第60話 「旅行は場所より人が重要?」
【大宮駅】
「なんでお前達はもういるんだ?」
修学旅行当日の朝、決められた時間よりもかなり早く集合している生徒達に向かって後藤保健医は呆れ顔で問いかける。
「なに言ってるんですか!? 後藤先生! 修学旅行ですよ、修学旅行! 京都ですよ、京都!! もう楽しみで楽しみで始発で来ちゃいましたよ!!」
朝からテンションがMAXになっている3ーAの元気印バカピンクこと佐々木まき絵は対照的なほどテンションの低い後藤に向かって抗議を込めて説明する。
「まだ時間まで30分以上あるぞ」
腕時計を見ながら現在時刻を確認する後藤。
教師の集合時間は出発前の最終確認のために生徒達より
1時間早くなっているはずなのだが、後藤が到着したのは生徒集合時間の30分前。完全に遅刻だ。
「後藤先生は30分遅刻です」
「………申し訳ない。昨日の夜、飲み過ぎまして」
「ダメですよ。それじゃあ、生徒に示しがつきません」
「申し訳ない」
時間通りに来ていたネギに指摘され、ボサボサの頭で平謝りする後藤。子供に叱られる二日酔いの未婚女。適当に結んだ髪と目の下の隈が情けなさを倍増させている。
その後ネギに代わって学年主任の新田教諭にこってり絞られた後藤は沖に打ち上げられた魚のごとくぐったりとベンチにもたれ掛かるのだった。
新田教諭曰く、「まったく、修学旅行で生徒よりも先に教師を叱ることになるとは」とのことだった。
「なんだか気合い入ってますね、ネギ先生」
「そうですね、彼にとっては初めての大きい行事ですし。緊張しているのかもしれませんね」
後藤としずなは時間が近づき集まりだした生徒をまとめるために歩き去ったネギを見送る。後藤はしずなに買ってきてもらったミネラルウォーターを飲みながら、生徒と会話をしているネギを見ていたが、その姿にはどこか違和感があった。
ネギの頭脳はとても優秀で賢い子供だが、それでも普段は年齢相応の明るさや無邪気さを垣間見ることができた。しかし今のネギにはそれがない。どこか堅く、いい意味で捉えれば大人びているようにも見えるが、後藤にはネギが無理をしているように見えてしかたなかった。笑顔は見せているが、自然な笑顔とは言い難い。
「この前のこと、まだ気にしているですかね?」
「それはそうでしょうね。彼は真面目ですから。いくら周りが慰めても、本人が納得できない内はどうにもならないでしょうし」
ネギを見つめたまま後藤はしずなに話しかけた。別に返答を期待したわけではなかったが、しずなもネギを見つめたまま後藤に応える。
ネギはアンドヴァリの指輪に意識を奪われいた間のことを朧気ながら覚えていたのだった。体を竜に変えられ、学園施設を破壊し、人的被害まで出してしまったことをずっと悔いていたのだった。もちろん周りの関係者達は寧ろネギは被害者であり、ネギ自身が気に病むことなどなにもないのだと慰めたが、あまり効果はなかった。
「それに今回ネギ先生は学園長からお使いを頼まれているようですから。それも原因の一つじゃないかしら」
「ああ、そういえば、そんなこと昨日言ってたな。あの爺」
「昨夜は学園長と飲まれてたんですか?」
「学園長とエヴァンジェリン、それにフェンリルだ。あいつら自分達が居残りになる腹いせに私にしこたま飲ませやがって……ウプッ」
後藤は口に手を当てて胃から競り上がる内用物を必死に抑え込んだ。旅の無事を祈って開かれた宴会は夜を徹して続けられ、その場で唯一旅行に参加することになっていた後藤は三人に執拗に飲まされたのだった。
「しかし、修行の一環とはいえ、ネギ先生も面倒なことを頼まれたもんだな。無理しなければいいけど」
「そうですね。その分しっかり先輩である私たちがネギ先生をフォローしてあげないと。二日酔いでへばってる場合じゃありませんよ、後藤先生」
「………重ね重ね申し訳ない」
しずなは後藤の髪をブラシでとかしながら、気合いの入った笑みを浮かべるのだった。後藤を叱咤する言葉にも別に嫌味を言うつもりはないようで、屈託なく後藤に笑い掛ける。
ネギが学園長に頼まれたお使いとは、日本において麻帆良学園が所属する関東魔法協会と対をなす組織、関西呪術協会へと赴き、特使として友好のための親書を渡すというものだ。
学園長にとってはネギの魔法使い修行の一環程度の認識だったのだろうが、ネギにとっては不仲である東と西を結びつける大役を任されたことは、先日を失敗を取り戻すための絶好の機会であり、汚名返上、名誉挽回のチャンスだ。
(絶対に失敗できない)
ある程度ネギの事情を知っている魔法関係者にとっては緊張を帯びたネギの表情から彼が何を考えているのか読みとるのはいとも簡単なことだった。
「ガチガチだな」
「ガチガチですね」
それぞれ同じ感想を漏らす後藤としずな。ネギの緊張は周囲にも伝播しているようでいつもならネギの周りに集まってくる生徒達も彼を遠巻きに見るだけで近づこうとしない。数人の生徒はネギを心配そうに見つめているが、それでもネギに直接声をかけているのは彼の緊張の理由を知っている明日菜だけだ。
「しずな先生、ネギ先生に言ってきてもらえないか? もっと肩の力を抜けって」
「私がですか?」
「私が言っても説得力が無いだろ」
後藤は自身を指で指し示す。確かに二日酔いでヘたり込んでいる遅刻教師の姿は力の抜けた見本ではあるが、とても自分のようになれとは言えない姿だ。
「まぁ……確かに」
「そこは私へのフォローも兼ねて否定するところだろ」
「私にはそんな晴れている日に雨が降るのは当然だと言うような奇想天外なボキャブラリーはありません」
「そりゃそうだ………あ」
後藤はしずなの言葉に自分の情けなさを再確認したが、それと同時にネギに近づく人影にも気がついた。
ネギを遠巻きに見ていた人だかりが、その人物が通る道を作るようにして周囲へ散っていく。
「ネギ先生」
「新田先生? どうかしましたか?」
ネギに近づいたのは新田だった。声をかけられネギは首を傾げて問いかける。
「少し肩に力が入り過ぎていませんか? 大きい行事で緊張しているのはわかりますが、今からそれでは身が保ちませんよ」
微かに聞こえてくる新田教諭の言葉に顔を見合わせる後藤としずな。図らずも二人が行おうとしていたことを先に新田がしてしまった。別に先を越されて悔しいなどという感情が芽生えることはなかったが、どうにも気まずく頬を掻いてそれを誤魔化す。
「あの……でも、新田先生も同じじゃないですか」
ネギは彼と同じように張りつめた空気を周囲にもたらしている新田が今のネギを否定することに違和感を感じ、軽い非難を込めて再度問いかける。正確には新田のそれは緊張ではなく彼自身の雰囲気の持つ性質であり、ネギのそれとは意味合いが異なるのだが、ネギには自分が緊張しているという自覚がない。
「確かに同じかもしれません。だが、これは私自身の教師としての役割。生徒に厳格に合い対し、規律を守るのが私の教師道です。ネギ先生はネギ先生らしく生徒達に接してあげてください」
「僕らしく?」
「別に甘やかせと言っているわけではありませんが。生徒達と心から打ち解け、笑い合える教師というのは私の理想の教師像です。残念ながら私はそうはなれなかった」
新田はどこか遠い目をしながら厳しくすることでしか生徒達を律することのできない自分の不器用さを悔やんでいた。若過ぎるほどに若くあらゆる可能性を秘めるネギに自分の過去の理想を想い描いていたのだった。顔は相変わらず厳めしいままだが、眼鏡の奥の瞳にはどこか憂いを帯びている。
「私のような年輩では生徒という若木を曲がらぬように育てる添え木程度にしかなれませんが、ネギ先生なら生徒達を大きく育てるための光にも水にもなってやれるはずです。短い旅行ではありますが、それぞれの役割をこなして生徒達に良い思い出を作ってあげましょう」
「は、はい!」
新田は言葉を締めくくるようにネギの肩を軽くポンポンと叩いた。聞き入っていたネギもそれを合図に硬直を解き、少し明るさの戻った声で返事をするのだった。
精気を取り戻したネギの表情に満足したように頷くと新田は背を向けて歩き去って行った。その背中を見つめながら、ネギは決意を新たにしていた。
(そうだ。今の僕はみんなの先生なんだ。自分のことばかりじゃなくてみんなのこともちゃんと考えなくちゃ!)
ネギは余裕が無くなるあまり修学旅行を魔法使いとしての一面でばかり捉えてしまっていたことを恥じると、頭を軽く振るって思いを改める。
(親書はしっかりと届ける。でも、3ーAのみんなのこともちゃんと見る!)
やらなければならないことや考えなくてはならないことは増えたが、教師という生死のかからない日常を思考に加えることはネギにとって精神的な余裕を持たせる効果を十分に発揮させていた。張りつめてばかりだったネギの雰囲気にいつもの明るさが戻る。
ネギは切り替えが早いわけではなくどちらかと言えば、悩みを引きずるタイプの人間だ。それでも気持ちを切り替えられたのは考えることが多くなり過ぎて思考が停止してしまったのだった。今回はそれがいい方向に働いていた。
「3ーAの皆さん! そろそろ出発の時間ですから班ごとに整列してください!!」
緊張の解れたネギの声にネギを心配そうに見ていた3ーAの一団や後藤、しずなからは安堵のため息が洩れた。
ネギの気持ちの切り替えが伝播し、3ーAの生徒の表情にも明るさが戻っていく。
「どうやら私達が声をかける必要はないみたいだな」
「そのようですね」
ネギや生徒達の気持ちの切り替えの早さに感心半分呆れ半分で後藤としずなは顔を見合わせるのだった。
【新幹線内】
とりあえずネギ雰囲気も和らぎ、無事に駅を出発した麻帆良学園教師生徒一同。生徒達は思い思いに京都までの道中を過ごしていた。
友人同士でおしゃべりに興ずる者。前日にはしゃぎ過ぎて眠れず今になって爆睡してしまう者。誰とも話さず音楽を聴いている者。肉まんを売り歩く者。その肉まんの食べ過ぎで苦しむ者。それを介護する者。流行のカードゲームを楽しむ者。
それぞれの方法で時間を潰す中、ヨームは高速で流れていく窓の外の風景を目を輝かせながら見つめていた。
「何か面白いものでもあるの? ヨームちゃん」
あまりに真剣な眼差しをして外を見ているので、近くに座っていた裕奈は何があるのかとヨームの視線を追う。だが、その先にあるのは流れていく風景だけで特に興味がそそられるようなものは見当たらなかった。
ヨームは一度裕奈を振り返り、輝く瞳で口をパクパクと動かす。手話をすることも忘れて、ただただ声を出さずに口だけ動かしていた。
「え? なに?」
当然裕奈にはヨームが何を訴えているのか分からず首を傾げるしかない。ヨームはそれを気にした様子もなく、また窓の外へと視線を戻してしまう。
「すごく速いって、言ってるんでござるよ」
「ふ~ん、もしかしてヨームちゃんて新幹線に乗るの初めてなの? てゆーか、楓さん、よくヨームちゃんの言うこと分かるね」
首を傾げる裕奈にヨームの隣に座っていた楓がヨームの「言葉」を通訳してみせる。手話をしていないヨームの言葉を理解できている楓が不思議でさらに首を傾げてしまう。
「唇の動きを読んでいるんでござる。読唇術というやつでござるな」
本来ヨームは手話ができる茶々丸と同じ第6班に所属しているはずだった。しかし6班はエヴァンジェリン、茶々丸、その他1名が当日欠席したため消滅してしまった。なので同じく6班だった刹那は5班へ、ザジは3班へと振り分けられ、ヨームはヨームの言葉を理解できる楓の所属する2班へと振り分けられたのだった。
楓は確かに読唇術によってヨームの「言葉」を読みとることができるのだが、それ以前に楓はフェンリルと契約したことでフェンリルにしか聞こえなかったヨームの声を聞き取ることができるようになっていた。
もちろんそんなことを一般人に言えるわけもなく読唇術だということにしているのだった。
「あ、またなにか。今のはなんて言ったの?」
ヨームは再び振り向き何かを「話す」。
「電車よりも速い……だそうでござる」
「まぁ、確かに鈍行よりは速いよね」
新幹線も電車の一種だというツッコミは楓の翻訳を聞いていた誰もが思い浮かんでいたが、敢えて否定することしない。
『でも、兄様はもっと速いよ』
ヨームは窓から離れると、今度は楓の腕にしがみつき、自慢げにフェンリルのことを話した。裕奈はその様子を見て、楓が翻訳するのを待つ。そしてヨームも早く訳せと軽く楓の体を揺する。
「ああ、かもしれんでござるな」
しかし楓はヨームの「言葉」を翻訳せずに流すように答えるだけだった。翻訳をしない楓に裕奈は疑問符を浮かべ、ヨームは楓が翻訳してくれないことに不満げに口の先を小さく尖らせる。ヨームはなんとか裕奈に自分の言いたいことを伝えようと口を動かすだけでなく手話も加えて何度も繰り返すが残念ながら兄の自慢話を裕奈に伝えることはできなかった。
「ヨームちゃん、今なんて言ったの?」
「いや、その……ヨーム殿の兄上の話を少々」
「へぇ、ヨームちゃんってお姉ちゃんだけじゃなくてお兄ちゃんもいるんだ。どんな人?」
質問に答えようとヨームは必死に手話を繰り出すが、どれも翻訳できるようなものではなく、楓は押し黙るしかなかった。
「裕奈~、こっちでゲームしようよ~!」
「あ、うん。今行く~! 楓さん、ヨームちゃんまた後でね」
ヨームが手話に苦戦している内に裕奈はカードゲームをしていたまき絵たちに呼ばれてこの場を去っていってしまった。
最後まで聞いてもらえなかったことでヨームの不満はよりいっそう大きくなっていく。
「ーーーーーっ!!」
ヨームは頬を膨らませながら、楓の腕にしがみついた。そして訳してくれなかったことに対する抗議を込めて精一杯の力で握りしめる。
ヨームが本来の世界蛇の姿であれば大陸を破壊しかねない力が込められているはずなのだが、いかんせん今のヨームはひ弱な少女でしかない。鍛え上げられた楓の肉体にはわずかな苦痛を与えることも叶わなかった。寧ろ、マッサージになってこそばゆい程度にしかなっていない。
ただヨームはやはり真剣なようで輝いていた瞳は潤み、涙が浮かんでしまっている。
「悪かったでござるよ、ヨーム殿。しかし、フェンもヨーム殿も立場が立場でござるし、どんな些細なことから正体が露見するかもわからんでござる」
楓は裕奈が危険だと思っているわけではないし、多少フェンリルの情報が伝わったところで誤魔化すのは簡単なことだ。しかし先日のフェンリルと後藤の会話から極力情報の漏洩を防ごうとしていた。
情報を秘匿することはフェンリルやヨーム本人の安全だけでなく、一般の生徒達の安全を守ることにも繋がる。
「フェンのためにもフェンの話は他人にはしない方がいいでござる」
楓はヨームに耳打ちすると、ヨームが落ち着くまで頭を撫でてやるのだった。
ヨームは小さくを鼻をすすりながら、楓の忠告を受け入れてコクリと頷く。しがみつく力は弱くなったものの、ヨームはその後もしばらく楓にくっついて離れようとしなかった。
「お、ヨーム嬢はかえでサンにべったりネ」
数分してヨームが落ち着いた頃、新幹線内で肉まんを売り歩いていた3ーA生徒の超鈴音が戻ってきた。引っ付く二人をまるでいちゃつく恋人同士を冷やかすように話かける。車内を無断で販売所にするのが法的にどうかは微妙だが、JRにしっかり許可をとっているあたりは超が完璧超人と呼ばれる所以の一つだろう。
「超殿、丁度いいところに。肉まんまだ残っているでござるか?」
「ん? かえでサン、また食べるカ? 運がいいネ、最後の一個だけ残ってるヨ」
「では、それを頂くでござる」
「毎度あり~ 友情価格の100円ネ」
楓から100円を受け取ると、超は首に下げたバンジュウから肉まんを取り出して楓に手渡した。超のバンジュウには彼女の作ったハイテク機器が仕込まれているらしく肉まんからは出来立てのように湯気が上がっている。皮の甘い匂いと微かに香る肉の香りが食欲をそそる。
「ヨーム殿、食べるでござるか?」
楓は肉まんをヨームの鼻先へと持っていくと、誘惑するように軽く振ってみせる。
ヨームはすぐに受け取ろうとはせず、視界に入った肉まんを、そしてそれを持つ楓を順に見つめた。
"肉まん程度で私の機嫌を取ろうなんて。安く見られたものね!!”
などと考えていたわけではない。
ヨームは肉まんを受け取ると、口を付けることなく、じっと肉まんを見つめるのだった。そして意を決したように肉まんを二つに割る。
『ごめんなさい』
ヨームは割った片方を楓に差し出しながら謝罪する。両手が塞がっていて、口もほとんど動いていなかったがこの場で楓にだけは「聞こえて」いた。
「いやいや、フェンの話なら拙者がいつでも聞くでござるよ」
『ありがとう、楓』
ヨームの謝罪がわがままを言ったことについてなのか、楓の腕を締め上げたことに対するものなのかは定かではない。楓は肉まんと共にヨームの謝罪を受け取ると、ヨームの頭をグリグリと撫で回す。楓の言葉を聞いてヨームの表情にもようやく笑顔が戻る。
二人は二人の間でしか通じない「言葉」で会話しながら、分け合った肉まんをたいらげるのだった。
ちなみに学園を出てから肉まんを食べた数は、釘宮円は1個、和泉亜子が3個、古も同数で3個、楓は3.5個。
そしてヨームは9.5個。今では超が経営する超包子の立派なお得意さまだ。
「キャ…キャーー!?」
「カ…カエル~~~~!?」
「な、何事でござる!?」
突如として車内にハルナや裕奈の叫び声が響きわたり、賑やかだった車内はその様相を喧騒へと様変わりさせる。叫び声に驚き、楓は席から腰を浮かして周囲を確認するが、そこには楓にとって地獄絵図が広がっていた。
なぜか生徒達が持ってきていたお菓子や飲み物の中身がカエルへと変化してしまい、逃げ出したカエルが車内を処狭しと跳び回っていたのだ。
多くの生徒がどうしていいか分からないまま叫び声を上げる。動ける生徒とネギはなんとか状況を収拾しようとカエルを捕まえようとしたが、あまりに数が多く、そう簡単にはいかなかった。
皆が混乱し、奔走する中ヨームだけは目を輝かせている。それも窓の外の眺めていた時とは比べものにならないほどのキラキラとした輝き周囲に放っていた。
「あ、ちょっと! ヨーム殿!?」
ヨームは楓が止める間もないほど素早く立ち上がると、ネギ達に協力するようにカエルの回収を始めてしまった。
「ヨームちゃん、すごい。どんどん捕まえてる」
共にカエルの捕獲をしていた明日菜は思わず感嘆の声を上げてしまう。なんの躊躇いもなくカエルを素手で掴んでいることもそうだが、逃げ回っていたカエルがヨームの前ではまったく動かなくなってしまった。動かないカエルをヨームを次々に袋に投げ込んでいく。
「カエル108匹回収終わったアルよ……ん? ヨム、これが欲しいアルか?」
カエルを回収し終わり、ネギが事態を収拾しようと奔走する中、ヨームは古の持っていたカエルの入ったビニール袋をじっと見ていた。手話をしなくとも視線だけでヨームの意志を読みとることのできた古は何度も頷くヨームにビニール袋を渡してやるのだった。
ヨームはカエルを受け取ると自分の席へと駆け戻っていく。
『楓、楓! 見て見て!!』
「ヨーム殿? カエルはもういないでござるか?」
楓は大きな体を縮こまらせて、耳と目を閉じ、突如として訪れたカエル地獄が過ぎ去るのをじっと待っていたのだが、ヨームに「声」をかけられ恐る恐る顔を上げる。頭に直接響くヨームの「声」は耳を塞いでも聞こえてしまう。
だが、顔を上げた楓の前には………
「っ!!??」
大量のカエルが入った大きなビニール袋。
108匹のカエルが固まりで蠢く光景はカエルが苦手でなくても引いてしまうようなグロテスクなものだ。楓の表情は一気に青ざめ、額からは脂汗が吹き出す。
『さっきのお礼。食べて!』
ヨームがビニール袋をさらに突き出し、楓の鼻先にまでカエルを近づけると、楓の顔色は青から紫に変色してしまった。
別にヨームは楓に嫌がらせをしようなどという悪気があるわけではない。彼女にとっては間違いなくこれがご馳走なのだ。
「……拙者……爬虫類でも昆虫でも平気なんでござるが……カエルだけは……カエルだけは……ダメなんでござる」
楓は絞り出すようにしてなんとかカエルが苦手であることをヨームに伝えようとするのだが、残念ながらか弱すぎるその声はヨームの耳まで届いていない。
『はい!』
ヨームはダメ押しとばかりにカエルを一匹袋から取り出し、再び楓の前に突き出す。
「………………う」
楓は最後に小さく呻くと、事切れるようにして気絶組の仲間入りを果たしてしまうのだった。
『あれ? 寝ちゃったの? 楓? 楓?』
楓がヨームの呼びかけに応えられるはずもなく、京都に着くまで目を覚ますことはなかった。
仕方なく、自分でカエルを食べようとしたヨームを周囲が慌てて止めたのは別の話だ。
ちなみにその横ではネギが親書を奪われてしまっていたりしたが、楓は気絶中、ヨームは明日菜や委員長によって拘束中でそれに気づくことはなかった。
【????】
「悪いな、学校休んだんだろ?」
「いえ、これも修業の一環なので。気にしないで下さい」
フェンリルと愛衣は並んで歩き、立ち並ぶ無数の鳥居を潜っていた。あまりに多い鳥居の数に無限に続いているのではないかと錯覚するような光景だ。
愛衣は学園の制服ではなく白を基調としたワンピースに黒いフリルをあしらったものを着ている。フェンリルは当たり前のことながら獣の姿で衣服などは着ていない。ただ首に白いバンダナを巻きつけているので元々の黒い毛並みと相まって、二人はペアルックのようにも見える。あまり接点のないフェンリルと愛衣だが、今は二人きりで雑談しながら道中を共にしていた。
「あんたのことはあんまり好きじゃなかったんだが……悪い奴じゃなさそうでよかった。ヨームも世話になっているし、感謝してる」
「え、いえ、そんな私は別に………って、え? 好きじゃなかった? 私、何か失礼なことしたでしょうか?」
素直に礼を言ってくるフェンリルに逆に恐縮してしまう愛衣だったが、フェンリルの言葉の別のところに引っかかってしまい首を傾げる。自称するつもりはなくとも愛衣は「かわいい」と形容されるには十分な顔立ちをしている。態度も謙虚で第一印象で嫌われることなどほとんど無いのだが、フェンリルにははっきりと好きではなかったと言われてしまった。過去形なのだが、それでも愛衣は理由が知りたくて仕方なかった。
「初めて会った時に”あんな“ことされれば誰でも警戒すると思うんだが……」
「え? え? あんなこと? 私なにかしましたか?」
愛衣はフェンリルの言う「あんなこと」が一体どんなことだったかが分からず、さらに疑問が増えてしまう。
フェンリルと愛衣の顔合わせは数日前、高音の紹介だった。最初はヨームの兄であるということや、「フェンリル」という怪物が転生した姿だということに驚きと警戒を示した。しかし、高音の紹介、学園長の保障、ヨームの兄、そして今と同じようなフェンリルのそれなりに理性的な言動という4つの要素は愛衣の警戒をある程度緩める効果があった。出会った直後もそれほどあからさまに警戒を表に出した覚えの無い愛衣は一体なにが悪かったのか分からなかった。
「覚えてないか? 学園にある森の中で。同い年ぐらいの女と一緒にいただろ?」
「森? 同い年の女?」
「目のところにガラスを……え~と、あ~メガネとかいうのを付けた女だ。そいつと一緒に俺を捕まえようとしただろ?」
「……………あ、あ~~」
なんとか思い出そうと、歩きながらも宙を睨んで唸る愛衣だったが、記憶の糸を手繰り寄せることに成功していた。片方の掌に、片方の拳を打ち付けるという古典的なアクションをしてみせる。
「思い出したか?」
「あ、はい。でもあの時にあったのはこんなちっちゃい子犬でしたけど………」
確かに愛衣は夏目萌と共に不思議な獣と森で出会っている。しかし愛衣の記憶では、出会ったのは小さな子犬であり、今のフェンリルとは似ても似つかなかった。動物の成長が人間よりも早いとは言え、ほんの数ヶ月での変化としては在り得ないものだった。正確に言えばフェンリルの成長の異常さはここ数日のもので、中型犬程度の大きさから超大型犬と呼ばれるほどの大きさにまで成長していたのだ。後ろ足で立ち上がれば、愛衣の身長を軽く凌駕し、体重も50キロを超えている。
「あんなに可愛かったのに………」
愛衣は一度足を止めてフェンリルを鼻先から尻尾までじっくり観察すると、残念そうにポツリと洩らした。フェンリルの今の姿には愛衣が愛らしいと感じた面影はまったく無い。
「可愛くなくなって悪かったな」
「あ、いえ、失言でした。今でも可愛いと思います。すいません………そうか、だからあの時……」
愛衣は当時を思い出し、一人唸る。あの時愛衣はただの子犬に自分の魔法が破られてしまったことを思い悩み、軽いノイローゼになってしまった。だが、相手が「フェンリル」などという怪物であったのならば拘束魔法が容易に破られてしまったのも納得できるというものだ。今となってはそれほど気にしていなかったが、それでも自分の失敗ではなかったという事実に胸を撫で下ろした。
「っ!?」
「どうした?」
一度は胸を撫で下ろし脱力した愛衣だったが、あることを思い出し再び顔を強張らせてしまう。フェンリルは急に雰囲気の張り詰めた愛衣を一瞥すると、不審げに首を傾げた。
「あ、あのですね……あの時、フェンリルさんを捕まえようとしたのは……その……怪我の手当てをしようとしたわけで………別に敵意があったわけでは……」
愛衣はしどろもどろになりながら、フェンリルを拘束しようとした理由を弁明した。フェンリルが愛衣を恨んでいるような素振りはまったくなかったが、それでも誤解されたままで気が気でない。
「生まれ変わった後、初めて会った人間にいきなりあんなことされたからな………今ではもう完全な人間不信だ」
フェンリルは溜息を吐きながら、愛衣の弁解を跳ね除けてしまう。
「そんな………」
「冗談だ。あれぐらいのことで俺の人間への評価は変わらない。それにどちらにしても俺はあんたに感謝してる」
「そ、そうですか」
フェンリルの言葉に愛衣は安堵していたが、別にフェンリルの人間への評価は高いわけではない。人間だけではなく、神族や巨人族を含めた全ての種族の醜い部分や腐った部分を長い間見てきたフェンリルにとっては大したことではないという意味だ。
そして愛衣の目的が捕縛であったにせよ、治療であったにせよ、愛衣の捕縛魔法がフェンリルの力を引き出すきっかけになったのは確かだ。
(まぁ、転生してから会った連中だけで言えば、人間も捨てたもんじゃないな)
フェンリルはこれまで出会った学園の人間たちの顔を思い出していた。友人とは呼べなくとも、敵と呼べるような人物もまたいない。楓を筆頭にそれぞれ初めの出会いは最悪なものばかりだったが………。
(このまま人間の評価が高いままならいいんだがなぁ)
フェンリルはいつか来るかもしれない「世界」との殺し合いが回避できるようにと願いながら再び足を前へと進めるのだった。
「そこで止まれ!!」
「っ!?」
「なんだ?」
鳥居を潜るフェンリルと愛衣に向けてどこからか警告の声が発せられる。高くよく通るその声に愛衣は身を強張らせて警戒を示す。対照的にフェンリルは落ち着いたまま声の主を探して、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「ここは関西呪術教会の総本山。貴様のような化け物が足を踏み入れていい場所ではない。即刻この場を立ち去れ。拒むならば実力で排除する!」
取り付く島もないような高圧的な物言いに、フェンリルは顔を顰める。
(また殺し合いか………メンドクサイ……)
フェンリルはアクビを噛み殺しながら、世界が再び終わる日も遠くないのではと軽く辟易するのだった。
あとがき
楓にカエル嫌いというプロフィールがあったので、「カエル地獄」はどうしてもやりたかったイベントでした。もっと逃げ惑う楓でも面白かったかも……。
まだネギと明日菜がちゃんと仮契約してないんですよね。どっかでしないとなぁ、なんて考えてます。