――――ベルン地方南部『殿』玉座の間――――
鮮やかな真紅の王のみに座る事を許された玉座に腰かけ、黙々と、迅速かつ正確に執務をこなしていたナーガは自分に近づく気配を感じ取り、顔を上げた。
注意を少しだけ外に向けて何者なのかを探る。
【人形】ではないのは直ぐに分かった。アレは気配が極端に希薄だ、それこそ竜族の優れた探知能力でないと見つけられないほど。
今こちらに向かって来ているのは燃え滾るような【エーギル】の持ち主――――恐らくは火竜族だ。
そしてもう一つだけ付け加えるのならば、ナーガはこの【エーギル】の主をよく知っていた。
木製の扉の前でピタリと足を止めた気配の主に声をかける。
「入れ」
音もなく滑らかに、定期的に整備されている扉が開き、部屋の主の入室の許可を貰った人物が布擦れの物音一つ立てず入室してくる。
紅い、赤い、まるで火を布にしたらこうなるであろう程の透き通った火色のドレスを着た、後ろで結んだ長い髪も空の星の様な光を宿した両眼も、そして纏う雰囲気さえも“赤い”女であった。
足音ひとつたてず玉座に腰掛けた自らの主の元に歩いていき、彼の前で跪く。
「アンナ。何用だ」
万年筆を横に置き、頬杖をついて何故ここに来たかを問う。少なくともナーガの記憶では彼女が今、ここに来る予定はなかった筈だからだ。
問われた女――アンナが顔を上げ玉座に座する竜の王を見る。
「長に謁見を求める人間の男がおりまして……」
「人間? 数は?」
「一人です」
「用件は?」
「いえ、長に直接話すと……」
ナーガが首を傾げた。その絶大な力で人の生活を守護し、信仰の対象にさえなっている【竜】ではあったが、同時に恐怖の対象でもある【竜】の本拠地に住まう
【竜】の王に一人で謁見を求める者がいるとは。
ほとんどの、否。今までは人が謁見してくる時は必ず3人以上の多数であったのだ。内訳は王族か何かの高位の人間一人にその護衛といった感じだ。
恐らくは絶対に手を出さないと知りつつも一人で竜の本拠地に乗り込むのは恐ろしいのだろう。
……面白い。面白いが……。
その謁見を求めてきた者に対する好奇心が彼の中で頭を覗かせる……。
チラリと机に束ねて置いてある未処理の今日中に終わらせなければならない書類の山をみる。
いきなり来た見知らぬ男に時間を割いては予定通りに終わりそうになかった。
床に膝を突き、自分の判断を仰いでいるアンナに命を下す。
「後日、こちらの指定した時間に来るように伝えろ。今回は引き取らせるのだ」
「仰せのままに」
一礼し、部屋から退室しようとするアンナの背に声をかける。
「……その者の名は分かるか?」
アンナが赤い炎色の髪を揺らして振り向き、頭を下げて伝える。
「はい。確か……アウダモーゼと名乗っておりました」
「そうか。苦労であった」
ナーガがそう言うと一礼し今度こそアンナは来た時同様、音も立てずに退室していった。扉が閉められる。
しばらくして部屋から離れた場所でアンナが転移の術を使用し、彼女の気配が殿から消え去るのを感じながらナーガは考える。
その謁見を求めてきたアウダモーゼとか言う男……。恐らく、いや、高確率で何かを企んでいるのだろう。
でなければ、単純に竜の住処とそこに住むを長を見たいという好奇心か何かか……。
腕を組み、眼を瞑り瞑想する。そしてまだ顔も知らぬアウダモーゼという男について思考を巡らす。
多分、その男は魔道士だろうとあたりをつける。あいつらは自分の知的好奇心を満たす為ならば平気で命さえも分の悪い賭けでも賭ける。自分のも、そして他者の命も。
もしくは単なる頭を患った馬鹿か。
確立としては前者が9割以上、後者が1割未満といった所だ。
自分の命を狙っているというのも僅かにあったが、すぐにこれは思考から排除された。確立として低すぎる。
第一どんな優れた武器や術を持って来ようが、群れない人間一人の力では殺すのはおろか、傷をつけるのさえ難しいだろう、いや不可能といってもいい。
次に対処法として謁見を拒否する。これもすぐに消え去った。高々人間の男一人にこの竜の長が怯えて謁見を断るなどプライドが許さない。
今回は単に書類の処理が終わってなく、予約もなく来た男に割く時間がなかったからに過ぎない。
貴族や王族という事は絶対にないだろう。少なからず護衛を付ける筈だ。一人というのはまずありえない。
何にせよその男に対する情報が少なすぎる。この自分に会いに来た理由さえも分からないのだ。
まずは此方が万全の時に会ってみて、顔を見て、直接話し、判断を下すしかない。最悪、その男を抹殺することも視野に入れておく。
また厄介事が増えたのはまず違いない。
ふと、あの双子が彼の脳裏に浮かんだ。あの酷く純粋で穢れなど一つも知らない笑みが。あのあどけない寝顔が。
自分にもそんな時代はあったのだろうかと考えるが……余りにも馬鹿馬鹿しすぎて止めた。
自分以外誰もいない執務室にナーガの溜め息の音がやけに大きく響いた。皮肉にもそれは彼の息子であるイデアの溜め息の吐く音と酷似していた。
「うぬぬ……」
野生の獣の中でも大柄な飛竜を3体程も寝かせられる巨大なベッドの中心にでん、と、胡座をかいているイデアが唸り声を上げた。
彼の眼の前には長さ50センチ程に綺麗に切られ、表面をササクレ等を削ぎ、ツルツルに加工された杖が無造作に置いてある。
「うぅぅ……」
イデアが片手を前に出して、ありったけの力をその幼児の華奢な腕に込める。
――――カタカタ…………。
杖が独りでに小さく、本当に小さく揺れた。
イデアが血管が浮かび上がるほどの力を腕に込めると更に大きく上下に揺れるが……それだけだ。
「ふぅ……」
腕に込めていた力を抜くと杖の振動も収まった。そのまま一気に脱力し、ベットに後ろから力なく倒れこむ。
仰向けになったイデアが頭をもぞもぞと緩慢に動かし、「姉」を見る。
眼を瞑っている彼女の周りは正にポルターガイストの巣窟だった。
何冊もの分厚い本が宙を舞い、時折ペラペラと頁が捲られている。
何も知らない者がみたら卒倒する光景であるが、イデアは特に驚かない。その全てが霊や得たいの知れない存在等ではなく「姉」、イドゥンによって引き起こされていると知っているから。
いや……、例え霊によって引き起こされていたとしても特にそこまで驚きはしないだろう、あの【竜】に比べればその程度かわいいものだ。
と、見られている事に気がついたイドゥンが瞼を開き、その特徴的な色違いの瞳で弟を見た。
「どうしたの?」
「いや……」
イデアがぷいっと顔を逸らす。そのまま枕に顔を押し込む。
だが、10秒程でまた顔を出して、何だろうと自分を不思議そうに見ている「姉」の顔を見る。
何回かその行動を繰り返していたが、やがて耐え切れない用に口火を切った。
「姉さんは……凄いね」
「……?」
イドゥンが言われた言葉の意味が分からずに頭の上に「?」マークを浮かべる。
「竜のすがたにも一発で戻れるし、物はかんたんに持ち上げちゃうし……」
話している途中、何で自分はこんな事を彼女に言っているのだろう? と、イデアの中に疑問が浮かぶが、答えは出なかった。
ただ一つ言えるのはこの感覚は以前にも前の世界でも味わった事があるような気がした。
……そう、まだまだ幼い子供時代か何かに。
口が意思に反して止まらず動き、今度は一転して自分をなじる。
「俺なんか、全部すごくじかんかかっちゃって……」
きゅっとシーツを強く握りしめる。少しだけ顔を上げると「姉」がどうすればいいのか分からずオロオロしている姿が見えた。
(何を言ってるんだ? 俺は?)
それを見た途端、急に自分の頭が冷めて行くのが彼には分かった。口がようやく脳に従い閉められる。
そして――――――
―――嫌われる。
その言葉が頭をよぎり、イデアの顔がみるみる青ざめていく。
唯一この世界で気兼ねなく話せる彼女に嫌われる事は比喩ではなく文字通りイデアの精神の死に直結していた。
「ぁ……」
何とかして謝ろうとするが、少しだけイドゥンの方が早かった。
布擦れの音と共に素早くイデアに近づき。仰向けの彼の頭の横に座る。彼女の後ろで本がパタパタとベットに落ちていくのがイデアには見えた。
「イデアも凄いよ? わたしの知らないこといっぱい教えてくれて」
彼の手を優しく取り一つ一つ挙げていく。
曰く ありがとう、と、どういたしまして、という感謝の言葉を教えてくれた。
曰く 食べ物を食べると食べた後に言うべき事を教えてくれた。
曰く 食べ物は米粒の最後の1つまで残すな。
全て産まれて一ヶ月にも満たない、まだ白紙といえるイドゥンにイデアが基礎的な事として教えたことだ。
「ぜんぶ、イデアが教えてくれたことだよ?」
「そんなこと……」
誰でも知っている、小さな事だと笑い飛ばそうとするイデアに彼の「姉」は語りかける。
「でも、わたしは知らなかった。イデアは知ってる。多分、もっといっぱい知ってる」
「それは……」
まるで自分の「中身」まで見抜いてそうな言葉にイデアが言葉を濁す。だが、同時にイドゥンにそう思われていたと知って嬉しい気持ちもあった。
(なんだ。結局はおあいこか……。いや、やっかみなんてしない分、この子の方が……)
何だか力を使える、使えないでやっかんでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。
そうだ、まだこの世界に来て一ヶ月程度しか経っていないのに自分は何を焦っていたんだろう。
ナーガが言うには竜の寿命は無限に近いらしい。ならばじっくりと磨いていこう。
現に全く動かせなかった杖も少しずつ動かせてくるようになった。無駄ではないのだ。
竜化だってもうあの感覚を掴んで出来るようになっている。恐らくは「姉」を真似してあの背中だけの翼だって出せるだろう。
ちゃんと自分は成長しているのだ。
「あっ、ははははは!」
余りにも今までの自分が馬鹿らしくて、イデアは笑った。自分自身を。
いきなり仰向けで笑い出したイデアを呆然とみていたイドゥンもイデアの何処までも愉快な笑みに釣られて笑う。本当に楽しそうに笑う。
暫くの間、部屋には双子の楽しそうな笑い声が響く。
「姉さん」
笑いすぎて目元に涙を浮かべたイデアが柔らかな笑みを浮かべてイドゥンに話かける。
「なぁに、イデア?」
イドゥンが顔を美しく綻ばせて答える。
「これからもよろしく。俺の、俺だけの『お姉さん』」
本当の意味でイドゥンがイデアの姉になった、そしてイデアが弟になった、その瞬間である。
あとがき
気がついたら更新のペースが二週間に一回になっていて驚いたマスクです。
SSを書いていると月日の流れが速く感じるのは自分だけでしょうか?
それとアウダモーゼに関してですが、彼はまだ人の姿です。原作の骨マスクではありません。骸の民もまだありません。
追伸
恐れ多いながらも皆様に質問なのですが、作品内で烈火、封印、覇者以外のFEシリーズの魔法を登場人物に使わせるのはありでしょうか?
かなり先にイデアにあの公式チート光魔法を使わせたいと思っているのですが……。