字型の鉄の塊が携えられていることに。
それは電磁警棒と電気銃――つまり非殺傷性の警備用の装備だったのだが、この世界の文明知識に乏しいシグナム達が、
一目見てそうだと分かるはずも無く。
そして運の悪いことに、彼女らは"殺傷性の"拳銃の知識は持ち合わせていたわけで。
「あ……え、えっと、悪いんだけどお穣ちゃん。その荷物、ちょっと見せてもらえるかな……?」
戸惑った様子で身を屈め、はやてに話しかける二人の男の姿を見やり、ふと先程銀時達から賜った忠告を思い出す。
曰く、「最近ひったくりとか多いらしいからな。荷物とかしっかり持っとけよ」。
曰く、「知らないおっさんに声掛けられたら、すぐ逃げるアルよ」。
二人組みを横目で睨みつつ、シグナム達は顔を見合わせて頷く。
彼らの助言と自分達の持ち合わせる知識を最大限に掻き集め、そして彼女らは決議を出す。
「ごっ……!?」
鈍い音と呻き声。
それと同時に二人の男が、糸の切れた人形のようにその場にくず折れる。
「……って、えぇぇぇぇ!?」
思わずデッサンの狂った顔で、驚愕の声を上げるはやて。
それはそうだ。
なにしろシグナムとザフィーラが、男二人のどてっぱらに、有無を言わさずボディブローを叩き込んだのだから。
「ななな、二人とも何を……!」
「逃げますよ、主!」
「ふ、ふえぇ!?」
結論。
先の男達を物取りと判断。無力化の後、銀時達との合流を優先とする。
シグナムが怒鳴り、ザフィーラがはやての身体を抱え上げ、周囲の客が異変に気付くその前に、
車椅子もほったらかして守護騎士達は一斉に駆け出した。
落とさないように必死に福袋の持ち手を握り、何かを訴えるはやての言葉は、
遮二無二主を護ろうとする騎士達の耳には全くと言っていいほど届いてはいなかった。
シグナム達が巻き起こした騒動に、店内の監視を続けていた土方達が気付かないはずもなく。
店の外に停められ、大型のトレーラーに偽装された捜査室内では、どこか剣呑な空気が漂っていた。
「……あー……うん、あー……」
「……オイどうした? 顔色悪いぞ」
顔中から脂汗を噴出しながら、モニターを眺める軍曹の様子に土方は怪訝そうに首を傾げる。
油の切れたブリキ人形のように重く首を回し、土方の目の前で軍曹はこうべを垂れた。
「いや、その……今、4階で気になる反応があったって言いましたよね……」
くいっと親指でモニターを指差し、歯切れの悪い声で軍曹は呟く。
「ああ、それがどうかしたか?」
「ものの見事に爆弾でした。あの子の福袋」
「…………」
キーン、と耳鳴りのような音。
居た堪れない沈黙の中に、機械の作動音が不気味に響き、長くこの場に留まれば
情緒が不安定になってしまうのではないかという錯覚に陥る。
「事情話して持ってくるようにって、向こうの警備員に念話通して伝えたんですけど、まさかこんなことになるとは……」
『俺達に先に言えェェェェェ!!』
鬼のような形相で軍曹の首を締め上げ、少尉と土方は同時に怒号を上げる。
宙に浮いた身体を降ろしてもらおうと、必死で両足をばたつかせながら、軍曹はしゃがれた声で訴えかけた。
「ギ、ギブ! ギブアップ! んなこと、やってる場合じゃ、ない、でしょ……!」
もはや虫の息の軍曹の見苦しい言動に、しかし一理あると感じ取った土方は、懐に忍ばせた無線機を取り出し声を荒げた。
「そりゃそうだ……っと! オイ総悟! 聞こえてるか!!」
「へいへい。怒鳴らねーでも聞こえてやすよ」
警戒のために仲間と共に店内に入っていた沖田は、欠伸をしながら無線機を耳に押し当て、
眠そうに眼をこすりながら土方の言葉に応えた。
黒く染め上げられた真選組の隊服を纏い、腰に携えた刀に手を置き、
何やら騒ぎ声が聞こえてくる通路の向こう側を見やりながら、周囲の客に避難誘導を行う隊士達に目を配る。
『緊急事態だ! 爆弾持ったガキがそっちに向かって……!』
「もう見えてますよ」
キン、と鍔を鳴らして沖田はため息をつく。
先程見やった通路の向こう。
ひしめく客を掻き分けて猛然とこちらへ向かってくる、子供を背負った男女の姿が彼の目には既に入っていたのだ。
それに気付いた隊士達が数名、沖田に加勢するべく彼の傍にやってくる。
「おーい止まれそこのバカ共。抵抗すると公務執行妨害で逮捕しちゃうぞー」
『出来るだけ怪我はさせるなよ。こっちは爆弾さえ回収できりゃいいんだ』
「わぁってますって。さすがの俺でも、それぐらい空気は読め……」
と、そこまで言ったとき。
こちらへ向かってくる桃色の髪の女性が、おもむろに自身の胸元に手を置いた。
いや、そうではない。首から提げた剣の形をしたアクセサリーを握り締めたのだ。
その次の瞬間。
女性の手の中から一瞬光があふれ出した刹那、彼女の手に、鞘に収められた大型の刀剣が現れたのだ。
それは日本刀とはまた違った意匠、有体に言って西洋の剣のようであった。
普通の西洋剣と違うところがあるとすれば、鍔らしき部分に、銃の排莢口のようなものが付いていることか。
「……あの、沖田隊長。あれってもしかして……」
傍にいた隊士の一人が、冷や汗を流しながら女性――シグナムを指差す。
それと同時にシグナムの持つ剣の排莢口から、金属のぶつかり合うような音と共に、
小さな円柱状の物体が吐き出され……。
「"飛竜"……!」
「……退避退避ィィィ!!!」
「……"一閃"!!」
沖田が怒鳴り、隊士達が一斉にその場を飛びのくのと、シグナムが手にした刀剣――アームドデバイス・レヴァンテインが
鞘から抜き放たれたのは、ほぼ同時であった。
轟、と獄炎のような魔力を纏ったその刃を鞭状に可変させ、鞘から振り抜かれたそれを蛇のようにしならせ、
一直線に沖田達がいた場所へと撃ち出す。
爆音と共に床が吹き飛び、その破片が電灯を砕き天井に突き刺さる。
早めに避難を行っていたおかげで、着弾点の近くに一般客が誰もいなかったのがせめてもの救いか。
邪魔者を退けたことを確認すると、連結刃を元に戻して鞘へ納め、黙々と立ち上る白煙の中を
シグナム達は駆け抜けて行った。
「……あー、テステス。聞こえてやすか、土方さん」
商品棚の裏に身を隠し、トンデモ民間人の後姿を見送った沖田は、苛立った様子で何度もカチャカチャと鍔を鳴らして
無線機の向こう側にいるであろう土方に問いかける。
「……ヤッちまっていいですかね? アレ」
『なるべく話し合いでなんとかしてくれ。だが、こっちの話に耳を貸さねェようなら……』
はぁ、と悲壮感漂うため息が、無線機の奥から響いてきた。
この惨状に、さすがの土方も頭を抱えているのだろう。
しばらくの間を置いて無線機から返ってきた言葉は、どこか刺々しいものであった。
『殺すな。だが殺すつもりでいけ。魔導師相手に加減なんざしてりゃ、命がいくつあっても足りねーよ』
「ありゃ。軍の魔導師も来てるんじゃありやせんでしたっけ?」
『連中現場に向かわせたら、店の状況が把握できねーだろうが。俺もすぐ行く。先走んなよ』
「合点でさァ」
ブツリと通信を切り、頭から被さった破片や粉塵を掃いながら、ゆらりと沖田は立ち上がる
「お、沖田隊長。如何致しましょうか……?」
たまたま彼の近くに身を潜めていた隊士が、咳き込みながら問いかける。
しかし沖田は彼の方へ目を向けることも無く、普段より数段低くなった声色で部下に命令をする。
「厠の掃除用具入れに"荷物"を置いてある。今すぐ持ってきてくれィ」
「……な、何ですか、荷物って……?」
沖田から発せられる只ならぬ気配に戦々恐々と隊士は尋ねるが、しかし言葉は返ってこない。
厠の存在する方へ親指を向けて指し、沖田は底冷えするくらい獰猛な薄笑いを浮かべるだけだ。
ややあって、ようやく彼の口から放たれたのはたったの一言であった。
「……ちょっとした花火でさァ」