この暗闇の中にわたしを置いていかないで――
***
「オカユイトコロハゴザイマセンカ」
棒読みのセリフに、手のひらの中の頭が揺れた。くすくすと笑いを漏らすルイズに、おれはわざと乱暴に手を動かす。キャア、とあがった悲鳴もどこかわざとらしい。
「ほら、動くなってば」
「はーい」
手持ち無沙汰にぱしゃぱしゃと水面を叩きながら、ルイズは愉しそうに頭を揺らす。おれはその頭が手から離れないように、しっかりと掴んで、細い首をすえさせた。まったく――
「こういうのは先生の仕事だっての、」
「相棒、右だ右」
「あいよ」
ぶつぶつ言いながら片手で石けんのありかを探していると、デルフが教えてくれた。
ルイズが笑う。
「目隠し、とればいいのに」
「うっせ。黙ってろ」
「ひどーい」
文句を言いながら振り向こうとする頭を、おれは無理矢理固定した。顔に巻いた布の奥でさらにきつく目をつぶり、手を動かす。
この馬鹿馬鹿しい状況の原因は、メシの後、出掛ける前に身奇麗にしたいとルイズが言い出したせいだった。――延々と寝ていた間、食事もほとんど取らなかったくらいだから、もちろん風呂にも入っていない。それが気になったようだ。
普段ルイズが風呂に入るときは先生がお湯を沸かしながら手伝うのだが、さっぱり帰ってこない。当然の如く、おれが手伝わされることに。
そして。お湯が沸くや否や服を脱ぎ出したルイズに、おれが慌てて用意した『自衛策』が、コレというわけだ。ルイズも、いつもの面布を濡れてもいい包帯に替えているから、ふたりそろって目隠し状態。
……デルフがツッコミを入れてくれないのが、余計にむなしいぜ。
「次、背中ー」
「いい加減にしろ……」
はしゃぐルイズに、テンションだだ下がりのおれ。
はやく、先生帰ってこないかなー。
金だらいの中のルイズにおおよその見当でお湯をぶっかけながら、ため息をつく。
結局……全部手伝わされた。
「なあ、お前どうしちゃったの?」
「なにが?」
空とぼけるルイズ。なんでも自分でやると言っていた、あの頑固者は何処に行ったのか。足の間に座り込んだルイズの頭を、おれは拭いてやっていた。いまだに目隠しは外せない。
さっさと服を着ろと言っているのに、素肌で毛布にくるまる感触が気に入ったルイズはなかなか動こうとしないのだ。毛布越しに感じる、湯上がりでほかほかした柔らかい体の感触に、おれは――
「ハア、」
深いため息をつくしかない。
腕の中の『お子様』がささやく。
「ねえ、ため息つくと幸せが逃げるってせんせいが言っていたわ」
「だれのせいだよ……。なあ、その先生はいつ帰ってくるんだ?」
「さあ?とおいところに行くって言ってたから」
あっけらかんと言うルイズに、おれは硬直した。は?
すると、再び手のひらの中で頭が動く。ルイズが首を振る。
「ううん、ちがうわ。えーっと。そっか、帰るんだっけ?」
「――お前、もしかしてまだ寝惚けてんじゃないの?」
「しつれいね」
そう言うそばから、こっくりこっくり、舟をこぎ出すのがわかった。あたたかいのは眠気のせいか。
……腹がくちて、風呂でさっぱりして、眠くなるって、まんま子供じゃねーか。
(こりゃあ、出掛けるとしても夕方になりそうだな)
おれは――腕の中のぬくもりをそっと抱きしめながら――、もう一度切ないため息をついた。ようやく乾いた髪が、ふわふわと鼻先をくすぐる。
なあ、ルイズ。おれ、いつまで目をつぶっていればいいんだよ……?
***
***
あの晩、隠れ家に戻って以来、わたくしはずっとあの少年のことを考えていた。
黒い髪と目をした異国育ちの男の子。貴族の子息達とは違う、飾らない真っ直ぐな態度がひどく新鮮だった。
そして、彼の不思議な言葉――。
あれは、どういう意味だったのだろう?
ちょうどそう考えていたとき、その当人が来たというので、わたくしは急いで衣装を身にまとい、表に出る準備をした。
この衛士の衣装は身分を隠すためと、それから街の人間になりきるためにスカロンさんが用意してくれたものだ。
服は人の在り方を決める大切なものですからね、とスカロンさんは言って、色々と演技指導をしてくれた。うまくできているかどうかはわからないけれど、他人になりきるというのは面白いものだと思う。
ただし今日は顔を隠すのに仮面ではなく口布をつけることにした。異国から来た少年はわたくしの顔を知らない。だから、かまわないでしょう――。
わたくしは少しうきうきとした気分で、裏口からそっと身を滑り出させる。
すこし薄暗くなった外(おもて)。彼の姿はすぐにわかった。
隣に、少女がいる。
良かった、元気になったのね、と思いながら、同時にわたくしは、どきっとした。
その不思議な胸の痛みに首を傾げていると、ふと、彼女の傍を通りかかった酔漢が杖を出すのに気がついた。
***
おれはもっと注意するべきだった。
もっと自分から目を見開いて耳をそばだてて、ちゃんと理解するべきだった。
けれど、いつまで経っても間抜けのおれは、またしくじった。
ふだんのルイズなら、真っ先に気づいていただろう。
もしそれが危険や害の類なら、デルフはすぐに警告しただろう。
そいつらに傷をつけるつもりはなかった。
だが、悪意はあった。
酔っぱらいのしたことだ。魔が差しただけだと、そう言うやつもいるだろう。
けれど、おれはそいつらの顔を覚えていた。
以前ルイズと店に遊びに来たとき、店に迷惑をかけていた貴族達。ルイズがあの何でも消す魔法で、素っ裸にして追い払った相手。――そう気づいたときには、その魔法は放たれていた。
それは一番簡単な、それこそ貴族の子供が最初に覚えるスペルのひとつだという。
『閉錠(ロック)』の対となるコモンスペル。
――『開錠(アンロック)』
それを男はルイズの頭の後ろ、面布を留めていた『鍵』にかけた。
留め具を外された布は、重力に引かれて、ひらりと落ちる。
友達(ジェシカ)が出会いの記念にと作り、先生が色褪せぬようにと『固定化』をかけ、そして決して外れないようにと鍵をつけた、小さな布。
ヒッと誰かが息を呑んだ。
***
ねえ、×××さま。こわいゆめをみたの。こわい、とてもこわいゆめだったわ。
わたしのおかおが、なくなってしまうの。
……よかった、ゆめで。
***
「きゃああああああああああああああっ」
違和感に気がつき、指先で己の顔をたどった彼女は、そこに『あるべきものがない』ことに気がついて、絹裂くような悲鳴とともに顔をふせた。
けれどその前に、少女の顔はわたくしの視界に焼きついていた。
瞼と眼球がなく、底まで薄い皮膚におおわれたうつろな眼窩が二つ、ぽっかりと空いた彼女の顔が――。
心臓の動悸が痛いほど激しく、全身の血の気が冷えていた。それでも、『どんなときも平静に、決して顔には出さないこと』――生まれたときからずっと受けてきたその教えは守れた。
なのに――
「なんだ、こりゃあ――」
「平民どもがもてはやすから、どれほどの美少女かと思ったのに。ただの『化け物』じゃないか」
けらけら、と白々しく笑い声をたてるその言葉には、十七年の教えなど跡形もなく消し飛んだ。
感じたのは、怒りと呼ぶのすら生易しい、目が眩むほどの激情。
息をすることさえ、ままならぬほどの憤り。
それはあのとき、国土を焼かれ民の血が流れてなお会議を続ける者達を見たときよりも、ずっと強い。
わたくしは、気づかないわけにはいかない。
どんな装束を纏っていても、この憤りは変えることができない。どんな名で呼ばれようとも、この光景から目をそらすことなどできない。
これが我が国の貴族か。
これがわたくしの国か。
この小さな子が辱められ、震えなければならない国が!
わたくしは――、
生まれて初めての激情に囚われて身動きがとれないわたくしの前で、少年は自らの上着を脱ぎ、そっと少女の頭にかけていた。
そして、剣をとる。
険しい表情で――その内側に押し殺した痛みはいかほどか――剣を構える。
ただひと噛みをと鍛えあげた平民の牙を、貴族へと向ける。
彼らは杖を出す。何も知らぬ愚かな者が、杖を構えて、貴族の誇りを口にする。
事態に気がついた店の男達が殺気立ち、その威勢に怯える娘達の中からひとり、黒髪の娘が駆けだし、いまだ震える少女を抱きしめる。
それらを見て、わたくしは再び強く思う。
わたくしは――、いったい『此処』でなにをしている――?
この身はようやく駆けだしていた。
***
いやだ、ここはいやだ、どうしてこんなにくらいの、どうしていたいの、どうして×××さまはわたしをこんなところにおいていくの、いやだ、かえりたい、ここにはいたくない、いやだ、×××さま、わたしをおいていかないで――
***
彼らの間に身を躍らせたわたくしが最初にしたことは、『杖』に向き合うことだった。
「なんだぁ、貴様。平民のかばい立てをするのか?」
「どけ!そいつは今我々に剣を向けたのだ。これを見逃しては貴族の名折れ――」
「おだまりなさいっ!」
親ほどに年の違う相手だろうと、血走った酔漢相手だろうと、かまわなかった。
そんなものをどうして恐れる必要がある。
「いま、貴族の誇りをおとしめているのはだれですか。守るべきものに杖を向けるあなた方にはもう、この状況も見えないのですか。この場で誇りを語る資格があるのは、あなた方でもわたくしでもありません。――彼らです!」
そして、この場で裁きを下す権利があるのもまた、彼らだけだ。
けれど――。
わたくしは、向けられた『剣』を見た。
わたくし達を囲む、たくさんの人々を見た。棒きれを、包丁を、椅子を、手に手に持って、構える彼らを見た。
「どいてくれ、アンさん」
その中でも鋼鉄でできたような目が、わたくしを射抜く。
どんな目よりも――戴冠を勧める目よりも、戦を迫る目よりも――怖ろしい目だった。
けれどわたくしが、決して目をそらしてはならない相手だった。
「できません」
わたくしはその目を見つめたまま、必死に言葉を紡いだ。
「決して、彼らの行いを赦せなどとは申しません。けれど、どうか――剣をおさめください。この国の法は、あなた方が彼らを傷つけることを認めておりません。
もしもまだ、あなた方がこの国を愛する気持ちをお持ちならば、どうかお願いします」
ひざをつく。湿った石畳の感触が冷たい。
それよりも、冷ややかな声が降る。
「なに、してんですか。あんたには関係ないでしょう」
それは違う。これは何よりも誰よりもわたくしの罪だ。
だから頭を垂れる。赦しを乞うためではなく、差し出すために。
「それでもなお、おさめるに足りなければ――、どうかこの身をお討ちください。彼らの過ちはわたくしの罪。どうぞこの首を討ち、我らの罪を罰してください」
――この愚かな『王』の首を。
***
……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい…………
***
しわぶきひとつ聞こえない、身を圧するような静寂。それを破ったのは、鈴の音のように凛とした声だった。
「それには及びませんわ。貴い方」
愛らしい少女の声が、言う。
「わたし達の誇りなど人の命に比べればささいなことです。ましてやこの程度のこと、陛下のおひざ元たるこの都を血で汚すにはあまりに軽すぎる。ここはどうかわたしどものやり方でけりをつけさせてくださいませ」
役者のようによく通る声で、わたくしの背後に立つ貴族達にも語りかける。
「貴族様方。わたしもまたかつてあなた方に恥をかかせました。つまり、これで『おたがいさま』ですね」
どこか戯れるような、いたずらっぽい口調で。
「手打ちといたしませんか?酒の席のいさかいは翌朝に持ち越さないのがタニアっ子のならわしでございます」
軽やかに、場をおさめる。
「それとも……」
その一瞬だけ声をひそめて――。
「あなた方は、こちらのお方に『名』を名乗らせたいのかしら?」
それはひとつの合図だ。
わたくしは顔をふせたまま立ち上がる。背中で身じろぐ貴族達の気配を感じながら、決して振り向かぬように強い自制をかける。
「退きなさい。そして二度とわたくしと彼らの前に顔を出さないように。次に会うことがあれば、わたくしもあなた方の名を知ることになるでしょうから」
いつのまにか即席の舞台と化した路地裏は、三下役者の退場と万雷の拍手で幕を下ろした。
***
あの後、興奮し讃える民達のただ一人として、わたくしの『名』を呼ぶ者はいなかった。あれはただの寸劇、一夜限りの夢だと、誰もがそう決めたのだろう。
わたくしは夢とも現(うつつ)ともつかない奇妙な感覚に包まれながら、彼らと共に店の裏の隠れ家に戻った。
密室の中――礼を取ろうとする彼らを押しとどめて、再び床にひざまづく。
やはり、あれは夢や幻では済まされない。
「名もなき市井の民よ。温室に咲く白百合よりも、美しく気高い人達よ。あなた方の高潔な振る舞いに、心から感謝します。
そして『国の名(トリステイン)』を戴く者として、改めてお詫び申し上げます。
なにより。あなた方の矜持を踏みにじった彼らに、正当な報いを与えられないわたくしの無力をお赦しください」
「どうぞお顔をあげてくださいまし。それに、お上が平民の報復を認めては国が立ち行きませんよ?」
あっけらかんと返された言葉を、不遜とは思わなかった。
ただ、知る。
ここに立っている少女は、わたくしが知る最も誇り高い人々のひとりだ。
わたくしは震えるような思いで、頭をあげた。まるで芯からただのひとりの少女に戻ったような気持ちだった。そうして、そのまっさらな心のままに、ひとつのお願いをしようとする。
――おともだちになってくれませんか。
そう言おうとして、けれど、果たせなかった。
上げた視線は中途で遮られた。目の前には、差し延べられた小さな手。視線は吸い寄せられ、動かない。
その掌に載せられた、ひとつの指輪に。
「この地で最も旧く貴い血をひく方へ、これをお返しいたします」
「どうして……これを……?」
『硬直』にかかったように、私の目はひたすらその懐かしいものに注がれていた。
だから彼女の言葉の意味もすぐにはきちんと理解できなかった。
「姫様。先日、『この者が』申したことは覚えていらっしゃいますね?」
「え、ええ」
「ならば結構です。……仰るとおり、わたしは『名も無き者』です。そして、わたしが彼(か)の人を『殺し』ました」
「…………え?」
「詳しくは『鳥の骨』にお聞きください。今はどうぞ、亡きひとの想いをお受け取りくださいますよう……」
わたくしの指にはまった青いルビーと、少女が差し出した透明なルビーが、光を放つ。
トリステインとアルビオンの象徴である『水』と『風』が合わさって、虹をかける。
それはふたつの王家にかかる、約束の架け橋。
ふたりを繋ぐ――
いつかのように魅入るわたくしに、かすかな調べが聞こえる。懐かしい、愛しい声がささやく。
「アンリエッタ、」
顔をあげれば、あの湖のほとりで金髪と凛々しい碧眼の青年が微笑んでいた――。
***
***
なんとなく浮かんだ古い歌をくちずさみながら、おれはルイズと街を歩いていた。
ルイズはなんだか肩を怒らせて、早口で文句を言っている。どうやらあの変てこなお姫様に色々と思うところがあるようだ。
「軽々しく首をはねろなんて言わないでほしいわよね。あの娘の首にはこの国の民全員分と同等の価値があるのに。まあ、逆はないけど」
「なあ、ルイズ――」
相変わらず、細い肩だ。それでも、先程までよりもずっと元気にみえた。
「お前、泣いてんのか?」
「泣くわけないでしょう?そんなもの、全部吹き飛ばしちゃったんだから」
負けず嫌いが答える。おれは気づかれぬように、笑う。
「まあ、いいや。元気になったなら」
「ん……心配かけたわね」
「いいって」
あいまいな英語の歌詞を途中で鼻歌に変えながら、おれは思い出す。狭い室内にかかった小さな虹を。
なんなんだろうな、あの指輪。まるでマジックのようだった。
ああ、マジックアイテムって言うんだっけか。
「なあ、最後にかけた魔法。あれ、なに?」
「んー」
「ひめさま、泣いてたぜ」
「もう。それを言うのは無粋ってもんよ」
ルイズはすこし迷って、それから小さな声で答えた。
「……唄が聞こえるの。ずっと。子供の頃から知っていた気がする。それを唄っていると、なんでもできるのよ。どこになにがあるかわかったり、いらないものを吹き飛ばしたり、それから、だれもが忘れた旧い記憶をモノから呼び起こしたり、」
「へえ」
「デルフが言うにはね、『伝説』らしいわ」
「そいつはすげーな」
「ついでに、あんたも伝説の使い魔らしいわよ?ガンダールヴって言ったかな」
「ますます、すげー。やっぱおれ、勇者だったのか?」
「ばーか。あんたなんか、ただのお調子者の犬で十分よ」
「まーな」
「あら……認めるの?」
「それで十分なんだろ?」
「……そうね」
***
夜を、あなたと翔けていく。あなたの操る幻獣に乗って、あなたの操る風に守られて。
その細い腕は力強く熱い。きっとあなたの骨は鋼鉄で、流れる血はマグマのようなのだろうとわたしは思う。
***
「死んではいけませんよ、か」
「ん?なんだ?」
「だれかが昔わたしに言ったの。死んではいけませんよ、ルイズって。それにわたし、頷いちゃったのよね」
「じゃあ守らないとな」
「ええ」
夜の街をふらふらと家に向かって歩いていると、隣で、あの唄とも違う不思議と懐かしい歌を口ずさんでいた少年が、不意にのん気な声を上げた。
「お、ルイズ。『見て』みろよ。月がきれいだぞ。ふたつもある」
「そりゃ、あるでしょ」
言いながらわたしは、つい顔をあげる。見えやしないのに、へんなクセだと嗤う。
そこにあるのは月でも星でも虹でもなく。
真っ暗な、天地も四方もない世界。
いつのまにやら迷いこんだ、わたしの世界。
でももう、大丈夫。大切なことを思い出したから――。
***
***
かえりたい、とだれかが泣いている。どこにもやらないで、と訴える。
塞がらぬ傷が涙のかわりに血をあふれさせ、支える細い腕がわななく。
――ルイズ、わたしのルイズ。
あなたを想うとき、わたしの目は闇にとざされる。すべての母親がそうであるように、傷つき泣き叫ぶあなたの声を聞くとき、わたしの世界は真っ暗になる。
ちいさなルイズ、わたしの愛しい、哀しい娘よ。死んではなりません。この母をこの暗闇に置いていってはなりません。
どうか、わたしのルイズ。
あなたを救うすべが一欠けらでも残っているなら、わたしは悪魔にだって魂を売り渡しましょう。
だから、どうか、約束をして――
羽持つ獣が、星ひとつない夜を翔けていく。
背にはちいさな影がふたつ寄り添い、まるで一体の獣のよう。
空をうがつ小さな黒点となって、影はまっすぐに翔けていく。
闇へ、闇夜へ迷い込んでいく。
そんな夜もあった。