カウントダウンがはじまる。
***
「ねえ、なんの音よ、これっ」
「エンジンだっ。エンジンがかかったんだよっ。よっしゃあああ!!」
「素晴らしい!!これが、ほんとうの『魔法を使わない動力』なんだね、サイト君っ」
「せんせいっ、何言っているのか聞こえないっ」
互いに怒鳴りあい、興奮しながら喚きあう。おれも先生も、試行錯誤の果てのようやくの成功に興奮して、足下で叫んでいるルイズの言葉なんか聞いちゃいなかった。
ときならぬ――どころか生まれた世界までも違う――異音が、小さな村に轟々と響いていた。
***
タルブ村のマジックアイテム『らしきもの』――それは先生が見込んだ通り、おれの世界からの流れ物だった。
それもおれの世界でも遺物と呼ばれる、古い戦闘機。
通称、ゼロ戦。
どうやってかはわからないが、第二次世界大戦中にこちらの世界に迷いこんだらしい。
持ち主だった謎の『じいさま』は本名を佐々木武雄といい、その名が当人自ら遺した墓石にきっちりと刻まれていたのだ。海軍大尉の肩書きと共に。
その御影石の――ちゃんとあの独特の形をした――墓を見たときは驚いたが、同時に、ちょっと切なくなった。
元の世界に戻れずにこの地に文字通り『骨を埋める』覚悟をしたとき、このひとはどんな想いでこれを作ったのだろう。
顔も知らない『同胞』を想って両手を合わせながら、おれは改めて「帰らなきゃ」と思う。
そして「墓碑を読めた者に譲る」という佐々木さんの遺言に従って、ゼロ戦はおれのものになった。
彼はなんとしてでもこれを『陛下』にお返ししてくれ、とそう言っていたそうだ。
必ず、と答えたおれに、シエスタがとても嬉しそうに微笑んだのが印象に残っている。
肝心の機体も、質の良い『固定化』がかかっていたお陰で劣化もなく、整備を行えばこうして無事動いた。
整備の方法がどうしてわかったかというと――なぜか左手のルーンが教えてくれた。なんて便利……。
ていうか、もう、なんなのよ?このルーン。触れただけで構造から飛ばし方までわかるなんてさあ。
それを聞いた先生は喜ぶと同時に、複雑そうな表情で、なるほどこれも『武器』なんだね、と言った。
全くもってよくわからなかったが、まあ、おれにはこの機体が直る方が重要だ。いつものように深く考えずに歓迎しとくことにした。
便利なのは……いいことだもんな。
最大の問題は燃料切れだった。
そもそも、佐々木さんがこの地に暮らすようになったのも、空を飛んでみせることができずこのゼロ戦が奇妙なマジックアイテム扱いされたのも、燃料・ガソリンが切れていたせいなのだ。
それ以外は発電機も生きていたし、各部の部品もおれ達の簡単な整備で動いた。
けれどガソリンをこの世界の油で代用するのは難しい。
そう話すと、先生は即席の研究所を古い馬小屋の中にこしらえて研究を始めた。
なんだかよくわからんけれど、一日であのいつもの薬品臭と爆発音の発生するマッドルームを作り上げ、その中で先生がばたばたとあーでもないこーでもないと熱中している姿は、今までで一番愉しそうだった。
ちなみにシエスタの話によると、村人には異端の魔術だなんだと噂されていたようだ。道理で他のひと達には遠巻きにされていると思ったら……機械油の匂いと汚れのせいじゃなかったのね……。
けれどその甲斐(?)あって、最終的に先生は『錬金』でガソリンを作り出した。詳しいことは聞いても理解できなかったので省くが、素材やら工程やらにこだわって数日がかりで作り出したのだとか。
いやあ、先生すげー。魔法もすげー。
足りない工具や部品も、土くれから次々に作り出しちゃうんだからな。
ただし。先生曰く、魔法は一定の質の品を大量生産するのに向いてないそうだ。
たとえばこのゼロ戦にはきっちりと機銃もついていたのだが、その弾丸なんかは補充できないらしい。こっちの魔法ってなんでもアリのような気がしていたけれど、意外な限界がある。
それはともかく。
結果として、今、おれの目の前では勢いよく轟くエンジンがある。
その騒音が、まるで我が子の産声のように愛おしかった。
――くうう、やっぱ飛行機は男の夢だよな。
それをきちんと止めてやって、おれは操縦席から飛び降りた。
そこには――不満顔のルイズが仁王立ちしていた。
「まったく、朝から晩までふたりでごそごそやってたかと思ったら、なによこれドラゴンのいびき?」
「違うって。言っただろ、これで空を飛ぶんだよ!」
鉄のかたまり、はばたかない翼――それが飛ぶと言われても信じられないらしく、ルイズはずっとおれ達の熱中ぶりに批判的だった。
確かに剣と魔法のファンタジー世界では、おれの世界の科学の方がおとぎ話みたいなものだ。普段話をしている先生がなんでも受け入れてくれたから忘れていたけど。世間的には、たぶん先生の方が変なんだろうな。
けれど実際に体験すれば、この頑固娘も認めないわけにはいかないだろう。
そうだ。普段は魔法に驚かされてばかりだけど、今度はおれの世界の『魔法』で驚かせてやる。
そんなガキみたいな思いで鼻をふくらませていたおれは、次のルイズの言葉で現実に引き戻された。
「それで?」
「ん、だから、」
「だから――それに乗って空を飛べばあんたの世界に行けるわけ?」
「あ……」
耳聡いルイズは、聞き逃さなかった。
ビシッと杖先を突きつけて――
「ねえ?忘れてたでしょう?忘れてたわよね?」
うりうりと頬を突っつく。心なしか愉しそうに、口元を緩ませている。
くー、可愛くねぇ
可愛いけど、可愛くねぇ。
「いいんだよっ。これもひとつの手がかりなんだから!」
「……ウソツキ」
確かに――飛行機を飛ばすこと自体に夢中になっていたのは否めない。
でも、必ず帰ると誓った想いは嘘じゃない。これに乗って佐々木さんはやって来たのだから、これに乗って飛んでいけば――きっと、どこかにたどり着く気がするのだ。
……甘いかな。
先生も、だからきっと――いや、完全に忘れているか、あれは……。
このゼロ戦にかける先生の情熱はコワイほどだ。先のマッドルームでも十分わかるけど。一度なんか、全パーツをばらばらに解体しようとしていた。
しかし、そんな男の情熱もルイズには通用しない。
――ハンッ
てな具合に、薄い胸をますます強調するように張って、おもいっきり鼻で笑ってくれた。
「ったく。研究馬鹿に馬鹿犬なんだから。――シエスタ。もう行きましょう」
「え。もうすこし見てちゃだめですか?」
「……べつにいいけど、楽しい?」
ルイズの傍らには、なぜかすっかりおれ達のお世話係になっているシエスタ。にこにこと笑顔で頷く。
「はい。だってほら、サイトさん、嬉しそうですよ。先生さんもあんなに楽しそうに笑って」
「いや、わたしには見えないんだけど……」
「でも、わくわくしませんか。あれが空を飛ぶんですよ!空を飛ぶってどんなかんじなんでしょうね」
シエスタはそんな風に言って、いそいそとおれに近づいてくる。
――ああ。君の素直さの百分の一でいいからおれのご主人様に分けてあげてくれよ。
ちなみに、例の佐々木さんは、このシエスタや実は従姉妹同士だというジェシカの曾祖父にあたる。――おれはようやく二人から感じた懐かしさの正体を理解した。
同じ国の血が混ざっていたからなのだ。
その彼女に、だ。
「ねえ、サイトさん、サイトさん。わたしもこの『ひこうき』に乗せてくださいますか」
上目遣いでこんなことを言われて、頷かない男がいるだろうか――否!
というわけで、おれは満面の笑顔で「もちろん」と応えた。そもそもこのゼロ戦はシエスタ達のものだったわけだしなー。
あ、でも――。
声をひそめると、察しの良い彼女はちらりと横目で――退屈さを隠しもしないルイズを――見て、悪戯っぽく頷いた。
「もちろん、一番最初はルイズさまでしょうけど……その次に。だめですか?」
「だから、だめってことはないって。ぜひ、乗ってくれよ」
「やった!うれしい!」
歓声とともに抱きつかれた。こういうところは外国の娘さんだねえ。
あはは。ほら、機械油がつくって。
***
なぜかみっともなくにやけ下がった使い魔の顔が頭に浮かんで、わたしはため息をついた。
「やーね。犬っころがさかってるわ」
「お。嫉妬かい?いいねえ、若いってのは」
「誰がよ。あーあ、退屈」
この村に来てあれを見てからというもの、せんせいもサイトも、シエスタさえも、あの馬鹿でかい変な鉄の塊に夢中だ。
まったく、なにが面白いんだか。
くさくさした気分を払うために、わたしは鼻唄を唄う。あの壊れたオルゴールから一度だけ聞こえてきた奇妙な唄。それは、わたしのからだによく馴染んだ。
――・・ルー・ス・・・フ・・・ヤル・・・サ……
すると同じように使い手に放置されている剣が変なことを訊いてきた。
「なあ、お前さん、その『唄』がなにか知っているのか?」
「ううん。あんたこそ、知っているの?」
「いんや、なんとなくそんな気がしただけさ」
「そう?……わたしもよくわかんないんだけど、唄っていると元気がでるの。そう――なんでもできそうな気がしてくる」
「そりゃよかった」
変な剣はそれきり黙り込んでしまった。
日向ぼっこをかねて、しばらくぼーっとしていると、やがて、使い魔が近づいてくる気配がした。心なしか普段以上に浮かれている。
そういや、今日はテスト飛行だとか言っていたっけ。
サイトの目を通してもよくわからない、奇妙な羽のついた鉄の舟を思い浮かべる。
――ほんとうに空を飛んだのかしら。
「おう、ルイズ。こんなとこにいたのかよ」
「あによ」
「あ、放っておいたからスネてんのか?」
半分寝惚けたまま応えたら、使い魔が妙に愉しそうに言った。やっぱり浮かれているようだ。
「まあ、待ってろよ。すぐにいいとこ連れてってやるからさ」
「はいはい。期待しないで待っているわ」
わたしは太い樹の幹にもたれたまま、空を仰いだ。
今日はいいお天気で、そうしているとわたしの顔が太陽の熱にあったまるのを感じる。
サイトからは、きっと晴れ渡った青い空が見えるのだろう。
「で――飛んだの?」
「もちろん!すごかったぜ。村の人達もすげー喜んでくれたしな」
村の守り神が本物だと証明されたからだろう。
ジェシカに、手紙でも送ってあげようかしら、と考える。先生はきっと忙しいから、シエスタあたりに代筆してもらって――。
「ねえ……空の上にはなにがあるの?」
「うーん、そうだなー。まず雲だろ、太陽だろ、そんでもって、なんもない!一面まっさらな青一色だ」
「ふーん」
相変わらず子供みたいな説明だ。思わず小さく笑ったわたしに、なにを勘違いしたのか、サイトが勢い込んで言う。
「今度はお前を乗せてやるからな!『見せ』てやるよ」
「べつにいいわよ」
「そんなこと言うなって。な、ほんとすごいんだから」
言いつのるサイトの手を払って、わたしはわたしの『空』を『見る』。
いいわよ。だって――
***
「もうすぐこの国のお姫様の結婚式があるんですよ」
「へえ、そうなんだ。あ、じゃあ、お祭りとかもあるのか?」
先生が再び必要量のガソリンを作りためるまで、シエスタを手伝って近くの港町に買い出しに出た。この娘とその家族にはほんとうに世話になっているし、なによりゼロ戦を譲ってもらった恩がある。この程度の手伝いは軽いものだ。
街の名はラ・ロシェールという。山間の街なのに『港町』という、その理由は街の中に立った巨大な、どこかの神話みたいにでっかい樹にあった。
そこに空に浮いた舟が、まるで果実みたいに生っているのだ。風の力を溜めた風石というクリスタルで、空を飛ぶとか。
――あれも波止場、っていうのかねー。
ほんと、ファンタジー。
ていうか、空に浮かんだ大陸まであるらしい。それどんなラピュタだよ?
それだけではなく、街自体の作りもすごかった。
土メイジ達が岩間をくり抜くようにして作ったという街は、建物がまるで地面から生えているように見える。
つくづく、魔法ってすごい。
むしろ先生はどうして、こんな世界で魔法以外の動力なんて考えるようになったんだろう――?
ぼんやりとそんなことを考えていたおれは、シエスタの声で我に返った。
「ええ。色んな国からお祝いのお客様が来ますから、きっと王都もこの街もすごい騒ぎですよ」
「いいなあ。じゃあ、シエスタを乗っけるときはあいつでお祭りに連れてってやろうか?」
「ほんとうですか!?やった!うれしいな!……あ、でも早くしないと休暇が終わっちゃうかも」
「ああ、そっか。新しい職場だっけ?」
「ええ、前の職場の学院長さまが紹介してくださるって。手紙(フクロウ)が届いたんです」
「そっか、良かったな」
「はい」
満面の笑みで頷くシエスタ。最初に会ったころはなんだか鬱入っていたけど、無事脱したようだ。
もっとも今回の再就職に関しても、前の件もあって親父さん達は反対だったそうだ。が、シエスタがきちんと説得した結果、認めてもらえたとか。
「しっかりしてるよな、シエスタって」
いまもきちんと値切りをして定価の三割で服を買ったりしているし。うーん、たくましいってのはいいことだ。
「それは皆さんのおかげですよ、」
シエスタはとってもきれいな笑顔で照れくさそうに応えた。
その笑顔を見ていると、きっとこの娘にはこれから良いことがあると、何の根拠もないが、思えた。
いや、この娘だけじゃないよな。きっと、みんなうまくいく――。
浮かれた街の様子につられて、おれも心が浮き立っているようだ。
実際、なにもかもうまくいっているように思えた。
ゼロ戦という大きな手がかりを手に入れただけでなく、タルブ村にはおれの世界に繋がるものがたくさんあって――それは例えば佐々木さんが伝えたという、どこか懐かしい味の料理だ――シエスタやその弟達はなんだかおれに懐いていてくれて――先生も長年の研究が報われて、愉しそうで――そしてもうすぐたぶん世界で一番きれいな光景をルイズに『見せ』てやることができる。
――空を飛ぶことにルイズはあんまり乗り気ではなさそうだが、またいつもの照れ隠しだろう、とおれは気軽に考えていた。
おれは何の根拠もなく、何一つとして知りもしないくせに、そう思っていた。
***
――空の上にはなにがあるの?
そんな子供みたいなことを尋ねるあいつに、おれはほんとうの空を見せてやろうと思った。
ただそれだけのことだった。
それなのに。
はじめてルイズを乗せて飛んだ空には、なぜか巨大な戦艦が浮いていて、小さな船が煙をあげながら落ちていって、そして人を乗せたドラゴン達が殺し合いをしていた。
なんだ、これ――。
***
「どうしたの!?」
それまでうるさいながらに安定していた機体が激しく揺れだして、わたしは叫ぶ。
サイトの代わりにデルフが、あちゃー、と声をあげた。
「怪我でもしたの!?」
「いんや――はじめて戦に出た兵がよくかかるやつだよ。心が縮こまっちまっている。これじゃあ、ガンダールヴの力も役に立たねーな」
どういうことよ……?
と首を傾げていると、サイトの視界が勝手に飛び込んできた。
――美しい空で、繰り広げられている醜い戦闘の光景が。
「ま。当然の道理さね、こいつは命のやり取りなんざしたことねえ。それどころか、目の前で人が死ぬことすら慣れちゃいねえんだから」
わたしは、ふう、とため息をこぼした。
「とんだあまちゃんね」
「それがいいとこ、なんだろ?しかし、今はまずいな。これじゃあ逃げることもできねえぞ」
***
「おい、相棒。なんでもいい、怒り、悲しみ、なんでもいいから、感情を震えさせろ。そうしねーと娘っ子もろともおだぶつだぞ!!」
デルフがなにか言っているが、よくわからない、
ガチガチと奇妙な音がして、おれは我に返った。
デルフの金具の音かと思えば、おれの歯だった。
はは、なんだ、これ。
見事に歯の根が合っていない。
なんなんだよ、お前ら。
ここでなにしてるんだよ――
目の前には火を噴きながら墜落する船。そこから、逃げ場所を求めて自ら墜ちていく人の影。
炎を放つ異形の怪物に、地上で逃げまどう小さな人々の姿もある。
空の大陸からやってきた化物みたいに巨大な戦艦の姿もある。
おとぎの国だというのに、そこで繰り広げられているのはどこまでも怖ろしい『戦争』で――。
――そらのうえにはなにがある?
不意に何の関係もないことが思い出された。それは昔、母が尋ねたなぞなぞだ。
得意げに答えるこどもの声がする。
――ソラのうえにあるのは……
シ。
死、だ。
やがて、戦場に迷い込んだ奇妙な鉄のフネに気づいたのだろう。
船を襲っていた一匹のドラゴンが大きく旋回する。ルーンに強化された視力で、おれはその牙の鋭さまで見て取ってしまう。
叫び出しそうになったおれを――押しとどめたのは、ルイズの小さな手だった。
柔らかな手が、おれの目を塞ぎ、ささやく。
「だいじょうぶ」
とたんに世界は黒く塗り潰された。
***
からっぽの闇。
一面の黒。
果てなどない、
天地四方すべてが意味をなさない、
からっぽの世界。
あたたかさも優しさも痛みも苦しみも、皆ひとしく価値がない。
ゼロの視界。
そして……怖いものもない。
***
おれの中で暴れていた全てが見えなくなって――まっさらな一面の無の中に、ふつふつと腹の底からなにかが沸き上がる。
熱く、まるでマグマみたいにふつふつと狂暴に沸き上がる。
それは怒りだ。
「なんなんだよ!お前らは!」
おれは再び叫ぶ。
先程と同じ言葉を。けれど、そこに込められた感情はまるで違う。
ここで何をしてる!
どんな理由があって、おれ達の邪魔をしやがるんだ!
おれはただ、
ルイズに、
いっとう好きな女の子に、
きれいなものを見せてやりたかっただけなのに……!!
「それを!なんなんだよ!お前らは!!」
一面の黒の中で、ちかちかと瞬く光点があった。
紅かったり、水色だったり、奇妙に不愉快な紫だったり。
おれにはそれが何かよくわかった。
左手はなんのためらいもなく動いた。
見えなくてもルーンが教えてくれた。
――ああ、まるでテレビゲームだな。
恐怖もなく、愉悦もなく、頭はひたすら冷静だった。
腹の底でたぎる暴虐なまでの怒りすら、操縦桿を操る手をそこなうことはなかった。
するべきことはわかっていた。
「すごい。天下無双のアルビオン竜騎士が、まるで虫けらみたいね」
つめたくてあたたかい声が耳元でささやいた。
「つぎは、わたしの番――」
おれの背中に抱きつき、肩に顎をのせるようにして視界を合わせて、ルイズは腕を、杖をのばす。
……エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……
おれが敵を蹴散らし続ける間、ルイズはルーンを唱える。
以前おれに教えてくれたときのように、その声は相変わらずおれの一番心地よい音で、朗々と連なるルーンは子守唄のようだ。
その唄にのせて、途方もなく大きななにかが生まれ、あふれ、うねる。
おれはその感覚に同調しながら、我が子が産声をあげるのをいまかいまかと待つ親みたいな気分で、じっと耳をすませる。
そしてその唄が途切れたとき、白い光がルイズの杖先からほとばしった。
黒い世界へとあふれ出た光が――
稲妻でできた網のように――
広がり――
拡がり――
うるさく飛び回る小さな光点達すべてを捕まえ――
そして、
消える。
そしてもう――空の上にはなにもない。
***
***
『戦』を告げた梟(しらせ)はあまりに遅かった。
突如現れた竜騎士に村は襲われ、私は彼らと戦うことを余儀なくされた。
冷静に冷徹に杖を振いながら、胸の内は焦燥で焦がれるほどだった。
空の上に飛び立ったふたりの、サイト君の誇らしげな笑顔とルイズの素直になりきれない表情が思い浮かぶ。
今すぐにでも彼らの元に向かいたい。けれど目の前で――あのときのように――村が焼かれ、力を持たない村人が逃げまどう姿を見て、放っておくことなどできなかった。
――無事、逃げていてくれ。
けれど、そんな私の切なる願いは最悪の形で裏切られた。
それは一条の矢のようだった。同時に、おそろしく繊細な雷のようだった。
光はまっすぐに、私に向かってきた兵士の心臓を貫いて、消えた。
避けるひまもない返り血に頭から濡れながら、私はそのぽっかりと空いた穴を畏れと共に見つめた。
その美しすぎる傷痕には、『何もない』痕には、嫌になるほど見覚えがあった。
やがて――。
村の娘に頭から水をかぶせてもらい、なんとか息をついていた私の前に、彼らは戻ってきた。
歓声とともに見送った村人が、今は息を呑んで畏れと共にそれを出迎える。
見事に着地を決めた『ひこうき』から、サイト君が降りてくる。腕にはあの子を抱いている。
力のない、どこか地に足のつかない歩みで、私の元へまっすぐに向かう。彼の腕の中で、あの細い四肢がちからなく崩れているのが見える。
「せんせい、ルイズが」
その姿を見たとき、その声を聞いたとき、私は痛む背も泥のように重たい四肢も忘れて駆け寄っていた。
――ああ、どうか。
抱きしめた体は今にもこぼれ落ちそうで、震える私の腕の中で、彼女がちいさく呟いた。
おうちにかえろう、と。
***
***
わたしはだれかに抱えられている。
細い腕だ。
芯まで硬くて強い腕だ。
その腕はたしかにあたたかいのに、わたしはずっと震えていた。
空を行く獣の上で、わたしはずっと怯えていた。
(いいわよ、空になんか行かなくて)
(だって――)
あのとき、わたしを空に運んでくれたひとは、わたしを棄てにいったのだから。
***
……ゼロ地点へ。