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No.6594の一覧
[0] ゼロとせんせいと(IF再構成) [あぶく](2010/02/07 20:55)
[1] ゼロとせんせいと 1[あぶく](2009/11/07 13:44)
[2] ゼロとせんせいと 2の1[あぶく](2009/03/15 00:38)
[3] ゼロとせんせいと 2の2[あぶく](2009/03/15 00:39)
[4] ゼロとせんせいと 2の3[あぶく](2009/03/15 16:26)
[5] ゼロとせんせいと 3の1(3.28改稿)[あぶく](2009/03/28 18:24)
[6] ゼロとせんせいと 3の2(3.28改稿)[あぶく](2009/03/28 18:28)
[7] ゼロとせんせいと 3の3[あぶく](2010/05/01 21:50)
[8] ゼロとせんせいと 3の4 ※オリキャラ有[あぶく](2009/03/29 23:46)
[9] ゼロとせんせいと 4[あぶく](2009/03/29 13:02)
[10] ゼロとせんせいと 5の1(4.04改稿)[あぶく](2009/04/04 21:45)
[11] ゼロとせんせいと 5の2[あぶく](2009/05/10 23:36)
[12] ゼロとせんせいと 5の3[あぶく](2009/05/10 23:36)
[13] ゼロとせんせいと 6の1[あぶく](2009/04/18 22:51)
[14] ゼロとせんせいと 6の2[あぶく](2009/04/25 14:25)
[15] ゼロとせんせいと 6の3[あぶく](2009/05/10 23:35)
[16] ゼロとせんせいと 6の4(または2.5)[あぶく](2009/05/10 23:34)
[17] ゼロとせんせいと 6の5[あぶく](2009/05/24 21:02)
[18] ゼロとせんせいと 6の6[あぶく](2009/05/24 21:02)
[19] ゼロとせんせいと 7の1[あぶく](2009/06/14 09:04)
[20] ゼロとせんせいと 7の2[あぶく](2009/11/03 18:54)
[21] ゼロとせんせいと 7の3[あぶく](2009/11/03 18:52)
[22] ゼロとせんせいと 7の4[あぶく](2010/05/01 21:42)
[23] ゼロとせんせいと 7の5 (2.07再追稿 ※後半サイト視点追加)[あぶく](2010/02/07 21:36)
[24] ゼロとせんせいと 7の6[あぶく](2010/02/20 13:56)
[25] ゼロとせんせいと 8の1[あぶく](2010/05/01 09:26)
[26] ゼロとせんせいと 8の2[あぶく](2010/04/18 22:17)
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[6594] ゼロとせんせいと 3の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/01 21:50

私は夢を見ていた。
まだ体も育ちきらない少年の頃の夢だ。
着慣れない正装をした若い私が、とある大きなお屋敷を訪れている。爵位を相続したばかりのその頃、後見人を務めていただいた隣領の公爵様のお屋敷だ。

そこを訪うとき、当時の私はいつもひどく気を張り詰めていたように思う。
爵位を持つとはいえに所詮子爵の身に過ぎぬ私とその屋敷に住む人々では立場が違いすぎることもあったが、なによりも、そこに住まう人々は揃って美しく気高く、爵位という物差でさえ計れぬ高貴な方々だった。
そのような方々に会うのは若い私にとって恐れ多くも誇らしいことで、私は精一杯の背伸びをして大人ぶったものだ。

けれど――この夢の中では違う。

この夢の中の私は、今の私だ。夢を見ている私は、そんな彼らと自分をひどく冷めた気分で眺めている。
それはまるで冷たい氷を呑み込んだような、不快な違和感だ。

……思えば私はそれをいつも感じていた。腹の底に横たわる冷たい何かを。

記憶の風景か、私の心象の暗喩か。
そこでは雨が降っていた。しんしんと骨まで軋ませるような冷たい雨だった。
私は美しい人々が集う丘から逃れ、ひとり中庭を歩いている。広い敷地の中はいつも以上に静まり返っていた。
おろし立ての礼服が雨を吸って重たい。
やがて中庭の小さな湖のほとりにたどりつく。
小舟がひとつ、岸辺に結い留められている。この家の子供達が代々水遊びに用いてきたものだ。しかしこれを使うような子供はもういない。
きっとこのまま誰にも顧みられることなく、この場所で朽ちていくのだろう。

その小舟を前にして、同時に夢を見る私は思い出す。
そうか、これは――

私が生まれて初めて、誰にも褒められることのない目的のために、魔法を使った日のことだ。

***

アルビオンは我がトリステイン、西の大国ガリアと並んで、このハルケギニアでも最も古い、始祖の血を継ぐ王国のひとつだ。
その領土は全て空に浮く大陸にあり、常に厚い霧に覆われている。
目を覚ました私は与えられた個室を出て、その霧を、この国が『白の国』と呼ばれる所以を眺めていた。

「具合はいかがかな?」

そこへ背後から若い青年の声がかかる。
とうに気づいていた私は即座に振り向き、礼を取った。

「問題はございません。お気遣い痛み入ります」
「それは良かった。しかし、あの貴族派の包囲網を単騎で突破されるとは、なんとも無茶をされる方だ」
「賭けただけのことはございました。城の水メイジの方にはご面倒をおかけした上で申し訳ないことですが、こうして殿下にお目にかかることができたのですから」

許されて顔を上げれば、霧の城を背景に金髪に凛々しい碧眼の美青年が微笑んでいた。

「ようこそ、滅びゆく王国へ。勇猛果敢なる大使殿よ。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵でございます」
「うむ。待たせて済まなかった。御用の向きを伺おう」
「は。我が主、アンリエッタ姫殿下より密書を言付かって参りました」

私がその密命を与えられたのは偶然だった。王の近衛たる魔法衛士隊の隊長として、姫殿下の護衛を務めていた関係から、目に留まったのだろう。

此処、アルビオンは現在王党派と貴族派に分かれ、国を二つに割る内乱の真っ最中だ。
しかしその趨勢は既に決していた。貴族派は『レコン・キスタ』を名乗り、始祖の教えの復古とハルケギニアの統一を求める巨大な連盟を国境を越えて形成している。その勢いはおそろしく、すでに王党派はこの城を除けば完全に駆逐されたという。
そんな、今まさに滅びようとする国の皇太子へ、わが国唯一の王女アンリエッタ姫殿下はひとつの文を届けるよう、私に命じられた。
その密書の中身は――

「そうか、あの愛らしいアンリエッタは結婚をするのか、」

若き皇太子は手紙を一読すると深く嘆息した。私は無言で頷く。

そう、王女はゲルマニア皇帝の元へ嫁ぐことが決まっていた。これも全て国境を越えた貴族連盟『レコン・キスタ』のためである。ハルケギニア統一を目的掲げる以上、アルビオンの陥落に勢いを得た連盟が次なる標的として小国トリステインに狙いを定めることは想像に難くない。
祖国防衛のための手段として、我が国が選んだのは新興の大国ゲルマニアとの同盟だった。王女の婚姻はそれを確かなものとするための政略結婚だ。

祖国を救う唯一の手段。
しかし、その同盟を脅かすものが存在した。
姫殿下がかつてこの王子、従兄へと送った手紙――恋文である。

「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」
「ありがとうございます」
「なに、君に感謝されることではないさ」

皇太子は苦笑いを浮かべて応えた。
彼と姫殿下の実際の関係がどのようなものであるのかは私は知らない。
共に一国の王の唯一の後継として生まれたふたりは、よほどの偶然がなければ逢うことも叶わぬだろう。もしかしたら、その手紙だけがふたりを繋ぐ唯一の絆だったのかもしれない。
それでも、皇太子はそれを手放すことを躊躇したりはしなかった。
賢明な方だと私は思った。
同時に、惜しいことだと。

「しかし、間に合ってよかったよ。叛徒どもは明日の正午に攻城を開始すると言ってきたのだ」
「左様でございますか」
「ああ。だが、案ずることはない。もともとこの城の非戦闘員のために避難の為の手段は確保してあったのだ。大使殿には無事戦火を抜けて、姫殿下のもとへその手紙を届けていただけるだろう」
「はい」
「今夜はささやかながら祝宴も催される。ぜひとも出席してくれたまえ」

最後の晩餐か、と胸の内で理解する。
それが済めば、この城に残ったメイジ達は老いも若きも杖を携えて、決して勝てぬ戦いを始めるのだろう。矜持を示すために。
それがメイジの、貴族の役目だ。戦い、死に、誉れを遺す。
私は胸のうちにせり上がるものをこらえて、頭を垂れた。

「ああ、子爵。すこし待っていてくれたまえ」

すると不意に皇太子がその場を離れた。厚い霧のために数メイル先もかすむ視界の中で、どこかへ向かう。
眼を凝らして見れば、小さな人影が彼と向かい合っている。

「このような場所に、子供……?」

思わず呟くと、背後に控えていた侍従のひとりが応えた。

「殿下が航海中に偶然保護され、連れて帰られたのです。疎開先で母を亡くして郷里へ戻ろうとしていたとか」
「なんと、無茶をするものだ」
「ええ。痛ましいことです」

子供は怪我を負っているのか、長い杖にすがるように歩いている。
これもまた、貴族の戦の被害者か。
広い城内で迷ったらしい子供を人に預けて皇太子は戻ってきた。私達の視線に気づいて、苦く笑う。

「私はレコン・キスタとやらが語る『新しき世界』がどんなものかは知らない。けれどせめてあのような子が心の底から笑える世界であってほしいものだと思うよ」

私はなにも応えなかった。

***

宴は望むべくもないほど盛大で、同時に空虚極まりなかった。
このような状況で訪れた異国の客が珍しいのか、貴族達は私を歓待してくれたが、空々しく応じる気分にもなれず――私は壁に寄りかかり、一歩引いたところでその一幕を眺めることにした。
老いた王と家臣のやりとりは、後世の劇作家が泣いて喜びそうな、悲喜劇だった。
凛々しい皇太子はこのような場でも目を惹くのか、女性達の歓声をあびていた。
誰もがこの『王家滅亡前夜』という舞台で役を演じ、私という異邦人だけがひとり、観客の立場にあった。

それは、うすら寒い感覚だ。

私もまた彼らと同じく、貴族として生まれ、騎士となるべく育てられた。王に忠誠を誓い、祖国のために命を賭す――そんな生き方を当然と思い、努力を惜しまなかった。
結果、今の私がある。
若くして実力を認められ、軍人として誉ある地位を得ることができた。子爵という身分でありながら、今では格上の大貴族からも引き合いが来る。順風満帆な人生と人に言われ、賞賛を受け、敬意を払われる。
けれど、私にはもはやそれを素直に受け入れることができなかった。
なぜか、と自問する余地もない。

この場にいる人々は皆、美しく気高く、そして愚かだった。
私が最も嫌う人種だった。

「ワルド子爵」

顔をあげると皇太子の人の良い笑顔が見えた。

「愉しんでもらえたかな?」
「ええ」

内心はつゆほども見せずに、私は皇太子に向かって頷いてみせた。

「実は、あなたに預かっていただきたいものがあるのだ」
「――これは?」
「アルビオン王家に伝わる『乙女のヴェール』。王族の婚姻のときに使用されるものなんだが、もはや我が王家には無用の長物だ。それで、同じ王家の血を引くアンリエッタになら、と思ってね」
「なるほど、美しいものですね」

永久に枯れぬ花をつけた白いヴェールを私は恭しく受け取った。そして、ひとつ気になっていたことを尋ねた。

「僭越ながら――姫殿下のお申し出はお受けにならないのですか?おそらく手紙には殿下をお助け申す旨があったかと……」
「彼女からの手紙には何もなかったよ。それに――己の命よりも、大切なものを傷つけ、失うことの方がよほど辛い。そうではないかね?」
「ええ」

淡々と頷いた私に何を感じ取ったのか、若き皇太子は小さく首を傾げた。

「子爵殿にも――いや、なんでもない」

独り合点する彼に、私は再び沈黙をもって応える。

***

地位を登れば否応なしに見えてくる、腐敗した政治、堕落した貴族の有様。
幼き日に父母に誓い、守り続けた貴族の誇りが、ほかならぬ貴族によって蹂躙されていることを私は知った。

――誇り高くあれ。

そう口にするたびに生まれる、心の冷えるような感覚に私は次第に蝕まれた。

……いや、違うな、と私は自らに首を振る。

確かに、私は王宮の魔法衛士として職務を果たす内に、今の貴族社会に絶望した。だが、『貴族』という存在それ自体の是非を問う、そうした思いはもっと昔からあったような気がする。

――この世界は是か否か。

そのような疑問がいったいいつ私の中に植えつけられてきたのかは思い出せない。
けれど、その冷たい何かは決して解けぬ氷のように、或いは凍てつく冬に芽吹く奇形の種のように、私の中で眠り続けていた。
そして自然に根付き、あるとき芽吹いた。

故に私は選んだのだ。
芽吹いてしまった種が咲かすであろう異形の華を見るために。
偉大なる野望を達成するために。
この『裏切り』という道を――。

***

「残念です。ウェールズ殿下。嗚呼、まったく本当に残念だ」

翌日。辺境の城内の一室という安舞台で、私は『トリステインの貴族』らしい、芝居がかった様子で嘆じていた。

「貴方のように高潔で思慮深く、勇敢な方がこのような場所で命を落とさねばならないとは」
「ワルド子爵?」

賞賛され、同時に憐れまれた皇太子は、いぶかしげに私の名を呼んだ。
私は、今まさに滅びんとするこの国へ同じ血を分かつ隣国が遣わした最後の大使。
そして、愛しき人からの言葉を届けてくれた恩人。
彼は、そう思っていたことだろう。
だが。

「まったく。貴方のような方が我が主であったなら、私はこのような卑劣な行いをせずに済んだでしょうに」

言うが早いが懐から杖を振るった。

「貴様、貴族派かっ!!」
「ご明察」

叫び、咄嗟に身をひねる皇太子、ウェールズ。そのわき腹を真空の刃がえぐった。
肉が弾け血が撒き散らされるのにもかまわず、彼は杖を取り出し、ルーンを唱える。
それは見事な詠唱だった。
そう、まるで疾風のごとく。

「しかし無駄だ」

――我が凶刃は風よりも速い『閃光』なのだから。

三文芝居の終幕は、あまりにあっけないものだった。
どさり、と倒れ伏す若き皇太子。
始祖ブリミルを祖とする三王家、そのひとつがいま滅んだ。
――いや、現王がまだ残っていたか。
素で忘れていた自分が可笑しくなって、すこし笑みをこぼす。
まあ、あの老人には何の価値もない。
ともかくこれで、この国の内乱は実質的な終着を迎えたわけだ。
あとは予定された通り、王党派の全滅という閉幕(カーテンコール)でしめくくるだけ。

私は順調に物事が片付いていく喜びとともに、物言わぬ躯と化した青年を見下ろす。
その秀麗な顔は憤怒に歪んだまま、そこには王族としての誇りも、戦士としての尊厳もない。
それが、心地よい。
いかほど栄華を極めた王族だろうと、貧困に這いずり回った平民だろうと、死ねば、同じ。
人はしょせん人の領域を超えられず、ただ屍を晒して、辱めを受けるのみ。
そう、彼の有様は語っていた。

故に卑劣な裏切り者であり、勝者であり、生者である私は、その骸を探る。
胸元――心臓に最も近い位置――に、二通の手紙。そこにはともに同じ印が捺されていた。

「……やはり、あの娘は」

真新しい方を開いて視線を走らせ、呟く。
皇太子は否定したが、そこには予想通りの一文があった。皇太子に亡命を勧める――それが、祖国をみすみす脅威にさらすものだと気づきもしない、愚かな娘の『愛』の言葉。
予想外だったのは、己の感情だ。
覚えたのは、憤怒でも諦念でもなかった。
胸の内に横たわるのは、ただ、自分よりも醜いものを見出したうす暗い『悦び』。
その冷たい何かを封じるように自らの懐に手紙を仕舞い、再び膝をつく。

「そう、これを忘れてはいけないな」

新たな主、貴族派の首領直々に命じられた三つの品の奪取。
すでに二つは我が懐中にあり、最後のひとつが、この青年が嵌めた指輪だった。
透明な『ルビー』の指輪。三王家がそれぞれに持つ秘中の宝。
簒奪した王位を正統なものに変えるための『証』だという。

「チッ。かたいな、」

いまだぬくもりの残る青年の指は死の直前の憤りを体言したかのように、硬く強張っていた。
――仕方がない。
私は無造作に杖を振るい、指ごと切断しようとした。




そのとき、杖を持つ右手が、『消えた』。




「は?」

目の前で己の腕先が『消滅』するのを見た私は、阿呆のように口を開くしかなかった。
肘から先、断ち切られた腕。
そこには、どんな刃物を持ってしてもありえない、鮮やかな血肉と白い骨の断面が覗いていた。
なにもかもが非現実的で。
体も、思考も、そして、苦痛すらも静止していた。


その間に、残る左手と両足が消えていた。


無様に顔面から床に落ち、ようやく自分が「攻撃を受けている」ことに気がついた。
いまだに四肢を無くしたことを理解せぬ脳が、体を動かそうとして床を這いずり回る中、とん、と背後になにかが降り立つ音がした。

「だ、誰だっ」

思わず叫び、必死に上半身をひねる。
それを見た途端、のどは勝手に引き攣れた音を漏らしていた。

それほどに、この世のものとは思えないほどに、怖ろしい顔だった。
冷たく澱んだ瞳。この世の全てを嘲るような歪んだ笑み。白蝋化した屍のような膚。

「な、」

その化け物の名は――『ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド』。
恐怖に歪んでいるとも、それを蔑んでいるともつかない、『己』の顔。

***

『私』が人を探して廊下に出ると、そこにはうらぶれた風体の男がいた。なにか探している様子で、ふらふらとさ迷っている。

「どうしたのかね?」
「ああ、これは、軍人様。近くでこどもを見ませんでしたかな?」
「こども?ああ、あの……」
「おお、ご存知ですか!助かった!」
「いや、どこへ行ったかはわからないのだ。申し訳ない、私も不案内で」
「いやいや、お気になさらず。しかし、困ったものだ、船に向かわねばならないのに」

どうやら男は、あのこどもを連れて避難するらしい。『私』は一瞬けげんな表情を浮かべてしまった。
男は――見事な禿頭に一瞬騙されたが――それほどの歳でもない。いや、そもそもあの老侍従が参戦するのだから年齢はあまり理由にならないだろう。
こちらの疑問に気づいたのか、彼は自嘲めいた力無い笑いを浮かべた。

「私は戦えぬのです。昔ひどい傷を負いましてな、以来満足に杖の振るえぬ身になりました。まあ、そのときは絶望したものですが……、こうしてみると、なにが幸いかはわからないですな」
「幸いとおっしゃるか?」
「ええ。見ず知らずの方に申し上げるのは恥ずかしいことですが、私は死ぬのが恐ろしいのです」

たしかに、戦場の兵士たるべきメイジの言葉としては紛れもなく、恥だった。だが、『私』はこの地で初めて心から共感した。
――死は恐ろしい。
それは当然のことだ。

なのにこの城の者は皆、名誉だの忠義だのと叫んでは、現実から目をそらしている。
彼らはただの馬鹿者だ。自らが大いなる手に操られる指人形に過ぎないことを知りもしない。一方、この男には役名はないが、それ故にその手からも逃れることができる。まったく、これを幸いと言わずに何と言うか。

「それは貴方が正しい」

『私』は確信とともに応えた。
それがあまりに思いがけなかったのか、男は間抜けた表情で『私』をまじまじと見返す。その顔に、なるほど真理は愚者こそが知りうるのだな、と内心苦笑した。

「私からもひとつ真を申し上げましょう」

鬱憤がたまっていたのだろうか。あるいは気分が昂揚しているのか。
ついやくたいもないことを話していた。

「この後の戦いに、貴いものなど何もないのです。名誉も忠義も何ひとつとしてありえない。この戦はただ、この国に屍を増やすだけのものなのですよ」
「それは……なんとも恐ろしい話ですな」
「ええ、まったくです」

『私』はしたりと笑みを浮かべかけ――

その後に、何が起きたのか、理解できた者はいないだろう。

不意に顔を強張らせた『私』は、次の瞬間にはこの世のものとは思えない、世にもおぞましき表情を浮かべていた。
気の弱い者なら腰を抜かしたに違いない、狂相。

それは恐怖だ。
それは悪夢だ。
それは化物だ。

昼日中、窓の向こうに死に神を見た者の顔で、直後、『私』はその身を『散ら』した。

ふつりと途切れる視界の中、男が苦み走った表情で『私』を眺めているのが映った。
この真昼の怪談じみた出来事に、驚くでも怯えるでもなく。
――そのことに対する疑問が、この『私』の最期だった。

***

ヒュウ、ヒュウ、と風の音がうるさい。
そう考えて、ようやくそれが自身の喉が奏でる悲鳴だと気づいた。
『鏡でできた顔の形の仮面』という悪趣味なものをつけたその怪人は、首を傾げることで、そんな私を嘲笑ってみせた。地に伏した私と視線を合わせるように、その身を小さくかがみこみ、体型を隠す黒いローブが床に裾を広げている。
その異様さは王党派でも、ましてや貴族派でもありえない。

「おまえは誰だ――なぜ私に――いや、何の、ため、に」

目の前の『モノ』が私の命に何の価値も見出していないことに気づき、問いかけを変える。
だが、それも意味のないことだった。
もし意味があったとすれば、ただその声を聞けたこと――。

「Noone,Nothing(だれもいない、なにもない)」

甲高い声に宿るのは背筋が凍るほどの空虚と――胸がかきむしられるような懐かしさ。

刻々と血が失われ、なす術もない最期の一時、私の心を占めたのは、死への恐怖でも祖国への憎しみでもなく、ただ泣きたくなるような懐古の念だった。


アア、ナゼ、ワタシハ、コノ声ヲ知ッテイル……

コレハ、イッタイ、何ダ……ナゼ、コンナトコロデ、ワタシハ……

ソウダ、指輪ヲ……ユビワヲ……


***

――置き去りにされ、忘れ去られた小舟。

いつか私自身も忘れてしまうに違いない、その存在を眺めるうちに、私の中にはひどく凶暴な気持ちが芽生えていった。
夢の中の私は杖を振るい、縄を断った。
それからもう一度。今度は舟底に向かって魔法を放ち、穴を開けた。
ルーンを唱えるために開いた口から雨が入り込み、ぽっかりと空いた胸のうちに冷たく沈んでいく――。


そうだ、私はこのとき初めて貴族を、この世界を憎んだ。
なぜなら、この世界の道理が、私からきみを奪ったのだから……


――それはもう、遠い、遠い、昔のこと。
消えてしまった、ゼロになってしまった記憶のこと。
年若く希望にあふれていた私には、ちいさなフィアンセがいた。
ちいさいままに消えてしまった少女がいた。


ああ、きみはよく此処で泣いていたね。
きみは知らないだろうけど、きみの家族は皆知っていたんだよ。
よく、ぼくに頼んで迎えに行かせてたからね。
泣いているきみを何度此処でなぐさめただろう。
きみは知らなかった。
きみの家族は皆きみのことを案じて、そして愛していたことを。
そして、ぼくもまた知らなかった。
それを知らないきみが、どれほど深い絶望の中にとらわれていたかを。

――かすみがかった記憶の向こうで、桃色がかったブロンドが目の前で揺れる。
大粒の雫をためて、鳶色の瞳が私を見ている。

(ししゃくさま。わたしがおおきくなったら、およめにもらってくださいますか)

ああ、もちろんだよ。
きみが大人になって今以上に素敵なレディになったら、ぼくはきみに指輪を贈ろう。
それから、すてきな白いヴェールも。
屋敷は音楽とお花でいっぱいにして、きみがいつも笑顔でいられるようにしよう。
だから、泣かないでおくれ。

(はい、ししゃくさま)

ああ、良かった、本当に良かった。
きみが笑ってくれた。
そうだ、魔法がつかえないことなんて、なんてことないんだ。
そんなことできみが、死ぬことなんてないんだよ……。


――小舟は水底に沈んでいった。
気づけば私は声をあげて泣いていた。





キミヲキズツケル、ソンナ、セカイハイラナイ



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