そのこどもを最初に見つけたのは私の師だった。
その頃私が属していた組織は、公には『より効率的な魔法の運用』を開発するための研究組織と説明されていた。正式な組織名もあったが、外部の人間の関心を削ぐためか長大でわかりづらく、私達は単に『研究所』とだけ呼んでいた。
師はそこの研究員で、優秀な人材が集まる組織の中でも『先生』と呼ばれるほどの才能の持ち主だった。そして、世間はおろか研究所の人間でもその意味を理解できない類の実験に、嬉々として取り組む奇人でもあった。
私は元は前線部隊の人間だったのだが、怪我が原因で退いた後に彼の助手になった。他の人間、特に研究畑の者は彼の奇抜な発想についていけなくて長続きしなかったのだ。
実際に会った彼は評判通り、色々と印象深い人ではあったが、決して扱いにくい人間ではなかった。私に研究者としての心得を仕込んだのも彼で、師と呼んでいるのもそのためである。
私も当時は厭世的なタチだったのだが、それなりに馬があったのだろう。世間話もよくした。特に覚えているのはある日の会話だ。
「コルベール君」
と彼は私のかつての名を呼んだ。
「私たち人がどこから来たのか、君は知っているかね?」
「いいえ。始祖ブリミルに導かれたのだと教会では教わりましたが」
「そういうおとぎ話ではなくてね。人と動物の分かれ目の話だよ」
「はあ」
「人と動物の違いは何だ?」
「その前に、亜人はどうします?幻獣は?」
「――道理にそぐわない連中は範疇外だ」
彼は心底嫌そうに口元を歪ませた。魔法を研究する身でありながら、彼の魔法嫌い魔物嫌いは有名だった。
その奇天烈な人格が何に由来するものなのか、当時の私にはわからない。ただ訊かれたから答えるだけだ。
「私達は、こうして会話をしますね。それと頭で物事を考え、手で文字で記します」
「そうだね、だが私はもっとシンプルに、『二つ足で歩く』ことだと思っている」
その後の彼の話は教会の教えよりもよほどおとぎ話のようで、なおかつ異端のものだった。
「木の上にいた猿が地に降り、彼方の地平線を見るために顔をあげた。そのときから人間は始まったのさ」
「はあ」
「なあ、私は考えるんだ、コルベール君。最初の彼はそのとき何を見たか?それはきっとおそろしく、うとましく、美しく、愛おしい『新世界』だったんだろう」
「……貴方は時々詩人ですね」
そう感想を漏らした私に彼はフンと鼻を鳴らしてみせたものだ。
***
そんな彼が、ある日私に紹介した新しい『実験対象』。
それが彼女だった。
「はじめは『病院』の方の客だったんだが、うまくいかなかったらしい」
彼は彼女を見つけた経緯を説明していたが、私は初めて見た彼女の姿に目を奪われていてそれどころではなかった。どくどくと心臓がうるさいほど鳴っていて、体は焼けつくように熱く、彼の言葉もほとんど耳に入らない。
「――で、壊れたままでは返せないというから、私が誤魔化してやったんだ」
自慢げに言う彼の腕の中には、あうあう、と赤子のように唾を吐きながら呟くこどもがいた。
年齢の頃は、5つか、6つ。小さな顔の大半が血のにじんだ包帯で覆われ、わずかに覗いた髪は艶もなく、元の色がわからないほどにくすんでいる。細い四肢はこわばって捻れ、指先は震え――
その様は、彼の言葉通り、『壊れ』ていた。
「なかなか面白い子なんだよ。なんでも魔法が使えないらしくてね、コモンも全て失敗して爆発を起こす。挙句に自分の魔法で顔を吹き飛ばして、この様だというのに――」
彼の楽しそうな声と被って、ぶつぶつと声が聞こえる。世界の全てを呪う様な小さな声。
……・ル・・ーノ・デ・・ウィ・・・イス・イー・・ハ・・ース……
「!?」
「気づいたか?そう、ルーンを唱えているんだ。しかも、それだけじゃない」
彼はこどもに杖を渡す。赤子の反射じみた動きで、きゅっと小さな手がそれを掴む。
――直後、私の横の壁が吹き飛んだ。
「な!」
「詠唱は全くもって『不完全』。なのに魔法を『起こす』。道理に合わないだろう?」
腰を抜かした私の目の前でさっさとこどもから杖を取り上げる彼。
よしよしと頭を撫でる姿はそこだけを見れば、まるで娘を慈しむ父のようだった。
それに気づいた私は、寒気を覚えた。
「魔法が使えないだなんて、とんでもない。きっとこの子はすごい才能の持ち主だよ」
その言葉に腕の中のこどもはたしかに笑っていたのだ。
心底嬉しそうに。はじめて親に褒められたこどもの、無邪気な笑顔で。
***
「これでいい?」
「ああ」
差し出された二通の手紙を確認し、私は頷いた。
内心では、やれやれ、と息をつく。
証拠の回収という役目ばかりは彼女には難しいので、私が出向く予定だったのだが。
あろうことか目前に子爵の『遍在』が現れては無視することもできず、手間取るうちに彼女ひとりに任せることになってしまったのは、痛恨だった。
しかし、今となっては、かえって良かったのかもしれない。
『遍在』。実体を持った分身を生み出す風のスクウェアスペル。
暗殺にはもってこいの魔法だが、所詮魔法のまやかし。『探知』で探られればごまかすすべはない。気取られることを恐れたのか、或いは矜持の表れか。子爵はアリバイ工作にのみ『遍在』を使用し、実際の暗殺は自ら向かってくれた。
王子の死を止められなかったのは残念だが、そのおかげで彼女が気づき、動くことができた。
そして、彼女の『魔法』は『風』より速く、命令を完璧に実行できる。
まあ、ついでとばかりに王子の遺体まで消してしまったのは遣り過ぎだったかもしれないが……。
この混乱だ。王子の遺体が見つかろうが見つかるまいが、大して変わりはあるまい。
済んでしまったことは取り返しようがなく、そう判断する。
『ワルド子爵』という、我が国からの密使にして貴族派がよこした暗殺者。その来訪と存在を知る『生き証人』の類はこの後の戦で死に絶える。
恐れるべき『物証』は全て確保した。
『裏切り者の痕跡は何一つ残してはならない――NOONE,NOTHING』
全て命令書の通りだ。
これで、我が国が不利な状況でこの内乱に巻き込まれることはないだろう。
その先の対処は――政の範疇だ。
「後は子爵の幻獣だけだな」
「……うん」
わずかに顔を俯かせる彼女。私はその頭を撫でてやる。
「ごめんね」
先刻は一切見せなかっただろう躊躇を覗かせて、彼女はそっと杖を向けた。でたらめのルーンをリズムにのせて、歌うようにささやく。
白い小さな光が顕れ、主の血の匂いに興奮する幻獣を包み込んだかと思うと、そこにはもう何もない。
音もなく、匂いもなく、無<ゼロ>へと帰す。
それが私たちが見つけた彼女の、彼女だけの『魔法』だった。
***
「親元に帰すべきではないのですか?」
確かに特異な才、その可能性はあるだろう。研究者としてそう思いながらも、私は彼に言った。
彼は鼻で笑い飛ばした。
「貴族が、それも大貴族と言われるような家柄の者が、こんな子供を育てると思うかね?『マトモ』な魔法が使えず、目を失い顔に傷を負った上に、薬でほとんど気が触れた子供を?」
「それでも、親と子でしょう」
「親ならば、生きてさえいればどんな姿でもかまわないと?」
常に薄笑いを浮かべているような男が、その一瞬だけ真剣な目で私を見た。
「世迷言はよしてくれ。君の言っているのはおとぎ話だよ。この世界はおとぎの国じゃあない。ときにひどく物語めいてはいるが、ただそれだけだ」
私は――そこに抗弁する根拠を持たなかった。
俯けば、ずきずきと背中が痛む。
彼はそんな私を尻目に、首尾よく手に入れた『実験対象』を腕の中であやしながら、再び薄く嗤う。
「なあ。こうして見ると、我々の研究は、いまのところ功罪相半ばというところかな」
「なにが、ですか」
「そうじゃないか。彼女は家を喪ったが、命を拾った。家族は娘を失くしたが、代わりに貴族の名誉を守った。良いことも悪いこともあったが、『全て世はこともなし』だ」
「たしかにそうかもしれない。だが、それは貴方が決めることではない!」
思わず語気の荒くなった私に、彼は平然と頷いてみせた。
「そうだな。なにより功績はいずれ消え去るが、罪過は積み上がるものだ」
『罪過は積み上がる』
私はその言葉を聴き、また背にひりつくような痛みを覚えた。
自分もまた、かつて前線で『効率的な魔法の運用』を、すなわち、効率的な人殺しの業を極めてきた。体を壊し、満足に戦えぬ身となったところで、染みついた罪は消えない。贖う術もない。
「――罪過は積み上がる。そしてやがて人の背を折る。そのとき人はせっかく手に入れた背骨を喪って、四足の獣に戻るのだろうな」
そして、彼は言ったのだ。
君、この子を育ててみないか、と。
***
避難する民に紛れて、空の大陸から離れていく。港についた時点で任務成功の報せを送れば、あとはのんびりと家に帰るだけだった。
『貴族派の襲撃で怪我を負った少女とその父親』の二人組は、他の人と同様に身を寄せ合ってフネの隅に座る。
そのとき、彼女がこっそりとささやいた。
「ねえ、せんせい。これ、なにかわかる?」
「ん、オルゴールか。これはどこで?」
「おちてた」
そのとき私はもっと詳しく聞き出すべきだったのだろう。しかし廃墟となった城のどこかで拾ったのだと誤解した私はそれを怠った。
それは、正確には子爵の体を消し去った跡に残っていたのだが、自分の魔法が『全てを消す』ことを知っている彼女はそうとは気づかなかったのだ。
「壊れているようだね」
「なおせる?」
「ああ、帰ってからやってみよう」
「かえる――」
任務が終わって、気が緩んでいるのだろう。応答が普段以上に幼く、はっきりしない。
急な話だったし、色々とアクシデントも多かったので、彼女にも負担をかけた。
まあ偶然、空賊を装っていた王党派の捕虜になったおかげで、先行していた子爵に追いつくことができたり、今回に限ってはアクシデントも悪いものではなかったのだが。
「そう、お家に帰るんだよ。サイト君が待っているからね」
「ああ、そうね。帰ってサイトにごはん作ってあげなきゃ……」
使い魔となった少年のことを思い出したのか、すこしだけ意識が切り替わったようだ。
家をかまえたのも間違いではなかったな、と私は満足する。どんな者であっても、帰るべき家があるというのはいいことだ。
「着いたら起こすから、しばらく寝ていなさい」
「うん」
きゅっと杖を握りしめる小さな手。ふと見ると、その指にいつのまにか指輪が嵌っていた。妙に大きな透明な石の指輪だった。血で汚れている。
どこで拾ったのか。オルゴールと一緒か。
見たこともない結晶だった。錬金で作ったイミテーションかもしれない。
とにかく誰かに気づかれないように、そっとマントで彼女の小さなからだごと包み込むようにして、抱きかかえた。
「ねぇ、せんせい、うたがきこえるわ」
腕の中で、夢うつつに彼女がささやく。小さな声で、子守唄のようにでたらめなルーンを呟きながら。
***
“さあ、かかとを三つ鳴らしてごらん。おまじないだ、お家に戻るためのおまじないだよ――”
***
無理やり押し付けられた、血なまぐさくも柔らかくあたたかい感触に、私は毒を飲んだような顔をしたのだろう。
彼は珍しく、すこしだけ視線をそらせた。
「人間が背骨を伸ばして二つ足で立つようになったのは、両手を自由に使うためだとも言う。つまり――まあ、なんだ。多少歪んだ背骨でも、その手に何か持っていればまた真っ直ぐに立てるようになるのかもしれん」
「……」
「だから、ジャン・コルベール君。君もまだ人でありたいなら、顔を上げて、背を伸ばしたまえ」
不器用な人だったが、決して悪い人ではなかった。
師が今どこにいるのか、私は知らない。
あれから何年経つだろう。いろいろなことがあった。
組織はいつの間にか解体され、様々な偶然が重なって、私は彼女と二人で王家の裏の仕事を請け負うようになった。
たとえそれが国の為、民の為とはいえ、再びこの背に積み上がった罪過はいかほどか。
それでもあの日の師が告げた通り、私はいまだに立つことができている。
腕の中のこのぬくもりのために。
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※師がオリキャラです。ジャン先生もだいぶオリですが……。