天高く昇っていた太陽が少しずつ傾いていき、青一色の空が徐々に夕焼けに染まっていく。異世界エレブでも一日の流れは変わりなかった。
バルコニーに続く、窓から入ってきたオレンジ色の光に気付き、イデアが顔を上げる。明かりをつけようと蛍光灯の紐を捜そうとするが、そんなものこの世界にはない事を「また」思い出す。
「はぁ……」
ため息を吐き、ベットの端に腰掛けているイデアが、ナーガが持って来たエレブ大陸の地図を閉じて隣に置く、置かれた地図の隣には歴史やら御伽噺やら、様々な分厚い本が重なっていた。ナーガが暇をつぶす為に持ってきてくれた物である。
瞼を指で軽く揉む。本の読みすぎで少しだけ痛い。首を回す、ゴキゴキと骨が鳴る。最後に背伸びをしてリフレッシュ終了。
ナーガに昼に部屋に転移させられて、昼食を食べてからからずっと本を読んでいたため、かなり疲れた。
改めて、窓から光を部屋に入れている山脈の果ての地平線に沈みかかっているオレンジ色の太陽を見る。夕暮れの空は太陽に近い部分だけ明るくて、その他の場所は暗く、小さな光、星が輝いていた。
「……」
しばらくその光景を眺める。陽が沈むときはどこの世界でも同じだなと考えながら。
今、自分のいた世界もこの光景と同じなのかな? と、故郷に思いを馳せる。
不意に背後からガサガサと音が聞こえてきた。
それは人が布団の中で動くときに発生するあの音に近いものがあった。
誰が動いているかは言うまでもないだろう。何故ならばこの部屋にはイデアの他には1人しかいないからだ。
あえて無視を決め込んでいたイデアの背中に突如、重たい物体が圧し掛かった。
首には細く華奢な白い腕が回されて、肩から特徴的な髪の色をした幼いながらも美しい娘の顔がのぞく。
この部屋のもう1人の主にしてイデアの姉のイドゥンである。
「……姉さん、起きたんだ」
イデアがいつもより数段低い、疲れた声で背後から抱きついてくる姉に言う。
彼の記憶によればイドゥン、自分の「姉」は昼食を食べてしばらくしてから眠いといってベットに潜り、就寝したはずである。
体が抱きとめられて動けない為、眼だけを動かして、もう一度窓の外の更に暗くなっている夕暮れの空を見る。どうやら考えていたよりもかなりの間、本に集中していたようだ。
それにしても。
子供ってこんなに人に抱きつきたがるものなのかな? などと考える。
……まぁ、悪い気分はしないのも事実だが。むしろ、こんなかわいい子に懐かれるのは、正直嬉しい。
「……ふふ」
声をかけられた「姉」ことイドゥンはといえば、口元に笑みを浮かべてイデアの背中に顔を押し付け、ごしごしと擦り付ける。
思わずイデアの頬に朱がさす。恋愛感情ではなく姉と弟のスキンシップに近いものだと分かっていても、かわいい女の子に抱きつかれるのは、やはり恥ずかしいし、嬉しい。
ドクドクと自分の心臓が脈をうつ音とイドゥンの鼓動が布越しに聞こえてくる。
自分の心臓の方が鼓動が早いのは気のせいではないだろう。
背中から心地よい温もりがイデアに伝わっていく。
少しだけ重くて肩がこりそうだが、そんなもの些細な問題だ。
(これはこれで……)
イデアがもう少しこの状況を楽しもうと心の奥底で決めたのと同時に、微かな本当に小さな音が部屋に流れてきた。しかし竜族の優れた聴力は確かにその音を聞き取った。
ピクッとイデアとイドゥン、双子の耳が揃って反応する。
双子が耳を、頭を、その音をより傍受するために音が伝わってくる方向に向ける――――ほとんど沈みきった太陽が映る窓に。
小さな小さな音が風を伝わり部屋に入ってくる。
それは柔らかな音。いや正確には「音」だけではない。
リズムがあり、メロディが奏でられている。それは「音楽」であった。
イドゥンがイデアの背中からゆっくりと離れる。ベットの下に揃えて置いてあるブーツを履き、ととと、と窓に駆け寄っていく。
と、何かを思い出したのか、一度立ち止まり、壁に掛けられているイデアの杖を手に取りイデアの元へ戻ってきた。
「はい」
手に持ったそれをイデアに差し出す。
一瞬、イドゥンが何をしているのかが分からなかったイデアだが、「姉」の行動の意味を理解すると人間だったころの癖で
「ありが、とう」
礼を述べた。
イドゥンがきょとんとする。そしそのまま何かを考え込むように暫く黙り込む。
「どう、したの?」
イデアが突然複雑な顔で黙り込んだ「姉」が気になり、不思議そうに問いかける。
「……なんて、言えばいいか、分からない」
「…はい?」
イデアが思わず間の抜けた声を上げた。イドゥンが俯いたまま構わず続ける。
「…何かを言わなきゃいけない気がするのに、それが分からないの……」
(あぁ…そうか、この子は知らないんだ……)
イデアが納得する。この女の子は自分と違い、産まれて間もない、言うなれば白紙に近い状態だということを改めて実感した。
「『ありがとう』って言われた時は、『どういたしまして』って、言うんだよ」
「『どういたしまして』…?」
イデアが無言のまま笑顔で頷く。そしてイドゥンから補助用の杖をもらう。
まだ少し履きなれない皮のブーツを履いて、ベットの縁から立ち上がる。
そのまま二人で柔らかな音楽が流れてきている窓へと向かう。
窓は押せば簡単に開いた。バルコニーと呼ぶには少々広すぎる空間に出る。
太陽は既に全体の8割以上が沈んでおり、ほんの僅かなオレンジ色の光が地平線からのぞいている。既に山脈は夜の闇に覆われ、見ることは叶わない。
二人の吐く息が白く染まる。
「うぅ……」
山間地方の夜の刺すような冷気に肌がさらされ、イデアが歯を鳴らしながら、自身の肩を抱く。
ちらっとイデアが隣の「姉」を盗み見る。イドゥンは吐く息が白くなるのが面白いのか、何度も息を大きく吸っては吐いていた。白い息が出る度に「お~」と声を上げて喜んでいる。
(寒くないのかな……?)
イデアが疑問に思う。まぁ、風邪さえ引かなければ大丈夫だろうと楽観的に結論づける。
「音楽」はまだ続いている。しかし、曲は変わったようだなと、イデアは思った。さっきまでの曲はまるで水や氷を連想させる柔らかくも冷たい物だったが、今は聞いているだけで活力が湧き上がって来るような曲だ。
この曲を自然に例えるならば、そう、「春風」だ。
音楽の奏者を確かめるため周囲を見渡す。少なくとも風の流れが作り出した音ではないことは確かだ。
イデアの尖った人ならざる耳が本人も気がつかぬ内にピクピクと小さく何度も動く。
眼と首、そして耳を動かし、必死に探す。
「上だよ」
「わっあ、!!?」
何時の間にか隣にいたイドゥンに声を掛けられたイデアが驚き、たまらず悲鳴を出す。
「な、にが…?」
「上から、きてる」
イドゥンがイデアの裾を引っ張りながらバルコニーの端まで小さな歩幅で歩いていき、上を見上げる。
何だろう? と、思い、つられてイデアも見上げる。
竜族が本来の姿でも住めるほど巨大な「殿」の上部は闇に覆われてよく見えなかったが、確かにそこから音楽は聞こえてくる。
「これは、無理だな…」
暗闇に佇む岩壁を呆然とした様子で眺めながら、イデアがぽつりと呟く。
まぁ、奏者に会いたいとは思ってはいなかったから、特に問題ではないが。
と、イデアの裾をまたイドゥンがクイクイと引っ張った。
イデアが彼女の顔を見て、表情でどうしたと問いかける。
「いけるよ」
「え……?」
イデアが疑問の声を上げると同時に、以前見た光と同質の黄金の光が迸った。
しかし、以前のような眼を焼くほどの激しい光ではなかったため、眼を細めるだけで問題はない。
光がほんの数秒で消え、また夜の闇が戻ってくる。イデアが細めていた眼を、ゆっくりと慎重に開く。
「あ……」
視界に入った「姉」の姿を見てイデアが小さく声を漏らした。
何故ならば。
イデアの「姉」、イドゥンの背に、翼が生えていたいたからだ
いつか見た【竜】としての姿の時に背中に生えていたものを、そのまま小さくした四枚の翼が、人としてのイドゥンの背中に出現していた。
パタパタと軽くそれが動く。
フワリと、羽ばたきといえる程の動きをしていないのに、イドゥンの体が当然と言わんばかりに中空に浮きあがった。
(深く考えたら、負けかな? これは……)
乾いた笑みを口元に浮かばせながらイデアは思った。つくづくファンタジーな世界では科学の法則とかは意味を成さない事を思い知る。
そして自分もこの子と同じ種族だという事を再び思い出す。
(いつか、俺も、、こんなことが出来るのかなぁ…?)
眼前で地面から2メートル程の位置で滞空したイドゥンが、翼の具合を確かめるようにその場に留まりクルクルと回るのを見ながら考える。
と、楽しそうに回転していたイドゥンの回転が突如とまった。
ふらふらとした様子でゆっくりと降下し、地に降り立つ。
そのままパタリと塞ぎこむ。
「うぅぅぅぅ……」
回転のしすぎで眼を回したようだ。
四枚の美しい黄金の翼と長い耳が揃って力なく萎れている。
「あ~~~~」
イデアが言わんこっちゃないとばかりに肩を竦め、溜め息を吐く。
つい先ほどまでは神々しく見えていたのに、なんだかいきなり身近な存在になった気がした。
近くに寄り、背中を出来るだけ優しく何度もさすってやる。
「あ、ありが、とう……」
教えていない言葉を正しい用法で使われて、イデアが一瞬だけ呆けるが、すぐに言葉を返す。
「どういたしまして」
自然と微笑が顔に浮かぶ。
夜の寒さが少しだけ柔らかくなったような、そんな気がした。
イドゥンがイデアの手を借りて立ち上がる。パタパタと翼と耳が嬉しそうに動く。
そして、そのまま翼から浮力を得て、上昇しようとするが
「ちょっ、ちょっと待った!!」
慌ててイデアが脚に力を込めて踏ん張った為、飛ぶことは出来なかった。イドゥンが頭に「?」マークを浮かばせて首を傾げる。
「行かないの?」
「姉」の問いかけにイデアが歯切れが悪そうに、小さく唸り声を上げた。
少しの間だけそうしていたが、一度深く息を吸い込み決心を決めて
「……最初は、自分の力で……飛びたいんだ」
「……わかった」
暫しの沈黙の後、イドゥンは頷くと、フワリと地に、今度は絵画に出来るほど優雅に左足のつま先から降り立つ。そして繋いでいた手を離す。
かつん、とブーツが地に触れた音がやけに辺りに響く。
1人で奏者に会いに行かないのかとイデアが問う。
彼の「姉」は首をゆっくりと左右に振りながら答える。そしてイデアの頭に何気なく手を伸ばし、優しく撫でる。
金色の髪がさらさらと流れる。
「1人は、嫌。イデアも一緒じゃなきゃ、嫌」
イドゥンが言いきると同時にイデアの頭を撫でていた手を離す。同時に今まで流れていた「音楽」がピタリと止まった。
「1人で暗いとこにいくなんて、嫌」
イドゥンが先ほどまで「音楽」が流れていた「殿」の上部を見上げる。そこは完全に闇に覆われていた。
冷たい夜風が二人に吹き付けてくる。
天には太陽の代わりに端が少しだけ欠けた巨大な蒼い月が昇っている。
エレブは完全に夜となっていた。「姉」がイデアの手を再び握る。直に伝わってくる温もりで心まで温められ、気持ちよい。
天使そのものとも思える笑みを浮かべる。夜空の巨大な蒼い月にも匹敵、イデアにとっては上回る美しさの笑みを。
イデアはその笑みに眼を、心を、魂を、完全に奪われた。
「部屋に戻ろう?」
「う、う、うん」
抱きつかれた時よりも顔を朱く染め、何度かどもりながら何とか意味のある言葉を喉から捻り出す。
小さくイドゥンの体が光ると、翼が消えた。
そのまま手を繋ぎ、部屋に戻る。窓を閉めて、杖を壁に掛け、ブーツを脱ぎ、並べて、ベットに二人でダイブする。
二人はナーガが湯浴み(お風呂)の用意が整った事を伝えに来るまで、仲良く並んで横になり、楽しそうに笑いあっていた。
あとがき
友人に勧められて「蒼炎の軌跡」をプレイしてみました。黒い騎士にぬっ殺されました。
……なんで、あんな所からあんな化け物が。