わたしの生まれ育った村はとてもよいところです。
丘と森以外なにもないところだと家族も村の人も言うけれど、それが素晴らしいのだとわたしは思います。
特に丘からの見える一面の草原は、幼い頃からのお気に入りでした。
懐かしい、優しい風景です。
帰郷した翌日、なんとはなしにそこに戻ってきて以来、日に何度も訪れては、朝焼けや、彼方を飛ぶひばりや、流れゆく雲を眺めるのがわたしの日課になっています。
木陰に腰を据えて頬杖ついて、ただ目の前にあるものをぼんやりと眺める。
そうしているといくらでも時間は過ぎました。
不思議なことです。
働いていたころは、暇な時間があると落ち着かないくらいだったのに。
晩は曾祖父が伝えたという村特有の鍋料理を食べ、なかなか寝入らない幼い弟のために他愛のないおとぎ話を語って聞かせます。
弟のお気に入りは、男の子らしく勇者の冒険譚。ここハルケギニアで一番親しまれている、イーヴァルディの勇者の物語です。
あんまり何度も話して聞かせたものだから、わたしはすっかり飽きてしまいました。
そこでわたしなりに考えて、新しいお話を作って聞かせてみたのですが、弟はすぐに勇者、勇者と騒ぎ立てます。
こういった幼い子ののめり込み方というのは、すごいものです。
物語の佳境、邪悪な竜と勇者が対決する場面にいたると、まるで自分こそが勇者であるとでも言うかのように目をらんらんと輝かせて鼻息荒く、わたしの話を聞いています。
そしてついに竜を倒れると、途端にこてりと眠ってしまうのです。
まるで役目は終えたとでもいうかのように。
おかげでお話は滅多に最後のめでたしめでたしまで行き着きません。
わたしはひとり、弟に無視された大団円の風景、勇者が囚われの少女の手をとり里へと連れ帰る場面を心の中で繰り返します。
わたしは――彼女のことが気になってしかたありません。
悪辣な豪族のひとり娘で、甘やかされて育ったお姫様。
邪悪な竜の生け贄として捧げられた哀れな少女。
たった一度だけ気まぐれから優しくしたおかげで、勇者様に助けに来てもらうことができた幸運な娘。
彼女は邪悪な竜に囚われていた間、どうしていたのでしょうか。
そして勇者が助けにきたとき、彼女はなにを思ったのでしょうか。
感謝か。歓喜か。それとも、わがままな彼女のことだから、一言の礼もなく、遅い、と勇者をどなりつけたかも。
――彼女にはほんとうに助けられる価値があったのでしょうか?
***
先生とルイズと三人で訪れたタルブ村は、聞いていた通り、のどかで何もない田舎にあった。
近くの町までジェシカの親戚だというおっさんが迎えに来てくれて、おれ達は牛に牽かれた荷車に乗って村へ向かった。
道の両脇には、丘いっぱいに延々と葡萄畑が広がっている。異世界というよりヨーロッパの田舎の方に観光しに来たみたいだ。
おれやルイズはどちらかというとそんな光景に気を取られていたのだが、先生は違った。
どうにも好奇心を抑えきれないらしく、おっさんにあれこれと質問している。
どうやらおれらの目的のブツ――『竜の羽衣』というマジックアイテムとされているもの――は、村の守り神になっているらしい。今は、村のはずれの寺院に祀られているそうだ。
聞けば、あるとき、ひとりの男がそれに乗って東の地からやってきた、とか。
「まあ、うちのじいさまのことなんですが。なんでもそれで空を飛んできたとか、」
「おお、それはすごい!!」
「いやあ、ほんとうのことだかも怪しいもんですよ。だれも見たわけじゃないし、じいさまも生涯大切にしちゃいましたが、結局ワケなんかは話さなかったそうですし。今じゃだれも使い方がわからんので、とりあえず守り神ってことにしてるだけで、はい。わざわざ来ていただいてアレですが、たいしたもんじゃあ無いですよ」
のんびりとした口調でそんなことを言うおっさんに、おれは肩すかしをくらった気分になった。大丈夫なんだろうか。
でも、先生はあきらめてないみたいだ。
そうこうするうちに村につき、先生は村長にご挨拶に向かった。
おれとルイズは、慣れない長時間の移動で強張った体をほぐすため、そこらを散策する。
魔法の使えない平民だけの村だからか、村全体にただよう素朴な雰囲気は、なんとなくばあちゃん家に遊びに来たときのような不思議な懐かしさがあった。
そんな穏やかな良いところだったのだが――村のはずれで場違いな連中を見つけた。
***
ふだんは静かな村が今日はずいぶんと騒がしい。街の方から客達がやって来たからだ。なんでも曾祖父の遺した『竜の羽衣』を見に来たそうだ。
それを聞いたわたしは少し憂鬱な気持ちになった。
村の守り神とされている『竜の羽衣』には、奇妙なマジックアイテムだという噂が立っているせいか、 時折こうした客がくる。
そして実際にそれを見た客達は、なんだかわからない代物だと馬鹿にしながら去っていく。
事実、わたしが見てもあれはなんだかわからないし、村の人にだってあまり大切に思われているわけでもない。
でも、あれは、変わり者だけど勤勉で評判だった曾祖父、その人が生涯大切にして、貴族様に『固定化』までかけてもらった『宝物』なのだ。
それを何も知らない人達に笑われるのは、ひどく堪らないことだった。
そんな思いからこっそり客の様子を覗きにいったわたしは、見慣れた制服にびっくりした。
わたしが働いていた学院の生徒達だった。
顔にもすこし見覚えがある。マントの色からして、二年生だろう。
たしかあの太った貴族様と薔薇を持った貴族様は春に決闘騒ぎを起こしていた。
太った貴族様のせいで薔薇の貴族様の浮気がばれて……そう、あの金髪をきれいに巻いた女の貴族様にふられたのよね。
みっともない泥仕合だったって、マルトーさんが言ってたっけ。
けっきょくもとの鞘に収まったのかしら。
赤毛と蒼髪の女の貴族様達はずいぶんタイプが違うけどいつも一緒にいる二人組。おふたりとも周囲から浮いているみたいだから、たぶんお互いしか友達がいないのだろう。
赤毛の貴族様は良く言えば行動的で悪く言えば奔放。ふだんから授業をサボって色んな男性とつきあったりしているらしい。
きっとあの方が『暇つぶし』に周りの方を誘ったのだろう。蒼髪の貴族様はご友人だし、本さえあれば他のことにはかまわない方だから、当然ついてくるでしょう。
他の方は……。
あの決闘でふたりの貴族様は周りの方々に軽んじられてしまったみたい。学院にはいづらかったのかしら。
巻き髪の貴族様は、まあ、わかりやすいわね。もともと薔薇の貴族様にわたし達メイドが話しかけただけでも不機嫌になる方だもの。
――と、そこまで考えて我に返った。
……やだ、わたしったら。
ひとり頬を赤らめる。
勤めていたころの『癖』で、ついつい彼らの関係を観察してしまった。
たくさんの人が暮らす学院では、貴族様方の人間関係を把握しておくことはとても大切なことだ。これを誤るとひどいトラブルになって最悪辞めさせられることになるので、私を含め平民の使用人たちは皆真剣に貴族様の『噂』を集めていた。
逆に、これらをよく理解していると、彼らを観察するのはとても面白い。
体面を常に気にしなければならない貴族様方は、お気楽な平民の目からするとときどき滑稽なくらい瑣末なことにこだわる。そしてそのたびに決闘だのなんだのと騒ぎ立てる。
――はやく頭を下げて謝ってしまえばよいのに、と思うのだが、それが貴族様の誇りというやつなのだろうか?
そんなわたしの不遜な疑問に、あるひとが答えた言葉を思い出す。
「貴族というのは恥を『かけない』のですよ」
貴族の責任は重く、広い。上に立つ貴族が過てば、その貴族につき従っている者達全員に咎が及ぶ。そこまで至らなくても、貴族が君臨者としての体面を失えば、社会が成り立たない。
学院に通う生徒達がそれをどこまで理解しているのかはわかりませんが、と前置いた上で、彼女は、偉い方になると特にそうだ、と言った。
「王となれば、これはもう絶対に認めません。認められないのです。それこそ、家臣を斬り捨ててでも過ちを押し通すしかない、」
そう告げたときの彼女――ミス・ロングビルの目はとても複雑なものだった。
ミス・ロングビル。
碧色の長い髪がとてもきれいな方。
今はわたし達平民と同じで家名を持ってないけれど、彼女も元は貴族様だ。学院では学院長の秘書をされていた。――今回、たまたまその職を辞されたところで、郷里に戻られるのに方向が同じだということでわたしも同行させていただいたのだ。
以前から料理長とは親しかったらしいのだが、わたしはあまり接したことはなかった。生まれに相応しい美しいお顔や常に理路整然とした振る舞いが近寄りがたく感じていたから。
けれど道中、気後れするわたしに対して、ミス・ロングビルはとても気さくに接してくれた。
なんでも、故郷に妹がいるのだという。――わたしをその妹さんに重ねてくださったのなら光栄なことだけれど……。
きっとその妹さんにも、ミス・ロングビルご自身にも、複雑な事情があったのだろう。
***
揃いのマントに星型の留め具をつけた貴族達が、わいわいがやがや騒ぎ立てながらたむろってる。
……修学旅行か?
学生風だと思ったら、都の近くにある『魔法学校』の生徒達だという。
すこし前まで、例の『みどりのおねえさん』が働いていたところだ。
映画みたいなのがリアルにあるらしい。しかも全寮制だとか。
やっぱり階段が勝手に動いたりするのかね?と好奇心をそそられ、気づいてないのをいいことに、じろじろ見る。
まず目を引くのは、なにやら挙動が大袈裟な、金髪のそこそこ顔立ちの良い男。
ばかみたいな白いフリルのついたシャツを着て、赤い薔薇を胸に差している。
あれをカッコイイと思っているなら、だいぶヤバイ奴だ。
その気障男の恋人らしい、金髪をがっつり縦ロールにした痩せ気味の女の子もいる。
……貴族のセンスはよくわからん。
まあまあ可愛いけどルイズにゃ負けるな。
それと蒼い髪の眼鏡っ娘。物静かでいつも本を読んでいるってのは、ある意味お約束。
でっかい杖がとても魔法使いらしい。
それから、赤い髪と褐色の肌をした素晴らしいプロポーションの美人。
――はて。どこかで見たような。
「ああっ」
いつぞやのボイン美人!
指差し叫んだため、向こうにも気づかれた。
「あら、貴女。トリスタニアの、」
美人の視線は、おれを完全に無視して、ルイズへ。
……まあ、そうだよな、あのときは一発でのされて潰れてただけだし。
「どなた?」
ルイズは首を傾げる。すっとぼけているわけではなく、素で忘れているようだ。
ほら、おれが召喚したての頃に街で遭った……。
「やあね、忘れちゃったの?」
すこし顔をしかめつつ、無造作に近づいてくる美人。
これは竜虎対決復活か、とおもいきや、態度は意外にもフレンドリーだった。なかなかさばけた姐さんタイプらしい。
「ああ、そういや自己紹介もまだだったわね。私はキュルケ・フォン・ツェルプストー、微熱のキュルケよ」
「……ルイズ。二つ名は別にないわ」
一応おれも名乗るが、変な名前と切って捨てられた。放っておいてくれ。
「それで、ルイズ。私達、暇つぶしに宝探ししてたんだけど、貴女は?ここの出身だったの?」
宝探しねぇ。小学生のころ、そんなことを言って裏山を探検したっけ。見つけたのはいくつかの毒キノコと不法投棄のゴミだったけど。
こっちならほんとにあるのかね、お宝。
好奇心にかられて戦果を尋ねるが、やっぱり、そんなうまい話はない。
「さんざんハズレ引いて、連れが飽きちゃってね。最後にせっかくだからと思って、ここの『竜の羽衣』っていうマジックアイテムを見に来たのよ」
「それって……」
「あら、貴女達も?」
おれ達が同じ目的と気づいたのか、にやり、と悪い笑みを浮かべるキュルケ。
もっともそれでも下品にはならないのだから、育ちはけっこういいようだ。
「残念ねえ、でもこういうのは先に来た者勝ちだから、私達が貰っていくわね」
――いや、あんた今「見に来ただけ」って言ってなかったっけ?
明らかに嫌がらせとしか思えない。
もしかして、ルイズに忘れられていたがお気に召さなかったのだろうか?
同様にその敵意を察したのか、ルイズの声が強張る。
「あら、そんなに簡単に村の守り神を譲り渡すかしら」
「もっちろん、ちゃーんとお代は支払うわよ。我がツェルプストー家はケチじゃありませんの」
「さすが、お金で誇りまで売り渡すゲルマニアの方は言うことが違うわね」
結局始まった舌戦は互角のまま、話は転がり、こじれ――いつのまにかそのマジックアイテムを賭けて決闘することになっていた。
おれが。
向こうの気障男と。
なぜ?
そもそもそれってこの村のものじゃないの?
ちなみに当初キュルケさんはルイズに決闘を申し込もうとしたのだが、周りの仲間に止められていた。……そりゃそーだ。
ま、うちのルイズなら早々遅れをとることはないだろうけど。
――根拠はない。単なる身びいき。或いは親ばかだ。
それはともかく。
そんなわけで、なぜか互いの連れで代打ち決闘ということになった。
ルイズは快諾。
理解不能な女の理屈に、同じく指名を受けた気障男とともに顔を見合わせる。
さあ戦いなさい、って。おれら、闘犬じゃないんだけど……。
「平民相手に決闘もどきなんて、父に知られたら何て言われるか、」
同じ気持ちらしく、向こうでも気障男がなんのかんの言っている。
しかし。
「あら、元帥の息子がこの程度のおあそびに怖じけづくのかしら?青銅のギーシュ?」
キュルケは逃す気はないようだ。完全に面白がっている。
これも暇つぶしの一環なのだろう。退屈した貴族ほど厄介なものはない、ってほんとうだな。
――あーあ、気障男も胸寄せられたくらいで、やに下がってんじゃねーよ。縦ロールが彼女じゃねーのかよ。
つか……、よくよく考えたら変なメンツだよな。男ひとりに女三人って。
ハーレム?
あ、なんかすげーやる気出た。
「きみ、そこの平民」
と、そのとき、尊大な小デブに呼びかけられた。連中と同じ制服を身につけているので、当然あいつらの仲間だろう。
なんだけど。
あれ?いたっけ、こんなやつ?……全然目に入らなかったな。
「えーと?」
「マリコルヌだ。いいか、平民。君に命じる」
「ンだよ」
丸子なるデブ貴族はなぜか怒り心頭の様子でおれに言った。
「この戦い、勝て!なんとしてでも勝て!いいなっ」
は?
「……お前、あいつらの仲間じゃないのか?」
「愚か者め!この戦いに平民だ貴族だなんてことは関係ないッ。なぜなら!これは!全ての持つ者と持たざる者の戦いだからだ!!」
「……モテる男とモテない男だろ」
目が血走ってる小デブ君に、思わず突っ込む。
男の嫉妬はみにくいよなー。
もちろん十秒前の自分は棚上げだ。
つか、おれをそっちにくくるなよ。
と言ったら、鼻で嗤われた。
「その軟弱な体、かっこいいよりも面白いと言われる顔つき、なにより全身からにじみでるマヌケぶり!――お前がモテる日なぞ、始祖がよみがえって世界を新たに創造し直さない限り、来ないに決まっている!!」
「う、うるへー」
畜生、言いたい放題、図星をつきやがって。
いいんだよ、この世界ではモテなくても!
だいたいおれにはルイズがいるし。
と、いまだに美人と陰険な応酬をしているルイズを見やる。
ほんと、負けず嫌いだ。
「あの盲目の娘?――うむ。確かに可愛い娘だな。顔が隠されているところが特にイイ」
神秘的だのなんだのと呟く丸子。
不謹慎な奴め。まあ、わからないでもないけど。……手ェ出しやがったらコロスぞ?
「で。彼女は元貴族のようだが。どんな関係だというんだ?」
「あ?」
……恋人、じゃないよなー。
話の流れ的にはそう言ってやりたいけど。やっぱ。
「犬と飼い主?」
「なに!?」
あ。違う、使い魔だ、使い魔!!
思わず素で間違えたおれは慌てて取り繕う。
ルイズがいつも犬呼ばわりするからだ。
とか思ってたら。
丸子デブの目つきがおかしい。
「イイな、それ」とか言ってやがる。
……ヤバイ、こいつヤバイ。奥さん、ここに変態がいまーす。助けてー。
その後、おもに腕ずくで落ち着かせてから訊くと過去にいろいろとあったらしく、気障男に一矢報いたい丸子がこちらに協力することになった。
もちろん、女の子に犬扱いされたくてハアハアしている豚野郎には心の底から近づきたくなかったのだが、放っておいたら勢いのまま本気でルイズに特攻しそうだったのだ。
そうなったら大惨事だ。
こいつが先生に消し炭にされるのはいい。
だが万が一、おれまで同類扱いされたら……。
死んでも死に切れん。
平賀才人。17才。
満ち足りた焼き豚より不満足な犬でありたい。
んなわけで、病気な豚を隔離するために、作戦会議である。
「ヤツは土のドットメイジだ、二つ名は青銅。ワルキューレというゴーレムを使う……で、やっぱり粗相をしたら鞭で叩かれたりするのか?」
「いい加減その話題から離れないと、おれがお前をミンチにしてやる……ゴーレムって土人形だよな、でかいのか?」
「貴族への礼儀がなってないな」
「変態にはらう礼はねーよ。いいから、ちゃっちゃと教えろっての」
いい加減イラついて、デルフをかちゃりと鳴らすと、「うっ」とか言って、息を呑んで黙った。
実は、というか、見た目通り、臆病者っぽい。
――これなら適当に脅しておけば大丈夫か。
そう考えたおれは目前の決闘に集中することにした。
相手は違うが、これは紛れも無いリベンジだ。
ぶさまなところは『見せ』られねー。
「しっかし、メイジひとりに青銅のゴーレムが七体かよ、タイマンの意味ねーな」
つくづく魔法って反則だ……。
「なにか良い案あるかな?デルフ」
「たいしたことないさね。おもいっきりぶった斬れ」
「えー、お前、折れちゃわない?」
「ばかやろ。誰に向かって言ってやがる。いつも言ってるだろ。俺様は6000年生きた伝説の魔剣よ!頑丈さは折り紙つきさ」
「ふーん」
息巻くお喋り剣。
なんか乗り気じゃね?と尋ねると、ようやく剣らしい役目が果たせそうだから、だと。
もしかして薪割に使ったこと根に持ってるのか?
「か、変わったものを持ってるんだな、平民のくせに」
なんか怯えている小豚に、そこを動くなよ、と言い置き、広場に向かう。
「じゃあ、やるか」
「ふ。まあ仕方あるまい、薔薇がレディの前でぶざまな姿をさらすわけにはいかないからね」
「……お前、大丈夫か?」
頭もだが、体も、だ。
気障男はいつの間にかボロボロになっていた。
「も、問題ない」
その手の薔薇もこころなしかしおれている。造花なのに。
背後には底光りする目をした縦ロール少女。
……嫉妬されるほど愛されてんなら、よそに手を出すなよな。
自分の背後を振り向き、ため息をつく。
ルイズはいつものように、例の唄を口ずさんでいた。ゆらゆらとリズムをとるように揺れる杖。――ちゃんと『見て』んのかね?
自分が決闘をけしかけたことなんてすっかり忘れているんじゃないかと思う。
「ま、いっか」
ほど良く力の抜けた肩で、ご主人様ののんきな鼻唄を背に、おれはデルフをかまえた。
気合いを入れ直したらしく、向き合う気障男はなかなか鋭い目をしている。腐っても武士の子ってやつか。あのときも、こんな目をした若い貴族に一発でぶちのめされたわけだが――不思議と恐くはなかった。
なんだか、とても調子がいいのだ。
いまなら、キングギドラにだって勝てるんじゃないかしらん。
「さあ、始めようぜ」
いざ、尋常に――勝負!!
***
物思いに沈んでいたわたしは、ふと顔をあげて、またびっくりした。
いつのまにか、黒髪の青い服を着た同い年くらいの少年が大きな剣を構えて、貴族様と対峙していた。
黒髪はわたし達一家の特徴だ。一瞬、弟の誰かかと全身が冷える思いを味わう。
けれど、それは知らない子だった。
――でも、どこかで見たことがあるような気がする。
そうこうする内にそれが始まった。
『決闘』だ。
貴族様が薔薇の形の杖を振る。
瞬く間に土くれが女性の形のゴーレムになった。
重そうな鎧をまとい、手には厳めしい武器を構えている。
その金属でできた人形は、操られているとは思えないなめらかな動きで、人と同じ速さで少年に迫る。
逃げもせず(できず?)に、少年は剣を振ってそれに応じようとした。
遠目の体格差は大人と子供のそれで。
当たるっ!!
一瞬で彼がばらばらに飛び散る姿を幻視したわたしは、身を竦めて目をつぶった。
鈍い金属音に、悲鳴が喉の奥ではねる。
けれどいつまで経っても少年の絶叫は聞こえない。
代わりの少女達の歓声があがり、驚きの声がする。
おそるおそる目を開くと、剣を持った少年がゴーレムを倒したところだった。
それも熱いナイフでバターを切るように、やすやすと金属のゴーレムを斬り伏せる。
そんな、冗談みたいな光景が広がっていた。
呆然とするわたしよりも先に、我に返った貴族様が、次々にゴーレムを作り出した。
囲い込んでしまうつもりだろう。
そうはさせまいと彼も走る。その体は弓矢のように速く、羽のように軽い。
跳び上がり、一体のゴーレムを足蹴に空を駆け。
空中で身を翻し。
輪を抜けると、そのまま。
背後から――真っ二つ!
ゴーレムにはひとつも手を出させない。
――すごい!すごい!すごい!!
まるで物語の勇者様のように、彼は戦っていた。
勇猛果敢に。
ひとかけらの怖れもなく。
気づけば、わたしは歓声をあげて、彼を応援していた。
***
「ふ、口ほどにもない」
カチャリ。最後のゴーレムを切り伏せたおれは、決めゼリフと共にデルフを突きつけた。
腰を抜かしたらしく、気障男――いい加減名前で呼んでやろう――ギーシュは、尻餅をついたまま薔薇を取り落とす。
「クソ、まいった」
「――聞こえないな」
「え?」
デルフの刃を返して、振りかぶる。
それを見たギーシュが、三枚目の表情になって、後ずさる。
うん。そうしているとお前、結構好感が持てるぞ。
「な、ななななにを!?」
「案ずるな、命までは盗らん。――峰打ちだ」
やべ、超楽しい。
おれ=悪役みたいだけど。まあいいや!
「止めるなデルフ!」
「あいよー」
「そ、そんなッ!!」
バッター才人、第一球、打ちまし……たッ!?
「ぎゃふんっ!」
びっくりするほど古典的な叫び――は、なぜかおれの口から飛び出た。
あれ?
なんだなんだなんだ!?
あたり一面まっくらで、頭の中の天地左右がばらばらになっていた。
あれ、なんでおれ尻餅ついてんの?あれ?あれ?
「ヴェルダンデ!」
気障男の歓声が上から響く。
――上?
そこで、ようやく自分が『落ちて』いることに気づいた。
地面にぽっかりとあいた穴の中。
そこに思いっきりハマっている。
――なんでこんなとこに穴が?
わけがわからないでいるうちに、すぐそばからなんとも言えない『音』が聞こえた。
……もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……
ぎゃー!でっかいなんかがいる!?
「デ、デルフ!? 」
「……相棒。手ぇ離しちゃだめだろー」
ボロ剣の声は遠い。どうやらホームラン級にすっぽ抜けたらしい。
「使えねぇっ!!」
八つ当たりに当たり散らしたところで意味はなく。
穴は見事にジャストサイズで、あわてるほどに身動きがとれなくなった。
そんなおれの耳元では。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……
うきゃあああ!?食べられる~!!?
「――食べるわけないだろう。ジャイアントモールの好物はどばどばミミズさ」
穴の上、逆光に立つ貴族。性懲りもなく、薔薇をかまえている。
ちっ、やっぱりお前なんか気障男で十分だ。
「さてと。よくもやってくれたね?平民君?」
「助っ人なんて汚えーぞ。しかもなんだよ、この馬鹿でかいモグラは」
「フン。決闘の作法も知らない野蛮人に言われる道理はないね」
くそ。やっぱりあれはまずかったか。
マジでキレてるっぽい。だが、ただでさえ狭い穴の中で、巨大なモグラにのしかかられては、どうしようもなかった。
「それに彼は僕の使い魔だ、名はヴェルダンデという。――使い魔は主と一心同体。彼の勝利は僕の勝利さ」
「使い魔?こいつが?」
……はじめてみる自分の同業者は、モグラ。
状況を忘れ、久しぶりに自分の『天職』にやるせなさを感じたりしているおれ。
そこへ。
「その理屈でいくと、サイトの負けはわたしの負けでもあるわけね」
ひやりとした声が降ってきた。
逆光にもうひとつ、昏い桃色がかった影ができる。
あわわわわ。
「ル、ルイズさん?あの、これはですね、」
必死に言い訳をするが、盲目の女神の裁定は無情だった。
「アンタ、メシ、ナシ」
晩?晩だけですよね?
ああ、もう、邪魔だこのモグラ!!
「ル、ルイーズッ。プリーズ、カムバックッ!」
去っていく小さな影に手をのばしていると、ようやくモグラがどいた。
と、いうか。
意外にすばやい動きで地上に出て、一直線に、
「きゃああああ!」
ルイズにのしかかったのである――って。おい。
「だあっ!なに、襲っとんじゃ!このクソモグラッ!!」
たぶんこのときのおれは落とし穴から飛び出る人間、世界最速だったろう。
だが――とき既に遅く、地上では惨状が広がっていた。
その有様に、おれは思わずたじろぐ。
というのは――
まず、ルイズは倒された勢いで面布がハズレかかったらしい。両手で顔を押さえている。そのせいで満足な抵抗ができない。
よって、じたばたと両足だけで暴れることになり、裾は乱れまくりだ。
そんな少女の上で小さなクマほどもあるモグラは鼻を鳴らし、胸元をまさぐり続けている。
つまり、一言で言うなら、
――このっ、淫獣がっ!!
なことになっていた。
その光景のあまりのヤバさに、さすがの気障男もあわてて使い魔を取り押さえ、なんとかことなきをえた。が。
「使い魔はちゃんと躾とけ!」
「急にどうしたんだい、ヴェルダンデ。なに?良いニオイがした?」
「聞けよ!!」
ダメだ、この馬鹿貴族、と呆れていると、
「――シテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシ――」
なにやら物騒な音の連なりが聞こえた。
本能でなにかを悟ったらしいギーシュとともに、ギチギチと鈍い動きで振り返る。
そこにはいまだに地面にぺたりと座ったままのルイズが、白木の杖をかまえていた。
小さな肩が大きく上下し、息は荒い。
そこにまぎれて、ぶつぶつとまるで呪詛のように長いルーン。
その顔の、布で隠れていない部分は真っ赤だった。
「「あわわわわわっ!!?」」
ヤバイヤバイヤバイ。
何の魔法だがまるでわからないが、本能が盛大に警鐘を鳴らしていた。
逃げなくては――だが逃げ場などこの世のどこにもないことも、なぜかわかっていた。
ギーシュとともにモグラに抱きつき、無力なひな鳥の如くうち震える。
やがて杖先に白い光が集まり、ちゅっどーん!!と盛大な爆発音が――
――響く前に、パッとルイズの杖先が取り押さえられた。
「……諸君、これは何の騒ぎかね?」
底冷えするような目をした先生が問いかける。
おれ達はその目に新たな恐怖を覚えながらも、とりあえず、地面にくだけ落ちた。
「「た、助かった……」」
それから?
もちろん、貴族も平民も使い魔も全員正座で、先生にお説教をくらいましたよ。
アンナニオッカナイ先生ハハジメテデシタ……ハァ。
ちなみにルイズはその間、ずっと先生の腕の中。
小さな声で延々とコロシテヤルとかユルサナイとか呟き続けていた。
時々、クスン、と鼻を鳴らしながら。
アンナニカワイイゴ主人様ハハジメテ…………あう、犬ごめんなさい。
***
***
翌日。結局、竜の羽衣もロクに見ずに連中は帰っていった。
何しに来たんだよ、と思わないでもないが、なんでも学校から呼び出し状が来たそうだ(ちなみに郵便はフクロウが運んでくるってんだから、ますます映画じみている)。
学校をさぼって来ていたらしく、出席日数が足りなくて補習だと。
その辺は異世界でも変わらないらしい。ていうか、宝探しで学校さぼるなよな……。
そういや、おれも帰ったらきっと補習漬けなんだろうな。それどころか――留年?
うう、現実コワイ。
なんて、モラトリアムぶるのは程々にして、とりあえず去っていく連中と挨拶する。
貴族らしく高慢だけど、そんなに嫌な奴らではなかったし、昨日のアレを共に体験したことで絆みたいなものが芽生えていたからだ。
巨大な青いドラゴン――風竜というそうだ。これも使い魔なんだとか。すげえ――に乗り込む貴族達。
「じゃあな、平民」
「サイトだよ、気障貴族」
「フ。ほんとうに貴族への礼儀を知らないヤツだな。まあ、いい。僕はギーシュ・ド・グラモン。青銅のギーシュだ。次に見(まみ)えたときは容赦はしないから、覚えておけ」
「ぬかしとけ。お前こそ次に会うまで、彼女に背中から刺されないようにしろよ」
「モ、モンモランシーはそんなことはしない!」
「じゃあ、別の女?」
「ギーシュ!誰よ別の女って!!」
「一年のシゲルのクラスのマリアンヌか、同じく一年の軽い巻き毛が眩しいマルゴーか……」
「一年生!また一年生なの!?」
「マリコルヌ!お前、また僕の秘密を――って、いや、違うんだって、モンモランシー。聞いてくれ、僕の美しいひと!」
「おいおい、痴話喧嘩は帰ってからにしろよー、って聞いちゃいねぇか」
ふと隣を見ると、蒼髪の女の子がおれを見ていた。眼鏡っ娘だ。ルイズくらいちっこいのに、彼女がこのドラゴンの主なのだという。
「君は?」
「タバサ。雪風のタバサ」
「おう、おれはサイト。変な名前とか言わないように」
すると、なぜかおれをじっと見つめて、彼女はこくりと頷いた。
うん、いい子だな。ものすごい無口だけど。
そんなおれ達の後ろではルイズと例のキュルケが話をしている。
「ルイズ。やっぱり私、貴女と会ったことがある気がするんだけど」
「覚えがないわ」
「そう?ほんとうに?」
「下手な口説き文句ねえ。貴女、ほんとうにもてるの?」
「あら、この微熱のキュルケ様にかかったら、あなたなんて一晩で消し炭よ?」
「ハイハイ。うぬぼれは人につけ込まれるスキになるわよ」
「言うわね」
仲が悪いのに良いふたりの会話を聞いていると、じつは結構いい友達になれるんじゃないか?と思える。赤毛と褐色の背の高いキュルケと、小柄でブロンドのルイズは、外見的には対照的だが、そばにいると姉と妹みたいに見える。
ま。それでも街に帰れば、こんな風に気軽な会話を交わすことはないんだろう。
それぐらいにはおれにもこの世界の身分の違いというものがわかるようになった。
納得するわけではないけれど。
「ぎゃあ落ちるぅぅぅぅ」
「うるさいのねきゅいきゅい」
「もう、しっかり掴まってなさいよ」
――騒々しくも面白い連中は、やっぱり騒々しいまま去っていく。またな、とまるでフツウの友達同士みたいに挨拶を交わしながら。
でも、もう二度と会うことはないんだろうなー、と思いつつ、おれは手を振る。
見る間に小さくなっていくその姿を見送りながら、ふと隣に立つルイズに尋ねた。
「なあ、ルイズ?」
「なあに、負け犬?」
「負け犬言わないでくださいお願いします」
「はいはい」
「いや……、お前も学校とか行きたいのかなーと思ってさ、」
「馬鹿ね、あんなの子供の行くところでしょ」
「…………」
「なにか言いたいことがあるなら言ってごらんなさいよ、負け犬?」
「イエ、ナンデモナイデス」
「ふぅん。あんた、昨日からまるで反省してないわよね?」
「ソンナコトハナイデスヨ、ハイ」
ぽんぽんと掌を杖で叩くルイズ。おれはくるりと踵を返し、猛ダッシュを始めた。
「なに逃げてるのよーっ!」
「ちょっとした本能だー!」
***
***
わたしの目の前で、剣がしゃべっていた。
「あーあ。どうせ誰も俺のことなんか覚えてないんだろうね……」
一本の幹に根深く刺さった剣。錆びついた柄の金具ががちゃがちゃとひとりでに鳴る。
少年の手を離れて、宙を舞い、わたしのすぐそばの樹に突き刺さった剣。
彼はあろうことか、愚痴までこぼしていた。
目の前をかすめた刃に腰を抜かせていたわたしは、おそるおそる近づく。
「あの、大丈夫ですか?」
自分でもちょっと馬鹿みたいな質問だと思う。
けれど彼はうれしそうに応えてくれた。
「お!ちょうどいいや、嬢ちゃん。ひとつ頼まれてくんない?俺を相棒んとこまで連れてってほしいのよ。どーも、忘れられちゃってるみたいなんでね」
「は、はあ。かまいませんけど。――あの、ひとつお尋ねしてもよいですか?」
「なに?ひとつと言わずなんでも聞いて?」
しかも、けっこう人懐っこい。
「では遠慮なく……。まず、あなたはマジックアイテムなんですか?」
「いんや、俺様はインテリジェンスソードよ、名前はデルフリンガー」
「インテリジェンス?」
「そ。かしこいの」
魔法で作られたマジックアイテムの一種だけれど、使うのに魔法はいらないそうだ。
「じゃあ、あの方は?貴族様じゃないんですか?」
「相棒?いんや、メイジでもないぜ。お前さんと同じで、魔法の使えない平民さね」
「そんな。じゃあどうして!?貴族じゃないのに、どうしてあんなに強いんですか!?」
「そりゃあ、俺がいるからな。俺がいなけりゃ、相棒はただのお調子者。杖のないメイジ、祈祷書のない神官ってな」
剣はけらけらとひとしきり笑った後、「ま、いてもこうなったけど……」と自虐的に呟いた。
「なあ、嬢ちゃん。そろそろ下ろして――」
「わ、わたしでもあなたを使うことはできますか!?」
気づけばわたしは剣にしがみついていた。
「へぇ?こいつは、おでれーた。嬢ちゃんが俺をかい?」
「変、でしょうか?」
「うんにゃ。使い手の中には女もいなかったわけじゃないし」
「そうなんですか?」
「うん、たぶん。――でも、なんで?」
「その……わたし……」
一瞬、躊躇する。バカみたいな理由が頭をよぎる。
ええい、かまうもんか、と目をつぶって叫んだ。
「衛士になりたいんです!」
***
※4.04 シエスタ視点を追加。