マブラヴオルタートフェイプル
その33
拠点となるホテルに着いたクリスカとイーニァ。この部屋、どうやら最高級のスイートルームのようである。
何処かの王宮から持ってきた様な家具。踏むのが躊躇われる程の絨毯。日本なのに日本でない、そんな感覚。
どうやら依頼主は相当な権力を持っているのだろうとクリスカはそう推測した。
中へと入り、柔らかそうなベッドを発見したイーニァは、ミーシャを抱えたまま助走をつけてベッドへダイブした。
「ほらほらクリスカ? ふわふわしててきもちいいよ?」
ベッド上で嬉しそうに跳び跳ねるイーニァを見て優しい笑みを見せるクリスカ。
「もう、あまりはしゃいじゃうと下着が見えるわよイーニァ」
イーニァの元へ行き着衣の乱れを直すクリスカ。
すると、突然イーニァに抱きつかれベッドへと引きずり込まれた。
「キャッ! ちょっとイーニァ!」
「エヘヘ、クリスカだいすき」
「ウフフ、ありがとうイーニァ。私も好きよ」
イーニァの頭を撫でながらそう呟くクリスカ。ミーシャと一緒に抱きついてくるイーニァを優しく包み込んだ。
幼い頃クリスカはロシアのある施設に連れてこられ、物心ついた時から習いたくもない殺人術を叩き込まれた。
何度逃げ出そうとしたか憶えていない。その度に捕らえられ、絶対服従を強いられた。
涙も枯れ果て機械的に過ごす日々。最早心まで凍りついたかの様に心を、感情を閉ざした。
そんな時、その施設に自分が来た時と同じ様に新たな子供達が数十名連れてこられた。
その施設は身寄りのない子供を連れて来ては殺人術を叩き込み、世界各国の要人の元へ売りに出す施設だ。
自分より先にいた兄や、姉だと教えられた人達は既に売られているか、訓練に耐えきれず絶命している。
新たな子供が来たとて自分の運命は変わらない。いつか売られるか、死ぬかのどちらかだ。そう思っていた。
ある少女に、今、自分の腕の中にいる少女に出逢うまでは……
――――
ここはロシアでも、比較的暖かい場所。人気のないこの地にて、不釣り合いの建物が見える。
その施設からは悲鳴と怒号が絶えず木霊していた。その施設内のグラウンドでの事。
今までで一番内容がきつかったであろう訓練が終わると少女はその場に横になる様に倒れた。
彼女の名前はビャーチェノワ。五番目の意を持っており、本名は知らない。
この場所では本名など必要無いのだ。
ビャーチェノワは仰向けになると真っ直ぐ夜空を見上げた。吸い込まれそうな程に広がる星空。
そのまま吸い込まれて楽になりたい。そう思いながらビャーチェノワは空に手を伸ばした。
「おほしさまつかまえるの?」
不意に声をかけられ、声のする方へと顔を向ける。そこには自分よりも更に幼いであろう少女が立っていた。
見た事のない子である。恐らく今朝がた連れてこられた子供だろうと予想したビャーチェノワは相手をするのが面倒だと思い無視した。
すると少女はビャーチェノワと同じ様に仰向けになると空に手を伸ばした。
「わたしにも、うまくつかまえられるかな?」
「クッ!」
ニッコリと笑いながらそんな事を言う少女に対し、ビャーチェノワに苛立ちと言う名の感情が蘇る。
しかし、ここで揉め事を起こせば修正を受ける事は目に見えている。
グッと堪えると立ち上がり無言で施設へと戻っていった。
施設に戻り自分の寝床へ入ると、ふと先程の少女の事がビャーチェノワの脳裏に浮かび上がる。
透き通る様な澄んだ瞳。そして先程の優しげな少女の笑顔がビャーチェノワの網膜に焼き付いていた。
「あの子もいつか……」
今朝連れてこられたと言う事は明日から本格的に訓練が始まると言う事。
あの笑顔も無くなってしまうのかと思うと少し寂しい気持ちになってしまった。
「何故寂しいと感じる。いらない感情だ。ここでは必要無い」
頭を振り、そう自分に言い聞かせるとビャーチェノワは深い眠りについた。
次の日、案の定泣き叫ぶあの少女を発見する。あの少女だけではない。
昨日連れて来られた者全員が泣いていた。
自分もそうだった。この日から絶望が始まるのだ。
どんなに泣き叫ぼうが誰も助けてはくれない。
今頃、教官達が地獄の鬼に見えている事だろう。
ここで生きていく為には余計なモノは、感情は棄てなければならないのだ。
1日の訓練課程が終了し、施設に戻ろうとすると昨日の少女を見かけた。
少女は仰向けにぶっ倒れると昨日のビャーチェノワの様に手を空に伸ばしていた。
そして一生懸命何かを掴もうと必死に手を伸ばしては空をきっていた。
どうやらあの少女は星を掴もうとしているようである。勿論そのような事が出来る筈が無い。
その姿はとても滑稽だったが、何故かビャーチェノワの心を強く打った。
何度失敗しただろうか?その様子を見ていたビャーチェノワに少女は漸く気が付いた。
上半身だけを起こしビャーチェノワに手を振る少女。昨日ビャーチェノワが無くなってしまうだろうと予測していた笑顔を向けて。
「どうして……」
ビャーチェノワは訳がわからなかった。自分は初日から笑顔なんて消えてしまった。他の子もそうだった。
なのにどうしてこの少女は笑っていられるのだろう?あの少女が立ち上がり近づいてくる。
「どうしてないてるの? どっかいたいの?」
「え?」
少女に言われ、とっさに右手で目元を確認する。確かに枯れ果てたと思っていた涙が頬をつたっていた。
「ど、どうして……」
止まらない。
言われるまで気付かなかった。
心は冷めた筈なのに……
感情なんて棄てた筈なのに……
なのに、なのにどうしても止められない。
自分が分からなくなり、ビャーチェノワはその場から逃げるように施設へと走りだした。
自分の寝床に戻ったビャーチェノワは布団を被り今日の事を忘れようとするが、少女の、あの眩しい笑顔がこびりついて離れなかった。
それからというもの、ビャーチェノワはあの少女の事が頭から離れず、あの少女を目で追う様になってしまう。
どんなに辛く、厳しい訓練で泣き叫んでも、少女から笑顔が無くなる事は無かった。
ビャーチェノワはあの少女の笑顔を見ると心が暖かくなるのを感じた。
スウッと心が、気持ちが軽くなっていく。
そしてある日、訓練が終了し、少女を見ていた。少女は突然座り込んだかと思うと奇妙な動きをし始めたのだ。
少女は何かと睨めっこをしており、突然カエルの様に跳ね始める。
よく見ると、少女の前にはカエルが一匹ピョコピョン、ピョコピョン跳び跳ねていた。
あの少女は楽しそうにカエルの真似をする。その様子を見ていたビャーチェノワはクスリと笑みを溢した。
「え?」
自分で自分を驚いてしまった。そして気付いてしまう。
自分はあの少女の事が羨ましかったのだと。自分もあの少女のように笑いたかったのだと。
気付くと、いつしかあの少女の周りには沢山の子供達で溢れていた。ビャーチェノワだけではない。
ビャーチェノワと同じ時期に連れてこられた子供達もあの少女を見ていたのだ。
そしてその時に悲劇は起こった。否、起こってしまった。
この様な事態は施設設立以来初めての事である。
施設の鬼達はこの事態をよしとせず強制的に絶望を子供達に与え始めた。
「いやぁ! やめて! やめてよ! みんなにひどいことしないで! おねがいだから!」
あの少女が教官達の行動を止めさせようとすがりつくが弾き飛ばされ、殴る蹴るなどの暴行を受けていく。
気が付くとビャーチェノワはあの少女をかばうように割り込んでいた。
――私なんで……
不思議には思ったが悪い気分ではなかった。結局ビャーチェノワも散々暴行を受け、その場に倒れ込み意識を手放した。
気が付くとグラウンドに放置されており、辺りも既に真っ暗で、冷たい風がビャーチェノワを襲う。
ビャーチェノワは身を起こし辺りを確認すると隣にはあの少女が倒れていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
うわ言の様に謝り続ける少女。意識は無い様である。どうやら夢の中でも暴行をうけている様だ。
ビャーチェノワは少女を揺すり悪夢から解放させてあげた。
「大丈夫?」
気が付いた少女に声をかけるビャーチェノワ。すると少女はビャーチェノワに抱きついてきた。
「もうやめて! やめてよ……」
「もう大丈夫よ。もう終わったから」
「ほんと?」
「ええ、本当」
少女を抱きしめて優しく語りかけるビャーチェノワ。
「私はビャーチェノワ。貴方名前は?」
「ごばんめ? わたしはシェスチナ」
――六番目……この子も自分の名前は知らないか……
「あったかい。ビャーチェノワはしってる? あったかいはかぞく」
「家族?」
ビャーチェノワは家族の意味など知らない。物心ついた時からここに居たのだ。
そしてただ人を殺すすべだけを教えられてきた。
しかし、"家族"という響きは何故かビャーチェノワの心の奥に響いた。
「うん! かぞくはたいせつ!」
あの笑顔で答えるシェスチナ。大切、それは分かる。大事な物だ。
「わたしとかぞくはいや?」
「そ、そんな事はないわ。ごめんなさい。私は家族って言う言葉を知らないの」
「かぞくはね? あったかくて、とってもやさしいの! ビャーチェノワといっしょ!」
「わ、私が優しい?」
自分が優しいと言われ慌てるビャーチェノワ。シェスチナはそんな事はお構い無しに話を続ける。
「うん! ビャーチェノワはやさしい。ビャーチェノワ、わたしとかぞくになろ?」
「いいの?」
「うん。それじゃあなまえをきめよ?」
「名前を?」
「みんなとはちがうなまえ。ビャーチェノワのはわたしがきめてあげる」
番号ではなく本当の名前。今まで考えた事もなかったがビャーチェノワの心は嬉しさで一杯になった。
「ビャーチェノワまたないてる。かなしいの? いやなの?」
心配そうな顔をしてビャーチェノワの顔を覗くシェスチナ。
――嬉しくても涙は出るんだ……
「そうじゃないの。嬉しくても涙は出るみたい……」
泣きながら笑うビャーチェノワ。今流れている涙だけは拭う気にはなれなかった。
そしてある誓いを建てた。今、身につけているこの力は彼女を守る為に使うのだと。
何があっても守ってみせると……
この日から二人は"家族"となった。お互いの名前をクリスカ、イーニァと名付けて。
その後、数ヶ月が過ぎた。あの事件の後、施設の鬼達が怖いのか、イーニァの周りにいた子供達は彼女に近づく事はなかった。唯一、家族となったクリスカを除いては。
そしてクリスカは、あっという間に施設トップクラスの実力を持つようになっていた。
そんなある日、イーニァが一人の少女を連れてきたのだ。彼女の名はトリースタと言った。
イーニァより年上だが今日連れて来られたばかりの女の子である。
どうやら連れてくる子供に年齢は関係無い様だ。
銀髪で何もかも見すかしているような深い瞳。そんな彼女をイーニァは家族にすると言い始めた。
「トリースタもわたしとクリスカのかぞく。いいでしょ?」
「そうね。よろしくね? トリースタ」
そう言ってクリスカはトリースタに握手を求める。
この子もイーニァと同じ様に私が守るのだと心に誓いながら。
「はい、よろしくおねがいします。クリスカさん」
トリースタは微笑みながらクリスカの握手に応える。その瞬間クリスカの中で何かが通り抜けた。
――イーニァと同じ……優しい感じ……
イーニァが家族にすると言った理由が分かった気がした。
そして家族が三人になってから一ヶ月余りが過ぎた。施設の鬼達の目を欺き仲良くする三人。
この一ヶ月、体力が全く無かったトリースタはよく頑張った方である。だが既に彼女の身体は限界であった。
「クリスカ、トリースタどうなっちゃうの? いなくなっちゃうの?」
恐らくこのままではトリースタの生命が危うい。
クリスカは以前から計画していた脱走を実行に移す決意をする。
この施設は四方を柵で囲まれており、監視カメラがこれでもかと言うほど備え付けられている。
この柵を乗り越えての逃亡は不可能だ。以前、何度か脱走を試みたが施設を出る前に失敗している。
しかし、施設の外さえ出る事が出来れば、周りは森である。自然がクリスカ達を匿ってくれるだろう。
森の中に入ってしまえばこちらのものである。後は如何にして外へと脱出するかだ。
チャンスは次回の子供達が連れて来られる時だろう。トリースタの体力も、恐らくそこが限界の筈だ。
チャンスは一度のみ。失敗すればトリースタの身体はもたないだろう。
勿論、自分とイーニァも只では済む筈がない。失敗は決して許されないのだ。
そしてその時は来た。数十人の子供達が施設に連れて来られ、この施設只一つ、外へと通ずる門が開く。
クリスカはトリースタを抱え、イーニァと供に走り出した。
――森の中さえ! 森の中さえ入ってしまえば!
この混乱により連れて来られた子供達の恐怖感が限界に達し、泣き叫ぶ者、暴れ出す者、逃げ出そうとする者が続出。
一時、門の前はパニックへと陥った。その混乱さえ利用し出口へと疾走するクリスカとイーニァ。
門をくぐり抜け森へと駆け抜けようとした時思い知らされてしまった。自分達はどんな事をしても、決して逃げる事など出来ないと言う事に……
そう、脱走を企てる者は毎回多数いる。決まって子供達が連れて来られた時を狙って。
この施設で生き残れば嫌でも実力がつく。力づくで脱出しようとする者もいる。
が、この施設は未だかつて、只の一人として脱走を許した事は無い。施設の外には鬼達が待ち構えていたのだ。
絶望に打ちひしがれる三人。鬼達はクリスカ達を捕らえると施設へと連れ戻してしまった。
施設の地下、ここは施設に対し、重大な反逆行為を行なった者が連れて行かれる場所。この場所に連れて行かれ、もう一度日の目を見た者はいない。
途中の通路でトリースタと離された。体力的に最早限界であり別の場所へと連れて行かれる。
クリスカとイーニァは一緒に連れて行かれるが最後の部屋にて離された。
これからどうなってしまうのだろうという恐怖よりもイーニァやトリースタが助かって欲しい。
今のクリスカの頭の中はその事だけであった。
クリスカ担当であろう施設の鬼が卑下た笑みを浮かべる。
その顔を殴りたくても後ろ手に縛られ、出来る事と言えば、この男を睨みつける事だけだった。
「クックック、馬鹿なやつだなお前は。たっぷりお仕置きしてやるからなぁ~。ゲへ、ゲへ」
――クッ! こんな奴に!
クリスカは男に蹴りを放つが避けられ、逆に軸足を蹴られその場に倒れた。
いくら強くなったとしても所詮は子供である。大人の、しかもこの様な男でも施設の鬼の一人である。
子供のクリスカが敵う筈がない。それでも睨みつける事だけは止めなかった。
男にとっては、それすらも自分の欲望を駆り立てる燃料だったようだ。
男はクリスカにゆっくりと近づいて行く。
クリスカも男から離れようと倒れたまま後退るが遂に壁まで到達してしまった。
男がクリスカに飛び掛ろうとした時、物凄い震動と爆発音が聞こえてくる。
「な、何事……ヒィ!」
クリスカ自身も爆発音には驚いたが、直ぐ様自分を取り戻し、音が聞こえてきた方向へと向いた男の大事な息子に蹴りをお見舞いした。
子供が男の大人に勝つ唯一の方法。男は短い悲鳴を上げ、泡を噴きながら倒れ込む。
男から地下室の鍵と手枷の鍵を奪うと器用に手枷を外し、男の顔面に蹴りを入れトドメをさした。
「イーニァ、トリースタ待ってて」
先程の衝撃、恐らく大量の爆薬が使われた筈である。考えられる事は一つ。この施設が何者かの襲撃にあったとしか考えられない。
クリスカはこの混乱を利用し、イーニァ、トリースタの救出に向かって走り出した。
――イーニァは確か……
イーニァが連れて行かれた場所を探すクリスカ。自分が連れて行かれた場所の近くの筈である。
すると丁度イーニァの悲鳴が地下に木霊した。
「やだやだやだやだやだ!」
その部屋を蹴り開け、直後自分がされていた手枷を襲おうとしている男めがけて投げ、自身も男との距離を詰めるべく走り出す。
開け放たれた扉に気付き、丁度男が振り向いた時に手枷は顔面に直撃し、男は痛みにより顔をおさえ蹲った。
「クリスカ!」
家族の名を叫ぶイーニァ。クリスカは笑顔で応えると、蹲った男に対し顔面を蹴りあげる。仰向けに倒れてしまった男にトドメを刺す。
あの爆発音でさえ気にせずイーニァに手を出そうとしていた男である。手加減なく踏み潰した。
息子を踏み潰された男は白目を剥き意識を失った。クリスカは手枷の鍵を取るとイーニァを解放する。
「クリスカ! クリスカ!」
「もう大丈夫よイーニァ。さあ行きましょう。トリースタも助けてあげないと」
泣きながら抱きついてくるイーニァを優しく抱きとめ安心させる。
クリスカの言葉にイーニァも気持ちを切り替えた。まだトリースタが捕まったままなのだ。
「このひとがいってた。トリースタはもうだめだから、はきされたって」
気絶している男を指差すイーニァ。男の言葉が真実ならばトリースタは……
二人はお互い頷くと部屋をでた。この施設には廃棄場なる場所が存在する。
訓練に耐えきれなかった者や続けられなくなった者が送られる場所。
通称【ガフの部屋】
ユダヤの伝承にでてくる部屋の名前である。この部屋は生まれてくる子供の魂が集まっている場所、又はヒトの魂が生まれ、還る場所と言われている部屋。
――誰が付けたのかは知らないけど、そんな部屋にトリースタは用は無いのよ!
込み上げてくる怒りを抑え込みながら、ガフの部屋へと急ぐクリスカ。施設の中は酷い有り様であった。
途中、施設の鬼達が使っている無線が落ちていた為、拾い情報を得るクリスカ。
なんと襲撃して来たのはアジア系の男二人なのだそうだ。たった二人で、この施設を壊滅状態にしたと言う。
この二人に対しクリスカは恐怖を覚えたが、どちらにせよ再び巡ってきたこのチャンス、トリースタを取り戻し脱出を成功させると心に決める。
しかし、ガフの部屋まで後一歩といった所で施設の鬼に遭遇してしまう。
先程は不意打ちと相手の油断で何とかなった。
だが今回は油断してはくれないだろう。イーニァと二人がかりだとしても勝利は難しい。
その時、更に向こうからスーツにソフトハットを被った、この場に不釣り合いな男性が歩いてきた。
「おやおや、この施設の方々は本当に子供を虐めるのを趣味としている人達ばかりだな。
子供を持つ親として嘆かわしい事だ」
「襲撃犯は貴様か……こんな事をして只で済むと思っているのか!
一体何処の国の差し金だ! 答えろ鎧衣左近!」
「おやおや私をご存知でしたか。残念ですが依頼主は教えられませんな。
ところで、どうして差し金と言うかご存知ですかな? 元々差し金と言うのは――」
「黙れ!」
左近と呼ばれた男の言葉を遮ると施設の鬼は一気にウィンドとの距離を詰め、喉元めがけ手刀を突き出す。
まるで風が通り過ぎたかのような一瞬の出来事。しかし、その手刀は虚しく空を切るのだった。
施設の鬼の目には手刀が左近の体を通り抜けたように錯覚する。
「やれやれ、血の気の多い方だ」
右手でソフトハットを押さえながら、そんな事を言う左近。既に鬼の背後に周っており、首筋に左手刀を放つ。
「バッ、バカな……」
鬼が気付いた時には既に遅く、その一撃で意識を刈り取られてしまう。
倒れた鬼から左近と呼ばれた男へと視線を移すクリスカ。
「もう粗方片付いた。君達はもう自由だよ?」
そう言う左近にもクリスカは決して心を許さない。信じられるのは自分の家族だけである。
長い間施設にいたクリスカの思考は荒んだものになってしまっていたのだ。
警戒するクリスカを見て深い溜め息を吐く左近。ソフトハットを深く被り直した。
左近はある男の依頼でこの施設を襲撃。その男とは一緒に襲撃した人物なのだが、先程一人を保護し、別区画へと行ったばかりだ。
どうしたものかと頭を抱えた時、新手が現れる。
「やれやれ、世界の警察を名乗っている国といい、この国といい……
君達、門の前に他の子供達も集まっている。そこに行くといい」
そう言うと新手の方へと身体を向ける左近。
「信用出来ない。それに私達は家族を探さなきゃならない。私達に構うな」
そう言い放って先を急ぐクリスカ。イーニァは訳が分からずクリスカの後を着いて行った。
「行ってしまったか……説得したのが私ではなく彼だったら素直に着いてきてくれたのだろうか?」
そう言って、もう一つの名の通り一陣の風となる左近。次々と新手を無力化していく。
「わ、わずか2分足らずで我々精鋭部隊25人が全滅だと……ばっ化物め!?」
誰一人殺さず相手を無力化する不殺の左近。ずれたソフトハットを被り直すと施設の中枢へと向かった。
ガフの部屋へと着いたクリスカとイーニァ、途中、気を失っている鬼達が多数転がっていた。
恐らく先程の男がやったのだろう。ここに来たのは二人と言っていた。
もう一人の実力もあの男と同等とみていいだろう。
部屋に着く間クリスカはそのもう一人の男が現れた時の対処法を考えていた。
ガフの部屋を開けると異臭が漂って来て二人はとっさに鼻を押さえる。
――なんて酷い匂い。こんな所にトリースタは!
「トリースタ! 返事をして! 何処にいるの!」
声を張り上げトリースタの名前を呼ぶが返事は無い。イーニァが中へと入り確認する。
「いない……いないよ、クリスカ」
今にも泣きそうな声をだすイーニァ。クリスカも必死に捜すが見当たらなかった。
暫くトリースタを捜す二人だったが、突然軍隊の制服を来た男達が部屋へと侵入し二人を捕まえる。
この軍人達は左近を雇った人物がこの施設の最終的な制圧の為に雇った軍隊で主に子供達の救助を行っていた。
「離せ! 何処かにいるんだ! トリースタが私達を待っているんだ!」
「やだやだ! トリースタ! いなくなっちゃうのはやだよ!」
「お、大人しくしてくれ! 大丈夫、皆保護したから大丈夫だよ? さあ行こう」
半ば無理矢理連れて行かれ、軍隊のトラックに乗せられる。
キャンプ場の様な場所に到着するとクリスカとイーニァはトラックを降り保護された子供達を確認した。
二人を待っていたのは絶望。保護した子供達の中にもトリースタはいなかった……
二人の泣き声は夜の空に吸い込まれては消えていった。
――――
――あの後軍キャンプ場からイーニァと一緒に脱走してトリースタを捜す旅に出たけど、結局手がかりは掴めなかった……
生きていく為にあの施設での訓練が役に立つなんて皮肉ね。
それよりもあの男、確か左近と言われていたわね。
あの名前は日本人の筈。もう情報を持っているとすればあの男だけね。
絶対トリースタは生きてる。
この依頼をさっさと終わらせて、左近とか言う奴を捜しだして力づくででも聞き出さないと。
今でもあまり勝てる気はしないけど、今の私とイーニァなら……
「トリースタのことかんがえてた?」
難しい顔をして考え込むクリスカを見て、心配そうな表情をして尋ねるイーニァ。
「ええ、そうよ。早く依頼を終わらせて、あの男を、左近を捜しだしてトリースタの事を聞き出しましょう?」
「うん!」
――――
「うむ、感度は良好のようだ。イーニァたん、ハァ、ハァ」
「兄者、なにをしている?」
ヘッドホンをし、呼吸を荒げる兄の姿を見た二郎は心配になり尋ねる。
「二郎か。紅の姉妹の部屋に盗聴機を仕掛けたからな。その受信状況を確認していたのだ」
「な! そんな事をして見つかれば矛先が我々に!」
「そのようなヘマはせん。オータム・リーフ・フィールドの盗聴の匠とは俺の事だ。
それにな二郎。奴らが我々をいつ裏切るとも限らん。用心に越した事はない」
「た、確かに……流石兄者だ」
感心する二郎をよそにクリスカとイーニァの会話を一言一句聞き逃さない。正にプロであった。
「まぁカメラを仕込めば直ぐにバレるからな、あとは妄想で補わねば! イッメージ! ハァ、ハァ」
(もう、あまりはしゃいじゃうと下着が見えるわよイーニァ)
「あ、兄者鼻血が!」
「なあに、心配はいらん。俺はお前より先には逝かんよ。安心しろ」
「クッ! 何故だ兄者! 何故そこまで俺を!」
「大事な弟を大切にするのに理由が必要か?」
「俺は……俺は!」
感動の余りその場に留まる事が出来ず、部屋を走り去る二郎。
一郎は二郎が出て行った事を確認すると最大音量に切り替えた。
(キャッ! ちょっとイーニァ!)
(エヘヘ、クリスカだいすき)
(ウフフ、ありがとうイーニァ。私も好きよ)
一郎脳内変換中……
「ムフ! コラ、イーニァ!」
「エヘヘ、イチローだいすき」
「フッ、ありがとうイーニァ。俺も大好きだよ。
さあこの体操服とブルマに着替えようか。
さあ着替えは手伝ってあげるよ」
「は~い」
竪山一郎。彼の脳内は今日も絶好調であり、妄想において彼を凌駕する人物は世界には存在しない……と思いたい。
――――
「イーニァ、私はこれから銃の調達と資金を用意しに行くからここで待っててくれる?」
「は~い。いってらっしゃ~い」
因みに二人だけで生きていく事になった頃は二人離れるのが怖かったが、今では何とか慣れた。
クリスカはまずカードを使い現金をおろし、ある口座に入金すると横浜港へと向かった。
日本に銃器を持って入国する方法は海路しかない。
最近はテロ対策などが強化され空港のチェックが厳しいのだ。
そして受け渡しの場所も港がお約束でもある。
これも最近日本ではセ〇ムなるセキュリティ会社が台頭しはじめたからだ。
廃工場などに入れば一発で警報がなってしまう。
裏ルートの場合、銃などは肉まんの国やキムチの国から部品別に別けて日本に運ばれ、日本で完品にする。
素人が組みあげるので粗悪品が多いので注意したい。
クリスカは銃の入ったケースを受け取り、状態を確認する。
「入金は確認したアルよ。まいどおおきにアル」
お得意様であるクリスカにそう言うと売人は早々に撤収を開始した。
「さて、遅くなっちゃったわね。イーニァ怒ってるかしら?」
クリスカはそのまま橘町に行き、食料の調達をする。夜の繁華街はクリスカの目に眩しい程に美しく見えた。
「平和な国だな、この国は……」
こんな国でイーニァとトリースタの三人で暮らせたらどれほど幸せだろうか?
そう思いながら、ゆっくりと繁華街を歩いて行く。
「あれは……」
暫く歩いていると目の前に、ターゲットである白銀武の姿を発見した。
一瞬身構えてしまったが契約は日付が変更してからである。
クリスカはホテルへと帰ろうとするが、逆に武の方がクリスカの視線に気付いてしまった。
――私を見ている? 何故だ? まさか情報が漏れているのか?
立ち止まりずっとこちらを見ている武に困惑するクリスカ。
クリスカはこの人混みの中で、まるで武と二人だけになった様な感覚を覚えた。
――あれがシロガネタケル……
そしてなんと武はクリスカの方へと歩いて来たのだ。
今ここで依頼を実行しようとも思ったが、人が多すぎると判断し、状況に任せる事にした。
以前、人混みに関わらず依頼を実行し、その国から出るのに苦労した事があったからだ。
クリスカの目の前で立ち止まると武はニコリと笑った。
「さっきずっと俺を見てたけど、どうかしたのか? てか日本語大丈夫かな?」
「な、なんでも無い。ただ知り合いに似てると思っただけだ」
とっさに嘘をつくクリスカ。日本語が大丈夫だと知った武はお構い無しに話しかけてくる。
「あ、そうなんだ。実は俺もなんだよ。
知り合いに雰囲気がよく似てるな~って思ってさ。
ロシアの人なんじゃないか?」
――なんだ? 意外に馴れ馴れしいな。
普通に話しかけてくる武に対し引き気味のクリスカ。武は先程までアメリカ、イタリア、ネパールの人と喋り倒していた為、外国人に対する感覚が麻痺しているようだ。
「あ、あぁそうだ。その知り合いもロシアの人間なのか?」
「そうそう、えっと、確かハルーから貰った写メが……」
そう言うと武は携帯から霞の画像を出すとクリスカに見せた。
「トリースタ……」
不意に大切な家族の、捜していた大切な人の名前が口に出た。
クリスカの心音は徐々にペースアップを開始する。
――似てる……いや似てるなんてものじゃない!
そして確信へと変わっていく……
「…………おい! この娘は何処にいる。言え! 今直ぐ言わないとこの場で!」
武の胸ぐらを掴み、物凄い殺気を放ちながら武に問い詰める。周囲の注目などお構いなしだ。
「おい、落ち着けよ! 霞の知り合いなのか? トリースタってなんだよ、名前か?」
「質問に答えろ!」
激しいクリスカの殺気に武の表情が変わる。重心が低くなり、警戒心を強めていく。
「お前…………写メ見せるなんて迂濶すぎたか。お前、霞に何のようだ」
迂濶な自分を反省し、武は準戦闘態勢に入る。
――こいつ! 只の一般人じゃないのか!
「霞は俺の大事な、大切な人だ。知り合いなら兎も角、そんな殺気を出すような奴に教えるわけないだろう」
――なんなんだこいつは……あの時の左近と言われていた奴と同じ感覚……何者なんだ。
しかし、何故こいつはトリースタをカスミと呼んでいる?
あれはトリースタではないのか? いや、そんな筈はない!
さっきのは間違いなくトリースタだった。それにこいつは今トリースタを大切な人と言ったか?
分からない……ここは下手に騒ぎを大きくしない方が得策か?
一瞬にして様々な思考を巡らせ、最良な選択をだそうとするクリスカ。それに契約の事もある。直ぐ様答えを出し武を見据える。
「すまない。トリースタ……いや、そのカスミと言う娘が生き別れた妹にそっくりだったんで些か興奮してしまった。申し訳ない」
情報収集を最優先し、それらしい事を言い頭を下げるクリスカ。
――この男はトリースタを大切な人だと言った。と言う事はトリースタと親しい関係にあるのかもしれない。
ここは頭を下げるべきだな。でも油断は駄目。日本人はイチローみたいな人間だから。
「悪いけど、せめて詳しく話を聞かせてくれないか?
いきなり態度変えてそんな事言われても、はいそうですか。
ってな話にならないのは分かるだろ?」
――警戒はしているようだが、先程に比べ言葉が柔らかくなったか?
何故そんな事を、とも思ったがトリースタの手がかりが得られるチャンスである。クリスカはどんな施設かは言わず、微妙に嘘と真実を織り混ぜながら経緯を話す。
「……悪いけど、霞に確認とってからでもいいか?
話だけ聞くと、直ぐにでも逢わせてあげたいけど、さっきの事があるからな。
今晩直接霞に確認とるから、明日この時間に、この先の公園で返事をするよ。
もし、確認が取れれば、その時に霞も一緒に連れて来る。それでもいいか?」
「……分かった」
クリスカの様子に武は恐らく真実だろうと予測した。先の条件、別に明日まで待たなくても良い。
もし先程の話が嘘ならば、先の条件は呑めないはずだからだ。呑んだという事は事実なのだろう。
そして武は携帯のカメラを起動させクリスカを撮り始める。
「おい、何をしている」
「ん? ああ、一応写メ撮って霞に見せるんだよ。
だって、いくら霞でも話だけじゃ分かんねぇかも知れねぇだろ?」
シャッター音が鳴り、写メを撮る。クリスカの瞬き直後の薄目の顔が画面に写しだされた。
「ブッ! なかなかいい感じに撮れたぞ? ほれ」
「な! こんなのをトリースタに見せるつもりか! 取り直しを要求する!」
「分かった、分かった。ほれいくぞ」
そう言って再びカメラを起動し構える武。クリスカもそれに合わせ真剣な顔をする。
「……………………おい! まだ「カシャ」……」
必死に笑いを堪える武。どうやらワザとのようである。
「き! 貴様!」
「ギャッハッハッハッハ! ワリィ、ワリィ。真剣な表情するからついな」
「せっ、性格歪み過ぎだぞ貴様!」
「不本意だが、あの男の息子だからな。歪むのは仕方がない、諦めてくれ」
「意味が分からん! トリースタに逢わせる気がないのか!」
「いや、実はもうお前の事信用したし、多分明日は霞に逢わせてあげられると思う」
「はぁ?」
武の突然の心変わりに驚くクリスカ。武はその様子を見ながら更に話を続ける。
「本当は今日逢わせてあげたいけどさ、日本じゃ夜中に人の家に訪問するのは失礼にあたるんだよ。
まぁ他の国もそうかもしれないけど。それとも明日は帰国しなきゃならなかったりするのか?」
「そういうわけではない。早く逢いたかっただけだ。それに逢いたいのは私だけではない。
が、明日まではきちんと待つ。だからもう一人も連れて来てもいいだろう?」
「ああ、構わねぇよ。確か話の中に出てきたもう一人の家族だよな。イーニァだったか?」
「そうだ。では明日、この先の公園で待っているからな」
そう言ってホテルへと戻るクリスカ。嬉しさの余り大急ぎで帰っていく。
――もし明日、シロガネタケルがトリースタを連れて来なくとも、奴の周辺を探せばトリースタは必ず居る筈だ。
しかし、なんだろうな……あの男は裏切らないような気がする……
部屋に辿り着いたクリスカは部屋へと入る。するとイーニァはクリスカに突撃を開始した。
「おそい……おそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそーい!」
「ごめんなさいイーニァ。実はね?」
抱きとめたクリスカの胸を叩きながら頬を膨らますイーニァ。
クリスカは本当に嬉しそうな顔をして先程の事をイーニァに伝えた。
「ほんとに? ほんと?」
「ええ、本当よ。私達、漸く三人揃うの」
「あれ? ほんとうだぁ。うれしくてもナミダはでるんだねクリスカ」
喜びの涙を流すイーニァ。つられクリスカも、うん、うんと言いながら喜びの涙を流した。
「シロガネタケルはトリースタと仲良しみたいだから、今回の依頼は破棄しましょう。
シロガネタケルを殺ってトリースタが悲しむといけないから」
「うん!」
――――
「……なるほど兄者の言う通りだったな。あの二人、早々に消さねば我々の計画が漏れるか……
しかし、兄者はこの事を知っていた? わが兄ながら恐ろしい人だ……」
一郎が盗聴機の音量をMAXにしたまま席を外していた為、たまたま部屋に入った二郎に会話を聞かれてしまう。
直ぐ様執事を呼び出し命令を下す。二郎の表情は怒りに満ち溢れていた。
――――
「と言う訳で、研究室と資金提供をお願いしたいんだけど、どうかしら?」
夕呼は霞を呼び出し、恋愛原子核の活性化を抑える装置の件についての協力を呼びかける。
霞は黒い笑顔をして夕呼の提案を了承する。
「分かりました。では研究室はタケルさんの家に増設させます。必要な材料は、その都度用意させますね」
「ぞ、増設? そ、それは不味いんじゃ……武が怒るわよ?」
「タケルさんのお父様にお願いしますから大丈夫です。とても優しい方ですよ?
この間の家改造の許可貰う時も、二つ返事で許可して下さいましたし。
やたらと頭を撫でられたり、抱きしめられたりしましたけど」
「ア、アンタも武が好きなんじゃなかったの? いいの? そんな事されて」
「不思議と嫌じゃないんです。何故なんでしょうか?」
「そんな事アタシに聞かれてもねぇ……」
色々な思惑が交錯する中、わりと平和な白銀家であった。